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誰かが何処かで、僕に黄色い一輪の花をくれた。
確かな日にちは覚えていない。
ずっと前だったことだけは確か。
もしかしたら、ノーレにすら会っていなかった頃かもしれない。
吹雪だった気がする。
一面銀世界なんて甘ったるい表現なんかできない白い靄の世界の中。
本当に、葉っぱ程の大きさしかなかった当時の僕の手に黄色いふわりとした花が一輪。
誰もいない白い大地の上で、まるで小さなランプのようだった。
そんなはずは無いのに、ほんのり温かい気がして、そう思う自分が子供っぽいなと思ったことだけ、何故かよく覚えている。


Poppy




「あーいーすーらーんーどーく…」
「気安く呼ばないでよ」

庭の片隅。
作業する僕の背後に位置するそこの柵。
その向こうから飛んできた声に、振り向かず言い切る。
だって声で相手が誰かくらい分かるし、振り返る時間が無駄だ。
日当たりのいい門を入ってすぐあたりの庭端の土を、さくさくと小さなシャベルで掘って柔らかくする。
気温はまだ寒いけど、それでも最近ほんのちょっとだけ風が柔らかくなってきた。
たまの休日、そろそろ短い張るの備えとして花くらい植えないといけない。
…て言っても、日常そんなに僕自身が仕事をしている訳じゃないんだけど。
事務処理やスケジュールは殆ど部下任せで、僕は予め決められた予定に着いていくだけという感じだ。
他のみんなと違って自主的にあれこれ動いている訳じゃないけど、それでも取られる時間は一緒。
やることなすこと、基本的にどうしても公私混同になってしまうし、結局、ちゃんとした"僕個人"のプライベートタイムなんて二週間に一日。
二日あればいい方だ。
今日はその珍しい二日のうちの前一日。
邪魔して欲しくないんだけど。
そのまま無視しても良かったんだけど、背中に刺さる視線が鬱陶しい。
それに、近くで気ままに草を弄って遊んでいた友達のポニーが、無視しちゃダメだとでも言いたげに僕の背中を鼻で軽く押したから、一度目を伏せて仕方なしにシャベル片手に立ち上がる。
面倒だけど、肩越しにちらりと後ろを見た。
…案の定、庭をぐるりと囲んでいる柵の向こうに、露西亜が両手を置いて頬杖をつくっていた。
目が合うと、にこっと態とらしい緩んだ笑顔で笑う。
これ見よがしにため息を吐いてやった。

「…。何か用?」
「ううん。君に用事なんて無いけど、通りかかったから声かけてみただけ♪」
「…」

…作業止めて損した。
横目でちらりとポニーに"こういう奴だ"と目で伝えると、彼はふさふさの尾を一度振って軽く首を揺らした。
また屈み込んで、土を柔らかくする作業を続ける。
声かけて満足したなら帰れよと思うけど、露西亜は相変わらず柵の向こうにいて首を伸ばした。

「何か植えてるの?」
「あんたに関係ないでしょ」
「あ、ねえねえポニー君。それ取って見せて~」
「え? …あ、ちょっと!」

露西亜が突然ポニーに声をかけたから戸惑う間に、傍にいたポニーはぱくりと種の袋が入っているガーデニングカゴを咥えてしまった。
カポカポ…とのんびりした足取りで、柵の方へ向かい、露西亜が彼が咥えていたカゴの中から花の種の袋を取り出す。
…何でそう余計なことするかな。
今日はいないパフィンもそうだけど、僕の友達は妙に僕以外に友好的だ。
パフィンなんかは"もっと愛想良くしろ!"…なんて僕の上でバサバサうるさかったりするし。
今日はいなくてよかった…。
ポニーの姿を追って柵の方を見ていたが、もう色々諦めて再び土を掘る。
まだ土は冷たくて固いけど、サクサクという手応えと音がそれなりに楽しい。
種の袋を見た露西亜が、ぼんやりした声でその花の名前を口にする。

「…"アイスランドポピー"?」
「言っておくけど、僕の国花じゃないからね」
「知ってるよぅ」

付け加えると、心外とばかりに少しだけ露西亜が瞬いた。
勘違いする奴多くて困るんだよね。
僕の家の花じゃないから。
普通に"寒い土地"を意味して"アイスランド"だ。
確かに僕だってそーゆー意味で名前着けられたんだけど(本当にセンスがない。考える度にダンが嫌いになる)だからって一緒にされちゃ困る。
…でも、どうせ露西亜のことだから。

「でも…あはは。氷島君が自分の名前のお花植えてる~って感じだね。寒い君にはお似合いの花だし」

そういう嫌味の一言二言が付いてくるだろうとは思った。
…もういいよ。
好きに言ってればいい。
というか、どっか消えて欲しい。
僕の心中を欠片も察することなく、露西亜はひらひらと袋を抓んで振る。

「ポピー好きなの?」
「嫌いじゃないよ。…特にこの花はね」
「アイスランドポピー? 名前が入ってるから?ナルシストだね~」
「しつこい」
「あはは。ごめんごめん!」

少し強く言うと、柵の向こうで愉快そうに軽く露西亜が跳ねた。
…絶対、悪いなんて思ってないくせに。
距離があるから到底無理だけど、作業を進める僕の顔を覗き込もうとするかのように、首を傾げて身を乗り出す。

「ねえねえ。どうして好きなの? 花の形が可愛いから? 僕も好きなんだよ」
「…」

答える義理はないと思ったけど、最後の彼もこの花が好きなんだという一言に我ながら甘いが絆される。
あんまり、人と好きな花の話なんかしないし。
僕はこの花が一番くらいの勢いで好きだから、同じものが好きな奴がいるとやっぱりそれなりに嬉しく感じる。
こんな奴相手でもね。
シャベルを土に突き刺して、再度立ち上がった。
両手からガーデニング用のグローブを取る。
どうして好きか…なんて、あんまり人に言うようなことでもないけど…。
…。

「…昔、に」
「ん?」
「ずっと昔に、人に初めてもらった花が、これだったの」

グローブに付いた土を払いながら突っ慳貪に言う。
立ち上がった僕の背中に回るように、ポニーが戻ってきて、足下にカゴを置いた。
花の種はまだ露西亜が片手で持っている。
彼が、もう一度その袋を見下ろす。

「…これ?」
「そうだよ。…悪い?」
「お誕生日プレゼントとかのお花だったの? 諾威君から?」
「そこ答えるのすっごく嫌なんだけど…。たぶん、中国?」

溜息混じりに疑問系で言ってみる。
グローブをしていた両手が汚れていないことを確認してから、片方の手を首の後ろに添えた。
ちょっと凝った首を回して、それから両手を軽く後ろに広げて背筋を伸ばした。
露西亜が首を傾げる。

「中国君?」
「たぶんね。…何か、昔過ぎてよく覚えてないんだけど」

記憶はかなり不鮮明だ。
とにかく、ノーレと会うよりも前だったことは確か。
今の僕の国民は彼の兄弟だけど、その前もはっきり自我を持たないで存在だけしている時期がある。
絶海の孤島…なんて、自分のことを言いたくないけど、昔は"僕"の所に来てくれる人はバラバラなうえに希だった。
英国のお兄さんとかもよく来てたみたいだけど、覚えているのは彼くらいで、それ以外はよく分かっていない。
当時は自分が何を考えていたのか全然覚えてないし。
もしかしたら、本当に感情らしい感情はない人形みたいな感じだったのかも。
…まあ、どのみち昔の僕に会いにくる奴なんて、酔狂過ぎて笑えもしないんだけど。
少し解れた体で露西亜のいる柵に近づくと、片手を伸ばした。
種返せ、って意なんだけど、恐らく分かっている上で彼は僕の手を無視する。

「どうして中国君だって思うの?」
「何であんたに話さなきゃなんないの?」

言って、伸ばした片手をもう一度彼に突きだし、催促する。
そこで漸く露西亜がちらりと目の前に突き出された僕の手のひらを見たけど、すぐに視線を上げて相変わらず何考えてるか分からないようなぽやっとした笑みのまま、まるで餌のように露骨にぴろぴろと指で挟んでいる種の袋を揺らした。

「…」
「…♪」

半眼になる僕。
にこ~っと笑う露西亜。
…。

「っ…!」
「おっと!」

自分の中でカウントしてから勢いよく伸ばした手が袋を掴む前に引かれる。
すか…!と僕の手は空を切った。
…何なの!
むかっとして彼を睨み、そのまま何度か袋を狙って手を伸ばすけど、体全体で取りに行く僕と違って柵に片腕寄りかからせたまま右腕一本でかわす露西亜から取り返せない。
三度目か四度目当たりで、僕は手を下ろした。
短時間の運動にも満たない運動でも、息が切れて肩で呼吸する。
これくらいの、本当に些細な行動で息切れとか…。
時々軟弱な自分に腹が立つ。
少し乱れた横髪を指で梳いて、片手を腰に添えてため息を吐く。
僕が手を引っ込めたから、露西亜も手を下ろした。

「…だから!」

体力無いのがなるべくバレないように、さももう付き合いきれないって感じで目を伏せ、露骨に両肩を落として、仕方がないから教えてやる。

「よく覚えてないけど…。その花をもらったのが、相当昔なの。全然ここらじゃ見なかったような頃で。…で、それが中国の花なんだってさ」
「…これ?」
「亜細亜原産。中国の家の花」

露西亜が、手に持っているアイスランドポピーの袋を見返して瞬く。
大きくなって、文字が読めるようになって知識が付いて…。
図鑑とか辞典なんてものが世の中にちゃんと出回ったのはごく最近だし、僕がちゃんと僕の意思で動けるようになったのはみんなより随分後だから、調べて分かったのは本当にここ100年以内だけど。
読んだ本には、中国原産って書いてあった。
花をもらったのが最近ってことならくれた奴は誰だか分からないけど、植物なんかが狭い範囲で生息していたあの当時にこの花を持っていたのは、恐らく持ち主だけだろう。
だから、僕に黄色いポピーをくれたあの誰かさんは、不本意だけど中国なんだと思う。
あいつか…と、図鑑を開いて調べた直後、落胆して頬杖を着いたことを今でも覚えている。
…もっと近所の奴かと思った。
ノーレとか、英国とか。
後は王道でダンとか、ちょっと行って和蘭とか独逸とか…。
夢なんて、所詮こんなものだ。
調べなきゃ良かったと後悔してるけど、知ってしまったものは仕方ない。
何度目かになるけど、ため息を吐いた。

「言われれば、確かにちょっと亜細亜っぽい花だから納得はできるんだけど」
「…ふ~ん」
「満足? …こんなどうでもいいこと知って何したいの? 返してよ」

まじまじと袋を見下ろしている露西亜。
その手からピッ…!と袋を取り返し、彼に背を向けてまた土に向かう。
軟らかくした土の横に屈み込み、袋を開けた。
再びポケットに突っ込んでいたグローブを両手にはめて、左手の上に種を広げる。
ゴマよりもずっと小さな、さらさらとした粉末のような種。
それを丁寧に土の上に空けた小さなくぼみに入れていく。
もういい加減飽きてもいいだろうに、露西亜はまだそこにいる。
両手を柵に乗せ、のんびり僕を見下ろしていた。

「それで毎年植えてるの?」
「悪い?」
「でも、君だと枯らしちゃいそうだよね」
「…いい加減帰れば?」
「最初にもらったお花、そんなに嬉しかったんだ?」
「…」

作業をしながら会話だけしてやってたけど、最後の質問を受けてちらりと視線を上げた。
僕の手元を覗き込むようにしていた露西亜と一度目が合ったけど、またすぐ手元に下ろす。

「だって、国になる前って…。大体、寂しい頃でしょ」
「…」
「そんな時って、花一輪でも嬉しいし」

ぽつりと呟くと、嫌味は飛んでこなかった。
どうやら彼の方でも思い当たる節があるらしい。
…ていうか、誰でもそうだと思うけど。
"国"ができる前、その土地は大体荒れている。
人間が集団を作り、ある程度まとまるまでは、本当に原始的な争いがあったり、逆に生活感が何もない更地の土地だったりする。
たぶん大陸のみんなは前者なんだろう。
血生臭い争いの中から生まれてきた奴が多いはずだ。
血と死から栄養を取って生まれるようなそんな環境の方が嫌だと思うかもしれないけど、誰もいない孤独な空間でぼんやり存在が浮いている方だって、天秤で釣り合うくらいに深い虚無の中だ。
仲悪いのが嫌だとか争いが嫌だとか何だとか言っていられるのは、隣に誰かがいるからだ。
誰もいない場所に吹く風は、強く冷たい。
自分が何なのか、自覚がないままただ存在するだけの存在。
そこに手渡された一輪の花。
…季節が進めば咲いてくれるであろう可憐な花を想像して、目の前の土をシャベルの先で無意味に弄る。

「…ランプみたいにね。温かい気がしたんだよね」

当時は、何もなかった。
時々風に雪が流され、大地は元より空気まで白く染まる日が続いていた。
温泉があったから凍て付くことは無かったけど、誰もいないエメラルドグリーンの温かい泉の傍は返って虚しかった。
多少荒らされてもいいし傷付けられてもいいから、時々休むためだけに立ち寄ってくれる、草を踏んで歩く海賊が嬉しかったりする、そんなレベルの話。
あの時もらった小さな花で、僕はそれからの数年間、寂しくなかった。
動けるようになって大きくなって、くれた相手が分かったらお礼を言おうと思ってたけど…。
…。
中国なんだよなぁ…。
溜息しか出ない。
遠いしうるさいしモラル無いし、ノリが合わない。
幻滅。
…ていうか、基本亜細亜の奴らとノリが合わない。
まあ、距離があってあんまり関係持たなくていいことが幸いなんだけど。
でも、お礼言わないままっていうのも気持ち悪いから…。

「いつか、お礼言いたいと思ってはいるけど…」
「言うの? 君から?」
「いや…。だってあいつ、僕のこと忘れてるっぽいし」

一度手を止めて、むっと口をへの字にする。
元々、距離がある。
当時、あいつがどうやって僕に会いに来たのか全然分からない…し、まあ普通に考えて遭難したんだろうけど。
比較的面積が大きいといっても、僕とは離れているし、最近はよく丁抹とか瑞典の所に交渉に来てるの見かけたりするけど、僕の方には見向きもしない。
時々話すことはあるけど、素っ気ない挨拶止まりだ。
過去の話どころか、現在のプライベートな趣味の話一つもしたことがない。
まあ、変に覚えていられて馴れ馴れしくされても困るから、いいんだけど。
「あの時は花をありがとう」「は?何のこと?」とかいう流れになったらショックで立ち直れない…て言うと大袈裟だけど。
このまま想い出はきれいにしておいた方がいいのかもしれない。
けど…。
少し項垂れて、種を蒔いた場所に土を被せ、指先でぽんぽんと地面を叩く。

「…別にいいんだけどね。もう昔のことだし」
「そのうち伝わるんじゃない?」

距離のある中国の顔を思い出していると、不意に無責任な声が柵から聞こえた。
柵に両手で頬杖ついてる露西亜が、にこにこと僕に告げる。

「そういう核心めいたものって、何でだか知らないけど、知らないうちに本人の耳に入ったりしちゃうよね~」
「…バラす気?」

暗に"自分が中国に話しちゃうかもよ"と言われた気がして、きっと彼を睨み付けた。
ここに来て、話しすぎたと我に返る。
油断した。
僕があの時の黄色い花を喜んで、今尚覚えてるなんて…。
直で中国の耳に入って、しかもあいつが忘れていたら、恥ずかしすぎる。
睨んだ先で、心外とばかりに露西亜が瞬いた。

「ひどなあ。他の人にはバラさないよ~!」
「信用ならない」
「うーん…。そんなに期待されると応えた方がいいかなとか思っちゃうけど…」

顎に太い人差し指を添えて、露西亜が迷う。
…本当、妙なことを話してしまった。
僕は今度こそ手元に集中することにした。
このままじゃ、全然作業が進まないし。
本当に、この花を上手にたくさん咲かせたい。
黄色い花がたくさん咲く度に、中国に持っていってやろうかと思っているけど、それは未だに決行できていない。
けど、とびきり上手に花が咲いたら、その分僕に足りない度胸が補えるかもしれない。
そう思っている。

「…もう帰って」

短く言う。
それでも絡み癖のある彼のことだ。
素直には帰らないだろうと思ったけど、予想に反して露西亜はずっと腕をかけていた柵から両手を放した。
一歩後ろに下がると、彼の仕草に遅れて長いマフラーが揺れる。
何故か嬉しそうに柔らかい笑顔だった。

「君の好きな黄色いポピー、たくさん咲くといいね」
「どーも…」
「それじゃ、ばいばい♪」

片手を軽く挙げてから、露西亜は鼻歌を歌いながら立ち去った。
思いの外素直に引いてくれて、意外。
冷たい風が一陣だけ吹いたけど、すぐにまた調子を取り戻した春風が庭から追い出してくれた。

 

 

 

種を蒔き終わって、土を被せて水を撒く。
銀色のお気に入りのジョウロを片手に土を湿らせていると、また柵の向こうを人が通った。

「よう、氷島」
「こんにちは」
「…」

ちらりと一瞥くれると、さっきまで露西亜が居た場所で足を止めた英国と、彼のお気に入りの日本が立っていた。
…いつ見ても、変なペア。
色彩の明るい英国と暗色気味な日本が並ぶと何ともアンバランスだ。
相変わらず趣味の悪い隣人に呆れるが、当人はいかにもなどや顔で僕にアイコンタクトする。
いや…、今時デートくらいで羨ましくも何ともないから。
馬鹿なんじゃないの…て言うかガキ?
そんな調子じゃ、進展具合も高が知れてる。
デートくらいで自慢とか。
いっそ微笑ましくて彼のガラじゃないから、違和感がある。
気に入った相手は悉く力尽くで手中に収めていた帝国が、今では随分柔らかくなった。
それにしても、どうしてこう次から次に人が来るかな…。
本当に久し振りなプライベートの休日なんだから、放っておいて欲しい。
挨拶すら面倒くさい。

「…こんにちは」

英国一人だったら無視しても馬鹿にしてもいいけど、ちまいのがいるから一応形だけの挨拶をしておく。
一瞥しただけで、再度手元に視線を戻した。
ランダムに空けられた先の穴から、弱いシャワーが降り注いで小規模の地面を濡らす。
元々ガーデニングが趣味の英国は僕の作業に興味を持ったようで、腰辺りまである柵に片腕をかけた。

「精が出るな。何の種だ?」
「…ポピーだけど」

仏頂面で答えると、何故か更に興味を引いてしまったらしい。
英国が苦笑する。

「ポピーか…。お前、ほんとそれ好きだよな」
「悪い?」
「薔薇の株やろうか?」
「いらない」
「ポピー…ですか?」

僕と英国の会話を聞いて、日本が彼の隣で僅かに首を傾げた。
どうやらどんな花か、ピンと来ないらしい。
もう世界共通で"ポピー"だと思うんだけど。
彼の様子を見て、英国が軽く僕へ片手を上げて、人差し指でちょいちょいと招く。

「おい、氷島。その袋ちょっと寄こせよ」
「…何なのその上から目線」

俺様な英国の態度にむっとしながらも、空になった種の袋を軽く右手で持ち上げる。
僕らのやりとりを聞いていたポニーが運び役になってくれて、ぱくりとその袋を後ろから口でくわえた。
カポカポ進み、柵の方へ持っていく彼にその場を任せて、空になったジョウロに再び水を入れようと、少し離れた水道へ向かうため背を向けた。
ポニーから袋を受け取ったらしい英国が、それを日本に見せる。

「ほら、これだ。お前の家にも咲いてるだろ? こう…ふわっとした感じの」
「ああ…!ええ、知っています知っています。シベリアヒナゲシのことですね。確かにふわっとしていて、可愛らしい花ですよね。香りもあって…。よく聞くポピーってこれでしたか」
「…」

背後から何気なく飛んでくる会話。
その片方…日本の言葉に、ぴたりと足を止める。
体から、ざ…と血の気が引いていくのが分かった。
…。
聞き違い…?
聞き違いだろう。たぶん。
聞き違いであれ。

「…。ねえ」

青い顔をして、片手に持っていたジョウロを両手に持ち替え、肩越しに振り返る。
…止めて。
冗談じゃない。
けど、確かめない訳にはいかない。

「今…。何て言ったの?」
「え?」

呆然とした声で尋ねられ、日本が丸い目で瞬く。
隣で英国も不思議そうに僕を見ていた。

「今。…その花の別名言ったでしょ」
「…ああ」

何を問われているのかすぐには分からなかったらしい鈍い日本が、二回目にしてようやく僕の問に答える。
英国の持っている袋を手のひらで示し…。

「ケシです。"シベリアヒナゲシ"。我が家では、そういう名前で通っておりまして」
「…"シベリア"?」
「え? …あ、はい。シベリア…」
「…」

眉を寄せて聞き返す僕に少し圧され気味で、日本がこくんと頷く。

「私は中国さんから種をいただいたのですが…。確か、あとは露西亜さんもお持ちで…」

ガン…!と唐突にその場に音が響いて、日本が言葉を止める。
何か重いもので後ろ頭を叩かれた気がした。
気がしただけで、実際その音は僕の指先が緩んで持っていたジョウロが落ちた音だったわけだけど、衝撃はそんな感じ。
…。
絶句。
場が硬直する。
数秒間、無心で呆然とした。
でも、今の日本の言葉で、ぼやけていた記憶が一部カチリと音を立てて組み合わさる。
…そうだ。
そうだよ。寧ろ何で気付けなかったんだ。
ふわふわした癖っ毛とかあの締まりのない笑顔とか…。
あの白い孤独の中で、僕にランプの花をくれた相手は――。

「…」

目眩がした。
本気で目眩がした。
…嘘でしょ。
頭が痛すぎて目を伏せる。
眉間に皺が寄ったのが分かった。
がんがんと、小さいリズムからどんどん頭と心臓が痛くなってくる。
心臓が苦しいくらい小さくなり、唇を噛み締めて俯いた。
羞恥心がものすごい。

「…おい。氷島?」

――そういう核心めいたものって、何でだか知らないけど、知らないうちに本人の耳に入ったりしちゃうよね。

不意につい数分前に聞いた他人事のような彼の言葉と、無駄ににまにました笑みを思い出す。
焦りに震える冷えた左手で、俯いたまま頬を押さえる。
足下の地面を、絶望的な気持ちで凝視した。
…やられた。
信じられない。
あいつ…。
…。
――…て言うか!本当に!
あの野郎…っ!!
わなわなと震える僕に、英国が心配そうに声をかける。

「大丈夫か、お前…。顔、死ぬほど赤いぞ? 熱でもあるんじゃないか?」

 

 

 

心配する二人を何とか追い払った後も、一人呆然とその場に立ちつくす。
どうしていいか分からない。
ただ、死ぬほど恥ずかしい。
内側に溢れかえる羞恥心をどうしていいか分からず、取り敢えず蹴り付けたお気に入りのジョウロは少し離れたところに転がっている。
人気が無くなって少し経ったからか、突然身体から力が抜けて、へなへなとその場に膝を抱えるようにしてしゃがみ込む。
膝に自分の額を押しつけ、熱い顔を隠すように蹲った。
泣きたい。
…ていうか、今伏せている目をもう少しぎゅって瞑ると泣ける気がする。

「…最悪」

膝に押しつけていた顔をそっと浮かせる。
ポニーが気遣うように僕の額に鼻先を寄せて、尾を揺らす。
まだ顔は熱い。
死にたくなるくらいの羞恥が、まだ発熱を続けてる。

 

取り敢えず、黄色いポピーの花束を贈る相手は見つかった。
長い間溜め込んでいた"ありがとう"を…お礼を言わなきゃ。
辛うじて、中国よりは言いやすい。
けど…。
どうしよう。
怒りが長年の感謝を振り切ってるんですけど。

花束やる前に、絶対、一発殴ってやろう。



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ポピーの花言葉は「鮮やかな恋・いたわり・眠り」などらしいです。
“アイスランドポピー”が有名ですが、別に氷島原産じゃなくて、中国北部や露西亜原産なんですよ。
髪に飾ってあげたい。
2014.5.17






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