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男子バレー強豪高の梟谷では、その部員殆どが経験者であることが多い。
しかも中学の時もそれなりのチームにいたことのあるメンバーが多いので、大概は顔を知っていることが多く、大体どんなプレイをするのかも把握している。
スポーツ推薦の話ももらったが、生憎両親が僅かながらにもスポーツ推薦に今だ偏見を持っている人達だから、俺が梟谷を受けるにあたり一般入試しか許してもらえなかった。
「自力で入れるだけの力があって初めて云々」という文句だったような気がするが、スポ薦を好ましく思っていないのは目に見えていた。
…とはいえどのみち偏差値は足りていたので問題は無く、晴れて梟谷高校バレー部に入部することができた。
どこの部活も…いや、しっかりしているチームであればある程…一年はボール拾いから始まる。
それまで各中学で活躍していた者が多いから、同級生は早く試合に出たいと安易に口にしていた。
勿論試合に出たいが、当時から特別文句は無かった。
同じ床から、あの人が跳ぶのを見ていられる。
腕の振り方から足の出し方。
振り上げる時の個性的な関節の捻り方。
…あの人が特別調子の良いスパイクを打つときは、俺だけでなく体育館にいる全員の視線が止まる。
"来るぞ。"…と、ぞくりと本能が身構える。
 
 
――バシッ…!!
 
 
ボールが勢いよく床を叩く。
ト…と、意外にも静かに着地するところもいいなと思う。
…とまあ、格好いいのは大体そこまでで。

「ヘイヘイヘーイ!俺サイキョー!!」

決まった直後に両腕を上げて満面の笑みで笑うところはどうかと思った。年齢的に。
遠くで見ていた頃には気付けずにいられた無邪気さとか幼さとか手に負えない構って君とか。
…けれど、やっぱりどこか惹かれるところがある。
自分には無いものだらけの人だから。
梟谷高校バレー部は、俺が入部したときから、既にあの人を中心に動いていた。
「どうして他の先輩たちはあの人に合わせるんだろう?」と、同じ一年部員は当初こそ愚痴っていたが、それは仕方がないだろうと思った。

どれだけ気分屋でもどれだけ面倒臭い人でも…。
木兎さんは、覇者なのだ。

Are you hungry,aren't you?




「…梟とか、飼ってみたいと思うんだけど」

そう言った時の母親の顔は面白かった。
夜空の月を指差し、"あれが欲しい"と小さい子供が言った時に見せる親の顔だ。
「できそうだったらやってみたら?」と告げる口ぶりからして、おそらく最初から難易度の高い望みであることが彼女には分かっていたのだろう。
数年前に飼っていた犬を亡くして以来生きものを飼うのはずっと避けていたから、息子が再び生物の生死という情操教育の王道に挑みにかかったので、多少なりとも嬉しい反面意外だったのだろう。
俺もそう思う。
何が切っ掛けなのか出所不明で流行しているものは世の中に溢れていて、日本刀だとか城だとか色々あるが、その中に梟やら爬虫類やらもある。
最近では梟カフェなんてものもあるとか。
あまりそういう流行や横道的なものと無縁で生きてきた手前、俺からすればかなり無謀な思い立ちでもあった。
だが、手始めにフクロウ飼育の雑誌を購入してみれば、それが当初自分が思っていたよりもずっと無謀であったことに滅入る。
飼うとしたら自分の責任の範囲内で可能ならばが大前提だったけれど、基本が夜行性だし、エサは死後間もない生肉か生きたネズミ。
犬や猫のような躾はほぼ無理のようだし、とても素人に扱えるものではない。
溜息を吐いて、パタン…と雑誌を閉じた。

「…。無理だな」

部屋で一人、もう一度溜息。
それから、ちらりと壁にかかっている部活のジャージへ視線を投げた。
…無理。
不可能。
あんな自由で"俺王様!"みたいな自己中心的な生きもの、どうやって飼い慣らすのだろう。土台が無理な話だ。
こっちの労力が半端ない。
雑誌を机の端に寄せ、ぼーっと頬杖を着く。

「…。ちょっと欲しいんだけどな…」

例えば、こんな風に静かな夜。
することなくて、ニュースを見るかバレー雑誌見るか勉強するか読書をするかくらいしかすることなくて、しかもそれらのどれもそこまで意欲的では無くて、結果机で数分間思案に耽るだけの、自分が酷くつまらない人間だなと再認識するようなこんな夜…。
家に一匹。
あの手のかかる自由奔放な森の王がいてくれたら、きっと"やることがない"なんて言っていられないのだろう。
…けれど、行きすぎても困る。
飼う以上は、どうしてもある程度の躾が必要だ。
逆に、飼い慣らせたらどんなに楽しいだろうとも思う。
だが、案の定家の者は反対だし、迷惑がかからない程度に管理できたら可能性もあるだろうと思ったけれどそれも無理そうだ。
はあ…と露骨に音をつけて息を吐いて、今度はイスの背に背中を預けて天井を見上げた。
部屋を照らしている照明が目に痛い。

「…猿猴捉月、か」

目が痛くなりすぎる前に、背筋を伸ばして机の端からノートと教科書を出し、今日の復習をすることにした。

 

 

 

家に梟が欲しい。
そんな無謀な願いは、だいぶランクを落としてしかも変化球で数日後に叶った。

「うおおおー!スゲエ!!ちょっと待って俺天才じゃね!? 分かってたけど!」
「マジかー!何なのお前!」

部活帰り。
レギュラーだけのミーティングがあり、いつもよりぐっと遅くなった。
素直に帰ればいいものを、あまりに空腹が過ぎていじけ始めた木兎さんがファストフードに寄ると言い出し、仕方が無く半数が付き合うことになる。
落ち着きが無く騒がしいとはいえ、木兎さんはぱっと見体格のいい絡みづらい外見だし、一人で軽食を食べて帰るくらい勿論出来るのだろうが、何となくこの人には何しでかすか分からないので保護者が必要な空気がうちのチームにはあって、結果、後輩の俺は先輩より先に帰るということを基本すべきではないと思うし、他に木葉さんと猿杙さんが残ってくれている。
家に帰ればメシがあるので、夕食前の間食があまり馴染まない俺は飲み物だけを注文したが、先輩方は普通にハンバーガーを頼み、何なら木兎さんは二人分注文し、しかも恐るべきスピードで軽食を食べ終えたので思った以上の時間はかからず店を出られた。
寧ろ、俺だけがまだ飲み物を片手にしている状態だ。
さて、腹ごなしも済んだし帰ろうか……という流れには何故かいかず、店の向かいのゲームセンター入口で先輩達は足を止めてしまった。
…元気な人達だ。
幸い店の奥には行く様子はないので少し離れて見ていると、木兎さんと猿杙さんが、覗いていたUFOキャッチャーの前で突然はしゃぎ出す。
どうやら何か景品が取れたらしい。

「おー。赤葦~!」

ずず…とストローを啜り、楽しげな先輩たちの背中を見守っていると、離れていた木葉さんも彼らに合流し、漸くこっちへ戻ってきた。
先頭を歩いている木兎さんはもう見るからにご機嫌で、その腕には景品である丸い、うっすら灰色の何かが収まっている。
もう部活終わっているんで木兎さんの気分をそこまで察する必要は無いのだが、それでもやっぱり不機嫌よりは機嫌がいい方が一緒に帰っていく上でも気が楽だ。
機嫌がいいうちに帰宅を促そうと、やってきた木兎さんへ声をかける。

「そろそろ帰りますか?」
「なあっ、見て見てっ!」
「…!」

こっちの質問を無視して、ぼふっ…!と顔面に何か柔らかいものを押しつけられる。
もっていた景品のぬいぐるみなのは分かるが、あまりに近すぎて何のぬいぐるみなのか分からない。
ぐいっ…と片手で押し返しながら尋ねてみる。

「…何が取れたんですか?」
「あ? うーむ…。何だろ。ピヨコ?」

俺に尋ねられて始めて気付いたとばかりに、木兎さんが首を傾げてぬいぐるみを見下ろす。
灰色で丸い。
どこがヒヨコなのか……と思ったら、俺の見ていた方は背中で、木兎さん側には確かに眠そうな目と申し訳程度の嘴が小さくあった。
良くは分からないが、たぶんゆるキャラとかの部類なのかもしれない。

「何かのゲームのキャラかね~?」
「どっかで見たことあるよな」

後から特に急ぐでもなく着いてきたお二人が、木兎さんの左右から同じようにぬいぐるみの顔を覗く。
その中心で、鼠を捕ってきた猫のように誇らしげに木兎さんが長身に似合わずふにゃふにゃした笑顔をしている。

「ふはははっ。さすが俺!」
「んで? どーすんの、ソレ。持ち帰んの?」
「……え?」
「そりゃそうだ。持ち帰るしかなかろうて。…だがしかし~?」
「お前昨日部屋よーやく掃除して、これ以上モノ増やすなって親に怒られたとか言ってなかった?」
「言ってた言ってた。掃除めっちゃ頑張ったー!これからは余計なモンを置かない大人の男になるー!って」
「…」

最近先輩達の間で話題になった話なのか、お二人がにやにや笑顔で木兎さんの右から左から会話を交わす。
俺は初耳だが、基本的にお喋りな木兎さんは得た情報がパブリックだろうがプライベートだろうがあれこれすぐに周りに話し出す人だから、"ようやく部屋を掃除した!"なんて、自分が頑張ったことを認めてもらいたい類の話題はそれこそ全力で主張するものだろう。
お二人に言われ、間に佇んでいる木兎さんは何とも言えない渋い顔をし始めた。
露骨にしゅんとする姿ももう見慣れた。
時間潰しに取ったぬいぐるみ一体のことでそんな落ち込まなくても、と思う。

「……。木葉」
「あ?」
「やる…」

のろりと顔を上げたかと思ったら、しょんぼりした木兎さんは隣にいる木葉さんにぬいぐるみを両手でさっとパスした。
だが、すぐに木葉さんもそれを猿杙さんにぽんと軽く放って渡す。

「いらね」
「え~? ソコ俺に来るの? 困るわ~」
「…!」

次々と移動され猿杙さんの手に渡ったぬいぐるみを何となく見ていると、不意に猿杙さんと目が合った。
ぎくっとする間もなく、それを押しつけられる。

「赤葦、いつもお疲れさ~ん。たまには癒しも必要だと思うよ~?」
「え…」
「ぷっ…。赤葦の部屋にぬいぐるみて」
「俺のピヨちゃんをシアワセにしてやってくれ、赤葦!」
「さーて、嫁入り先も決まったし帰るかー」
「……」

色々言いたいことはあるが、さくさく歩き出す先輩方を追って俺も歩き出す。
歩きながら改めてぬいぐるみを正面から見ると、やっぱり丸くてもこもこで、どこか眠そうな…けれどきりっとしているような気がしなくもない、矛盾した半眼。
体の左右にぴっとりと縫いつけてあるが、小さな翼もあり、そこに濃い灰色の縞が入っていた。
…。
ああ…。
これって…。

「…」

ふと思い当たり、軽く瞬いた。
皮肉だ。
思った以上にもこもこしているしほぼ球体だし、ぱっと気付けなかったけど……そう言えば、飼育雑誌で見たヒナはこんな感じだった気がする。

「…これ、フクロウ…ですかね」
「え? そーなの?」

自分で取ったぬいぐるみに未練があるらしい。
木兎さんが横から覗き込むように俺の左肩に片手を置いて顔を寄せてくる。
お陰で左を向けなくなってしまった。
この人は、うっかり振り向けば頬が触れるくらい人に接近するのに抵抗が無いから困る。
先輩を半ば無視するような形で、じっとぬいぐるみを見下ろす。
横から木兎さんが、わしゃわしゃとぬぐるみを鷲掴みするようにして撫でた。

「そーかそーか、フクロウかお前~!ガッコーと同じ名前じゃん。縁起いいなっ!」
「…」
「赤葦、それカバンに入んねーだろ」
「サイズ的に無理ですね」
「羞恥プレイか~」

前を歩いていた木葉さんたちが苦笑する。
確かに、これを持って電車に乗るのはちょっと辛い。
せめてバッグの中に入ればと思うけど、大きさとスペースを考慮してもちょっと辛い。
入るは入るだろうが、元々バッグの中身は詰まっているし、押し込んだとしても顔だけ出してギリギリまでチャック締めて落ちないようにするくらいしかできない。
ひょっこりぬいぐるみが顔だけ覗かせているようなそんなメルヘンチックなバッグにするつもりはないし、それと比べれば素直に持っていた方がまだいいだろうと判断する。
片腕に持ち直して抱いていると、何かを閃いたらしい木兎さんがぱっと顔を上げた。

「はっ…!なあっ、部室で飼えばよくね!?」
「…」

"飼う"とか…。
ぬいぐるみ相手に使う動詞じゃない。
相変わらず木兎さんは発想がぶっ飛んでいるなと、真顔で見守ってしまった。

「あー。部室な~」
「マネらに怒られんだろ、余計なもの置いてくなって。そうじゃなくてもほぼほぼお前のモンがあちこち転がってんだから」
「ぐっ…」
「マジ片付けろって。そろそろ殺されかねんぞ、あいつらに」
「あー!仕方ないっ、ここはやっぱり赤葦しかねーか!」
「…」

肩から腕が外れ、木兎さんが離れる。
ふう…と、それこそ"肩の荷が下りた"というやつだ。
結局、夜遅い帰宅ルートをぬいぐるみ片手にという羞恥プレイ実行しつつ帰ることになった。

 

 

何とか羞恥プレイをクリアして家に帰ると、夕食を用意してくれていた母親が俺の持ってきたぬいぐるみを見て面白そうに笑い、食事している間斜め向かいの席でずっとそれを弄っていた。
部屋に持ち帰るのはあまり気乗りがしなかったが、綺麗好きな母親が整えているリビングに居を構えるには不釣り合いだし、仕方なく自室へ持ち帰る結果となる。
ぽんとベッドの上にそれを放り投げ、時短気味な復習予習を終えて簡単なホームトレーニングをし、風呂に入り、日課としているストレッチと簡単な復習を追え、さて寝ようかとベッドに向いたところでぬいぐるみと目が合い、その存在を思い出す。
あまり余計なものは置かない俺の部屋で、それだけが異端だ。
普通そういったものは浮いて見えるはずなのに、でんと構えている丸い物体は感心するくらい我が物顔で、長年これで安定している俺の部屋の中、飄々たるものだった。
まるで殺風景な灰色の荒れ地に突如現れた王様だ。
ベッドに腰掛け、改めてそれを両手に持った。
ボールの要領で、ぽん…と軽く放る。
当然ながら掌から浮いて、そうしてまた落下してきた。
女子が好きそうな球体のぬいぐるみは、眠そうな目で俺を見上げている。

「…皮肉でしかないな」

は…と思わず苦い呼吸が唇から溢れた。
俺が欲しかったのは本物の梟だ。
フクロウ目フクロウ科。
眼が大きく肉食の捕食者。
躾の難しいあれを、飼い慣らしてみたかった。
…まあ、それは調べれば調べる程現実的に今の俺には無理っぽかったわけだが。
諦めた翌日に手にしたのはツクリモノ。
けれど、そのツクリモノにすら部屋で王様顔をされてしまっている。
…結局、一介が持つには手に余る存在なのだろう。
捨てるなら捨ててもいいような気がしたが、何故か当初からそれは選択肢にはなかった。
有り得ないとは思うけど、万一木兎さんが「あの時のぬいぐるみ見たい」とか言いださないとも限らない。
その時に、捨てた、なんて言ったらどんな顔をすることか。
小さく息を吐いて、顔を上げる。

「…」

見知った部屋の中、置き場はどこがいいかと見回してみる。
本棚は元々空きがないし、ラックも埋まっている。
繰り返すが、必要だと思うものと、個人的な好み上すっきりした少なめのインテリアしかないので、少なくともぬいぐるみが似合うような光景は俺の部屋には無い。
迷った挙げ句…。

「まあ…。いいか、ここで」

フクロウの頭を片手で鷲掴み、今座っているベッドの枕元右隅に置く。
ベッド付近が一番しっくり来る気がした。
高校生男子がぬいぐるみとか…。
痛い気がするが、イメージとしてぬいぐるみは枕元に置いてもいいもののような気がする。
…とはいえ、この類はメンテナンスもなく長く所持していれば不衛生だから、あまり枕元に置くのは良くないという話もまた聞いたことがある。特に対喘息。
正式にどこに置くかは追々考えなければならない……が、今日はもうここでいい。
ベッドに乗り上げ、僅かに乱れていた布団の端を手で撫で直してから横になる。
ベッドヘッドに置いてある照明のリモコンを慣れた感覚で見もせずに掴み、ボタンを押して明かりを消した。
いつものように仰向けで目を伏せ、ふう…と一呼吸。
いつものように無心になる。

「…」

寝付きが悪いということはない。
肉体は毎日酷使しているから、堪った疲労が自然と睡眠へ落としてくれる。

 

 

 

 

 

そして寝相も悪い方ではない。
…それなのに、朝、いつものようにセットした目覚まし少し前に起きた時、自分が横向きで隅の方に丸くなって寝ており、しかも何かを腕に抱いていてそれに額を押し当てていたようなので、ぎょっとして飛び起きた。
ころり…とシーツの上に転がった丸いフクロウのぬいぐるみが、やっぱり些かも動じず我が物顔でそこに鎮座しているのを見て、心音がばくばくと鳴る。
続けて時間通りに鳴った目覚ましに、ビクッと肩が震え、反射的に音を止めるとシーツに膝と片手を着き、ぬいぐるみを寝る前の位置へげんなりと戻した。
ただ寝相でそれを抱えて寝ていたというだけなのに、何か衝撃的なことをしてしまったような気がして、落ち着かない。
そしてそう思うのは、他ならぬ俺に少なからず自覚があるからだった。

「…」

顔を顰める。
思いっ切り。
…ああ。
クソ…。
気付きたくなかった…。
目を反らしていたのに。

「……。あー…」

深々と、溜息を吐く。
ぬいぐるみを戻して空いた片手で、三つ足のまま寝起きの顔を拭った。

「……これだから嫌なんだよ…」

寝起きのくもった声で、ぽつ…と呟く。
喉が渇いている。
心音はまだうるさい。
何もしていない朝からこんなに疲れるなんて、何のメリットもない。
…どうしてこうなったんだろう。
最初は本当にただの憧れだった。
あの人すごいな、面倒臭そうだけど…と、ただそれだけだったのに。
何をどうやっても目が行く。
あの人が楽しそうだったり機嫌がいいと、何となく俺も嬉しい気になる。
逆に機嫌が悪そうだったり辛そうだったりしょんぼりされると、回復までの最短ルートを探さざるを得ない。
気紛れで押しつけられただけの、活用性皆無の布と綿で出来た玩具にすら振り回されて――もう既に疲れた。
これから色々と気になりだすはずだし、気分の波の上げ下げが酷くなるはずだ。
あの人の一挙一動に今までだって振り回されているのに、これからもっと振り回されると思うと、ぞっとする。
…苦い顔をしながら、ベッドから降りる。
顔を洗いに行かなくては。いつものように。
…。
いつものように…で毎日過ごしていきたいのに、どうしてもらったぬいぐるみを無意識に抱いて起きなきゃいけないんだ。
飛び起きたせいで、軽い目眩がするし頭痛もする。

「…。何でこんなことに…」

俯いて、まだ眠い目を伏せて、首の後ろを少しかいた。
自分が崩れていく。
相手の言動で自分が一喜一憂せざるを得ない。
せっかく定まっていたペースが乱れる。

「…」

まったく。
本当に。
いつだってこれだから嫌なんだ。
"恋"などというものは――。

 

 

 

 

「赤葦赤葦、ピヨちゃん元気? 俺のピヨちゃん」

朝練始まってすぐ。
人の気も知らず、案の定木兎さんは話題を投げてくる。
とにかく相手して欲しくてうずうず全開ですみたいなその感じはできれば止めて欲しい。
皮膚と筋肉の内側に動揺を押し止め、表情筋を意識してさらりと尋ねる。

「どういう状態が"元気"なんですか?」
「ん? 赤葦が投げたり蹴っ飛ばしたりボール代わりにしてスパイクとかサーブとか打ったりしてイジメてなければ元気なんじゃね?」
「ああ…。じゃあ、元気ですね」

「いやいや、分かりませんよ~?」
「あと五寸釘とか刺してなければな」

俺と木兎さんが話している向こうから、猿杙さんと木葉さんが入ってくる。
にやにや笑って、いつも通り木兎さんをからかう流れだ。

「何言っちゃってんのお前ら!ねーから、五寸釘とか!つーか、怖っ。発想が怖っ!」
「どーでしょーね~」
「日頃の赤葦のお前への評価が、ぬいぐるみの運命を分かつんですよ」
「は? そんなら尚更ねーじゃん。赤葦、俺のことめっちゃ好きだから!」
「…」
「…木兎、斜め後ろ向け。赤葦が遠い目してんぞ」

一抹の疑いも無く、仁王立ちして断言する木兎さんに流石に遠い目にもなる。
よくそんな目に見えない他人の心を断言できるなと呆れると同時に、確かにどこかの一部が妙に浮かれ出す。
こういうところが本当に面倒臭い。
表には出しませんけれども。

「お前はもーちょっと落ち着け。心配になるわ、ホント」
「あ~…。赤葦ごめんな、こんなのがウチのエースで…。悪いコじゃないから、見捨てないでやってな?」
「はあ…。…まあ、木兎さんのスパイクが凄いと思うのは本当のことなので」
「スパイクだけなの!?」

涙を拭うマネをしている猿杙さんに肩を叩かれていると、隣から木兎さんが突っ込みを入れてくる。
時間になり、マネージャーが笛を鳴らした。
コートへ入っていき、これから強豪校らしい分単位の朝練が始まる。
両腕を上げ、ぐ…と筋を伸ばしながら歩いていた俺の背中を、木兎さんがドンッと叩いた。
本人軽く叩いたつもりなんだろうけれど、重さのあるボディタッチに少し蹌踉ける。
振り返ると、俺には死んでもできない満面の笑み。

「ピヨちゃん、俺だと思って崇め奉って可愛がってやって!」
「…」

こういうことを普通に言うんだもんな…。
ひどく疲れる人を好きになってしまった。
無かったことにはできないだろうか。
…まあ、過去は一過性。
無理な話だ。

「じゃあ、俺の木兎さんへの評価が下がったら、五寸釘の準備をします」
「…っ!?」
「ぎゃははは!それいい、赤葦!」
「人質だ人質だ~!」

俺の冗談に木兎さんがビクッとし、木葉さんたちが笑う。
バシバシと背中や頭を叩かれながら、木兎さんはコートへ入った。
見ていて分かると思うが、この人は自己中心的でそのくせスレがない人だから、いつだってどちらかといえばからかう側でなくからかわれる側だ。
けれどやっぱり練習――特にスパイク練習が始まってしまえば、雰囲気は一変する。
床を叩く音。
ギラギラした双眼、翼みたいに広く振るう腕。
覇者で、王様。
森のピラミッドの上に立つ、捕食者。
この人が打つ瞬間、大体俺は落下してるか着地してるか、とにかく地に近い場所にいる。
信じられないかもしれないけれど、近くで、下から見上げるこの人は、本当に勇ましい。
自分のポジションは特等席だといつも思っている。
この特等席をキープする為にこそ、努力が出来る。
俺は覇者にはなれない。
そんな器じゃない。
"本物"に会うと、自分が違うことが嫌でも分かる。
けれど――。

「赤葦ぃっ、もういっぽーん!!」
「…ハイ!」

横から来たボールを、多少無理してでも木兎さんの好みに転じて上げる。
視線で追う――なんて必要が無いくらい、吸い込まれるようにボールは予測した場所に向かい、そこに向けて跳び上がった木兎さんが腕を振るう。
まるで獲物を捕らえるかの様に。
聞こえるわけがないのに、フ…と、短く吐く木兎さんの呼吸音が確かに聞こえるし、感じる。
爆音響く、その一瞬前の景色。
この景色は誰にも譲らない。

「――」

一瞬で長い世界。
高く跳んでいる姿は、何度見ても飽きない。
…満足だ。
あまり笑みが出る性分ではない代わりに、ふ…と肩から力を抜き、薄く唇を開いて呼吸を楽にする。
俺は覇者にはなれないし、王様を飼い慣らすこともできない。
けれど、その空飛ぶ勇ましい王様に、こうしてエサをやるのは、まぎれもなく俺なのだ。
今日も勇ましい俺の鳥。
俺がいないと、"お腹が空いて困る"んじゃないですか?
…まずはそれが分かってくれれば、十分です。
止まっていた時間が再生される。
また、他者を圧倒するスパイク音が体育館に響き渡る。
落雷のようなボールの音。
…爽快だ。
ぐわっと、木兎さんが片腕を上げる。

「ヘイヘイヘーイ!!俺サイッキョーッ!」
「おーっ。木兎、今のナイスキー!」
「だろだろだろ!? もっと褒めてっ!褒め称えて!!」
「ぐぬ…。今のは拾えねーわー…」
「小見っちがんばー」
「調子いーのは分かったからもちっとボリューム下げろっつーの。うっせんだよお前」
「…」

木兎さんがご機嫌で声を張り、先輩たちの何人かとタッチしていく。
やっぱりそんなことで、俺も何となくふわっとした妙な気持ちになっていった。
…視線を落とし、自分の手首を見下ろす。
左手首を右手で掴み、軽く回した。
今のが打ちやすそうだったので、頭の中でまた木兎さん用の情報に微調整を加えていく。
…今日は本当に調子がいい。
何とかそれについていけるボールを上げる必要がある。
こっちも調子を落とせない。

「赤葦ーっ!」
「は……、…っ!?」

呼ばれて返事をする暇もなく、手首を見下ろしていた視線を上げると同時に殆ど無意識に両腕を上げた。
一瞬の遅れも許さないような速度で目の前に両手が現れ、何とか反応してあげた俺の両腕に、木兎さんが思いっ切り手を打ち付ける。
パンッ…!と情け容赦ない一方的なハイタッチに、不本意だが、一瞬ビビって両目を閉じた。

「ナイストース!」
「…」

俺の返事を待たず、ビシッと親指だけ立てて笑うと、くるっと木兎さんは方向転換してまたご機嫌で先輩方の方へ戻る。
…。
たかが一瞬のハイタッチだというのに、腕がびりびりする。
掌が熱い。

「…」

ちら…と自分の掌を見下ろす。
…複雑で随時更新の確率データ。
考えたら俺は、部活中の六割をこの人のことを考えて過ごしている気がする。
パーセンテージに直してから、実際の部活動時間に換算してみる。
平日プラス土日祝日の練習時間&自主練時間。
そのトータルの六割……か。
…。
まあ、そう考えたら…。

「…。落ちても普通……か」

一人気持ち軽く首を傾げ、片手を腰に添えてわいわいしている先輩方を眺める。
冷静に考えると、そこまでおかしな話でもない気がしてきた。
そういうこともあるかもしれない。

 

恋愛は面倒臭い。
性に合わない。
策略の方がずっと簡単に感じる。
現実的に考えて、同性である木兎さん相手に"愛される"のは難易度が高い。
"傍にいないと困る"存在が、結局一番離れがたいわけだから……ひとまず、俺はそれで行こうと思う。



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木兎さんとか、背高いしスパイク強いし、遠目にはめちゃくちゃ格好いい。
赤葦さんは木兎さんを追って梟谷にきたと思います。
赤葦さんの自慢の木兎さん。
2016.1.26





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