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「…それって、confeitoだろ?」

勉強を始める前に日本が懐から取り出した小さな袋。
時々その中身を指先で抓んで口に入れるのを見てたが、その日尋ねたのは完全な気まぐれだった。
書を広げ、準備をしていた合間に小さなキャンディを口にする。
その仕草に目を引かれ、隣で足を組んで膝上に広げていた同等の書から視線を上げて尋ねた。
さり気なさ過ぎるその仕草はうっかりすると見過ごすくらい短い時間で、ひょっとしたら実際は毎日勉強前に口にしているのかもしれないが、あいにく連日通っているはずの俺は指折り数える程しか気付けていない。
希に視界に収めた日は少しだけ幸福になれる。
油断しているというか…。
気を許してくれている気になり、頬が緩む。
俺の声に、日本が顔を上げてこっちを向いた。

「ええ。我が国では金平糖と字を当てておりますが」
「甘い物が好きなのか?」
「疲れた時は殊更美味と感じます。…済みません、講筵前に」
「いや、それは別に…」
「お一つ如何ですか」

掌に1つ。
別に今は着物を着てる訳じゃないのに、癖になってるんだろうな。
差し出す片手の下にある見えない袖を押さえるようにもう一方の手を添え、真っ直ぐ向けられる視線に中てられて不意にキスしたくなる。
が、飲み物無しで甘い物だけってのは好きじゃない。
首を振って断っておいたが、日本が食べる分には一向に構わない。
何ならこのまま勉強なんて放置してお茶の時間にしたいくらいだ。
このタイミングでキスができたらな…と既に濁り出した思考が勝手に想像し気が緩む一方で、ここからまた2時間ちょっとお預けを喰らうこの状況に早速苛々し出す。
片手の指先で肘置きを叩き、少し迷って、キスくらいなら勉強前でもいいだろうと思い切って切り出そうとした直後。

「これは…」

懐に袋を仕舞い、日本が静かに、見せつけるように微笑した。

「葡萄牙さんにお教え頂いてから、処方書を重く置いてあります」
「…」
「遅くなりました。さあ、始めましょう」
「…。ああ…」

他の奴の名前がその口から出てきて、突然同意した自分の声が低くなる。
デスクの上に放ってやった復習用の紙にペンを走らせる日本の手元から視線を外し、心の中で舌打ちしておく。
…と言うか。
今のは絶対わざとだろ、どう考えたって。
俺を不愉快にさせて何が楽しいんだ。
メリットなんか無いだろ。
寧ろ俺の機嫌を取らなきゃいけない立場なんじゃないのか?
俺が本気で怒って帰りでもしたらどうなると思ってんだ。
少しは考えろよ。
胸中でぶつぶつ繰り返しながらも日本が書き終わるまでイスに沈んで頬杖を着き、考えていたことといえば、明日すぐにでも用意できそうな菓子のレシピは何があるか、とかだった。
正直苦手分野だ。
俺あんまり色々作れないしな…。
どっちかって言うと、見よう見まねが多いし。
仏蘭西でもいれば首根っこ捕まえて関節技かけて吐かせてやるのに。
かと言って、「それなら教わって来ます」とかいって迂闊に仏蘭西に懐かれても困る…と言うか、耐えられない自信がある。
仏蘭西や葡萄牙に媚びてない菓子がいい。
…何かないか。
何か手軽で、単純で、甘くて。
こいつが好きそうな…。

confeito & Chocolate



「ご進物ですか?」
「あ…?」

その日持って来た小さな箱をデスクから離れた窓際のソファセットにあるテーブルに置くと、向かいに座っていた日本がよく分からないことを言った。
思わず顔を上げて聞き返す。
何が面白かったのか、小さく笑う口元にちょっとだけ開いた扇を添えて「いえ…」と短く応えた。
…何となく聞いても答えてくれなそうだったんで、まあいいかと思い直し、箱を日本の方へスライドさせる。
宝石箱と香水瓶とだ。

「ほら、やるよ。土産だ」
「頂けません。日頃ご面倒をおかけしておりますのは私の方ですから」
「とか言って結局受け取るじゃねぇか。…いつも思うが、その台詞は何とかならないのか?」
「礼儀ですので」

口元に添えていた扇を両手で持って膝の上に置き、日本が両目を伏せ頷く。
礼儀だか何だか知らないが、プレゼントを差し出して真っ先に断られるのは気分が悪くて未だに慣れない。
プレゼントである以上、喜んでもらった方が良いに決まってる。
そうされようと、こっちだって色々選んでやった過程があるって言うのに…。
時間の無駄以外の何ものでもないいつもの返しを受けて小さく息を吐いた。
面倒臭いが、もう一度俺が進めることで漸く日本が土産へ指先を伸ばす。

「…。これは…」

宝石箱の方を持ち上げて膝に置き、ぱかっと蓋を開けた所でちょっとだけ意外そうに瞬いた。
そりゃ宝石箱なんだから中に入ってるのはダイヤか何かだと思っただろう。
そう予想して蓋を開ければ絶対驚く。
一瞬だけだったが、あまり見たことがない表情が見られて途端に気分が良くなり頬が緩んだ。
乗り出していた身をソファの背に預け、足を組み替えて軽く右手を挙げて笑ってやる。

「残念だな。宝石じゃないんだ。ジュエルの類とか、バラはもう飽きただろ?」

綺麗に鎮座しているダークブラウンの良菓子。
入れてきてやった宝石箱だってかなりの値打ち物だぞ。
値段を告げるなんて馬鹿なマネはしないが、機会があれば教えてやりたいくらいだ。
箱から1つを指先でつまみ上げ、まじまじと日本が見つめる。

「…猪口冷糖、ですか?」
「ああ。そっちの香水瓶に入ってるやつもそうだけどな」

固形のチョコレート。
なかなか良いチョイスだと自分でも思う。
見目だっていい。
宝石箱に収まってたって違和感がないくらい綺麗だし、葡萄牙や仏蘭西に負い目のない菓子だ。
興味があるのか、正面に座していた日本がちらりと瓶へ目をくれた。

「其方は…」
「瓶の方もチョコの粉末だ。飲み物だな。…けど、お前が持ってる方みたいに固形化して菓子のジャンルに加えたのは俺ん家なんだぜ。今日はシンプルな形にしたが、他にも色々な形を作れるぞ。お前あんまり食べたことないんじゃないかと思ってな」
「…」
「甘いのが好きなら絶対気に入るって。俺的にはビターよりミルクが口に合うと 思……」

大概何をやっても好意的な反応が多い。
今回も喜んでくれるかと思ったが、チョコを1つ抓んだまま日本がじっとそれを見つめて沈黙するんで、得意げになって話し始めた声は無意識に徐々に小さくなっていった。
予想外の反応に慌て、間を置いて、おそるおそる尋ねてみる。

「あ…。も、もしかして…嫌い、か?」
「…ああ。いえ、失礼」

俺の問いかけに日本が漸く一度顔を上げる。

「随分昔、好物として熱心に取り寄せていた大名がおりましたが…。最近は我が国でも一応作っておりますので見慣れてはおります。…が、確かにあまり口にしたことはございません。高価な物ですし、異国の方が食べる代物という印象が強いですから」
「ああ…。何だ」

淡々とした切り返しにほっと胸を撫で下ろす。
嫌いかと思っちまったじゃねぇか…。
…ったく、突然黙り込むなって話だ。
緊張していた四肢から力を抜いた俺の前で、日本が改めて目の高さにチョコを持ち上げる。

「…麗しい形状ですね」
「まあな。食い物だけど、やっぱ綺麗な方がいいだろ」
「金平糖と比べると大粒ですが…。一口で食す物なのですか?」
「あ? んー…そうだな。普通はな。なかなかそのサイズを割るのは難しいと思うぞ」
「成る程…。高価な物を誠に有難う御座います。後ほどゆっくりと賞味させて頂きます」
「え。あ…お、おい!」

折角手に取ったチョコを箱に戻し、蓋まで閉めてソファから立ち上がり、デスクの方へチョコを置きに行く日本に慌てて声を張った。
思わず俺も腰を浮かせて立ち上がる。
部屋の中央辺りで呼び止められた日本が足を止めて振り返った。

「何か?」
「何かじゃねーよ!後じゃなくて今食べてみればいいだろ!」
「頂いた方の前でその様なことはできませんよ」
「は…? な、何でだよ…。絶対お前の口に合うって!甘くて美味いんだぞ。俺ん家でもすげー人気があって、作り方だって書いて持ってきてやる!レシピとかだって色々あって、形だけじゃなくて味も種類が多いんだ。バリエーションだってたくさんある!気に入ったなら今度から持ってきてやる!だからもうこ…っ」
「…?」
「や…。だ、だから…!」

とっさに勢いよく言い出したが、言ってる途中、日本に追いついて細い片腕を掴んだ所で我に返り、ムキになって詰め寄ってる自分が途端に恥ずかしくなってきた。
紳士的じゃない。
声を張って無駄に力説する俺を疑問符浮かべて眺める双眸に気付いて、かーっと顔に熱が集まる。
こ、こんなぐだぐだになる予定じゃなかったんだが…。
ここまで来ちまうともう恥を捨てて言い捨てるしかなく、一瞬躊躇ってから再度目を見て、ぽつりと口を開いた。

「confeitoなんか…。捨てろよ」
「…」
「そんなしょぼい菓子よりチョコの方がずっと美味いし、見た目もお前さっき気に入ってただろ!もっと綺麗なやつだっていくらでも作れるんだ!そんな地味なキャンディ捨てて今度からはこ……って!何で笑うんだよ!!」
「し、失礼…っ」

掴んだ片腕で宝石箱と瓶を抱えたまま、口元を押さえてさっと日本が顔を背けた。
直接顔が見られなくても、震えてる肩とか、喉で笑うような小さな声は隠しようがない。
こ、この…っ。
更に顔が赤くなるのを自覚しながらも、横顔だけだが、滅多に見せない日本の笑顔に胸が熱くなりどうしていいか分からなくて狼狽する。
ある程度笑うと、漸く日本がこっちを向いた。
口元を押さえていた片手で軽く自分の頬と目元を撫でながら、穏やかに微笑む。

「ああ…。この様な無礼、上司に知れたら折檻を頂いてしまいます」

いつものどこか他人行儀な微笑みじゃなく、温かくなるような表情で上目遣いに俺を見る。
攻撃力の高い視線に掴んでいた片手を離し、ぐっと息を呑んで思わず半歩程後退する羽目になった。

「昨夜の言葉をお気に留めてくださったのですか」
「あ、や…」
「失礼。訂正を。…お気に留めてくださったのではなく、お気にされてらしたんですか?」
「~~…っ、いいから!出せよ!!」

殆どやけくそになって苦笑している日本に勢いよく右手を差し出す。
絶対これもワザとなんだろうが、かなりとろとろした動作で懐から日本がconfeitoの入った色鮮やかな袋を取り出し、ぽとりと俺の掌へ落とした。
中を確認して一度軽く宙に放ってからキャッチし、部屋の端にあるゴミ箱へ持って行くと力一杯箱の底に叩き付けた。
からん…!と乾いた音を立ててゴミ箱が残ったキャンディを食う。
距離の空いた背後に立つ日本が、勿体ない…とか呟いていたが、両手をぱんぱんと叩いて掌の埃を払って無視してやる。
そこで昨日から続いていた不快が漸く安堵に包まれ、両手を腰に添えて短く一息吐いた。
背後からまた小さな笑い声が聞こえたような気がしたが、敢えて気付かない振りをして髪を適当に掻き上げ、指先でタイを緩めることにした。







「…嗚呼。美味ですね」

1つを頬張った口元に片手を添え、日本がゆっくり瞬きしながら静かに呟いた。
絶対気に入ると自信はあったが、実際に好意的な感想を聞くと安心する。
一度動かした宝石箱と香水瓶は再びテーブルの上に座って新しい持ち主の前に並んでいた。
両足の間に座らせた小さな身体を背中から抱き、月色の項に鼻を寄せて目を伏せる。

「…confeitoより美味いだろ?」
「さあ…。甲乙付け難いかと。もう少し食さないことには」
「…」

この期に及んで折れない生意気な態度にむっとして、片腕を宝石箱に伸ばす。
くすくす笑うその口に2つ目を少し強引に押し込んで、分かりました分かりましたと言わせてから珍しく始終機嫌のいい日本の頬へキスすると擽ったそうに肩を上げた。
その動作に誘われて続け様唇にもキスしとく。
蓋を開けっ放しにしているからか、俺の持ってきたチョコの匂いが部屋に漂い、舌伝いに味わう甘みと合わせて日本の衣類から香っていた麝香を打ち消す。
たかが匂いが強くて甘いってだけの菓子ひとつ。
けど、外も中も全部俺が染め上げたみたいで最高に気分がいい。

「…英国さん」

顔を離した後、口元に片手を添えてこそりと日本が耳打ちする。

「先程貴方を笑った無礼、どうぞお許し下さいね」
「あ…? そんなもん、別に気にしてねーよ。お前は…さ。もーちょっと笑った方がいいって、絶た…」

不意に耳朶にキスして顔を離し、俺の膝に掌を置くと一度腰を浮かせて片腿へ乗り上げ、信じられないくらい無邪気に日本が微笑んだ。
初めて見る表情に一瞬で理性がどっかへぶっ飛んでいく。
硬直した一瞬の隙を突いて顎筋にキスされ、びくっと身が攣った。
濡れた場所に指先を添え、日本が肩に頭を預けてくる。

「上司には何卒、ご内密に…」

実は結構な失態なので…とか何とか言ってた様な気がするが…。
上せた耳鳴りのする頭じゃ考えなんか及ぶか。

何も考えず、無心のまま反射的に冷たくて小さな手を取って、女王に忠誠を誓う様にその甲へ口付けた。




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バレンタイン小説でした。
チョコレートが媚薬というのは何故か妙に納得できる。
2011.10.25

余談: 金平糖とチョコレート

金平糖は葡萄牙語でconfeito.
芥子粒を軸として糖蜜の衣を着せたつぶつぶついてる甘い砂糖菓子。
室町時代に南蛮菓子として伝わり、結構長い時間高級菓子としての地位におり、昔は皇室など身分の高い者しか口にできない程だった。
他の南蛮菓子としてはカルメラ、カステラ、ボーロなどがある。

チョコレートの方は最初は完全な飲み物だった。
最初は薬品、媚薬、呪薬としてマヤ族が用いていたものが欧羅巴に伝わり、上流階級に広まったが苦くて飲めない。
のを、英国がミルクと合わせてマイルドにしてみたあと、美味しい飲み物として広まり、どっちかっていうと仏蘭西とかの方が好んでいたが、英国がそれを固形化に成功してからは一気に広まった。







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