一覧へ戻る


 _…ほら、このこじゃない?
 _ねてるね。

「ん…」

耳元を複数の細い音が通り、微睡みの中で布団から片腕を出し耳元を払った。
…蚊ですかね。
もう見なくなったというのに、珍しい…。
けど耳元を飛んだのはそれっきり。
払った手をそのまま布団に落とし、寝返りを打って枕に鼻先を埋めた。
…。



プレゼント



「アーサーお帰りーっ!」
「お帰りなさあーい!」

 __ぱんッ!ぱぱぱん!

…!
唐突な近距離での発砲音。
ばっと跳ね起き……ようとして、自分が椅子に腰掛けていることに違和感を覚えた。
…あ、あれ?
確か私は時間通りに就寝をしたはずが…。
顔を上げようとしても己が身動かず。
視線は両手が添えられた自分の膝に固定されたまま。
…と言うかこの左手首の飾り布は何でしょう。
幾重も疑問符を浮かべている間に、私の座る椅子の背後から、ふいっと複数の蝶にも似た羽を持つ妖精が…。
…。
妖精が!?

「おー。どうした、クラッカーなんか鳴らして。盛大なお出迎えだな。今日は何かの記念日だったか?」

視界をふわふわと漂う不可思議な空想上の美しい生き物。
その他にも何かもこもこした獣に翼が生えていたり、小人がぞろぞろ列を作って歩いていたり…。
確かに存在しているその姿に混乱しかけた頭を、良く聞き知った声が鎮めてくれた。
身体は動かせずとも、瞳孔は何とか動く。
全神経を瞳に送り、ちらりと真横へ視線を写すとドアがあり、そこに特撮紛い…とまでは行かずとも、普段と比べれば途方もないの大きさの英国さんが立っており、ぎょっとして動かないはずの身体が一瞬びくりと震えた。
身体が一瞬動いたことを察して、もう一度意識して動かそうと試みるが、やはり動かない。
私の上を、大きな英国さんの影がすっと通って行った。
妖精たちが彼に着いて回る。

「別に記念日じゃないけど、みんなでアーサーを祝おうって決めたの」
「俺を?…別に祝うことなんて何にもないぞ」
「だってアーサー誕生日ないだろ?ちょっぴり寂しそうだから、その代わりにさ」
「って言っても、たいしたことはできないけどねー」
「ケーキは焼いたよ♪」
「じゃーん!」
「お、お前ら…っ」

感激でもなさっているのか、震えている英国さんの声を聞き流して周囲の状況把握を試みる。
俯いた私の視野から見える物と言えば、重ねた自分の手、膝、座っているらしい小さな椅子。
それから、どうやらこの椅子と私が置かれている場所は飾り棚のような所らしい。
近くに観葉植物でもあるのだろう、私の斜め後ろから青々とした細い蔦が伸びていた。
自分が縮んだのであろうという事実には、思いの外早くたどり着いた。
ス○ールライトもまだ発明されていないご時世、こんなことがあり得るなんて。
身に起こったことでなければ絶対に信じられないでしょうね。
…とは言え。
状況が把握できたと言っても、如何せんこんなことになった理由が不明。
心中で深く深く息を吐いた所、部屋に音楽が流れ出した。
笑い声、歌、そして再び発砲音…あれはクラッカーだったんですね。
何やらお楽しみのご様子。
…私の背後から飛び出してきたということは、今さっき飛び立っていった彼女、若しくは彼らの悪戯でしょう。
米国さんからそれらしいことを聞いてはいましたが、よもや本当に英国さんの友人として妖精やら何やらが存在していたとは。
最近お会いする機会が多かったので、顔を覚えられて悪戯の標的にされてしまったのかもしれません。
妖精は悪戯好きと聞きますし…。
しかし、私にも予定があります。
いつまでもこのような姿でいる余裕はなく、呪術なのか魔法なのかは存じませんが、早いところ解いてもらわねば。
身体も動かず口もきけぬ以上、何とか英国さんに気づいてもらう方法を…。

「そうそう、アーサー。プレゼントもあるんだよ!」

前方でそんな声がした途端、不意に後ろ襟を何かに引っ張られた。
腰が椅子から離れ、つま先がテーブルから離れる。
宙ぶらりになった一瞬、視界に入った影。
見間違いでなければ…見間違いでなければ、ててっ天馬ですか…!?
って言うか後ろ襟を咥えて持ち上げられては着物が…っ。

「うわ…!何だそれ!」

帯と襟の合わせを押さえたくて狼狽していたが、思いの外早くつま先は着いた。
天馬が私を下ろす前に、妖精たちが先ほど私が座していた椅子を運んできては切りかけのケーキが置かれている隣に置いた。
そこに再び、そっと座らされる。
重ねていた手は流石に崩れ、くたりと身体の左右に落ちた。

「日本そっくりじゃないか。どうしたんだ、こいつ」

テーブル前のソファに座ってワインを飲んでいた英国さんが、私に驚いてグラスを置き、身を乗り出した。
私の視界がその影で薄暗くなる。
底の澄んだ翠玉瞳に真正面からのぞき込まれ、軽い眩暈を覚えた。

「“つくった”んだよ」
「“つくった”のよねー?」
「ねー」

つ、つくったって…。

「喋れるのか?」

周囲に得意げに飛び回る妖精たちにも突っ込みたいが、さも当然とばかりに投げた英国さんの変な疑問にも突っ込みたい。

「喋れないよ。まだ赤ちゃんだから慣れてないよ」
「最低でも十年は待たなくちゃ」
「ま、そんなこと言ったって一晩限りだけどね…」
「ん?何か言ったか?」

くすくす笑う彼女たちの小さ過ぎる声は英国さんには聞こえなかったらしいが、私には聞こえた。
…一晩か。
人騒がせな悪戯です。
怒る権利はあると思いますが、期限が明確に分かれば不安も幾らか和らぎ、寧ろ呆れの方向に気は向く。
パーティに欠かせないさぷらいず、というやつでしょう。
さぷらいずの範囲を超えていることに当人たちは気づいているのかいないのか。
…とか思っている間に不意に近づいてきた人差し指が髪を撫で、心音が跳ね上がった。

「凄いな。髪もちゃんと黒いし細かいんだな。肌も浅黒い」
「可愛いでしょ~。アーサーにあげる」
「一番好きなの何だろうって、みんなで色々考えたんだよ」

…。

「ああ、ありがとな。嬉しいよ。…しかし、見れば見る程そっくりだ。素材は何なんだこれ。ぷにぷにしてるけど」
「企業秘密ー!」

きゃはははと甲高い声で英国さんの友人方が笑う中で片腕を揉まれ、更にその声がはしゃぐ。
…今だけは顔が俯き気味で固定されていることに感謝した。
もう一度指先で私の髪を一撫でしてから、のぞき込んでいた英国さんが顔を離す。

「本当、みんなサンキュ。…んじゃ、こいつはドールハウスの中に入れてやろう」
『ええええええ!!?』

テーブルに片手を着いて立ち上がりかけた英国さんへ周囲が一斉に声を上げる。
空を飛べる者は我が言聞けとばかりに鼻先へ詰め寄っていった。

「いきなりドールハウスはひどい!」
「まだ赤ちゃんなんだから、一緒に寝てあげてよ!」
「そうよ!」
「な、何だよ突然…。だって寝相で潰しちまうかもしれないし…。見ろよ、こんなに綺麗なんだぞ。このまま椅子と一緒に飾っといた方が…」
『ダメーーーー!!』
「ああもう!分かった分かった!」

友人たちに責め込まれ、最終的に観念したらしい英国さんが軽く片手を払う。

「一晩だけだぞ。…ったく、何なんだよ一体。折角お前らがくれたんだから汚したくねーのに…。いいか、潰しちまっても知らないからな!文句言うなよ!」

潰す、という表現にその結果を想像し、ぞっと悪寒が走った。
そう言えば、もし今テーブルの上から落ちたりうっかり英国さんに潰されでもしたら私はどうなるのでしょう。
人形サイズになったとは言え、先ほど触られた感じでは硬度は変わらないような…。

「汚れるといけないからな…」

立ち上がった英国さんが椅子ごと私をケーキの傍から掬い上げ、テーブルから離れた窓際に置いた。
大きな指先で垂れ下がっていた私の両腕を取ると、ちょんと膝の上で重ねてくださる。
その背後で彼の友人方がくすくす含み笑いをしていなければ、もう少しばかり嬉しかったかもしれません。
窓際の人形を放置して、彼らの宴は進む。
意識が浮く前に寝ていたからか、場が落ち着くと瞼が下がってきた。
…ああ、身体は動かないというのに、目を伏せて眠ることは許されるらしい。
音楽は絶えぬものの、視界は常に己の両手と膝。
できることもすることもなく、目を伏せて深い呼吸を繰り返しているうちに、いつの間にか眠りの淵へと落ちていった。








ばふっという音と共に、横から少しの風圧。
己の横髪が目元に触れ、それで目を覚ました。
…まだ夜は明けていないらしい。
指は相変わらず動かない。

「ったく…。あいつら余計なことしやがって…。誕生日なんか別に気にしてねーのに」

英国さんの声がして、再び視線だけを動かして周囲を探る。
場所は寝室に変わったようだ。
パーティはもうお開きとなったのだろう。
英国さんの周囲をじゃれながら漂っていた友人たちも今は不在のようだ。
帰ってしまわれたのだろうか。
彼らが帰って私がこのままだということは、やはり先程聞いた一晩という期限を待つしかないのだろう。
…はあ。
動く瞼でゆっくりと瞬きし、せめてもと不快を表した。
ため息をつけないのが口惜しい。
そんなことを考えていると。

「ほら来い、dolly」

再び意志とは無関係に腰が浮く。
今度は後ろ襟ではなく片手で胴体を掴まれ、顔から火が出そうになった。
しかしそれも一瞬。
すぐに持ち直され、ベッドに腰掛ける膝の上に置かれると緩く指を添えられる程度となった。
灯りは既に消されていたが、窓から差し込む月明かりが鮮明すぎて暗がりとは程遠い。

「ドールハウスじゃなくて悪いな。…まあ、寝相は悪い方じゃないから安心しろよ。…」

人差し指が近づき、頭を撫でる。
先よりも幾許か快く感じたのは、周囲が沈静となったからか。

「ホントに似てるなあ、お前…。あいつらすげーな。…今度来たら日本にも見せてやろう。……ああ、日本っていうのがお前によく似たやつでさ」

膝に置いた人形相手に、まるで友人に接するかのように英国さんはお話になる。
表情が動けば、顔を顰めていただろう。
前々から不思議な方だとは思っていましたが、ひょっとしたら少しついて行けないかもしれな…。

「いい奴なんだ。好きなんだよな」

…。
一呼吸後の思考の中断。
…あまりにそれまでの言葉の流れの中に溶け込んでおり、あまりにさらりと発せられ、言葉を無くすことすら数秒遅れた。

「最近会ってないから…。そうだな。お前を口実に今度呼んでやるかな。会ったら驚くぞ。本当そっくりなんだ。あっちは人形じゃないが、動いてるのが不思議なくらい変に綺麗で…。あいつもお前みたいに俺ん家に居てくれねーかなー…。そしたら…。…」

続けていた言葉がそこでぷつりと途切れた。
ややあって。

「…何か、お前見てるとちょっと辛いな。会いたくなる」

…。
見たことのないような哀しみと慈しみを讃えたお顔が目に焼き付くのが分かった。
見聞きしてはいけないものを、触れてはいけないものを奪ったような気がして、自分が酷く卑怯に思え、申し訳なさで胸が絞まる。

「…っと。ガキはもう寝る時間だな。ほらよ、お休み。…月明かり差しといてやるからな。早く動けるようになれよ」

一言言うなりぐっと引き寄せられ、大きさの全く違う額を私のそれに一度添えて離れた。
潰さない為の配慮か、寝台の端の方へ丁寧に置いてくださり、布団が掛かる。
腕を伸ばして寝台の真横にあった窓をカーテンで覆い、漸く室内が暗くなりはしたものの、僅かに残した隙間から月光が一縷縦に細く差し込み、丁度横たわった私の上半身を照らす。
私を横たえた後、英国さんがベッドから立ち上がると少し離れたソファセットへ歩いていくのが分かった。
携帯電話を取りに行ったのか、ベッド傍へ戻ってきた時は耳に携帯を添えていた。
暫くうろうろし、肩を竦めて携帯を下ろす。

「…まあ、もう仕事だよな。朝だもんな、あっちは」

呟いた直後、私の傍に携帯が投げ落とされた。
僅かな振動。
…今更になって心音が高鳴り、可能ならばすぐにでも片袖で顔を覆って逃げ出したい。
再び英国さんがベッドに腰掛け、靴を脱いでから漸く両足を布団に入れた。
寝る前に本を読むのが習慣なのか、枕元から一度本を手にしたが、表紙を数秒眺めて何かを思案していたかと思うと、結局開かずして元あった場所へ置き直した。

「…」

間を置き、特別反応もできない私の脇下へ両手を入れ、赤子をそうするように低く抱き上げる。

「おやすみ、ちび助。…明日という日が、お前と日本にとって良き一日になりますように」

一縷の月光を挟んで浮かぶ絹髪に翠玉の瞳。
人形で良かったと、心から思った。
どう返して良いやら、私には想像すら叶わない。

一夜の夢。
心の何処かで絶えず、ここまで空想上紛いの体験が重なればおそらくこれらは全てが夢で、目を開ければ何事もなく床に在るのだろうと思っておりましたが…。
返り返るは我が心。
悪夢と置くには些か気が引け、今は少しばかり現実であれば、と。
祈らずにはいられない。
…そうしてまた一返し。
頭を振るつもりで気を直し、改めまして。
目覚めはどうぞ、独り我が床でありますように。







祈ったところで届きはせずに…。
翌日、盛大な英国さんの悲鳴で目が覚めた。
鼓膜を突き破る大声に軽い眩暈を覚えながら、人差し指突きつけ問う英国さんに知らぬ存ぜぬを繰り返す。

「おま…っ本当だな!?嘘言ってないだろうな!!」
「ですから…。あるがままを申し上げております」
「本当の本当に覚えてないんだな!嘘じゃないな!?信じるからな!!」
「存じませんよ。確かに何故英国さんのお宅にいるのか不明ではありますが、何ですか、その…妖精?というのは…。失礼ですが英国さんの夢の中のお話では」
「ば…っかお前!…あのな!そんなのんびりしてるからあいつらに悪戯され……って、ああっ!お前らあああっ!!」

私の背後に何かが見えたらしく、唐突に英国さんがベッドから枕を拾い上げると大きく振りかぶってドアへと投げ突けた。

「てぇんめぇええらああああ!ほんっとに余計なことしやがってこの…っ、待てコラーーっ!!!」

傍に飾ってあった甲冑の剣を抜き取ると、そのまま爪先で床を蹴って英国さんは部屋を飛び出ていく。
残った私は、先程お借りしたばかりの大きさの合わぬシャツを見下ろした後、今更ながらに袖の釦を留めた。
顔を俯けた瞬間、ちりっと眼に光が入った。
顔を上げると、僅かに開いたカーテンの隙間から朝日が一縷伸びており、私の立つ位置を細く照らしていた。

「…」

目を伏せ、片手を上げて、髪を一撫でしてみる。
どんなに意図したところで、己で撫でても優しくも快くもならない。

…嗚呼。
毒が回る。
私の平穏がまた遠退く。



一覧へ戻る


妖精ちゃんたちのプレゼント。
正面にいなければ素直爆発の紳士。
2011.10.30






inserted by FC2 system