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突然の水柱。
突然の荒波。
悲鳴と銃声と崩壊音。
詰まりそうな呼吸の合間に目を開けると、海面が見えた。
きらきらと輝くそれを見て、ああ終わりだな…と何となく嬉しかった。
…格好悪くてずっと言えなかったけど、戦争なんてイヤだった。
確かに嫌いじゃないが、好きでもない。
最後の酸素を伴って一際大きな泡沫が口から零れ、それと同時にずぐ…っとやけに固体的に感じた海水の指先が肺に触れた。

それから少しの間、白い世界を漂っていて。
目を、開けると__。

「…お加減、如何ですか」

日本の声がした。
真綿の小さな絨毯に、固い枕。
噎せそうになる藺草の匂い。
…ああ、布団か…これ。
ぼーっとした頭で何とか状況を認識しようとする俺を制するように、蝉が鳴く。
やかましい庭と障子を背景に俺の横で日本が座っていた。
白い軍服が随分汚れていそうだったが、視力が狂ったのか、遠距離は見えるのに近くがぶれてよく見えない。
日本の輪郭はぼんやりしていた。

「此処は私の家です。ゆっくりと養生なさってください」
「…。俺…。助かった…のか…。…なんで」

口内が切れてるのか、喋ると度に鉄の味がした。
…助かる訳がない。
うっかり陰険なドイツの潜水艦に当たっちまって、そのまま船ブッ壊されて。
どかどか馬鹿の一つ覚えみたいな力業で海面一帯に水柱を上げられて…。

「…っ」

思い出すとこめかみが痛む。
痛む場所に手を添えると包帯がしてあった。

「…なあ、おい。誰が…」
「今はいいですから。もう少し眠ってください」
「ばか…。寝てる暇なんてな…」

と言っているそばから、頭痛が酷くなって言葉を続けられなくなった。
…やけに身体が熱い。
もしかして火傷とかしてんのか、俺…。
くらくらしてきてとても会話なんて続けられず、少し持ち上げていた頭はそのまま布団に落ちた。
意識が遠退く。

「そのまま深く」

柔らかい声色で、すとんと命令のように言葉が落ちてくる。
すっと髪先に何かが触れたが、もう何も見えない。

「私は貴方の護衛をお引き受け致しました。…次にお目覚めになるまでは、謹んでお守り致します」

寝言に思わず鼻で笑った。
お前程度が。
耳鳴りが酷く、それからはもう覚えていない。
…。



後日。
俺が寝ている間にあったことを、上司から聞いた__。



献身



時はそれなりに過ぎて。
アポイントも無しに、俺は強引に日本の家の門を開けた。
ずかずか室内に踏み込んだが姿はなく、苛々しながら開けにくいドアを全部開けて探したがやっぱりいなくて、最終的に小さな裏庭で見つけた。
竹…だったな、確か。
上に伸びるしか脳のないこの植物は鬱蒼と空を覆い繁り、木漏れ日は本当に些細で小さかった。
まるで夜みたいな庭に日本がぽつんと“座って”いた。
いつもの着物の上に、また別柄の着物を羽織っている。

「…?」

気配に気付き、日本が俺の方を振り返ると能天気な顔でぺこりと頭を下げる。

「これは英国さん、こんにちは。もうお加減は…」
「…」

独特の、垂直に伸びる木々を背景に座る日本へ、表情も変えず肩を張ったまま大股で歩み寄った。

「な、何です…え? うわっ」

戸惑う日本の膝に、持ってきた全ての荷物を叩き付ける。
至極の薔薇。
最高の茶葉。
至高の宝石。
少額の硬貨。
数多の書籍。
小さな勲章。
…全てをぶん投げ終わり、間を置いて日本が顔を上げようとしたが、その前に俺がその場に片膝を付いた。
パイプが無機質に輝く小さな車椅子。
それに乗ったまま呆けている日本の片手を取り、俯いて、その手の甲を額に添えた。
…火傷は両脚の膝上まで上ったと聞く。
泣かねーぞと思ってきたが、やっぱり無理だった。
瞼の裏に溜まった涙を落とさないようにゆっくり呼吸を吐いて、手の甲へキスをし、強く握って再び額に添える。

「…ありがとう」
「…」
「ありがとな、…日本」
「…。いいえ」

無様なツラしてるんで顔を上げることはできなかったが…。
頭上からかかる柔らかい声と共に、手を握っていた俺の片手へ、 外側から、もう片方の日本の手が包みこんだ。




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今更ですが当時の日本を誇りに思ったりしています。
…が、その一方でアジアで暴れまくっていたことを忘れちゃいけないですよね。
非道いこと沢山してます。
平和って、大切ですね。

余談: カルカーラ日本兵戦没者墓地

マルタ会談で有名なマルタ共和国。
ナポレオンに取られたりしていたが、英国が奪還後パリ条約で正式に英国領となり、軍事的商業的拠点地であったこの国のカルカーラ町にある日本兵戦死者墓地。
今は軍基地はなく、美しい墓地園。
駆逐船・榊は魚雷を受けた後、自力でマルタのバレッタ港に帰ってきて涙の賞賛を受け、亡くなった日本人の為に英国が建てた。
…が、第二次世界大戦で独逸に壊され、その後は日本が自分で立て直した。
建てられた当時は軍基地の奥にある戦死者墓地の一番日当たりが良い場所に慰霊碑が存在していた。
当時英国にしては珍しく外国のサポートを信頼しており、護衛、病院船、兵器輸送など大半を日本に委ね、艦長によっては「日本の護送船でなければ出ない」という者まで現れる。
日本軍の護送成功率は高確率を誇り、英国から「海の守護者」と讃えられた。
第二次大戦時は微妙だが、第一次大戦時は日本軍の態度や行動も比較的紳士的であり、英国はそこに好感を持ったらしい。







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