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「あ…。珍しい」

リビングへ踏み込む前に、遠巻きにその光景を眺めて思わず呟いた。
珍しいとか、失礼なこと言っちゃって慌てて片手で口元を押さえたけど…。
でも、暖炉の前で俯き、眠っているスーさんは本当に珍しい。
すぐ後ろにあるソファにも座らず、絨毯に腰を下ろして背もたれ代わりにソファの側面に背を預けてうたた寝しているようだった。
…いつ帰ってきたんだろう。
全然気付かなかった。
今日は前もってスーさんが遅くなることは聞いてたし、ご飯は食べてくるっていうのも聞いてたから、花たまごとちょっと寂しい夕食を済ませたんだけど…。
済ませた後は部屋でイヤホン付けて音楽聞きながらパソコン弄ってたから、帰ってきた音に気付かなかったのかな。
いつもはリビングにいる僕がいないから、きっとスーさんも僕が寝ちゃったかと思ったのかも。
帰ってくる時は出迎えたいからそのくらいの時間になったらリビングにいるつもりだったけど、帰宅はもう少し遅いかと思ってた。
部屋にいちゃって悪かったかな…。
“お帰りなさい”って、いつもみたいに言うつもりだったんだけど…。

「…。スーさぁん…?」

小声で呼びながらそろりと近寄ってみると、くたりと垂れ下がったスーさんの片手に花たまご用のおもちゃが握られていた。
…あ。じゃあ、ちょっと花たまごと遊んでて、その途中で寝ちゃったのかな。
辺りを見回してみるけど、肝心の花たまごはというと既にこの場にはいないみたいで、どうやらスーさんを置いて何処かに行っちゃったみたい。
スーさんが寝ちゃったから行っちゃったのか、花たまごが遊ぶのに飽きて行っちゃったからスーさんがうたた寝することにしたのか分からないけど、どっちにしろ疲れているからこんな場所で寝ちゃってるんだろう。
スーツがしわしわになっちゃうからせめて着替えてから寝るべきなんだろうけど…。
でも疲れてるのなら、スーツがどうとかより、起きるまでゆっくり寝ててほしいな。
ソファの背に引っかかってたスーツの上着を部屋の端のハンガーにかけ、棚からタオルケットを持って来る。
遅くまでご苦労様です…って、心の中で呟きながら、スーさんの隣に屈んでケットをお腹にかけようと広げたところで…。

「…あ」

はたっと気付いて思わず口から言葉が溢れ、またさっきみたいに慌てて片手で口を押さえた。
物音とかに敏感な人だから起きちゃうかと思ったけど、よっぽど疲れているのか今日は起きない。
…よかった。
それはそれで良かったんだけど、問題は…。

「眼鏡…」

小声にすらならないよう気を付けながら、口の形だけで単語を呟いてみる。
…どうしよう。
かけっぱなしだ。
僕は眼鏡かけないからよく分からないけど、かけっぱなしで寝ちゃうとうっかり割れちゃいそうで怖い。
そうでなくても、寝返りとか打った拍子にフレーム曲がりそうだし…って、そんなに脆くないのかもしれないけど、その辺の強度加減とかからして既によく分からない。
…うーん。
有り得ないだろうけど、万が一とか億に一の確率で割れて刺さったりしたら大変だし…。
両目を伏せて暫く迷ってみたけど、やっぱり外した方がいいんじゃないかという結論になった。
最初、今いる位置から両手を伸ばして外そうとしたけど、どうも横からだとアンバランスで向こう側の耳にかかってるフレームが外れてくれなそうだったから、途中で一端止めて再びかけ直すと、正面に回る。
幸いにもスーさんの両足間に膝を付けるスペースがあったから、そろりそろりと移動して、起こさないように注意しながら距離を詰めた。

「失礼します~…」

そ~っと両手を伸ばし、フレームに指をかけて少し浮かせる。
…起こさないように~。
そーっと、そーっと…。
耳と顔の皮膚からフレームを浮かせて、ゆっくりゆっくり手前に抜いていく途中で…。

「ぁ…」

カ…、と。
片方のフレームが、上手く外れてくれなくてスーさんの耳に引っかかった。
途端、ぴくり…とスーさんの眉が寄る。

「…」

顔を顰めたスーさんがそれ以上起きずにまた眠ってくれることを願ったけど、やっぱりそういう訳にはいかないらしい。
暫くして、綺麗なターコイズ色の目がす…と僅かに開いて、ぎくりと肩が震えた。
最初はぼんやり僕のベスト辺りを見てたけど、そのうち焦点が合ってきたのか、僅かに顎を上げる。
半眼のままじっと視線を上げて睨まれ、大体顔の角度的に俯いてるし、いつにも増して……うう。
こ、怖い…!

「そ、その…っ。す、すみませんスーさん…」
「…」
「そのまま寝てていいですから、これだけ……?」

本当は大声上げて謝りたかったけど、寝起きに大きな声は煩いかなと思って、小声で言い訳してみてる途中、スーさんが僕の肩に片手を置いた。
今まで寝てたからか、いつもより随分掌が温かい。
…?
何だろ。
ま、まさか殴らないよね…!?
…などと疑問に思ってる傍ら、もう片方の腕も絨毯から持ち上げたなーと思ったと思った瞬間。

「わぷ…!」

その浮いた腕が僕の背中に回り、ぐい…っと前に押された。
元々膝たちでそんなに安定してなかった僕はそのままバランスを崩し、顔面からスーさんの肩に突っ込む。
白いシャツを通して鼻先と頬に体温が当たり、妙に焦って水中から顔を出す時みたいに顎を上げると、シャツから逃げてスーさんの肩の上へ一度顎を乗せた。

「あ、あの…! スーさ…」

それから反射的にスーさんの背中のシャツを握り、身を起こそうとしつつ真横にあるスーさんの顔を見ようと顎を浮かせ…たんだけど!
丁度その瞬間、スーさんもこっち向いたから…。
ちょん…って。
唇が当たった。
…。

「…。………ぁ」

温かく湿り気のある感覚に一瞬頭の中が真っ白になるけど、その直後猛烈な勢いで顔に熱が集まってくる。
全身の筋肉がびし!と硬直しちゃって、ちょっと顔を引いたくらいでそれ以上距離を空けることも体を離すことも考えつかなかった。
…キスはしたことない訳じゃない。
そもそも僕は昔挨拶が口キスだったから。
それは変わってるから止めた方がいいとスーさんに言われて止めて以降、それまで普通にしてたその行為が特別な意味を持つことに関して必要以上に構えてしまって、何が普通なのかどの当たりが普通じゃないのか、その辺の判断には自信がない。
自信がないからよく分からないが、取り敢えず、今のは何をどう考えたって挨拶じゃない気がする…。
…間を置いてはっと我に返り、両肩を上げてスーさんの肩に手を置く。
背を反らす要領で慌てて胸を離した。

「ぁ…。わ…」
「…」
「す、すみません…!今離れま……っ」

折角空けた距離。
なのに、そのまま立ち上がろうとした僕を許さず、背中に置かれてた腕は斜め上から押さえつけるようにぐっと力が入った。
さっきみたいに僕から落ちたんじゃなくて、向こうから距離を詰められ、緩く抱擁を受ける。
鼻先が、外れた襟のボタンと固いでこぼこした鎖骨に触れ、息を呑んで固まった。
…本当に固まってたから、ぼさぼさしてた前髪を鼻先で分けられて、額へもらったキスへも完全な無反応だった。

「…」
「…」
「ぇ…。……えと…」

かなりの時差の後、しどろもどろで口を開く。
…ど、どうしよう。
どうしたらいいのか分からない…けど。
たぶん、何かしら反応しなくちゃいけない気がする…(当然だ!)。
背中と肩に回ってる両腕から、ぽかぽかと、スーさんの体温がゆっくり僕へ移ってくる。
ちょっと考えて、でも顔を上げる勇気はなかったから、本当はスーさんみたいにほっぺたとか額とかにするのがいいんだろうけど、僕からのお返しとしてそのまま目の前の鎖骨に小さく唇を寄せた。
触れてる腕とかはあったかいのに、何故かキスした場所は同じ人肌でも酷く冷たかった。

「……」

少し経って…。
スーさんが両腕を緩めると、僅かに身を引いた。
そのまま、拘束はなくなったものの、両足間ですっかりへたり込みを決めていた僕の片手を下から取って、やっぱり緩く握ると、胸の高さまで浅く持ち上げた。
背を前屈みにして甲にキスされた時はまたちょっと吃驚した。
意を決してというよりは、その仕草に驚いて思わず顔を上げると、レンズの通さない裸眼と目が合う。
…最初顔を上げた時は確実に寝惚け眼だったのに、一体いつから覚きたのか、今は、とてもしっかりした目をしていた。
相変わらずとても綺麗な色。
真っ直ぐ向けられる視線に、決して威圧的ではないにしろ抵抗ができなくなり、今更になってまた顔が熱くなってきた。
視線から逃げて、俯いたまま何か言おうと口を開くが、言葉にできないままぱくぱく開いたり閉じたりする。
それから、有り得ないんだけど、誰もいないことを確認する為にちらりと横目でドアの方を一瞥した。

「…」
「……っ」

そこまでして漸く、結構長い間重ねっぱなしだった手を、僕もぎゅっと握りかえした。
…意を決して、思いっきり目を閉じて、顎を上げる。


Minun lempea mies



合わせ直す必要もない程上手な角度でそっとキスをもらったから、あとは僕にできることはなくて。
だからその代わり、重ねていた手の指先を少し離して重ね直した。



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北欧は全体的にテクニシャン設定。
旦那は女房可愛くて仕方ないが故に手が出しにくい(笑)
2012.1.22






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