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昔は全然そんなことなかったが、いつからか、悉く視線が持って行かれるようになった。
歩いてるの見かけると、何となく声をかけて一緒に行動すんのが嬉しくて、それを続けているうちにそれが当たり前になって、逆に姿が見えないとそわそわしだした。
ずっと見える範囲にいてくれねえかな。
別々に暮らしているから良くない。
こんなに仲ええんだからだから、もー一緒に暮らしちった方がえがっぺ。
…その辺で気付けば良かったんだが、どうにも疎くて駄目だった。
自分の感情に名前付けないまま何となくなもやもやが先走る。
"何故一緒にいたいのか"よりも"一緒にいる"こと自体が重要で、それは親友である俺の特権だから、相手の時間を一番多く持っていて当然だと思っていた。
俺がこんなにも一緒にいたいのだから、相手もそうでなければならないと思っていた。
真剣に、そう思っていた。

 

 

「…ふぇ?」

完全無意識に間抜けな声が漏れた。
今さっき吐かれた相手の言葉が聞こえなかった。
聞こえなかったと言ったら聞こえなかった。
空耳は聞こえたような気がしたが、これは違うだろう。
…それまで最近の天気の話をしていた手狭な応接室は、この間仕入れた家具で新調してある。
屋内インテリアや小物雑貨が好きなんは昔っからだ。
気に入ってくれるだろう。
何なら、何か持ってくけ?と言うつもりでいたが、それらに話題が触れることはなかった。

「――――」
「…」

向かいに座った親友が、珍しく俺の目を真っ直ぐ見て何か言ったことは覚えている。
いやに真剣だった。
吸い込まれそうな瞳の記憶はあるが、何を言われたのかは全く覚えていない。
記憶力は結構いい方だ。
今思えば、その頃から軽く病的だったのかもしれない。
とにかく、何かこー…俺とは別れる的なものだったよーな…。
…いや、別れるは違う気がする。
その頃はそんな関係じゃなかったはずだ。
親友は、唯のか弱い綺麗なだけの、いつも人の後ろにくっついてきてて面倒みてやっか的なだけの…本当に唯の親友だった。
裏切られた気がした。
絵画の様な麗しいその立ち姿が、俺の知らない間に、誰かの隣にあること自体が許せなかった。
100%相手が悪いと不機嫌にもなったが、他の奴と違って一発張り倒すとかそういうことは考えられない。
とにかく取り戻したかった。
…スヴェーリエは結構気に入ってもいた。
割と頭いいし、生活も無駄が無く力もある。
商業も得意だし、組めば俺たちは世界一だと豪語できていた。
気楽に話せる友人の一人だったが…。
それも親友が奴を好きなのだと知った瞬間までの話だ。
スヴェーリエが好きだから向こうに行ったのか、それとも完全に上司命令だったのか、確認は未だに出来ていない。
だが当時は、俺以上に誰かを好きっつーこと自体に、灼熱の如き憤りを感じた。
重罪に思えた。
目が回るような、視界が白く染まる、あの貧血にも似た感覚。
後にも先にも、あの時の身体が焼けるような爆発的な怒りはあれ一度きりで、あれが良く言う"嫉妬"なのだろうと後から気付いた。
それまで至上のものだと教えられていた"愛"なんかよりよっぽど力のある感情だと、経験した奴は分かるだろう。

 

侵攻を知らせる雑な鐘が街中に鳴り響く。
どうせ自分に肉体的死はない。
必要最低限の甲冑と相棒のアックスを片手に、火の上がる街を突っ切った。
美しい都だが仕方ない。
全部焼いて俺が新しいのを造ってやればいい。
そもそも、ここは彼だけの街ではない。
他の連中と交友する為の港町というのなら、それこそ徹底的に潰してやろうと思っていた。

一人で複数人を守りきれると思ったのか。
震えているフィンを突き飛ばすように後ろに下がらせると同時に、上等の篭手で覆った傷ついた指先が、丁度バランスを崩していた親友の手に触れかけるのが見えて、後先考えずにその間へアックスをぶん投げた。
手首でも持って行ければ良かったが、残念ながらスヴェーリエの野郎は腕を引っ込めて避けやがった。
舌打ちし、続け様腰に提げていた剣を抜こうと思ったが、その前に彼は背を向けて逃亡を選んだようだ。
俺を目の敵にする集団の中から、走りだそうとしていた細い手首を取って、力尽くで引っこ抜いてやった。
そんなに強く引っ張ったつもりは無かったが、思いの外軽く飛び込んで来た身体を抱き留める。
驚愕に揺れる双眸と確かに目が合って、あんなに怒ってたはずなんだが、一言怒鳴ってやろうと喧嘩腰だった感情は吹っ飛び、こんな戦場で何故か幸せ過ぎて笑い出したくなった。
最近は凍て付いていた胸中に、太陽が戻ってきた気になった。
一気に夏風が吹く。

「ノル…!」

抱き留めた身体を少し離し、グローブをした手で包むようにその華奢な両手を正面から包み握った。
土と血で濡れたてせいか、多少滑るんで尚のこと強く掴む。
俺の後から続いていた部下達が、俺たちの左右をバタバタと声を上げて走り抜け、逃げていく他の集団を追っていく。
雑踏と雄叫びが、何処か遠くに感じた。

「ふあああぁ!久し振りだな!親友!!」
「…!」
「相変わらず手ぇ細っこいんなぁ~…。おめえちっと痩せたんじゃねーけ? 駄ぁ目だっぺな!ちゃーんと食ってんけ!? …あっ、そだ!」

白い顔をして一歩後退したノルの後ろ腰に片腕を添えて支え、動きを包む。

「今年ぁ寒波が来ちって作物は不作だけどよ、代わりにええ肉とミルクができてっから。シチューでも作ってやっから!めちゃんこうめえぞー!」

言いながら、傍にいた部下を指先で招き、マントを持ってこさせる。
硬直していたノルの肩に正面からそれをかけ、留め具を留めて、軽く横髪を撫でた。
すらりと指先を通る髪質は、こんな戦場に不釣り合いな程に以前のままで、シルクの手触りだった。
瞬間的に理性がすっ飛ぶ。

毛皮を使ってるマントの襟を整えたところで、顎を取ってキスをした。


Det vanskeligste let



あんま意識したことは無かったが、守るものできると、それまでと随分勝手が違った。
遠征中の帰国は面倒臭いだけでしかなかったが、ちょっと場が収まると指揮権を部下に預けてマメに帰るようになった。
嫌々ながら…なんてことは言いたくないが、実際暮らし始めてやっぱり目の敵にしてくる親友の上司共に好き勝手させたくねえんで、中央に放置してあった政権をその都度確認し、軽く脅しを繰り返しながら、飴と鞭のバランスを考えて政策を練る。
最近は随分上司の連中が落ち着いてきた。
俺に着いてくりゃええと分かってくれたのか、前任者をプチってやったのが効いたのかは知らんが、いい感じだ。
…ただ、それでも上手くいかないものがある。

「あ…? 脱走?」
「は、はい…!」

久し振りに甲冑取って軽い身体で、赤布の敷かれた城内の廊下を歩いていく。
後ろから付いてきた部下が報告がてら告げてきた。
思わず足を止めて振り返ると、遅れてふわりと城内にいる間だけかけてるマントが揺れた。
何でも、ノルが部屋から度々出ているということだ。

「勿論見張りは常に付けているのですが、隙を突いて何度か城内で発見されることが…」
「そりゃ脱走じゃねえべ。庭に出たかったんじゃねえけ? 別にえがっぺな。部屋には鍵かけてねんだからよ、好き勝手散歩させてやれな」
「しかし…」

煮え切らない顔の部下を見て、両肩を竦める。

「ヘーキだって。あんま心配ばっかしてっと、ハゲっちまーぞ」
「いえ、ですが…。これ…」

そう言って、部下は折り畳まれた羊皮紙を一枚差し出してきた。
今でこそ折り畳まれているが、恐らく元はくしゃくしゃにしてあったのだろう。
かなりの皺ができており、封こそないものの、俺も見知った、ノルのものと思しき癖字が隅の方にちら見できた。
何でも、庭の端で見つけたらしい。
…手紙だ。
瞬間的に悟ったが、相手が分からない。
少なくとも、現状でノルが手紙を出すような相手はいないはずだ。
何とはなしに折り畳まれた薄茶色の紙を開く。
…。

「…。ほーん…」

ざっと文面を読み、ぼんやりと呟いた俺に、何故か部下が萎縮したように突然横で背筋を伸ばした。
彼の様子に軽く疑問を持ったが、まあ気にしなくてもいいかと思い、広げていた紙を元通りに折り畳んで、指先で挟んで軽く持ち上げる。

「これ、もらってえがっぺ?」
「は…!」
「ん。ごくろーさん」

にっと部下に笑いかけ、パンツとシャツの間に挟み入れ、そのまま廊下を進む。
上階にある部屋へ戻るため、指先で挟んだ紙をぺらぺら軽く振りながら、石段を登っていった。
両開きの重々しい扉ではあるが、別に鍵は掛けていない。
ちょっと開けるのに腕力がいる程度だ。

「ノール~?」

コンコン、と手軽にノックをしてみるが、基本返事はない。
数秒待ってもう一度ノックし、また数秒待ってからドアを開けた。
広い室内だ。
こう言っちゃなんだが、俺が広いと思うのだから相当広い。
昔っから家っ子のノルのことだ。
どうせ室内からは滅多に出ないだろう、それならばと思って用意させた一番広い部屋には、特別細かい彫り細工が施してある、今街で流行の家具師に頼んだ特注品だ。
あれもこれもなかなかいいものだが、特別気合い入れてんのはベッドだろう。
布屏風の向こうにあるベッドから人の気配はしないが、部屋の主は大概そこに寝そべってごろごろしている。
意地焼けてる時ゃ頭まで布団を被っているが、比較的機嫌のいい時や爆睡時などは姿勢正しく横たわっている。
薄く細い金髪を広げて眠る様子は、ある種の美術品を思わせた。
…一度、入口の所で顔を上げて窓を見る。
用意したノルの部屋からの見晴らしはかなりいい。
南向きの広くて高い窓。
上部にはステンドグラスもはめ込んであるが、下部は開閉OK。
手元が明るい方が便利だろうと、その手前にはデスクセットも置いてある。
使用感などまるでない感じだが、空っぽのデスクに唯一、鍵付きの日記だけが斜めにブックラックスペースに寄りかかっていた。
その辺を一瞥してから、ドアを閉めてベッドへ歩み寄る。
広いベッドの中央で、白くてでかい枕と布団に埋もれるように、ノルが向こうを向いて横たわっていた。

「いよっ、ノル~!ただーいま!!」

ベッドサイドに立って両手を腰に添え声を張ってみるが、反応がない。

「むお? …寝てんのけ?」

瞬いた後で両手をベッドに付いて、身を乗り出し顔を覗き込もうとするが、ベッドがでかすぎで距離があり、よく見えない。
せめてこっち側向いて寝てくれればいいんだが、決まって壁を向いて寝るあたり癖になっているのだろう。
たぶんな。

「…」

小さくため息を吐いてベッドに腰を下ろし、ブーツを脱ぐ。
素足になるだけで、一気にリラックスできる。
両足を革靴から引っこ抜くと、そのままベッドに持ち上げた。
ごろーんと横に転がるようにして、横たわっているノルに背中から布団ごと腕を回し、起こさないよう包み込んだ。

「…お?」

白い項へ口付けようと鼻先を寄せたところで、腕の中の体温が身動ぎし、布団の中から伸びた腕が、肩を抱いていた俺の手首を取って払うように放り投げた。
思わず左肘をシーツに着け、横に軽く身を起こす。

「何。起きてたんけ?」
「…」
「ノルノル。ただいまのちゅー!」
「…うぜ」
「むおっ!」

無理に上から顔を寄せようとすると、俺の顔面を下からむんずとノルが掴んだ。
口が拒否され、仕方なくこのタイミングでは諦めて、代わりに当初そうするつもりだったように、目の前の首筋にキスをする。
それから、無理矢理身体の下に片腕通して、改めて背後から緩く抱き締めた。
肩口に鼻先を寄せると、甘い匂いが鼻孔を擽る。
思わず眠くなるような適温と香りの心地よさに、恍惚と目を伏せた。
首筋に耳を寄せると、とくんとくんと脈が聞こえる。
…これだけで本当に幸せだ。
嘘じゃねえはずだが、次々と願いが涌いて出て堪らない。

「…悪ぃな。いっつも出てってよ。一人で留守番だと飽きっちゃーべ」
「…別に」
「日中部屋ん中いてもつまんねーべ。いっつも何して時間潰してん? …まいんち日記書くんでも、一日じゃ時間有り余っちまうもんなあ?」
「……」

この距離じゃ流石に声を張る必要はない。
小さく尋ねてみるが、俺の疑問に文字通りノルは顔を背けた。
身体を横に向けたまま、枕に顔面を埋めるようにして身動ぎする。
拗ねるガキのような仕草が愛しくて、左腕で肩を抱くと共に、一旦右手を離し、パンツに挟んでいた紙切れを取り出す。
そのまま腕を伸ばして天井へ掲げ、腕一本の指先で開いてみせる。
カサカサ…と紙の擦れる音が寝室に響き渡った。
ぴくりとノルの肩が揺れたが、枕に顔を埋めたまま上げはしない。

「"親愛なる青き大地の君へ"」
「…」
「瑞典語じゃなくてええんけ? 辞書買ってやっけ、ノル。…ん?」

タイトルだけ読み上げると同時に、ノルが俯いたまま両手で耳を覆った。
キィ…とベッドが軋む。
蹲るように身を折る様子は、弱々しくて心底可愛かった。
…内容は手紙だが、紙切れ自体は何かから切り取った紙切れだ。
恐らく出すつもりなど更々無いのだろう。
一人意味もなく綴る言葉。
それがどうして切られていて庭に落ちていたのかは謎だが、この反応は肯定で間違いないだろう。
明確な名は伏せてはあるが、誰のことだかは一目瞭然で、その虚しさも含めて心底可愛かった。
…抱き締めるのを止め、持っていた切れ端をぺいっとノルの横顔に落とす。
それから、片肘を立てて頭を支え、今さっき手紙を持っていた手でノルの頭をくしゃくしゃと撫でた。
縮こまっていたノルが口元を押さえ、尚のこと背を丸めて不意に咳き込み始める。
口を押さえる白い手に重ねるように、俺も彼の口を塞いだ。
…自分の中の加虐心を押さえるのが大変だった。
間違いなく大切にしたいが、一方で、根本からぐっちゃぐちゃに分解して造り直してやりたいくらいのアンバランスな情熱が、ボコボコとマグマのように泡を立てる。

「…そんなスヴェーリエに会いてぇんけ?」
「…!」
「そーだよなぁ。仲良えもんなぁ、おめらはよー」

ひっそりと尋ねると、それまで伏せていたノルが目線を上げ、短くだが首を振った。
何か言いたそうだったが、彼の手ごと口を押さえてたんでもごもごと曇った呻き声しか俺の耳には届かなかった。
突然動き出したノルが面白く、彼へ笑いかけながら頬へキスをする。
ぽんぽんっと少し乱れた髪を叩いた。

「よっしゃ!…なーに。だいじだって!見ちろな。すーぐ持って来てやっからよ!」
「ぁ…や。ち……ッ!?」

口を押さえていた俺の手首に両手を添えて、振り返ったノルの唇へキスをする。
振り返るだろうなと思っていた。
タイミングもバッチリで、唇が重なり舌を絡め取り、きつく吸い上げてやった。
親友が痛そうに顔を顰めたところで、解放してやる。
そのまま身を起こして掌をシーツに着き、滑るように端へ移動すると、ベッドから両足を下ろした。
途端。

「ぐえっ…!?」

ブーツを履こうと片足上げて、爪先通してた俺の首が、きゅっ!と勢いよく絞まる。
いつの間にか背後に、それまで寝たふりを決め込んでいたノルが身を起こし、四つん這いで俺のマフラーを引っ張っていた。
げほげほ咳き込みながら喉を撫で、涙目で振り返る。

「むおぉお~っ。ひっでぇわノル。キュッてなって死んじゃ……!?」

どごっ…!と、タックルじみた勢いだった。
肩越しに振り返った俺に、横から突っ込むように雑な仕草で膝立ちになったノルが抱きつく…とはいえない必死さで、飛びついてきて来た。
俺の服に掛けるだけの、今にも外れそうな震える指が拘束するように腕を巻き込んで抱き絞める。
背中に当たる彼の額の小ささに思わず口元が緩む。
…とは言え、俯いているノルに俺の顔は見られねえんだろうが。
最近目なんてとんと合わない。

「……違ぇから」
「ん?」
「本当に。…本当に違ぇから。……あいつがフィン好きなんも…おめえだって、見とって分かるべ」
「んー…。そりゃまあ…」

しがみつくノルの背に片手を回し、とんとんと宥めるように叩きながらも目線を上へ泳がせる。
…確かに、スヴェーリエの態度は顕著だ。
随分前のことだが、一目惚れだと俺らには断言していた。
あの堅物鉄仮面が愛だの恋だの、しかもあんな田舎臭ぇ変わりもんに矢を射られたなんて想像すらしなかったし、実際指差して爆笑もしたが、それなりの時間が経った今でもこうして好いている相手が変わらないのだから、本気なのだろう。
周りと比べてもダントツに美人であろうノルに見向きもしないその感性は、俺なんかからするとホントどーかしてるとしか思えないが、そのイカれた感性のお陰での現状だ。
…あんな奴を、どうしてノルが好きにならねばならなかったのか。
もうその辺から悔しくなってくる。
近距離にいた彼の両手を柔らかく離し、逆に片腕を回して抱き寄せた。

「…可哀想になぁ、ノル。あんなのに惚れたばっかりによ」
「…」
「…俺といんのは苦しいけ?」

頭を胸に引き寄せ、自分も目を伏せる。
変な話だが、自分が情緒不安定なのは自覚ありまくりだった。
拒否されると激昂するが、こうして縋られると突然、泣き出したいくらいにノルが哀れで、どうしようもないくらいに哀しくなってくる。
何でこんなことになってんだべ…。
追い込んでいるのは手前のくせに、手前と対立して、必死に守り抜いてみようともしている。

「あいつの何がそんなええんだかなぁ…。おめえが好きなのが俺だったらえがったのに…。……いや。せめて俺が、いまちっと弱くて…そんでおめえが、いまちっと強かったらえがったのになぁ…」

俺が喉元に剣を突き付けても弾き返す力が、彼にもっとあったなら。
こんなことには、きっとならなかっただろう。
悲劇のような舞台。
…塔の天辺に閉じこめて鍵掛けて。
力尽くで篭に閉じこめ、脅迫して怯えさして、無理矢理好きだと言わせて重ねるような…こんな関係には、絶対にならなかっただろう。
こんな卑劣なことを、自分は絶対にしねえだろうなと思っていた。
俺はもっと、正義っ側の人間で…大好きなノルやスヴェーリエや、近所の連中を守ってやんなきゃと…途中まで、間違いなく心から思っていた。
親友の顔から笑顔が消えて無くなったことに、気付かない訳がない。
俺の好きな花のような笑みは、ここ数十年で消え失せた。
自分が原因であることは分かり切っている。
…その辺に落ちていたノルの手を取って膝の上で重ね、強く握る。
凍えそうな冷たい指を、少しでも温めたくて包み込んだ。

「ノル…。悪ぃな。ほんと…。こんなんが違ぇってのは、ちゃーんと分かってんだけどよ…」
「…」
「んでもやっぱし…。おめえのことは手放せねえんだわ…」

消え入りそうな小さな声で罪を吐く。
いつの間にか、ノルよりも俺の方が深く俯いていた。
…間を空けて、そっと正面から伸びる片手が俺の横髪を撫で梳く。
二度三度と梳いてから、小さなため息が聞こえた。

「……ド阿呆」
「はは…。…んだない!」

空元気で笑ってみるが、顔は上げられなかった。
それでも愛しさに負けて手探りで頬を探し、見当を付けて顔を詰め、キスをする。
…今晩は心穏やかだ。
ノルも大人しいし、俺も落ち着いている。
良かった。
気付いたら全力で押し潰してて、傷だらけの身体が転がっていたりだとか…あんな悪夢はもう一生見たくない。

「…ノル」

心音がばくばくいう中で、そっと顔を離し、近距離で名を呼んでみる。
相変わらず美人な親友は毎晩と変わらず無表情ではあるが、哀れむような光が、美しい双眸に宿っていた。
…大丈夫だ。
今日はきっと、大丈夫。
上手に愛し合えるだろう。
誰もおめえを傷付けない。

「おめえが辛いのは、知ってんだわ。…んだけど、頼むから見とけな。今はまだ不安定でも」
「…」
「おめえを誰よりも…愛してみせっから」

握っていた手を持ち上げて、指先に唇を寄せて誓った。
両手の指に全て填めてもまだ余るくらいにくれてやった指輪は、一つも通されてはおらず、クローゼットの横にある宝石箱にゴミのように詰め込まれている。
綺麗なだけで異物のない、俺に染められていない白い指に安堵と憤りを覚えながら、そのままゆっくり手を横へ引いた。
軽い身体をベッドへ横たえ、俺も身体を倒して、上から髪を撫でて無言で口付けた。






良い夜だった。
良い夜だったのに。

 




何故だろう。
それでも、日が昇ってしまえば、感情までもガラリと変わってしまう。
哀しいくらいに。
…広い大地に朝靄が掛かり、ぼやける朝日が差すか差さないかのタイミングで、一人先に起きて身支度を調えた。
疲労しきってベッドで眠る、枷の着いた囚人の額へキスをして、ベッドから離れる前に、昨晩の紙切れが視界に入った。

「…」

相手にすることもないと思ったが、見過ごすことが出来ずに結局拾い上げる。
ひょいと指先で持ち上げた後、片手で力一杯握り潰した。
四本の爪が掌の肉に喰い込み、爪痕が残る。
紙を握り潰したまま、部屋を出、いつもは掛けない鍵を外側から掛けた。
掛けた段階で、何をしてんだかなぁ…と滅入ったが、とにかく掛けた。
パタパタと気怠く階段を降りていく。
やがて出会った部下に戦略会議を開くことを伝えると、忙しなく走って行った。
…。

その まま佇んでいると、不意に窓の向こうで教会の鐘が鳴るのが聞こえた。
身体が怠くて気持ちが斜め下で、廊下の壁に寄りかかろうと背を預けると、昨晩傷付けられた背がぴりっと痛み、思わず顔を顰めた。
その後で無意識に頬から雫がこぼれ落ち、俯いたまま鼻頭を軽く抓んだ。
…声を押し殺したまま、ずるずるとその場に屈み込む。


"愛し合う"なんて、俺らには超絶に簡単だと思っていた。




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カウント3500番取得者様へ
リクエスト「丁諾→典」、ありがとうございました。
この構図だと問答無用で丁兄さんの嫉妬になりるだろうなと思い、案の定なりました(笑)
今でこそ余裕があるように見えますが、基本は束縛家だと思っています。
今回はそこに病みをちょっとブレンドしてみました。
最近あまり書かなかった丁諾が書けて楽しかったです。
2012.10.30





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