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日が高い。
…久し振りに快晴になった。
美しい芝生、咲き誇る薔薇。
雨の降らないこの家の庭園は賞賛に値する…とは理解していても、眩暈がする程見飽きてしまえばそれはまた貧血を起こす原因でしかない。

「ほら日本。早く来いよ」
「…」

久し振りに太陽の下に足を出したはいいものの、一体何百年室内にいたことか。
…脚が竦む。
庭先に踏み出せず、屋敷との境界線に佇むだけの私を不思議に思ったのか、一足先に中央にある白いテーブルセットに向かっていた英国さんが、途中で足を止めた。

「おい。どうした?」
「あ、いえ…」
「お前がずっと出たい出たいって言うから出してやってんだぞ。紅茶も用意してやったし」
「はい…。ありがとうございます…」

何とか応えるものの、やはり出られない。
俯く私を見て、英国さんが盛大にため息を着いて首を振った。
それから、大股で私の元へ戻ってくる。
姿が近くに来た瞬間、完全に無意識に片手が伸びてその腕に手を添えた。
どことなく嬉しげに苦笑しながら、英国さんが私の手を取る。

「来いよ」
「え、あ…でも…。わっ」

手を引かれ、戸惑っていた庭へ一歩踏み出す。
そのまま、英国さんに手を引かれながらテーブルまで歩むことになったが、途中木々を揺らす風に驚いてびくりとしてしまい、手を引いていた腕に縋る形で寄り添った。

「おいおい…。驚きすぎだろ。そんなに外出てなかったか?」
「ええ…」
「前もお前引き籠もりだっただろ?」
「あの時は二百年程でしたけど、此度は…」
「まあいい。別に何も支障はないだろ? 不自由なことがあったら何でも言えよな。…ほら、座れよ」

引いてくださったイスに腰掛け、膝の上に両手を添える。
座っている私の前に、英国さんが紅茶とスコーンを並べて置いた。
英国さんの料理はいかがわしいものが多々あるが、午後のお茶の時間に出てくる、所謂紅茶と焼き菓子の類はそこまで酷くはない。

「食っていいぞ」
「…頂きます」

一礼してから紅茶に砂糖とミルクを入れて味を調え、一口飲む。
スコーンを割ってジャムを塗り、口に運んだ所で真正面に座る英国さんの微笑に気付いた。
…この人はどうも何かを主張したり騒いでいる時よりも、静かに好む何かを眺めている方が大変穏やかな表情をされるらしい。

「あの…。皆さんはお元気ですか」
「ん?」

機嫌が良さそうなので、それとなく尋ねてみた。
私が英国さんの家に来てからもうかなりの歳月が経つ。
方々の近状が知りたかった。

「はい。米国さんですとか伊太利君ですとか、独逸さんですとか…」
「あー。米国は風邪引きまくってるらしいな。ここにきてまた中国がやたら元気でな。それから最近見かけるの印度がこれまた曲者なんだが…。…まあ、どうでもいいだろそんなのは。お前は何も気にしなくていいんだよ。お前の考えるべきことはあれだ。今日の俺の夕食のメニューだけだ」
「…」

頬杖を着いて笑いかける微笑みに、何と返せばいいのやら…。
ふと顔を、広大な庭を覆う煉瓦造りの塀へと向ける。
遠くに位置するそれは、手前に高い木々が覆い繁っており少ししか覗くことはできない。
…この塀の内側で過ごして今日で一体何百夜か。
第三次世界大戦。
刀を持つことを封じてきたとはいえ、実際に戦禍に巻き込まれれば己の身を守る為に手にして振ったは良いものの、そもそもの武具の手持ちの違い。
米国さんがお守り下さるとお約束があったはずが、結局はあの方も自身を守るに手一杯。
そんな中、敵国であったはずの英国さんが早々に我が家に押し入り、あれよあれよと言う間に連れ出られ捕虜になった。
捕虜という単語に違和感を持つ程の待遇で。
その為、被害はあったもののかなりの初期段階で戦禍は免れた。
早い段階で服従を受け、戦時中も英国さんの家で“嫌々”にして食事や備品の準備を担当することで敵となった方々の目は離れたらしい。
また、実際に救い出すことは叶わなくとも味方国からは同情の眼差しを受け、敵国を補うとは何事かと私へ銃口を向ける方もなかった。
…とは言え、戦争が終わり結果は風の噂で耳に入るものの、皆さんがどうなったのかの噂は来ない。
日々を美しい家具や書物に囲まれ食事や掃除、語らいなどをしている間に、いつの間にか…。

「日本…?」

呼ばれて顔を上げる。
自然と俯いていた私を、心配そうに英国さんが眺めていた。

「どうした。…体調でも悪いのか?」
「いえ、あの…。久し振りに天気が良いので、散歩とか…」
「は? ばーか。庭に出るだけでびくついてんのに外になんか出れないだろ」
「ですが、このままでは…」

何もできなくなる。
ひしひしと実感があるものの、それは口にするのすら躊躇われる程怖ろしく感じる。
言うべきか、言わぬべきか。
逆らうべきか、逆らわぬべきか。

「アーサー・カークランドさーん!」
「あん?」

両手を腿に添え、再び俯きがちだった私の思考に他者の声が入る。
英国さんと揃って顔を上げると、門前から郵便局員が一枚の葉書を振りながらやってきた。
英国さんが席を立ち、そちらへ向かって少し語らう。
二言三言語らった後、英国さんが首を振り、局員はちょいと帽子を持ち上げ挨拶すると手で持っていた葉書を持ち帰り、再び門の外へ帰っていった。
やれやれと肩を竦めながら戻ってくる。

「お葉書、配達間違いですか?」
「ん? …ああ、いや。また米国からお前宛だよ。さっきそこでちらっと見たら、お前に大丈夫かとさ。何がだって話だよな」
「…」
「アイツしつこ過ぎだろ。こんなの書いてる余裕無いはずねーだろっつーの。…まあ、変な手紙は俺が弾いとくから心配するな。しっかし、何だかんだで米国の奴も日本離れしないんだよな。自分でしっかり責任学ぶいい機会だ。この間もあの野郎…」

片手を軽く投げ捨てて目を伏せ、英国さんが何事かを語るも、音として聞き取れない。
…眩暈がする。
昔、米国さんはこの方から家出をしたらしい。
その話を伺った際は、育てて頂いた恩も忘れて家出なんて、何と親不孝なと思っていた。

「日本、紅茶もう一杯飲むか?」
「…」

カップを掲げて尋ねる英国さんに、俯いて、小さく首を振った。

「お、そっか…。じゃあ、そろそろ部屋ん中戻るか。お前顔色悪いぞ。久し振りに庭に出たから、疲れたんだろ。あんまり庭も出ない方がいいんじゃないか?」

言いながらカップを退かし、先に立ち上がって傍に来ると私の手を取る。
…嗚呼。
一体いつから己一人で立ち上がらなくなったのか。
何故彼が傍に来て、出される手を待つようになったのか。
屋敷への玄関へ颯爽と歩く英国さんの背後を、数歩遅れて着いていく。
…。

「昼寝にはいい気候だな」
「ええ…」
「…。あー…。ご、午後の掃除はもういいから…。何だ、その…。お前さえよければ、食後の昼寝でも一緒、に!?」

不意に足を止めた私に気付き、英国さんが振り返った。
ぎょっと肩を震わせた表情が少し可笑しい。

「え、あ…。お、おい…!何で突然泣いてんだよ!!」
「え…」
「ちょ、ちょっと待て動くな!えっと…ああもうっ!」

同じように足を止め、随分慌ただしく自分の軍服をぺたぺた両手で叩き、ポケットからハンカチを取り出すと足早に私の元へ戻り、ぐっと目元にそれを押しつけられた。
腕力に任せて押し当てられたので、少し後ろに蹌踉けながら何とか受け取る。
泣いている自覚がなかったのでそっと頂いたハンカチを目元から離すと、確かに少し湿った跡があったが、目元に指先を添えると既に涙は乾いていた。
欠伸はしていなかったので、虫でも入ったのだろうと…思う。
…ぼんやりと、他人事のように一瞬前の己の涙で小さく色の変わったハンカチを見下ろしていると、不意に片腕を引かれて英国さんの腕の中に落ちた。
この人はとても緩く人を抱く。

「あ、あのな…。お前はもう米国になんかびびらなくていいんだよ。泣くような歳じゃないだろ?」
「いえ、そういう訳では…」
「つーか、他の奴らには近寄らせないようにしてやるから。刀もまた持ちたけりゃ持っていいし、持たなくても俺が何とかしてやる。好きにしていいんだ。…んな心配しなくていいから」

俺だけ見てろ、という命令に脳髄が白く染まっていく。
頬に朱の走った顔で横を向き、突っ慳貪に言い放つ様が好ましい。
このままではならないと警戒音が鳴り響く一方で、永らく隣人たちの中、形ばかりのお付き合いや不安と過ごしていた日々が耐えきれず、戦時中に駆けつけ救って下さったこの方へ長い間忘れていた信頼という名の情を捧げたくて堪らない。
目を伏せて、腕へ指を添え、首筋に頭を寄せた。





喉を鳴らし、根本を甘噛みされる度に肩が上がって少しずつ身が一人用のソファにずり落ちていく。
始めは普通に腰かけていたはずなのにいつの間にそうなったのか、座席や背もたれの柔らかさとは対照的に、硬い木造の肘掛けに片脚を開いて乗せられていた。
しゃんと襟を詰めたままの英国さんを前に、他の方々にとてもお見せ出来ないような裾を開いた霰もない姿に妙な高ぶりが熱を呼ぶ。
…最近はこの方に触れられると頭の中に霞がかかり、途端に思考が鈍くなっていく。
快感の波がくる度に閉じようと試みるも、腿と膝裏をそれぞれ捕らえられ、逃げるに逃げ出せない。
せめて少しでも隠そうと絶えず片手で口元を覆っていたが、どうやっても声は漏れてしまう。
個室とは言え、一室一室が私の家とは比べ物にならぬくらい広い。
部屋に鍵をかけたとは言っても、高い天井に反響する己の声に顔が火照る。
何度やっても慣れず、硬く目を瞑ると涙が零れた。
微かに嗚咽まで生じてしまい、絨毯の上に膝を着いていた英国さんが私から唇を離して顔を上げた。

「あ、悪い…。痛かったか?」
「い、いえ…。違…」
「へ? あ…お、おい!」

申し訳なさそうに謝罪する声に、どうにかこうにか首を振る。
一体何が切欠になったのか、否定しようと口を開いた直後、止め処なく涙が溢れてきてしまった。
生理的なものでないと分かったらしく、慌てた英国さんの片手が下から伸び、頬へ指先が添えられる。

「だから突然泣くなって! 何だよ。本当どうしたんだ?絶対お前なんかあっただろ」
「ち、違…。違うんです。…心地が良くて」
「ああ!?」

訳が分からないという様子で片眉を寄せた英国さんに、顔を覆ったまま切々と訴えた。
何から何まで全てにおいて手を取られ、進んでいく先は恐らく良いものではない。
一度家に戻り、少し己を鍛えたい、と。
大戦時の御恩は忘れません。
刀を磨いて英国さんの助力になれるよう計らいます。
控えて付き従うのでは米国さんの時と同じ。

「せめて胸を張って隣に並べ……っ!?」

収まってきた嗚咽の中で何とか言葉にしている最中、突如として胸を突き飛ばされ、背もたれに肩をぶつけた。
現状を把握する前に顎を持ち上げられ、上から唇が重ねられる。
驚いて確かに硬直しているにも関わらず、半ば反射的に唇を割った。
淫らに舌を絡めた後ゆっくり顔が離れ、思わず頬を染め片手を口元に添えて俯く。
…まともに顔が見られない。

「…ばーか」
「…」
「俺は米国の奴とは違う。お前の文化も主張も尊重してやる。お前に軍事的な何かとか期待してねーし。…あー…だから。…やっぱり昔一緒にいてくれたのが嬉…しいって訳じゃないが、気が楽だったし。…要するにだな、あの時みたいにただ単に傍にいてくれればいいっつーか…。だから、つまりだな」

声に導かれてちらりと上目遣いに視線を上げる。
目が合うと、ソファに沈む私の両足間に片膝を乗せ背もたれに片手を置いて、英国さんが少し照れ臭そうに横を向いた。

「俺の傍にいるのがお前の仕事だ。…そのままでいい。家帰るなんて言うなよ。…その」

私をそっと一瞥し、僅かに俯く。

「寂しい…だろ?」
「…」
「す、少しだけだけどな!」

直前の小さな呟き。
揺れる翠緑玉の如き瞳。
陰り刺す差すその横顔に絆され、背もたれから背を離し、そっと彼の片腕に手を伸ばした。
両手を添え、身を傾けて額をその腕に預ける。
縋る私を片腕で抱き返し、英国さんがほっと、明らかに安堵の表情を浮かべた。
改めて口付けを求められ、そっと目を伏せて従い、望まれるままに身を開いた。
始めはそれなりに気遣って下さるものの、行為が進むと一呼吸する間もない程一方的に揺さぶられ、途中途中内側に留めておけない快楽に発狂しかけることすらある。
何とか自制をしたところで、気付けば肩で息をしながら、身を起こす気力もなくぐったりとシーツに伏していることが多かった。
…一体いつの間にソファから移動してきたのかすら覚えていない。
朦朧と湯気立った思考で目の前のシーツの皺に生じた影を見詰めていると、ふっと首の後ろへ、控えめに音を立てて口付けが落ちた。

「お前は…。何もしなくていいからな」
「…」

本当に控えめで万感の隠った接吻に、意識が遠退いていった。
それからじわじわと、浸み込むような夜が続いて__。
私は、庭はおろか廊下にも…。
そして、寝台から降りることすら稀になっていった。


翠緑の茨


「よう!悪いな、遅くなった」

タイを緩めながら英国さんはいつも忙しなく入ってくる。
常々鞄をお持ちなあたり、恐らくは帰宅してすぐ私の下に来てくださっているのだろう。
寝台に腰かけたまま、一礼をして出迎える。
最近は膝に支えが効かず、長時間立っていることが困難になってきていた。
そのお顔のみで想像は付くが、一応尋ねてみる。
既にここ最近では日常だ。

「仏蘭西さんはお元気でしたか」
「ああ、相変わらずクソ生意気だったけどな。まあ、あと3ヶ月もすれば今の身長の半分くらいになってるだろうよ。お前の考案したあの兵器は気に入ったぞ。今の所国際法では裁かれないしな」
「…お怪我は?」
「ない。当然だろ。俺を誰だと思ってんだ」

緩めたタイと手荷物をソファセットに放り捨て、そのまま私の座る寝台へと歩み寄る。
…傍に来るとやはり無意識に手が伸びてしまう。
伸びた私の手を受け取り、英国さんと唇を重ねる。
その後両腕で抱き締めることで、この地では所謂恋仲の挨拶となるらしい。
背後に手を回そうと両腕を広げかけた所でとんっと軽く肩を押され、寝台の上に仰向けに倒れた。
…珍しいことではないので、驚く程ではない。
私の天を塞いだまま、とても優しげな瞳でこちらを見下ろす。
少し経ち…。

「…ただいま、日本」

柔らかな声色で英国さんが口を開いた。
お帰りなさい…、と返すことでそのお顔に花が咲く。
首筋に落ちた唇を受ける為、顎を上げて目を伏せた。

世界は常に揺れ動く。
やがて歴史は、圧倒的な恩恵と静かな鎖国を与えるひとつの同盟国のみを従えて進む、欧州の覇者の名を知ることになる。



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自覚のない束縛家。
第一次同盟の共闘、英国の祖国への信頼は凄かったらしいですからね。
2011.10.14





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