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__1900年。冬。

その年だけって訳じゃないが、時期的に肩張ってないとダメだったから、俺は休日だろうと仕事があれば書斎に籠もった。
カリカリとリズム良くペンを動かして部下から絶え間なく上がってくる決算書やら報告書やらに目を通している時に。

「お~い。アーサぁ~!」
「また仕事してるのー?」
「…ん?」

個性のある高いベルの音と少しの細かい光の鱗粉を散らしながら、いつものように小さな友達たちが天井の方から降りてきた。
丁度いい。小休止にしようと、書類を脇に退かし、ペンを持ったまま鳥の止まり木のように、人差し指の横腹を上にして肘を着く。
俺が用意した特別席を取り合って一瞬きゃあきゃあ目の前ではしゃいで競った後、結局一匹の妖精が俺の指に両足を降ろして着地し、その他の数匹は残念そうにデスクの上に降りて彼女を見あげていた。
一気に場が賑やかになり、思わず苦笑する。

「よう。どうしたお前ら。悪いが、今は遊べないからな。スパイごっこも今の所必要ないし」
「あのね~、Dollyがさっき門のところに来てたよ」
「Dolly?」
「門の鍵開けられなくて困ってた」
「あと、庭のタイルに道に足引っかけて転けてた」
「Littleみたいだよね。よく転んで、絶対左膝のとこ怪我するんだよね~」
「ねー」
「米国…?」

独り身に戻ってから暫く経つ。
俺が腹立ち紛れに"米国"と他人行儀に呼び出してもまだ、俺のダチたちはLittleの愛称が抜けないらしい。
ペンをペン立てに戻してから、両手をデスクに添えて腰を浮かせた。
米国に似てる奴なんていたか…?
疑問に思いながらレースのカーテンがかかってた書斎の窓に近づき、片手の甲で間を割いてみる。
眼下に広がる庭園の間を、ちょこちょことディープグリーンの影がこの館の玄関の方へ寄ってきていた。

「ああ、何だ…。日本か」

目を少し細めて見ると、子供の容姿にしか見えない来客は極東の島国だった。
無意識に浅く息を吐く。
…そうだよな。米国がもう俺ん家なんか遊びに来るはずないもんな。
カーテンから手を放し、背後を振り返る。

「しかしお前ら、"お人形さん"って何だよ。あれで俺より年上らしいぞ」
「えー?そうなの??」
「見えな~い!」
「だって小さくて可愛いんだもん」
「じゃあ一緒に暮らしたら、アーサーのお兄ちゃんか~」
「止めてくれ。冗談じゃない」
「うんうん。やっぱり弟じゃなきゃイヤだよね~」
「何て呼ぶ?LittleⅡ??」
「そうじゃなくて…。やっぱもういらないんだ。他人なんて」

軽く片手を払って言った直後、扉の向こうで来客を告げる部下の声が響いた。

 

 

 

「こんにちは、英国さん」
「ようこそ、日本」

ドライングルームに通した客人と握手を交わし、腰掛けるよう促す。
足を組んだ後で改めて日本を見たが、さっき窓から見たような色の服は着ていなかった。
どうやらコートだったらしく、部下に預けたのだろう。
何とかこっちの服装を着てはいるが…やっぱりどっか変なんだよな。
絵に描いた子供のお遊戯みたいなセンスに軽く息を吐いた。

「今日はどうしたんだ。まあ、休日で空いていたからいいようなものの…。アポ取ってあったか?」
「いえ。申し訳ありません、急に。近くまで来たものですからお話でもと思いまして」
「話ねえ…」

ソファに背を預け、裏を読み出す。
…とは言え、そんなに複雑な話でもない。
最近、俺の上司と日本の上司が裏でこそこそ内緒話してるのは承知している。
どうやらこの辺に関係の深い奴を一人二人つくっておきたいらしいが、生憎俺の方にそんな気はない。
まだ当面一人でいるつもりだし、大体他人が信用できるご時世じゃないだろ。
日本だってそう乗り気でもないって気がするしな。
ここの所かなりイイ線来てるのは聞いているが、人見知りなのか何なのか知らないが、最近まで引き篭もっててこの辺の連中のことはあんまり好きじゃないらしいし。
…まあ、お互い上司の勝手な思惑に付き合わなきゃならないんだから、辛い身の上だ。

「何の話がいいんだ。政治か?経済か?」
「えっと…」
「それとも、つい先日のブーア戦争の自慢話でもしてやろうか。為になるぞ、きっとな。それとも功績を見るか? 金とダイヤモンドどっちを見た……あ」
「…?」

思わず飛び出た俺の声は、部屋にぽっかりとよく浮いた。
多様なベルの音を鳴らして、俺の友達たちが疑問符浮かべている日本の周囲に何処からともなく寄ってき始めた。

「Hi、Dolly!」
「さっき転んだところ、怪我してない?」
「どうかなさいましたか、英国さん」

きらきらと輝く鱗粉の中で、当の本人は不思議そうに俺のことを見返す。
その反応を見て、周囲から「えー!?」と残念そうな批判の声があがるも、それすら見えず聞こえずで、仕方なしに俺は軽く咳払いをした。
…まあ、そうだよな。普通はな。
氷島とか諾威とか、やっぱりこの辺の奴じゃないと見えないのかもしれないな。

「ああ、いや…。何でもない」
「そうですか?」
「何だ~。やっぱりこの子も見えないんじゃない!」
「本当にLittleと一緒じゃないか」
「…それより、お前さっき転んだりしたんじゃないのか」
「え…」

うっかり友達たちの言葉に返しそうになるが、何とか入り乱れる会話を聞き分けて言ってみる。
言い当てられた日本が肩を強張らせてぎくりとした。

「し、してませんよ。まさか転ぶなんて、そんな、あるわけないじゃないですか」
「カッコつけ!」
「ウソだよアーサー!悲鳴あげてコケてたんだよこの子!」
「慌てて立ち上がって、真っ赤な顔してあの趣味悪いコートの裾ぱたぱた払ってたのよ」
「言い訳なんて男の子らしくないわ」
「…」

周りを囲んでいた連中が、俺に言い付けるのと否定する日本を説教するのに分かれてわあわあとソファセットの周辺は賑やかになった。
…ああ、なんか。懐かしいな。
全然似ても似つかないのに、目の前の少し赤くなってる島国に、ムキになって否定してる小さい頃の米国が重なった。
こいつらの言うとおり、庭で転ぶと絶対左膝を擦ってくるんだよな。
庇うときに癖になっていたのかもしれない。
すぐに手当しないと膿んじまうのに、俺がコケるわけないだろ!とか言って、やっぱり見えない俺の友達たちに男の子らしくないだとか、そんなんじゃ紳士になれないぞとか…。
…場が収まりそうもないんで、一度目を伏せて浅く息を吐いてから、腰を浮かせていったん部屋を出た。
近くのメイドを呼んで救急箱を受け取り、また部屋に戻る。
日本が座ってる場所と少し間を開けて隣に座ると、箱を開けた。

「…ほら。見せてみろよ。左足だろ」
「いえ、そんな…」
「膿んでたらどうするんだよ。傷はすぐに治すもんなんだぞ。そんなんじゃ立派な紳士になれないからな」
「紳士…?」
「ん? ああ、いや…。…いいから貸せよ」
「…」

言ってやった後も少し時間を取って躊躇った後、日本は座っていた場所を少し端にずれると背を屈めて革靴を脱いだ。
脱ぐ瞬間、がぽりとやけに大きな音がして違和感を持った。

「…」
「私としたことが注意力散漫で…。お恥ずかしい限りです」

左足をソファに乗せた後で、少し大きめのスラックスの裾を捲り上げる。
晒された左膝は、擦り傷になってはいないものの、青痣になっていた。
俺の肩や日本の肩に乗っかって覗き込んでいた妖精たちも、血が出ていたり膿んでいなかったりしたのを見てほっと息を吐いた。

「湿布でも貼っておくか」
「すみません…」
「なーんだ。血は出てないのね。よかったね、Dolly」
「膝はな」
「え? …うわあ!?」

日本の脹ら脛に片手を添えて、問答無用で下からぐいと上へ持ち上げる。
必然的に日本の上半身がソファに落下して、肘掛けに後頭部ぶつけて仰向けに倒れる形になったが、そんなの無視してソックスを脱がしにかかった。

「な、何…っ」
「そのふざけた靴は何処で買ったんだ。言わせてもらうが、デザインは最悪だ。その上合わない靴を何で履く」

片足掴んで半ば無理矢理脱がせると、案の定、後ろ踝が横にラインを引くように切れて血が滲み出ていた。
やれやれとため息ついてから、脱がせたソックスはくるっと丸めてぽいと背後に捨てる。
傷見た周囲の連中が悲鳴を上げた。

「痛そう!」
「それで転けたんだろ」

救急箱から適当な消毒薬を取り出し、手際よく処理していく。
軽く見せると調子に乗ってまたちょろちょろ怪我も気にせず動きまくるから、大袈裟に包帯を巻き終わった辺りで、はた…っと目の前の相手が米国じゃないことを思い出したが、今更取るのも馬鹿馬鹿しくて、そのまま終了しておいた。
お陰で、ぱっと見少し大袈裟な患部になった。
所在なさげにいそいそと片足をソファから降ろして身を起こす日本を尻目に、箱の蓋を閉じ、その場でまたソファに深く腰掛けて一息つく。
ついた後で、またすぐ腰を浮かせた。

「俺の得意先の仕立て屋呼んでやるよ。ここで待ってろ」
「い、いえ…!そこまでしていただかなくても…」
「俺ん家に出入りするんならそれなりの格好で来てもらいたいんでな。…ついでに、服も一式何とかさせてもらうぞ」
「それなら私も同行させてください…!」
「…? 電話してくるだけだぞ」

それなりに広い家だから少し廊下の先に歩くが、たった一本の電話を入れるのにわざわざ着いてくるメリットが思い当たらない。
思わず眉を顰めた俺に、急に日本が真剣な面持ちで顔色を青くした。

「いやあの…。お恥ずかしい話、先程からこの部屋、えも言われぬ気配がありまして…」
「…」
「あら。鈍いのかと思ったら」
「察しはいいのねー。何で見えないのかしら」
「本日は札やお守りなども持って来なかったので…。その、できればあまり一人にはなりたくないと申しますか何というか…」
「フダって何?」
「知らなーい」
「…まあ、別に構わないが」

一切見えず感じずかと思いきや、そうでもないらしい。
一人になりたくないっていうのなら着いてきても別に構わないが、結局みんな一緒に来るだろうからあんま意味ないと思うんだが。

「じゃあ行くか。本当、電話するだけだけどな」

顎で廊下へ繋がるドアを示した後でそちらへ向かうと、日本もよたよた立ち上がり、俺の後ろに着いてきた。
そんでもって当然の如く、周囲を浮いていた他の連中も持ち前の音色と一緒にくすくす笑いながら着いてくる。
日本の言う気配は当然拭えていないらしく、廊下に出て歩いている途中盗み見ても、やっぱり微妙に青い顔をして緊張している横顔が伺えた。
それはそうだろう。
俺たちの周囲を相変わらず数匹が取り巻いてるんだから。

「…怖いのとか苦手なのか? 平気そうなのにな」
「いえ。道具さえあれば大丈夫なのですが、旅先なもので」
「ふーん…」
「私たちのこと怖がってるのかしら」
「でも、Littleみたいにアーサーにしがみついて歩かないだけ頑張ってるわよ~」
「いや、Littleだって昼間は一人で歩けたよ」
「廊下とか、着いていくと泣きそうな顔して全力疾走だったけどね」
「ちょっと驚かせてみちゃう?」
「おいお前ら、そ…」
「え…?」

変なことになる前に止めようと思って振り返った時はもう遅く。
周囲に散っていた連中はさっきのたった一言で、謀っていたかのように日本の背後に回っていた。
反射的に片手を少し上げるも、俺が止めろと言う前に、誰かの、いっせーの!の一言で、それぞれが思いっきりきょとんとしていた日本の背中に息を吹きかけた。
途端、ブラックパールみたいな両目を見開いて、日本が両肩を上げる。
細い髪がぶわ…っと猫の毛みたいに一瞬広がった気がした。

「ひ…!!?」
「おわ…っ!」

この場から逃げだそうとしたのか、肩越しに背後を気にしながら、日本が飛び退くようにその場から一歩前に出たんで、たまたま片手を上げてた俺の中に突っ込んできた。
どん…!という衝撃が胸に当たり、危うく俺も背後から転倒しかける所を何とか踏ん張る。
一瞬閉じた目を開くと、あんまり嗅ぎ慣れない香りが鼻孔を擽ってくしゃみが出そうになった。
背後からの刺激に逃げ出したかっただけかと思ったがそうではなかったらしく、日本はそのままがっしと俺の服にしがみつくと面白いくらい真っ青な顔してこっちを見上げた。
腕の中にすっぽり収まる感覚に、思わず少し彼の背に両手を添えて受ける。
…。

「ぃいいい英国さん英国さん英国さん!!今何かこうよく分からない生温かいものが唐突に背中を撫でた気がするんですけど!っと申しますか先ほどのお部屋でも実を言うと複数の気配を感じておりまして一度お祓いした方が絶対いいと思うのですが何か止ん事無き謂われがあったりなんかしないですかこの館は!!」
「…」
「英国さん!ちょ…英国さん!!」
「え…? あ、ああ…」

青い顔でがしがし揺らされて、白紙だった意識が戻ってきた。
いつも静かな日本がパニクるのがちょっと意外だったが、取り敢えず落ち着かせようと細い肩に片手を置いてやんわりと距離を取った。
きゃはははと甲高い笑い声が響く中で両肩を落とし、落ち着くよう促す。

「別に何もねえよ…。平気だって。風が吹いたんだろ」
「ですが今絶対…!」
「なら俺の前か隣を歩いてろ。背後から吹いたんなら、俺が風よけになってやるよ。…それよりお前」

スーツに皺を作る手を取り払って、皺になった二の腕の所を手で撫で終わったところで、

「あったかいんだな」

何気なく、さっき感じたことを伝えてみた。

 

 

 

呼んでやった靴屋は俺以上に主人に合わない靴に憤慨していた。
ついでに呼んでやった仕立て屋の方も日本のセンスに呆れていて、両者共にさんざん日本の体を測ってああだこうだとレクチャーして帰っていった。
本当に着せ替え人形のようにあれこれ試されているその様子を、離れた部屋の端にあるイスに座って遠巻きに眺めていた。
久し振りに家の中が賑やかになった気がした。
忘れないうちにメモをしておかねばとか言い出すんでノートを一冊あげたが、それが書き終わると次の予定があるらしく、日本も俺に感謝すると帰ることにしたらしい。
そもそも、ちょっと寄って話そうって思って来たのだったら、仕立て屋呼んだり何だりは予想外の時間ロスになったはずだ。

「…」

玄関までは送ったが、門の所までは行かなかった。
最初に日本が来たことに気付いた時と同じく、書斎の窓からレースのカーテンを手の甲で持ち上げて庭を見下ろす。
薔薇の庭を左右に、一本伸びるレンガ道を、やっぱりちょこちょことディープグリーンの影が歩いていく。

「なんか楽しかったね」
「…そうか?」

友達の一匹が俺の左肩に降り立ち、片手を俺の頬に添えた。
他の奴らは窓に張り付き、散々手を振っている。
中には実際に壁を通り抜け、日本の元へ近寄っていく奴もいた。
久し振りに客が来たことが、こいつらにとってはとても愉快だったらしい。
…レースを押さえていない方の手を、腰に添えて浅く息を吐いた。

「つっても、あいつだって仕事だろ」
「えー? Dollyも楽しそうだったよねえ?」
「ねー」
「アーサーに足首の手当してもらってるとき、すごく嬉しそうだったよ」
「…」

まさか…と思って反論しようとした時、不意に日本が庭の途中で足を止めて俺ん家を振り返った。
支えていたカーテンを下ろすよりも先に目が合ってしまい、何故かぎくっと身を引く。
強張った俺とは対照的に、日本はその場でこっちに向かって足を揃えるとかぶっていた帽子を取って深く一礼した。
少し迷ったが、ちょっと片手を上げてみると、慣れない様子で日本も少しだけ片手を上げた。
何か無駄に照れて、それを見た直後すぐにカーテンを払うとデスクの方へ引っ込むことにする。
…俺がどかっとチェアに座って足組んだのを見て、散っていた友達たちがまた傍に集まってきた。

「ねえねえ。Dollyにしようよアーサー」
「何が?」
「新しいお友達」
「どうだろうな。その辺は俺じゃなくて上司次第だろ。仲良くしろよって言われりゃするし。……まあ、でも」

両腕を伸ばして、右手の指先で軽くリズミカルにデスクを叩いてみる。
次の言葉をどうしようか迷っている途中で指先を止め、じっと右手を見詰める。

「いいけどな。別に。…それでも」

顎を引いて、何とか小さく呟いた。
指先にまだ、数十分前に受け取った他人の肌の温度が残ってる気がした。

A trifling signal



二年後。
独逸を口説きに行った時とは比べものにならないくらい時間を取って準備してる俺を見て、誰かが言った。

「なんかさー。Dollyだけ特別っぽいね」
「ねー」
「あ…?」

でもその時は、まだ鼻で笑って"そんなわけねーだろ"と返すことができていた。



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ふぉーるいんらーぶ!
本命を前にわたわたしている紳士も好きですが、クールビューティも好きです。
恋は人を変えちゃうね。
2012.9.3

余談:ブーア戦争

別名、南ア戦争。
若しくは、ブール戦争。
南阿弗利加のブーア人の国、トランスヴァール共和国とオレンジ自由国に対する、英国の帝国主義的侵略戦争。
ブーア人とは、17世紀半ば頃から南阿弗利加に移民した和蘭系住民のこと。
和蘭東インド会社の呼びかけで、南阿弗利加に移住しケープ植民地を建設したが、ナポレオン戦争収集会議であるウィーン会議で、この土地は英国領となる。
そこでブール人はその土地を脱し、北東に移動し、そこでトランスヴァール共和国とオレンジ自由国を建国した。
しかし、それまで英国で代表的な南阿弗利加の植民地経営政治家であったセシル=ローズの失脚後、英国政府は彼を追放した後で、同地方のダイヤモンドや金の獲得を狙って本格的な侵略を開始。
両国は同盟をして抵抗したが、遂には敗れて英国に併合された。
彼らは阿弗利加の地において強い白人主義を取り、後に問題化する黒人差別政策の推進した。






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