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部活が終わって部室で着替えをしている最中、ふと雨音が耳に入った。
室内はざわざわしているが、まだ誰も外へは出ていない。
ここに移動してくるまでの渡り廊下を歩いている時も、特に雨が降っている印象はなかったので、今降り始めたのだろう。
七時過ぎから雨。
天気予報の通りだ。
新しい人口衛星をあげてから、一部の局の天気予報合致率はそこそこ上がってきている気がする。

「…雨ですね」
「えっ!ウソ!?」

ぽつりとほぼ独り言で呟いた俺の声に、距離を空けて自身のロッカー前にいた木兎さんが過敏に反応する。
着替えようと制服のシャツを引っ張り出したはいいものの、驚くついでにそれをぽいと放り捨て、ずかずかやってくると窓にべたりと両手を着けて張り付いた。
窓に残る指紋が気になって仕方がない。
止めればいいのに、何度マネージャーに注意されてもこの癖は抜けないらしい。
木兎さんは、雨があまり好きではない。

「うっわ~。マジかー!何で雨!?」
「天気予報、夜から雨っつってたぞ」

着替えをしながら、木葉さんが木兎さんを振り返りもせずぶっきらぼうに言う。
隣で猿杙さんもこくこくと頷いた。

「見なかったか~。…ま、そーだよね~。木兎だもんな~」
「傘持ってねえし!」
「「ドンマーイ」」
「ぐぬうっ!」
「…おい、木兎。監督呼んでるぞ」

他の先輩方に揃って言われ、窓硝子に額をつけて背中を丸めている木兎さんを、今部室に入ってきたばかりの鷲尾さんが呼ぶ。
すっかり悄気ている木兎さんは、のろのろと頭を上げて後ろを向いた。

「え~…。ナニ~?」
「俺が知るかよ。…ああ、赤葦はいいとよ」

木兎さんが部長として呼ばれたのなら俺も行った方がいいかと一瞬構えたが、それに気付いた鷲尾さんがこちらに片手を軽く挙げて制した。

「うううう~…」
「今度の合宿のことじゃねーの?」
「あー。何かまた烏野来んでしょ?」

わいわいと先輩方や同期がそのことで盛り上がる。
ウチの練習試合グループは割と仲がいいしさっぱりまとまっているので、返って余所者が来ると微妙に冷めることが多いのだが、この間の夏合宿での仙台・烏野はウチの部内では好評だった。
特に木兎さんはあそこの後輩MB二人をすっかり気に入ったようで、前回の合宿中に、早くも監督に「次もアイツラ呼んでください!」とリクエストしていたくらいだ。
…合宿の報告なら、悪い呼出じゃないだろうに。
今やすっかり雨の発生で悄気てしまっている。
思いっ切り不本意な顔で、木兎さんは部室を横切るとドアの方へ歩いていく。
途中、木葉さんがバシッとその丸まっている背中を叩く。

「お前タオル持ってんの? 傘代わりになるモンある?」
「タオルはあるケド…」
「んじゃヘーキじゃん」
「ヘーキじゃない!傘貸してっ!」
「ざけんな貸せるか。…駅までかぶって帰れよ。駅まで行きゃ問題ねーだろ。じゃあな。マジで風邪ひくなよ。ぶっとばすぞ」
「木葉冷たいっ!」
「まーまー。お先ね~、木兎」
「真っ直ぐ帰れよ」
「知らない人についてっちゃダメだよー?」
「何でガキ扱い!?」
「攫わねーわー、こんなデカイの」
「ナニヨ!男の嫉妬は見苦しいゾ、小見やん!」
「嫉妬じゃないよーだ。木兎見てると男は身長じゃねーってしみじみ思うもんねー」
「ぶははははっ!」
「あるわ~、それあるわ~!」
「ふんだ!」
「…お疲れさまでーす」

先輩達に茶化され、木兎さんが頬を膨らませながら盛大にドアの音を立てて部室を出て行く。
その背中に後輩たちがばらつきがありつつも一斉に挨拶し、俺もそれに混じった。
挨拶をしてから、ドアの方を向いていた顔を正面のロッカーに向ける。
持ってきた傘は、部室の入口の所に他の人達と同じように傘立てに立てかけてある。
…が、自分の両手がかかっている、今開けたばかりのバッグの中に、実はもう一本、ひっそり入っている置き傘を無言で見下ろした。

「…」

使いますか?…と言いたかったが、先輩方の会話の中に入っていくタイミングが難しかった。
小さく息を吐き、着替えを再開する。
ブレザーを身に着け、タイを締めた。
音駒程じゃないが、練習中などは割としっかりしているが無意味な上下関係縛りが無いのがウチの部のいいところで、後輩から帰宅しても挨拶だけしっかりすれば誰も文句は言わない。
それぞれが自分のペースで着替え、自分のタイミングで挨拶をして帰っていく。

「赤葦、帰る?」
「ああ…。先帰ってて。お疲れ」

木兎さんが面倒臭い性格なのは部内の共通認識で、そんなあの人と同じ駅の俺は"公認お目付役"のようなポジションにいる。
なので、あの人がいる時は大体一緒に帰るのだが、逆にいない時は勿論同期と帰ることもある。
今も声をかけてくれたタメに、軽く返した。
オッケ、と小さく返し、そいつらも先輩方に挨拶して帰っていく。

「じゃあなー」
「お先~」
「お疲れさまです」

一人一人と帰っていき、部室に残っているのは俺だけになった。
着替えはすっかり終わって、けれど指定カバンの中からペンケースとルーズリーフを一枚取り出し、そこに"使ってください。赤葦"と一度書いてはみていたが…。
いざ最後の一人まで残ってしまうと、何だかこのまま待ってもいいような気がしてきた。

「…。そうするか」

カチ…と色ペンの蓋をしてペンケースとルーズリーフをカバンにしまい直す。
代わりにハンドタオルを取り出し、さっき木兎さんがべったり指紋と額の脂を着けていた窓の跡を、軽く拭いて綺麗にしておいた。
タオルもしまい、今度は読みかけの文庫本を取り出して、室内にある長椅子に腰掛ける。
時間を無駄にするのはあまり好きではないが、木兎さんを待つのは一年の頃から日常的になってはいるので、最早苦ではなくなった。

 

 

 

 

一人で待ち始めて大凡十五分後。
ドアを開ける音で、読んでいた文庫本から顔を上げた。

「…あれ? 赤葦まだいたの??」
「お疲れさまです」
「おー」

監督との話が終わったのか、部室に木兎さんが戻ってきた。
自分も少し前に着替えたばかりだというのに、練習ティシャツを着ている木兎さんに時間の経過を感じる。
読んでいた本にしおりを挟んで膝の上に置く。
着替え損ねた木兎さんがロッカーの前でシャツを脱ぎ、ぽいっと俺の横のイスに投げ置く。
さんざん脱ぎ散らかし、最後に全部まとめて片手で掴んでぎゅっとバッグに入れるのは知っている。
放っておいても勿論いいのだろうが、手の届く範囲だし、何となく拾って座ったまま膝で汗の吸ったティシャツを畳んでみる。

「思いの外早かったですね。終わるの」
「そー!今日アタリ日だった!十五分ちょいで終わるとかキセキじゃね!?」

上半身裸のまま、制服シャツを片手に木兎さんが振り返り、得意気に主張する。
そーですね、と相槌を打っておいた。
一応部長の木兎さんが呼び出されるのは事務的に仕方がないと思うが、その呼び出しがなかなか終わらず長引くのは、もれなく監督が木兎さんに"もう少し落ち着け""アレはこーした方がいい"的なちょっとした説教が入るからだ。
逆に言えば、長引くのは木兎さんばかりで、俺なんかが呼び出されても短時間で終わる。
本人は面倒臭がっているが、要するに"目をかけられている"状態なわけだ。
可愛がられているとも言える。
本当に不思議だが、がたいがよくデカイ男のくせに木兎さんはそういうポジションだ。
…まあ、その分こうして一人だけ遅くなることはよくあるのだが。

「合宿のことでしたか?」
「んー。半分はそーかも。また烏野来るって。でもそれはお前も呼んで後でもっかい言われそー」

畳み終わったティシャツを反対側に置き、次に投げ出されてきたハーフパンツはキャッチした。
畳む。
ティシャツより手間が無いので、一秒二秒で終わる。
さらりとそれを先に畳んだティシャツの上に置いてふいと顔を上げると、木兎さんの白くて広い背中が目に入った。

「…」

…後ろ姿綺麗なんだよな、この人。
意外だけど。
姿勢はしっかりしているし、ふんぞり返って素で仁王立ちすることの多い木兎さんは猫背とは無縁だ。
多少不均衡なのはスパイカーとして仕方がないとしても、盛り上がった背筋とはっきり入った縦のライン。
そのくせ色白。
俺はこの人の背中が好きだ。
大袈裟かもしれないが、西洋の彫刻のような凹凸ある背中は見ていて飽きない。
いいな、と思う。
…が、前に一度着替えの途中で何気なく「背筋綺麗ですよね」と褒めたら、かなり得意気な顔でボディビルダーの真似をしてポーズを連続して取り、他の先輩方もわっと集まってきてポージング大会になったので、もう二度と口に出して褒めるべきではないと学んだ。
黙って見ていると、あっさりとシャツを着られてしまった。
それを切っ掛けに俺も眺めるのを止めて、文庫本をカバンにしまう。

「あかーしは何でまだ残ってんの?」
「傘二本持っていたんです。一本木兎さんに貸せそうでしたので」
「マジ!?」

シャツのボタンを締めながら、くるっと木兎さんが振り返る。
キラキラした瞳を敢えて無視して、カバンの中から折りたたみ傘を取りだす。
"書き置きだけ置いて帰ればいいのに、待ってる必要ないだろう"…とかまで気付かないところが助かる。
イスから立ち上がって傍へ行き、木兎さんへ差し出してみる。

「どうぞ」
「赤葦愛してるっ!!」
「…どうも」

両腕を広げ、わっと勢いに任せてハグされ、差し出した状態で受け取られていない傘を片手に無条件降伏状態でそれを受けた。
ぎゅむぎゅむ二回思いっ切り抱き締められてから解放され、ようやく傘を受け取ってくれた。
木兎さんがそれを軽く放り、再びキャッチする。
人の傘なので、できれば丁寧に扱ってください。
…まあ、別にいいんですけど。

「これで雨も恐くなーい!」
「朝、家出る前に天気予報見るといいですよ」

どうも木兎さんは起床してから家を出るまでの時間が信じられないくらい短時間のようなので、たぶん朝はテレビは見ていないのだろう。
天気予報チェックくらいなら移動中でも携帯でできるが、その予報を見て傘を持って出る出ないの話になれば、勿論家を出る前にそれを一度チェックする必要がある。
俺のアドバイスに、木兎さんは「そうする!」と即答する。
改善する気はなさそうだ。
受け取った傘を足下に置いて、タイを緩く締めて着替えは終わったらしい。
最後にカバンを片手に俺が座っていたイスの傍まで移動すると、チャックを開けてそこに畳んで置いておいたティシャツやパンツを一掴みにし、ぎゅっと押し込む。
その二つは畳んだのでそのまま入れてくれていいのだが、その上から更に肩にかけていたタオルをぐちゃぐちゃの状態でやはり一掴みにして入れ、ぎゅーっと押し込んでからバッグを締めた。
…ぐちゃぐちゃに押し込められたタオルが気になる。
そりゃ、洗濯機に入れてしまえば一緒なのは分かるが、畳んで入れた方がバッグが膨れることなく持ちやすいだろうに。
俺が一人勝手に妙なところを気にしている間に、木兎さんはそれを肩にかけた。

「おーし。んじゃ帰ろー!」
「はい」

部室を出る際、傘立てにあった自分の傘を持って出た。
電気を消して、木兎さんが鍵をかける。
一応屋根がある部活棟の廊下に出れば、屋根の向こうは雨がしとしと降っていた。
風がないのが救いだが、傘がなければ辛いだろうと思う程度に降っている。
ウチは遅くまで残っている方なので、残っている部もありそうだが、殆どは既に明かりが消えていた。
校庭に面している場所まで移動し、傘を開こうとしていると…。

「――んお? 雀田!」

ビシッと暗い校庭の前方を指差し、木兎さんがマネージャーの雀田さんの名前を呼んだ。
校門の方を指さしているのは分かるが……生憎、俺には暗くて見えない。
というか、普通見えない。
ここから校門までは結構ある。
どういう視力してるんだ…。

「…雀田さん、いますか?」
「いるいる。校門の横んトコ!掲示板のトコ!」

急いで木兎さんが折りたたみ傘を開き、雨降りの空の下へ歩き出す。
俺も傘を開いてその後を追った。






校門の方へ近づくにつれ、本当に雀田さんの姿があって驚く。
校門と校舎の間の道横に割と大きな、しかし誰も見ない掲示板があるのだが、そこに少しの屋根があり、その下に雀田さんが困ったような顔で立っていた。
俺は、マネージャーの二人は随分前に出たような印象があるが、木兎さんによれば、実際は雀田さんは監督室のところにいて監督と相談していたらしく、帰ったのは木兎さんが職員室を出るほんの僅か前だったという話だった。
木兎さんが手を振り、俺たちの存在に気付くと彼女は少しほっとした顔をしてくれる。
俺たちが誰なのか、途中まで気付かなかったのかも知れない。
薄暗がりの中、長身の男たちが真っ直ぐ近寄ってきたらそりゃあ怖いだろうなと思う。

「よおっ。何でまだ帰んねーの? 迎え?」

片手を上げて木兎さんがあっさり尋ね、雀田さんが両肩を落とした。

「そーなんだけどさ~…。なんか遅れるって話なの」
「もっと屋根がある場所で待っていたらどうですか?」

こんな場所では濡れてしまう。
屋根はあるにはあるが、本当に狭くギリギリだ。
垂直に空から落ちてくる雨ならかわせそうだが、風によって吹き込んだりされたら一発で濡れてしまう。
それに、今も落ちた雨が跳ねて、足下の靴や靴下は少し濡れてしまっているようだ。
風邪を引いてしまうんじゃないだろうか。
移動を提案するが、雀田さんはあまりその気はないらしい。

「う~ん…。でも、来たらすぐ乗っちゃいたいんだよね…。いいよ、多少濡れても。ここにいるわ」
「風邪ひくぞ?」
「俺もそう思います。夏でも体冷やすと案外あっさりひきますよ」
「ヤなこと言うね、アンタらは…」
「おっ。そーだ。んじゃ、コレ使えば?」

そう言って、木兎さんは自分も掲示板の狭い屋根の下に入ると、差している折りたたみ傘を雀田さんに差し出した。
またこの人は…。
半眼で木兎さんを見る。
俺の傘です、それ。
使い道を否定はしないので、ここでそうは言わないが。
…この狭い屋根じゃ、細い女子の雀田さんならなんとかなるが、木兎さんははみ出る。
傘を差し出して、早速濡れはじめる木兎さんに呆れながらも、俺も屋根の下にそれとなく入り込んだ。
勿論俺もはみ出すし濡れるが、今持っている傘を少し高くし、横で濡れはじめている木兎さんの上へ開く。
真っ当な感性をお持ちの雀田さんは、慌てて両手を振った。

「いや、何言ってんの!いいって…!木兎が濡れるじゃん!」
「いーよ、使えって。俺と赤葦で相合い傘すりゃいいんだし」
「…できると思ってますか?」

因みに聞いてみる。
180㎝越えの肩幅ある男が二人で、できると思いますか。
俺の問いかけに、木兎さんはきょとんと見返してくる。

「え、ナンデ? できるじゃん」
「はみ出ます」

寧ろ過去何回かそういうことがあったが、悉くはみ出て濡れてきた。
俺はそれが本当に好きじゃない。
雀田さんに傘を貸すのは当然としても、残った一本をどうするかは問題だ。
二人で一つの傘を使って二人とも濡れるなんて、一番愚かな選択だと思う。
何の解決にもならない。
だったら、これは木兎さんに使ってもらって、俺は傘はいらない。
寧ろそうしてほしい。
走って駅まで行きたい。
片手で持っていた傘を、木兎さんに押しつけた。
肩にかけていたバッグの中から練習で使ったタオルを取り出す。
バッグを後ろ腰に押しのけ、学生カバンの中身を一度チェックしておいた。
万一濡れて困りそうなものは制服の内ポケットに移動させておいた方がいいと思ったが、あまりそういったものはなさそうだ。
片足を少し上げて、自分の腿をテーブル代わりに取り出したタオルで学生カバンをぐるりと包む。
これを頭の上に掲げて走れば、何とか頭部は耐えられるだろう。
今からジャージに戻るのも正直面倒臭いし、制服のシャツは洗えばいい。こちらは何の問題も無い。
スラックスの裾は微妙だが、木兎さんが濡れるよりいい。
この人の走り方は豪快だから、俺より被害がでかい気がする。
…と考えると、やっぱり俺が多少濡れるのが最も効率がいい。

「雀田さんはそれ使ってください。木兎さんもどうぞ。俺は走ります」
「えっ…!」
「だからナンデヨ!? 相合い傘しよーぜ!?」
「してもいいですけどだからはみ出るんですって。二人濡れるのは本末転倒じゃないですか」
「あーもーっ!んじゃー俺のタオル貸してやるから!」

何故か喧嘩腰で片腕を振るい、ジャッ…!と勢いよく木兎さんが自身のバッグの口を開ける。
そこからあのぐちゃぐちゃに最後に詰め込んだタオルが、俺の出番かとばかりに自主的に顔を出し、木兎さんがそれを掴んで取り出す。
バサッと一度広げると、それをそのまま俺の頭にかけた。
少し右寄りにかけたタオルは、俺の頭部と右肩と腕辺りを覆う。
驚く間もなく、がしっと木兎さんが俺の右肩を、かけたタオル越しに掴んだ。
そのまま肩を組んだ状態で接近し、頭上に傘を掲げる。
ムキになってる木兎さんは、妙に血気荒く捲し立てる。

「ハイッ!ハイこれでヨシ!イケる!! はみ出た分はタオルあるでショ!? 基本はみ出さないよーにするけど!」
「…」

これはダメなやつだろう…。
密着もいいところだ。
これで駅まで帰る気か。
本気で?
恥ずかしさとかないのか、この人。
…いやまあ、確かに何とかなるかもしれないが。
そう思って頭上に開いている傘を見上げる。
一応まとまっていれば俺の体半分は傘の下に入れるようだし、はみ出している分はタオルを借りているので、全部が全部防げるわけではないが雨避けとしては十分か。
まあ、一番濡れなさそうではある…が。

「…本気ですか?」
「何で。これが一番いーじゃん、誰も濡れなくて」
「ねえ木兎、いいってば。赤葦困ってんじゃん」
「あ、いや。雀田さんは使ってください」
「あ…コレ赤葦のなのか。だと思った」

軽く片手を上げてぴしゃりと受け取りを断ると、雀田さんはその傘の持ち主が俺であると気付いてくれたようで、改めて開いている折りたたみ傘を見上げた。

「でもさー、ホントすぐ来ると思うし、大丈夫だよ。私のことは気にしなくていいからさ」
「…」

だが、また困ったように視線を下げて返そうとする。
…こーゆーところが、女子は面倒臭い。
雀田さんはさっぱりしている性格の方だとは思うが、ありがとう、で受け取ってくれなくて話がぐだぐだ延びて無駄に時間をロスする。
どうしようかと思っていると、木兎さんが緩く傘を持っていた彼女の手を外側からぐっと握り、強く握らせて押しつけた。

「もーいーからとにかく使えよ。メンドクサイ。行こーぜ赤葦!」
「はい」
「あ、ちょ、ちょっと…!」
「じゃーなー!」
「お疲れさまです」

ひらひら子供のように手を振って、傘を片手に木兎さんが掲示板の屋根から抜けるので、それにくっついて俺も歩き出す。
背後から、「ありがとー!」と雀田さんが声をかけ、もう一度木兎さんは大きく手を振り、俺は会釈をしておいた。
前へ向き直る木兎さんは至って普通の顔で、こういう所ではこの人独特の激しさでの"自分イイコトした!"という主張は不思議と出てこない。
…即断即決。
思っていても行動に移せる人と移せない人がいる。
格好いいなと思う。
校門を出て、雨の降る暗い道を二人で駅まで歩いていく。
歩行者がいないわけではないが、流石にこの時間の学校周りは少ない。
駅に近づけばまた違うだろうが、思ったよりも人目は気にしなくてよさそうだ。

「濡れる?」
「いえ。大丈夫です。タオル助かります」
「傘もっとそっちやろっか? てゆーか俺がタオルでもいいんだけど」
「使ってください。今から変えるのは面倒だし濡れます」
「ま、そーだな。…じゃーもっとこっちくれば?」

くれば?と言いつつ、木兎さんが俺の方へ詰めてくる。
片腕にかけているタオルからなのか本人からなのか、雨の匂いに混ざって微かに木兎さんの匂いがする。
密着にぎくしゃくするのは俺ばかりで、木兎さんは意識の欠片もなさそうだ。
なので、俺も努めて平然を装おう。
…とはいっても、俺がいくら緊張していたところであまり表には出ないらしいので、心配はないと思うが。

「雀田、彼氏かな?」
「ああ…。普通にご家族かと思っていましたが、その可能性もありますね」
「なー。んじゃ、いたとしたら車持ちかー」
「…」

そのままてくてく暫く歩く。
雨の日にテンションが露骨に下がるのは木兎さんの通常運行だ。
いつもよりは多少口数も少なくなるので、それに合わせて俺も無理に話題を探すことはしない。
少し歩いたところで、ふと木兎さんが俺を見た。

「てかあかーし、何か今日キゲンよくね?」
「…え」

隣を歩く木兎さんが、傘を片手に屈託なく俺を見てそう言う。
一瞬、ぎくりとした。
…にやけてたか?
あんまり顔に出ない方なので、油断していたかもしれない。
にやけていたとしたら不気味だろう。
唇を意識してきゅっと結び、片手の指を頬に添えて、少し上へ持ち上げてみる。

「…そうですか?」
「ウン。雨好きなの? 俺キライ、雨。濡れるから」
「知ってます」
「でもお前何か今スゲーるんるんな感じ。ふわふわ」
「…。ふわふわがちょっと分かりませんが…」

それはどんなだ。
ちょっと意味不明だが、"俺分かる!"みたいな得意満面な笑みで木兎さんは断言する。
まあ、こんな状況だ。
実際機嫌は悪くない。
寧ろすごぶるいい。
女子みたいな思考が我ながら呆れるが、この人と相合い傘とか、今までにしたことないわけじゃないが、それでも未だ機会があれば普通に嬉しいしぎくしゃくする程度に緊張する。
雀田さん、ありがとうございます。
…とか思いつつ、それが表に出ないよう気を付ける。
一人だけ意識してるなんて、何となくガキっぽくてバレたくない。
木兎さんはきっと、俺との相合い傘なんて何でもないんだろう。
けど、俺は違う。
俺だけ意識していることなんてそれこそ山のようにあるので一々気にしてはいられないが、あんまりはしゃいでいるように見えてもどうかと思う。

「るんるん、ですか…」
「そ。何かイーコトあった?」
「…」

単体の相手に質問する時の癖で、木兎さんは高い背を少し屈め、覗き込むように人に顔を近づけては首を傾げる。
思わず、う…と詰まる。
これ、狡いんだよな…。
完全無意識なのは分かっているが、この人のこの仕草が苦手なのは俺だけじゃなく、先輩方もマネージャーたちも、監督すらそうなのだから本当に厄介だと思う。
何だって許される、木兎さんの特権理由の一つだ。
落ち着いて、詰めた呼吸を楽にして、すぅ…と息を浅く吸い、冷静さを呼び戻す。

「…。ええ、まあ…」

ふいっと前を向いて、少し顎を引く。

「ありましたよ。"いいこと"」
「おっ!アタリ!だろだろ!? え、てかナニ? 赤葦のイイコト!昼飯にクリームメロンパンとか買えた?」
「黙秘権行使で」
「ハア!? ナンデヨ!?」

バサッと木兎さんが持っている傘を揺らし、雨粒が飛ぶ。
隣から飛ぶ想像通りの突っ込みに、思わず小さく笑ってしまう。
小さい頃から声を上げて笑うコツがよく分からないから、ほんの少し口元を緩めるくらいしかできないが。
雨粒を避ける為にも、単に好きな相手の私物を引き寄せたいって理由でも、かぶっているタオルの端を片手で取ってかけなおした。



いいことありました




いいこと。
今歩いてる相合い傘もそうだし、洗って返さないといけないから、今夜一晩、このタオルは俺のものだ。
そんなことが堪らなく嬉しい。
これ幸いと、いつもよりぐっと近い木兎さんとの距離を意識しながら駅まで歩いた。



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赤葦さんがとんどんオトメンになっていく…。
赤葦さん視点が書きやすくて多くなってしまいますが、木兎さんも大好きです。
木兎さんも赤葦さん好きだろうけど割合が偏ってる。
2016.3.2





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