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冬の風は冷たい。
凍えるほどに冷たい。
風は凍て付き、空気は凍ってただ輝く。
海辺に来ると流石に空気が凍ることはないが、寒いことに変わりはなくマフラーの下から息を吐くと白く横に流れて消えた。

「…」

海の向こうに島は見えない。


Urimelig ønsker



年末から年明けにかかる約三ヶ月四ヶ月間。
毎回のことだが弟のアイスは海の向こうの自宅に引き篭もる。
冬眠という表現は本人が嫌がるだろうが、自宅に籠もりきりひたすら読書をして過ごしているらしい。
毎年そうしているから…というのが本人の主張だが、できれば俺んちで一緒に過ごしゃええのにと思い続けて数十年。
…それでも、今年は内心この距離に安堵している。
俺と弟の関係は、正直微妙なところだ。
決して仲が悪いわけじゃねえし、寧ろ俺は好いてんだけど、それはあくまで家族愛だ。
俺は前っからそーじゃねえかなと思ってたんで、アイスが持ってきた血縁証明書に対してあんまし驚かなかったが、アイスは違ったらしい。
身内で集まって騒いでたバーを出て家に帰ったその日に、むすっとした顔で家で待っていた彼に"告白"を受けた。

『もういいよ。仕方ないじゃん。…すっぱり諦めるから、最後にキスさせて』

告白からそこに至るまで、頭から全てが予想外過ぎて、脱いだ上着を腕に掛けたまま数秒間、そのまま固まっちまって大した反応も出来無かった俺も悪かったのかもしれない。
あくまでいつもの調子で、いつものペースで、スタスタ歩いてくる弟がその瞬間だけは怖くなり、思わず反射的に一歩後退したが逃げる前に両腕を掴まれ、距離を詰められ…。

『…!』

思わず、全力で突き飛ばしてしまった。
…倒れるようなことは無かったが、アイスはバランスを崩して数歩分後退し、皺寄った自分の服を両手で撫でて、しみじみとため息を吐いた。

『あいつ以外とはキスも嫌? …意外と貞淑だよね、ノーレって』
『…』
『大丈夫だよ。僕結構クールだから。諦めるって言ったら諦める。安心していいよ。このまま言わないでいるのも癪だから、ちょっと言ってみただけ。…じゃ、帰るから。おやすみ』

そう言って、雪の中を弟は振り返りもせずに帰っていった。
玄関まで見送ることも出来ず、そのまま更に数分立ちつくし、無意識に自分の片腕を抱いて汚れを落とすように撫でてしまい、その事に遅れて気付いてそれがまた酷くショックだった。

 

 

 

…て事から、年も明けてもう結構日にちは経っている。
けどその事が後を引いていて、アイスに対する接し方が難しい。
いつもは引き籠もりの彼が来ないことを予想していても「俺んちおればええべ」と誘いをかけるが、今年はそれも出来なかった。
そもそも顔を合わせない。
彼に顔を合わせないのと同様に、阿呆とも顔を合わせていない。
何がそうさせるのか自分でも分からないが、やはり気まずさのようなあって、俺自身も軽い引き籠もり中だ。
フィンが一度近くまで来たからとお茶をしに来たんでそん時は普通に対応できるんだが、どういう訳か阿呆やスヴェーリエには会いたくなかった。
スヴェーリエはともかく、最初は電話もメールも無視してたんで日に日に、鬱陶しいくらい阿呆から電話メールが届き始めたが、訪問されないうちにハッキリ「今は会いたくない。時間が欲しい」と伝えると、無茶苦茶な着信数がぴたりと止まった。
それはそれで少し落ち着かないっつーんだから、自分でも相当我が儘だと思う。
…とはいえ、そろそろ何か動かねえと。
いつまでもこんなうじうじしてる訳にもいかねえし、実際仕事に支障が出ている。
つーか、そういう変なところで格好付けされると、面倒臭くなくて助かるが無性に苛っとする。

「…」

ちっと久し振りに会う待ち合わせの場所にはすぐそこのカフェを選んだが、ド阿呆が仕事で遅刻するっつーんで、退屈に負けて店員に言ってふらりと表へ出てきた。
カフェから少し離れた場所に、海沿いに面したベンチがあり、死ぬほど寒いが何となくそこに腰を下ろす。
コートのポケットに手袋した両手を突っ込み、首元のマフラーに顎を埋めて、無造作に両足を前へ伸ばした。
思わずため息吐く。
…。
なんで俺がええんかな…。
自分のええとこなんぞ一つも見つからない手前、疑問符しか湧いてこない。
全く関係ない記憶だが、もう相当昔、阿呆の部下に影で"傾国傾城"と誹られたことをやけに思い出す。
嫌な記憶だ。
何で今思い出すかな…。
崖下の細波を聞きながら鬱々としていると、不意に右肩に軽い重みを感じた。
振り返る、と――。
一匹の蛇が、肩に乗っていた。

「ッ…!?」

弾かれるように片手で払って、勢いよくベンチから立ち上がった。
ぞわっと全身に鳥肌が立った状態で振り返ると、ベンチの背の向こうに良く良く見知りすぎた人物が片手を腰に添えて立っていた。

「ぶわっはっはっは!」
「…」

右手で蛇の尻尾を摘み上げ、どこか得意気に笑っている。
丁抹だ。
一気に自分の中から焦燥感が消え失せ、変わりにどうしようもない苛立ちが沸騰する。
この野郎…。
冷静になってよく見ると、デンが片手に持っている蛇は玩具のようで、リアルだが尻尾吊りにされているそれは一切動いていなかった。
細い尻尾を抓んだまま、蛇の玩具をくるくると回し、丁抹がベンチの背に片手を添える。

「どーだ!ビビったけ? よーくできてっぺー!? こないだ聞いたんだけっどよ、日本じゃことひぶッ…!?」

何ぞべらべらくっちゃべってる阿呆の顔面に、右手の手袋を脱いでぶん投げる。
ベチッ…!という音を立て、奴の足下に手袋が落ちた。
玩具と分かった今でも、心臓がばくばく言う。
は虫類は苦手だ。
俺んちは割と寒ぃんであんまこのへんじゃ見ねえし、慣れない。
いないわけじゃねえんだろうが、まあ動物園なんかに行くとちらちらいたりいなかったり。
あと可愛くもない。
せめて野良ハリネズミくらい可愛ければ救いようがあるが、俺ん中の琴線には一切触れない。

「いでで…」
「…馬鹿でねえの」

少し赤くなった鼻頭を押さえながら、デンが前屈みになって手袋を拾う。
蛇はコートのポケットに無造作に突っ込み、雪の中に僅かに沈んだ手袋を拾い上げ、ぱたぱたと粉雪を払いながらベンチをぐるりと回って寄ってきた。
一瞬にして冷たくなった片手の手袋を差し出され、そのまま手に填める。

「あーああ~。ノルバチ当たっちまーぞ。日本んとこじゃ、今年の守り神が蛇なんだと」
「…阿呆け。何で蛇が守り神なん」
「遅れちまって悪ぃな。中行くけ? 寒ぃべよ」
「…」
「もーちっといっかい?」

久し振りに会う今日の話の目的といえば、時間を置いてくれて感謝しているという俺からの礼だ。
詳細まで自分から言うつもりはねえが、聞かれたら答えるつもりでもいる。
ただ、その"俺から阿呆へ謝る"という行為を、例え無関係であってもカフェの店員始め他人の誰にも見られたくないっつーのがある。
見られたところで大したことじゃねえんだろうが、できれば避けたい。
俺が沈黙していると、阿呆は一人で勝手にどかりとベンチに座って片手をベンチの背に掛けた。
…距離を取って、俺も座り直す。

「ふあー。今日も寒ぃなー。…しっかし、蛇が守り神っつーんは変わってんな。ドラゴンとはまた違ぇんだとよ。つーこたぁまんま蛇ってことだっぺ? それとも、ワームっぽいドラゴンことなんかな」
「知んね…」
「ドラゴンっていやぁ、海蛇リンドヴルムとかおめ覚えてっけ? 昔はよく見たよなあ!俺の華麗な武勇伝も覚えてっけ!? 奴がこう船にのっかかって沈めようとしてっとこに俺が首んとこ乗っかってアックスでぶっすーって…!」
「…」

鼻息荒く過去の話を持ち出してくる阿呆を尻目に、ため息吐く。
航海時代から中世にかけてよく見た海竜は、確かにここんとこお目にかかってねえ。
阿呆が言うように、昔はちょくちょく出没してて航路を塞いでいたり被害にあったりしていたが、今では見かけることもなくなった。
俺のダチのエルフや幻獣も少しずつ顔を見せなくなってくる奴が多い。
世の中から不思議が減っているのだと思うと、言葉にする程でもないが寂しい気がした。
…水平線を見ながらぼけっとしていると、横から覗き込むように阿呆がベンチの背から身体を浮かせた。

「んで? もう落ち着いたんけ?」
「…。そこそこ」
「そーけ!そりゃえがったなあ!」

それだけだ。
聞くだけ聞くと、丁抹はまた背中をベンチに預けてにこにこと笑うだけだった。
折角相手が聞いてやんねえでいるのを突っ込むのはどうかと思ったが、俺の一方的な我が儘を手放しで許す神経がちっと怪しくて、思わず尋ねる。

「…そんだけなん?」
「ん?」
「理由何だったんとか、怒ったりとか…しねえの?」
「なーに。聞いて欲しいんけー?」
「…」

にこにこがにやにやに変わり、身を詰めてくる様子が心底うざくて半眼で睨むと、彼は笑い飛ばすように一笑した後、首を傾げた。

「悪ぃけど、理由知ってっからよ」
「…。んな訳ねえべ」
「アイスっから直で聞いちったかんなー」
「…」
「序でに言っちまうと、相当昔っから気付いてたかんな、俺は!」

自慢事のように胸を張る丁抹の言葉に、俺は呆気に取られた。
瞬いて凝視するくらいしか出来ない俺に、丁抹が飄々と続ける。

「でももう終わりにするって話だっぺ? 気にすることながっぺな」
「…アイスに何言われたん?」
「んー? 別に、普通だっぺ。兄弟だったこと分かったからすっぱり諦めるっつって、おめえ泣かせたら承知しねえぞっつってたな。…あ、あと愛想尽かされないようちゃんとしとけって」

思い出すように、斜め上を見ながら丁抹が臆面もなく告げる。
今更隠す意味もない気がするが、それでもこいつとそーゆー関係であることを、俺に好意を持った状態で長年見られていたかと思うと、何とも言えない気恥ずかしさと気まずさがある。
…アイスが俺んこと好いたんは、いつ頃からなんだべ。
結局、囲われていた俺もアイスも今じゃ一人暮らしだが、先に家を出たのは俺で、その後のことはよく分からない。
考えたら、デンとアイスの関係はどういったものなのか、そんな基本的なことを一切考えたことはなかった。
顔が僅かに熱くなる。
照れるとかじゃなくて、無性に焦る。

「あん馬鹿…。何言ってんだべ…」
「えがっぺなー。可愛えもんだっぺ」
「…?」

言いながら、丁抹が肩越しに背後や周辺を見遣る。
何かあるのかと俺も周囲を見回すが、少し離れた場所にカフェがあるだけで何もない。
そもそも街からは多少離れているし、この時期人通りもなく通っている車もない。
何か探しているのかと思ったが、周囲に誰もいないことが分かると、改めて丁抹が俺に満面の笑みで笑いかけた。
…それからこそりと距離を詰めた。

「つーか、キス拒否ったことも、ちゃーんと聞いちった♪」
「…」
「…嬉しかった」

放り出していた手を手袋越しに握られ、身を詰められる。
それまでと違う落ち着いた低声で囁かれ、殆ど反射的に背中が震えてしまう。
逃げそうになる俺の腰を片腕で抱いて…つーか捕らえて、尚も顔を詰められ、子どもの挨拶のように額を合わせて鼻の先を擦る。
近距離での澄んだコバルトブルーを直視できず、視線を下げた。

「退いてくれてえがったなぁ。…アイスが正面切って宣戦布告してきたら、俺はっ倒してたかもしんねえわ」
「…阿呆か」

精一杯強がってため息を吐いた後に、そのままキスをする。
顔が詰められても、先日のアイスん時のように逃げに走らない以上、腹立つが、やっぱしそういうことなのだろう。
寒い外気温の中じゃ、舌の熱さが痛いくらいだった。
柔らかく舌を絡めて、啄むように音を立ててから唇が離れる。
横髪を、ごわついた手袋が毛並みを整えるように撫でた。

「なんも無かったっつー顔でえがっぺ。だいじだって!アイスぁ大人だかんな。その辺上手くできっぺよ。慣れるまで会う時ゃ俺がいてやっしよ!」
「…。不安しかねえけど」
「よっしゃ! んじゃ、ショコラードでも飲み行くべ!!」

ぱん…!と両手を叩いて、丁抹が急に立ち上がった。
ベンチが軋む。
くるりと反転し、俺へ手を差し出す。
…その手をゆっくり取ると、痛いくらいに強く握られる。

「おっしゃー!行くべ行くべ! …っかー。冷えちまったわな~!」
「…」

俺の身体を引っ張り上げるようにして、デンがカフェへ向かって歩き出す。
すぐそこだ。
距離的に一分程度。
歩きながら、肩越しに海を振り返った。
アイスの姿は今も見えない。
…大切な弟。
アイスの願いは極力叶えてやりたいし、協力してやりたい。
けど、こればかりは…どうやら無理そうだ。

「…」

内心で小さく、悪ぃな…と呟いて、正面にある背へ向き直る。
いつもなら素早く叩き払う差し出された手を控えめに握りかえし、冷たい空気の中を彼に着いて歩いた。




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久し振りの丁諾。
氷くんの片想いは残念ながらきっと実りません…よね。
包容力なら丁さんは引けを取らないと思います。年の功だからね!
2013.1.21





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