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ヘアワックスにこの間買ったタイ。
気に入ってる香水に伝統的且つ最先端なブランドスーツ。
磨き抜かれた革靴に極めつけはここにはないが、最上級の薔薇の花!

「…よっし。完璧だろ!」

右手の指を軽く鳴らした後で躍るようにくるりとその場で一回転ステップし、指先で鏡の中の自分を弾いてその場を離れ、スライドドアを閉めた。
クローゼット内に置いた全身鏡の前でチェックするのはいつものことだが、こんなに長い時間いたのは久し振りだ。
クローゼットを抜け出してデスク脇に戻ると、不意に壁掛けのカレンダーが目に入った。
赤丸で囲んである今日の日付と比べると、前後に散らばってる会議予定の重要性なんてゼロに等しい。
…最近はビジネスライフばっかりで、ここんところ全然プライベートで会ってないもんな。
必要最低限をカバンに放り込み、少しだけスーツの裾を引く。
誰もいないことは分かっちゃいるが、咳払いを一つしてから深呼吸した。
カードは勿論送ったが、実際に会うのは誕生日から三日遅れ。
当日はお互い忙しく時間が取れなかったとしてもただでさえマイナススタートだ。
今日は完璧にこなしてやるぜ!
さっきから何度か腕時計を見てみるが、やけに時間が進むのが遅い。
約束の時間まではまだ20分もある。
とっとと進んで約束の時間にならないかと片手を腰に添え、靴の先でリズムを取っていると、不意にベルが鳴った。
…つってもまだ20分前だし、日本じゃねえな。
そう思って無視していると、少し経ってからメイドが日本が訪問したことを伝えに来て、慌てて部屋を出ると階段を駆け下りた。

Rose & Chocolate



「よう、日本!」
「英国さん。こんにちは。お邪魔しております」

襟を整えてからゲストルームのドアを開くと、ソファに腰掛けていた日本が立ち上がってぺこりと浅く頭を下げた。
相変わらず他人行儀だが、不思議と嫌じゃない。
でも折角のプライベートなんだ。
せめて服がスーツでなければもう少し柔らかくなるんだろうが、どうも日本はブレザーを私服として着るのが苦手らしく、何だかんだで欧羅巴に来る時は大概スーツだ。

「すみません。約束の時間より少々早くなってしまいまして」
「いや、全然構わないって」
「久しぶりですものね。こうしてお会いするのは。…ええと、今日は」
「あ…お茶!お茶にしようぜ!」
「え? あ、はい…」
「外でな!」
「外ですか…? 少々肌寒くありませんか」
「温室ならいいだろ。…ああ。上着はいらないからな」

掛かっていたコートの方へ一歩踏み出した日本を片手を横に切って制し、ドアノブを握って開けた。
ドアを支えて片手で軽く先に出るよう促すと、恐れ入りますと軽く微笑する。
釣られて全力で緩みそうな頬に鞭打って、何とか俺も微笑程度に留めておいた。
…駄目だ、難いな。
だって本当久しぶりなんだ。うっかり緩みそうになる。
にやけ顔なんて冗談じゃない。
今日はきりっとキメて行くんだ…!

「…何ですか、そのガッツポーズ」
「え!? あ、いや。…何でもない」
「何かいいことでもありましたか?」
「へ…?」
「…?」

日本があまりにさらりとそんなことを尋ねてくるんで、俺は思わず足を止めた。
案内役で二歩分先を歩いていた俺が足を止めたんで、隣に並んだタイミングで日本も足を止めた。

「どうかなさいましたか?」
「…あ、あのな。俺は、その…今日という現状がかなりいいことの部類に属するんだが…。…お前は違うんだなと思って」
「え…?」

もう随分前から楽しみにしてて、今日という日の為に仕事も無理押しでやっつけた。
いいことでもありましたかレベルじゃないんだが…。
俺の言っている意味がすぐには分からなかったのか、日本は少しの間瞬いた。
が、数秒後。
は…っと露骨に気づくと、一歩後退して慌ててフォローに入る。

「す、すみません…!大変無礼な発言でした。撤回いたします!」
「あ、いや。そこまでしなくてもいいんだけどな…」
「私も英国さんと休日ご一緒できるのを楽しみにしていたんです。今のはついと申しますか…」
「いや、いいって。…悪いな。変なこと言って。忘れようぜ」
「いえ、でも」
「いいから。…ほら。温室はこっちだ。迷子になるなよ」
「ぁ…」

廊下の奥を指さし、再び歩き出す。
今度は日本の方が少しの間立ち止まって何か言いたげにしていたが、俺との距離が開くとやがてぱたぱたと小走りで着いてきて開いた距離を縮めた。
…が。さっきまで歩いていた距離よりは微妙に開いた気がして、胸中がっくりする。
歩きながら盗み見ても、日本が斜め後ろで俯いているのはよく分かった。
今日は一日中ピシッとしていようと思ったが、小さくため息を吐き、片手を腰に添えて軽く天を仰いだ。
高い天蓋に彫られた模様を遠い目で見詰める。
…何でなんだろうな。
どうも色々と上手くいかないんだ…。
出だしに気まずくなり、がっかり肩を降ろしながらも取り敢えず温室に向かうことにした。

 

 

屋敷から温室へは渡り廊下を渡る。
夏には壁が取り払われて吹き抜けになっているが、冬場はと言うとしっかり囲いがされており、雨風雪が凌げる造りになっている。
勿論暖房付きだ。
飾り気のない廊下を進むと、やがて温室のドアが見えてきた。
さっきのドアと同じように、そこも支えて開けてやる。
ドアを開けた瞬間、俯いていた日本がぴくりと顔を上げた。

「…香りが」
「あんまりよそ者は入れない決まりなんだけどな。特別だ」

決まりという単語が引っかかったのか何なのか、入っていいものかどうか迷っているらしい日本の背中を軽く押してやり中へ入れてやると、最初の一歩以外は誘われるようにゆっくり奥へ歩いていった。
左右一面、色とりどりの薔薇の庭園だ。
温室って言ったって馬鹿にできる広さじゃない。
冬だからって理由で花が楽しめないなんて有り得ない。
それはイコールでお茶の時間を優雅に楽しめないことになる。
そんな悲惨な時期を拒む為に、全力で作り上げた庭園の一つだ。
芝生にレンガ道。
背の低い花も植えてあるし、ベンチもあれば周囲には木々もある。

「温室…ですか?」
「奥に噴水もあるぞ。…大体、此処は改良中の花が多いな。管理しやすいしな」

胸を張って言うと、日本がゆっくりと一息吐いた。
ため息ではなく感嘆の呼吸なのが分かったんで、ドアを閉めると奥に誘導する為にまた彼の前に出て後ろ向きで歩くと、軽い調子を気取って親指で背後を指さしてみる。

「奥にティセット用意してあるんだ。そこでお茶にしようぜ。お前蝶好きだったよな。何匹かだったが、放し飼いにしてあるはずだ。見かけたらラッキーだな」
「これは…素晴らしいです」
「ああ、そうだ。忘れるところだった…。気に入った薔薇があったら言えよな」
「詳しく説明してくださるんですか?」
「ば…っ!」

真顔で言ってくる日本の言葉が信じられなくて、思わず声を張りそうになった。
説明って…。
どんだけ小さい男なんだ俺は!
全力で突っ込みたくなるが、またさっきの二の舞にはなりたくないんで、ぐっと耐える大人な対応をしておく。

「あのな…。説明で終わる訳ねえだろ。やるんだよ、お前に。プレゼントだ」
「いただけるんですか…!?」
「嫌いじゃないだろ。受け取れよな。…言っとくが、特別だからな!」

言っとかないと伝わらない気がして、高らかに宣言しておく。
花や蝶が好きな日本のことだ。
絶対喜ぶだろうと思った。
俺がお茶の準備してる間、好きに見ていいぞと許可してやると、案の定、最初のうちは遠慮していたが、やがてあっちに行ったりこっちを見たり、蝶を探して歩いたり。
嬉しそうにその辺を歩き回っていた。
今度こそ釣られて俺も笑ってしまい、噴水前にあるティーテーブルでの準備が終わった後もすぐ呼び止めるのは気が引けて、暫くイスに腰掛けて頬杖を付き、時折薔薇の間から見え隠れする日本を眺めていることにした。

 

「Happy Valentine's Day & Be My Valentine!」

言葉を添えて、数々の品種の中から選ばれた純白のバラをその場で束にしてリボンを添え、イスに座る日本に差し出してやる。
本当なら片膝でも付いてやりたいところだが、生憎それは上司命令で禁止されてるのが残念なところだ。
その代わり、片手を取って甲にキスを贈っておいた。
日本的に言うと"花もほころぶ"ってやつの笑顔でもって感謝の言葉が返ってきた。

「ありがとうございます」
「悪いな。貴重な種類だからあんまり本数贈れなくて」
「いいえ、とんでもないです。こんな素敵な花を頂けるだけで充分ですよ」
「普通のバラなら後でいくらでもやるからな。…しかし、流石に目が良いな」

日本の傍から離れ、向かいの席に腰掛けながら言うと、日本が不思議そうな顔をした。

「そうですか? 此処にあるものはどれも貴重だと伺ったので、それならば、その中でもあまり希ではないものを頂戴しようと思ったのですが」
「何だよ。そんなこと思ってたのか? …ははっ。残念。最も貴重なバラの一つだぜ」
「え…!?」
「おっと! 返すなんて言ったら流石に怒るからな。もうお前の為に切っちまったんだ。後は大切にしてもらわないとな」
「あ…ですが、これと同じものを随分前に英国さんから頂いたような…」
「よく覚えてるな」

頬杖付いて、腕に抱える薔薇越しに日本の顔を見ていたが、痛い所を突かれて思わず苦笑した。

「お前の庭にはまだ咲いてるもんな。…ところが、だ。純粋なのはお前にあげた株が最後の一株ってやつでさ」
「そうなんですか!?」
「Mrs.Charles Lamplough。…その後俺の国じゃ減っちまって、今頑張って復興させようとしてんだけど、なかなか難しくてな」
「存じませんでした…。そんな薔薇があるなんて」
「いや、まあ…」

受け答えしているうちに、かああ…と顔が熱くなってくる。
…みっともないんで言わないでおくが、実の所そんな感じの薔薇は思った以上に多い。
他の連中に対してはそうでもないんだが、日本には出会ってから度々薔薇をやってたせいか、ふと気づけば俺の庭じゃ途絶えた種類が日本の庭で普通に咲いてたりする。
大切にしてくれてる証拠なんでそれはいいんだが…。
特にあれだな。同盟前後が一番流出した気がする。
惚れ込んじまって会議がある度に投げ捨てるようにぽいぽい贈ってたから…。

「そんな貴重な薔薇を、黙って切ってくださったんですか?」
「あ? だってそれが欲しかったんだろ?」
「でも、私の家にあるものだとご存じだったんですよね…?」
「…? 変な奴だな。そんなにこだわることじゃないだろ。 俺はお前にやれて嬉しいと思ってるんだ。言っただろ。流石だと思ったって。…たぶんその花はお前が好きなんだな。だからお前の所に行こうとするんだ」
「…。英国さんは、本当に薔薇がお好きなんですね」
「え? …な、何だよ。急に」

特別変わったことを言ったつもりはないが、妙に感心した顔で日本がしみじみと呟いた。
気のせいじゃなければ尊敬の眼差しが当たっている気がして、嬉しい反面照れくさいんで上手く顔が見られなくなり、今度は俺の方から視線を反らさなきゃならなくなった。
…俺別に変なこと言ってないよな?
ちょっと不安になりつつも、何とか話題を変えようとネタを探していると、向かいで丁寧にテーブル端にバラを置いた日本が、紅茶を一口飲んだ後で不意に口を開いた。

「あの…。英国さん」
「あ?」
「頂いた薔薇と比べると随分詰まらないものですが…。宜しければどうぞ」

そう言って、両手の指先を添えてす…っと日本が茶色いペーパーに包まれた小箱を差し出した。
今日着ているスーツの色によく似ている。
組んでいた足を解いて、身を乗り出すとそれを受け取った。

「俺にくれるのか?」
「ええ。バレンタインですから」
「へえ、何だろうな。ここで開けてもいいか?」
「勿論です」

問いかけに笑顔が返ってきて、嬉しさに急かされでテープに爪をかける。
紙袋をがさがさ開けながら、テーブルの向こうの日本に問いかけた。

「確かお前のところって変わってたよな。やるもの決まってるとか何とか。…えーっと、何だったか。キャンディをやる日だったか?」
「いえ。チョコレートです。キャンディは3月ですね」
「ああ、そうか。チョコだったな。…しかしその3月に返すってのも変な……お。美味そうだな!」

話している途中で包みが開け終わり、中から趣味のいい箱が出てきた。
ぱかっと蓋を開けると、中は二つに区切られていて、半分に一口分くらいのリキュールと、もう半分に円形のチョコがいくつか詰められていた。

「生チョコお好きですか? 少々お酒が入っているらしいのですが」
「ああ。好物だ。サンキュ」
「いえ。私もこんなに素晴らしいプレゼントをいただいて。…お口に合うと宜しいのですが」
「丁度良い。今一緒に食べないか?」
「ええ。喜んで」

リキュールはともかく、小振りのチョコをいくつか取り出して均等に分けようとすると、日本の手がすっと伸びて、自分の方に分けられたチョコを一つ残して俺の方へ差し出した。

「私は一つで充分です。英国さんに差し上げたものですから、英国さんが召し上がってください」
「そうか? なら、ありがたくもらっとくか」
「ええ。そうしてください。お好きにどうぞ」
「そんじゃ早速……」

指でチョコを摘んで口に放り込もうと、その手を口元まで持ってきた時だ。
はた…と、不意に気づいてチョコを持った手を、一端下げた。
そのまま、じっと改めて日本を見る。

「…」
「…? どうかされましたか?」
「あ、いや…悪い。…今気づいたんだが、もしかして」

テーブルに片肘突いて、少し顔を詰める。
もしそうだとしたら、チョコが出た段階で一番に気づかなきゃならないことだ。
内緒話だとでも思ったか、日本の方も両手を膝の上に添えたまま、身を乗り出して耳を預けた。
真剣な顔で耳を立てる日本に、単刀直入に聞いてみる。

「…今日のスーツ、合わせて来たのか?」
「スーツ…ですか?」
「チョコレートに。…同じ色だろ?」
「…?」

声を落として尋ねた俺の質問にピンと来ないらしく、今日の初めと同じく、暫く疑問符を浮かべていた。
その反応に、密かに跳ね上がってた心臓がしゅんと悄気てスピードをスロウに変えた。
…何だよ。
やっぱ狙って来たんじゃなのか…。
合わせて来たのなら今まで流してきた発言は突然誘い文句になる。
それらをスルーしていたとしたら、とんでもない失態だ。
そもそも恋人の日だし、そういう気で来たのかと一瞬本気で思ったが…。
まさかそんな訳ないか。
がっかりして目を伏せた矢先…。
ガタン…!と、大きな音と同時にイスを引いて、日本が立ち上がった。

「へ…?」
「え…、あ…」

突然の反応と音に驚いて思わずぽかんと顔を上げると、片手で口元を押さえ、見たことないくらい顔を真っ赤にした日本と目が合う。
…温室の光の加減か、いつも黒だと思ってた目の色さえ今はチョコレート色に見えた。
チョコレート色したスーツの袖を掴んだ手で、裾を押さえる。
更に追い打ちをかけるように今気づいたが、髪色も天井から受けてる光のせいで同色に見えた。

「や、あの…。ご、誤解です…!違います、そんなつもりは…」
「ちょ…おい。落ち着けって日本」
「すみません…! 考え無しで私…っ。う、上着脱ぎます!そんな恥知らずなことは微塵も…」
「考えてないんだろ? …分かってるよ。いいって、そんな焦らなくて」

じりじりとパニクって後退していく日本を落ち着かせようと、俺も両手の指先をテーブルに添えてその場にゆっくり立ち上がって見せた。
片手を腰に添え、ため息を吐く。

「急に立つから、驚いただろ。…悪かったよ、変なこと言って。だったらいいなって話だ」
「…いいな…ですか?」
「品のない奴だと思うか?」
「あ、いえ…そんな」
「仕方ないだろ。俺はお前が……まあ、その…す、好きなんだし…だなっ。…大体、お前の所ではどうだか知らないけどな、今日はバレンタインで恋人の日だぞ」
「…」
「でもいいさ。お前に合わせるって自分ルール決めたんだ。紳士は約束は守るもんなんだぜ。…ったく。ほら。上着着たままでいいから座れよ。今はお茶を楽しもうぜ」

こっちだって多少赤くなりながらもふんぞり返って両腕を組み言い切った後で、軽く片手で空いたイスを示してやる。
俺が再度腰掛けたのを見計らい、日本がそろりそろりとテーブルに戻ってきて、イスの背に両手を添えた。
まだ焦ってるのかパニクってるのか、顔からも耳からも赤は抜けない。
少し俯いたまま、視線の先にあるテーブルの上の薔薇を見下ろすだけで、座ろうとはしなかった。
…今更ながら、うっかり面と向かって尋ねた自分を後悔する。
まさか日本がそんなわけないのにな。
どっかのバカ髭と違って愛振りまいて歩いてるような奴じゃない。
うっかり口を滑らせたおかげでこの空気だ。
もう一度ため息を吐いてから、再度促してみる。

「座れって」
「…」
「…悪かったよ。 俺今日お前と会うのほんと楽しみにしてたんだ。こんな馬鹿なことで潰したくない。…何なら侘びとしてもう一束バラを贈ってやるから」

折角の日本との時間だってのに、嫌な気分で過ごしたくない。
本心をゆっくり伝えると、分かってくれたのか、日本がそろりとイスの前に回って、元通り腰掛けてくれた。
ちょこんと両手を添えて浅く腰掛ける姿は、時々不意に可憐なドーリィを思わせる。
…取り敢えず、ほっと安堵して新しいカップを用意することにした。

「次の紅茶は何を飲むんだ? リクエストがあるなら特性ブレンドを披露してやるぜ?」
「…あ、ええと。…それじゃあ、お願いします」
「よし、任せろ。自慢じゃないがかなりレアだぞ」

努めて明るく振る舞って席を立ち、テーブルから少し離れたセットへ移動する。
カートの下段に収まっている引き出しをあけ、何種類かの茶葉を見比べてどれがいいかなと鼻歌歌いながら選び抜き、温めたカップとポットを小さな銀のトレイに載せてテーブルへ戻る。
まず器を見せてやろうと、絵本から出てくるようなティセットを日本の前に置いた。

「やっぱアールグレイなんかが飲みやすいんだろ? ランク低めでも香りの強いのと合わせると結構……ん?」
「…」

伸ばした手の先で、突然日本が黙り込んだままガタガタイスを動かし、テーブル横に立ってた俺との距離を詰めた。
珍しく行儀悪いっていうか…謎の行動に眉を寄せる。
殆ど俺の真隣くらいまで寄ってくるとイスの向きを変え、両腿の上にそれぞれ手を添えて両肩をあげたまま思い切り俯いている。

「な、何だ…? どうした??」
「…あ、あのですね。…その、我が家ではバレンタインと申しますれば商戦でございまして、ビジネスとして定着しており、不肖私考えも至らずほんとの本気で決して見繕って参った訳ではなくそこは何卒ご理解いただきたく…」
「いや、だからいいってそれは」

追加否定なんて求めてないってのに、つらつら一気にまくし立てる日本に呆れて苦笑した直後。

「で…もあの。…もし召」
「…」
「…」

小さかったそれまでの声量より尚更小さな声で、続けられた言葉に、ぴ…っと全身が固まった。
…が。その言葉は最後まで言い切られることなく、途中で凍る。
少し固まった後、凍った言葉の中でゆっくり日本の方へ顔を向けると、顔を上げてないのに雰囲気でそれを察したのか、日本がびくりと両肩を振るわせた。
チョコ色の髪から覗ける耳まで赤い。
…。
えーっと…だ。
聞き間違いでなく、尚かつ俺の予想が正しければ…。

「…あのさ、日本。今…」
「すみません!やっぱり何でもないです!!」
「へ? ちょ…はあ!?」
「何でもないです!!」
「いやふざけんな!!撤回は却下するぞ!」
「…!」

寄ってきた時と同じように片手でイスの底を押さえてわたわた元の位置に戻ろうとする日本の後ろ襟を、殆ど反射的に掴み取った。
首が絞まるんでそれ以上動けないと悟ったのか、逃げるのは止めて捕らえられた猫のように俺に向けて俯く小さな背中が少し丸まり、いつも着てる私服の長い袖の代わりのつもりか、スーツの片袖で口を押さえた。

「や、あの…。…いえ、本当に何でも」
「何で引っ込めるんだよ…!そこまで出たんなら言い切るだろ普通!」
「…。恥知らずだとお思いに」
「ならねえって!」
「自惚れた奴だと…」
「思う訳ないだろ! 大体さっき言っただろうが!だったらいいなと思ったんだって…!」
「…」

この期に及んで何でそう自虐的なのか、時々本当に分からなくなる。
叱りつけるように声を張ってやると、たっぷり時間をかけて、やがてそろそろと覗き見るように日本が振り返ってくれた。
…顔が赤いせいか異国的なおっとりした双眸がいつも以上に緩んで見える。
襟を掴んでいた手を離し、ぱっぱと軽くシャツに寄った皺をを撫で払う一方で、膝に置かれた小さな手を取ってみる。

「…そんな期待した目で見ないでください…」
「へ…? そ、そうか?」

そんなつもりはなかったが、にやけていたらしい。
空いた片手で自分の頬を触ってみたが、このタイミングじゃ表情締めろって方が無理だろ。

「駄目だな。嬉しいから緩んじまう」
「…」

ぺちぺち自分の頬を叩いていると、覆っていた日本の手が掌の下で恐る恐る返り、俺の人差し指を緩く握った。
視線を下ろした拍子に、彼の細い髪が滑るように角度を変えてその表情を隠す。

「…あの。本当に狙った訳ではないのですけど」
「それはもういいって…」
「甘くもないですし些かの腹の足しにもならず…しょ、消化不良を起こす可能性も無きにしはあらずで」

つらつらと述べられる長い前置きを辛抱強く聞き続ける。
うっかり鼻歌でも飛び出しそうな勢いだったが、やがて前置きが終わると、一度盗み見るように日本が俺を見上げた。
少し小首を傾げて軽く笑いかけてやる。

「…その。ですから…もし宜しければ…なんですけど」
「ああ」
「……召し上がってくださっても…結構……です、よ…」

言い切る直前は顔中から煙を立たせながら、泣き出しそうにも見える顔になっていた。
何とか聞こえるか聞こえないかの声量だったが、声の大きさなんかは問題じゃない。

「Good job…だ!」
「…!」

思わず、微笑どころじゃない笑顔で笑いかけ、片手を伸ばしてその髪を梳いた。
そんなに慣れないことだったのか、萎縮した状態で日本が深々と深呼吸する様子がおかしくてもう少し見ていてもよかったんだが、背を屈めると片手をテーブルに着き、リラックスしたその唇にキスしておいた。
俺的には妥当な流れだと思うが、日本の方は予想してなかったらしく、真っ赤になって全力で俯いた。
漸くバレンタインらしくなってきた。
すぐにでもベッドルームに連れて行きたい所だが、絶対全力で拒否されるだろうから言わないでおく。
…偉いな俺。流石紳士だ。
取り敢えず誘い言葉を日本の口から引き出せて満足し、さっきよりは随分近い位置になったイスに腰掛けてブレンドした紅茶を楽しむ。
色々な話をしたが、ふと気付くと日本をじっと見てる時間があったりして、我ながら呆れちまう。

「…」
「…? 何か顔についていますか?」
「ああ、いや…。…何かチョコレート色だと一端認識したら本当に全身チョコ色で美味そうだから。…お前すごいな。見かけによらず大胆というか何というか」
「ですから偶然なんですってば…。仮に舐めたところで味なんかしませんよ」
「何言ってんだ。お前を甘くする方法なんていくらでもあるぞ」
「ぶ…っ!」
「うわ…!?」

突然カップを口に運んでいた日本が紅茶を吹き出したんで、慌ててポケットからハンカチを取りだした。
げほごほ噎せる背に片手を添えて緩く撫でてやる。

「お、おい…。大丈夫か?急にどうした。支えたのか?」
「…もういいです」
「何が?」
「もういいです。取り敢えずこの話から今すぐにでも離れましょう…!」
「…??」

赤い顔してそっぽを向く日本の反応に一瞬怒ったのかと思ったが、どうやらそうじゃないらしい。
…何か変なこと言ったか俺?
そこまで妙なことは口走っていないつもりだが、どう宥めるべきか迷っている間に日本がいくつかの薔薇について詳しく聞きたがったので、説明して歩いてやることにした。
人の気配があると何処かへ隠れてしまって出てこない蝶が日本の肩に留まったりすると、やっぱりコイツは魅力的なんだなとしみじみ思う。

午後は街に出ようかと思っていたが、何だかんだで温室で一日中を過ごし夕方になった。
俺がよく一日中温室にいるなんてとバカにされるんで退屈させてやしないかと心配になったが、日本はそんなことないらしく、あちこちを見て回って楽しんでいるようだった。
…俺だっていつまでもいていいんだが、今日は別だ。
何たって許可もらってんだ。
こんなに良い日はない。

さっさと沈めよな…と、軽い脅しを含んで温室から覗ける夕日を冗談交じりで睨み上げた。



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発掘したバレンタイン小説。
英国の薔薇が日本に多いとか、ときめきますね。
2012.8.25

余談:バレンタインデー

言わずと知れた2月14日。
伊太利の羅馬にいた聖人ヴァレンティヌスの祝日。
バレンタインは、三世紀に羅馬で殉教したキリスト教徒である彼の英語名。
当時羅馬では、若い兵士の戦意を削ぐとして、皇帝が若者の結婚を禁止していた。
それを哀れんだヴァレンティヌスが密かに愛を誓う若者たちを神の前で結婚させていたとして、処刑された日がこの日である。
また、元々羅馬ではこの日に鳥が番うとされており、未婚の女性の名を書いた紙を箱に入れ、翌日未婚の男性が紙を引き、書いてあった名の女性と付き合うという祭りがあったため、これと結び付いて、愛の告白や贈り物をする習慣ができた。
日本では主に女性から男へだが、本来垣根はなく、恋人同士・親子・先生と生徒・友達同士などで贈り物をする。
また、チョコレートという固定概念が強いのは日本特有であろうが、諸国ではプレゼントの一つとしてチョコレートが選ばれることは勿論ある。
寧ろ、最初に「チョコレートをバレンタインのプレゼントに!」と言いだしたのは英国の菓子会社キャドバリー社である。
日本には戦後に米国から伝わった。
男性社会であった当時の日本では女性から愛の告白ははしたないとされていた為、愛の日であるこの日のみ女性からも告白して良いという独特の解釈がされ、今では女性から男性へという常識が広がっている。






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