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「愛称っていーよなー」
「…」

合宿自主練開始直前。
いつもの第三体育館。
バラバラといつものメンバーが集まるか集まらないかという頃合いに、ネット横に立っていた木兎さんが両手を腰に添え、渡り廊下と繋がっている体育館ドアの方を見ながら呟いた。
ちらりとそちらを見れば、さくさく帰る気満々の音駒セッター・孤爪を捕まえた黒尾さんが、彼と何かを話していた。
孤爪が練習嫌いなのは知っている。
何なら、バレーもそこまで好きでもないことも知っている…というか、見ていれば分かる。
それでもあれだけのことができるし、何より"やる気の欠けている彼を中心にまとまれ"…とか、無茶苦茶言ってる黒尾さんが実際にそれを成し遂げてチームとしてまとまっているのが凄い。
孤爪が好きなのは、幼馴染みの黒尾さんと一緒にいることなのだろう。
いつもは自主練なんて以ての外、さっさと部屋に戻る孤爪が、さっき黒尾さんをあそこから呼んだ。
「クロ」…と、呼ぶ声は大きくもないし特別特徴的でもなかったはずだが、妙に耳に残るといえば残る声で、現に無関係の俺と木兎さんも一度顔をそちらへ向けた。
音駒の三年生はみんな黒尾さんを"クロ"と呼ぶが、孤爪も、一つ年上の黒尾さんを"クロ"と呼ぶ。
ぼんやりそれを見ていると、木兎さんがくるっと座って柔軟していた俺の方を向いた。

「ニックネームいいな。な? いいよなっ!」
「そうですね」
「でも俺、前黒尾のこと"クロ"って呼んだらスパイク喰らったけど!」
「好感度足りませんでしたかね」

その場は見ていないが、イメージしやすい光景だ。
ふざけ半分で言って、黒尾さんが木兎さんに強打打ってる光景が目に浮かぶ。
勝手な想像で申し訳ないが、黒尾さんは自分のテリトリーがしっかりしているタイプだろうから、おそらくその呼び名を許している相手とそうでない相手がいるのだろう。
ということは、木兎さんはまだ、黒尾さん的にそこまで特別な相手ではないらしい。
思わぬところでちょっといい情報を得た。
…へえ。
黒尾さんにその気がないのは見ていて分かるが、木兎さんがかなりあの人を気に入っているので、二人があまり親しくなり過ぎると何となく落ち着かないのが正直なところだ。
けど、木兎さんが誰を気に入るかとか誰が好きだとか、そういうのは木兎さんの自由だし、俺が口を挟むことじゃない。
例えば木兎さんが俺を放置して黒尾さんに飛びついていくのはよくある話で、それについて何かを言うつもりは無いし権利も無いが、それでも些かもやもやする権利くらいは自分にあると思っている。
…でも、そうか。
黒尾さんは、木兎さんの"クロ"呼びはアウトなのか。
許されるんじゃないかと思っていたが、予想と違った。
そんなことを考えながら柔軟を続けていると、木兎さんがてくてくこちらへやって来て、横に屈み込む。

「俺たちもなんか特別な呼び方したくね?」
「いえ、別に」
「ウソ言うな赤葦!したいだろ!? したいって目してるっ!」
「…」

そんな覚えは更々無いのだが、横から肩を掴まれ、がしがし左右に揺すられるので一度柔軟を中止する。
木兎さんの手首を取ってやんわりと肩から離してもらった。
小さく息を吐きながら尋ねてみる。

「例えば、どう呼びたいんですか?」
「え? あー…。黒尾がクロだから……"アカ――?」
「…」
「――ちゃん"!?」
「止めてください」

名案とばかりに自信満々の表情の木兎さんの提案を、ぴしゃりと断る。
言うと思った。
"アカちゃん"などと呼ばれた日には反対意思表明として部活に来られなくなる。

「何で? カワイイじゃん、アカちゃん。アカちゃんイイ!寧ろアカちゃんしかない気がしてきた!」
「そんなこと言ったら、木兎さんは"ボクさん"になりますよ」
「っぐ…!」
「ボクさんでいいんですか、ボクさん」
「ぐぬうっ…! 何かヤだなソレ!連呼しないで!?」

止めて欲しいので、調子に乗って本気で呼ばれ始める前に牽制しておく。
お互い姓の頭文字は愛称にするには些か難がある。
そう考えると、黒尾さんの"クロ"は呼びやすくていい愛称だ。
そういえば…と、同じ体育館の端で、一人黙々と壁打ちしている烏野の月島へ視線を投げる。
…彼も確か、同級生に"ツッキー"とか呼ばれていたな。
けど、一緒に残っている日向は彼のことをツッキーとは呼んでいない。
月島も呼ぶ相手を限定しているタイプなのかもしれない……が、木兎さんが聞いたら絶対それで呼び出すだろう。
今の所、木兎さんが気付いている素振りがないからいいけれど。
近くに転がっていたボールを掴んでくるくる床の上で回しながら、木兎さんが渋い顔をする。

「え~…。んじゃー何にすりゃいいってーの?」
「あの二人は幼馴染みらしいですから、特殊なんでしょう。こっちは普通に今まで通りでい――」
「アレ? 赤葦下の名前なんだっけ?? ――あ、思い出したっ!」

人の話ガン無視で呻っていた木兎さんが、不意にぱっと顔を上げてこっちに半身寄せてくる。
結構一気にぐいっと近づいてくる人なので、気持ち何となく身を反らす。

「京治!」
「……」
「考えたら黒尾はあの金髪のこと名前呼びじゃん。俺がお前呼ぶならその方がよくね? どうよ、ケージ!嬉しい??」
「…どうでしょうね」

俺天才!といういつもの顔で木兎さんが饒舌に語るが、ぷいとそっぽを向いて再び柔軟を再開することにした。
…何だか顔が熱くなってきた気がする。
こんな何でもない話題を切っ掛けに木兎さんに名前呼びされるなんて思いもしなかった。
たかがこんなことでとは思うが、単純なものであっさり照れ臭いし嬉しくなる。
嬉しい……が、不意打ちの流れにどう反応していいか分からないし、他の奴もいる。
二人だけだったらキスでもさせてもらいたいところだし別の流れにもなるんだろうが、今は無理だ。
流そう。
流さないと、火照ってくるのは目に見えている。
これから練習なんだし、そんな場合じゃない。
けれど拒否したいわけじゃないから、止めてくださいとも言い辛い。
…まったく。
どうしてこの人はこう…。
とにかく、あまり考えないように軽く流すよう努めてみる。
…だというのに。

「ハイ、京治!俺は俺は!?」
「…は?」
「次、俺っしょ!スゲー仲イイ感じで呼んで!親しみ込めて!!俺のが先輩だけど幼馴染みっぽくてもイイ!許すっ!」
「……え」

わっくわく顔の木兎さんを前に、自然と眉が寄る。
…本気か。
思わず遠い目にもなる。
どーしてこの人はこー…。
目を伏せて明後日の方向を向くと、カッと木兎さんが一気に不機嫌になった。

「チョット!ナンデ目ェ反らすの!? 呼んでってば!」
「先輩を名前呼びするのは、ちょっと…抵抗がありますね」
「ハア!? 何で!いーっつってんじゃん!…あ、あ~分かったあ~。お前俺の下の名前知らねーんだろ。イイヨイイヨ。俺そーゆー細かいの気にしねーから。いつも使わないとそりゃ知んねーよな!」

自己納得して今度はまた一気に不機嫌顔が直り、ぽんっと俺の肩に片手を置く。
そんなワケないでしょう。
知れないならともかく、そうでない限りは好きな相手の名前知らない馬鹿はいないと思いますよ。
俺の冷ややかな双眸には気付かず、びしっと木兎さんが親指で自分を示す。

「俺、下の名前"光太郎"ってーの!」
「知ってますよ」
「アレ?知ってんの? んじゃー何で詰まってんの? サッサと呼べよ。ヘイッ、カモン!」
「…」

屈んだ両脚の間にあるボールを両手でころころ弄りながら、木兎さんが期待顔で俺を見る。
…高々名前で呼ぶだけだ。
そう分かってはいるものの、いざ口に出すには何故か凄まじい度胸が必要だった。
木兎さんを名前で呼ぶとか…。
…。
…いや、言いにくいとか度胸が必要とかの話じゃない。
木兎さんがそれで一度呼んで欲しいというのだから、後輩の俺は従うまでだ。
自分の気恥ずかしさなんか今問題にはしていない。
それに、こんな時でもないと木兎さんの下の名前は呼べない気がする。
チャンスといえばチャンスで、なら活用しない手はない。

「…」

浅く呼吸をして、すっと顔を上げ木兎さんを見る。
勢いに任せれば何とかなるだろう。

「…。こ――」
「ン!」
「…」

さらっと言うつもりが、木兎さんの期待に満ちた笑顔を前に一瞬詰まった。
そして、詰まると折角蓋をしていた気恥ずかしさが、ぶわっと解放されてしまう。
また顔を顰めた。
…が、気にしたら負けだ。
何とか達成しようと、木兎さんから視線を外させてもらう。
嬉しさとか恥ずかしさとかそういうの色々無理矢理無視して、ひゅ…と短く息を吸い、緊張を感じる間も自分に与えず、多少礼儀に反するが座っている目の前の体育館の床を見詰めながら、再び素っ気なく口を開く。

「………光太郎、さん」
「…」
「――で、いいんですか?」

ぽつ…と呟いた木兎さんの名前は、妙な響きが含まれてしまったような気がした。
慌てて付け足してみた一言もいまいち効き目がない。
何が怖いって、さっきまでいつもの調子でいた木兎さんが急に静かになったことだ。
あまり顔は上げたくなかったが、ちら…と横目で横にいる木兎さんを伺うと、さっきまで手持ちぶさたで遊んでいたボールを弄るのを止め、じっと俺の方を見ていた。
にまにましてた笑顔もいつの間にか消えている。
うっかり目が合ってしまい、眼力に負けて内心たじろぐ。

「何か変でしたか?」
「…。…ん~」

居たたまれず尋ねてみる。
少し呻ったかと思ったら、突然木兎さんがずいっと更にもう一歩分近づいて顔を寄せてきた。
殆ど肩が触れる真横。
試合中、こっそり作戦練る時にでもする時のような密着さにぎくりとしている間もなく、木兎さんが小声で囁く。

「赤葦、顔真っ赤」
「…」

自覚はある。
片手で首の後ろを押さえ、木兎さんの目を見られずに視線を逃がす。
逃がした俺の視線を追って、更に木兎さんが覗き込むようにこっちに詰めてくる。
腰を据えている以上これ以上は逃げられず、諦め気味の半眼でそれを受けた。

「顔に出んの珍しくね? エ、何で?今のでそんな照れたの?? 名前呼びそんなキた?」
「……止めてください」
「へえ~。…ぷっくくくっ!」

近距離で小さく囁かれ、ぞくりとくる。
木兎さんに合わせた小声で俺も返すと、大きくて綺麗な背中を丸めて肩を震わせくすくす笑われる。
…そんなに笑わなくてもいいでしょう。
そんなにおかしいですか。
無理矢理呼ばせたのそっちでしょうが。
だからいつもの呼び方でいいって…。
少しむっとして木兎さんを見はしたものの、勿論この人に俺程度の眼力が通じるはずもない。
にーっと無邪気な笑みを返されただけだった。

「んじゃ、次エッチする時、お前名前呼び縛りで!」
「…。マジですか」
「マジ、ですっ!!」

楽しげな顔で言うことがこれだ…。
…ああ。
でも今のは俺の反応が悪いな。
過剰すぎた。
墓穴掘った感がすごくある。
片手で口元を覆い、ぐったり肩を落とす俺の背中をバシバシ二回叩く。
…かと思ったら、木兎さんが勢いよく立ち上がった。

「…お!黒尾終わった!?」
「おー。悪ィ悪ィ。ぼちぼち始めよーぜ」
「金髪チビちゃんも混ざればいーのに」
「いやいや、研磨は無理だわー。お前のことニガテだからお前がいる限り無理だわー」
「はあああ!? ナンデヨ!何もしてねーよ!!」
「…」

丁度、孤爪と話し終えたらしい黒尾さんがドアの方からこちらに歩いてきているところだった。
…なるべく赤い顔は見せたくない。
黒尾さんは勘の鋭い人だからだ。
自分の顔が赤くなっているところを、むやみやたらと他の人に見せる気はない。
誰だってそうだろう。

Honey NAME




すぐに黒尾さんの方へ向かう木兎さんと離れ、ゆっくり立ち上がるとタオルを畳んでみたり、大して乱れてもいない俺と木兎さんの荷物を端の方へ寄せてみたり、可能な限り時間を取って、よし…と平常心を取り戻してから俺もコートへ入った。



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躾できてそうであくまで主導権は全面的に木兎さん。
悪気無くSでしかも許されてしまうタイプの人っぽので凄いなこいつと思っています。
さん付けすると「~太郎さん」って名前はエロいですよね、響きが。
2016.2.6





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