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余りに衝撃的なことを目の当たりにすると痛覚が無くなるとよく言うが…。
その時は己の火傷なんて気づきすらしなかった。
煌々と天空までの橋渡しのように燃え上がるオレンジの炎。
耳を刺す万人の悲鳴と断末魔。
髪の毛と肉が焼ける時の嫌な臭い。
そして場の混乱を好機として空き家を荒らす者、人を殺す者。
ただそれらを眺め、俺は何か神を怒らせることをしたのだろうか、と。
朱色に染まる景色を石道に座り込み、ぼんやりとここ最近の己の言動を場違いにも振り返っていた。
…ちょうど疲れていた。
飢餓は進み、土地は荒れていくばかりで。
このタイミングで首都に火が上がるということは、恐らくそろそろ俺の寿命を示しているのだろうと、そう思った。
目の前で大聖堂が音を立てて崩れ、へたり込んで折っていた膝頭のすぐ前に焼けて折れた十字の一部が飛んで来た。
やがて黒い煙が霧のように低く地面を撫でて広がり、人々の姿を覆うようになる。
黒煙で物や人が焼ける姿を見なくて済んだことに安堵する俺は最低だなと思ったが、このタイミングで悲劇を隠してくれた黒煙を少しだけ好きになれた気がした。

「……」

…ひとつ国が消えた所で、世界は大して変わりはしないのかもしれない。
ある種の決意をして、黒い霧の中、思い切り深呼吸してやった。
願わくば、残される美しい木々や自然が荒らされませんように__。

Mitt hjerte for ham



朧気な意識の中、すぐ傍でお兄ちゃんと小さな声で懐かしい呼び声を聞いた。
思わず興味が湧き、それまで形無く漂っていた意識が声に引っ張られるように一カ所に集合していくと、やがて瞼が自然と持ち上がった。
目が慣れず、白い視界の中でガタッと音が鳴る。
何の音かと思ったが、やがて視覚がはっきりしてくるとアイスがこっちをのぞき込んでいるのに気付き、イスを立った音なのだと理解した。
窓を背にしているんで、逆光で銀色の髪がいつも以上にとても美しく思えて片手を上げ頭でも撫でたくなったが、腕は上がらないし、触られるのは好きじゃないかもしれないから諦めた。
代わりに左手に重みと温かさを感じ、手を握ってくれていたらしいことにもついでに気付く。
…少し躊躇ったあと、軽く握り替えしてみた。

「…大丈夫?」
「…」
「分かる?」
「……ん」
「いい。止めて。起きなくていいからそのまま寝てて。…今あいつ呼んでくるから」

背を屈めて頬にキスしてから、アイスは視界から消えていった。
ゆっくり瞬きをして息を吐くと、今更ながらに自分がベッドに寝ていることを知った。
俺の家では間違いなくない。
細かく彫られた天井も柔らかいベッドも、こんな立派なものなんて家にはないから。
…ほんの僅かな時間のはずだが、目を伏せたと同時に少し意識を手放していたのかもしれない。
カツカツと聞いているだけで忙しない足音がやけに早く耳に届いた。

「ノル…!」

片手で扉を勢いよく開け、うるさい奴が来る。
俺が寝ている傍へ手袋を取りながら来ると、さっきのアイスと同じように放っていた俺の片手を握った。
手首から先を軽く振って逃れようとしたが、珍しくムキになって握り直され肺の底からため息を吐く。
遅れてアイスも顔を覗かせる。

「だいじけ、苦しくねぇけ」
「…知らん。見て判断せえ」
「意識はしっかりしてんな…」

握った手が離れ、冷えた手が左頬に添えられる。
冷たさに少し眉を寄せた。

「直前のことは?」
「…。…あんま」
「そけ…。まあええわ。ゆっくり休めな。…アイス、ちゃんと兄ちゃん看ててやれな。何か飯作ってくっから。包帯の替え方分かっけ?」

振られたアイスが小さく首を振る。
そけ…と丁抹が頷き、その頭に片手を置いて軽く撫でてから部屋を出て行った。
扉が閉まる音の後に足音が遠のいてから、いつの間にか力の入っていた四肢から力を抜き、ベッドに身体を預ける。

「…ごめんね」

扉を見つめていたアイスが横たわっている俺へ向き、ぽつりと言った。

「…何が?」
「包帯。替えられなくて」
「そんなん…。気にせんでええわ」

言ってから深く呼吸する。
だが、ゆっくり息を吸った途中で急に胸に激痛を感じて、思わず顔を顰め深呼吸を中断した。

「…深呼吸とか、止めといたら。胸すごい火傷があるんだって。…皮膚を張らない方がいいから、浅くした方が楽なんだってさ。起きるのもすごく痛いだろうから止めとけって」
「……」
「痛い…?」
「……平気」

とは言ったものの、傷を自覚した途端にずきずきと内側に響くような痛みの波が響きだしていた。
顔に出すと心配されそうで、目を伏せて静かに耐えていたが、間もなく睡魔が訪れて痛みから俺を一時的に解放してくれた。

余り夢見が良いとは言えなかったが、その日は結局深夜に一度起きるまで眠り続けた。
アイスは既に部屋にはいなくなっていて、阿呆が作った食事だけがサイドテーブルに置いてあったが、少しでも身を起こそうとすると火傷が痛んだので食べなかった。
昼に目が覚めた時よりも夜の方が痛みが増していたが、部屋のカーテンを閉めないでいてくれたのは有難かった。
幸いにも白夜によって明るく、窓からの眺めは気晴らしにはなった。
布団の中蹲りたくもなるが、少しでも身体を捻るとやはり激痛が走る。
1人静かに痛みに耐えて仰向けに横たわったままでいると、小さいノックが聞こえた。
無視していても扉は開かれ、呆れて浅く息を吐く。

「お…。何でぇ。目ぇ覚めちったんけ?」
「…ノックの意味ねえべな」
「悪ぃ悪ぃ。寝てっと思ったからよ。ちっと様子見程度ならええかなーってな。…傷どうだ?包帯とっ替えとくけ?」

丁抹が側に寄ってくると俺が逃げられないのをいいことに頬にキスされ、苛っとして顔を顰めた。

「止、めい…っ」
「あっはっは!いーべなキスぐれえ。当面他んことは無理そうだしよー!」

片手を上げて顔を押し退けてから包帯を替えるためシャツが開かれる。
既に巻いてあった包帯を丁抹が取ったところで、意図せずぐっと息を飲んだ。
…火傷、と聞いて俺が想像していたよりも、もっとずっとグロテスクな爛れた皮膚がそこにあった。
十分痛いが、傷を見ると、この程度の痛みなのが不思議なくらいだ。
途端にあの灼熱と、それ以上に嗅覚が勝手にあの火事場独特の悪臭を思い出し、吐き気を覚えて片手で口元を抑えた。

「っ…」
「目ぇ閉じててええぞ。…背中だけちっと浮かしちろな」

言われた通りにするのが癪だとか何だとか、そんなことを思う前に反射的に目を閉じた。
…あまり自分の身体に執着はなかったつもりだが、その時は酷くショックで、包帯が替え終わるまでずっと口元を抑えていた片手で目を覆った。
今更アイスが替え方を知らなくて良かったと心の底から思った。

「ほれ。終~了~!」

てきぱきと済ませてシャツの釦を上1つ残して丁抹が留めた。
いつもは胸まで外して寝ているが、もうこれ以上見たくなかったのでキツめの襟は安堵を得た。

「……」
「ゆっくり休めな」

多少崩れていた布団を首もとまでかけ直し、黙り込んだままの俺へもう一度キスを残してから丁抹は部屋を出ていた。







傷は朝と夜に特別疼いたが、1週間も経てば随分落ち着いて1ヶ月経った所で歩けるようになった。
2ヶ月で調査した壊滅的な被害状況を聞きいて少し情緒不安定になり、一時的に不安定になった心身を取り戻すのに3ヶ月目を利用した。
丁抹が崩れ落ちたままだった俺の首都の建設を開始したのは、俺が傷を負ってから4ヶ月後のことだった。
元々、不景気から治安が最悪だったこともあり、これを機に大幅に改良しちまおうと鼻歌交じりに設計図を卓上に広げるのを、横で他人事のように眺めていた。







「……そやって」

よく風の通る日、青草の茂る郊外の原から遠巻きに新しく生まれ変わっていく首都を見据えた。
背後から吹く追い風に靡く横髪を片手で押さえる。

「おめぇあまた俺からおっ盗ってく…」
「あっははっ!人聞き悪ぃな~!」

聞こえるように呟いてやると、少し離れた場所で座っていた丁抹が短く笑った。
まだ形になっていないが、この距離からでも聖堂建築の進み具合は見て取れた。
街並みは緻密に計算され、以前よりも遙かに美しくなるらしい。
絶えず街中には兵が配置され、当面は治安の安定確保が重要視されると聞いた。
佇んでいた俺も、空いた距離を保ったまま芝生に腰を下ろす。
…胸の火傷は随分小さく、色彩薄くなってきた。
回復の過程は驚くほど早い。
あと少しで消えるだろう。
片手で持っていた完成図が風で飛ばされないよう気を付けながら、短く折り畳んで懐に仕舞う。

「おめえが怪我してんの見んのが辛ぇだけだって」
「…嘘くさ」

鼻で笑って目を伏せ、横を向く。
向いた先に一輪の小さな野花があって、何気なく指を伸ばして摘み取った。
親指を人差し指で挟み、くるくると茎を回してみると花弁が可憐に踊る。

「……要すんに、なんもしきらん俺がええんだべ」

暫く沈黙した後に、小声で吐き捨てて花を放って捨てた。
肯定も無く否定も無く、さっきよりも乾いた苦笑が風に乗って耳に届いた。
間を開けて、丁抹が口を開く。

「まあ、独占欲ってのぁ誰にでもあっからな」
「…」
「んだけど、まだ今のおめえにはどーしょーもなかんべな。俺らの人生長ぇんだ。悪ぃ時も良ぃ時もある。今は俺に頼っとけな。…スヴェーリエに出した手紙はどうせ届かねんだから」

その言葉に、思わず顔を上げて横を向いた。
が、全く動じない横顔は工事中の聖堂を眺めるばかり。
…諦めて顔を顰め、同じように正面を向いた。
出した手紙は破棄されていたらしい。
だろうなとは思っていたが、微かな希望を乗せていたのが正直な所だった。
眉を寄せ、顔を顰める。

「…。…最悪」
「悪ぃな」
「誰も看とってとは言っとらんべ」
「んだけどそれを見た奴はそう思わねっぺよ。…それで十分なんだって。俺的にはな」
「…」
「さて、と…」

両腕を上に伸ばして背伸びをし、丁抹が立ち上がった。
こっちへ顔を向けたのは気付いていたが、敢えて無視して正面を眺めたままでいることにしていると両手を腰に添えて朗らかに声をかけてくる。

「そろそろ見に行っちみんべ。おめえの首都だぞ」
「…おめの別宅だろが」
「んじゃあ俺らの首都ってこって。…ほーれ、立て立て!綺麗にできてんだって。また活気くらいすぐ戻ってくっぞ。な!」

歩み寄ってきた阿呆に片腕を取られそうになり、力一杯叩き払って拒否してから自分で立ち上がることにした。
ぱっぱと両手で服と尻に付いた草を払っていた中、気付かなかったが片手を伸ばされ、髪に付いていたらしい草を勝手に取り除かれた。
空かさずその腕も音を立てて叩き、横に二歩程引いて顔を背け、距離を取る。
小さく笑ってから丁抹が歩き出し、原の傍を通っている路に出て行く。
…どうせ立ち止まってみたところで、引き摺られるのは目に見えてる。
諦め半分でなるべく距離を取ったまま、のろのろとその背へ従って着いて歩き出した。

「…あのなぁ、ノル」
「…なん」
「おめえもっと、頼ってくれてええんだかんな。…その胸の焼けっぱだも、絶対治してやっから。心配すんな」
「……」
「ああ。んでもなー!治んねかったら治んねかったで俺は気にしねぇからよ、そうなりゃ正式に俺げ嫁に来ちく…んぶっ!!」

突然振り返って嬉々として人差し指を立てた阿呆の顔面に帽子を投げつけ、その隣を通過する。
後から追ってきた阿呆が片手で帽子を俺の頭上に戻し、被せ方が気に入らなくて一度取ってから自分で被り直した。







街並みと聖堂は過去の歴史を守りつつ、その一方で非常に美しく建設し直されていった。
街の象徴であった聖堂が完成したその日から、俺のオスロはクリスチャニアと名前を変え、同調して胸の火傷は瘡蓋も浸みも何一つ残さず白い皮膚に戻ったが…。

「えがったな、ノル…」
「…」

それ以降。
人懐っこい笑みでその場所へ口付けされてももう何も言えなくなり、その日も藍色の寝室で目を伏せた。



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束縛家丁さん。
諾さんを大好きすぎる。
2011.11.24

余談:オスロの大火災

諾威の首都オスロ。
昔、諾威ヴァイキングの本拠地として栄え、現在造船や機械などの工業が発達しているこの都市は、以前大火災に見舞われた。
原因は何だか色々いわれているが、単純に火の不始末が原因だと言われている。
北欧は寒さの為、昔は町中のあちこちで人々が自然と火を絶やさなかった。
多くの人々が焼け死に、建物が焦げ、その被害は壊滅的。
当時強国だった丁抹の属国としての立ち位置だった諾威の首都が大火災にあったということで、丁抹王クリスチャン4世がやってきて壊滅的だったその場所からちょっとずれた場所に元あった都市の修復を命じる。
当時治安が悪かったオスロは建築に力を入れていた彼の指示の下、造り直された。
それによって名前を「クリスチャニア」と変じたが、後々丁抹から瑞典へと連合相手が移ると同時にじわじわとオスロへ呼び名が戻っていった。






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