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「丁抹」

会議室を出た先の廊下で、独逸は一足先に上司共々その場を出て行った隣人を追いかける。
追ってきた独逸に、廊下を歩いていた背の高い二人組は足を止め、その一方…後ろを歩いていた丁抹が、陽気に片手を上げた。

「よお、独逸。お疲れさん!どしたぃ、んなに慌ててよー」

一昔程満面ではないにしろ、先程の会議の空気をものとものしないあっけらかんとした笑顔に、独逸は些か虚を突かれる。
だが、短い付き合いでは決して無い。
計り知れない彼の内面を探る一材料として、大股で追いついた彼は、丁抹を挟んだ向こうにいる老紳士へ一瞥投げた。
口髭を生やした長身の紳士は、伸ばした姿勢のまま独逸の目線を受け取ると、ゆっくりと窓際へ歩いていく。
二人が話があるというのなら、少し距離を置いて歩こう。
そういう体だった。
老紳士から視線を戻し、独逸は目の前の隣人を睨む。

「先日の、条例のことだが」
「おお、アレなー」

紳士と距離を開け、丁抹が歩き出す。
独逸も歩きながら彼の横に並んだ。

「悪ぃなあ、何かもたもたしちまってよお。俺んとこほら、島国みてぇなもんだっぺ? 情報行き渡るのも連絡戻ってくんのも遅くてよ。悪ぃけど、今ちっと待ってくれっけ」
「遅すぎないか。上司が苛立ってるんだ」
「マジけ。っかー!そりゃあマズィんなあ。おめんとこの上司ぁ短気揃いじゃねえけ?」
「俺の部下を貸してやる。使ってくれ」
「ああ、いいっていいって。気持ちだけくれっけ。おめえだって忙しいべな? 俺んこた構わねえでええからよ。今日だって、今っから家戻んだっぺ? 哥本哈于まで来てもらって悪ぃなあ。遠かったべ。なあ?」
「…」
「な?」

無言で顔を顰める独逸に、へらりと丁抹が笑いかける。
妙な沈黙があった。

「…丁抹」

ふう…と目を伏せ、独逸がため息を吐く。

「本当に…上司が、そろそろ苛立っているんだ」
「おう、そーけ。何でだんべ? 俺が仕事のれぇから怒ってんけ?」
「…」
「はは…。まあ、そう恐ぇ顔すんなって。後で謝罪の手紙送ってやっから。『とろくて悪ぃなあ、許してくんちょ』ってな」
「丁抹」

今度は、少し強めに名前を呼ぶ。
独逸は眉間に皺を寄せた。
避難するように呼ばれて、漸く丁抹が棒読みではなく、押し殺すように小さく笑う。
それから、ちらりと横を見た。
平素見ないような眼差しは、ターコイズブルーの色彩では余計に冷たく鋭く見えた。

「…辛ぇべ?」
「…」
「どーしょーもねえんだよなあ。一旦火が着くとよー。…やんなっちゃーよなあ」

分かっている…とでも言いたげなその物言いに激怒が付いてこなかったのは、隣人の言わんとしていることに賛同している自分がいるからだ。
分かってはいるが、どうにもならない。
隣人と親しかったとは言い難い。
今でこそこうして対等どころか一段上に構えられるようにはなったが、独逸は、昔彼に散々虐められていたし、独逸の兄も周りの隣人達も、この青年には散々泣かされてきた。
いつかやり返してやると、思わなかったわけではない。
であるのに、『お前には言われたくない』という台詞すら出てこないのは、こういった喧嘩事で勝ち進んでいるからといって、それが必ずしも幸せなことだとは限らないことを、丁抹は既に承知しているのだろうと、今だからこそ察せてしまうからだった。
勝利国の…進むしかない国の、痛みと辛さというものがある。
…けど、何を言っても、今はどうしようもないことだ。
動き出した車輪は止まらない。
止めるには、動いている車輪を力尽くで抑え付ける、膨大な最大静止摩擦力が必要だ。
今は、それにあたるものが無い。

「とにかく」

独逸は言葉を強く、深く言い放つ。

「周知を徹底して、各地方からの了承のサインを一分一秒でも早くよこしてくれ。それから、空かさず実行だ。遅れはもう許さん!」

独逸の言葉に、丁抹は肩を竦めるだけだった。


Flag er ikke brudt



 

歩き続けていた足は、いつの間にか正面玄関のフロアへ到着する。
両開きのドアの左右に控えていた丁抹の部下が、左右から片手ずつドアノブを握る。
ドアが開く直前、丁抹が振り返った。
見たことのない様な、達観した顔をしていた。

「…みてろよ、ガキんちょ」

腹の底から出るような深い声で告げる。

「後悔すっかんな。…面白いくらい、何もかも無くなっちまーぞ。今持ってると思ってる何でもかんでも。ぼろぼろーってな。金も人も建物も、信頼も誇りも友達も…恋人も。何でもかんでも」
「…」
「あー…。俺なぁ、実んとこあんま性格いくねぇからよぉ…」

ぽりぽりと困ったように頭を掻き、一度明後日の方向を向いてから、再び丁抹は独逸を見据えた。
へらりとした笑顔を向ける。

「おめえが同じ目に合ってくれてな、何か、よーやっとちーっとだけ…気が楽になった気ぃすんだわ。漸く、この罪が俺からおめえに移ったみてーだわ」
「…丁抹」
「ええか。おめえが何しようと、俺げんとこの国民は、頭の毛ぇ一本から爪先っとこの爪カスまで、俺のもんだ」

右の拳でとんとんと自分の胸を叩き、鋭く断言した彼の背後で、彼の上司である紳士が片手を上げ、それを合図に両開きのドアが開く。
ドアの先は赤い国旗で埋め尽くされていた。
柵の向こうに湧き上がる歓声。
哥本哈于を赤く染める赤地に白十字。
歓声が迎える中に、颯爽と、紳士は出て行く。
そうすることで、歓声は一際膨れあがった。
ここまで来て尚折れない国旗の波に、独逸は畏怖して彼だけそこで足を止めた。

「死にたくても、死ねねえぞ。狂いてぇくれえ、まいんち辛ぇだけだ。…ま、覚悟しとけよ?」
「…」
「そんじゃな~!気ぃ付けて帰れよー!」

緩んだ明るい笑顔で片手を上げて、丁抹もドアの向こうの歓声の中に消えた。
支配したはずの街の中央において、敵陣のど真ん中に放り込まれたような、圧倒的な拒否感。
…ゆっくりと、両開きのドアが閉まる。
閉まった分だけ、歓声が遠くなる。

「…」

ガチャン…と、重々強い音を残し、ドアの金具が組み合った。
現在のこの情勢下であるにもかかわらず、独逸には何故か、それが牢獄の錠音に聞こえた――。


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クリスチャン10世の本を読んで感動して思わず。
胸キュンでした。
やばい、どんどん丁さんが理想化する(笑)
2014.3.7

余談:クリスチャン10世

第二次大戦期の丁抹国王。
平均身長が高い丁抹の中でも長身な王様。
それまであんまりぱっとしない方だったようですが、強かで、老年期になり占領された時期に凜とした態度で一気に国民の好感を得た人物。
独逸軍北上に対して、諾威などと違い丁抹はあっさり降伏しました…という印象があるが、振り返ってみれば最も被害と迫害を最小限に抑えての降伏は彼の判断。
国にできる限界を見極め、降伏はするものの誇りと心は折らせず。
一応、同じゲルマン民族として見られていたので酷な扱いは少なかったものの、とはいえ占領は占領。
占領後も「我が地は丁抹領である」と口に出してはしないものの、印度のガンジーさんのように無抵抗非協力不服従。
猶太人に六芒星を義務付けよと命じられて拒否するものの、それが通らないと、「"丁抹国民"に腕章を着けよというのならそうしよう」と、自ら六芒星を腕につけ、翌日から猶太人以外の丁抹国民も、国王に真似て六芒星をみな着け始めたとのこと。
ちょっと待って。高貴なゲルマン民族たる同胞な丁抹国王が六芒星なんかつけた日にゃー我々の品位も落ちるじゃないか!…と、結果、独逸軍は丁抹では六芒星は諦めたみたいで実施されなかった。
また、"丁抹王国"の象徴としての自らの立ち位置を理解していて、高齢でありつつも馬上で街々を精力的に回り、パレードを行うと国民たちは国旗を振って歓声をあげる…が、これを独逸軍が行うと、皆窓やドアを閉め、誰一人表に出ないという。
また、独逸軍が丁抹の国旗を勝手に下げ、自分の旗を揚げたので、国旗を元に戻せと部下に命じる。
独逸将軍は、やってきたその部下に「我が国の国旗を下げれば射殺する」と告げると、今度は国王が「なるほど。だが早まらない方がいい。よく考え、検討すべきだ。何故なら、その作業を次に行うのは他ならぬ私だからだ」と自らその場にやってくる。
ついに占領下であるにもかかわらず、首都には丁抹国旗が高々と掲げられたままだった…などなど。






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