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「ただいまー」

チリン…と玄関に付けている小さなベルが鳴り、氷島の間延びした声がリビングに響いた。
待っていた弟が帰ってきたことで時間を潰す必要がなくなり、俺は膝の上で開いて無意味に眺めていた雑誌を閉じ、テーブルの上に放った。
組んでいた足を正し、ソファから立ち上がる。
このまますぐ出かければいいだろうと、財布と携帯をポケットに押し込みながら廊下へ繋がるドアの方を振り返ると、氷島の後ろから珍しい顔が現れた。
仏頂面に特徴的な眉毛。
金髪碧眼の小柄な身体に、無理に動きにくいスーツ着込んでいる自称紳士。
英国だ。
ビジネス関係は勿論あるが、休日我が家に来るのは珍しい。
ちっと驚いてじっと見つめていた俺に対し、英国はぎろりと睨んできた。
…相変わらず目付きが悪い。
とはいえ生来双眸が大きいのだから、凄まれたところで大して威圧には欠けている。

「よう…。邪魔するぞ、諾威」
「…なん。どしたん」
「ダンのとこのランチに同席したいんだってさ」

英国ではなく隣に立っている氷島へ尋ねると、弟は後ろで手を組んで面倒臭さを露骨に表したため息を吐いた。
頭上でパフィンも同じように馬鹿にしたようにため息を吐いているのを見て、英国が彼らへ食ってかかる。

「何だよ。お前が見てみりゃいいって言ったんだろ!」
「別に僕らと同席しろなんて言ってないんだけど。別の日にダンと会えばいいだけじゃん」
「冗談じゃない。何で俺があいつと二人っきりで食事しなきゃならないんだ!」
「…て言うか、二人で会っても無駄だと思うけどね。英国相手じゃ別にエスコートなんてしないだろうし」
「されてたまるかー!」
「…」

何やら状況がよく分からないが、約束の時間が迫る。
ランチの用意をしている相手が相手なんで遅れようがすっぽかそうがどーでもいいような気がするが、ここで英国相手に自分の予定を崩すのも馬鹿馬鹿しい。

「…デンには言ってあるんけ?」

ぽつんと尋ねてみる。
きちんと名前を呼ぶ程の労力が勿体ないんで、いつもはあんことか阿呆呼ばわりだが、身内でない相手の前だというのなら、別に特別気を遣ってやってる訳じゃねえが、それなりに普通に名前を呼ぶことにしといてやる。
あんなミジンコみてえなカスっくせえ存在でも、底無しに面倒臭えが、一応の対外プライドは守っといてやるべきだろう。たぶん。
労力と天秤にかけてどちらが重いかという討論があるかとは思うが…。
まあ、とにかく、俺の質問に英国は小さく咳払いした。

「ん? …ああ。丁抹にはさっき電話しといたぞ。OKってちゃんと許可もらったんだ、文句ないだろ」

そう言って、さして広くもない胸を張る。
まあ、それならいいのだろう。
ホームパーティってレベルじゃねえし、主催は丁抹だ。
あの阿呆がええっちゅーんなら、ええんだべ。
俺も会食やパーティで人数が増えるのは決して嫌いではない。
自分からなかなか進んでコミュニケーション取れないタイプではあるが、楽しげな雰囲気というのはそれだけでいいものだと思ってはいる。
氷島は表情こそ不本意そうだが、本当に英国との食事が嫌なら問答無用でこの場を捨てて帰ると言い出すはずだ。
ちょいちょい仲ええみてえだし、彼も了承済みなのなら問題はない。

「そけ。…そんなら、こんまま行くべ」

止めていた足を進め、彼らへと歩み寄るとそのままリビングを出た。
玄関を出て鍵をかける。

「来てもいいけど、静かにしててよね」
「お前にそんなこと言われる筋合いねーよ」
「…」

昔からあまり変わらない二人の会話を背後に聞きながら、俺は一足先に庭を出た。
休日の昼時。
三人でテーブルを囲もうと言ったのは毎度のことだがあの阿呆だ。
丁抹の家に向かう途中で、英国が着いてきた理由を氷島に尋ねてみることにする。

「言っとくけどね、着いてくればなんて言ってないよ、僕。英国が自分の家の軽食が素晴らしくて自分は紳士なんだとか言ってたから、馬鹿なんじゃないって言っただけで」
「ふん。丁抹が作ったサンドイッチと俺のサンドイッチがそんなに違うわけねーだろ。大体、あいつの料理なんてまず食えるかどーか分かんねーじゃねえか。第一、俺よりもあいつの方が紳士的だって発言が納得できねえんだ。お前の感性がどうかしてんだよ!」
「…後で落ち込んでも知らないから」
「んだよ…!」
「…」

不満顔でぶつぶつ呟いている英国を氷島が鼻で笑い、英国が食ってかかる。
どうやら、英国の料理下手が話の主軸らしい。
まあ、確かに彼の料理センスに比べれば大概の国は勝るんだろうが、とはいえ、あの阿呆の料理も特別ええもんっちゅーわけではないだろう。
まして、今日は英国が言うようにサンドと言っていた気がするし、張り合うレベルじゃないだろう。
誰が作ったってそれなりのものができあがる。
胸中でそんなことを思っていると、全く同じ意見を背後で英国が口にした。

「サンドイッチなんて誰が作っても同じだろ」
「…あのさあ」

俺の意見であり彼の言葉に、氷島が深々とため息を吐く。

「ダンってあんたが思ってるより、レベル高いと思うけど」
「…」
「ははっ。そりゃおもしろい冗談だな」

氷島の断言に、何故か一瞬俺までぎくりとした気がした。
…そうけ?
嘲笑する英国と、俺も同じ意見だ。
勿論、態度に表すことなくすたすたと歩を進める。
そのまま二人は軽い口論をしていたが、あまり気にすることでもない。
丁抹の家が近づく。
柵の前から庭を覗き込むと、温かい日光の下、既にチェッククロスの敷かれた丸テーブルと人数分のイスが用意してあった。
中央に置かれている人数分のグラスが、日光を反射して輝いている。
庭を進んで、ベルを押す。
ドア越しに、どたたたたという忙しない足音が響いたかと思うと、

「んノッルぅ~っ!!」
「…」

勢いよく開いたドアから、速攻でばっと両手を広げた阿呆が突っ込んで来た。
もういい加減慣れた。
一歩横に避け、避けた代わりに突っ込んでくるタイミングを読んで奴の正面首をぐわしと掴み、それを手前に引くと同時に片膝を上げて腹部に一発打ち付ける。

「ぐほ…!?」
「毎っ回毎回…。やがまし」
「んぬおおおぉおお~…ッ」
「…な、情け容赦ねーなオイ」
「そう? いきなりあの勢いでハグってキスしようとする方が悪くない?」

玄関のドアに寄りかかって呻いている阿呆を放って、俺は家の中に入った。
荷物をリビングに置いてから上着をソファの背にかけてキッチンへ入る。
途中だったら手伝おうかと思っていたが、冷蔵庫を開けると既にペーストの類は仕上がっていて、そんな必要はなかった。

Jeg priser deg



これといって特別なことは何もなかった。
時間に余裕がある休日の、手軽なランチ。
庭に用意したテーブルの上に焼きたてらしいライ麦パンと野菜、ハムやマリネなどが大雑把に並べてある。

「英国来るんじゃ、もちっと手ぇ込んだの用意しときゃえがったなぁ。簡易で悪ぃけど、まあえがっぺ!」

パンをスライスしながら、丁抹が鼻歌交じりにそう言った。
客扱いする相手でもないが、やはりいつものメンツに+αが一人加わるだけで、阿呆の気分は通常よりも少しばかり良くなるらしい。
英国はというと、氷島の隣で静かに座っていた。
妙に大人しすぎる気がする。
隣に座る氷島と時折何か話しているようだが、俺らのとこまではよく聞こえない。
阿呆の隣で冷蔵庫に入っていたペーストを、白くて浅い陶器の器に適当に入れていく。

「…っと。バターナイフがねえか」
「…取ってくっけ?」
「んあ? ああ、悪ぃな。場所分かっけ?」
「ん…」

その場を任せ、ナイフを取りに一端家の中のキッチンへ戻る。
フォークやナイフが入っている場所から数本のバターナイフを取ると、再び庭に出た。
その頃にはすっかりパンは切られてバスケットに入っており、ペーストもみんなが取りやすいよう並べられていた。
座っている氷島と英国の前には湯気立つ紅茶が置かれている。
…ああ。そう言や、英国も氷島と同じく紅茶派だったな。
ドアから庭へ出てきた俺に気付いて、紅茶ポットをテーブル端に置いていた丁抹が僅かに傾けていた背を伸ばしてこっちを見た。

「おう、ノル。悪ぃな。サンキュー」
「…五本でええけ?」
「十分十分。そんんじゃ、ペースト皿んトコ添えてくれっけ? …英国。紅茶どんなもんだい。 一応淹れ方は知ってっけど、俺あんま紅茶は淹れねえからよ~、味はどーだか。流石におめえんとこよりゃ味落ちっかもなぁ」

言われたとおり、テーブルに並んでいる皿にてんてんとナイフを添えていく傍らで、阿呆が英国に笑いかけた。
俺もこいつもどちらかと言えばコーヒー派なもんで、氷島と違って紅茶は時々しか飲まない。
日常飲まない奴が淹れた紅茶が、紅茶愛好家を気取っているガキの口に合うんかどうかは微妙なところだろう。
阿呆の問いかけに、紅茶カップから口を離した英国が顔を上げた。

「あ…? ん、まあ…。別に飲めなくはねーな…」
「おー。マジけ、お墨付きー! やりー♪」
「…」

ナイフを添え終わって割り当てられたイスに俺自身が手をかける前に、英国の方に笑いかけながら片腕を伸ばし、隣にあったそのイスを阿呆が浅く引いた。
引かれたイスに腰掛け、中央にあったグラスを二つ取る。
テーブルの端にいくつか銘柄が並んでいた。
…えーと。
どれにすっかな…。
人差し指でラベルをなぞる。
気に入ったものを一本選んで軽く持ち上げて見せた。

「デン。これでええけ?」
「おー。おめの好きなの開けろな。…あ、俺らちっとビール飲むけどよー、おめえらも飲むけ?」
「僕いらない」
「英国は?」
「…」
「…? おうコラ。眉ガキ!」
「うお…!」

その場で阿呆が両手を打つ。
大きく響いた破裂音のような手打ちの音に、ぼーっとしていた英国がイスの上でびくりと肩を震わせた。

「どしたん? 何か今日おめえ随分ぼーっとしてんなあ」
「い、いや…。別に…」
「俺ん顔に何か付いてっけ? 妙~に今日おめえと視線合うんだけどよー」
「偶然だろ」
「そーけ? …ま、えっか。皿、皿~っと♪」
「…」
「…盗み見くらい軽くこなしなよ」

妙に萎縮しているような英国と、その隣でぽつりと呟く氷島。
何故なのかはよく分からないが、往き道の会話などから察するに、どうやら氷島は丁抹の言動を英国に見せているつもりらしい。
…何か、これといって見るような言動があっかな。
そう思ってちらりと俺も阿呆を一瞥してみるが、本当にこれといって特徴的なことはなく、やっぱりいつもの阿呆以外の何ものでもない。

「なあ、ノル。こんラム美味ぇから一番に食っちみ」
「…ん」

グラスに注いだビールを丁抹の方へ置いたのと入れ違うように、俺の皿に焼かれたラム肉のスライスが三切れ程置かれる。
言われたとおり、取り敢えずそれを先に食うことにし、ライ麦パンにペーストを塗ってレタスとそれを乗せた。

「ほーら。おめぇらの分も作ってやっかんな~!」
「…このラムのロースト、ローズマリーの香りがする」
「お…!アイスよお気付いたんじゃねーけ。ローズマリーとあと一個使って焼いたんだわ。も一個分かっけ?」
「オレガノだろ?」
「んお。眉ガキビンゴ!」
「うそ。匂わないんだけど」
「俺、ローズマリーの方が分かんねーな」
「んまぁ、相性いいハーブってのぁ混じっちまうとその分うんまくひとっつになっかんな~」
「…」

二人の方に笑いかけながら、俺たちに遅れてイスに座る直前、それとなく俺の方へグラスを差し出したんで、パンを持っていない右手で左側の方に置いていたグラスを掴み、軽く打ち合わせてやる。
カンと小さい音がしてすぐにグラスを置いた俺と違い、丁抹はそのままごくごくと一気にビールを飲み干す。

「ぷはーっ!!うんめぇーっ!」
「止めてよ、そういうの…。オヤジ臭いな」
「無駄な期待すんなよ。歳考えりゃこいつ十分オヤジじゃねーか」
「あっはっは!おめぇのあのちまっこい恋人よりじゃながっぺ!」
「な…!? 何だと!?」
「眉ガキとちまっこにぃ~、乾ー杯ー!」
「ちまっこじゃねええ!…つか、眉ガキ言うなああっ!」
「どうせそのうち別れるでしょ」
「別れねえよ!!」
「…」

いつもいない英国が輪に入っているからか、日常と比べるとかなり賑やかだった。
意外にも、阿呆も氷島も、英国と会話が弾むらしい。
…何となく面白くないものを感じ始めた頃に、食事はある程度落ち着いた。

 

 

 

食後の片付けは参加したメンバーでやるのが基本なんで、四人で片付すことにした。
庭の方や食器運びは丁抹と英国に任せ、俺と氷島は並んで食器を洗う。
殆ど食器洗い機に投げ込めるが、大皿や汚れが目立つものなんかは結局手で洗った方が綺麗になるんで極力そうするようにしている。
俺が洗った食器を隣にいる氷島が受け取り、拭いては皿を立てかけて置く銀の棚へ並べていった。

「…ねえ、ノーレ。ごめんね。今日」
「…?」

不意にぽつりと氷島が謝ってきたんで、俺は顔を上げた。
白い皿を私ながら尋ねる。

「何?」
「突然英国呼んだから。邪魔だったでしょ」
「ああ…。別に俺ぁ構わんし。あん馬鹿がええんならええんだべ。やたら盛り上がっとったし」
「…最近、英国ってばのろけが酷くてさ」

渡した白い皿を拭きながら、氷島が小さくため息を吐いた。
半眼で、この場に不在の眉毛に呆れるように口を尖らせる。
…のろけ?
英国の恋人というと、食事中の会話でも出た通り俺も極東の日本だと記憶しているが、実際にその後変わったのかどうなのかは分からない。
兎に角、脳内にぽんっと黒髪黒目の、肌が少し色付いている背丈の小さな国が出てきた。
正直、日本本人よりも、その横っちょによく付いてる大きなわんこのが思い出しやすい。
あれはかなり可愛い。

「煩いんだよね。この間も、一緒にランチしたんだってさ。映画見たり散歩したりって、別に普通じゃん?」
「…まあ」
「それを一々さ。…ま、それだけロウペースなんだろうけどさ。あと、自分が如何に相手を上手くエスコートできるかを説くんだよね、僕に。くどくどくどくど。…だから僕、この間言ってやったんだ。そしたら見に来たいって話になって」
「…? 何言ったん」
「あんたより、ダンの方がよっぽど紳士だよって」
「……………そぉけ?」

たっぷり間を空けた後で、聞き返した。
同意しかねる。
紳士?
エスコート上手ということなのだろうか。
付き合い長いが、んなことされた記憶が一切ない。
奴に、んな紳士的な所が欠片でもあるんだろーか、甚だ疑問だ。
どっちかって言うと逆でちっとばかし奴にも品性とか何だとかを学ばせたい気がするのは俺だけだろうか。
次に洗っていた皿が最後の皿で、蛇口を止めて水気を切り、それを手渡す際に氷島の方を向くと、彼は曖昧な顔で俺を見て両肩を竦めていた。
その、まるで俺にまで呆れた表情がちょっと意外で、俺は少し瞬いた。

「…。なん」
「…あんまり言いたくないけどさぁ」

ぶらりと下げていた俺の手から濡れた皿を取り上げ、氷島はため息を吐きながらそれを拭き始める。
キッチン台に乗ってた彼の飼い鳥も、まるで同じ意見だとでもいうように、ムヴォー…と間延びした鳴き声で首を振った。

「他の人って、もっとレベル低いからね」
「…」
「たぶんノーレ、もう他の人じゃ無理だと思うよ。まあ、スヴィーなら平気かもしれないけど、彼当分フィン以外には見向きもしなそうだし。無意識に目が肥えてるから、どうせ他の人たちはそういう視点で一切見れてないんでしょ。今更たぶん無理だよ。…これ、ちょっと放っといた方がいいよね。何処に入れるのか分かんないし」

拭き終わった食器類に布巾をかけ、横から両手を伸ばして手を洗うと、氷島は庭の方へ向かっていった。
裏口から庭に出られるドアに片手をかけて、外へ出る直前で彼が足を止めて振り返ったんで、ぼーっとしてただ見送っていた俺は内心少し焦った。

「…たまには褒めてあげれば?」

ただ言うだけでこちらの返事を待たず、氷島は庭へ出て行った。
…洗い物が終わったんだから俺もさっさと表へ片付け手伝いに行きゃええのに、何となく行きづらくて、暫くすることもなく阿呆ん家のキッチンを物色した挙げ句、表へ行かなくていい理由付けとして、食後のコーヒーと紅茶を人数分淹れてみることにしたが…。
俺の紅茶は渋いだとかで、紅茶は英国が得意気に、俺らに淹れ方を披露した。

 

 

 

…結局。
午後のお茶が終わると英国は帰ると言い出し、氷島もそれに付いていった。
どうやら元々、午後は二人で買い物の予定が入っていたらしい。
本来午後から会う予定だったのを、少し時間を早めて氷島の予定だった丁抹の家のランチを覗き見に来たというわけだ。
…随分面倒なことをする。
見に来る価値があったのかなかったのか俺には分からないが、来る時よりも帰る時の方が活気がなかったのは見て取れた。
恐らく今頃、買い物をしながら氷島に"自惚れるな"と言われている頃だろう。
俺もそろそろ帰ろうと、持ってきた小さめのリュックを左肩にひっかけて、フォンを弄りながらリビングを出た。
頼んでもねえのに後ろからスタスタ阿呆が付いてくる。

「なぁノル。来週空いてんならコンサート行かねえけ?」
「無理」
「んおっ。振られた!? 予定入ってんけ。仕事なん?」
「ん…。視察」
「うはあ~。だりぃんなあ、休日によ~…。代休もらえるつっても、なぁんか割に合わねぇ気ぃすっよなあ」
「…」

玄関が正面に迫って来ると、後ろから着いて来てた阿呆がずいと俺を追い抜いて前に出、ドアノブを引いてドアを開けた。
靴の爪先で留め具を挟み、ドアを固定する。
長方形の間取りから、ぽっかりと距離のある門までのレンガ道が、絵画のように目の前に開ける。
…。
言われてみれば…。
俺はあんまし、こいつん家の玄関のドアノブを握ったことがねえ気がする。
…何となく足を止めて、ちらりと横へ視線を投げた。
見知った、年の割に無邪気なへらへらした、一発ど真ん中に右ストレートぶち込みたくなるような笑みがそこにある。

「んじゃま、またメールすっからよ。どっか行くべな♪」
「……。…アイスがな」
「ん?」
「あんこはよく気ぃ…」
「お。あんこに戻ったんじゃねーけ?」
「…あん?」
「ほーれ。今日は俺んことデンっつってたべな?」
「…ああ。…んだって英国がおったべ」

弄ってたフォンをポケットに押し込んで、両肩を竦めた。
阿呆とか馬鹿とかあんことか、こいつを呼ぶにはそれで十分だが、身内以外の第三者がいるっつーんなら、ある程度そいつからの視点を考えて、こんな奴でも一応の威厳とかプライドとかあるだろうし…。
氷島も身内だけなら俺んこたノーレと呼ぶが、誰か部外者がいれば諾威と呼ぶ。
会議などの時も、他の国を交えて話し合う時は往々にしてデンと呼ぶことが多い。
今回はその延長だ。

「やー。昼っからおめえにデンだとか呼ばれっときゅんきゅんすんな~!」
「…どの図体できゅんきゅんだとか言ってんだ。キメぇ」
「はは。悪ぃ悪ぃ。んで? アイスが何だって??」
「…」

急に話が反れたんで、このまま言わんでもまあいいか…などと思っていたが、話題戻すんけ…。
一呼吸間を置くと、妙に言い出しづらくなった。
…少し迷って視線を外してから、さっき言おうとしていたことを続ける。

「あんこぁよく気ぃ付く奴だっつってたわ。今日。…レベル高ぇんだと。他ん奴らより」
「マジけ…!褒められた!?」

氷島に…彼だけじゃねえけど…あまりいい評価をもらう機会が少ないせいか、やたら嬉しそうに笑みが深まる。
ふにゃふにゃした顔で周囲に花を散らしながら、照れたのか後ろ頭を軽く掻いた。

「わはー。面と向かって言ってくれりゃええのによ~。何だっぺ。俺今日何かしたんかな?」
「…」
「んな、な、なっ。おめもそう思うけ?」

俺の左肩辺りのシャツを指で抓んで引っ張りながら聞かれ、答えるより先にその手を叩いて払った。
払った手でそのまま横髪を耳に引っかけながら、ため息を吐く。

「知るわけねーべ。俺ぁあんこ以外知らんし」
「…お!」

吐き捨てるように言って視線を流す。
てっきり、褒めろ褒めろとせがまれるかと思ったがそんなことはなく、代わりに、ずいっと顔を詰められ思わず一歩後退した。
無駄に明るい笑顔が眼前に迫り、身を引く。

「なーに!そりゃ単に気ぃ回るってんじゃなくて、恋人でって意味け!」
「…」

しまった。
墓穴だ。
反射的に顔が歪んだ。
単に気が回るいい奴という意味で捉えていたのなら、今の俺の発言は墓穴以外での何ものでもない。
舌打ちしたくなるのを耐えて、鼻先に詰まってた顔面を右の掌で押し退けながら、そっぽを向く。

「知らん。んなのアイスに聞けな」
「絶っ対ぇそーだって!んだから俺以外知らねんだっぺ? な、な!?」
「やがまし。寄んな。帰……っ!?」

顔面押し退けていた右の手首を不意に掴まれ、ばっと右腕を離される。
それと同時に、奴が右手を俺の背後の壁に勢いよく着いたものだから、ドンッと思いの外大きく響いた音に一瞬身が強張った。
衝撃で、玄関壁に掛かっていた小さなイラストの額が背後で落ちたが、その額に目線を移すことなく、一瞥くれることもなく、真っ直ぐアイスブルーの双眸が俺を射抜く。
相手の目に自分が映るような距離で、一瞬、どこか遠くの世界へ精神が飛びだして旅行しそうになった。
驚愕に固まる俺に、丁抹が小首を傾げ、状況に場違いな柔らかい苦笑で笑いかける。

「へっへっへ~。おんめぇほんっとクリティカル多いんなぁ~」
「…あ?」

クリティカル…?
別に一撃必殺なんぞかましてねぇけど…何言ってん、こん阿呆は。
それともリクエストなのだろうか。
だとしたらこのまま片足上げて玉金一発蹴り上げてやっても構ねえが…。
目の前の見慣れた苦笑に落ち着いて、掴まれた右手首をぶんぶん払ってみるも離す気はないらしい。
諦めて半眼でアイスブルーを睨み上げる。

「なあ。そんならよ、俺こっからも頑張っから。おめえずーっと俺以外知らねえでええかんな!」
「そんなんどーでもええから…離せな」
「ちゅーしたらな」
「は…? ちょ…っ!」
「んぶ…!」

んーっと唇尖らせて突っ込んでくるド阿呆の顔面を、ずっとリュックに添えていた左手で顔面掴んで拒否った。
お陰で肩に引っかけていたリュックは肘に滑り落ち、ずしりと重くなる。
それでも顔面を離さず、ぐぐぐと力を込めて押し返した。
押し退けられた不細工顔のまま、非難がましい声があがる。

「何でえ!ええべな別にーっ!」
「いくねえ。おめ何調子こい…」

"たまには褒めてあげれば?"

顔面押し返していた俺の脳裏に、不意に氷島の声が反芻した。
褒めるとか言われても…よく分からん。
ここでキスのひとつでも了承してやれば、それに代わるんかな。
…。
少し考えて、俺はぎろりと改めて丁抹を見上げた。
顔面押し退けていた左手を、やんわりと緩めて離す。
急に緩んだ左手に、丁抹が双眸を瞬かせた。

「お…?」
「……ドア閉めな」

投げ捨てるように呟くと、ぱっと丁抹の顔が輝く。
…見てるこっちが恥ずかしくなるくらいの笑顔に軽く引く。
ガキか…。
これのどれが大人で紳士なんだか…。

「よっしゃあ、任せろ!」

言うが早く、俺の手首を離すと壁に右手を着いたまま留め具を片足でけっ飛ばし、勢いよくドアを閉めた。
バァン!と音がて風圧が生まれ、もう一つ壁に掛かっていた写真立てがさっきの額縁と同じく落ちた。
…どうでもいいが、割れてはいないだろうか。

「…鍵」
「ぅおっとー」

落ちた小物を拾おうともせず、ドアを閉めてすぐ俺に向き直ろうとする阿呆に一言投げる。
閉めた玄関ドアにガチャリと鍵かけ、その音を聞いて俺は諦めることにした。
肘にずり落ちていたリュックを足下にぼとりと落とし、両腕を組んで目を伏せ、深くため息を吐く。
丁抹の言うキスは勿論挨拶ではなく口キスのことだろう。
…あんま明るいうちからしたくねぇんだけど。

「もうええべ? んな、な??」
「…」

強請られると、どうもぱたぱたと尻尾振って待て状態の大型犬を連想する。
…比較的躾がええ方なのかどうかも知らん。
誰と比べていいのかも分からんし、俺ん中の基準以外を知る機会もない。
結局、レベルが高いとか低いとか、比べる対象がねえんだから不毛な話だ。
むすっとしていると、向かい合っていた笑顔は微笑に転じて、指先が俺の横髪を梳いた。
額にちょんと唇が触れる。
むすっとした顔で、足下に落ちてる額を見下ろし、意味もなく爪先で突っついて軽く蹴り飛ばした。

「…」
「…恥じぃけ?」

くつくつ笑う喉にカチンと来て、濡れた眉間に皺を寄せて視線を上げた。

「…全っ然」

この程度で焦ってんだとか思われちゃあ腹が立つ。
仕方ねえから、ため息吐いて組んでた腕解いて…瞼を伏せて顎を上げた。




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恋人さんはなかなかレベルが高い人だったりして。
丁さんと喧嘩したり嫌ったりしていても他人に目がいかない諾さんはもう陥落済みさ。
2012.6.11

 






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