一覧へ戻る


「氷島君、チョコレートいる?」
「…」

平日夕方。
横長のソファ陣取って仰向けで寝転がり、端にあったクッション数個を枕代わりに携帯ゲームをしていた僕の視界に、ソファの背の方からにゅっと唐突に露西亜が生えた。
見たくもない顔だけど、ここが彼の家である以上はちらちら視界に入るのは仕方がない。
上司の会議に一応僕も付いては来るけど、実際の会議には参加しないから、待つだけの退屈な数時間だ。
一度や二度じゃないから、物の場所とか配置とかも最近では分かってきた。
その上で、南向きのこのゲスト用応接室のソファが一番居心地が良い。
…チョコレート?
画面から視線を外して露西亜を見上げると、彼はにこにこしたまま数個の小さな縦長の紙箱みたいなものを持っていた。
どれも形は一緒だ。
あの中にチョコが入っているんだろう。
両手で持っていたゲーム機から右手を外し、そのまま頭上へ上げる。
まあ、くれるっていうのなら貰ってあげなくもない。
…何でチョコなのかは疑問だけど。
伸ばした僕の手に、露西亜がにこにこと一つ箱を差し出す。

「は~い。どーぞ~」
「…ありがと」

お礼を言って一つを受け取る。
ゲーム機を胸の上に一度置いて、そのまま開けてみようかと箱の開け口を探した。
ちょっと小腹が空いていたから、それなりに嬉しいかも。
寝ながらだからか少し開けにくく、手こずっている間に露西亜がソファの背に片手で頬杖付いて僕を見下ろした。

「ところで、今日が何の日か知ってる?」
「ああ…。ヴァレンタインのプレゼントか。…どうも」

棒読みで取り敢えずの感謝をしておく。
そう言えば、今日はヴァレンタインデーだっけ。
家族や友達に日頃の感謝を込めてちょっとしたプレゼントを贈る日だ。
…そうだ。僕も帰りにノーレの家に寄らなくちゃ。
ノーレの好きなCD買っておいたから。
ダンとかにもちょっとしたプレゼント買ってあるけど、彼らにはわざわざ今日渡しに行かなくてもいいだろう。
次に会う時に渡すの忘れなければ。
あ、でもノーレの家にダンがいたら嫌だな…。
…などと、思いながら、漸く爪が箱の開け口に上手く引っかかり、口を塞いでいたシールが少し剥がれた。
そのタイミングで、

「あのね、日本君の所では、好きな人とか恋人にチョコレートあげる日なんだって~!」

とか間延びした声でいらない情報が来たから、折角口を開けた箱を、僕はそのままテーブルの上へ投げ捨てた。
…全力却下だ。
絶っ対いらない。


甘くもなく、苦くもなく




僕が投げ捨てた箱は、カーンッ…と軽やかな音を立てて陶器製のテーブル表面に当たって落ちた。
倒れた拍子に開いたのか、緩んでいた口から数粒のチョコレートが跳びだしてテーブルの上に散り、更にそのうち何粒かは床の絨毯の上に落ちた。

「ああ~」
「…うるさいな」

投げ捨てたチョコを見向きもせず、僕は胸に置いたゲーム機を再度両手で持って続きをプレイすることにした。
残りの箱を抱えたままソファの背に両手を添えて、投げ捨てられた箱の方を眺め、露西亜が非難がましい声を上げる。

「食べ物投げちゃ駄目だよ、氷島君」
「あんたが変なの渡してくるからでしょ」
「あれ…? 君、お菓子好きだよね?」
「あんたからの愛は要らない」

半眼で一刀両断する。
確かにお菓子は嫌いじゃないけど、それに付随されてくるものが迷惑過ぎる。
そのちょいちょい小出しにしてくる感止めて欲しいんだけど。
…まあ、本気じゃないんだろうけどさ。
両目を伏せてため息を一度吐くと、横になったまま足を組んだ。
素っ気ない僕の対応を見てどう思ったのかは分からないけど、露西亜は人差し指を自分の唇下に添えてこれ見よがしに首を傾げた。

「う~ん…。君の所チョコレートって嗜好品だから結構高いって聞いたんだけどな。だから嬉しいかなと思ってたくさん買っておいたのに…」
「…」

まあね、確かにね…。
チョコレートは食品でもあくまで嗜好品だから。
税金が高めに設定されてはいるし、それにお菓子の一つとしては好きなお菓子だ。
さっきのだって、余計な一言がなければ普通に食べていた。
その一言で一気に貰う気なくなったわけだけど…。
…むすっとした顔でゲームを続ける僕の鼻先に、もう一箱、上から突き付けられる。
視線を上げるとやっぱり笑顔を湛えて露西亜がこっちを見ていた。

「ほら。色々な柄があるんだよ?」
「…」
「おっ…と」

眼前に突き付けられた箱を、払うような勢いで掴み取る。
間にあると邪魔で画面が見られないし。
…手にしたチョコレートを見ると、確かにさっきと柄が違う。
さっきのはよく見るマトリョシカのイラストだったけど、今手にしてあるのは有名な絵画のイラストだった。

「僕の家のチョコレートは量り売りも多いからね。全部こうやって箱に入れるんだよ。…小さい頃はこれたくさん集めたっけな」
「…。毒とか入ってるんでしょ?」
「ええ~? やだなあ。怖いこと言わないでよ。これには入ってないよ」
「…」
「はーい。あげる~」

いるなんて一言も言ってないのに、僕の返事を待たず、露西亜が僕の周辺にぱらぱらとチョコレートの箱を置く。
…。
数秒間を置いて、深々とため息を吐いた。
…まあ、こいつがどんなに馬鹿でも、こんなもので人が釣れるとも思ってないでしょ。
思ってたらドン引きだけど。
毒は入っていないらしいので、改めて手に持った一つの箱を開けてみることにした。
爪を引っかけてシールを剥がし、少量を掌に取り出すと、一口サイズのチョコレートがころころと顔を出した。
起動したままのゲーム機をお腹の上に置いて、そのままチョコレートを一粒口に入れる。
…。
…食べて数秒、眉間に皺が寄った。
身を乗り出し気味で、露西亜が尋ねる。

「おいしい?」
「…まずい」
「ええ~!? なんで??」

素直に感想を述べると、意外だったのか素で驚いた様子の彼が更にソファの背から身を乗り出し、ぶらりと両腕を下げた。
口の中に広がる後味が最悪だ。
片手で口を押さえる。

「結構人気のお店のやつなんだよ? 姉さんとかすごく好きなんだけどなぁ」
「ていうか甘過ぎ。何これ」
「チョコレートって甘いものでしょ?」
「甘"過ぎ"」

まずいとは言ったけど、正確に言えば"好みじゃない"。
口に入れたチョコレートは濃香で甘過ぎた。
ミルクが嫌いな訳じゃないけど、これは酷い。
せめてもう少しビターにして欲しい。
…何か気持ち悪くなってきたかも。
一粒食べてぐったりしている僕の上から手を伸ばし、露西亜が箱の中に指を入れて一粒取り出すと、自分で口の中に入れた。
様子を窺っていたが、味わうように数秒経ち、彼は首を傾げる。

「…普通だよねえ?」
「…」

味覚がおかしい訳ね、既に。
…ていうか、たぶん"チョコレート"の基準が違う気がしてきた。
こいつ甘ければ甘い程いいみたいに思ってるんじゃない?
紅茶とか食事とかは意外と美味しいから、英国や米国みたいに本気で味覚音痴というわけではないんだろうけど、要するに趣味が悪い。
折角一口食べてあげたけど、どのみちこれじゃ僕は食べられない。
投げやりに、持っている箱を彼に返す。

「…いらない」
「えー?」
「口に合わない」
「んー…。そっかぁ…。仕方ないなあ。それじゃあチョコレートは諦めて…」
「…仕事しなよ」

残念そうに呟きながら、露西亜がソファから離れていく。
何かいつも思うんだけど、露西亜の上司に会いに来ると必ずこいつサボってる気がする。
僕ほど暇じゃないと思うんだけど。
それなりに立場もあるんだろうしさ。
こんなにだらだらしていていい訳ないし。
…一度離れてたけど、またすぐソファの背へ戻ってきた。
今度は、片手にさっきのチョコレート箱と比べると大きな、薄い正方形の箱を持ってきた。
赤いリボンが付いている。

「…今度は何」
「ブックカバーだよ。…じゃ~ん!」
「…」

ぱかっと目の前で箱の蓋が開けられた。
中身は、露西亜の言うとおり、革製のブックカバーが一つ収まっている。
デザインがシンプルだけどなかなか造りは良さそうで、栞代わりのリボンまで付いていた。
…結構趣味いいかも。
けど、それを素直に認めるのも癪で、興味なさそうな視線でブックカバーを眺めていた。

「欲しい? 君、本好きだもんね~」
「…て言うか、何でそうぽこぽこ投げてこようとする訳?」
「う~ん…。上司がね、氷島君にプレゼントしなさいっていうから、嫌々ね。…大丈夫!予算はしっかり君用に取ってあるから」
「その辺最低だよね、あんたって…」

所詮は外交か…。
まあ、そんなもんなんだろうけどさ。
興味が勝ってやる気無く両手を伸ばすと、掌の中にその箱が降りてくる。
…ん。
やっぱりちょっと格好いいかも。
いつもは趣味が悪いのに、変なところで趣味良かったりするから困る。

「…。あんたの愛が付いてこないなら貰おうかな」
「え~? 寧ろそこ受け取って欲しい所なのにな」
「チョコレートじゃないんだから、愛は受け取らない。…日頃の感謝として貰ってあげてもいいよ」
「うわ~。あはは。君って何様なんだろうね~」

何が面白かったのか、言っていることの割りに楽しそうに露西亜がくすくす笑った。
お腹の上で、ブックカバーが収まっている箱に蓋をする。
…何かお返ししないと。
貰ったからには、一応ね。

「…何がいい?」
「ん?」
「お礼。…って言っても、今は何も持ってないけど」
「うーん…」

暫く目線を上へ泳がせ、迷いだした。
無理難題言われても困るから、適度なものにして欲しい。
…ていうか、無理っぽかったら返さないし。
数秒待って飽きてきて、最悪に甘いだけのお菓子だけど、暇潰しにもう一つ食べようかと思って、箱の中のチョコレートを指先で抓んだところで、露西亜が僕を見下ろした。

「ね、じゃあね、キスして欲しいかな」
「…。…はあ?」
「ハグでもいいよ。ぎゅ~って誰かとしたい気分かも」

何か角度違う要望が来たんですけど…。
ていうか、キス欲しいとかガキ過ぎない?
げんなりする。
折角趣味いいプレゼントなのに、こういうところでプラマイゼロだから、いつまで経っても苦手止まりなんだってこと、全然分かってない。
実際そんなことないんだけど、この駄目男ぶりが、何となくダンとか英国を連想させた。
見た目に反して抱きつき癖というか、引っ付き症というか…。
キス魔だし。
よく姉妹としてるとこも見かける。
意外と面倒臭いんだよね。
英国も案外そういうところあるけど。
そう考えると、やっぱりダンとかスヴィーは他の連中と比べるとクールな方なのかもね。束縛家だけど。
恋をすると、みんな狂う。
深愛は受難の一つなのに、よくやる…。
…少し考えてから、ソファに片手を着いてたらたらと上半身を起こす。
僕の上に乗っていたゲーム機といくつかのチョコレート箱がソファの上に落ちた。
寝っぱなしで乱れていた毛先を手櫛で軽く梳いて整える。

「ハグはしないから。面倒臭い。…あと愛も乗せないからそこ勘違いしないで」
「え~?」
「十分でしょ。文句あるならやらないよ」
「あはは。相変わらずワガママだよねえ、君」
「嫌なら放っとけば?」
「そーだよね~。君といると何だか疲れちゃうし…」

…本人目の前にしてそれ言う?
自分で話振っておいて何だけど、ストレートに打ち返されて内心意外だった。
我が儘なのは自分だって分かってる。
嫌なら、僕のことなんて放っておけばいい。
今日来てるのだって、所詮仕事だし。
他人に期待なんかしていない。
…とは思いつつも、自然と目線が下がっていた。
けど…。

「でも、放っておくのは無理かなぁ。…なんでだろうね?」
「……は?」

にっこりと、無邪気な笑顔で疑問符投げてくる。
そんな返事に虚を突かれ、ちょっと遅れて、慌てて不機嫌顔を作って見せた。
目一杯眉を寄せてやる。
勘違いされちゃ困るから。

「…僕に聞かれても困るんだけど」
「あはは。それはそうだよね~。…う~ん? 仕事だから?」
「勝手に悩むの後にしてくれない? あんたの都合で時間無駄にするの嫌なんだから」
「わ…っと」

明後日の方向いて首を傾げている露西亜のマフラーを掴み、力任せに引っ張る。
首でも締まればいいけど、勿論そんなことはなく。
少し傾いた彼の首の後ろに手を伸ばし、猫の子捕まえるみたいに襟を掴んでキスしてあげた。



一覧へ戻る


ヴァレンタインものを発掘しました。
露西亜のチョコレート入れは可愛くて、子供は集めたりするそうです。
2013.10.19






inserted by FC2 system