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気付いていないわけではなかった。
元々ご自分の感情をあまり隠さない方であるし、仮に隠したとしても見抜く自信はそれなりにある。
ここ最近の陰る嫉妬の目が気に入ってしまって、少しからかっていたのは申し訳なく思うが、反面、執着していることを露骨に示されるのは好ましかった。
正直、私自身が彼に釣り合うとは思っていない。
この様な愚かな方法でしか安堵できない己を恥じてはいる。
未だに姿も視界に収めていないにもかかわらず、そんな気はないのですよと心に思いながらも頃合いを狙って向かいのソファに腰掛けてじっと書類に目を通している普魯西さんへと手元の書籍から視線を上げた。

「普魯西さん。そろそろお帰りのお時間では」
「……」
「普魯西さん」
「…あ?」

声が届いていないようだったので、片手を伸ばして書類を持っていたその手に軽く触れた。
そこで漸く顔を上げると、私の手をペンを持った手の甲で弾く。

「何だよ、うるせえな。テメェの為に俺様の素晴らしき英知を使ってやってんだから邪魔すんな」
「それは済みません。…ですが、そろそろお帰りにならないと遅くなってしまいますよ。確かこの後ご予定があるとか仰っていませんでしたか」
「ん?…って、おわっ!?何だよ!何でいつの間に1時間も経ってんだ!? おい日本!勝手に時計進めんな。戻しやがれ!」
「無理ですよ」

時計を見て現在時刻を知るや否や、普魯西さんが立ち上がった私に向けてびしりと人差し指を突きつけ、それに苦笑しながら机を離れた。

「ああクソ…!ヴェストが待ってんだぞ!」

舌打ちの後慌てて片付けを開始する普魯西さんから離れ、壁に掛けてあった彼の外套を取りに行く。
腕にかけて机まで戻ると、忙しなくペンを収め書類をまとめ、机の上を散っていた書籍を鞄に入れていた。
…この方が時間を忘れ熱中熱弁するのは珍しいことではない。
未だこの辺りに根付かない憲法は未知の世界。
色々と複雑で分かりにくい上に、上司命令でご鞭撻をお願いすることになったので不安ばかりが募っていたが、この方との答弁は当初覚悟していたよりもずっと有意義な時間を過ごせるので今となっては嫌ではない。
私へ内容を教える前にどうすれば私にもっとも分かり易く、また私の家に馴染むかを考えてくださっているようで、毎回お教え頂く度に私の為に離れている間にお時間を取ってくださっていたのがしっかりと分かる。
無理を通す論を作れる方なのだから、こういった事は得意なのでしょう。
人は見かけによらぬもの…などと言っては失礼でしょうが、ここ数ヶ月で普魯西さんに対する印象が変わったのは事実。

「お忘れ物はありませんか」
「あっても別に構やしねーよ。どうせまた来るんだからな。…あ~あ。かったりぃな」
「外套は玄関までお持ち致しますね」

ぶつぶつ言いながらも手早く支度を調えて立ち上がった普魯西さんがいらっしゃるタイミングで部屋のドアを開けた。
橙の灯りに染められた、金糸の入った朱色の絨毯はその光源の少なさと色故に鳶色にくすんで見える。
多くの賓客が語らい行き交う談話室と比べ、灯りの少ない廊下を揃って歩く。

「今日のトコで分かんねぇことあったらこの次言えよな。自分が分からないトコくらい、どーして分かんねぇのか理由付けて言えるようにしときやがれ」
「ええ。ご期待に添えられるよう努力します」
「つーかまあ、俺様に100パー任せときゃそれでいいんだよ。…大体よー、ド田舎のアジアで憲法作ろうってのが無謀なんじゃねぇの?しかもテメェん家で」
「ですからこうしてご聡明な方にご指導をお願いしているのですよ」
「…んーまあ、何だ。そこに俺様を選んだのはいいセンスしてるけどな~」
「ええ。とても為になります」

最初の頃は逐一真に受けて憤慨していた口の悪さにももう慣れた。
片手を腰に添えて目を伏せ、胸を張る普魯西さんに小さく笑って此方も片手を軽く口元に添えようとした所で、正面に立つもう一人の賓客に気付いた。
書室から談話室に戻る廊下途中に立たせていた警官がそれ以上の入室は許さなかったようだが、外套を預けずに片腕にかけているのを見る限り、たった今お着きになったのだろう。
今宵はお早いお着きと聞いていたが、予想以上に随分と早く来てくださったらしい。
…本来なら玄関辺りで蜂合うかと思っていた。

「…」
「これは英国さん。こんば…」
「おお~っとぉ。嫌ぁ~な顔が見えるなあ~?」

私が声をかけた最中に私よりも大きな声を張り、普魯西さんが額に片手を添え小馬鹿にした目で正面に立っていた英国さんを見据えた。
此方を臨みどことなくぼんやりと呆けていた英国さんが、その言葉に瞳に光を取り戻して私から横に立つ普魯西さんへと向ける。
積極的に見下し視線の普魯西さんとはまた別に、英国さんの方はまるで詰まらないものは見たくもないとばかりに両腕を組んで横を向いた。

「ふん…。それはこっちの台詞だっつーの。…はー…ったく。最悪だぜ。何でこんな所でお前と会わなきゃならないんだよ…」
「なあおい日本、俺様がいいことを教えてやろう」
「はい?何…っを」

一歩引いて軽い言い合いが終わるのを待っていようかと思っていた所、不意に隣から腕が伸びて肩を引っ張られた。
一瞬バランスを崩しかけたものの、鼻先を背を屈めた普魯西さんの肩に当たり軽く持ち上げていた片手でそのまま口元ではなく硬い外套に擦り当たった鼻頭を押さえることにした。
しかしそれすら普魯西さんには関係ないらしく、私の肩を抱えたまま半眼で距離を置いた英国さんの方を見ながら声を張る。

「あのバカ近所に誰もトモダチいねーんだぜ~。我が儘で俺様で自己中だから誰もトモダチなんかになりたくねーって拒否されてんだよ。自分のことしか考えねぇ奴だからな。まあ、当然っちゃ当然だよな~?」
「はあ…」
「うるせえよ。テメェにだけは言われたくねえな。弱い奴ほど連むんだよ。…つーかガキかよ。帰るんならとっとと消えろ。この後俺のアポが入ってんだよ」
「おーっと、そういやそうだった。時間がなかったんだ。…よーし!愛すべき我が友よ、高貴なる俺様にコートを着せる権利を与えてやる!」
「はいはい…」

引き寄せていた私の身を離すと、普魯西さんが改めて此方の肩に片手を置きぽんぽんと叩く。
その間ちらりと英国さんを一瞥していたのには気付いたが、特に気にせずずっと片腕に持っていた彼の外套を背中に広げた。
袖を通したのを見てから退いた私を追うようにして、普魯西さんがさり気なく一歩踏み込んだ。
疑問に思う間もなく頬にキスが来る。
日頃滅多にしない親愛の挨拶に思わず両肩を上げ目を瞑って更に一歩引いた所に両腕で抱き竦められ、最終的に右の手首を引っ張り上げられて強引な別れの握手となった。
玄関先ですればいいものを。
…というか、そもそもいつもはしないでしょうに。

「おら、ぼさっとすんなっ。そのちまっこい図体から溢れ出て止まない俺様への尊敬と敬愛を持って見送りやがれ!…いいか、車が見えなくなるまでちゃんと立ってろよな。途中でどっか行ったり他の奴と話したらもう二度と教えてやらねえぞ!」

握手を離すことはせず、そのまま見せつけるように私の片手を握ったまま大股で歩き出す普魯西さんに付いて英国さんが立っている方へと向かう。

「済みません、英国さん…。書室にて少々お待ち下さ」
「おいコラ」
「ああはい、済みませ…」
「テメェ俺様の話聞いてねぇのか耳悪いのか馬鹿なのかナメてんのか…。俺様といる時は俺様以外とはしゃ べ ん な!」
「むぐ…っ」

英国さんの横を通過する際こそりと一言残してみるも、その後普魯西さんに詰め寄られ、片腕で抱えられるように口を押さえられるとずるずる引き摺るように連行された。

「大体英語なんて必要ねーよ。独逸語にしやがれ、独逸語ー!俺がまとめて教えてやる。その方が効率いいぜ」
「…」

去り際彼が声を張ったことによって険悪が去らぬうちにその場を脱する。
…ああ。
良くも悪くも余計なことを…。
我を貫く普魯西さんを玄関まで送り、一礼して去っていく車が見えなくなってから頭を上げた。
…。

「…さて、と」

声と共に小さく息を吐くと、夜風がその息を東へと飛ばして行った。
…どうせここからまた火照る。
少し涼んでから戻ろうと、実質以上に長い時間をかけてから書室へ戻ることにした。

陰瞳其れ即ち鶯


扉を開けるなり垂れ下げていた片腕を掴まれ、投げ捨てるかの如く室内に引っ張り込まれた。
鍵を掛けることも忘れ、雑に振り抜かれた腕によって手近な壁に叩き付けられ、背中を打って一瞬呼吸が支えてしまう。
咳き込む私を案じることをせず、咳の反動で前に折りかけた身体の肩を正面から左手で押さえつけて壁に縫い止めると、無礼に断り無くタイを外し、シャツの釦を三つ程外すと襟を掴んで勢いよく右に開け広げた。
鎖骨に空気が触れ、肌寒さが服の内に入ってくる。
どんなに隠そうとした所で、この近距離では安堵の呼吸は音として鼓膜が捉えてしまう。

「…」

特別何もない私の喉元を見下ろし、そこで漸く陰っていた瞳の色が美しい翠緑に戻った。
…とは言え、陰りは幾分残っているが、先程と比べると澄み渡っている。
少しばかり惜しくもありますが、何事もなかった素振りを通してその目を見返す。

「…何か?」
「え? あ、いや…。…悪い」

途端に今さっき開いた私の襟を正そうとなさるので、やんわりとその手を断っておく。

「結構ですよ。自分で留めますから」
「あ…。そ、そうか…」

今更ながらに慌てて両腕を引く英国さんから視線を外して、広げられたシャツの釦に指をかける。
雑に広げられたにもかかわらず、釦が飛ばなかったのは幸運と呼んで良いだろう。
敢えて視線を送らずにいたが、襟を立ててタイを通している間も変わらず正面で佇んでいるので、仕舞いには観念して英国さんへと顔を上げた。
何か言いたげな面に先程と同じ問を投げてみる。

「何か?」
「いや、別に…。それにしても…あー…何だ、その…。あの馬鹿に憲法教わろうだなんて酔狂だな。…あの幼稚っぷりで人に教えられんのかよ」
「正直、私も初めはそう思っておりましたが…。存外論の通った方ですよ」
「…。…法なら俺も結構得意分野だぞ」
「その博識が羨ましいです。早く追いつけるように精進いたします」
「……」

私の切り返しがご不満らしく、顔を顰めて舌打ちすると横を向いた。
…愛らしい方だ。

「お迎えできなくて申し訳ありませんでした。今宵は随分と早いお着きでしたね」
「…早く着くって言っておいただろ。文句言うなよ」
「お伝え下さった時間まではまだ半刻もありますが…」
「俺が早く来ちゃ悪いか」
「いいえ、とんでもない。ですが、お待たせしてしまうのが心苦しくて」

ついつい頭を撫でたくなる衝動を抑え、僅かに乱れた横髪を軽く手で撫で梳いてから離れた机へと目を向けた。
普魯西さんと入れ違いでお越し頂いたので、机上にはまだ法学書が多数広がったままになっていた。
講筵の基本となる書物は英国さんからお預かりしてあるが、それも未だ用意していない。
部屋の奥に並んでいる影の強い書棚に仕舞い込んだままだ。

「片付けますので、少々お待ち下さい」
「…いいって、そのままでも」
「そうは申されましても、場所が…」

言い終わらぬうちに横を向いていた私の頬に背を屈めた英国さんが音を立てて口付けた。
…お顔が離れて濡れた場所に指先を添えてから気付いたが、普魯西さんが別れ際触れた場所としっかり同じ箇所へなさったらしい。
間を置かずして壁に背を柔らかく添えるようにして抱擁を受ける。
先程投げ捨てられたのとは雲泥の差で、思わず小さく笑ってしまうところでした。
外套を脱いだとはいえ、外からいらっしゃったばかりの英国さんは肌は愚か衣類も冷たく冷気を纏っていた。
私も私で少しの間外にいたものですから、温め合うには衣は邪魔でしかない。

「英国さん…。ご講筵を」
「今日は後先だ。…別にいいだろ。それとも何かお前の方で都合が悪いのか」
「先に飴を与えられると疎かになってしまうかもしれません」
「じゃあせいぜい自制しろよ」
「今宵は覚えが悪かったかもしれませんよ。宜しいのですか?」
「…それこそどうでもいい」

両腕に力が籠もり、引き寄せられて重心が爪先へ移る。
抱き合っている以上直接お顔は臨めないものの、眉の寄った表情が想像に易く、思わず口端が緩む。
目を伏せて、そっと冷たい上着の背に両手を添えた。
序でに横筋に接吻を受けやすい様軽く首を傾け、肩に額を寄せておく。
…ご安心下さい。
そんな気は皆目ございませんよ、と。
言葉にして伝えられる程、あの陰り刺す瞳が嫌いではないので残念です。

荒淫が過ぎて狂う連夜。
悋気に任せて痛みと共に鎖骨を点され、苦笑しながら絹髪撫でて宥めた。




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普魯西さんはやり手ですよね、ああ見えて。
普日も最近なくはないかと思わなくもなく…。
2011.10.25

余談: 大日本帝国憲法

別名、明治憲法。
欧羅巴並に機能した亜細亜で初めての憲法。
伊藤博文を中心に井上さん、伊東さん、金子さんとかが普魯西憲法を元に、独逸人・ロエスレルの助言のもと草案を作成。
「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とか「臣民」とかの有名なフレーズはこの憲法。
日本国憲法の施行により廃止。







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