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――一面の純白。
まるで雪のように、崖に面していた荒れ果てていた庭は風でそよぐ白い絨毯に覆われていた。
強い風が吹く度に花弁が舞い上がり、落ちた花弁は海面までも白く染め上げて…。

垣根の入口から見回せるあまりの絶景に、暫く立ち竦んだ後、呆れを通り越して思わず笑ってしまった。
本当に久し振りに、笑ってしまった。

Margaret



俺は親友が好きだった。
ちっと喧しい所があったが、温かくていっつも元気で…面白ぇ遊びを考えんのも何をするのもいっつも親友が先頭切ってて、そんで実際面白くて、俺らは揃って彼の背中に着いて走り回ってた。
仲良し5人組のうち特別俺んこと“親友”だと宣言してくれたのは普通に嬉しかったし、それを誇りにしていた。
…が、それは昔々の話だ。
場所は何処でだったか忘れたが、奴が俺に口キスして舌突っ込んできた瞬間、関係は一気に崩壊した。
一体いつからそーゆー目で見てたんか知んねえが、兎に角俺らは崩壊した。
崩壊してからは、もう最悪だ。
今まではそんなことなかったってのに、ちっとならええけど長い間瑞典らと遊んでっと怒るし、最終的に家まで壊されて今となっちゃぁ居候の身だ。

「…」

城の天辺に近い一室。
与えられた部屋や家具が綺麗だから、余計に惨めんなる。
ベッドの端っこに座ってここん家の本を読んでると、ドンドンドン…!!と荒くドアがノックされた。

『ノル~。散歩行ぐべ散歩~!』
「…」

嫌だ、と言えればいいが、言った瞬間どうなるかは経験済みだ。
ドアだって何度取り替えたか分からない。
のろのろ本に栞を挟み、その辺に置いてあった帽子を取って鏡の前で被った。
角度を整えてから衣類の裾を手で撫で直し、たらたらドアへ近寄っていく。
木造のこのドアに錠もなければ鍵もない。
ただ、どいつもこいつもまるでそれが存在するかの如く振る舞う。
元親友からこのドアの取っ手を握って開けることはない。
開けることはないが、蹴り壊すことはある。
…もういい加減うんざりだ。
冷たい鉄の取っ手を握り素直にドアを開けると、にぱっと見飽きすぎて反吐が出る笑顔が笑いかける。
本気で気持ち悪くなり、軽く目眩がした。

「いよう!」
「…」
「やっぱ顔色悪ぃな…。メイドがおめが元気ねえっつって心配しててよ。…あれだ。ずーっと部屋ん中いっから悪ぃんだかんな。たまにゃ表散歩でもしねえと。んな?」
「…触んな」

自然に俺の手を握ろうとする元親友の行動を、小声でもぴしゃりと拒否っとく。
触れかけてた手を小さく震わせ、彼は伸ばした手を引っ込めた。
じっと自分の手を見下ろして握ったり開いたりを繰り返し、それから乾いた声で笑う。

「はは…。汚れてたけ?」
「…」
「ん、まあ…。行くべ」

歩き出す元親友に従って、俺も歩いてく。
こいつん家の庭は、5つある。
表の庭、裏庭、海を挟んだ向こう側、氷島がいる塔がある奥庭、そんでずっと向こうに離れ。
このうち最後3つは元俺の庭だ。
昔は手塩にかけて育ててた花も殆ど枯れて、今じゃ殆ど荒れ地だ…が。
その荒れ地以外…元々所有してる綺麗な庭の方に連れて行く気はないらしい。
俺の散歩先は決まって元自分家だった荒れ庭。
最悪な連れと最低な庭。
楽しい訳がねえ。
気晴らしになると本気で思ってんだったらどうかしてる。
…冷たい廊下を、後ろくっついて歩いていく。
無心で歩いてて暫くすると、ぽつり…と廊下に声が響いた。
広さがあるから、小声でもかなり響く。

「あのよ…。悪ぃな」
「…」

どれに対しての謝罪か分からなかったが、相手にする言葉でもない。
一番最初のキスのこと言ってんのか、連絡もなしに突然連れ出したことを言ってんのか、一昨日の晩掘られたこと言ってんのか、ぼろい庭しか連れて行かねえこと言ってんのか…。
まあ、何れにせよ謝罪はしても改める気はないんだろうから、考えても無駄だ。
会話を捨てて、そのまま無言で歩いた。

やがて庭に着く。
やっぱり荒れ果てていて、草はぼーぼー、木材は転がり花は枯れていた。
埋蔵金でも探したのか、あちこちに掘り起こした後があり、土がでこぼこしている。
庭の端っこにある崖っぷちから飛び降りれば少しは楽になんのかな…と、毎回ここに来る度思う。

「気晴らしになっけ?」
「…んな荒れ地見たって、なる訳ゃねえべ」
「まあちっと待ってろな。今はやりっぱだけどよ、そのうち…」

何が楽しいのか、笑顔で話しかけてくる奴に拒絶の意味で背を向ける。
途端に場が沈黙し、俺らの間を風が拭いた。


「おめ…。出歩いたってええんだからな。錠なんかかけてねんだからよ」

部屋に戻って別れる際、元親友がこっそりそんなことを付け足したが、これも相手にせず振り返らないままドアを閉めた。





次の日から、元親友は出かけているようだった。
誰も教えてくれねえから確かな情報じゃねえけど、奴がいねえ気がするだけで呼吸が軽くなる。
その日は珍しく快晴で、窓から見上げる空は理想的な優しい雲が浮いていた。

「…」

ちらり、とドアの方を一瞥する。
ベッドの端に座ってた腰を浮かせて立ち上がり、ドアの方へ歩み寄ってみた。
ドアノブを握ってゆっくり引いてみると、勿論開く。
ギ…と音を立てて口開けたドアが何となく怖くて、暫く取っ手を握ったまま廊下へ繋がるドアの向こうを眺めていた。
不意に、出て歩いてもいいという言葉を思い出す。
…んなのは知ってっけど、別に出て歩いたところで何もねえし。
かと言って、このままずっと部屋ん中で過ごすのも…本当に籠鳥みてえで嫌気が差していた。
最近、一人で行動する気力が起きない。
反抗すら面倒くなってきた有様だ。
このままじゃまじぃんじゃねえかな…ってのはあって、ちっとばかし行動を起こすことにした。
一度ベッドの所に戻り、帽子を被ってやっぱり鏡の前でそれを整えてから、またドアへ向かう。
…どうせ散歩に出るんなら、奴と一緒じゃなく一人で行った方がずっと気晴らしになる。
ついでに、俺んとこの庭じゃなく、奴が所有する表の庭の方を歩けたら、もっとずっと気晴らしになる。
花とか、最近見た覚えすらない。
表の庭には連れてかれたことはねえが、“行くな”と言われたこともねえ。
んだから、ええべ…って。
勇気を出して部屋を出た。


元親友が所有する表の庭は、それはそれは美しかった。
案外マメなとこもあるんは知ってる。
知ってっから、美しい庭なのだろうと思っていたが、その予想を超えるレベルで美しかった。
風が吹く度に芳香が香り、久し振りに視覚を刺激する花々の色彩に目が痛くなる。
広がる芝生は青々と茂り、この庭の主は見えるんか見えねえか知らねえけど、端にある木々の隙間には妖精がちらちら見える。
空を見上げると、やっぱり理想的な雲が浮いていた。
…ええ庭。
美しく趣味の良い庭であればある程、ぽっかりと胸が空になっていく。
こんな庭持ってて…それで、何で、俺ぁいっつもあっちなんかな。
結局、上下差を付けておきたいんだろうか…。

「…」

小鳥の声を聞きながら、俯きがちに整備された煉瓦の細道を歩いていると、子供の拳程の黄色い花が目に付いた。
…そういや、昔南のガキどもが持ってる花が欲しくて、一緒に獲りに行ったっけな。
今となっては良い夢のように思えてくる嘗ての日常を思い出し、そっとそれに指先を伸ばした。
直後__。

「屈め!!」
「…!」

バサ…!!と勢いよく何かがはためく音がし、視界が暗転する。
それが目の前に布が広げられたのだと察した直後、鋭い音を立てて耳元を何かが擦った…直後、カキン!カキン…!と布の向こうで金属と金属がぶつかり合う音が続いた。
殆ど放心状態で足を滑らせ、尻餅ついた俺の耳に届いたのは、草木が揺らされる音と、すぐ傍でされた舌打ち、走り出す2つの足音。
それから、乾いた音を立てて何かが落ちた音だった。
…。
勢いよく駆けだした足音が遠くなって暫くしてから、漸く俺は頭からかかってた布を震える手でまくり上げた。
見るとそれは見覚えのある布生地で、そんで足下には銀色に輝く細い投げナイフが2つ、横たわっていた。

「……」

すぐにその場から逃げれば良かったのだが、そんなことも考えつかず、数分間ひたすら尻餅ついたまま遊歩道でぼーっとしていたもんだから、やがて寄ってきた元親友は呆れかえっていた。

「ばっかおめ…。ずっとそこにいたんけ。逃げとくべな普通は」
「…」
「ほれ。…立てっけ?」

片手を差し出すその首に、いつも折って巻いてる布がない。
当然だ。
それは今俺が握ってんだから。
…素直にその手を取るんは嫌で、伸ばされた腕の袖を握ると、何とか立ち上がった。
俺を立たせてから、元親友は足下に転がってたナイフを拾い上げ、序でに俺の背後に飛んでたらしいもう一本も拾ってきた。
そのうち一本を目の高さまで持ってくると、片目を瞑って刃筋を眺める。

「ん~…。こりゃまぁ~たあのガキだな…ったぐ。しつけえなあ」
「…。何なん、今の」

漸く声が出るようになって、小さく尋ねてみる。
元親友はちっと渋った後、苦笑した。

「んだから…。おめえ狙われてんだわ。結構前からな。…体力落ちてきてんべ?」
「…」
「こっちっ側にゃあんま顔出すと喧嘩吹っかけてくっ奴ぁいっからよ~。俺げんとこの庭にゃあ出んな、って…。言わねがったもんなあ、俺…。悪ぃ悪ぃ」

けど心配すんな。
さっきのガキは後で絞めとくから…などと妙な笑い方で笑う笑顔は、見慣れない笑顔だった。
どういうことなのか、整理がつかない。
困惑して黙り込んでる俺の前で、元親友は城を指差し、戻ろうと提案した。
その背中が歩き出してしまうと、無条件に俺の足も着いていった。
…俯いて、足下を見ながら歩いていた。
だから気付けた訳だが、石畳に不意に、ぽた…と赤い血が垂れ、弾かれたように俺は顔を上げた。

「…。なあ」
「あ?」
「…怪我しとん?」
「…? ああ、これけ。ちぃーっとな。さっき一本当たっちまってよ。…だいじだって。かすり傷だかんな」

痩せ我慢などではなく、本気で平気そうにさらっと流した。
それはつまり、多少の流血やさっきみてえな襲撃が、彼の“日常”であることを示している。
…東には俺も興味はあるが、南のガキどもにゃ目もくれてなかった。
いくら狙ったところで俺は部屋とあの枯れ果てた庭は北にあっから、今日みてえに俺が脳天気にぶらぶら表の庭に顔を出しでもしねえ限り、間にはこん阿呆がいて。
要するに、つまりは…。
…。

「…」

…俯いた。
何もできねえし知らねえし、知りもしねえ自分に腹が立つと同時に、無意識に指先が伸びて、前を歩く元親友の首に返した長い布の端っこを捕まえて…ちっとだけ握った。


「…。見してみ」
「あ?」
「傷」
「…へ??」

部屋に帰って。
よっぽど意外だったのか、そん時の阿呆面はこれまで見てきた中でかなり上位にランクインするものだった。
出る前は部屋に入れるとか有り得んかったし、奴も奴で入っていいものかどうか暫く迷ってたっぽいが…。
結局、ベッドに座らせて後ろ肩にぱっくり開いた傷口を止血してやった。
不思議と、そんなに嫌ってこたなかった。

そっから、俺ぁ表の庭には行かなくなった。
行く時ぁ…丁抹が行くべっつった時くれえで、一人でうろつかねえよう極力注意を払った。
とは言え、あの枯れ果てた庭に行く気もねえから、やっぱし部屋ん中で過ごすことが多かった。
あとちっと変わったことっつったら、多少キスが増えたかもしんねえけど…。
んな大した変化じゃねえから、そんなこたどうでもええか…。







もう外出を諦めていた頃だ。

「何なん…」
「ええから!やーっと終わったんだって!!」

興奮気味で鼻息荒く腕を引っ張る阿呆に連れられ、階段下りて城を出た。
どうやら荒れ庭に行く気らしい。
庭に続く垣根の入口で、丁抹は一度振り返った。

「たまげんなよ?」
「…!」

一言言ってから俺の背後に回り、どん…!と突き飛ばすような要領で俺を荒れ庭に放り込む。
危うく転びそうになりながらも、何とか踏ん張ってバランスを取った。
急に何すん…!? と怒鳴ろうと、背後を振り返ろうとした瞬間、鼻孔を擽る花の香り。

「…」

その香りに釣られて、顔を、上げると――。



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支配されつつ守られていた時代。
丁諾は諾さんの心変わりをいくら書いても楽しいです。
2011.12.13






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