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「東雲。今年の夏はどこへ行きたい?」
「…」

アイドルなんて柄でない仕事を始めて三年目の夏…。
遅出の朝、まるで当たり前みたいに神谷が言うので、何だか少し呆れてしまった。


渡り鳥と留鳥のちょっとした旅行




先述したが、アイドルという職業になりあっという間に三年目になってしまった。
それなりにコツのようなものが分かってきて、少しずつ仕事は板についてきたのではないかと個人的には思っている。
Cafe Paradeの知名度も上がってきて、メンバー一人一人に対する単体の仕事も入れて頂けるようになった。
それはとても喜ばしいことなのですが、一方で、一年目や二年目のように、スケジュールが空いている日にカフェを開店できるような余裕も徐々になくなってきた。
ユニットとしての仕事があれば、サタンさんも含め六人でいられることもあるけれど、どうも今年の夏は今までのように皆で出かけるようなことは無理でしょう。
大体、休日の買い物だって難しくなってきてしまった。
私一人でしたら気付かれない自信があるのですが、私以外のメンバーは皆華がありますし、特に神谷はアイドルを始める前から女性の注目を集めるのが得意な方なのだから、最近は二人で行っていた買い物も、それぞれの休日に適当に済ませてしまうことが多い。
部屋の端にかけてあったハンガーから薄手の上着を取り、腕にかけて首だけで振り返っていた相手へ爪先を向ける。
キッチンから持って来た銀のトレイを神谷がちょうどテーブルに置いて、砂時計を逆さにする。
耐熱ガラスのポットにカットしたフルーツを押し込めたフルーツティと、白いカップが二つ。
夏とはいえ、紅茶は基本ホットの方が気が休まる。
甘い香りがふわりと部屋に漂い出す。

「どこも何も…。殆ど仕事やろ。休みはありますが、皆さんで重なるのは難しいのでは?」
「ああ。全員というのは段々難しくなってきたからね。今年はそれぞれ休む形になると思うんだ。全員は無理でも、俺と東雲なら休みが重なる日があるんだ。だから、どこかへ行かないか?」
「そうですか。まあ、ええですけど…。買い物へ?」
「そうだね、買い物もしよう。けどできれば遠くがいいな。山梨はよかったかい?」

…と、足された一言で内心はぴんと来た。
先日私と事務所の他のメンバーが行った山梨県とのコラボレーション企画がありましたけど……なるほど。
羨ましくなったわけか。
神谷は時々そういう所がある。
メンバーの誰かに地方の仕事が入ると、その地域にとても興味を持つ。
要は、旅行がしたいのだろう。
できれば自分も、常にあちこちを巡りたいのだ。
固定された日常は彼の本来の性分には合いづらく、いつだってどこかへ旅立ちたい。
最近は国外の仕事も入り、そういった仕事ではとても活き活きするのはそういうわけで。

「ええ。ええとこでしたよ」
「そうか。夏だから北へと思っていたけれど、中部もいいね。サクランボのゼリーは綺麗で見た目も涼しげで、とても美味しかったな。チェリーパイも好きだしね。東雲はどこへ行きたい?」
「どこでもええですよ。神谷の行きたい場所で」
「そう? 困ったな。俺も東雲の行きたい場所にしようと思っていたんだけど……ん?」

顎に片手を添えて、いかにも困り顔をする姿に、思わずくすりと口元が緩んだ。
私のそれに気付いて、神谷が不思議そうに首を傾げる。

「何か変だったかな?」
「いいえ。そうやなくて…。ええですよ、別に」
「…?」
「ホンマはどうせ、行きたい場所の一つ二つ、もうあるんやろ?」

人差し指を立てて、少し得意気に言ってやる。
「旅行に行きましょう」という話になった時、うちのメンバーは皆それぞれの主張がすぐに出てくる。
水嶋さん、巻緒さん、アスランさん。
皆さんとても個性的で、個性的ということは自分の意見が常にしっかりと存在しているということだ。
「ここに行きたい!」「どこどこのスイーツが食べたい」「あそこから我を喚ぶ声が以下略」等々、ずらりと候補が出て、そこからさてどうしようという話になるわけですが、ここまでで候補が揃えば、まとめ役の神谷からしたら、自ずと他者優先の傾向が出てくる。
勿論、各地はどこも魅力的だ。
行ってしまえば、気心のしれたメンバー相手であればどこだって愉しめるものです。
…けれど、この男にだって第一希望というものが、当然あるでしょう。

「私相手に気遣いなんぞええから、貴方の好きな所へ行ってください。どこへ行きたいんです? お供しますよ」
「…」
「というよりは、無事目的地に行けるかどうか、見張っとってあげますよ、ですかね」

テーブルの傍に立っていた神谷は、少し瞬いた。
その後、表情を柔らかくすると迷いなくすたすたとこちらへ歩いてくる。
私は随分慣れましたが、普通の感覚からすると「近い近い」とツッコミを入れたくなるような距離にまで踏み込んできて、恥ずかしげもなく私の両手を取ると、自分の両手で上下をぐっと包み込んだ。
それだけでも大袈裟やなぁと思うところを、止める間もなくキスをされてしまう。
少し長くなりそうで、今は仕事前ですし、そんな気は一切ないのだと反射的に一歩引きそうになったが、その前に神谷自身が身を引いて、何事もなかったかのように握った両手をぎゅっぎゅと軽く上下に動かした。

「嬉しいな。…ありがとう、東雲」
「…」

一気に脱力する。
どうもこの男は、スキンシップが激しくて困る。
人前でそういったことを出さないから分別はあるらしい。
まだいい方だが、かといって二人でいる時ならいいだろうと思っている所があるようで、それが少しばかり厄介だ。
こちらとしても嫌なわけではないのだが、どうも基準が…。
今のキスも言いたいことはあれこれあるが、まあええでしょうと諦めて、私も流すことにする。
ふう…とため息を吐いて一度肩を落とし、気を取り直して顔を上げる。

「どういたしまして。…いつもまとめ役、ご苦労様です」
「東雲のそういう所、俺はとても素敵だなと思うよ」
「それはどうも」
「よし!それじゃあ、お言葉に甘えて、今回は俺の好きな場所を選ばせてもらおう!」

手を離し、鷹揚に片腕を広げたかと思うと、部屋の端にある本棚へ行き、ノートを一冊取り出してくる。
何のノートかと思ったら、テーブルの上で広げたそれは、雑誌やネットを印刷した記事などをスクラップしたものだった。
全て、あちこち国内地域のものだ。
神谷を追って私もテーブルの方へ歩み寄り、そのままイスに座りながらそれを覗き込む。
ほら、ご覧なさい。
行きたい場所なんて、数多あるのだ。
神谷も正面のイスに座り、見るからにわくわくしながらノートのページをめくっていく。

「どこへ行こうかな。確かに候補は決めてあったんだけど、本当に行けるとなると他も惜しくなるよ。電車か車か…。どちらにせよ現地での移動は車がいいな。あちこち効率よく回れるからね」
「そうですねえ」
「泊まれたら、泊まりでもいいかな?」
「ええですよ」

適当に相づちを打ちながら、砂時計が落ちきったので紅茶をカップへ注いでいく。
ふわりと甘い、フルーツの香り。
本当は注ぐだけにもテクニックがあり、私では神谷と比べ些か味が落ちてしまうでしょうが……まあ、今は本人目的地決めに夢中ですから、構わんでしょう。
致命的な方向音痴の神谷では、当日は迷子必須ですが、プランニング自体は比較的まともにできる。
二人で出かけることも減ってしまったから、そこまでやらせておいて、当日、私が見張っているという形の旅行も、ここのところは久し振りだ。
大抵、目的地の主張が通った方がプランニングも率先して行うものですから、いつもだったら何だかんだで水嶋さんや巻緒さんが考えてくれることが多かった。
…まったく。
行きたい場所があるのなら、貴方だって言えばいいのに、と思う。
子供みたいなくせして、大人ぶって。
大人の分別と振るまいができるくせに、いつまで経っても子供染みたところがある。
私の中の神谷は、あまり学生の頃と変わりない。
学校の教室に、七夕だからといきなり笹を持ってみんなに一気に暦を思い出させるような、そんな奴だ。
神谷の分のティカップをそっと差し出すと、ノートを見下ろしていた神谷がふいと顔を上げた。

「なあ、東雲。今回は甘えるけれど、次はぜひ東雲の行きたい場所を俺に教えてくれ」
「…私ですか?」

行きたい場所など、正直ない。
神谷が常にあちこちを巡りたがるような、渡り鳥のようなタイプであるのと同じように、自分はどちらかといえば一カ所に落ち着き、巡ることを控えてしまう留鳥の類の人間だ。
けれどそんなに当たり前のように期待された表情で見られてしまっては、一緒に行こうと言われてしまっては、仕方ない、では私も飛んでみようかという気になってしまう。
カップを片手に取り、口元に添えた。

「そうですね。…そんなら、後でそのノート、見させてもらってええですか。決めておきましょう」

小さく笑って、言ってから一口含む。
今日のフルーツティはモモの香りが強い。見れば、山梨の土産であったモモが入っている。
私もそうですが、職業病で地方に出ると、ついつい土産の品を私ならデザート類に、神谷なら紅茶などのドリンク類に活かそうと作ってしまう。
どこを選ぶのか知りませんが、旅行中は勿論、帰って来た時に飲む紅茶はどんな紅茶だろうと思えば、今から目的地不明のその旅行が、それだけで私も愉しみに思えた。



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2018山梨イベント後の神東。
HPにまだおいていないことに気付いて引っ張り出してきました。
東雲さんの前ではちょっと子供っぽくなる神谷さんだといいな。
2018.9.10





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