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リハーサルを終え、今日の衣装のうち、動きやすいインナーのみ着替えさせてもらってから控え室へと向かう。
10月31日。
街はオレンジとブラックの陽気な配色で溢れている。
世間はハロウィンだけれど、午前中に入っていた仕事は、既にクリスマスの衣装合わせだった。
それでも遅いくらいで、大体は約三ヶ月後くらいの予定で進んで行くことが多い。
今回は、スタイリストさんが拘りが強い方だったこともあったようで、予定を大幅に遅れて昨晩衣装が完成し、今日の午前中に至急で撮影が飛び込んで来るというスケジュールになった。
そして午後はハロウィンイベント。
一日のうちに年間行事の中の大型イベントが2つも入っているなんて、アイドルなんてしていなければ体験できないんだろうな……などと思い、ふと口元が緩んだ。
とても今更だけれど、一人でいる時は時々、そう言えば、自分はアイドルなんだよな……と、再認識する。
舞台にもステージにも立つことは多いが、たまに、それが不思議に感じることもある。
そう言えば、モデル時代もそう思うことが多かった気がする。そう言えば、自分はモデルなんだった、と。
二人といる時間は自覚がありすぎるくらいだというのに、可笑しな話だ。

「北斗さん、お疲れ様でーす」
「お疲れ様です」

廊下の向こうからヘアメイクアーティストの女性が歩いてきたので、ウインクを添えて挨拶をする。
喜んで頂けた様子に軽く片手も振り、歩を進めて控え室のドア傍まで行くと、何やら中が騒がしかった。

『……!』
『……』
『…………!!』

曇った声が廊下まで聞こえてくる。
何を言っているかまでは分からないが、叫んでいるのは冬馬だな。
込み入った話だと困るから、取り敢えずノックをしてからドアノブを回した。

「二人とも、声が外まで聞こえそうだよ。一体、何を騒いでるんだ?」
「あ、おかえり~、北斗君」
「来た!おいっ、北斗!」
「ん?」

部屋の中に部外者はおらず、いたのは冬馬と翔太だった。
俺と同じく、今日の衣装のインナー姿だ。お互いそれぞれ微妙に違うが、吸血鬼をモチーフにした衣装のインナーは、この後羽織る予定のマントや特殊塗料の血液や傷メイクがなければ、品のいいシャツと黒パンツで、タキシード風でもある。
俺が戻ってくるなり、立っていた冬馬は、ドアを閉めた俺へ人差し指を突きつけた。

「"Trick or Treat"!」

唐突に一言。
まるで勝ち誇ったように仁王立ちして指を突きつける姿は、ハロウィンの決まり文句だ。
得意気なその言動を微笑ましく思いながら、歩み寄ってその手を取り、くるりと反転させて掌を上にさせてからそこにポケットから取り出した一口チョコを置く。

「はい。どうぞ。Happy Halloween!」

右手の人差し指と中指を立てて揃え、決まりも文句にウインク一つ。
さっきの女性が喜んでくれたウインクだけど、そんな俺の挨拶など受け流し、冬馬がぐっとチョコを握る。

「…って、持ってんのかよ!」
「ほら~。だから言ったじゃん。北斗君は絶対持ってるってば」
「くっそ…。何で持ってんだよ…っ」
「何の話?」

テーブルを挟んだ向こう側に頬杖着いて座っている翔太へもチョコを渡しながら、悔しそうにチョコを握りしめる冬馬へ問いかける。
チョコを受け取った翔太が、その手を軽く振りながら教えてくれた。

「僕がさっき、冬馬君に"Trick or Treat"したんだよ。でも、冬馬君持ってないからイタズラしちゃった。そうしたら、それが悔しかったみたいで、北斗君にも仕掛けようって思ったみたい」
「ああ…。なるほど」
「だって見ろよ、北斗!これ!」

フリルの多い白シャツのボタンを一つ二つ外し、いきなり冬馬が襟元を開いて右肩を露わにする。
健康的な首から肩にかけてのほぼ中央に、くっきりと歯形が付いていた。

「これ!歯形だぞ!?」
「おお。くっきりと…。可愛いドラキュラに血を吸われたんじゃないくて噛まれたの?」
「上手く噛めたでしょ?」
「上手いとか下手とかの問題じゃねえだろ!マジで噛むか普通!?」
「我ながら見事な歯形だよね~。歯並びいいよね、僕。流石ぁ」

翔太が悪戯っぽく笑いかける。
思わず俺も苦笑してしまった。
確かに、今日は露出の予定はないから構わない気がするが、当の冬馬は痛かったのか、左手で翔太の付けた歯形を撫で、きっと翔太を睨んだ。

「大体お菓子なんてそのテーブルにたくさんあんだろーが!何でわざわざ俺に求めてくんだよ!?」
「だってそーゆー日じゃん、ハロウィンって。お菓子持ってなかった冬馬君が悪いんじゃない? 現に北斗君はちゃんと持ってたわけだし」
「…と言うことは、もしかして俺がお菓子持ってなかったら、イタズラしようとしてた?」
「思いっきり噛んでやろうと思ってた」

何気なく聞いてみると、真顔で冬馬が言う。
片手を腰に添えて内心呆れてしまった。
…うーん。それはそれで残念だった気もするけど…。
こういうところが困ったリーダーだ。
長い間一緒に仕事をしているけれど、どうもこのガードの緩さというか危機感のなさは締まりそうにない。
そこが冬馬の魅力的なところでもあるのだけれど、万人向けにされても困るかな。
特に961プロから移ってきて、今はスタッフや他のアーティストとの接点もかなり増えてきたし、段々と「天ヶ瀬冬馬」はクールで俺様なだけの男ではないと、かなりの人間が気付いてきた。
翔太へ視線を向けると、愉快そうにくすくす笑うばかりだ。
テーブル前のパイプ椅子を引き、腰掛けながら、同じく隣に座る冬馬へ笑いかける。
渡したチョコの袋を開け、不機嫌に口へ放り込んでいた。

「それは残念だったな。悪かったな、準備が良くて。ハロウィンの話題を振ってきた人にあげようと思っていたんだ」
「何なんだよそのサービス精神は」
「期待を裏切りたくなくてね。それに、楽しいし。イベントを楽しもうという感性の豊かさは好ましいし」
「はー。色男は色々と大変だね~」
「折角、お前も道連れにしてやろうと思ってたのによ」
「酷いな」
「だって俺だけ歯形なんて間抜けじゃねーか!」
「そんなことないって、冬馬君。さっき鏡で見たでしょ、それ。こんなにくっきりきれいに付けられた僕の歯形の格好良さ」
「格好いいも何もねえよ!すっげえ痛かったんだからな!?」
「吸血鬼に噛まれる女の子の気持ちが分かっていいんじゃない?」
「分かる必要カケラもねえだろっ!噛んで吸う方だぞ、俺は!」
「けど、俺を道連れにする気は満々だったわけだな…。そんな酷い冬馬には、やり返そうかな」
「あ?」
「"Trick or Treat"」
「――……は?」

ぴしっと人差し指で指し示して言うと、数秒間、きょとんと冬馬は俺の指先を見詰めていた。
…数秒後、ばっ…!とテーブルの上にあった差入れのお菓子箱に手を伸ばしたが、翔太が彼よりずっといい反射神経で既に両手でその箱を奪い取っており、手元に引き寄せて両腕で抱え込んでいた。

「…ッおい翔太!寄こせよ!!」
「言われた時持ってないんだからダメでーす」
「そんなルールいつできた!?」
「北斗君にもらったチョコも今さっきひょいぱくって食べちゃってたじゃん。冬馬君、迂闊すぎ。そーやっていっつも油断しまくってる方が悪いんだからね」
「じゃあ俺は左肩かな」
「なっ…おい!そんなの狡――…って、北斗待てって!お前マジでやる気かよ!?」

横から手を伸ばして左肩を開いた俺の手首を、冬馬がそれぞれ掴む。
思いっきり体を仰け反らせてはいるが、立ち上がって逃げようとしないところが詰めが甘いというか何というか…。

「ん? 衣装下で隠れるし、額や手の甲にらくがきするよりは現実的にマシだと思うけど。何か他のイタズラリクエストがあれば、それを叶えてあげるけど?」
「ねえよっ!」
「じゃあいいじゃないか」
「嫌だ!痛い!」
「…よっぽど強く噛んだんだな、翔太」
「えー? 加減したんだけどなーぁ」
「どこがだ!」

翔太が両手を頭の後ろで組み、椅子を傾けて戯ける。
…まあ、あの歯形の様子を見れば、どの程度の強さで噛んだのかは分かるけれど。
掴まれた両手を軽く開いてくるりと捻り、手首を掴む冬馬の手を緩めると同時に、彼の両手を逆に左手一本で抑えてみる。

「うおっ…?」
「じゃあ…、俺は痛くないようなイタズラにするかな」
「わ、わっ…、馬っ鹿、おま――。ちょ…っ」

低く囁いて、冬馬の白い首へ、それこそ吸血鬼のように顔を寄せる。骨を避け、柔らかい筋肉へ。
先に経験した痛みのせいか、震えて固く縮こまる体へ、目を伏せて口付けた。




Trick or Treat





「……。く…っそ…」

全身ミラーの前で、シャツの襟を開いたままの冬馬が左手をミラーに添えて、殆ど"反省"のようなポーズで、いつまでも飽きずに悔しがっている。
右と左の首付け根に突いた歯形とキスマーク……というと語弊が生じかねないから、色気なく充血とでも表現しておいた方がいいかもしれないが……を、右の指先で何度も撫でている。
…ちなみに、俺にイタズラされた後、すぐに冬馬が翔太に向けて"Trick or Treat"をやり返したが、翔太は両腕でキープしていたお菓子箱から何食わぬ顔でお菓子を一つ冬馬に差し出し終了となった。
翔太曰く「言われた時に僕この箱持ってたもーん」だそうで、その後も冬馬と翔太で少しの間言い争っていたが、いつもの通り冬馬が折れて終了になっていた。

「ねー。冬馬君いつまでそうしてんの? そろそろ時間だよー?」
「メイクの時間だし、移動しよう、冬馬」
「く…」

既に移動しようと俺と翔太は席を立っていた。
背を向けている冬馬は、ぐっと拳を握り、肩を振るわせ、しかし時計を見て流石に諦めがついたらしく、素速く腕を上げてシャツを着直すと、ボタンを留めた。
くるりと振り返り、ドア付近にいた俺たちの方へ大股で歩いて来る。
まだ不機嫌な顔だったが、仕事が始まれば解れるだろう。持ち込む程素人ではない。
それに、襟まで正しく着てしまえば、その下の痕跡など誰にも分からない。
それを知り、そして意識するのは、常に着けた当人か、着けられた当人だけだ。

「痛くなかっただろ?」
「…」
「やっぱり、北斗君にも噛んでもらいたかったんじゃない?」
「そうだった? …ごめんな、冬馬。気が付かなくて。じゃあ次は噛んであげるから、そう不機嫌になるなよ。折角の綺麗な顔が台無しだぞ?」

戯ける俺たちの間を行き、冬馬が先頭でドアノブに手を掛ける。
少し開けてから、勢いよく振り返った。

「お前ら……来年のハロウィンは覚えてろよ!!」
「はいはい」
「楽しみにしてるよ」
「…くそ!」

バンッ、と冬馬が乱暴にならない程度の強さでドアを開けて出ていき、それに続く。
それでも丁度近くを通りかかったスタッフさんが驚いていたのに気づき、男性だったけれど、彼にもウインク一つ添えて挨拶を送っておいた。



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毎度恒例、出遅れイベント話。
北斗さんと翔太君で、ハロウィンの悪戯も対照的にしてみました。
冬馬君もてもては書いていて楽しいです。
2020.11.3





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