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「よいせ…っと」

両手で抱えていた分厚い本数冊のうち、一番上がバランスを崩した為、右足を上げて下から支えつつ、片手でずれた上の本を元通り重ねて揃え、足を下ろした。
…ふう。
新聞部で載せる記事の為に過去の資料や文献を探すのはいいのですが、片付け役としてはなかなかに一苦労です。
独逸さんは元通り戻してくださるのですが、どうにも伊太利君には苦手なことのようで。
部室のテーブルに規律無く散っている様子を見かけてしまえば、見て見ぬ振りも出来ず、どうしてもこうして戻さざるを得ないというわけです。
第一、学校図書館の貴重な資料ですから。
借り出した以上は戻さない訳にもいかず、あのまま部室に置いてあっていつ汚れてしまうかとはらはらするよりは、さくさくと戻してしまった方が気が楽です。
…校舎とは別に用意されている専用の建物。
大きくレトロで立派な学校の図書館へ入ると、すぐ入口にあるカウンターで司書の方に頭を下げた。

「こんにちは。御世話になっております。本を返しに来ました」
「はい、分かりました。では、そこに置いておいてください」
「あ、いえ…。良かったら、返却処理したら元あった場所に戻しますよ。お忙しいみたいですし」

カウンターには、夏休みとうこともあってか、山のように本が積まれていた。
それを司書の方二人でせっせと処理しているところだったようだ。
この量に私が抱えている分厚い本数冊を入れるのは面倒だろう。
常々図書館を利用している者として、出来る限り負担は減らしたく思うのが人情。
度々新聞部としてもプライベートでも利用している手前、司書の方は私のことをよく知っていて、二人揃って顔を見合わせてから微笑んだ。

「それじゃあ、申し訳ありませんが…。お願いできる?」
「勿論です」

司書の方に返却処理をしていただいて、私はそのまま抱えてきた本を持って図書館の奥へと進むことにした。

最愛なる我が暴風



世界WWW学園。
我が校の図書館は五階建てで、誇るに相応しい蔵書量と貴重資料を抱えていることは、生徒の誰もが知る所だ。
随所にある博物館へも、偶に貸出を行っている程。
建物内部は、勿論足下から天井まで各階ともずらりと本が並んでいます。
…ですが、難点といえば増築を何回か繰り返した建物である為、場所場所にとっては迷路のように入り組んでいること。
中には、通路途中、一部が私がやっと通れる高さの場所もあったりして。
なかなかデンジャラスな空間です。
そして、私が今手にしている資料は、そのデンジャラスな場所にあるもので…。
おそらく存在を知らない生徒が大多数であろう、奥にある細い階段を下っていって、狭い通路を抜け、まるで森の奥へ奥へと行くように知識の杜へ踏み込んでいく。
入口付近にいた利用者も、当然進んでいくごとに減っていき、今では周りに人影は無かった。
また、学内の端に設置されている図書館では周囲の建物の音が遠く、殆ど無音に近い。
おそらく、怖い話や幽霊などが苦手な人は来られないだろうな…と思う程に人気が無く静まりかえっている。
…早く終わらせて帰りましょう。
ポチくんが家で待っているでしょうし。

「…おっとっと」

目的の本棚も近くなり、また足を止めてバランスが崩れた本を持ち直していると…。

「――」
「――…」

人気の無いこの近辺で、人の声が聞こえてきた。
もうここまで奥に来てしまえば声を抑える必要もないように思うのですが、それでもぼそぼそと努めて小声にしているご様子。
…何でしょう?
軽い興味が勝って……というか、元々そちらに本棚があるので行かざるを得ないのですが……、足音を忍ばせて近づいてみると、間に挟んだ本棚の隙間から、見知ったお顔が拝見できた。
金髪碧眼、特徴のある眉。
泣く子も黙る生徒会長殿。
…英国さんだ。

「――…だからな、」

どこか冷めた様子で、英国さんが目の前の人物に何事かを語っているのが少しずつ聞こえてきた。
私の角度からでは相手が誰なのかは分からないが、小柄であるように思える。
女子生徒のような気がした。

「悪いが、お前の気持ちには応えられない。俺は、お前にパートナーとしての魅力は感じない。何度も言ってるだろ?」
「…!」

はっきりした英国さんの声が聞こえてきて、思わずぎくりと内心震えた。
ま、まずい、これは…。
どう考えても告白シーンじゃないですかー!
何て境遇に鉢会たってしまったんでしょう…!あわわわわ、これはまずい…!
ひーと内心悲鳴を上げつつ、行くことも引くこともできずに硬直するしかなかった。
聞き耳立ててる訳ではないのですが、さっきよりもお互い声量を上げたのか、声は筒抜けで聞こえてきてしまった。

「もういい加減にしてくれ。恋するのはお前の自由かもしれないが、のし掛かってくる片想いも正直面倒臭い。俺はこういうの苦手なんだ。スッパリ諦めてくれないか。部活と生徒会で忙しいのは、お前も知ってるだろ?」
「で、でも…! 先輩、恋人はいらっしゃらないんですよね…!?」
「いないからってお前に靡くと思うのか? …お前みたいなのが一人いると、他の奴らも突っ込んで来るんだよ」
「可能性はゼロとは言えないじゃないですか…!」

「…」

うわあ…。
やはり、相手は声からして女子生徒のようだ。
英国さんを"先輩"と呼ぶからには下級生なのだろう。
居たたまれなくて、抱えている本の表紙を見つめながら、すっかりかたまってしまっていた。
他人事でありつつも、どきどきしながら話を聞いてしまう。
どうやら、一度玉砕してからも諦めずに…ってところでしょうか。
ふああ…っ。
最近の女子はお強いですね…。
英国さんがモテるのは周知の事実なので当然私も知っていますけれど、確かに恋人がいるとは、新聞部に身を置く私でも聞いたことがありません。
…なるほど、"恋愛は面倒臭いタイプ"なのですか。
クールですね!
お見逸れいたしました、流石は仕事に明け暮れる生徒会長殿でいらっしゃる…!
かっと右手の拳を握る勢いで、一度ぎゅっと目を瞑る。
ああ、私もあんな風に堂々としていられたらと思うけれど、二、三度告白を受けた時はわたわたしてしまい、相手の言い様に解釈されるような当に惨めな態度しかできませんでしたから、素直にあの態度は格好いいなと思えます。
尤も、私の場合は何故か他校の同性からでありまして、理由を聞けばぱっと見小柄なせいか、女子に思えるとのこと。
自分で何もできなかったので和蘭さんや米国さんが払ってくださったのですが…。
…ああ。
思い出しただけでも何と惨めな…。
それに比べて英国さんは流石に手慣れていらっしゃ――。

「…」
「…!?」

死角になっている相手が見えないだろうかと、前屈みになって並んでいる本の間から向こう側を覗き込んだ途端、ふらりと場凌ぎ気味に泳いでいた英国さんの視線とバッチリ合った。
びば…っ!と澄んだ碧眼と目が合い、意図せず肩を揺らし、ひ…と呼吸を引きつらせるしかできない。
まずい、と思う間もなく…。

「…」
「せ、先輩…?」

不意に、英国さんが止めていた足を動かし、かつかつと大股で歩き出した。
当然、行き着く先は私が硬直している本棚であり、礼儀正しく縦列に並んでいるその端へ手をかけて顔を出すと、英国さんが真っ直ぐ本を抱えて硬直している私に声をかけた。

「日本。…丁度良い、こっち来てくれ」
「え? …え?」

"こっちに来てくれ"という割りに、そのまま英国さんは私の元までやってくると、私の手から本を二回に分けて取り上げ、すぐ後ろの本棚の空いている場所へ一旦押し込んだ。
空になった私の両手のうち片腕を掴んで、ぐいと引っ張る。
目を白黒させて大した反応ができず仕舞いの私を連れると、英国さんは改めて女子生徒の待つ前へと立った。
…なるほど、下級生だ。
正面に連れ出された私の前には、小柄で愛らしい、けれどしっかりとした双眸をしている女子生徒が立っていた。
そんな彼女に、英国さんがきっぱりと告げる。

「…お前にだけは教えてやる。俺は、こいつと付き合ってるんだ」
「…!」
「昔、噂があったの知ってるだろ」

心臓が破裂するかと思った一言に、またもやびくりと肩を震わせる。
…ですが、英国さんが私を理由にこの逞しい女子生徒を断るつもりであろうことは想像に易いので、くるくる回り出す頭の中を無視して、何とか外観的には大人しく前で両手を合わせて縮こまっていた。
しかし、視線は上げられない。
己の爪先ばかりを見ている私へ、真正面から視線がぶすぶす刺さっているのが分かった。
…ううう。
両肩を上げて小さくなっている私の腰に、不意に横から英国さんが腕を回して引き寄せた。

「悪いが、今は諦めてくれ。相手いる間も、俺が他の奴に手を出すような奴に見えてるんなら話は別だが。…万一フリーになったら、また挑みに来いよ」
「…。…っ、そ、それ…それなら…!」

甲高い少女の声に嗚咽が入る。

「それなら…。隠さないでくださいよ…!」
「…悪かった」
「…っ」
「ぁ…」

女子生徒は、くるりと踵を返すと薄暗い図書館内の通路を走っていった。
反射的に俯いていた顔を上げると、口元に片手を添え、可愛らしい少女が走る後ろ姿が見える。
別に引き留める立場でも無かろうに、やはり女性が泣いているところを見るとやりきれない気持ちになる。
…やがて、カンカンカン…と、簡易な細い階段を下りていく足音が遠くなっていった。
…。

「…。…ぶはーっ!」

その音が聞こえなくなった頃、突然、英国さんが水中から顔を出したかのように、顎を上げて息を吐いた。
私の腰からするりと手を離し、そのまま近くの本棚に片腕を添えてもたれかかる。
くしゃくしゃと前髪を指で掻いて、改めて溜息を吐いた。

「あー、しんどかった…。ホント、参るよ。…悪いな、日本。助かった」
「あ、いえ…。その…」
「偶然お前がいてくれて助かったぜ。正直、滅入ってたんだ。どう断っていいか分からなかったしな。つーか、断っても来るからさ」
「…」
「…あー。疲れた」

ぐったりと本棚に背中を預けて、もう一度英国さんが溜息を吐く。
その様子が、何故か胸に痛かった。
思い出したように、何か世間話をと思い、口が勝手に言葉を繋ぐ。

「おモテになりますから、英国さんは」
「ばっか。別に、普通だって。目立ってるだけだろ、生徒会とかやってるから。…つーか、どうでもいい相手に寄ってこられたって面倒なだけだろ? 愛は、いいもんだけどさ。実際は一方通行だと重いよな」
「…」
「あ…つか、悪いな。さっきの本、返しに来てたんだろ? 俺も手伝ってやる。お礼にな。ついでに、帰りにファストフードでも寄って行かないか?」

さっきまでの真剣気味なお顔とは打って変わって、無邪気に笑顔を向けられて、素直に甘える以外には私に道は無かった。
私が隠れていた本棚へと戻り、適当にその辺りに詰められたものを回収して、抱え直す。
ただ、半分は英国さんが持ってくださったので随分軽くなりました。
私が今さっき隠れていた場所、英国さんと女子生徒がいた場所の延長線上の位置に、この本の本棚があります。
そのままもう一つ細い通路をくぐり、奥にある小さな円形ホールのような場所に、こちらのシリーズがずらりと並んでいるというわけです。
真ん中にはテーブルと椅子もあり、テスト前などに自主学習するには隠れた穴場かもしれません。
そのテーブルに持ってきた本を一旦全て置いて、一冊一冊、あった場所へと戻していく。
暫くは無言でしたが、何となく我慢がならず、私はこっそりと尋ねてみた。

「あの…。英国さんって、恋人とかつくらないんですね」
「ああ、まあ…。つくらないって訳じゃないんだが、片想い中だからな」
「え…!?」

意外な言葉に、思わず声を上げて背後を振り返ってしまった。
少し離れた場所で本を戻している英国さんが、私の声に驚いて、同じように私を見返していた。

「な、何だよ…。そんなに意外か?」
「だって英国さんですよ? 米国さんや普魯西さんと並んで我が校のイケメン筆頭みたいなもんじゃないですかっ」
「い、いけめ…。…て、ああッ、そうだ!新聞部!!お前余計な記事出しやがって、お陰で暫く廊下歩くの恥ずかしかっただろ…!」

突然、思い出したかのように本を片手にしたまま、びしりと英国さんが私へ人差し指を突き付ける。
恐らく、一ヶ月ほど前に出した臨時号の話だろう。
我が校の美男美女特集は、大変に売れ行きが好調だった。
棚に戻して空になった両手のまま、てくてくとまた本が重なっている中央テーブルに歩み寄る。

「いえいえ、ほら。報道者たる者、真実の報道と合わせて読み手の娯楽を追求するもので…」
「馬鹿な読み手育ててんのもお前らなんだからな!弁えて書けよな!!」
「そんな馬鹿な記事を選ぶのが民衆なので仕方が無いのですよ。…でも、そんな英国さんでも片想い中なんですねえ。うーん…。やっぱり恋というものは難しいのでしょうね。お相手の方は、何がご不満なのか…」
「…さあな。俺が聞きたいくらいだ」
「気付かれて…というか、意識すらされてないんじゃないですか?」

――ゴンッ。

…と、何か硬い物に何かが当たる音がタイミング良く響き、新しい本を取って棚へ向かおうとしていた私は振り返った。
英国さんが、何故か目の前の本棚へ両手を引っかけて額を添えていた。
その足下に、戻そうとしてくださったであろう本が落ちている。

「ど、どうなさったんですか?」
「…」
「結構一冊が厚いですから、気を付けないと…」

何処か怪我でもしたのだろうか。
足の爪先に落ちたとか…。
想像するだけでも痛そうだ。
折角両手に持った本ですが、そのまま動かない英国さんが心配で、テーブルの上に戻して彼の方へ歩んでいく。
私が傍に寄っても、まだ英国さんは本棚に額と手を添えたまま動かないでいた。
…?
な、何だかよく分かりませんけど、取り敢えず落ちた本を…。
彼の足下の本を拾おうと、屈み込んで手に取って表紙の埃を片手で払う。
折れていないか確認していると、上から視線を感じて顔をあげた。
…さっきまで本棚に額を添えていた英国さんが、何故か半眼で呆れたように私を見下ろしている。

「…な、何ですか?」
「…。やっぱ、意識されてないと思うか?」
「え? …ああ、さっきの話ですか。…ええ。だって、英国さん恐らくご自分が思っている以上に人気があると思いますよ。面倒見も宜しいですし、てきぱき指示なさっていて同じ生徒から見ても格好いいと思いますもの。そのお相手の方とは顔見知りなんでしょう?」
「…ああ」
「じゃ、やっぱり友達感覚なんじゃないですか? 自分にそういった気持ちが注がれていることに、気付いていらっしゃらないんですよ、きっと。その手の相手には、一にも二にも、玉砕覚悟でまず告白です!好感は、一度"友情"だと認識されてしまうと、もう"恋愛情"だとは気付けないケースが多いですし」
「…」
「まずは、それとなく伝えてみたら如何です。その時に断られても、少なくとも延々気付かれないよりはマシかもしれませんよ。意識させないことには。それに、早くなさらないと、何処かの誰かに取られてしまうかもしれませんし。…なんて。私など、恋愛相談の相手としては不適切なので、何とも言えませんけどね。……て、ん?」

立ち上がろうとした矢先、英国さんが無言のままぐいと私の腕を握って立ち上がるのを手伝ってくださった。
お陰で、す…と軽く立ち上がることができた。

「あ、すみません。ありがとうござ…」

お礼を言おうと言いかけている間に、そのまま掴まれた腕を軽く引かれて、必然的に本棚の方へ一歩踏み込む。
とん…と軽く右肩を本棚にぶつけた私の行く手を遮るように、いつの間にか英国さんが私の左右にそれぞれ両手を置いて檻のように囲っていた。
…。

「…あの。……何でせう」
「…。好きだ」
「…」

…沈黙。
元々、日光の差し込まない図書館の奥。
天井にある小さいシャンデリアの光源だけだが、それでも英国さんの頬が赤いのには流石に気付けた。
数秒間死んでいた頭が、とにかく何かを回避せねばと思って手頃な理由を見つけてくる。

「あ、ハイ…。いいんじゃないでしょーか、その…。そんな感じで……」
「お ま え がっ! …好きだ!!」
「…っ」

何か踏ん切りが着いたのか、英国さんが噛み付くように私に近距離で声を張った。
怯えた訳ではないのですが、びく…と一瞬身が震えてそのまま、更に数秒沈黙する。
…。
その後、は…っと我に返って、思わず英国さんを見返す。

「ええええ!? わ、私ですか…っ!?」
「お前以外に誰もいないだろうが…!」
「英国さん私がお好きなんですか!?」
「そうだよ!おま、今自分で言ったこと振り返れよな…!!あんなこと言われて引けるか!?」
「じょ、冗談は止めてください…!私は…!」
「こんな人気のない場所で冗談かますか!」

わたわたと彼の檻から抜け出そうと、右にある腕の下をくぐって出ようとしたが、瞬時に高度を変えられて行く先を遮られてしまった。
批難しようと咄嗟に上げた顔に、真剣な眼差しが刺さって動けなくなる。

「…あ、あの。ちょ、ちょっと…あの……」
「…お前が、俺のこと完っ全に友達だと思っているのはよーく分かった。…けど、俺はもう一歩、お前に近づきたい。結構アプローチしているつもりだったが、やっぱ一ミリも伝わってないんだな。…考えてもみろよ。どうして、俺とお前がこんなに仲いい友達やってるんだ?」
「…え?」
「クラスは違う、自宅は正反対。部活も違うし、一体何が原因で顔見知りなんだって聞いてるんだよ。思い出してみろ。俺からだろ!」
「…」

そう言えば、そうだ…。
この学校はマンモス校でもある。
いくつかの学科に別れてもいる。
その中でも、亜細亜クラスに属する私と欧羅巴クラスの彼では普通に考えて接点は無い。
時々、新聞部の関係で取材に行ったりはするが、新聞部として行くといつも英国さんはクールで、本当に必要最低限の情報しか下さらない。
…あれ?
そういえば、どうして私はこんなにも英国さんと仲が良いのだろうか…。
確か、廊下で擦れ違ったり帰りがけにお会いする時に、ちょくちょくお声掛けをいただいて、それで…。
…。
硬直する私に、更に英国さんが詰め寄り、後ろなんて無いのに、私は足を引いて踵を本棚ぎりぎりまで後ろに下げた。
…制服なので、袖が無い。
顔や視線を隠すものがなく、心許なくて顔を反らすくらいしかできなかった。

「お前、恋人いないよな。…誰か、好きな奴でもいるのか?」
「え、あ…。い、いえ…別に、そういう訳じゃ……」
「俺じゃ駄目か。面倒見もいいし、てきぱき指示して同じ生徒から見ても格好いいんだろ?」
「そ、それは一般論で…」
「お前が言ったんだろーが!?」
「言いましたけどおおおっ!」

ああっ、さっきべらべらと無責任に捲し立てた自分を咎めたい…!
図書館であるということを忘れ、お互いそれなりの声量になってしまっていたが、こんな奥まった場所、誰の迷惑になることもなければ、誰に聞こえる訳でもない。
ぜーはー…と二人して息を弾ませていると、前屈みになっていた英国さんが私の左右から手を離し、背筋を正してタイを指先で整えた。
閉じこめられていた影がなくなり、追いつめられていた感が、少し和らぐ。

「…ま、とにかく。そーゆーわけだから。返事はすぐじゃなくてもいい。…つか、時間空いてもいい。まず意識させないと話にならないんだろ? せいぜい、品定めでもしろよ。それなりに自信はあるんだからな。もう何年も待ってんだ。今更急ぐとか無ぇから安心しろ」
「…はあ」
「くそ…。もうぐだぐだじゃねーか…」
「…」

片手を腰に添え、がくりと項垂れた様子で英国さんは背を向け、中央の本が積まれているテーブルへと戻っていく。
…無意識だったが、その背中に何か声をかけたくて、私は彼を呼び止めた。

「…あ、あの」
「ん…?」
「英国さん…。恋人つくらなかったのは、もしかして、ずっと私のことを待っててくださったからなんですか…?」

英国さんが恋人をつくらないという噂は、かなり前からある話だ。
それこそ、噂話に疎い私なども普通に知っているくらい。
私の言葉に、英国さんは気まずそうに半眼で無関係な明後日の方向へ目線を投げてから、肩越しに私を振り返った。

「"待ってた"って止めろよ。…何か、情けないだろ。事実だけどな」
「…」
「言えばいいって分かってたけど…。俺だってよく分からないんだから、仕方ないだろ。自分から誰かを好きになったことなんて、無かったんだからな」
「…」
「…。何だよ」
「い、いえ…!あの、ありがとうございます……」
「…!」
「す、すみません、私…。鈍くて……その…」
「…」

自分の鈍感さが恥ずかしい。
穴があったら入りたい…。
いつの間にか真っ赤になって、ついつい着物の癖で片腕を前にして、袖の広くない制服のシャツで口元を覆った。
暫くそのままでいたが、少々に迷った後、英国さんが再度私の方へ足を進めてきた。
かつかつ…と静かに歩くその足音に一瞬怯えるが、怯える必要はないのだと自分に言い聞かせ、今度は後退を拒んで待ちかまえる。
…私の前まで来ると、ぴたりと足を止めた。
この距離で向かいあうと、やはり背が高い分顔を上げる必要がある。
真剣な顔をされると、造形的にやはり見惚れてしまう。
しかし、尻込みはしないよう気を付けながら見つめ返していると、英国さんが一呼吸吸って口を開いた。

「…。日本。好きだ。ずっと前から」
「…」
「もし今、好きな相手がいないってだけなら、俺と付き合ってほしい。…好きにならせてみせるから」

ぶぼ…っと顔から火が出た。
確かに当たって砕けろとはいいましたけど、ふ、普通、こんなストレートに来ますか…!?
真摯な言葉がまっすぐ胸に来る。
確かに言われているのは自分なのに、どこかで映画でも見ている気になっていた。
これが映画だとするならば、当然それは恋愛映画で、告白を受ける方の言葉は決まっている。
第一、無視していたけれど、どなたかが英国さんへ想いを告げたという噂を聞く度、"モテますねぇ"などと雑談しながらも何気なく痛んでいた胸の内が何であるかは、知っているのだ。
顔が赤くなり、心臓がうるさい。
どくんどくんと脈打つその音を払い除けるつもりでぐっと一度拳を握り、本を持ったまま、両手を前に添える。

「あの、じゃあ…。不束者ですが…。…どうぞ宜しくお願いいたします」

足を揃えて深く頭を下げる。
下げた頭を上げると同時に、正面からタックルのような勢いのある包容が来て、後頭部を軽く本棚にぶつけてしまいました…。

 

 

 

 

…で、そんなちょっぴり感動的な告白シーンの後。
テーブルの上に残っていた本を全て本棚へと戻し、後は帰ればいいのですが…。

「…。あの…」

軽く十五分ほど経過した気がする。
とうとう居たたまれず、私はぎくしゃくと硬い身体で何とか口を開いた。
本が無くなったテーブルを見つめたままでいる私を膝に乗せ、英国さんが背後から抱き締めたままもう結構時間が経つのですが…。
相変わらずじゃれつく犬のように、英国さんが飽きる様子はない。

「英国さん…。楽しいですか?」
「…めちゃくちゃ楽しい」
「…」
「やっぱりお前、抱き心地感が半端ないな。柔らかいし、いい香りがする。…何の香水だ? ウッド系だろ」
「香水なんて、付けていませんよ」
「…? そうか?」
「お香でしょうかね」
「へえ…。いいな。こう…ふわって来る」
「…!」

何気なく耳元で笑われるのもくすぐったいが、不意に後ろから髪を撫でられて驚いた。
男児が誰かの膝に乗る機会など、もうこの歳になると絶対に無かろうなと思っていましたが…。
なるほど。恋人がいるとその機会は多少なりともあるようで…。
他者の膝はふわふわと心地良く安心して、微睡みを誘うような気もするが、如何せんまだ緊張でリラックスはできない。
…しかし、英国さんは楽しいとおっしゃっていますけど、本当に楽しいのでしょうか。
こんな、ただ座っているだけなんて。
それよりは、下校の準備をして何処か遊びに寄ったりした方が楽しいような気がするのですが…。

「…。あの、英国さん」

もし私と一緒にいて退屈させてしまってはと思い、腕の中で背後を振り返り、英国さんを見上げる。

「ん?」
「本当に楽しいんですか?」
「ああ。一緒にいるだけで楽しい。そんなもんだろ?」
「そりゃあそうかもしれませんが…。ですが、一緒にいたところで、特に何もしていないのに。折角ですから、もっと他のことをしませんか」
「…」
「…へ? …うわああっ!?」

言うが早く、唐突に英国さんが私の脇下に手を添えて、ひょいと体を持ち上げた。
そのままくるりと半天させ、今まで同じ方向を向いていた私の身体が横向きになって彼の膝に落ちる。
さっきよりもよくお顔が拝見できた。
何がなにやら、きょとんと目を丸くする私の前で、英国さんが片腕で私の肩を背もたれのように抱いたまま、ずいと顔を詰める。

「それは、"OK"だな?」
「…。は?」
「YESだろ?」
「…はあ」

急に詰め寄られ、よく分からないので首を傾げつつ曖昧に返事をしておく。
今はちょっと話の筋が分からないですが、これ以降の会話で英国さんが仰っていることを察せるだろう。
なんとなーく話を合わせて、会話が後半になってその話題が分かるとかはよくあることだ。
…しかし、今回は何かちょっと違ったようで。

「んぐ…っ!」

ぽけ…と膝の上に座ったまま大人しくしていると、不意に英国さんが私にキスをなさった。
角度を付けた唇に緩く空いていた口が奪われ、柔らかな感触と適度な温度が口内を犯す。
ちょ、ちょ、ちょ…っ。
一瞬遅れてばたばたと慌てだし、私は膝の上に重ねていた両手を上げて英国さんの肩を押し返した。
私の反抗を得て、あっさりと顔が離れる。
呼吸のリズムが持って行かれたせいで、変な所に空気が入り、げほげほと噎せてしまった。

「げほっ、けほ…!」
「おいおい…。大丈夫か?」

片手を口元に添えて噎せている私の髪を撫でながら、苦笑する英国さん。
その一方で、制服のタイに指がかかり、はっとして顔を上げた。

「ちょ、ちょっと待ってください…!」
「ん?」
「まさか、ここでやる気ですか…!?」

恥ずかしいが、隠していても仕方がない。
ざっくばらんに尋ねると、英国さんは少し意外そうに眉を寄せた。

「え…。いいだろ?」
「よくありません!図書館ですよ?」
「誰も来ないだろ」
「そういう問題じゃありません。公共の場、しかもついさっきつきあい始めたばかりじゃないですか…!」
「燃えるよな」
「違う!」

へらっと嬉しそうな照れたような笑顔に思わず突っ込む。
駄目だこの方…!
確かどこかでむっつりだと噂は聞いたことがある気がしますけど…!
眉間に皺を寄せている私に気付いたのか、英国さんが不意に手を止めて私の耳にキスしてから額を寄せてくる。

「…駄目か?」
「う…」

小声でぽつりと尋ねられ、喉まで来ていた制止の声が霧散してしまった。
…何ですか、その捨てられた子犬みたいな目と態度は。
ぴたりと止まってしまった私へ、再度キスしてからゆっくり指で襟元のタイを外される。
長くて白い指が、鎖骨の上で結んでいたタイを左右に開いてしまった。
…あうあう。
どうしましょう…だってこんな、準備も何も…。

「別に最後までやろうってわけじゃないって。勿論そんなことはしない。ちょっと触れるだけだ」
「…。ちょっと…ですか?」
「少しでいいんだ。触らせてくれないか。嬉しすぎて死にそうだ」
「…ううう~っ」

為す術もなく呻くことしかできない私に小さく笑うと、英国さんは楽しそうにそのままシャツの釦を外しにかかったが、震えて何もできない。
第一、夏用ベストを着ているものですから、シャツの釦をいくら開いたところで、せいぜい胸元が晒される程度だ。

「ひ…!」

開いた胸に、ぴたりと英国さんが掌を添え、驚いて硬直した。
流石にパンツを握っていた両手も浮いて、その白い手首に添えるしかなかった。

「あ、あのっ、あの…!」
「よかった。ドキドキしてる」
「あ、あ、当たり前じゃないですか…!」
「…。日本、お前もしかして、誰かと寝たこと無いのか?」

直裁な質問に、顔が一気に火照った。
…いえ、元々火照っているのですが、更に。
え、ええ ええ、そうですとも…。
ありませんとも、経験は。
童貞で申し訳ありませんねっ。
多少むっとして、両目を伏せる。

「…。な、無いですよ…」
「っしゃあ…!!」

言った直後、英国さんが私を抱いていない左手で拳を作ってガッツポーズをした。
そ、そこ喜ぶところなんでしょうか…。
別段女人ではないのですが…。
…むむむ。
一方的に言われているのが嫌で、口元を指先で軽く押さえ、嫌味を一つ。

「英国さんは、経験が豊富なご様子で」
「あ? …あー」

さっと目線を反らす英国さんがちょっと本気で恨めしい。
なるほど。
ご経験がおありなんですね。
…まあ、そうだろうとは思っていましたけれど。
何度も言いますが、人気がおありの方ですし。
前例があるということは、比べられるということです。
自分に自信がない分、それはちょっと胸に痛かった。

「…」
「や、拗ねるなよ…。これからお前も豊富にしてやるから」
「主旨変わってます、主旨。…もう。ふざけないでください。そろそろ帰りましょう?」
「いや、もう少し」
「…!」

てっきり同意してくれるかと思いきや、英国さんはまるで人形でもそうするかのように膝の上にいた私の身体を抱き上げると、テーブルの上に座らせた。
着崩れたシャツの襟を握ったまま、何もできずぽかんとしていると、目の前で椅子に座っている彼の手が膝にかかる。
どこか溶けたエメラルドの双眸が、分かり易く欲情していてぎくりとする。
誰かと交わしたことが無いのは本当で、だからそういった最中独特の視線や雰囲気にも慣れてはいない。
急に、目の前の見知った友人が少しだけ怖ろしく見えた気がした。
にこにこ微笑しながらも、伸ばされた手の指先が解けたタイの一方をくるりと弄ぶ。

「…やっぱ可愛いな。ぞくっと来る」
「い、英国さん…?」
「あ…。わ、悪い。…怖いか?」

急に我に返ったように顔を上げて私を見上げる。
策士のような態度とその捨てられた犬のような態度を交互にされると、私としても対応に困るのですが…。
取り敢えず今は私の知っている英国さんで、タイを弄んでいた手で私の片手を握ると、宥めるように柔らかく言葉を発した。

「ちょっと嬉しすぎて、どうにかなりそうだ。…今日はホント、お前に何かさせようっていうんじゃないんだ。ただ、いちゃいちゃしてたいだけっていうか」
「あ、はい…。そうだろうとは思っていますけど…」
「…キスしていいか?」

求められると困ってしまう。
無言のまま精一杯の意思表示でこくりと頷くと、英国さんの両手が私の顔を包み、下から掬い上げるようなキスを与えられた。
…さっきディープキスかまされましたので、当然今回も舌が入り込んでくる。
そんな気はなくても、ふにゃりと身体から力が抜けていくのが分かった。
…。
慣れてるなあ…と、ぼんやりと思ってしまう。
そんな彼が長い間私のことを想っていたなんて、未だに信じられない。
為す術もなくぼんやりと身を委ねていると、頬に添えられていた両手のうち左手が、するりとそのまま下に下り、首を撫でた。
それだけで反応しそうであったのに、そのまま更に下降し、開いていたシャツの内側へ滑り込む。

「…!」

流石に焦って英国さんの手に手を重ねてみるが、何の抵抗にもならなかった。
下着代わりに着ているタンクトップのインナーの上から、触ったことなど無い胸の突起に指が伸びた。
硬いような柔らかいような、擽られているような感覚が背中を迫り上がり、震えてしまう。
何処を触っているんですかー!…と怒鳴りたくても、キスで口は塞がれているし、第一交わしている口付けのせいで結構な体力を削ぎ落とされていた。
よく分からないのですが、本当に身体に力が入らなくて…。
折角唇が離れても、一呼吸後すぐにまた重ねられてしまう。

「ん…。っはぁ……」

ぴちゃ…と軽い水音を残して、唇…というか、舌が離れる。
たったそれだけのことなのに、短距離走でもしたかのように息が切れた。
くらくらと貧血になりかける。

「…っ」
「過敏だな…」

少し驚いた様子で、英国さんが私に告げる。
淫乱と言われたようで、ぐっと詰まった。
そんなことは断じて無い、はずです…!
身体に触れている彼の手をぐわしと掴む。

「いつまで胸に触っている気ですか…!離してくださいっ」
「気持ち良くないか?」
「き、気持……ち、いいですけど!」

否定はしかねる。
しどろもどろで迫力無く言うと、英国さんが擽ったそうに笑ってから片手を私の頭上に置いた。
子供をそうするようにとても柔らかく撫でる。

「そっかそっか。良かった。俺らあんまり性別とか関係ねーけど、やっぱ身体が同性だからな。触られたって気持ち悪いだけってタイプもいるし、チェックしとかないと。辛いだけなら、そーゆーのは止めないとダメだろ」
「え…。あ、はい…」

急に少しだけ真面目な話が差し込み、私はその豹変に付いていけずにこくこくと頷いた。
…常々、廊下で擦れ違う時と生徒会室でお会いする時の二面性に内心驚いていましたが…。
そういえば、さっきも女子生徒を相手にしている時は非常に冷静でしたのに。
今は何というか…ふにゃふにゃしているというか、普通というか……。
…。
ぼーっとしていると、英国さんが私の手を握って、あやすようにちょいちょいと上下させて遊び始める。

「…♪」
「…。色々な顔をお持ちなんですね」
「ん?」
「私には、英国さんがよく分からないかもしれません…。…さっき、女生徒に向けていた時は、とてもクールに見えましたが、今ではまるでお子のようで…」

ころころと変わるのが英国さんであるのなら、それを引き留めて繋げるだけの器量は私には無いように思えた。
不安に思って静かに告げると、何故か英国さんは弄っていた私の手をぴたりと止め、一瞬きょとんと呆けたように見えた。
その反応が想定になかったものですから、自然と私も同じような顔をして、彼を覗き込むように見つめていた。
…一瞬の間をおいて、にっと英国さんがどこかあくどく笑いかける。

「それだけ、お前が好きってことだろ」
「…!」

曖昧に触れていた手。
指の間に突然白い指先を割り込まれ、組み合わされて顔を詰め寄られ、思わずテーブルの上で背を反らした。
見慣れているはずの碧眼が、射抜くように近距離で私の鳶色の目を染める。

「悪いが、俺は引っ付き症だし隠しはしないし見せびらかしたい方なんだ。…お前、覚悟しろよ」

たら…と冷や汗が頬に流れた気がしたが…。
宣言の後、そのまま唇を重ねられ、抵抗の言葉はどこかへ飛んでいってしまった。
…ああ。
こちらはまだ、漸く恋を自覚したかせぬかという段階ですのに…。

明日から確実に振り回される気がして、八割方の嬉しさの影で、早速後悔めいた諦めが胸に疼いた。



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学ヘタ設定。
当初浦にしようと思いましたが、流れ的に無理でした。
これから先日本は大変だ。
2013.8.23







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