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「っ…!」

歩き出した当初から引っ張られ続け、いい加減バランスを崩して厚手の絨毯に爪先を引っかける。
俺が転びかけると同時に物のようにベッドへ投げ捨てられ、起きあがる間もなく組み敷かれる。
シーツの上で足を絡めて押さえつけられ、目が合って、蛇に睨まれた蛙のように身が竦んだ。
…心臓が煩い。
どくどくと脈打つ音が耳に響いた。
近距離で、俺の視界を塞いだまま、丁抹が険しい顔で眉を寄せる。

「…わざとけ?」
「…。悪ぃ…」
「俺にするっつったべ?」

いつも以上にスロウな速度で吐かれる低声に襲われ、加速する心臓に任されるまま、素直に謝罪を口にする。
調停後の会議の一つに、軽い駄々をこねて同行した。
外出なんて久し振りすぎた。
丁抹と暮らし始めてから、一緒でねえと部屋の外には出さないとかぬかしやがったが、何だかんだで忙しく動き回っているこいつが時間空けられる時なんて早々無い。
別に、そもそもインドア派なんで大した規制でもないと思ったが、実際外へ出られないとなると、庭だけじゃ精神的に辛かった。
気晴らしにも限度がある。
仕方ないから仕事に同行して久し振りに外に出てはみたものの、久し振りついでに会場であった芬蘭や瑞典が懐かしすぎて、少し長い会話といつもの調子でハグとキスをした。
丁抹がいない隙を狙ったのは、率直に不機嫌になるからだ。
何も可笑しいことじゃない。
普通すぎるこの普通が、丁抹の勘に障ったらしい。
…ただ、確かに家を出る時に、他の連中とあんま喋るなと言われていた。
ごめんなさい。
悪かった。
本当にそう思ってる。
…べらべらと口達者であればそう捲し立てることができるかもしれないが、生憎生来口数が少なく瞬間的に言葉が出てこない。
その分、短い謝罪の言葉に多義を詰め込み、必死になって訴える。

「違ぇん…。あんなん、ただの挨拶だべ。…あんこが嫌なら、止めっし」
「…気付いてねえんなら言ってやっけどよ。おめえまだあいつんこと好いとんべ」
「…何言っとん」
「んだって、目が全然違ぇべな。まーだスウェーリエのがええのけ?」

断言する丁抹の言葉に、数秒置いて弱々しく首を振る。
違う。
それはもう止めたと何万回言ったら信じるのか。
例えそうだとしても、このタイミングで頷いたらどうなるか、考えないわけではない。
今は体調もある程度戻ったようだが、瑞典んちで起きたストックホルムの血浴以降…。
彼を愛するのはもう止めた。
…自惚れでも何でもない。
俺があっち見てっと、大陸に血が流れる。
見せしめに誰かが殺され、傷つくのを見たくない。
あんなに古馴染みの瑞典までにためらいなく刃を向けやがった。
もう、たぶん今コイツを止めるのは無理だろうと思う。
無意識に震える息を呑んで、意を決して丁抹を見た。

「…いくねえ」
「どうだか」
「…」

は…と鼻で笑うに、首を浮かせて俺から相手へキスしとく。
話を逸らさねえとどうにもなんねえ。
音を立てて唇を吸うが、追ってくるかと思ったらそうでもなかった。
…まさかキレてねえべな。
滅多にキレるような性格じゃねえのは知ってるつもりだが、一度キレたとこを見てしまえばそれも通じない。
戦が多いせいか、それとも一度プッツン来てから外れっぱなしなのか、最近はとんと余裕がなくて本気で困る。
昔から何考えてっか分かりやすい奴だったが、もう何考えて何思って動いてて、一体全体どの辺が引き金になるのかも把握できねえし、結果として俺的にどの辺注意していいかもよく分からない。
別に、丁抹が嫌いな訳じゃない。
本当に嫌いじゃない。
嫌いじゃないが、恐くて恐くて堪らない。
具体的に殴る蹴るでできた痣や傷が瞬時に治るのは周知の通りだ。
土地や国民が一度にごそっとそれなりに傷つかない限りは痕も残らない。
それでも、痛いもんは痛い。
身体も痛ぇし、心も、本気で傷つく。
もう痛い思いは嫌だった。

「…。デン…」

久し振りに名前を呼んで、ぎゅ…と相手のシャツに縋った。
以前味わったような、拷問のような夜を思い出すだけで、シーツに投げ出した足が震える。
右も左も前も後ろも分からないくらい、ガキのようにぼろぼろ泣き付いて許しを乞うた。
殴られるのも嫌だし犯されるのも嫌だ。
何でもない時みたいに、ちょっと前みたいに。
普通に…普通に扱って欲しい。

「恐ぇの、やまって…。痛ぇの嫌なん、俺…」
「…」
「気ぃ触ったんなら謝っから。…弄んなら、普通に弄って」

上手くできてっか知らんけど、小声で俺なりに精一杯甘えてみる。
考えたら、どういうんがこいつの好みなのかも分からない。
昔馴染みでずっと一緒にいたが、結果的に何一つ分かっちゃいない。
…間を置いて、丁抹がため息を吐くと目を伏せた。
その瞬間だけ俺の知ってる丁抹で、ほっと胸に一瞬だけ安堵が灯る。

「うー…。まだ見境無くちょろちょろする方が許せんだけどなぁ…。どーも駄目だわ。おめえの目にあいつが写ったんかなとか考えるだけでむかっ腹立っちまって…」
「…」
「おめえの上司は一度潰しちったはずなのに、なーんで考え変わんねえかな…。まだスウェーリエの奴と同盟組んだままのがえがったなーって思ってんかな。…仕方ねえなあ。今の上司も止めて、また新しいの、こんだ俺が決めてやっから」
「…。ち、っと待てな…。俺んこた俺が決め…」
「俺を好くようにしてやっから」

すとん、と俺の言葉が終わらぬうちに、丁抹が苦笑し、断言した。
さっきまでの不愉快丸出しな空気は緩んだが、その代わり、にこやかに発せられる声に今度はさっきまでとはまた違う意味でぞっとする。
…上司を外部が好きに変えられちゃ、俺の意志はどうなるん。
どういう行動を取ってどういう思想や嗜好を持つかは、上司と国民に従う。
これも周知の通りだ。
それを外から好きに変えられたら…どうなる。
自分の考え方とか生活とか、好き勝手に弄られたら、俺はどうなるってんだ。
可能だからこそ悪寒が立った。
今の俺じゃこいつに太刀打ちなんぞできない。
そんなもの、想像するだけで…。
…。
駄目だ、目眩がしてきた…。
ぐるぐると脳みそが回る。
Gに当てられたようにくらくらする。
前後不覚になり片手の甲で目元を覆った俺の髪を、丁抹の指が撫でた。

「可哀想になあ、ノル…。今じゃ苦しくって当然だわなぁ? おめえ自身がいっくら俺を好きでもよ、おめん中の虫どもがあっち見てんじゃあ、ちぐはぐで、そりゃー自分じゃ何が何だか分かんなくなっちまうわな」
「で……」
「だいじだって。何でもかんでも俺に任せとけ。イチっから始めて、俺がいねえと駄目なようにしてやっからよ。…二人でずーっと一緒に暮らすべな」
「…、ハ…、ぁ」

死刑宣告のようなその声に、喉が震えた。
呼吸が、突然速まる。
コントロールできず、高速に肩で息をし出す。
あんま珍しくない俺の過呼吸に、慣れた様子で丁抹の片手が俺の口を塞ぎ、もう片方の手で俺の手を握った。

「今日のは許してやっから。…おめえ相手に本気で怒るわけねえべ?」

ちゅ…と額に音を立てて唇が触れた気がした。
…でももう、何を言われているのかもよく分からない。
ただ、自分の傍にある体温にしがみついた。
今という時間軸から助けて欲しくて。
…ふと笑みを零す声がする。

「ええ子だなあ、ノル。…なんも恐えもんなんてねえよ」

囁きと共に生理的に溜まり始めた涙を湛える瞼にキスをされる。
ぐるぐる回る頭のまま、相手のことを好きなのか嫌いなのか、馬鹿にしてるのか恐れているのか分からないまま、それでも過呼吸に揺れる身体で目を伏せた。


Jeg gør dig glad




助けて欲しい。
劇的に手を引いて助けて欲しい。
誰かに助けて欲しいが、生まれてこの方、こいつ以外に頼ったことが無いから――。

悲鳴の上げ方も分からない。




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両想いになっても暫くお互い辛かった気がします。
でも最終的にはあのいっちゃいちゃな丁諾同盟ができるわけで。
ときめきますね。
2013.9.13





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