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「ねえ。気付いてる? 付けられてるよ、僕ら」
「…」

休日街中のカフェテラス。
パラソルのある丸テーブルで向かいに座った露西亜が、それまで話していた夏の暑さの話から本当に突然がらりと話題を変えたから、オレンジジュースを片手に飲んでいた僕はストローから口を離した。
テーブルに両腕を乗せ、身を乗り出して発言に釣り合わない笑顔でにこにこしながら彼が続ける。

「大丈夫。距離はあるから会話は普通にしてて平気だよ。…誰かな~?って思ってたら、君の兄さんとその恋人さんみたいだね」
「…どこ?」
「あはは。ダメだよ~、氷島君。きょろきょろしないでじっとしてて。…何だろうね。銃は持ってないみたいだから偵察かな? 街中でスパイに気付いた時はね、泳がせておいて偽の情報を与えておくんだよ。人気のない所だったら捕まえちゃった方が楽だけどね」
「…って言うか、銃とか。持ってる訳ないし」

両手で頬杖を着く露西亜がウインクを飛ばし、再びストローに口を付けながら飛んできた小さな雪だるまをぺちっと手の甲で払った。
全然気付かなかったし今だって何処にいるのか分からないけど、取り敢えず、近くにお兄ちゃんとダンがいるらしい。
…何だろ。
外出先とか言わないで家を出るのはいつものことだから、変なところはなかったと思うんだけど。
街中を歩いている時に偶然見つかったのかもしれない。
最悪だ。
…小さくため息を吐いた僕を見て、露西亜が一度軽く笑った。
それから、テーブルの上に置いてあった、ついさっき買ったばかりのポピーの花束のうち、白の花弁を指先で一枚ぷつり…と取った。

「どうする? 鬱陶しければ僕が追い払ってあげるよ?」
「別に。放っとけば。…どうせデートでしょ」
「うーん…。デートって感じじゃないけどなあ…」
「…ねえ。それより、早く飲み終わらせて。何、買いたい物って」
「うん。別にこれといってないんだけどね」
「…はあ?」

あんまり大声出さない方だけど、頬杖着きながらのんびり返されたその返事に声をあげて聞き返した。
周りに座ってた他の客が数人ちらりと僕の方を見たから、内心慌てて声を潜める。
持っていたグラスをテーブルの上に置いて、半眼で露西亜を睨む。

「何なの。…あんたが買い物したいけどこの辺よく分からないっていうから、わざわざ休日潰して来てやったんだけど」
「うん。わざわざありがとうね」
「ありがとうとかいらない」
「まあまあ、いいじゃない。そっちだっていつまでも借りがあるの嫌でしょ? …それに、この辺がよく分からないっていうのは本当だよ。お陰ですっごく助かっちゃった。帰ったら上司に報告して地図新しくしよっと♪」
「…」

鼻歌歌いながら器用に湯気立つ紅茶を一口飲む露西亜に、思いっきり肩を落とした。
…せっかくの休日なのに。
最悪だ。


Tegar blomstrandi sker lampi



二週間くらい前の話だ。
僕は風邪を引いた。
いつも体調は悪いけど、その日は朝からいつもと違ってたから何となく重病なのは分かってたけど、でもみんな忙しそうだったから大人しく普通にしてようと思った。
いつもよりちょっと早く帰るくらいでいいかなって思って、夕方までは何とか耐えたけど、流石に家に帰る途中でダメになっちゃって、耳鳴りが酷くて頭痛が酷くて、視界がちかちか白く染まっていった。
家に向かっていたのは覚えているんだけど何処で倒れていたのかさえ分からない。
とにかく、重要なのは不運にも倒れた僕を見つけて家まで運んだのが、目の前のこの男ってこと。
それなりに看病はしてくれたからそれはいいんだけど、後々あれこれ言われるのが嫌だし、さっさと借りを返そうと思って何か欲しい物とかして欲しい事とかある? って聞いたら、買い物に付き合ってって言われた。
この辺りはよく分からないからって。
それくらいなら簡単だと思って来たけど、でも目的物がないとなると途端にすごく無意味な時間に思えてくる。

「…」
「やだなあ。そんなに怒らないで。どうせ暇でしょ?」
「触らないでよ」

頬杖を着いてそっぽを向いた僕を見て、露西亜が人差し指伸ばして僕の鼻を突こうとしたけど、そうされる前に音を立ててその手を叩き落としてやる。
テーブルの上で丸まっていた僕の友達も、一声鳴いて威嚇した。
叩き払われた右手を見下ろして苦笑する彼の態度に尚のこと苛々して、目を伏せる。
眉間に皺が寄ってるのが自分でも分かる。

「…帰っていい?」
「え~? ちょっと早すぎるよ~。ついさっき出たばかりじゃない。 …この辺りのお菓子に興味あるんだ。何か美味しい物食べたいなあ」
「…。お菓子?」

目を伏せたまま話してたけど、意外な発言に興味を引かれて半眼程度に目を開けてやる。
目の前のオレンジジュースを眺めながら視線を上げず尋ねると、明るい声色が反射してきた。

「うん。好きだよ。 作るのも好きだしね」
「…意外」
「そう?」
「飲んだくれのイメージしかない」
「うわあ。君すごくむかつくよ~」

声色と台詞がミスマッチな返事に何度目かになる小さなため息を吐いて、漸く顔を上げる。
露西亜がお菓子とかに興味があるのは意外だったけど、これで目的ができた。
ぶらぶら目的もなく歩くなんて馬鹿みたい。
そんなの案内のしようが無いし、遊びに出てる訳じゃないんだからちゃんと目的決めてもらわないと困る。
まるでお兄ちゃん達と出かけてる時みたい。
新しいカフェを見かけたからお茶にするとか、気になってる映画が上映されてるから見ようとか。
特別用事はないけどぶらっと街に出て、その場その場で目に止まったことをする。
…けど、今はそういうのじゃないから。

「…じゃあ、お菓子屋さん回ればいい?」
「え? すぐ行くの??」

イスから立ち上がってパフィンに片手を伸ばし、指先に乗った彼をそのままいつものように肩に乗せる。
飲みかけていた露西亜の目の前から陶器のカップを取り上げて、自分の分のグラスと一緒に買ったカフェのカウンターに返すためテーブルを離れた。
店員に手渡し、そのままテラスを離れて歩き出す僕の後を、露西亜が少し遅れて名残惜しそうに背後を振り向きながら着いてくる。

「まだ残ってたのにな~…」
「すぐまた飲むでしょ。…それで、どんなお菓子がいいの」
「えー? うーんっとね~…。君はどういのが好きなの?」
「さあね。…まあ、ケーキなんかは大体不味くないんじゃない。チョコとかベリーとか、レモンとか」
「じゃあそれでいいや」
「…クッキー屋とかチョコレート屋もあるけど」
「うん。そっちも興味あるけど、今日はケーキ屋さんでいいよ」

あっさり判断する露西亜に呆れて短く、あっそ…って呟いてそのまま歩き続けた。
…何なの、その軽いノリ。
本当に興味があるのかどうかすら疑いたくなるけど、取り敢えずいいって言ってるんだからそれでいい。
僕もそっちの方が好きだし。
ついでに何か買って帰って、家でまた食べてもいいし。
目的が決まったところで、頭の中でざっと自分の好きな店の名前を並べていく。
近い順から回った方が楽なんだろうけど、折角だしちょっと遠いけど美味しいお店から回ることにする。
ちょっと歩いていくと、後ろを着いてきていた露西亜が隣に並びだした。

「…何。並んで歩かないでよ」
「だって人が多いでしょ? 君特徴無くて近くにいないと見失いそうなんだもん」
「ああ…。あんた記憶力弱そうだもんね」
「お店は遠いの?」
「…普通」
「君の普通ってどれくらい? すぐ疲れちゃうから半径10メートルとか、そんな感じ? …あ、ねえ。そう言えば、今日は体調悪くないの? 倒れてもいいけどあんまり目立っちゃうの嫌いだから、倒れる前に一言言ってね。そしたら僕離れるから。…そうそう。だからこの間は特別サービスだったんだよ~? 良かったね。あんまり人がいない所で倒れてて……」
「…」

何か横でごちゃごちゃ露西亜が言ってて途中まで腹を立ててたけど、何か言い返そうと思った矢先に通りかかった本屋で平積みにされてる本と目が合って足を止めた。
店先に数歩近づき、その本を片手に取る。
…革の本なんて、今のご時世珍しい。
今はデータ化してて本屋自体少なくなってるけど、でもやっぱり僕は紙の物語が好き。
大して厚くもないけど、立派な茶色の革の表紙。
手に取ってからその本が入ってたカートを見ると、“閉店セール”ってなってた。

「…」

別に行きつけの店とかじゃないけど、何となく寂しくなって店の全貌を見上げてから再び本に視線を落とす。
ちょっと草臥れた店先に佇んでいると、肩口でパフィンが店とは別の方を向いて一声鳴いた。
耳元での大きな声に、ぼんやりしてた僕は顔を上げてそっちを向くと、いつの間にかもう少し先の方まで歩いて行ってたらしい露西亜がマフラーをゆらゆらさせながら緩く両手を広げて戻ってきてた。

「どうしたの~? 立ち止まるなら言ってくれなきゃはぐれちゃうよ」
「…」
「ん…? ああ。それ『永遠の夫』だね。…あはは。革なんて珍しいねえ~」

僕の隣に立って表紙を覗き込んだ露西亜が、それとなく僕の手からその本を取って持ち上げる。
珍しい革の表紙と、カートに表示されてる安価な値段を見て驚いていたが、閉店の手書き張り紙を見つけると小さく笑った。
…別に珍しい本じゃない。
しかも彼の家の作者だから、きっといくらでも見てるだろうし何度でも読んでるんだろう。
僕もこの間、彼の家で一度読んでみた。
それを覚えてたみたいで、僕へその本を差し出しながら尋ねてきた。

「でもこれ、この間僕の家で読んでなかったっけ?」
「…まあね。でも」

受け取った後で、小さく息を吐く。
…あんまり言いたくないけど。

「…よく分からなかったから」
「ん?」
「何か奥の方で深い事言ってるのは分かるんだけど…。よく分からなかったから、冬に読み直そうと思ってた」
「え~?そう?? 簡単だと思うけどなあ…。読んだままだよ」
「読んだまま…?」
「うん。確定しちゃった“今まで”は変えられないし、人の本質は変われないんだよって話。美化はできるけどね。…あ、ねえねえ君。これもらえる?」

数冊の本を持ってきたやる気無い若いアルバイトの店員に、露西亜が声をかけて僕の手からまた本を取り上げると店員に手渡した。
少し会話して、先に店員が奥に入っていく。
それを追って行こうとしてた露西亜が、店に入る直前で不意に振り返った。

「んとね…。つまりどんなに嫌でも僕にはちょっとアレな妹がいるし、何やったって君は弟でしょ?」
「…」
「簡単だよ~。…あ、これ買ってあげるね。今日のお礼♪」

それだけ言って店内に入ってく露西亜の揺れるマフラーが軽い目眩を招いた。
…。
ひとり入り口に残されて…何だかどっと疲れて、俯く。
自分のブーツの爪先を見下ろしていてると、パフィンが翼でぺふぺふと頬を叩いた。
…昔から僕が体調悪かったり泣いてたりする時にする行動だけど、別に今は泣いてもいないし落ち込んでもいない。
そんな勘違いされてるのがちょっと嫌で、すぐに俯いていた顔を上げることにした。
ついでに辺りを見回してみるけど、僕からはやっぱりノーレも丁抹も見つけることはできなかった。
僕らの後を着いてきているとしたら、方角的には…って、ついさっきまで座ってたテラスの方を見ていると、露西亜が店員を連れて店の中から出てきた。

「おまたせ~!」

店員が形ばかりの礼を言って、僕へ本を差し出す。
安売りされていた革の本は、すぐにはがれるシールを一枚張られただけの雑な扱いで僕へ手渡された。



人通りは一向に減らない。
ありがとうを言い忘れた振りをしながら、僕らは本屋を離れてケーキ屋の方へとまた歩き出した。
途中、欲しかったCDを見かけたり綺麗なアクセサリーがあったりしたけど、迂闊に足を止めるとさっきみたいに変な方へ話がいきそうだから、もうどれにも足を止める気はなかった。

「ねえ。それで結局そのケーキ屋さんって遠いの?」
「…」

露西亜とももうあんまり口を利きたくなくて、大体のことは無視して彼の少し前を振り返らずに歩いた。
最初は黙っている僕に色々話しかけてきたけど、そのうち諦めて彼も黙りだしたから、助かった。
…でも、暫く歩いてて。
好きなケーキ屋が近くなってきた頃。
何だか、急に…ものすごく反論したくなって。

「…。ねえ」
「ん? なあに??」
「もう諾威達いないんじゃない?」

歩きながら、小さな声で聞いてみた。
小声で話した僕の言葉をもっとよく聞こうと、露西亜が僕の隣へ移動してくる。
一瞥もくれないまま続けると、少し前屈みになって顔を寄せていた露西亜は一度背を伸ばすような仕草をした。
ただそれだけだったけど、それから数秒後。
突然くるっ…と、堂々と背後を振り返った。

「あれ? ほんとだ。いないみたいだね。着いてきてると思ったんだけどな」
「着いてこないし。大体、僕の尾行なんかする訳ないから。…言ったじゃん。デートなんだって」
「う~ん…。でもね、ほんとにデートって感じじゃなかったよ? 」
「だってデートって項目で出かけないから」

花束片手に小首を傾げる露西亜の言葉を遮って、言い切る。
僕の言ってる意味が分からないらしいく、彼は聞き返すことなく後ろの人混みから視線を戻して僕を見た。
横から感じる視線を敢えて無視して、軽く息を吐いた後で目を伏せたままもう一度言う。
ちょっと声が強くなった。

「諾威がデートで出かける訳ないじゃん。ダンは“荷物持ち”」
「荷物持ち…?」
「普通は休日家にいるから、“草取り”とか“模様替え”とか。あとは“蛍光灯が切れた”とか。そんな感じ。…ただ偶然街中で僕を見かけたから、少し気になっただけなんじゃないの」
「そうかなあ? …でも」
「言わないでよね」

ぼんやりともう一度背後を振り返った彼が言葉を続ける前に、正面向いて何気なく歩きながら、ぴしゃりと言ってやった。
妙な見栄とか、面倒臭くなって止めた。
…丁度目的の店の前に来て、右手にケーキ屋のショーウィンドウが見えて片手の指先を添えた。
そのまま、歩きながら真横に指紋のラインを残していく。
まるで宝石みたいに煌びやかに並んでいるデコレーションのガラスに、半透明になった前を歩く僕と後ろを着いてくる露西亜が映ってた。
やけにぼんやりした無表情で僕の背を見てるその横顔が気に食わなくて、僕もウィンドウから視線を外す。
入り口前の煉瓦の段差を一段上がって、ケーキ屋のドアノブを握りながら半眼で振り返る。

「いいでしょ別に。全部上手くいってるんだから。…あんたしか知らないんだから、言わないでよね」
「…」
「何ぼさっとしてんの。買うんでしょ」

呆けてる露西亜へ背を向け、ノブを引いて店に入ると彼を待たずしてそこから手を離した。
小さなベルと甘い匂いがささやかに僕を出迎えてくれる。
そんなに来てる訳じゃないけど、僕の顔を覚えていた店員がにこりと微笑んで僕に挨拶した。
軽い雑談をしていると、のろまな連れ人が随分遅れて店に入ってきた。
外面がいい露西亜のことを話し好きの店員は気に入ったみたいで、2ホール買った彼にベリーのショートケーキを2つおまけしてくれて、それはそのまま僕へ横流しが来た。




「雰囲気はいいお店だったね~。あとは味がいいといいな」

ケーキ屋を出て帰り道を歩いていく。
人混みも夕方のこの時間だと少し引いたみたいで、歩きやすくなっていた。
露西亜は大きなホールボックスを二つと花束、僕は小さなボックス一つと本を持って来た道を戻っていくけど、横に並ばれるのが嫌で途中でさり気なく歩調を緩め、数歩分後ろに下がった。
さっき本を買った本屋も、お茶を飲んだテラスも通過していく。
漸く一日が終わる。
何だか色々と面倒臭い一日だった。
家にいてひとりでごろごろしていた方がどれ程楽しかっただろう。
…でも、僕とは正反対の感想を持ったらしい露西亜が、ケーキボックス持ったまま両手を広げて歩きながら伸びをした。

「ん~…! 今日は何だか久し振りに楽しかったな~」
「あっそ…」
「うん。こんなに普通の買い物したの久し振りかも。姉さんたちにお土産もできたしね」
「…それは良かったね」

心底棒読みで取り敢えず返事をしつつ考えてたことは、家に帰った後のことばかりだった。
結局自分じゃ確認できなかったけど、本当にお兄ちゃんやダンが着いてきていたんだったら何か聞かれるかもしれない。
今日の案内役は不本意だけど、でも一日露西亜と一緒にいたのは事実だから嘘はつかないつもりだけど…。
露西亜が時々何か話しかけてたみたいだけど上の空で、適当に相槌うちながらどんな質問が来た時に何て返せばいいかとか、そんなことばっかり考えながら歩いてた。
だから露西亜が、

「ねえ。聞いてた?」
「…!」

って。
急に足を止めてくるりと踊るように振り返った時は吃驚して、引きつったように一瞬肩を揺らして足を止めた。
…良かった。気付いて。
危うく暑苦しい胸に飛び込むところだった。
本当良かった。
それだけは勘弁して欲しい。
足を止めた後で、苛々しながら横髪を耳にかけながら顔を顰める。

「…何。急に」
「急にじゃないよ。さっきから聞いてるのに返事してくれないんだもん」
「してたし」
「うんとかああとかじゃ返事になってないよ~」
「聞き流してるって分かってるんだったら諦めれば。あんたの話とか正直興味ないんだけど」
「うん。でも敢えて突っ込んでみた☆」
「…。…何なの」

この会話さえ時間の無駄に他ならない。
短時間で聞いて答えて会話を終わらせるため、面倒臭いなと思いながら素っ気なく尋ねてみると、露西亜はグローブはめた手で人差し指を立てた。
相変わらず穏やかに笑いながら。

「だからあ、君にはいないの? って」
「…? 何が」
「“荷物持ち”」
「…て言うか何でそこに話が戻ったの」

歩き出してぼーっとする前の覚えている最後の話題は露西亜が作るケーキの話だったはずなのに、いつの間にか嫌な話題に移っていたらしい。
人の傷穿り返したりするの趣味っぽいから、どうせ後々剔られるだろうなとは思ってたけど、日を改めて剔られるかと思ってたから予想に外れて速攻で剔ってきたのは意外だった。
もっと深く剔られるかと思ったけど、さっきのことだから思った程でもなかった。
…忘れた頃に話題に出された方が案外刺さったりするから、返って良かったのかも。
面倒臭さと鬱陶しさが手伝って、半眼で前を歩く馬鹿を一瞥するくらいはできた。

「いる訳ないじゃん。…て言うかいらない。邪魔だし」
「んー。でも、じゃあたくさんの荷物を運ばなくちゃいけない時とか、お気に入りの庭が草でぼーぼーになっちゃった時とか、蛍光灯が切れた時とかはどうするの?」
「自分でやるよ」
「そうなの?」
「子供じゃないんだから」
「でも君じゃ階段の天井とかには届かなそうだよね」
「…1センチ差で何言ってんの?」

花束持った片手を口元に添えて小さく露西亜が吹き出したけど、その反応を僕の方が鼻で笑ってやる。
身長が同じくらいなんて見れば分かるだろうに、彼は僕の返事に意外そうに瞬いた。

「あれ…? 君そんなに大きいんだっけ?」
「平均身長は諾威より高いけど何か。…僕はまだだけど、取り敢えずあんたと同じくらいまでは伸びると思うよ」
「あれ~? …う~ん。あのね、イメージとしてはね…」

口元に添えていた片手を自分の横に水平に置いて、それをつつつ…と胸辺りまで下げていく。
…。

「このくらい?」
「…眼科行けば」

しれっとした顔で言われて流石にむっとする。
後ろを振り返り振り返り歩いてる露西亜に通りの向こうから歩いてくる周りの人たちは迷惑そうだったけど、僕の歩調が早くなったのか彼が歩調を緩めたのか、いつの間にかまた並ぶような形になってたことに気付いてす…っと横に一歩引いて距離を取る。
ちょっと空いた僕と露西亜の間を、通行人がちらほらと通っていく。

「何だ。じゃあいらないのかな」
「何が?」

軽い雑踏が間に入る中で、距離を置いて向こうを歩いてた露西亜が微笑んだ気がした。
いつも笑ってるけどそういうんじゃなくて、あんまり見かけたことない…。

「君だって、“蛍光灯が切れた”時あるでしょ?」
「……は?」
「そしたら僕が行ってあげようかと思ったんだけどな~」
「…」

一瞬見たことない笑顔を見た気がしたけど…。
でもそれは確実に気のせいだったらしく、それらが言い終わった頃にはいつもの彼のぽやぽやとした、何も考えてなさそうな笑顔だった。
両手を広く振る子供みたいな歩き方を少しの間眺めてたけど、それにも飽きて小さく鼻で笑ってから僕も正面を向いた。
…ダメだこいつ。
少し前の僕の話、絶対深読みできてない。
“荷物持ち”も“草取り”もそのままだと思っているんだろう。

「…ねえ。あんたってさ」
「ん…?」
「浅いよね」

あまりに軽く、あまりに普通に露西亜が行ってあげようなんて言うから、鼻で笑った延長線で、僕は思わず短く苦笑した。
ケーキが傾かないようボックスを気にしながら少しだけ腕を前後に振る。
彼は雑踏の向こうでにこにこ笑い。

「君より雪深いとこもあるけどね」

そんな一言を残して片手を上げ、露西亜は分かれ道を東へと歩いて行った。
鼻歌歌いながら振り回してるボックスの中のケーキは、絶対にぐちゃぐちゃになってると思う。






その日の夜。
帰ったら案の定ダンがお兄ちゃん家にいたから寝る時は自分の家へ帰ろうかと思ったけど、その日は彼が負傷してリビングで寝るっていうから僕もお兄ちゃん家にある自分の部屋に泊まることにした。

「…映画?」
「ん…?」

廊下を歩いてたら丁度バスルームから出てきたお兄ちゃんと合流した。
髪留め外して濡れてても、もう癖になってる横髪がやっぱり少し跳ねている。
リビングに行く途中で何気なく聞いてみても、単語だけじゃ分からなかったみたいだった。
僕とは色の違う海の深い所みたいな色の目で見られたけど、その目と合う前に右肩で丸まってるパフィンの嘴を撫でる為にそっちへ視線を下ろした。

「パンフレット…。テーブルの上にあったから」
「ああ…。ちっとな。暇潰し」
「ふーん…。ダンと行ったの?」
「…ん。財布代わり」

当然のように素っ気なく言い切り、お兄ちゃんはリビングのドアを開けた。
ソファで、首が痛い、死ぬほど痛い、ノルがキスしてくれねえと絶対治らない、とか呻いている馬鹿の脇腹に片足乗っけてぐりぐりしてたりしてる横をキッチンに向かい、さっきも飲んだけど、ミルクを温めてホットミルクを作ってその中にコーヒー入れて簡易カフェオレを作る。
本当は鍋で煮たいけど、あんまりここにいる気もなくて手軽に作ってお兄ちゃんとダンに頬を合わせてから部屋へ戻った。
…結局、こっちから特別聞きもしないから、ダンから今日は何をしていたかとか聞かれる程度で、二人が尾行してたのかどうかは謎のままベッドに横になる。
俯せになって肘付いて、枕元に置いた今日露西亜から買ってもらった本を枕の上に置いた。
枕元に腰を下ろしたパフィンも、古びた本に興味を持って、端の方を嘴で何度か突いていた。
表紙を開くつもりでいたけど、時計を見たら既に結構遅い時間で、今から読み始めたら日付変わっちゃうから止めておくことにした。
明日以降の楽しみに取っておいて、ベッドヘッドに付いてる書棚にしまう。
枕の上から埃を払って、仰向けに寝返って天井を見上げると…ふと、電気の照明に目が行った。

「…」

右腕を折って額の上に乗せ、ぼんやり照明を見詰める。
…でも、僕は“荷物持ち”なんていらない。
だって大きな買い物なんてしないから。
しても店から自宅へ送っちゃうし。
あと“草取り”もいらない。
家の庭はこの間芝刈り機で全部綺麗に刈ったし、雑草も綺麗に取ったから暫く生えない。
第一小さな庭だし、一人で管理できる。
“模様替え”は当面する気もない。
変化とか嫌いだから。
“財布代わり”…は正直あるに越したことはないけど、でも今は自分の資金とお兄ちゃんから貰ってるお小遣いで何とかなってるし借りとか作るの嫌だ。
…それから、確かに僕の家の階段照明はかなり高い位置にあるけど。
でも二階天井の高さからから吊り下げられているから、足場からの距離があるのは当然でどこの家でもそうだと思う。
だから“蛍光灯が切れた時”だけは少しくらい困るかもしれないけど…。
…考えてると眠くなって、大きな欠伸を一つして目を閉じた。
今日はとても疲れた。
行きたくもない街に行って、いたくもない奴と歩いて。
あっという間の一日だった。

「……おやすみ」

もう少し色々考えたかった気もするけど、睡魔に負けて意識が落ちていく。
何とか片手の指先でパフィンを一撫でしてから、ぱたりと手を落とした。
…蛍光灯なんて、そうそう切れる物じゃない。
でももし“蛍光灯が切れた”ら、その時はお兄ちゃんがダンに蛍光灯替えてくれって会いに行く口実を作るのも嫌だから、何処かの誰かを使った方がひょっとしたらいいのかもしれない。
何処かの誰かを使った方が、ひょっとしたら…。
…。

 __“蛍光灯が切れた”時あるでしょ? そしたら…。

「…」

鼓膜に嫌な声が残ってる。
耳障りで、微睡みながら目を擦る要領で、掌で一度耳元を擦った。



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ろさまは氷君に激甘です。
いちゃいちゃして欲しいんだけど王子様がつんつんしててうまくいかない~。
2011.12.8





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