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「恭二、おつかれさま」

スケジュールの関係で、今日は仕事が早上がりだった。
夕食食べて暫く部屋でぼーっとしていたが、何か飲もうと寮の共用スペースに降りてきた時、不意に声をかけられ、寮の玄関傍にある自販機の前にいたのを振り返った。
来ていたらしいCafé Paradeの神谷さんと、それから東雲さんが寮を出て行くところだった。
神谷さんは元カフェだった持ち家があるらしいが、東雲さんはこの寮住まいのはずだ。
少し遅い気がするが、夕食に行くのか…?

「ああ…。おつかれさまです。…東雲さん、今から出るんすか?」
「ええ。今夜は神谷の家の方に。少し打ち合わせがあるもので」
「飲み会っすか。いいですね」
「あはは。そうだったら格好も付くけどね。俺も東雲も、元職がらアルコールはあまり飲む習慣がなくてね。だから少し遅いけど、普通にディナーかな」
「へえ…。けど、神谷さんたちだと、その普通にディナーの後に、美味しい紅茶とデザートが付くんですよね?」

元カフェスタッフだった神谷さんの紅茶と東雲さんのデザートは、当然だけどプロの品だ。
俺も前に頂いたが、本当に美味しかった。
紅茶は日常的にあまり飲まないし、甘いものはそんなに食べたがる方じゃないからどちらも俺にとっては遠いものだったが、何気なくここで食わせてもらった二人の紅茶とデザートは今まで口にしたものとは別次元だった。
食べたり飲んだりした後も、胃が疲れないというか、むしろさっぱりするくらいだ。
東雲さんのケーキケーキうるさい卯月の気持ちが、少しだけ分かった。
甘いものがそこまで得意じゃない俺がツーピース欲しくなるのだから、ケーキ好きや甘い物好きな奴なんて、それこそ宝みたいに見えるんだろう。
外へ食べに出ても、帰宅後それらが無条件に付いてくるというのは、かなり豪華だ。
さも羨ましそうに俺が言うと、東雲さんは顎に片手を添えて考えるような仕草をした。

「私は今日は何の下拵えもしていませんが…。何や欲しいもんありますか、神谷? 何やあるんやったら作りますが」
「ありがとう。けど、今夜はいいよ、東雲。食べて帰ったらもう遅い時間だし……ああ、もし何か口寂しいようなら、それを食べてくれると嬉しいな」
「ああ…」

神谷さんが言いながら視線で示した先には、東雲さんが持っていた小さな紙袋があった。
何かお菓子が入ってそうな袋だ。
一緒に赤い花も一輪入っているのが見える。
東雲さんも、思い出したようにそれを軽く持ち上げた。

「それもそうやな。折角もろたわけやし…」
「合った紅茶を淹れるよ。…それじゃあね、恭二。おやすみ」
「あ、はい。おやすみなさい」
「おやすみなさい。では」

軽く片手を上げて神谷さん、会釈をして東雲さんが玄関から出て行く。
どうやら、あの紙袋は神谷さんが渡したプレゼントのようなものらしい。
…何かのお礼か何かか。
しかし、一緒に花一本添えるってのが神谷さんらしいな。
男相手にそれはいらない気がするが、あの人俺とそんなに歳は変わらないはずなのに、妙に紳士的っつーか年上に見えるっつーか……やっぱ世界旅行してる経験なんだろうな。
俺も家出した時、国内じゃなくて外国とかに行けばよかった。思い立ちもしなかったが。
そこが違いってやつか…。
はあ…とため息を吐いて、もう一度自販機へ向く。
けどまあ、それでみのりさんやピエールに会えて今こうしてアイドルなんてやってるんだろうから……きっとこれで俺は幸せな道を歩けて来たんだろう。
どれにしようか迷っていた途中だったから、もう一度迷い出す。
買うものを決めてボタンを押すと、ガコン!と下の口から選んだペットボトルが転がり出てて、背を屈めてそれを取る。
するとそのタイミングで――…。

「涼ー!ばいばーいっ!」

――と、今度はあまり聞き馴染みのない甲高い女子の声が聞こえて、思わず顔を上げてそっちを向いた。
神谷さんたちの姿はもうなかったが、玄関の方から、出かけていた秋月さんが帰って来たようだった。
門前にタクシーが一台止まっていて、後ろのドアが開いたままになっている。
ここからなら辛うじて見える程度だが、後部座席に座っている二つの人影のうち、小さい方が大きく手を振っている。
それに手を振って返し、秋月さんも建物内に入ってきた。
俺を見つけると、眼鏡をかけた顔でにこりと笑う。
背が特別低いわけでもないはずなのに、ふわりとした軽さが雰囲気にあって少し独特に感じるのは、カミングアウトする以前は女性アイドルとしてコイツのことを見ていたからなんだろう。

「あ、恭二さん、こんばんは。お疲れさまです」
「ああ。お帰り。…今の、彼女、か?」

ちらりと門の方を見ながら聞いてみる。
二人あった女子の人影は、タクシーと共にもう立ち去ってしまっていた。
…女子に見送ってもらったのか?
普通逆なんじゃ……いや、気持ちは分からんでもないが…。
きっと帰り道に315プロの男子寮が一番近かったとかなんだろうが。
俺の問いかけに、秋月さんはぶんぶんと大袈裟なくらい片手を振る。

「ち、違います違います!まさか!」
「違うのか?」
「彼女じゃありませんけど、大切な友達ですよ。ほら、今日は僕たちはお休みだったので、お返しついでに遊んで来たんです」
「お返し…?」
「涼ー!」

眼鏡をかけ直しながら言う秋月さんの言葉に違和感を覚えていると、廊下の向こうから片腕を振りながら兜がやってきた。
その数歩後ろから、足音もなく九十九も歩いてくる。
誰かからもらったのか、九十九は小さな花のブーケを持っていたし、兜は振っていない方の手で紙袋を持っていた。
また紙袋だ。
二人に気づいて、秋月さんも顔をそちらに向ける。

「ただいま。大吾くん、一希さん」
「おう。おかえり!」
「おかえり、涼…」
「帰るんを待っとったぞ!これ、お返しじゃー!」
「え…!?」

ばっと兜が持っていた紙袋を両手で差し出す。
包装された紙袋を差し出され、秋月さんは驚いている。

「これ、僕にくれるの? え、でも…」
「当然じゃ。受けた義理は返さんとな!きっと涼に似合うからの。…あ、クッキーも入っとるけー」
「わあ、嬉しい。愛ちゃんたちには返したけど、誰かからもらえるとは思わなかったから…」
「涼、これはおれからだ。花束と…ブックカバーだが、よければ…」
「え、ええっ? それぞれ用意してくれたの!?」

右から左からプレゼントを手渡され、歓迎にわたわたしている様子が微笑ましい。
だが…秋月さんの誕生日は、確か9月じゃなかったか?

「…なあ。ちょっといいか?」

集まっている三人に、軽く片手を上げて割って入る。
さっきも、神谷さんたちにちょっと違和感があったんだが…。

「今日って、何かあったか? 秋月さんの誕生日は9月だろ?」
「え?」
「…誕生日のプレゼントじゃない」

秋月さんが俺の言葉にきょとんとしている間に、九十九が涼しげな声でぽつりと返す。
やっぱ誕生日じゃないのか。
…なら何だ?
今日って何かあ――…。
…。

「――」

と、そこで気づいた。
さあ…と血の気が引いていくのが自分で分かる。
…しまった。
3月14日。
どうして忘れていたんだ、今日は――…。

「今日はホワイトデーじゃけ、バレンタインのお返しじゃ。先月、涼に手作りのお菓子をもらったからの!」
「…!?」

兜の言葉に、ばっと顔を上げて壁にかかっている時計を見る。
9時近い。
だが、まだ間に合う…!

「っ…!」
「あ、恭二さん…!?」

床を蹴って、玄関へ向かって駆け出す。
携帯と財布はポケットに入ってる。
外泊許可は得てないが、12時までに帰ってくればルール違反にはならない。
最悪、山村さんに連絡して遅くなるのを告げればいい。
とにかく、急いで寮を飛び出して駅へ向かった。

 

 

 

 

見知ったマンションの玄関で、部屋番号を入力してインターホンを押す。

『…はーい?』
「こ、…こんばん…は…」

ぜえはあと、まだ整っていない息を何とか絞り出す。
カメラもあるから、来客が俺だと分かったみのりさんの声がスピーカーから届く。

『あれ? 恭二どうしたの?』
「や、あの…。ちょっと、時間、ありますか…」
『もちろん。どうぞ』

横にあった自動ドアが開く。
急ぎ足で中に入った。
エレベーターと廊下を進んでいるうちに何とか息が整って、ばたばたしている間に少しずれていたパーカーの襟とフードを片手で直す。
ぶらりと右手に持った慎ましい紙袋が揺れる。
…やっぱり、駅ビルで買ってくればよかったか。
寮を出て駅まで言って駅ビルか駅ナカで物を買って、そのまま電車に……と思っていたが、運良くというか運悪くというか、駅に着く前にタクシーが通ってくれた。
こっちの方が早いと思って急遽タクシーに切り替えてしまったが、買うタイミングが無くて結局そこのコンビニだ。
本当なら、神谷さんみたいに花を一本くらい添えられればよかったが、そんなこと考えても後の祭り。
今更申し訳なさが溢れ出す。

――ピーン、ポーン。

目的のドアの前に付き、改めて指先でインターホンを押すと、中から応える声がした。
少し緊張しながら待つ。
…ぎりぎりセーフのはずだ。まだ日付は越えてないから。
今日一日一緒に居ても話題なんて出てこなかったから、もしかしたらみのりさんの方でも忘れているのかもしれない。
そうだといいが。
そう思ったが――。

「いらっしゃい、恭二!」
「…」

笑顔でドアを開けてくれたみのりさんの表情に、そんな一縷の希望は消え失せた。
みのりさんの笑顔。
よく知ったにこにこと穏やかな笑顔の中に、何というか…"わくわく"が多分に入っているのが一発で分かる。
ふにゃふにゃした嬉しそうな笑顔がぐっと来る。
…あ、ダメだこれ。
分かってるやつだ…。
というか、分かっていたなら言ってくれよ…。
いや、忘れていた俺が悪いんだけど、やるに決まってるだろ。お返しとか。
催促してくれたって全然いいのに…。

「あ、こんばんは…。すいません、急に――」
「うんうん。何か忘れものかなー?」

もうこの段階で俺が何を言い出すか分かっていて、みのりさんもそれを隠す気は無いらしい。
両手を合わせて、擽ったそうにこのやりとりを楽しんでいるのがあからさまだ。
そんな彼へ、すぐそこで買った何でもないホワイトデー用のチョコレートが入った小さな紙袋を差し出す。

「あの、これ…ホワイトデーのお返しで…。俺、今日全然忘れて……てっ!?」

喋っている途中で、ガッ…!と首に片腕が周り、肩を組むような感じで中に引っ張り込まれる。
バタン!と支えを失って勢いよく閉まったドアの内側で、構える暇もなくキスが来た。
自分でもさっきのみのりさんのふにゃふにゃした嬉しそうな顔見て、勢い余ってしそうだったので、逆にほっとした。
少し長いキスが終わって口が離れると、わしゃわしゃとみのりさんが俺の頭を撫でる。

「思い出せたんだな。偉い偉い♪」
「…悪い。俺、ホント忘れてて…。…けど、普通に言ってくれよ。危うく一日何もしないところだった」
「ん? そうだなー。確かにお仕事としてはファンのみんなへのお返しカードはちょっと前に発送が終わったし、この仕事をやっていると、イベントやカレンダーとズレは感じやすいよね。恭二が忘れてるのは見てれば分かったけどさ…」

やんわりその手を退かしながら言うと、ぴっと立てた一本指をちょっと振り、みのりさんが悪戯っぽくウインクした。

「もし離れた後で思い出したら、こーやって来てくれるかなー?と思って、ね」
「……」
「あ、勿論思い出さなくても怒るわけないけどね?」

フォローを入れるが、そんなの最早意味が無い。
策略かよ…。
顎を上げ、背中を後ろのドアにつけてため息を吐く。
俺は本当に焦ったのに。
ホワイトデー俺が忘れたら、みのりさんがっかりするかと思って…。
…。
けど、まあ…。

「えっと…。…渡せてよかった。本当にすみません。…チョコ、うまかったし嬉しかった」
「うん。よかった。俺もこれ、ありがとう恭二。きっと恭二と同じように楽しみだし、何より嬉しいよ」
「…」

軽く紙袋を掲げるみのりさんへ、ついと片腕を伸ばす。
腕を握って、寄りかかっていたドアから背を浮かせて前へ屈むと、頬に一度キスしてから再度戯れ程度の口キスをした。
それだけで、またみのりさんの表情がふにゃりと露骨に緩む。
こういうとこ、年上だけど、可愛いなと思う。

「ふふ。ほんと嬉しい。…あ、どうぞどうぞー。あがって。今、コーヒー用意するから」
「…」
「うん? どうかした?」
「いや、なんか…。今日は止めときます…」

奥へ戻ろうとするみのりさんに片手をそっと挙げてお断りすると、みのりさんも足を止めて擽ったそうに笑った。

「…だね。そうしよっか。たぶん止まらなくなるよな」
「…たぶんな」
「残念だけど」
「…。また後で来ます」

ここで泊まっていきたいが、今日は止めておいた方が賢明だ。
…あと、山村さんが怖いし。
片手でドアノブを掴む。
一ヶ月前、俺がもらえた嬉しさを、この人に同じように返せたのなら、それでいい。
みのりさんの笑顔が見られただけでよかった。

「それじゃ…また明日。おやすみなさい。…来年は、絶対忘れないから」

片手を挙げて告げると、みのりさんも笑顔で手を振ってくれた。
その笑顔につられて、俺もふっと口が緩んだのが分かった。
名残惜しいけれど、ドアを開けて部屋を出る。
廊下を歩いている途中、手ぶらになった両手が何だか誇らしく感じた。
マンションの外に出ると、寮を出た時よりも月が高い位置にあった。
顎を上げてそれを見上げる。


white day




来年もその次の年も、きっと俺たちはずっと続いていく。
それを当たり前みたいに思えている自分が、やっぱりとても誇らしく感じた。



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一日遅れですが、ホワイトデー小説。
恭二さんはぼうっとしているとうっかり忘れそうだなと思って。
たぶんそれだけ毎日リラックスできているのでしょう。
2017.3.15





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