一覧へ戻る


「それ、日本に届けてこいよな」

振り返りもせず、書斎の玉座で銃の手入れをしながら英国が言い放った。
ドア近くの棚に、これでもかと言うほど見事な薔薇の花束が置いてある。
久しぶりに外出命令かと思ったらこれか…。
所詮使用人の身分だ。
どれだけ反吐が出ようとも、主人の前で舌打ちでもしたら銃殺される。
正確には、銃撃されてそのまま放置されて、書類上では「病死」扱いになるんだろうが。
…まあ、そう安易に国を殺せるとは思えないが、国民の為に痛手は負いたくない。
この間の喧嘩に負けて以降、知ってはいたが、英国の横暴には飽き飽きしていた。
ご覧の通り性悪極まりない。
そのくせ、自分で性格はいい方だと思っている。
基本軽蔑する相手とは自分から喋ろうとしないらしいんで助かるが、その姿勢自体も阿呆くさくて最近は遠巻きに姿を見かけるだけでも疲労する。
…折角俺と全面的に喧嘩してまで手を引かせた日本への訪問は、まだしていないらしい。
周りが混乱しまくっていてそれどころでないのは分かる。
苛々が募って、嫉妬に任せてこんな遊びか…。

「あとさ」

ため息すらつかず、左手で花束を受け取って出ようとしたところで英国がギ…っと組んでいた足を解いてこっちを向いた。
嫌な目で。

「『愛してる』…って、伝えてこいよな」
「…」
「もう行け。ばーか」

本当に純粋に愉快げに笑う声。
公園で走る小さな子供が微笑ましいと笑うのと、全く同じレベルで笑って見せる。
その笑顔を見ず、さっさとドアを閉めた。

Treacle vergadering



最近は英国に止められてて来られなかったが、久しぶりに来ても日本の門構えは仰々しかった。
最近開かれた様子もない。
…他の奴を招いたこともなさそうだ。
裏口からそっと入ると、以前まではその音を聞いて出迎えてくれた日本は来なかった。
代わりに、側近とおぼしき男が2人飛び出してきて歪んだ剣の先を俺に向けたが、向けた後で片方の男が俺の顔に気づいたらしい。
知っている奴で良かった。
それまでの態度とは雲泥の差で屋敷に通される。
いつも通される部屋へ案内されるのだろうと思いきや、曲がったことのない角を曲がり、随分歩き、気付けば奥へ踏み込んでいた。
いつもうろついていた屋敷の奥にもう一つ…川もないのに白い砂利の上に橋がかかっており、そこを渡ると全然気付けなかったが似たような風体の別の屋敷があった。
…道案内をしていた男が突然足下に座り込み、目の前の横開きのドアに一声かける。

「…お通ししてください」

凜とした日本の声がして、ドアは開かれた。
狭くて小さな部屋が多い日本の家だが、通された部屋は見たことがないくらい広かった。
英国の書斎を3つ縦に並べたくらい異様に細長い一番奥。
一段高い場所に、日本がちょんと腰を下ろしていた。
俺が一歩踏み込むと、ここまで案内してきた男は無言のまま、音もなく背後でドアを閉めた。
どうすればいいのか少し迷ったが、仕方なく奥にいる日本の元まで歩いていく。
…近距離まで詰めると、彼は両手を前に添えて深々と頭を垂れた。
数秒の後、ゆっくりと顔を上げ、小さく微笑む。

「お久し振りです」
「…。ん」

久し振りに見る姿に何故か焦点を合わせられず、斜め下を向く。

「すみません、お迎えもせず…。最近はお見えになられませんでしたので」
「…時間のぉての」

どんなに隠したところで噂は流れる。
引き篭もり続けている日本が、変わり果てた俺の立ち位置をどこまで知っているか把握できないため、無難な、そんな不明確な理由で受け流した。
だが取り敢えず、仮に面と向かって問われたら素直に答える覚悟はしてきた。
英国と殴り合った。
理由は…くだらないことで、一方的で、俺は大変不愉快な思いをした。
結局今回は負けてしまったが、勿論殴り返す準備はしている。
すぐにあの家から抜け出してみせる。
だから一切心配はないと、キッパリ手を横に切って鋭く答えて見せるつもりだ。
…俺が左手に持っていた薔薇を、日本がちらりと一瞥したことに気づき、俺はその場に腰を下ろしながら預かってきた花束を差し出した。

「…英国から預かってきたで」
「…。それは、どうも」

手渡すと、日本は俯き気味で静かに花束を受け取った。
広い袖の中に両手を隠したまま、抱えるように受け取る。
不思議なもので、同じ紅でも鮮紅は誰よりも似合う反面、彼に深紅は合わないらしい。
この花の美しさ自体が既に伝言を伝えているように思うが、それでも俺に口頭で伝えろというのは…つまりそういうことなのだろうが、命じられた時はあまりのガキっぽさに呆れ果て、怒る気にもなれなかった。
嘲笑いながら言ってやろうと、両肩を竦めてため息を吐く。

「…ほんで、言伝じゃ。ただ一言おめえんこと」

愛してる…と。
伝えることは命令であって、果たさなければならない言葉だった。
言い放とうと片手を軽く上げた所で、不意にその手に日本の指先が触れ、言葉も感情も時間さえも、ぴたりと止まった。
思わず、いつの間にか引いていた顎を上げると、日本の真っ直ぐな夜の目がこちらを穏やかに見据えていた。
…随分、長い時間沈黙だった。
相変わらず停止し続けていた俺を前に、やがて日本が片腕に持っていた薔薇を静かに横に置き、袖から月色の指先を出した。
滑るように緑色をした床を膝で一段降りては綿のような軽さで距離を詰め、小さな手がす…っと、ずっと降ろしていた俺の右手に重ねられ、停止していた俺は思わずひくりと肩を攣って浅く身を退いた。
何とか袖で隠れてはいるが、触れれば勿論気付くだろう。
それとも、気付いているから触れたのか…。
手首に留められた、正装とは不釣り合い極まりない革ベルトと革タグ。
彫られた国旗は傲慢な帝国の傲慢なマークで、これが視界にちらちら入るのがとにかく嫌だった。
ここ最近全く右腕を上げず暮らしていた。
他人の所有物の烙印がとにかく嫌で…。

「…。和蘭さん」

スーツ越しに重ねていた指が、包むように堅い革ベルトを自らの広い袖で隠す。
僅かに身を退いた俺を追うように、日本が座したまま背を反らして傾け、低い鼻先で俺の胸を押した。
ゆったりとした低声と共に彼が身を寄せるのを、他人事のようにぼんやり見送っていた。

「噂は…伺いました」
「…」
「でもいいんです。…いいんですよ」

言いながら、緩く膝に乗り上げ、緩く背へと片手が回る。

「私は無知故、何も存じません。…私にとって貴方は、変わらず貴方です。立派なお国です」
「……」

その言動に、俺の体内のどこかにあった何かのスイッチが音を立てて入り、第二の心臓の如く四肢に激情を流し込んだ。
少し躊躇った後に背を屈め、膝の上にある自分より小さな躯の小さな肩にそっと額を預ける。
遅れて肩と背に添えた手は時間が進む毎にきつく掴み、夜に気付くが染みのない彼の躯に痣をつくってしまっていた。
それなりに痛みはあったと思う。
痛いと一言言ってくれれば良かったのだが、その時の彼はただただ目を伏せて静かだった。

「外のことは忘れましょう…。いつものように問答し、暮れたら床へ参りましょう。…狭い場所で、ふたりでいましょう」

顎を上げ、日本が触れもしない、掠めるだけのキスをしては離れたので、追って身を乗り出し深く重ねた。
世界中の誰が捨てて忘れても、貴方の国旗は私が確かに覚えていますというその言葉に、どれ程救われたか分からない。
…日が暮れ、沈み、闇となり、オレンジ色の変わったキャンドルが灯る狭い部屋。
片袖で顔を隠そうとするその手首を取って、無言のまま引き寄せる。
俺の影の中に収まる細身。
依存性のある異国の匂い。
…。

主人からのメッセージを伝えた後でそれと全く同じ台詞を、俺の家の言葉で贈る。
小さな声で帰ってきた私もですの言葉に堪らず、彼に回した両腕を強めて目を伏せた。



一覧へ戻る


鎖国蘭日を書くと英国が悪役です。
仕方ないよね。
2011.11.8

余談:名誉革命

英国で起こった革命。
それまでカトリックを国教にしようとしていた英国王ジェームズ2世。
王権神授説を信じる熱教徒であり議会の定めた審査法を無視しまくって専制を行っていた彼に対して英国議会も国民もついに爆発して反対し、彼を玉座から降ろし、王の娘であるメアリー2世が嫁いだ和蘭の総督・オレンジ公ウィリアムさんを招いて新しく英国王に招いた一連の革命のこと。
ウィリアムさんとメアリーさんは熱心なプロテスタントだったので、カトリックを押し出す象徴となる。
権利の宣言を王様が、法律化を議会が行う、という英国の権利章典の基礎はこの頃から確立する。

大量に血が流れたピューリタン革命と比べて血が流れなかったということを讃えて「名誉革命」と名付けられたが、“イングランドでは”流れなかっただけ。
ジェームズ2世に対する支持も忠誠もなかった訳ではなく、スコットランドとアイルランドではしっかり戦争があり、やっぱり多くの血が流れた。
ジェームズ2世が仏蘭西に助けを求めたので、仏蘭西も英国領土を取り込めるいい口実だったので、英国+和蘭vs仏蘭西の図式で喧嘩しまくってた。
因みに、革命後ジェームズ2世は亡命を許され処刑は免れた。

この血筋と王成立の流れから、英国では女王の方に重きが置かれている。
要するに英国女王と和蘭王が結婚したようなものなので、ウィリアムさんがメインで軍事的な指揮をとっていた一方、メアリーさんは政治的な手腕を発揮していた。
仲良し夫婦に間違えられがちだが、他人夫婦。

一見和蘭が英国を取り込んだように見えるものの、“和蘭は英国を上回らないように動く”的な法律や決めごとが非常に多く、結果的に王座を与えつつ得をしたのは英国という図。






inserted by FC2 system