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宵の山道に行き倒れが一つ。
生憎私は食さないもので己の領地に死体が増えるのは好ましくありませんが、今の世にはそれ程珍しくはない風景故捨てて置いてもよかったのですが、声をかけたのは気まぐれでした。
遠巻きに見たその毛色が月に白く輝いた気がして。

「申し。…大丈夫ですか?」

疾風に乗って頂から空風と共に舞い降り、傍に立ってそっと声をかけてみたが呻き声一つ聞こえない。
これは絶えているものかとも思ったが、夜風に広がる匂いが人のものとは違うようで、ひくりと鼻を鳴らした。
あまり嗅いだことのない匂いに片袖で口元を押さえる。
随分長らく生きてきた方だと思うので、大方の妖にはお会いしたものと思っていましたが、新しい方ですかね。
匂いで分別ができれば灯りなど不要なのですが、相手がよく分からないので、仕方なしに念の為持ってきた提灯の蝋に息を吹きかけ、青白い明かりを灯した。
竹骨を持ち上げて整った提灯で、そっと倒れている方のお顔を照らす。
…やはり、毛色が金とも銀ともつかない。
何の一族やは知れませんが、希に出逢う同色に突然親近感が湧く。

「……ぅ」

前屈みになって見下ろしていると、その方がようやっと小さく呻いた。
生きているのであれば、助けて差し上げるのは吝かではない。
前屈みだったのを膝を抱えるようにして屈み込み、小さくもう一度声をかけた。

「申し。どうされました。…お怪我でもなさいましたか?」

さっきは立った状態で声をかけたから聞こえなかったのか、近距離でかけた今は反応があった。
倒れたまま、金の方が苦しそうに眉を寄せ、僅かに首を振る。

「……が…」
「はい? 何ですか…?」

何か仰ったが良く聞こえず、更に顔を寄せて青白い唇に耳をぴんと立てて寄せる。

「血…が……」
「血…?」
「血か…薔薇を……」
「生き血ですか? それとも…」

死人でも宜しいですか?…と続けるつもりが、その前に金の方は気を失われてしまったらしく、ぱたりと表情から苦悶が消えて寝顔に近いお顔で片頬を土に預けた。
事切れたかと思いましたが、口元に片手を寄せると指先にかすかに風が当たる。
取り敢えず呼吸はしているようなので、一度立ち上がった。
薔薇…というのはちょっと私ではよく分かりませんし、血と言われても…。
きょろきょろと千里眼で辺りを見回しても、如何せんこの時間帯。
夜の山になど登る人間は少なく、時折子供や姥を捨てにくる者もいるのですが今日はそれもないようで。
麓の山まで降りて一匹浚ってくるのもいいかもしれませんが、そこまでする義理もなく…。
暫く考えた結果。

「…私のものでも宜しいでしょうかね」

胸中で親切心よりも怠慢が勝り、出歩くのが億劫なので最も簡易な方法をとることにした。
その辺に転がっていた小枝を拾い、息を吹いて小刀にすると、それで左手の指二本へ一筋入れる。
少々絞り出すように掌から指先へ右手で皮膚を押し、赤い雫がぷくりと珠を作って垂れ落ちる前に、再びその場に屈む。

「失礼します」

傷のない右手の指先で金の方の顎を取って親指の腹で唇を開かせる。
そこに垂れ落ち始めた血が落ちぬよう気をつけながら、傷口を下に二本の指を入れた。
この様な肌寒い宵では他人の口内はとても温かく思わぬ暖となり、意図せず尾が一度背後で振れた。
…指先を入れて間もなく、金の方が焦点の定まらない目を僅かに開く。
その双眸が思いもせず翠玉のように鮮やかで、それだけ酷く驚いた。

「…」
「あ…。気づかれま……うわ!?」

ぼんやりなさっていたその双眸と目が合った瞬間、ガッ…!と唐突に彼の右腕があがり、首の左を鷲掴みにされる。
その表紙に提灯が手元から落ち、離れた場所へ転がり落ちた。
抵抗する間もなくそのまま押され、それと同時に金の方が身を起こし、今さっき横たわっていたその場所の隣に今度は私が落とされる。
背中や耳の後ろ、更には手入れを絶やさない尾にまで土が付き、慌てて身を起こそうと片手を地に着けたが上から金の方がずいとお顔を詰める。

「ちょ…。 …っ!?」

あまりに常識を脱していたのですぐには状況を理解ができませんでしたが、左襟を開かれ、そのまま鎖骨に噛み付かれ、一瞬声が喉から飛んだ。
噛み付く…という程強く骨を噛む訳ではないが、確実に歯に皮膚が貫かれ、穴の空いた場所に血液が集まり始めて熱くなる。
…と、思った瞬間。

「…!」

ず…っと、まるで何か重いものに体の中身を下へ引っ張られるような妙な感覚があった。
思考が一瞬ズレて、遅れて眩暈がしてくる。
凄まじい勢いで血が抜かれていると判断するまで僅かな時間を要した。

「っ……!」
「…」
「ちょ…」

近距離で赤液を飲み下す音が聞こえて思わず目を伏せて顔を顰め、首筋を擽る毛先から逃げるためにも顎を上げる。
相手の両肩に手を添えて思い切り爪を立てても止めてくださらず、全身から力が抜けて視界が白く蝕まれてきたあたりでこれはまずいと危機を覚えて震える呼吸で息を吸い込むと、妖気を練り込んで顎を引く。
何とか首に吸い付いている無礼者に顔面から青火を吹きかけてみると悲鳴が上がって、漸く顔が離れ、青白くなった傷口と周囲の皮膚に夜風が冷たく当たった。





「わ、悪い…その。…腹が減ってて」

近くの道端にあった大きめの石に腰を下ろし、鎖骨にできた傷口に葉を当ててため息着く私の前で、土の上に座した金の方は音を立てて両手を合わせた。
当初死人かとも思われた様子が嘘のように、今ではぴんとしていらっしゃる。
よくよく見れば風変わりなのは匂いだけではなく着物もそのようで、見慣れぬ皮を纏っていた。
どうも血を食す方らしく、空腹に絶えかねて寝ぼけて大量に吸い取られてしまったようです。
軽い貧血でくらくらするものの、大したことはないのでそれはいいのですが、気になるのはそのお顔。
かなりの近距離から火を与えたはずが、毛先が多少浮いている所はあっても燃えても焦げてもおらず…。
私の火は決して弱くはないと思うのですが。

「もう結構ですよ…。驚きましたが、空腹が満たされたのであればそれで」
「ああ。ほんっと助かった! ありがとうな」

無邪気な笑顔に力を抜き、私も緩く微笑みを返す。

「いいえ。希に会う同色ですもの。…困った時はお互い様です」
「同色?」
「夜なので色彩がいまいち分かりかねますが…。貴方も随分と毛色が薄く美しいですね。銀…よりも多少色味があるような。お色は稲穂色ですか?」

座ったまま空いた片手を伸ばし、目の前の髪に指先でちょいと触れる。
金の方は自ら指先で毛先を摘むと、擽ったそうに笑った。

「髪色のことを言ってるのか? こんなの、全然珍しくないだろ」
「え…。そうですか…?」
「ああ…でも、この辺は確かにお前みたいな黒い方が多い気がしたな。あんまり気にしてなかったが」
「…?」
「いやでも、ほんと助かった」

黒…?
私の毛色は頭部を除いて耳も尾も白なのですが…。
何やら話が噛み合っていないような気もしたが、それを確認する前に金の方が話を落としてしまったのでそのまま放置しておくことにする。
彼はもう一度しみじみと呟くと、突然顔を上げて私を直視し、ややあって照れくさそうに両肩を上げて微笑んだ。
微笑み自体は可愛らしいはずなのだが、月光のせいかやけに双眸が冷たく光って見え、不思議な色の目をしていらっしゃると言いかけたところで彼が不意に立ち上がった。
ゆらっと、遅れて肩にかけている風変わりな羽織が揺れる。

「普通に美味しかったし、いい味の奴に助けてもらってラッキーだ。…ストックしてないタイプだしな」
「…すとっく?」
「ああ。甘いし、デザートに打って付けだ。…さあ、立て!」

パチン、と金の方が鳴らした指は、夜にとても涼しく響いた。
…が、それだけだった。
響きの余韻が消えてからも、一体彼が何をしているのかよく分からず、私はそのまま石に座りその不思議な動作を見詰めていた。

「何をなさっているんですか?」
「…あ、あれ?」

数秒後、彼が瞬き、もう一度指を鳴らす。
やっぱりそれも涼しく響くだけ響いて消えた。

「お、おい…? 立てよ!」
「すみませんが少々疲れましたので、もう少し座ったままでも宜しいですか」
「…」
「…? 何ですか?」

得意げだった先程の表情とは打って変わって、何故か呆けた顔で私を見下ろす金の方。
その後もやけにしつこく目の前でパチンパチンと数回指を鳴らされましたが…一体何をなさっているのか全く分かりません。
何かのまじないでしょうかね。
…やがて、何か怪訝そうな顔で私に問う。

「…さっき俺お前の血吸ったよな?」
「私はその為に今休んでいるのですが」
「だよな。…ってことはお前、もしかして結構強いのか?」
「…? いえ。それ程でもないとは思いますが…。それを言うなら貴方も、よく私の火を受けて無事ですね」
「ん? …ああ。さっきのか」

ちょっと熱かったから驚いたぜ…と付け足す程度の余裕があるのですから、やはりある程度力を持った方のようです。
最後にもう一度指を鳴らし、それでもそのまじないらしきものが失敗に終わったようで、すっかり諦めて金の方は両肩を落としてがくりと項垂れた。

「うう…。お前を連れて帰れれば、途中で腹減って倒れることもないと思ったんだが…」
「血など、どこにでもあるでしょう。道中その辺りの人間を捕らえてお飲みになれば如何です」
「いや。俺グルメなんだ」

何故か不意に吹き出しそうになった言葉に耐えて、そうですか…とか適当に相づちを打っておく。
話を聞くと、今は遠くにあるご自宅に帰られる途中とか。
自称グルメらしい他に、昼間は苦手で夜に移動を続けようとするとなかなか食材が見つかりにくいらしい。
長旅というのであれば、食事の確保はかなり重要です。
今日のように度々行き倒れていては、ご自宅に到着する前に本当に絶えてしまそうな予感がします。

「先程、血の他に薔薇がどうとかと仰っていませんでしたか?」
「ああ、薔薇でもいいんだ。美味い薔薇とか、この辺りにあるか?」
「すみませんが、無知故その薔薇というものがどういったものか私には…」
「花だ、花。赤くてこれっくらいの大きさで赤いのが多くて、でも白とかもあって…」
「…山茶花でしょうか」

両手である程度の大きさを形取りながら金の方が説明を行い、その特徴から予想を付ける。
丁度彼の示す大きさが山茶花のそれと似通っていたため、頷いて立ち上がった。
山茶花であれば、群生している場所は近くにある。
…傷口もそろそろ治っただろう。
ずっと患部を押さえていた葉を取ると、傷は綺麗に治癒し終わっていた。
それを見て金の方が僅かに驚いていたのが見て取れて、少し得意げになる。
駄目になってしまった提灯の代わりに、今度は手に持っていたその葉に息を吹きかけて提灯に転じてみたが、先程まで使っていたせいか少し古い提灯ができあがった。
…まあ、明かりが取れれば充分だろう。

「ご案内しますよ」

夜道を、青白い提灯片手に歩いていく。
歩く時の癖でふよふよ左右に揺れてしまう尾を触っても良いかと途中で聞かれたが、くすぐったいので止めてくださいと丁重にお断りしておいた。



ものの数分で、その場所へ着く。
一面に咲き誇る山茶花の香りは強く、夜でも充分に自らを主張している…が。

「これは薔薇じゃないな…」

傍に生える山茶花に片手で触れ、金の方は申し訳なさそうな声で告げた。
彼の言う薔薇というのは、この花ではないらしい。

「そうですか…。申し訳ありません。力になれず」
「いや、でも…」

言葉途中で沈黙したかと思えば、彼はじっと花を見詰めた。
その強い視線に釣られて私も彼の手元にある山茶花を一つ見詰めると、花弁の外側が独りでに軽く揺れた気がした。
次の瞬間、その場所が茶色く染まって萎み、見る見る間に花全体が枯れていく。
そして最後には、ぽとりと彼の手元を離れて足下にすっかり萎れた花が落ちた。

「…ちょっと不味いな」

枯れ落ちた花を見下ろさず、眉を寄せて金の方が呟く。

「花の精気も食されるのですか?」
「ああ。でも殆ど不味いし一輪から食える量は少ないし、あんまり好きじゃないんだよな。…さっき食ったお前の血の方がよっぽど美味いさ」
「…。では、お付き合いしましょうか」
「…へ?」

両手を前に添えて何気なく言ってみると、金の方は隣で意外そうに肩を上げた。
…そんなに意外でしょうか。
次の花にのばしかけていた手を下ろし、呆けた顔で私を見る。

「付き合うって…。俺ん家までか?」
「ええ。宜しければ。旅は道連れ世は情け、です」
「…。遠いぞ?」
「結構ですよ。…正直、少し退屈だったんです。以前の場所から移り住んで此処に住み始めてかれこれ数百年になりますから、丁度私も引っ越す機会を探していましたし」
「数百…!? おま…っ年上か!」
「旅支度は不要ですから。道中木々があれば……あ。でも葉っぱ数枚持って出ましょうか」

何やらショックを受けているらしい彼の横で、ぷちぷちと山茶花の葉を十数枚取っておく。
葉の状態がそのまま品の状態になるので、なるべく美しく健康な葉を選ぶと、腰紐で軽く結んで懐に入れて金の方を見上げた。

「さあ。行きましょう」
「ちょ、ちょっと待て…!」

回れ右して背を向け、来た道を戻ろうと歩き出した私へ、金の方が声をかける。

「そ、それはあれか? つまり、途中で俺が腹が減ったら…」
「血ですか? いいですよ。その為に同行するのですし。…ただ、先程のように一度に大量には吸わないでください。流石に貧血になりました」
「…」

既に治ったとは言え、傷口に軽く手を当ててお願いすると、彼は無反応で私の方を見て瞬いていた。
その反応を不思議に思い、首をかしげる。

「どうされました?」
「あ、いや…。俺、今まで引き込んだ奴以外と一緒にいたことないから…」
「そうなのですか? …なら、お相子ですね」
「あいこ??」
「長らく生きてきましたが、私も群れたことがないので。…道中至らないこともあるかと思いますが、宜しくお願いします」

そこで軽く頭を下げると、提灯が不安定に揺れた。
顔を上げると、間をおいて、突然金の方が満面の笑みで微笑み、その笑顔は天空の銀月の下で殊更輝いて見えた。

月光下はろうぃん



数百年ぶりに山を下り始めた途中。

「お前、空飛んだことないだろ」
「は…? 急にな……!」

何ですかと聞き返そうとする前に、振り返った彼にぐいっと片腕引かれて腕の中に落ちる。
直後、バサッ…!と固い羽音がして青い羽織が左右に開き、覚悟する間もなく爪先が土から離れ、血の気が引いた。

正面から吹く疾風と土に着かない爪先と、身を抱く腕に慣れた頃。
怖々目を開くと、長い間下から見上げていた月が漆黒を背景に、私たちの真横で大きく輝いていた。



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去年のハロウィンは可愛かったなあ。
いえ、今年も可愛いのですが、最終的に泥酔してた印象しかない(笑)
2011.11.8






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