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約束の時間になってから二十八分後。
米国さんが都合で来られなくなったというお話を伺った。
申し訳なさそうな部下の方に首を振り、珈琲一杯だけ口に入れる。
本来は怒るべきなのかもしれないが、それよりも人知れず安堵の息を吐いた。
食事はどうするかと尋ねられたが、そもそも緊張の為か空腹も無い。
米国さんがいらっしゃらないのなら…と軽く断ってから顔を上げ、周りを見た。
会食の予定を組んでいた為、次の予定まではかなりの時間がある。
お約束していた場所は芝生の美しい庭園で、遠巻きに暫くそれを眺めた。
やがてカップが空になり、部下の方に一礼して、漸く席を立つ。
己の革靴の先をぼんやり見詰めながら屋敷の門を出た所で…。

「…よう」
「…」

英国さんがいらっしゃった。
…黒い車が門の真正面、かなりの近距離に停車していたので、門から領外へ一歩出た瞬間に驚いてそのまま一歩後退した。

「何で戻るんだよ!!」
「え、あ…」

境界線を跨ぐのを諦め、再び門の内側である敷地内に戻った私の片腕を英国さんが怒鳴りながら取って引く。
引かれた身に遅れ、両脚共に庭園の敷地を出た。
何と無しに己の足下を一瞥してから、顔を上げる。
相手の顔を見上げるつもりだったが、英国さんも同じように顔を上げ、私ではなく私が今出て来た庭園の方を見据えていた。
…双眸が細い。

「…米国は?」
「急用ができたとかで…」

軽く首を振ると、英国さんは盛大に肩を竦めて嘲笑うかのように鼻を鳴らした。
再び私の方を向いた時には常日頃拝見するいつものお顔に戻る。
咳払いを一つし、何故か両手を腰に添えて胸を張った。
その時一度合った目は伏せ、絹色の髪を揺らし顔は横を向いてしまう。

「あー…何だ、その…。…き、奇遇だな!」
「え? …あ、はい」
「これから昼飯にしようと思ってたんだが…。お前さえよければ…だな。…その、もう一人分うっかり用意しちまってだな…。…まあ、だから」

そこで背後にある車を親指で示す。

「乗れよ」

言うが早く、英国さんは背を向けて先に車へと歩んだ。
手前のドアを開け放ってから、ぐるりと車体を回って自分は反対側のドアを開けて乗り込む。
間を置いて、その開け放たれたままのドアへ近寄り、一礼してから乗せて頂くことにした。
車が進み出す。
両手を膝の上に添えたまま背筋を伸ばして数分。
ちらりと隣を盗み見ると、英国さんは窓枠に頬杖を付いて外を眺めたままだった。
再び俯く。
更に数分。

「…アイツとの予定はキャンセルになったんだろ?」

不意に話しかけられ、顔を上げた。
英国さんは流れゆく窓の外へ視線を向けたままだったので、本当に話しかけられたのか己の空耳か一瞬迷いもしたが、軽く頷いておく。
窓ガラスにでも反射して私が頷いたのが見えたのか、やはり振り返らずに組んでいた足を組み替える。

「なら俺は、1時半からお前とアポイントを取るぞ」
「…は?」

言われて腕時計を見下ろす。
米国さんとのお約束が十二時四十五分。
米国さんを三十分程待っていたこともあり、気付けば既に時間はあと五分で一時半になろうとしていた。

「…」

腕時を潜らせた手を下ろし、再び沈黙する。
俯きがちのまま、律して動く細い秒針を眺めていた。
エンジン音さえ静かな車内。
やがて五分が経ち、一時半になる。

「…」
「…」
「…。…あの」

客観的に見ると随分と間が抜けている気がして言おうか言うまいか僅かに迷ったが、両肩を少し上げて膝上に置いた己の拳を見下ろしながら口を開いた。

「お招き頂きまして…。ありがとうございます」
「…別に」

始終顔を背けたまま呟く声は小さくてよく聞こえないが…。
取り敢えず、そっと息を吐いて目を伏せた。
肩から力が抜けていく。
こうして身から緊張が抜け出ること自体、有難く、心地よい。
少なくとも、米国さんと一緒にいるよりは。
頬から力が抜け、ゆっくりと両肩を降ろしてから顔を上げる。

「…ありがとうございます」
「うっせーな。さっき聞いたっつーの」
「いえ、これは社交辞令でも礼節でもなくて…」
「あん?」
「その…。…ありがとうございます」
「?? お前は時々よく分からないこと言うよな」

面倒臭そうに振り返った英国さんにもう一度同じ言葉を捧げると、よくご理解頂けなかったようで呆れた顔をされてしまった。
形のみの言葉ではなく心から。
何故同じ言葉を繰り返したのか聞きたそうではあったが、丁度車が英国さん家の別荘に停まったので聞かれることはなかった。
さっさと下車する英国さんに続いて慌てて降りようと車のドアを開けると、自ら押す前に外から開かれた。

「ほら。手」
「…はい」

差し出された手に手を添えて、車から降りる。
遠くに美しく手入れの施された芝生が広がっていた。
中央に小さな白いテーブルセット。

「お茶の用意しかしてないけどな。すぐ飲めるぞ」
「ご用意されてたんですか? お断りした可能性だってあるでしょうに」
「俺はだな、どこかのバカと違って人を待たせるの嫌いなんだよ。紳士だからな。……あ…のな。別に、相手がお前だからって訳じゃないからな!そこ間違えるなよ!!」
「あ…」

一応客扱いになるであろう私を残して、一人先に英国さんがテーブルへ向かって歩き出す。
数秒置いて、私もその背を追って歩を進めた。
一歩一歩踏み出す足の何と気兼ねないこと。
気落ちしていた心も浮き、軽い足取りで着いていった。
空腹とまでは言えない胃に紅茶と焼き菓子は程よく染み入り、甘い香りに心も落ち着いた。
何より、場を共にする相手に圧迫感がない。
精神的な負い目もない。
無難な会話、穏やかな対談。
相手を敬うが故の適度な距離感。
同じ速度で進んでいることに違和感を持つほど、お茶の時間は早く流れた。

その時私が讃した庭園


「綺麗なお庭ですね」

往き道と同じようにして従い庭を出る際、足を止めて振り返った。
美しい庭、咲き誇る薔薇。
我が家にはない華やかな美しさは眼福ですらある。
私が足を止めたことで、先を歩いていた英国さんも立ち止まる。
片手を腰に添え、眉を寄せて苦笑されてしまった。

「お前さっきから同じようなことしか言わないな。そんなに気に入ったのか?」
「ええ。大変美しいです。こんなお庭を毎日見ていられたら、心穏やかに過ごせるでしょうね」
「…そっか」

振り返って頷くと、英国さんは誇らしげに、擽ったそうに笑った。
その微笑みに攣られて、庭から彼へ視線を移す。
…微笑みは何度か見たことがあるが、そう言えば笑顔は少ない気がする。
見惚れる、という表現が正しいかどうかは存じませんが…。

もう少しはっきりと我を保っていたのなら。
すぐに叶うさ、と。
呆けてしまった私の耳の傍を掠めた、そんな言葉に気付けただろう。





__それから100年も経たぬうちに、三度目の戦渦が生じた。



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軟禁フラグ。
英国は束縛かが似合います。
2011.10.14





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