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部活が休みの昼前。
思い立ってクロの家に遊びに行く。
今更チャイムとか押さなくて、いきなりドアを開けて「こんにちは」って挨拶するけど…。
今日はドアを開けて、挨拶忘れて鼻を動かした。
…甘い匂い。

「…」

そっとドアを閉めて、靴を脱ぐ。
クロんちの家で迷うことはなくて、真っ直ぐキッチンへ向かった。


アップルパイ




「クロ」
「…あ?」

キッチンを覗くと、案の定そこには人がいた。
おばさんかなとも思ったけど、コンロの前に立っていたのはクロで、今は小鍋で何かを煮ているところだったみたい。
おれが入って来たのを見ると、鍋の中を見ていた視線を上げた。
私服の上から、腰から下に丈の短い黒いエプロンをつけてる。

「よう、研磨」
「おはよ」
「んー。おはー」
「…。アップルパイ?」

クロの隣に並びながら聞いてみる。
鍋の中はリンゴの切ったやつが煮詰まっていたし、それ以前に流しのところにリンゴの皮とか置いてあるし、パイシートの外袋も折り畳まれて端の方に置いてある。
クロが時々作ってくれるアップルパイはすごく美味しい。
最初はおばさんの得意料理だったけど、今はクロも作れる。
甘い匂いを覗き込みながら聞くと、クロは片手を腰に添えて頷いた。

「そ。お袋に頼まれてな」
「おばさん?」
「午後、知り合いんち行くんだとよ。手土産に持ってくらしい。…自分で作れよと思ったんだが、午前中は髪切りに行くんだと。叩き起こされて何かと思ったらこれだぜ? …ったく」
「じゃあ、これあげる用なんだ」

食べられると思った…。
少し残念。
くつくつ煮えている鍋をじっと眺めていたら、隣でクロがにやにや笑っているのに気付いて顔を上げた。

「味見したいか?」
「いいの?」
「いーよ」
「したい」
「よし。おたべ」

煮詰めるのに使っていた菜箸で、煮詰まっているリンゴの薄切りを一つ、おれの目の前にあったまな板の上に置いてくれた。
小さい切れ端なのに、ほこほこ、ちょっと大袈裟なくらい湯気が出ている。
それをじっと、数秒見つめてから、また顎を上げてクロを見上げる。

「あつい?」
「熱いだろ、普通に。気ィつけろよ? 火傷すんぞ」
「…ん」

ちょっと待った方がよさそう。
今食べたら口焼ける。
…けど、あったかい方が美味しいのは知ってるから、タイミングが難しい。
両手をまな板が置いてある調理台に添えて、リンゴの薄切りを見下ろす。
…。
そのまま少し待って、もういいかな…て頃に、人差し指でほこほこしてる薄切りを上から軽く触ってみる。
指先で二度三度突いてみた…けど。
…うん。
まだ熱そう…。

「…」

もう少し待った方がいいかもしれない。
そう判断して、触った指先をぺろりと舐めてから再び両手を台にかけて待つことにする。
ほんの少しだけど、甘みが口の中に広がる。
試しにふー…と息を吹いて風を送ると、湯気が向こうに流れていった。
…そのまま数秒。
くつくつ隣で鍋が煮ている音が響いていたかと思うと、急にクロが俯いて喉で笑いだした。

「…? な――!」

何?…と聞く前に、横から伸びてきた片腕に捕まる。
首のところに腕をかけられ、隣にいたクロの方に一歩踏み出してそのまま腕の中。
丁度、コンロとクロの間あたりで疑問符浮かべてクロを見上げると、おれの頭の上にクロが俯くようにぐったり顔を寄せた。
しかも溜息がついてくる。

「はぁー…」
「…なに?」
「いやぁ、どーしよーもねーなと思って。お前のそれ」
「それって?」
「だよなー。素なんだよなー」

何故か呆れられてるっぽい。
…なに。
何で突然呆れられなきゃならないのか意味分かんない。
…かと思えば、ぐったりついでにクロが襟を指先で横に引っ張って、首のとこに後ろからキスしてくる。
…。

「火。危ないよ」
「丁度終わりでーす」

止めてほしくていい理由かと思ったけど、クロはあっさりコンロの火を片手で止めた。
ついでに、火をかけていなかった隣のコンロに移す。
パイシートの袋はあるのにモノは無いから、たぶん生地はもう準備してあって冷蔵庫に入ってるんだ。
ここからはしばらくパイもリンゴも冷ますだけなのをおれでも知ってるから逃げだそうとしたけど、クロが菜箸置いてすぐにおれの後ろ首を掴まえてまた腕の中に戻らされる。
頭の上ぐりぐりされて、自然と顎を引いて縮こまった。

「…重い」
「くっつくの好きだろーが」
「それはクロじゃん。…やだ、どいて。それ食べる」
「テメー。俺とリンゴとどっちが大事だ」
「今はリンゴ」

くっついてくる重いクロを押し退け、何とかその重くて緩い腕から逃げる。
クロから離れざま、指先でもういい感じに冷めたまな板の上のリンゴを抓んで、そのままキッチンを出てリビングに向かった。
けど、クロもエプロンを外しながらついてくる。

「何でだよ。俺優先だろ、そこ」
「全然。優先じゃない」

リビングの中央にあるソファをぐるっと回って、でもまだ付いてくるからそのまままたさっき入ってきたのと同じ場所からリビングを出る。
しっかりおれの後を歩きながらソファの傍を回るついでに、クロがソファに持っていたエプロンを置いた。
廊下を進んでキッチンを通過して、仕方ないから階段を上がる。
半ばにさしかかった頃に、後ろから同じように階段を上がってくる音が聞こえてくる。

「そのおいしーリンゴ煮も完成形のアップルパイも、俺がいねーとできねーんだぞー?」
「別にクロが作らなくてもおばさんに頼むし」
「俺のがおいしーって言ってたじゃん?」
「言ってない」
「言った」
「言ってない」
「言いましたー」

階段を上がりきり、短い廊下を突き当たってしまえば見慣れたクロの部屋。
開きっぱなしのドアから、ほどほどに散らかった部屋の中が見える。
…。
思わず半眼になる。
…やだな。
だって朝だし。
起きたばっかりだし、パイ作り途中だし、絶対おばさん帰ってくるじゃん(美容室行ったなら女の人だし時間はかかるだろうけどさ…)。
何とか諦めてもらう…。
入口のところで途方にくれて立ち止まっているところを、ギシ…と後ろで音がして、振り返るとクロがドアの縁に片腕を添えて、にんまりおれに笑いかけた。

「お招きどーもアリガトー」
「――!?」

交渉の暇なんてなかった。
がばっと片腕で掬い上げるように抱かれて、踵が床から離れたと思ったらドアが閉まる音がして、ベッドに落とされる。
困惑するおれの両足の間に片膝を置き、クロが苦笑しながらおれがずっと右手に持ってたリンゴの薄切りを取り上げた。
ちょうどよく温かいタイミングを狙っていたのに、クロが追いかけてくるからすっかり冷めてしまったスライス。

「冷めても旨いだろ?」
「むぶ…っ」

ぐいっと口元に押しつけられ、口に含む。
噛むとショリ…と気持ちのいい歯ごたえ。
砂糖いっぱいで煮た甘酸っぱい味とちょっとしたシナモンの香り。
…うん。いや…。
おいしいけど、でも――もっとあったかいうちに食べたかった。
そんなクレームは、クロにキスされて言葉にはできなかった。

やなのに…て主張代わりに、服脱がされる時爪で首のとこ一回引っ掻いた…けど。
…痛くなかったかな。
少し心配。

 

 

 

 

 

何だかんだの色々が終わって、でも終わるともう体力が限界で、ぐったりクロのベッドで丸くなって寝てた。
つかれた…。
これでもう休日の午前が消えた。
やるつもりだったアプリの土日限定時間指定ミッションもできなかった…。
もうやだ。

「…。クロのけだもの」
「ケダモノ呼ばわりかい」

部屋に戻ってきたクロに背を向けたまま、布団に丸まってぽつりと呟く。
さっきおばさんが帰ってきたみたいだった。
ちょっと帰ってきて、そのままお出かけしたらしい。
きっと、少し前に一度クロが下に戻って焼いたらしいアップルパイを持っていったんだろう。

「もう家誰もいねーから、風呂行け。お前もシャワー浴びといた方がいいだろ?」
「けだもの」
「それはもーいいって。仕方ねーだろ。勃っちまったんだから」
「けだもの」
「ハイハイ。んじゃいーよもうケダモノで。ケダモノらしくも一回やるか?」
「…」

やだから、のそりと身を起こす。
腿のとこが筋肉痛みたいに疲れてる…。
布団を肩にかけたままシーツの上に座ってようやく顔を上げると、部屋の真ん中にあるテーブルに、お皿に乗ったアップルパイのピースが置いてあった。
…あれ?
テーブルの横に立って腕を組んでたクロを見上げる。

「…これ、どうしたの?」
「お前の分。お袋に言って、八分の一置いてってもらった」
「…。欠けてたら、格好付かないんじゃない?」
「かもな。…けどま、いいって言ったんだからいいんだろ。これはお前の分。食いたかっただろ?」

だからとっととシャワー浴びて来い、と。
そう言って、クロが背を屈めて指先でお皿を少しおれの方へずらす。
…クロのアップルパイ。
あみあみのパイ生地がきれいに光ってる。
…。

「クロのは?」
「あ?」
「クロの分はないの?」
「俺は研磨を食ったからお腹いっぱーい」
「…」
「オイ。何だそのドン引き顔」

一応、言葉にしないであげるけど顔に出てたらしい。
おれの反応に突っ込みながらも、クロが壁のクローゼットを開けて自分のロンティを一枚適当に取り出すと、おれに投げて寄こした。
目の前に落とされたそれを拾って、もそもそ首とか手を通す。
クロのシャツを着ている間、片足の爪先とか器用に使って、ベッドの横に投げ捨てられたおれの服をクロが集めて拾い上げる。
クロの服を借りてベッドから降りようと足を下ろすと、上からくしゃくしゃ髪を撫でる。
その後で、手のひらで首の横を撫でる。
ちょっとぞわぞわする。
…手が離れてから立ち上がって、集められた服を受け取った。

「風呂出たらあっためといてやる」
「うん」

頷いた時、ふ…とクロが気が抜けたみたいに笑って、あ…てなる。
時々する今みたいな笑い方が、結構すき。
けど、それをどうやって言葉にしていいか分からないから、渡された自分の服に鼻の頭を押しつけて、抱えるように部屋を出た。

 

 

 

お風呂から出たら、トースターで温まったアップルパイとホットミルクが用意されていた。
昼近いし、お昼ごはんこれでいい。
座ってフォークを入れて、ちょっと考えて、一口目はクロに差し出す。

「クロ。あげる」
「んー?」

クロの分が無いのはちょっと可哀想。
少し身を乗り出して、おれが差し出したパイを、雑誌を読んでいたクロが読んでる文章から視線を外さず、ぱくりと口に含む。

「ん…。上出来だな」
「おいしい?」
「うまい。…て、逆だろコレ。作ったの俺ですー」
「知ってる」

そんなの知ってる。
味も知ってる。
今まで、何回も作ってくれてるから。
おいしくなるまでの失敗作とかの過程の味も、ちゃんと知ってる。
アップルパイは、クロのおかあさんの得意なお菓子でとてもおいしい。
でも、おばさんの留守の時におれが食べたいって言って、それがはじまり。

「…」

なんとなく、指先でお皿をそっと、少しだけ横にスライドさせる。
移動したそれに合わせて、おれも少しだけクロ側に移動する。
それに気付いたクロが、最初は一瞥してただけだけど、そのうちにやにやしだす。

「んー? なぁーにぃー?」
「別に」

…本当はもうちょっと傍に行くつもりだったけど、なんか調子乗ってるからやめる。
中途半端な距離を空けた隣で、改めて腰を据える。

「いただきます…」

改めてフォークをパイに入れて、口に運ぶ。
甘酸っぱい、さくさくでショリショリの大好きなパイ。

クロのアップルパイは、いつもおいしい。



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アップルパイはきっとクロさん作れる。
餌付けは重要ですよね。
ごろごろしてればいいよ二人は。
2014.11.23





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