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「アイスちゃ~ん!」
「…」

木陰の多い西の庭。
最近種を蒔いたカモミールの様子を見ていると、突然背後から甲高い間延びした、脳天気でぶっとんでいて、その上ふわふわ軽重軽そうな声が飛んできた。
…振り返らなくても分かる。
僕のことをそう呼ぶのは一人しかいない。
烏克蘭だ。
彼女のことはよく分からないから、あまり一緒にいたくない。
嫌だけど、振り返らないで無視していると背中から抱きついてきて、ウエイトある胸に押し潰されかけてからはもう無視はしないことにした。
初めは、単純に女性の胸押しつけられて吃驚したけど、彼女のバストはそんな軽い重さじゃないから。
時々思うけど、バスト大きすぎる女の人って本当大変そう。
肩越しに嫌々振り返ると、案の定、右腕を高く上げて烏克蘭が木漏れ日の間をこっちへ走ってきていた。

「…何」
「アイスちゃんこんな所にいたのね~。もぅ。お姉ちゃん露西亜ちゃんのお家あちこち探しちゃったんだから~」
「…その呼び方止めてよ」
「ええっ? も、もしかしてだめ?? とっても可愛いと思うんだけど…。嫌なの??」
「嫌っていうか、恥ずかしいから」
「あ、嫌じゃない? よかったぁ~!お姉ちゃん一瞬アイスちゃん嫌なのかなって思っちゃった~」
「…」

…頭痛がする。
半眼で彼女を一瞥してはみるけれど、相変わらずノーダメージっぽい。
彼女は苦手だ。
あっちの意味不明な妹の方はもっと苦手だけど。
気を付けないと飲み物に毒物入れてくるし、あの小さい方が入れた紅茶は絶対飲まないことにしている。
…て言うか。

「どうしたの、今日は。…ロッサならいないよ」
「うん、知ってる。会議よね?」

何だ。知ってるのか。
露西亜は一週間前から外交的な会議に出席している。
そういう会議って世界中から人を集めなくちゃいけないから、やるときは十数個の会議を数日の間にまとめて行うから、結構長めの仕事旅行になる。
今の世界情勢がどうなっているのか、僕にはよく分からないけど、取り敢えずあんな脳天気男でも一応重いポジションにはいるらしい。
欧羅巴の面々には知り合いが多いけど、もう僕は暫く会う気もない。
特に北欧の連中はしつこくて、嫌い。
昔は確かに近所ってだけで親しくしてたのかもしれないけど、それだってもう覚えてないし。
いつまでも馴れ馴れしくされても困る。
面倒臭い顔を見るのも嫌だから、僕が起きてからは、ずっと露西亜の家にいた。
…結構広くて本もたくさんあるし、今の所飽きは無い。
まだ彼のことを"お兄ちゃん"とは呼んでないけど、烏克蘭はすっかり僕を弟扱いし始めている。
正直止めて欲しい。
女姉妹とか…。
欲しかった時がない訳じゃない…のかもしれないけど、どう対応するのが普通なのかさえ分からない。
沈黙する僕に、烏克蘭は敵対心皆無な笑顔で手にしていたバスケットを持ち上げた。
チェックの布が上に掛かっていて、中身は見えない。

「あのね、ビスコット作ってきたの。アイスちゃんお菓子大好き~って露西亜ちゃんから聞いてたから」
「…」
「お紅茶はジャム入れるでしょ?」

それは…何。
つまり、あんたとお茶しろって話…?
勘弁して欲しい。
だって会話なんか絶対持たない。

「さあ、お茶にしましょ、アイスちゃん。お姉ちゃんアイスちゃんとずっとお話したいと思ってたの。なのに露西亜ちゃんってば、最初の挨拶の時だけでお姉ちゃんにも全然会わせてくれないから、とっても残念だったんだから。あんまり会わせてくれないから、まだ眠っているのかと思っちゃったわ~」
「別に眠気は…まあ、もうないけど…」
「あ、そうなんだ~?もうすっかり取れた?? 気付けにお姉ちゃんのお庭のハーブティご馳走してあげる。とっても美味しいのよ?」
「…。悪いけど、僕ちょっと体調悪いから」
「ええ…!?」

彼女の話題の相手になれそうなテンションを、僕は所持してない。
眠る以前は殆ど他人だったと思うし、起きてからちらちら面識はあるけど、会話したことは殆ど無い。
そんな彼女といきなりお茶だなんて、拷問めいている。
例え身近に暮らしているといっても、彼女はまだ他人だ。
たぶん嫌いじゃないんだけど、とても親しくなんてできない。
…僕の言い訳を、烏克蘭は真に受けたらしい。
随分驚いた顔で急に慌てだした。

「だ、大丈夫アイスちゃん…!目眩とかする?貧血とか?? お姉ちゃんお薬持ってきてあげるから、そこに横になりましょ!」
「いや、そこまで重傷じゃないから…。部屋に行って少し休めば大丈夫だけど…。でもあんたの相手はできないから」
「そんなの後でいいのよっ。…さ、それならもうお部屋に行きましょ。無理しちゃダメなんだからね。アイスちゃんが倒れちゃったりしたらお姉ちゃんも露西亜ちゃんも哀しいし」
「ちょ、ちょっと…」

勝手に人の傍まで来て、勝手に袖を掴まれ、ぐいぐい引っ張られる。
まるでリードを着けられた犬のように、僕は彼女に従うしかなかった。
木陰の庭を離れ、玄関とはまた違う、館へ入る入口の一つへ連行される。
ドアのある数段ある階段の上まで僕を上がらせると、階段下で烏克蘭は僕を見上げた。

「いーい? アイスちゃん。ゆっくり休んでね。露西亜ちゃん明後日帰って来るから、それまでは絶対に無理しちゃダメよ? 何か困ったことがあったらお姉ちゃんかベラちゃんを呼んでね」
「…はいはい」

半ばため息ついでに相槌を打つ。
さあ、帰るかなと思ったが、途中で思い出したらしく、ぽんと揺れる胸の前で両手を叩く。

「あ、そうそう…! それから、ちゃんと戸締まりして、火の元には気を付けるなきゃダメよ? お皿は冷やしておいてくれれば、お姉ちゃん後で洗いに来てあげるからね!それから…」
「…」

つらつらと余計なお世話が羅列し、そろそろ愛想も疲れてきた頃、漸く烏克蘭は話を終えた。
途中で、うるさい…!と声を張らなかった僕は結構忍耐力強いと思う。
彼女は手に持っていたバスケットを、最後に僕に預けた。

「はい、これ」
「…どうも」
「ビスコットの他に、お花が入ってるからね。早めに花瓶に入れてあげて。…あ、あと種」
「種…?」
「そう。露西亜ちゃんがね、アイスちゃんに~って。買ってきたみたい。…まだ戻ってくるまで時間があるから、プレゼントだけ先に私に送ってきたのね」
「…。て言うか、僕に直送すればいいと思うんだけど」
「様子見てきてってメッセージもあったから。…ふふ。露西亜ちゃんったら、すっかりお兄ちゃんね。お姉ちゃん嬉しい♪」
「…」

まるで自分のことのように、烏克蘭は口元に細い手を添え、照れ臭そうに笑った。
逆光だったからかもしれない。
その笑顔が、とても眩しく見えた。
不意に、露西亜が年がら年中馬鹿みたいに首に巻いているマフラーの贈り主が、彼女であることを思い出す。

「それじゃあね、アイスちゃん。ばいば~い!」
「…」

歳も考えず元気に片腕を上げて笑顔で去っていく彼女へ、朗らかな別れの挨拶はできなかった。
沈黙して庭から出て行くのを確認し、ドアを閉めて鍵をした。

 

貰ったバスケットを持って部屋へ戻る。
唯でさえ広い館は誰もいないせいで、僕の立てる音以外は物音一つしない。
鳥の声も羽音も一切聞こえない。
…。
…鳥?

「…て言うか、何で鳥?」

無意識に胸中で浮いた唐突な単語に、自分で突っ込む。
鳥なんて、この家では飼っていない。
変な連想に内心首を傾げつつ、テーブルの上にバスケットを置いた。
…ビスコットって言ってた。
彼女が焼いたのだろうか。
あまり知らない奴が作った料理を口にするのは気が進まないが、ちょっとくらいなら食べてあげてもいい。
…まあ、何処かの味覚崩壊気味な低脳が作ったスコーンなんかよりはマシだろうから。
お茶の用意をしようと、カップが並ぶ棚へ一歩歩を進めたが、花が入っていると言っていたことを思い出し、水場へ行くのならついでにさっさと水にさしてしまおうと、再度バスケットへ向き直る。
指先で上に掛かっている布を抓み、さっ…と取り上げると、見た目は良さそうなビスコットの他に…。
…。

「…ポピー」

広い部屋に、ぽつりと僕の声だけが反芻した。
オレンジ、黄色、白のポピーの茎が、赤いリボンでまとめられていて、ちょっとしたブーケになっていた。
…ちょっと懐かしい。
昔は僕の家にたくさんあったけど、露西亜の家の花壇にはないし、全然見ていなかったせいか、こんなに可愛い花だったっけ?と思えた。
思わず指先を伸ばしてみる。
何処かで買ってきたのかな…。
伸ばした指先が、バスケットの底の方で何か固い物に当たった。

「…?」

丸い花弁に隠れるように、バスケットの底には小さなガラスの宝石ケースみたいなのがあり、透明であるが故に、その中に小粒の種が複数入っているのが一目で分かった――。


White ilmandi fyrir þig



百年の眠りから覚めて、それなりに経つ。
けど、正常なつもりでいて、どうやらまだ体内時計がおかしかったらしい。
そんなに眠っていたつもりはなかったけど、夜に眠って、次に起きた時には丸三日が経っていた。

「…」

…ねむい。
ベッドに差し込む朝日が顔に当たり、手の甲で右目を擦る。
…カーテン、閉め忘れたっけ?
ぼんやりそんなことを思っていると、ぎ…とベッドが軋む音がし、

「やあ。おはよう!」
「…」

ぬっとベッドヘッドの方から、視界に反転した満面の笑みの露西亜が乱入してきた。
顔に届いていた朝日が遮られ、影になる。
…ちょっと吃驚して瞬いたが、数秒も経てば平常心が戻ってくる。

「…おかえり」
「ただ~いま。…ていうか、正確には昨日帰ってきたんだけどね♪」
「…。ん」

逆向きのままの彼へ、右腕一本伸ばす。
慣れた様子で露西亜はそれを握ると、ぐいっと真上へ引っ張った。
横たわっていた僕の身体が引っ張られ、上半身が起きあがる。
…まだちょっと眠いけど、帰ってきたのなら起きてるべきかなとも思う。

「よく寝てたね~。…まだ変な感じ? 君がお寝坊さんだと、このまままたずっと眠っちゃうんじゃないかって、どきどきしちゃうよ」
「…もう平気だってば」
「検診増やそうか? 一応、今も調査隊が滞在してるけど、もうちょっと精密にしてみる?」
「別にいらない。…て言うか、退屈過ぎて寝てただけだし」

僕を引っ張り上げてから、ベッドをぐるりと回って露西亜が横へ来る。
馴れ馴れしい感じでそのままにこにこと髪を撫でられ、唇にキスされる。
挨拶だと分かってはいるし、今では僕だってそれが挨拶になってきてはいるけど、寝起きに相変わらずスキンシップ激しい。
…まあ、だからって嫌いな訳じゃないけど。
朝晩とか、外出時とか、慣れてきたし。
小さく息を吐いて、キスの後で頬を合わせた。
顔を離してから欠伸が出たから、片手で口元を覆う。

「ポピー、窓に飾ったんだね。きれいでしょ? 懐かしいかなと思って」
「ああ…。まあね。暫く見てなかったし。…あと、変な種あったけど、開けてないよ」
「ああ、あれね。何だと思う?」
「…? ポピーの種だと思ったけど」
「ふふ。…あのね、ドリアスオクトペタラだよ。君の国花!」
「…。嘘」

両腕を軽く広げて自慢げにベッドサイドに立つ彼の言葉に驚いて、僕は口元を覆っていた手を布団の上へ下ろした。
…オクトペタラ。
確かに僕の国花だったけど、でも…。

「…絶滅したって」

百年の間に僕の好きな花は、地上から失せていた。
元々北半球での極地とか高い山とかにしかなかった岩花だったけど、そのせいで数は少なく、レッドリストに並列されていた。
種と花を持っている国は限られていて、僕が眠る切っ掛けになった噴火と大気汚染の深刻化のせいで、僕の家の花壇は勿論全滅だった。
他の国も、温暖化進んだり大気変動起きたせいで、もう殆ど見なくなったって…。
絶滅したんだろう…って。

「うん。全然無いから、もうDNA解析から始めちゃった。試作なんだけどね」
「…」
「でも、たぶん咲いてくれるんじゃないかな。育て方は君がよく知ってるでしょ? …僕あんまり知らないんだけど、どんな花?」
「どんなって、普通の…。小さくて…」

何か急に恥ずかしくなって、声が小さくなる。
…僕の好きな花は、みんなのように華やかじゃない。
少なくとも、露西亜の好きなカモミール程も無い。
高さも花弁の大きさもない。
灰色の岩場に葉を広げて、小さな花をひっそりと咲かせるような、そんな花だから。
一言で言ってしまえば、要するに横に這うように広がる、地味な白い花だ。

「でも、好きなんだよね?」
「…」
「よかった。無くなっちゃったら嫌だもんね?」

いつの間にか俯き気味だった僕へ、露西亜が笑いかけた。
彼を一瞥する為に、僕は俯いていた顔を上げなければならなかった。

 

僕が眠っている間に専用の花壇を用意してくれてたっぽくて、ご飯食べてから早速種を蒔くことにした。
ちょっと堅めの土の上に、ぱらぱらと種を蒔いて水を撒く。

「早く芽が出るといいね~」
「…」

鼻歌なんか歌いながら花壇を向いている露西亜の一歩後ろに立っていた僕は、ざっと周囲を一瞥した。
誰もいないことを確認してから、くん…と彼の袖を引っ張る。

「…?」
「屈んで」

口元に手を添えて耳打ちする素振りをすると、露西亜は素直にちょっと背を屈めた。
つま先立ちまでする必要は無いけど、ちょっと背筋を伸ばすつもりで顎を上げ、彼の耳へ口を寄せる。

「…ありがと」
「ん? あはは。どういたしまして~」
「あと、そこまでじゃないけど…。…」

この際だ。
続けて言ってしまえと思ったけど、やっぱり途中で止まった。
急に言葉を止めた僕に、露西亜が首を傾げて身を乗り出して横へ傾いてくる。
烏克蘭もそうだけど、僕よりずっと年上のくせに、ここん家ってみんなふわふわ笑う。
意地張ってるのが馬鹿に思えるくらい。

「…」
「え、気になる気になる。なあになあに??」
「…留守中静か過ぎて…ちょっと寂しかったから…」
「………ん?」
「…おかえり」

こっそりと消え入るくらいの声量で耳打ちし、間の抜けた声で聞き返した露西亜の肩を片手で払うように向こう側へ押し出して、すぐに彼から離れ一足先に庭を出て部屋へ戻った。

 

芽が出たお礼に挨拶じゃない方のキスしてあげた。
…折角だから、花が咲いたら香水を作ろうと思っている。



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ちょっとらぶらぶになってきた感。
露西亜の国花はカモミール、氷島の国花はドリアスオクトペタラと聞きました。
氷島君の花すごく可愛かった!
2013.3.18





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