「…。あんこ」
夜の街中。
オレンジ色の灯りが一定間隔に灯るメインストリート歩道を歩く十数人の集団の中に見知った顔を見つけ、そんな気は無かったはずだが思わず呼び止めた。
結構小さい声だったように自分で思うが、それでもツンツン頭の阿呆は目聡く気付き、集団の中心からさっと右腕を上げた。
「お…!ノルじゃねーけ!? Godaften!」
「…何しとん」
「約束してねえのにんな街中で会えんなんてやっぱし運命だっぺー!!愛してっぞノむぶっ!?」
一団から急ぎ足で離れ、足を止めた俺の方へ両手広げて忙しなく駆け寄ってくるド阿呆の顔面を、ハグされる前に片手でいつものように拒否っておく。
頭掴んだ指に力を入れ、頭蓋骨のミシミシ音を聞きながら、何気なく街角の時計を見ると、もうそれなりの時間だ。
ここ半世紀くらいで早起きが染みついているらしい阿呆にしては珍しい気がした。
元々、人と飲むんが好きなんは知ってるが、少し離れた場所で相変わらず丸まってざわざわしとる連れ共は、簡素であっても比較的しっかりした服を着ているし、バーで一杯という感じではない。
"今から何処かへ行くぞ"という空気だ。
…。
飲みに行くなら、俺も…時間はあっけど…。
…とは思ったが自分から言い出すことでもねえし。
骨を軋ませていた相手の顔から片腕を離し、一頻り阿呆が痛がるといういつもの流れの後に、改めて聞いてみる。
「何しとん。んな夜に」
「ああ…。いやな、来週よー、俺の上司の息子が結婚すんだわ!」
「…」
「はっはっはー!目出度ぇべ?」
にへら、と身内事のように阿呆が笑う。
その笑顔を見て、俺は何も反応ができんかった。
例え上司であろうと、ぶっちゃけ人間にそこまで深く関わりたくはない。
他の連中もそーなんと思うが、親しくなればなった分だけ、いかに平和であったとしても、時の流れが恐怖でしかなくなるからだ。
それが分からねえ程馬鹿ではねえから、寧ろこれが賞賛に値する"勇敢さ"であることは分かってはいるが…。
勿論、素直に褒め称えられる程、こちとら素直じゃねえんで…まあ、スルーで。
…しかし、結婚式か。
そんなら、他の連中もその上司の息子の知り合い連中ということだ。
ちらりと改めて横目で集団を一瞥する。
結婚式前に、同性の友達だけを集めてパーティするのは珍しいことじゃない。
よく見れば、男しかいないようだった。
女は…どうやら、一人もいねえらしい。
…。
小さく息を吐いて、再度、目の前の阿呆を見る。
「前祝いみてえなもんけ…。どれが花婿なん?」
「お? …いやいや!花婿は今日はいねーぞ」
「…あ? 祝いなんだべ?」
「おう!…んだから、今っから俺らで花嫁攫いに行くんだわ!」
「…」
両手を腰に添えて断言する阿呆の言ってる意味が分からず、俺は数秒呆けた。
それから、眉を寄せる。
…攫う?
結婚前の花嫁を、今からけ…?
映画のワンシーンのような映像が頭の中を流れる。
本心では望まない結婚をさせられる花嫁と、それを花婿から奪う恋人…的な。
…んだけど、ありゃ映画だからええんであって、本気でやるとなるとなかなかに問題な気がした。
「…何でんなことすん。花嫁ぁ結婚こと嫌がってんけ」
「ん? …ああ、いやいや!違ぇ違ぇ!これな、俺らんとこの恒例行事みてえなもんなんだわ」
「恒例…?」
片手を顔の前に上げて苦笑する阿呆の言葉に、虚を突かれて聞き返す。
「そ。…花嫁攫って、花婿に犯行電話かけて、救出しに来させんだわ。んで、もっかい俺らの前で恋人に告って、愛を誓ってもらう!結婚の意思が揺らがねえようになっ」
「…」
そう言うと、佇んで、離れた一団を遠巻きに眺めていた俺に、奴は改めて笑いかけた。
「ほーん」とか適当に相槌を打ってそのまま別れの挨拶を言おうとした矢先、集団の中の一人が馴れ馴れしい調子で自国であるデンの名前を呼んだ。
何となく、苛っとする。
まさか、んな胸中の些細な苛立ち一ミリに気付いた訳ではなかろうが…。
「一緒に来っけ?」
「…」
小首を傾げて誘われ、俺が返事を返さねえうちに奴は俺を導くように歩き出した。
夜道の移動中、もしかすっとさっき言われたんは冗談なんじゃねえか…?と思いもしたが、実際行われてしまえば信じるしかなかった。
デンを交えた一団は、わいのわいのと移動をし、待ち合わせをしていたらしい花嫁と花嫁の女友達をデートスポットとして有名な公園へ連行し(連行といっても、一緒にぞろぞろ歩くだけだ。拘束などは勿論しない)、花婿に電話をかける。
花婿はすっ飛んできて、照れ臭そうに笑いながら友人らを罵った後、ライトアップする噴水がある公園に片膝を付き、連れ去られた花嫁にもう一度告白し、愛を宣言した。
拍手に口笛。
周りでたらたらデートやら酒飲みしとった通行人も集まり、まるで盛大なイベントの如く盛り上がり、その後近くのバーに直行という流れらしい。
暇潰しこの上無かったが…。
割と、見れて良かった気もして、終わる頃には俺もすっかり勝手に仲間に溶け込んだ気ぃになって、口元を緩ませて拍手していたらしい。
…何か、ええな、と思う。
「…酒、ええんけ?」
「ええってええって。家帰って飲んからよー」
帰り道。
往き道よりも灯りの少ない街道を、ぽてぽてと二人揃って歩いた。
税金上がっても飲んべえを止めねえ阿呆だ。
デンはそのまま連中と一緒に飲みに行くのかと思いきや、帰るのだと言い出した。
明日早いからとのことだ。
嘘ではねえんだろうが、んだったらさっきの道普通に自宅の方曲がりゃいいのを、わざわざ遠回りして歩いてんだから、どうやら送る気らしい。
いつもなら鬱陶しいその気遣いを真正面から拒否して殴り倒して街灯の下に捨てて置いてタクシー拾って帰るのだが、今夜は何となく放置してみることにした。
石の歩道は足音を夜に響かせ、妙にいつも以上に"二人"という人数を俺に意識させる。
わざと聞かない振りをして、星空を見上げて息を吐いた。
「ええもん見れたっぺ?」
「…ん」
「スペシャルラッキーってやつだべ!…ははっ。こーんくらいだったチビガキが、もー嫁さんってんだからよー。なーんか、慣れたつもりでもビックリしっちゃーよなあ」
「人間は成長早ぇかんな…」
「うんうん。んだない。…いやしっかし、ええなあ。俺んとこの平均寿命が、大体七十九歳くらいだっぺー?」
「おめえまだ八十いってねんけ…」
俺らんとこのメンツん中で、平均寿命が一番低いことを気にし始めてたのが、確か数年前だったか…。
耳打ちでこっそり、どうやって人間の寿命伸ばしてんのか聞きに来たり、そっから色々と試行錯誤しているっぽいが、平均八十ライン上な俺らから一歩出遅れ、どうやら未だに七十代に留まってるらしい。
呆れたように溜息吐くと、デンは後ろ頭を掻きながらへらへらと笑った。
「はははっ。もーちっとなんだけっどよ~。…んまあ、じわじわあがってっから見ちみ。来年ぁ俺だって大台突破だかんな!」
「どうだか…」
ぐっと拳を握って宣言した阿呆は、上げた拳をぶらりと下ろすと、人の話を聞かずに続ける。
「んで、二十歳ん時に運命の相手に出会ったとしてよ…。んー。やっぱええわなあ。たった六十年ちょっとで愛を貫けたことになんだからよ」
「…」
ぽつりとそれまでの声よりも低い低声で付け足された言葉に重みを感じて、横を盗み見る。
空を見上げていた俺と違って、デンは足下を見ていたらしい…が、俺の視線に気付くと顔を上げてにんまりと笑って見せた。
笑顔で細まった目を瞬き、丸い瞳で俺を覗き込むように見た。
「平均寿命も不安定な俺らにゃ、ちーっとばかし難しいもんなあ?」
「…」
「…お!ほれ、ノル見ちみ。あそこんとこに教会があんべ? さっきのボンボンの式な、あそこでやんだわ」
不意に片腕を上げて指差した先は、メインストリートから一本奥に入った、それでも大きなサイドストリートの方だった。
ただし、今の時間帯では暗くて何が何だか一切分からん。
暗がりの街並みとぽつぽつした灯りが、メインストリートに並んでいる店々の奥に見えるだけだ。
それでもその場所が教会だとすぐに分かったのは、満月に近い月を背に、教会天辺の十字がくっきりと月の白色を割って四等分していたからだった。
…この辺には詳しくないし教会本体の建物はよく見えないが、そのクロスの大きさからして、あんまし大きな教会ではなさそうだ。
「…案外小せえし、街中なんな」
「花嫁がな、あすこんとこの孤児院出身なんだと」
「…」
…ということは、さっき見た花嫁花婿は確実に恋愛結婚だろう。
家柄やら何やらで結婚の可否が決まるなんて馬鹿馬鹿しくて考えるのも嫌だが、それでも上流階級となれば流石にそうもいかないのは、どこも一緒だろう。
そんな中で、デンの上司の息子が相手を見つけて公に結婚できるということは、無関係であろうとも、ちょっとばかし俺を嬉しくさせた。
「…幸せになるとええんな」
何となく、月に照らされるクロスの影を見上げていたデンの背中に呟いてみる。
俺的にはさして気にしない一言だが、何故かデンは丸い瞳で、一瞬意外そうに俺を振り返った。
…。
…何で意外そうなん。
相手の反応が不愉快で、反射的に半眼になる。
「…なん」
「ふぇ? …あ、ああ、いやいやいや!何でもねえけど…!!」
慌てて両手を前に出して否定するが、んなら何で驚く。
そのまま睨んでいると、俺のじと目から逃げるように視線を外し、阿呆は場凌ぎに軽く頬を掻いた。
逃げた目線の先が再度教会のクロスを捉えたらしい。
「…あ」
数秒間の沈黙の後、不意にパチンッとデンが指を鳴らす。
小気味いいその音は、夜の空気に気持ち良く響いた。
「教会、行っちみっけ?」
「…今からけ?」
「おう!」
言うが早く、ずかずかと自分のペースで歩き出すデンの背中に何度目かの溜息を吐く。
着いて行ってやるかやるまいか…。
迷ったが、見えていた背中が闇に溶けて見えにくくなると、気付けばその背を追って俺も嫌々ながらに歩き出していた。
こうと決めちまったら周りを振り返らずに突き進む悪癖は何百年経っても直らないらしい。
三つ子の魂百まで…とかってやつだ。
…今日は随分あちこち連れられる日だ。
単に帰り道に阿呆の姿を見かけて声をかけたばっかりに、今晩は予想外に長い時間一緒にいる気がした。
夜の教会は、それは静かなもんだった。
やはり小振りな街の教会だが、全体的な趣味がいい。
佇まいを見るだけで、心が落ち着く。
両開きの正面扉の前に立てば、いい加減影でしかなかった天辺のクロスもはっきり拝めた。
「おー。なかなかえんじゃねえけー?」
額に片手を添えてそれを見上げてから、上げていた片手を下ろしてデンがまた足を進めようとする。
そのまま扉の中へ入っていきそうな様子に少しぎょっとした。
「おい…。まさか入っ気なん?」
「ん? そりゃあな。折角来たんだしよー」
「神父起こしちゃ悪ぃべ」
「ちっと覗く程度じゃ起きねえよ。隣に宿舎があっぺな」
けらけら笑いながら、扉に片手を添えてそれを押す。
教会には基本鍵はかけねえ。
実用的な教会であればある程そういうもんだが、当然この小さな教会にもかかってはいなかった。
キィ…と僅かな軋みだけを残して、あとは静かに片方の扉が開く。
僅かに空いた隙間の中に、デンはさっさか入っていってしまった。
「…阿呆け」
流石に、気紛れで中に入るのは躊躇われる。
阿呆は起きないだろうと言っていたが、例え孤児院と建物が離れているといっても、当直がいるかもしれないし、仮眠をしているとしたら起こしたくはない。
…中まで付き合う必要はねえな。
俺が着いて来ないと分かれば、どうせすぐとんぼ返りして戻ってくんべ…。
そう思っていたのだが…。
扉の向こうの暗がりから、俺を呼ぶ控えめな声が響いた。
『ノルー。どしたー? こっち来ちみー』
「…」
『ノル』
間延びした一回目と違って、二回目に呼ぶ時は少し強かった。
…自分の最悪に嫌な所だと分かっていても直らない。
死ぬほど馬鹿で呆れて着いていけないド阿呆でも、奴に少し強く出られれば、その殆どに従うような性分が俺の中に確かにあった。
渋々、面倒臭がる身体を引きずって、たらたらと俺も入口へと近づき、扉に手をかけて中を覗き込んだ。
当然だが、中はがらんとしていた。
整然と並ぶイス。
正面には何を見てんだか許してんだか分からない十字架と祭壇。
その奥に、この教会には少し大袈裟なステンドグラスがあった。
さっきまで大した光源になっていなかったはずの月明かりが、何倍もに倍増されて、明かりもないのに教会内を淡く照らしている。
左右の長椅子中央にある通路の真ん中…。
祭壇の正面といえるほど近すぎない位置に、デンが立って俺を手招きしていた。
「ほれほれ。こっちこっち!」
「…悪戯かまして怒られっ歳じゃねえべ」
「すぐ帰っからあ~!いいもんやっから来ちみって!」
渋ってみても、当人はどうやらその場から動く気は無いらしい。
まるで駄々っ子のようにへらへら笑いと手招きを繰り返すだけだ。
…仕方なく、やっぱりたらたらと椅子の真ん中を歩いて近寄っていくと、手が伸びる範囲になった途端に手首を取られ、引っ張られた。
「…!」
ぐん…っと腕から身体が持って行かれる。
つんのめりそうになってバランスを崩した俺を、空かさず伸びたもう一本の腕が後ろ腰を支えた。
ダンスで踊る時のような、力業で持ち上げられるわけじゃねえが、下から浮き上がらせるような力の入れ方で、ふわりと一瞬浮遊感を得る。
はた…と気がついた時には、いつの間にかデンの正面に向かい合うようにして立っていた。
「…」
「…♪」
今の一瞬間の状況がちっと把握できなくてきょとんとしてた俺の両肩に手を置いて、にんまりと警戒心無い顔が笑いかける。
…かと思ったら、ぽんぽんっとガキにそうするように右手で二回、頭を叩かれた。
…。
「次の休みにでも渡そうと思ってたんだけっどよー…。ま、今日会えたしな!」
何となく黙り込んで視線を泳がせていた俺へ、そう言って胸ポケットから小さな細長い箱を取り出す。
「…? なん」
「タイピン。…おめ、こないだ無くしたっつてたっぺ? ええのあったからよ、どうかなーって思ってよ」
差し出された小箱を受け取ろうと手を浮かせたが、それよりも先にデンが自分の掌の上でさっさか小箱を開けやがった。
…おい。
俺へのプレゼントと違うんけ…。
開けられた小箱を覗き込むと、趣味のいい銀細工のピンが乗っかっていた。
「どうだ?」
「…ま、普通だべ」
「結構えがっぺー?」
再度、手を浮かせて今度こそ受け取ろうとしてみたが…。
その前に、デンが箱からピンを指で摘み上げた。
俺の手の甲をやんわり遮って、そのまま腕を伸ばすとピンを勝手に俺のシャツのポケットに縦に差す。
…何で抜き身で渡すん?
苛っとしながら、ポケットに差されたピンを抜こうと思って下を向いて指先を添えていると、奴は続け様自分の指にはめていた指輪を抜き取った。
その仕草が唐突で、取ろうとしていたタイピンに指を添えたまま、抜くのを忘れて指輪を見る。
「…これな、俺がずーっと前、仏蘭西んとこの店で見つけたやつでよ。結構趣味ええと思うんだけっど」
「は…? …って、おわ!」
言ってる意味が分からず思いっきり眉を寄せた俺を無視して、突然片腕を持ち上げられ、ぐいと指輪を押し込まれた。
タイピンは取り敢えず無視して、次はその指輪を抜きに掛かる。
手の大きさも指の大きさもそこまで変わんねえと思うが、人差し指に付けられてたんを中指に入れられりゃ多少間接で詰まりはするし、すんなりとは抜けてくれない。
「ちょ…何なん」
「あとは…。じゃーん!フィンに借りたまんまのハンカチー!」
「…あ?」
「ほれっ」
「…!」
これ見よがしに指で抓んで広げて見せるハンカチ(端っこに飼い犬をあしらったっぽいワッペンが着いてる)を、そのまま俺の頭に被せた。
…。
クソあんこ…。
行動が全て意味不明で苛々して、そろそろマジでキレっかなと思って一発殴る準備として指輪の入った指とその硬さがいい具合に殴った時ナックル代わりになるよう、角度を考えて拳の指を調節していると、デンが暗い教会内をきょろきょろと見渡しだした。
「んであとはー…。青いもん青いもん…」
「…意味分かんね。青いもんなんか何――」
――と、そこで、はたっと気付いた。
"新しいもの""古いもの""借りたもの""青いもの"…。
「…」
「おっ。あの花とか青いんじゃねーけ?」
目的の"青いもの"を見つけたらしく、デンが一度その場を離れて祭壇横のオルガンに乗っかってた小さな花瓶の中から、一本の花を取る。
小さくて可憐な野草らしいその花は、確かに青っぽく見えた。
「ほーれ、ノル!青、青!」
「…」
嬉しそうに言いながら戻ってくる阿呆を見れず、思いっきりそっぽを向いたまま俯いて沈黙を続ける。
…顔が熱い。
逃げたくなる。
実際には足も動かない状況でどうしていいか、どう反応すべきか必死に悩んでいるところを、いつの間にか戻ってきちまったデンが、タイピンのかかっているシャツのポケットに青い花を差し込んだ。
「…」
「…おっと!」
逃亡したいという意思が働いて、反射的にふらりと一歩後退した俺の手首を、デンが掴む。
それでも俯いたまま顔を上げない俺を、悪戯っぽく覗き見ようとする。
「んな逃げ腰になんねぇでもええべ~? ん?」
「…。おめえが…阿呆臭ぇことばっかしてっからだべ」
「なーんで。結婚式っぽくてえがっぺな」
「うぜえ」
「いでっ」
寄ってくる顔を、掌でべちりと覆って押し返す。
くすぐったいような、そんな声でけらけらと短く阿呆が笑う声が静かな教会に響く。
「阿呆け。何でそんな阿呆なん。俺らとは無縁だべな。…つーか間違ってもおめえとはしねえし」
「ひでえ!」
吐き捨てるように言うと、あからさまにショックを受けた風に冗談めいて身を引く。
…当然、冗談だ。
俺の可愛げ無い突け離す言動が100%冗談であると分かる程度には、お互いのことを分かっているつもりだ。一応。
「…んなことしたって、意味ねえべ」
溜息を吐いて、頭を覆っていたフィンのハンカチを取り、折り畳んで胸のポケットへ押し込む。
口から次々と、気持ちと正反対の言葉が出るのはいつものことだ。
本当のホントを言えば…まあ、それなりに嬉しくはあった。
…それ以上に、心底馬鹿だなとは思っているが。
国は結婚できない。
できるのはせいぜい同盟だ。
同盟はできても、"表面だけでも仲良くしましょう"な今のご時世、んなもん昔ほど強い繋がりでも無くなった。
ここと決めた相手が唯一最愛であった昔の同盟と、あっちもこっちも複数関係結んでる今の同盟は意味が違う。
当然過去も形だけの同盟はあったが、それだって今と比べりゃそれなりにウエイトがあった。
それもままならない今、俺たちを"国"として結ぶものは軽い同盟条約くらいなものだ。
悲観的な俺と違い、デンは自信たっぷりに両手を腰に添えて胸を張った。
「んでも、俺ら"個人"なら結婚したってええべ!」
「は…。個人?」
思わず鼻で笑う。
"個人"なんて、夢のまた夢のそのまた夢くらいの遠い単語だ。
ずっと前から、何度振り回されて自分の気持ちとは正反対のことをされたか分からない。
…嫌じゃねえ。
嫌じゃねえけど、俺らにできるのは、せいぜいごっこ遊びだ。
俯いたまま、横目でちらりと祭壇の方を見る。
「…見届け人もいねえし」
「いんねえべ。神様の前で誓やいいわけだしな!」
「…。あんま、真剣な…約束とか…。…好きじゃねえ」
「…」
意図せず、声が震えた気がした。
どんどんどんどん小さくなって、ぽつりと呟く。
例えば、来週の休日の約束なら問題はない。
そういう気楽な約束は好きだ。日々の楽しみになる。
けれど、真剣味を帯びた約束は苦手だった。
どうしても破らなければならないことも多いからだ。
永遠に変わらぬ愛は、過去に誓った覚えがなきにしもあらず。
けど、それも結局貫けなかった。
今更同じことをしたって、何にもならない。
…嬉しいはずの一方で、どんよりと沈む俺の両手を、デンが包むように柔らかく、且つ強く握った。
咄嗟に上げてしまった顔に、相手の顔が入る。
「んじゃあ、現在の確認!」
「…。…確認?」
「そんくれえがえがっぺ。俺らはよ」
気を取り直すように明るく言って、ぶんぶんと握った手をガキのように小さく左右に振る。
「おめえ、昔っから嘘は嫌いだもんなあ~」
「…悪ぃん?」
「いんや別に。おめえのそゆとこ、誠実ですんげー好きだかんな。…て、はは。顔赤ぇの」
「…!」
突然苦笑しながら指摘され、指の背で頬をすっと一撫でされる。
忘れかけていた赤面を指摘され、かっと羞恥と合わせて苛立ちが前面に出てきた。
反射的にその手を叩き落とすのがいつもの行動だが、どうせ誰もいない。
睨み上げるくらいに留めておいたが、結局視線負けして、さっと反らす。
慣れた様子で、デンが肩を竦めて戯けてみせた。
「…。新しいもの、古いもの、借りたもの…青いもの」
順々に、確認するようにデンが指先でそれぞれの物をつっついていく。
最後にポケットの花を指先で弾いてから、するりと横髪を撫でられて顔を詰められる。
俺の暗い瞳と違って、明度の高いターコイズの双眸は、すぐ足下を照らしているステンドグラスの色の一部に似ていた。
「愛してんぞ、ノル…」
「…。ぶっちゃけ聞き飽いた」
"meg også"と同意したいところだが、生憎そうはできていない。
悪態だけ吐いて、尊大にキスを待った。
永遠だとか結婚だとか…。
幼稚過ぎて哀しいだけだし、望もうとも思わない。
それでも、その輝かしいだけの単語が"幸福"と同時に"死"の代名詞であるのなら――。
いつまでもこの腕の中で死んでいるのも悪くないと、相変わらず甘っちょろくて子供めいた俺は思うわけだ。