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「膝前十字靭帯」。
――って、知ってる?

俺も単語の響きくらいは聞いたことくらいはあったし何となく知っているつもりだったけど、具体的にそこまで詳しくなかったかも。
俺がそれを詳しく知ったのは、サッカー日本代表U-18の合宿一週間前だった。
悠介の奴、サッカー大好きだからそれはもう張り切ってて、これで経験積んだら次は二人で世界だ!ヨーロッパだー!とか言ってた頃で…。
合宿前だったけど、もう殆どメンツとも顔合わせはすんでいて、同じところで練習してたし。
確かに悠介の言うとおり、何となくそれっぽい道が見えてきていた頃だった。
そのときは確か、珍しく悠介と離れて個別メニューをこなしていて、室内練習場でミニハードルをやってた時だったかな…。
左の膝にチリッ…!と痛みを感じて、やばっ…!と思ってすぐ止めて様子を見てみたんだけど、別に痛めた様子はなかった。
気のせいか、って思って。
柔軟して、続きやるかー…って立ち上がったところで、悠介がスタジアムで倒れたって聞いて、飛び出して行ったっけ。

そのときだよ。
膝の靱帯をね、ちょっと痛めたんだ。悠介が。
俺が直前に違和感感じたとこと同じ場所だったんだけどさ。
今はせっかく何でもないような顔してるから、突っ込まないであげてね。

 

 

 

 

いつもは開けっ放しのこととかも多いのに、しっかり閉まっている悠介の部屋のドアをノックする。
ノックするまでに何度かシミュレーションしたけど…あんまり意味ないよな。
ていうか、ノックしてる時点で俺の方も気構えあるのバレバレだし。

「…悠介。入るよ?」
『あ…、うん。いいよー』

部屋のドアを開けると、悠介は大きな合宿のバッグの口を開けてその前に座っていた。
準備しているわけじゃなくて、逆。
バッグに詰めていたあれこれを取り出して、戻していたとこだった。
隣に横たわっている松葉杖が痛々しい。
後ろ手にドアを閉めて、少し静かにしている。
やがて、声をかけた。

「…残念だね。膝」
「ああ…。……うん」

俯いて、丁度取り出したスポーツタオルを両手で持って、悠介が小さく頷く。
それから、照れたみたいに小さく笑った。
目元が赤い。
当然だ。

「仕方ないよ…。膝の靭帯緩んじゃったし。…今から手術しても、間に合わないからさ」
「…」

スポーツに、怪我はつきもの。
そうはいっても、怪我のタイミングってものがある。
みんなそうだけど、選手は勿論怪我をしようなんて思っちゃいない。
だから必死になって予防をしているのに、それでも…本当に、どうして今なんだろうと思うタイミングで、たまに運命みたいに怪我をする。
そんな人たちを何人か見てきた。
まさか悠介がそうなるとは思わなかったけど。
このタイミングでの膝の故障。
当然、U-18の合宿は「辞退」という名の参加拒否の連絡が来た。
ついこの間まで見えていた世界のスタジアムという夢が、一瞬で遠く離れて見えなくなった。
両手を後ろで組んで、悠介の背中を見詰める。
不意に、悠介がこっちを振り返って見上げてきた。

「享介は? 準備できた?」
「何の?」
「何のって、合宿だよ。享介は行くだろ? 何か足りないものあったら、オレの貸してあげるからさ。持ってってよ」
「…」

ひらひらと、タオルの次に持ったティシャツを振ってみせる。
ぱっと笑って見せてるつもりなんだろう。
努力は認めるけど、全然いつもの悠介の笑顔じゃない。
いつも悠介が笑うと、ぱっとその場が明るくなる感じがするのに、今は全然影響力がない。
俺が黙っていると、悠介は追い詰められたように次の言葉を出す。

「…。あのさ、あの…今度の合宿、オレの分も活躍してく…」
「行かない」
「え…!」

悠介の言葉を遮って、断言した。
驚いた顔で悠介が振り返る。
その顔に、なんだか少し腹立たしくなってもきた。
…いや、何で不思議そうなの?
当然じゃん。

「や…。行かないって……あはは、享介何言――」
「悠介が何言ってんの。怒るよ?」
「……はあっ?」

真剣に言うと、悠介もじわじわとムッとした顔をし出す。
片手に持っていたシャツをバッグにたたきつけて、松葉杖一本掴むとそれを支えに処置してある反対側の片足だけですっくと立ち上がった。
ぎっと俺を睨み上げる。

「何で享介まで行かないんだよ。意味分かんないから!」
「悠介が行かないから」
「何で!? 行けよッ!お前はまだ最前線でサッカーできるんだから、行かない理由なんかないだろッ!!」
「あるよ」

感情的な悠介相手にああだこうだ包んで言ったって伝わらない。
隠してなんていられない。
言い切らないと、信じてもらえない。
悠介とは当たりたくない。
けど、ここは逃げ出せない。
ぐっと拳を握り、まっすぐに悠介を見る。

「俺のサッカーやってた理由って、悠介と違うから。…俺がサッカー始めた理由って、悠介が始めたからだし。悠介いないんじゃ、合宿なんて行かない。悠介が止めるなら、俺も止める」
「だっ…!」

何かを叫ぼうとして、悠介が一瞬止まる。
唇を噛み、直前の俺と全く同じ仕草で拳を握って俺を見た。
出てこない言葉を口から出す前に拳にため込むみたいに、力が入る。
爪の先が手のひらに食い込む。
たぶん、悠介も今そうなんだろう。

「…オレ、がっ……ここで、怪我…とか、したのとかも…。たぶん、必然なんだと思う…。なんか、たまに…そういうの、あるじゃん?」
「まあね」
「オレは、怪我しちゃったけど…享介はしてない。…だから、な? えっと、だから…。オレの、分もさ。享介が……」
「やだ」
「…」
「悠介、今自分がどんな顔してるか分かってる? 俺、絶対イヤだから。一人で行くのとか」
「ワガママ言うなよッ!!」

感情的に爆発した言葉が、部屋中に広がる。
勢いよく片腕を広げて、悠介が俺に怒鳴る。

「享介が怪我したわけじゃないだろ!どうすんだよ!!オレが抜けて享介まで抜けたら、今年のレギュラー選抜二人も抜け――!」
「じゃあ俺だけ行って、悠介は平気なの?」
「ッ平気なワケないじゃんっ!!」

くしゃりと表情を歪めて、全力で悠介が声を張る。
強がってる割に、聞いてみれば反射的に否定するし。
もうホント、その顔が見てらんない。
泣くんなら泣けばいいし、辛いなら辛いって言えばいい。
一人残されるとか無理なくせに、どうして強がるかな。
目が潤んでるのは見れば分かるけど、涙は流したくないのか、一度悠介が片腕で目元を擦った。
俺の方は小さく息を吐いて、場を仕切り直す。

「…ねえ。一緒にいよ、悠介。俺だけ置いていかないで。それ、俺ホント辛いから」
「っ…、うるさいなあ!置いてかれるのは享介じゃないだろっ!!」
「じゃあ、自分だけ止まらないで。悠介が立ち止まるんなら、俺も止まる」
「だから何で!? 意味分かんないから!!」
「嘘だね。分かるでしょ。…俺、今悠介と同じくらい辛いよ。何で二人して辛くなんなきゃいけないんだよ。やだよ、俺」

片手を差し出して一歩踏み込むと、びくっと悠介が肩を震わせて一歩下がる。
俺の言葉に乗っていいのかどうか、迷っているのが手に取るように分かる。
本当は一緒にいてほしいくせに、俺の為にならないとか、悠介のくせに何かそんなくだらないこと考えてる。
…サッカーとか、どうでもいいよ。
ホントに、悠介がやりたいって言うから、やってただけだし。
そりゃ、ちょっとは楽しかったけど…それは、悠介とプレーしてたからなんだから。
悠介とハイタッチするのが楽しかった。
タッチする相手がいないんじゃ、俺にとってのサッカーの魅力なんて殆どないかもしれない。

「…」
「…っ」

睨み合いが暫く続いて、小さく息を吐く。
泣きそうな顔してるくせに、まだぐだぐだ迷って動かない悠介は片手じゃ足りないらしいから、切り替えて両腕を広げる。

「ん」
「っ、でも…っ」
「早くしてよ。これ結構腕疲れるんだから」
「でもっ、せっかくのチャンスなのに!享介ならきっ…!」
「早くしてってば」
「………~っ!!」
「…っ、と!」

たっぷりうろうろ迷って、けど俺がそのまま動かないでいると、やがてバッ…!と飛び込んできた。
構えていたとはいえ、転ばないかと松葉杖投げ出して飛び込んでくる悠介にはどきっとした。
一気にのしかかってくる自分を同じ体重を、しっかり受け止める。
俺の肩に顔を押しつける悠介の背中を、両手で強く抱きしめた。
シャツの襟が首ぎりぎりに後ろに寄っちゃうくらい、悠介も俺を抱きしめる。

「…~~っ、ふ…っ」
「うん…。泣いていいよ。今、俺しかいないし。母さんたちには、電話でちゃんと言うから。…一緒に言おう。二人で、一緒に決めたんだって」
「ぅぅ~…っ…、ぅっ、っうえ…ぅぇえぇえええん…っ!!」

最初のうちは我慢してたらしいけど、じわじわ嗚咽が出てきたと思ったら一気に声が出る。
…他の人が見たら、十八にもなって、男がこんなに子どもっぽく泣くなって思うかもね。
けど、年齢に関係なんてないだろ。
素直に泣ける相手って、あんまり持ってる奴いないんじゃない?
けど、俺には悠介がいるし、悠介には俺がいる。
離れてなんて、いられない。

「うわぁぁあんっ!!ごめっ…!ごめんーっ享介えええ!!ごめっ…ごめんーっ!!」
「はいはい、いいから」
「オレ…っ、オレのせいでっ!オレのせいでサッカーがあぁああっ!!」
「サッカーはいいんだってば。じゃなくて、俺に強がってたことを反省してよ」
「享介がっ、オレ置いて行っちゃうかと思ったあああっ!」
「はあ? じゃあ何で行かせようとしてたんだよ、まったく…。一緒にいたいのは俺も一緒」

堰が切れたのか、肩越しに悠介がちゃんと泣き出す。
びええん、とばかりにぐちゃぐちゃに泣く悠介の頭を片手で押さえて、天井を仰いだ。
…やっと泣かせてあげられた。
我慢される方が、強がられる方が、ほんっと辛いんだって。
そんなのは他の…俺以外の人にやることでしょ。
ほっとして、同じ力でぎゅっと悠介を抱きしめて目を伏せた。

そこにいないと困るんだ。
当たり前みたいな顔して、なくなることなんて考えられないくらい――空と海と酸素みたいに。


空と海と酸素みたいに




「ねーねーねーねー、享介ーっ!」
「んー?」

あれから、数週間後くらいだったかな。
松葉杖が取れてたし。
正式に実家帰るつもりで、でも手続きの残りみたいなのがあって、また寮とかスタジアムとかうろうろして、ついでに原宿に遊びに来てた時だ。
暫く食べられなくなるし、もう体重とかあんまり気にしなくていいしと思って、カップに入った厚切りのポテトチップ食べてたら、クレープ買ってくると少し離れていた悠介が片手を振りながら戻って来た。

「どうかした?」
「それがさ、さっきそこで声かけられた!ちょっと一緒に話聞いてみない? なんかね、面白そうなんだぜ?」
「ふーん。何が?」
「あ、これうまいやつだー!」
「ねえ、誰に声かけられたの?」

あっさりと興味が一度流れ、ひょいっと俺の持ってたカップからチップスを一枚取ってぱくつく。
二枚目もぱくりと口に先をくわえてから、自分が今走ってきた方を指さした。

「スカウトの人っ」
「うっわ、あっやしー。それ何のスカウト? カットモデルくらいならいいけど」
「アイドルだってさ!」
「ええ~!?」

思いっきり顔を歪めてしまった。
このご時世にアイドルのスカウト?
絶対ニセモノでしょ。
イヤなのに、悠介が俺の片手を引っ張る。
ほっとけもしなくて…言い出したら聞かないし…仕方なく、腰を浮かせて俺もそっちへたらたらと足を進めた。

 

その怪しい人の話を聞いて、悠介はすっかり乗り気になっちゃった。
双子アイドルをやりたいんだってさ。
安直すぎ。
しかも何か響き古いし。
そんなの今更売れないんじゃない?とか、最初は思ったんだけど…。
ほら、俺たち運動神経はいい方だし、割とね、歌もそこそこなんだ、実は。
俺と息ぴったりなの見せてやりたい、絶対向いてる、これなら一緒にできる…とか悠介が言うから――。
サッカーと同じでね。
じゃ、まあ…。
付き合うよ――、ってね。
…で、今に至るってわけ。
アイドルってスポットライト浴びてきらきらしてるかと思ったら、案外体力勝負でスポーツみたいだし…。
悠介が怪我した時、俺が傍で見てなかったのも悪かったんだと思うんだ。
だから今度は、なるべく傍にいるようにするつもり。
仲良すぎだって引かれることも微妙にあるっちゃあるんだけど……とはいえ、同じ間違い二度犯すとか、バカだと思うんだよね。
悠介のこと、ちゃんと見てないとさ。

俺は別にいいんだけど、悠介が今は「目指せ、トップアイドルー!」なんだってさ。
そう言ってる間は、俺もそれってことで。
だからさ、
悠介のこと、これからも応援してやってよね。
後悔は、絶対させないからさ!



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Wの双子ちゃん、悠介君と享介君。
双方向ブラコンだけど、悠介君がいないと壊れちゃうのはたぶん享介君。
公式では悠介君が怪我して享介君もショックでサッカー止めて病院でスカウトされます。
2016.9.24





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