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「本田殿。本日の届けの品に御座います」
「…」

襖を開けて奥から出た私の目の前にまた今朝も、花の束に小さな箱。
昨日一昨日その前と変わらずため息を吐く。
いつもならそれで済ませるところを、昨日のほんの僅かな不愉快事があってか、その日は扈従が指し示した先のそれらが視覚に痛む。
連日贈られてくる薔薇は今朝も深く紅く、美しいと同時に不吉な色合い。
小箱の中は覗かずとも分かる、冷糖だ。
余りの健気さに口元が緩む反面、軽い疲労を覚えて右の掌をこめかみへ添えた。
丁度一ヶ月前になるだろうか。
英国さんが珍しい西洋菓子、猪口冷糖をくださった。
葡萄牙さんに教えていただいた金平糖を目の前で食していたのが勘に障ったご様子で。
尤も、葡萄牙さんからお教え頂いた…ということを申し上げなければその様なことはなかったのでしょうが…。
まあ、兎も角も例によって例の如く露骨な嫉妬を主張された結果、代替品として頂いたのがこの小さな美しい練り菓子。
黒糖のような色以上に小玉のような形容。
そしてその形容以上に美味であり、翌日とても美味しく頂きましたと伝えると、ぱっと顔を上げ、花も逃げ隠れてしまうような満面の笑みで英国さんが得意気に笑ったので、思わず私も釣られて小さく微笑んでしまった。
その次の日から届いたのだから、何とも対応が早い。
翌日から欠かさず今日のようにふたつの品が届くようになった。
薔薇の方は以前から週一程度の頻度で贈られてきていたが、冷糖を贈るようになってからはそれひとつでは見栄えが悪いとでもお思いなのか、必ず合わせて贈られてくる。

「よくもまあ次々と…」

花束を腕に抱え、食事前ではあるが小箱を開けてひとつ冷糖を口に含んだ。
やはり大変美味しい。
大変美味しいのですけれど…。
連日ですとそれが如何に至上のものとて飽くというもの。
頂き物を無下にはできませんし、食したり知人に少しずつ配ったりしているものの、毎日ではなかなか減りが来ない。
薔薇もそうですが、加減を知って頂かないと勿体なさ過ぎます。
扈従に薔薇を手渡して任せ、ついでに冷糖も三粒添えておくと酷く感動し、狼狽し出してしまった。

「宜しいのですか、この様な高価な物を…」
「ええ。食べきれませんし…。それに、私はやはり金平糖の方が口に合うようです」

英国さんには大変申し訳ないのですが、致し方のない好みというものがあります。
何より、以前より食していた物には馴染みがある。
葡萄牙さんにお教え頂いた金平糖の方が既に私にとっては落ち着ける身近な味となっていた。
深く深く謝して出て行く扈従を見送り、ふと視線を開いた障子の向こうへ投げるといつもの場所で忠犬がすぴすぴと昼寝をしていた。
思わず頬が緩み、目を伏せて寝起きの肺を外気で充たす。
随分温かくなってきた。
梅も綻び待つのは桜。
…。
少しの間無心でいたが、正面から吹いた春風が頬と髪を撫でて背後の座敷に上がっていくのを機に、ゆっくり目を開ける。
…何かお返しをしなければということは、随分以前から思っていた。
けれど。
そう、けれど…。

「…」

こんなにも暖かい気候の中、内側に空風が吹き、僅かに視線を下げる。
そのまま時間をかけてしゃがみこみ、蹲るようにして膝頭に額を添えた。
…おかしな話だ。
私のような者が、一体彼に何を差し上げられるというのか。
誰が何をせずとも、彼は全てを所有している。
少なくとも私から見れば私に足りないもの全てを。
耳に障る洋楽は心音を早め落ち着きなく好きではない。
鼻に刺さる香水は戻っては念入りに落とすようにしている。
襟元きつい洋装は絶えず喉に紐がかけられているようで、軽く躓いて転んだだけで常に首が絞められるような恐怖があり、洋靴を履く爪先はまだ慣れず肉刺と血の溜まりが絶えない。
それでも連日それらで身を固めるのは、彼の好みに合わせているからに他ならない。
釣れたのは…実を言うと意外過ぎて、私の報告に上司たちは再三私に偽りではないのだろうなと詰め寄った。
私も始めは遊ばれているのだろうと思い信用ならなかったものの、恐らく冗談の類ではないと思い出したのは第三者を同席させた場での反応を見てからだった。
過程はどうであれ、今現在英国さんは私のことがお好きらしい。
気に入ってくださっているという程度ではなく、お好きらしい。
それはもう誰の目から見ても明らかな事実であり、巧く此方の主張を通しやすいようにと升詰めの交流が続く。
しかし要するに、彼の愛する“日本”は紅い漆で着飾った張り子。
華やかに。
傲慢に。
冷徹に。
私を貶して宜しいんですか。
私を手放しては損ですよ、と。
懸命に懸命に、必死になって着飾って振りまいて見せつけ、誘き出しては惹き付ける。
けれどその中身は空洞で、実際は彼方の方々のことなど何一つ分かっていない。
いつ愛想を尽かされるのか。
いつ嫌われるか。
…もう随分それらの恐怖とは長く付き合っているはずなのに、時折、無性に疲れ切ってしまう。
…。

  __わん。

「…」

不意に真正面で鳴き声が上がり、膝から顔を上げると目の前にポチが寄ってきていた。
縁側に両手をぺしょんと乗せ、下がり眉が今日も愛らしい。

「…私が、もっと美しければ良かったんですけどね」

案じてくれているらしい幼き頃よりの友人に精一杯微笑みかけると、ぴょんと縁側に飛び乗り真横まで来てくれた。
ぴたりと側面を私に付けた状態で腰を下ろし、頬を一度舐めてくれる。

「有難うございます、ポチくん…。大丈夫ですよ。これも国民の為なれば。…それに、無理はしていますが、存外幸せなんです」

辛くとも、多少無理でもしなければ私など視界にも入るまい。
漸く入ったのだ。
出たくはないし、出てはならない。
片手でポチの胸元を撫で梳かしてやりながら、もう一度深く息を吐いた。

やがて宵となる。

帝に捧げる氷砂糖



その日は少々英国さんが約束の時間より遅れたこともあって、玄関前で出迎えることにした。
決まった挨拶に決まった名目。
長く感じるそれらが終わって漸く私たちの時間が始まる。
…これがないことにはお会いする機会もつくれないのだから、我ながら余りの小心さに呆れて思わずため息吐いた。

「何か…。最近元気ないな」
「…私ですか?」

今宵の役目の終えた冊子を両手で持って整えていた所、横から英国さんが気を配るような柔らかくお声かけくださった。
一瞥してから微笑みを返しておく。

「そんなことはありませんよ」
「…。あ、あのな、日本」

冊子を卓上へ寝かせ、厚いカーテンのかかった窓際にある長椅子へ移動しようと席を立ったところ、不意に英国さんが声を張った。
振り返ると澄んだ碧眼が真っ直ぐに私を射上げる。

「今日は…止めとこうぜ」
「…」
「何か体調悪そうだし。無理しなくてもいいだろ」
「…止めて宜しいのですか?」

冷静さを装ってそっと伺う。
心音が突然早まった。
動揺が表に出ないよう必死に押さえる。
以前は私が止めと申し上げても少しだとかゆっくりやるだとかで強行することも多かったというのに、気遣いとはいえ、制止が利く程度のものになったのか。
私の問いかけに、英国さんは軽く肩を竦め右手を放った。

「ああ、いいって。…疲れるだろ?」
「すみません。助かります。…体調がここの所優れなかったもので」
「軽く寝たらいいんじゃないか? そうしろよ」

気付いた瞬間には口が勝手に返していた。
まさか客人を置いて仮眠など取れるはずもないのに、私が断る前に立ち上がった英国さんに手を引かれて結局いつもの長椅子へと移動することになった。
断れなかったのは思考が鈍っていたからだろう。
不安が絶え間なく押し寄せて来て上の空。
大凡同じ側に腰掛けるものだから、この部屋のこの長椅子に関して言えば対面して座るということは私たちの中ではなくなりかけていた。
対面するもう一方の長椅子を無視し、繋いだ手と仕草に促されるまま腰掛ける。
その表情はいつも通り。
本当に体調を気遣ってくれているのか、それともただ飽いたのか。
怖くてとても聞けない。
背を屈めて靴を脱ごうと右手を伸ばすと、その前に英国さんが片膝着いて脱がせてくださった。

「すみません…」
「何かどんどん顔色悪くなるな…。時間になったら起こしてやるから」
「…はい」

腰掛けていたのを横になり、重ねた両手を腹の上に置いて深く呼吸する。
そんな気はなかったつもりだが、何だか徐々に仰る通り体調不良のような気もしてきた。
目を伏せて暫し。
睡魔が誘いだした頃合いに。

「…なあ、日本」

ぽつり、と小さな声が思わぬ近距離でかかった。
うっすら双眸を開くと、立ち上がらずにずっとその場に膝着いていたのか、英国さんが私の頭向こうに片肘乗せて頬杖を着いていた。
何ですか、と尋ねるのも正直億劫になっていた。
寝惚けていることにして聞き流し、再び目を伏せた直後。

「キスくらいならしていいか…?」

そんな一言を鼓膜が捕らえた。
…妙な安心感が戻ってくる。
呼吸が楽になった気がした。

「…」
「ん? あ…お、おい」

のそりと身を起こした私に慌て、英国さんも長椅子から肘を浮かせる。

「別に起きなくていいって。お前は寝ててもい……!」

片手を伸ばして白い頬を撫で、そのまま顔を詰めて口付けた。
静かに接吻する。
唇を薄く開けると、ぴくっと英国さんが異変に気付いて伏せかけていた双眸を開き、眉を寄せて唇を離した。
右手の親指を己の唇に添え、驚愕を示す。
その後舌で軽く唇を舐める様子を、目の前で少々得意気になって眺める。

「な、何だこれ…。…甘い?」
「氷砂糖を溶かしました」

目を伏せ、俯いて私も右手の指先をそっと唇へ添える。

「あの様に上品の練り菓子を頂いて、私も何かお返しできればと…。ですが、英国さんのお口にまだ和菓子は合わないようでしたし。単純に砂糖ならばと思いまして。…本来は女人が紅の上に艶を出すべく塗るものなのですが、この場所なら必ず召し上がってくださるだろうと」
「砂糖…」
「…ですが、今宵は受け取って頂けないかと思いました」
「…」

鳩が豆鉄砲を食ったような呆けたお顔。
…ややあって。
上げた翠緑の瞳を皮切りに、がらりとその場の空気が変わる。
何と表現して良いやら…。
無表情に近いお顔を詰められ、舌を絡めて甘味を分かつ。

首の締まる襟を解いてくださるその手が無いと困ってしまうのは、実は私の方なのです。






「…だから。紳士でいたいんだよ、俺は」

耳まで真っ赤にして俯いて、ぽつりと英国さんが白状する。

「何て言うかその…。がっつきすぎかな…とかな。思ってな…」
「そうですか」
「あのな、絶対お前俺のこと勘違いしてるぞ。俺外じゃもっと品があって礼儀正しくて教養全開で…。とにかく、お前がいるとおかしくなるんだ!人が折角今日こそはと思って来たってのに何だよ…!!」
「お気に召しませんでしたか?」
「いや、だからそういう…!」

シャツの釦を留めながら肩越しに振り返って尋ねてみる。
長椅子の端に腰掛け、肘置きに片腕乗せて口元を覆っていた英国さんと一度目が合ったが、ぱっと反らされてしまった。

「まあ…その。……美味かったけど」
「左様ですか。…それは良かった」
「違う!!違うんだよ!そういうこと言ってるんじゃなくてだな、もっと俺の格好良い所を見て欲しいんだよこっちは…!!」

じたんだ喚く英国さんへ背を向け背広を羽織る。
…良かった。
本当に。






「体調は大丈夫なのか? …悪いな。本当」

廊下へ繋がる扉を支えながら、振り返って英国さんがお気遣いくださった。
柔らかな微笑みを差し上げる。

「ええ。すっかり」
「…」

垂れ下げていた片手をそっと取られ、背を屈められ目を伏せる。
もう砂糖蜜は残ってはいないが、廊下へ出る前に今一度口付けを交わして頬を合わせた。





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ホワイトデー小説でした。
氷砂糖を溶かしてグロス代わりに使っていたようです。
大和撫子はえろい。
2011.10.28









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