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○月×日。
輝さんが風邪をひきました。
普通の風邪ならよかったんだけど――…。

 

「――陽性。インフルエンザウイルスだな」
「……は?」
「因みにB型だ。…咳はまだないな。ひとまずアセトアミノフェンを処方しよう。丁度僕が持っている」

控え室のソファで隣同士に座っている輝さんと薫さんのやりとりを見ていたけど、薫さんがそう言った瞬間、ちょうど飲もうとしていた紙コップをぴたりと止めた。
…え。
きょとんとしているオレと輝さんに、薫さんがてきぱきと指示を出す。

「柏木。隣の部屋へ天道を隔離。プロデューサーへは僕から伝えておこう。午後の取材に天道を出すわけにはいかない。天道にマスクをして放り込んでおけ」
「え? あ、ハイ…!」
「いやいやいや!ハイじゃねえだろ!ちょっと待てよ桜庭…!午後の取材っつったら来月イベントの――…って!ちょっ、引っ張るなって翼っ!おい、こら…っ!」
「大人しくしろ。子供じゃあるまいし。――ああ、プロデューサーか。急な話だが天道が…」

抵抗する輝さんを宥めて、言われたとおり隣の仮眠室みたいな部屋へ押し込む。
ごめんなさい、輝さん。
その傍ら、薫さんがプロデューサーに連絡をいれてくれて、午後の仕事は輝さんは全てキャンセルすることになった。
他の人に移しちゃ、まずいですもんね。
それに何より、輝さんの体調が心配です。
病院へ行く必要は後々あるかもしれないけど、薫さんが持っていたインフルエンザの簡易検査キットみたいなのですぐに結果が分かったので、輝さんはそのままタクシーに乗って帰宅。
午後の取材はオレと薫さんの二人でやったけど――…やっぱり輝さんがいないと、いつものオレたちじゃないということがしみじみ実感できてしまう結果だった。
本当は、それを補わなきゃいけないんだと思うけど…輝さんのパワフルなあたたかさみたいなものは、当然ですけど全部輝さんのものなんですよね…。
やっぱりオレは三人でいることが好きだし、それが"DRAMATIC STARS"だと思う。
何だか輝さんがいないと、オレまで気分が落ち込んできちゃいそうだ。
心なしか、薫さんもいつもより落ち着きすぎて見えるし…。

「…あの、薫さん。帰りに輝さんの家に行ってみますか? 一人暮らしですし、何かと不便ですよね」
「いや。移る可能性がある以上、君は直帰した方が良いだろう」
「確かにそうかもしれませんが…。でも、薫さんは行くんですよね? オレも、輝さんの様子を見たいです。心配で…」
「念のため検査して陰性ではあったが、既に僕たちにも移っている可能性もある。これ以上感染の可能性をわざわざ上げることはない。君まで発症したらどうするんだ。駄目だ」

強く言われてしまって、ぐっと一瞬負けそうになる。
やっぱり、自分の専門分野だからだろうか。いつもよりずっと抵抗できない気がする。
確かに、言われたとおりにした方がいいのは分かる。
けど…。
…やっぱり、オレも輝さんが心配だ。ちょっとだけでいいから、輝さんの様子が見たい。

「そ、それは…薫さんもじゃないですか。午前中一緒にいたんですから、もう移ってるかもしれませんし、発症したらしたでしょうがないですよ。輝さんの顔だけ見たいです」
「…」
「お願いします。邪魔はしませんから」

頑張って食い下がると、薫さんは腕を組んで深々とため息を吐いた。
折れてくれたときの仕草だ…!
嬉しくなって、ぱっと顔を上げる。

「…長居はしないように」
「は、はい…!」
「それから、帰りに薬局に寄っていくが、構わないか」
「勿論です!」

よかった!
許可をもらって、薫さんについてオレも輝さんの様子を見に行くことにした。
…って、考えたら別にオレもメンバーなんだし、薫さんの許可がなくてもいいような気がするにはするんだけどね。


お大事に




薬局に寄って、当たり前みたいに額に貼るシートとかスポーツドリンクとかを買いに向かったオレがふと気づくと薫さんがいなくて、探してみたらカウンターの人と話して直接何かを購入したみたいだ。
お店の人に渡された袋は、見るからに処方薬みたいな包みに入っている。
…あれかな。
この薬局では薬剤師さんが近くの病院の薬を処方しているみたいだし、免許を持っていれば直接売ってくれたりする薬品とかがあるのかも。
ぽけっと薫さんの様子を見ていると、オレの視線に気づいた薫さんがこっちに歩いてきた。

「柏木、そちらはどうだ」
「あ、はいっ。えっと…大体、普通の風邪に必要なものは揃えたつもりです」
「そうか。では行こう」

薬局を出る。
最近、とても寒くなってきたし日が落ちるのもとても早い。
事務所を出た時からもう辺りは暗かったけど、もう真っ暗だ。
冬の空は空気が澄んでいるからオレは嫌いじゃないんだけど、やっぱり苦手な人もいるんだろうな。
…そういえば、薫さんはいつもマフラーするのが早い気がする。
寒いの苦手なのかもしれないな。
並んで、輝さんの家があるマンションまで歩く。

「輝さん、悪くないといいですね」
「帰らせた時はうるさかったが、あの時は午前中だったからな。傍目に見て顔色も悪かったのだからあの後熱は上昇するはずだ。今頃魘されて潰れているだろう」
「え…っ。そ、そうなんですか?」
「そういう症状のウイルスなのだから仕方ない。帰らせる前に熱を散らせる薬は持たせた。飲んでいれば、少しはマシなはずだ」
「はあ…」

さすが薫さん。
オレは病気とか怪我に全然詳しくないから、熱が出ると大変だ!って慌てちゃうけど……そうか、そういう症状が出る病気だからってしっかり予想範囲内なんだな。
落ち着いてるなあ、薫さんにしてみれば普通のことなんだな……なんて思っていたけど…。

「…ん?」

てくてく歩いていると、微妙に薫さんと距離ができた。
いつの間にか、オレの数歩前を薫さんが先行している形になっている。
…あれ?
さっき隣にいたのに。
それに、いつも歩く速度はオレの方がちょっと速いくらいで…。

「…」

あ…と思って、オレも歩幅を広く早くして、かつかつと颯爽と夜風を切るように堂々と歩く薫さんの速度に合わせる。
つんとした横顔もいつも通りだけど…。

「…。輝さん、心配ですね」
「心配したところで何もならないだろう。するべきことを患者当人がするだけだ」

声もいつも通り。
思わず笑っちゃうところだったけど、今オレが笑ったら薫さんは自分の行動に気づいて絶対止めてしまうんだろうな。
自覚がないならないでもいいから、今はこの人の邪魔をしちゃいけないな、と思った。

「でも、薫さんがいてくれてよかったです。輝さんも、きっとそう思ってますよ」
「僕は天道自体を気にしているわけじゃない。メンバーが欠けると今日のようにスケジュールに支障が出るだろう。迷惑だ。君もそうだろう?」
「確かにスケジュールは動いてしまいますけど…。オレはやっぱり輝さんの体調も気になります」
「ふん…。肺炎さえ併合しなければ、あとは時間さえあれば回復はするだろう。大したことじゃない」

ぽつり…と薫さんが返してくれる。
肺炎にならなければ…って、しっかり心配してますよね、それ。
やっぱり思わず頬が緩んでしまう。
本当に損な人だなって思う。
あと、可愛い人だ。
にこにこ緩んでる顔がばれる前に、空を見上げた。
都内の空は少し狭い。
けど、何でだろう。
輝さんと薫さんといると、見えない星がとってもたくさんあるのが分かって、その光も見えるきがする。

 

 

 

マンションの入り口で輝さんの家のベルを押す。
エレベーターに乗っている途中、薫さんがオレの手にも消毒のスプレーみたいなものをしてくれた。
もらったマスクを口に当てて……て、大袈裟な気もしますけど…やらないよりはやる方がいいですよね、もちろん。
中に入れてもらってドアの鍵を開けてくれた輝さんは、パジャマ姿で見るからにぐったりしていた。
ぐったりというか、よろよろというか、ぼろっというか…。
寝ていたせいか髪も跳ねている。
いつも家にいてもぴしっとしてるのを知っているから、よっぽど辛いのだろう。
顔色が悪いのに頬は赤い。

「よう…」
「だ、大丈夫ですか、輝さん…!?」
「あー…ちょっとだけしんどいが、大丈夫だ…。お前らこそ大丈夫だったか? 悪いな。仕事に穴空けちまって…情けねえぜ…」
「そんなのいいですよ。治ったら埋めていきましょう?」
「ああ…。迷惑かけたけど、帰ってよかったかもしんねーわ。あの後、すっげぇ頭痛くなってきて…。寒ぃのに何故か熱は上がってくし関節は軋むし咳も酷ぇし鼻がつまるし幻覚は見るし…」
「天道、鍵を開けたのならもういい。ベッドに戻れ。大人しくしていろ」
「お、おまぇなぁ…」

ドアの傍でぐったりしている輝さんの横を素通りして、薫さんは持ってきた荷物をダイニングキッチンの一カ所に置いた。
オレは一端持っていた荷物を玄関脇へ置いて、輝さんに肩を貸して寝室へ向かう。

「薫さんと色々買ってきましたから、ゆっくりしてください」
「うう…。悪ぃ…。…ごほっ!げほっ!」
「ああっ、大丈夫ですか…!?」
「…」

急に咳き込む輝さんの背中を片腕で撫でる。
ちょうどリビングを歩いていたこともあって、荷物を袋から出していた薫さんがオレたちの方へやってきた。
もう片方を担いでくれるのかと思ったら、薫さんの手にはマスクが一枚あり、それを横から問答無用で輝さんの口につける。

「ウイルスを撒き散らすな。マスクくらいしろ。常識だろう」
「ぐ…」
「ささっ、行きましょう輝さんっ。休みましょうね!」

いつもの流れになりそうなので、早め早めに薫さんと距離を取ってもらう。
いつもならいいけど、さすがに今は止めた方がいいですよね。
口論なんて体に悪いに決まってる。うん。
まあ、もちろんどちらも本気じゃないのは分かってるんですけど。

「あいつ~…。心配さのカケラもねーよ」
「そんなわけないじゃないですか。薫さんとても心配してますよ」
「ホントかぁ~?」
「本当です。すぐ分かりますよ」

何とか輝さんをベッドに運び、座らせた。
肩を貸していて分かったけど、パジャマが汗で湿っている。

「汗拭いた方がいいですね。タオル持ってきます」
「ああ…。サンキュ、翼。…ん?」
「あ…」
「診察する。上着を脱げ」

寝室を出ようとしたオレと入れ違いに、薫さんが聴診器とちょっとした器具を持って入ってきた。
インフルエンザの検査のキットもそうだけど……いつも持ってるのかな、それ。
入ってきた薫さんを見て、輝さんが一度オレの方をちらりと見る。
ね?
…とアイコンタクトをすると、輝さんはくしゃりと笑って隣に座った薫さんへ向いた。

「はは…。桜庭がいると診察代がかからなくて助かるなー」
「薬は飲んだか?」
「おう。飲んだらだいぶ楽になった。お前にもらっといて良かったぜ」
「マスクを取れ。邪魔だ」
「…って、待てよオイ。お前がさっき――…」
「うるさい。さっさと口を開けろ」
「…」
「何をしている。早くしろ。時間の無駄だ」
「…こへへひーはーっ!?」

パジャマのボタンを外しながら、渋い顔で輝さんが薫さんに口を開ける。
…大丈夫そうだ。
ほっと一安心して、タオルと着替えを取りにバスルームへ向かった。

 

薫さんの診察が終わって、汗かいていた体を拭いて着替えると、輝さんは少しさっぱりしたらしい。
家に誰かがいるのといないのじゃ、活気が違うのかもしれない。
まだ熱は高いけど起きるというので、今は寝室を出てきた。
水分をたくさんとるように言われてさっきまで午後の取材がどうだったかの話をしながらスポーツドリンクを飲んでいたけど…。

「だーもー!違うって!それは後で入れるんだよ…!」
「うるさい奴だな!君は寝ていろと言っているだろう!」

今はキッチンの方だ。
ちょっと前からわいわい騒がしい。
額に冷却シートを貼って、パジャマの上から肩に室内セーターをひっかけている赤い顔の輝さんが、さっきから料理をしている薫さんにあれこれアドバイスしているみたいだ。
…というか、輝さんが知っているレシピの指示を出して薫さんが手になっているみたいで、目指すメニューは薬膳粥らしい。
おいしそう。
オレたちの分も作ってくれるということなので、ご相伴にあずかります。
輝さんのご飯は何でも美味しくて大好きだ。
作っているのが薫さんでも、薫さんも自炊はするって言っていたし、輝さんが見ているのならきっと大丈夫だろう。
…けど、お粥って聞いたから簡単そうかと思ったけどどうやらそうでもなさそうで、あれやこれや見知らぬ調味料名が飛び交っている気がする。
輝さん、本当になんでもご飯美味しいからなぁ…。
輝さんの"ちょっと作るもの"のレベルがそもそも高いから、オレや薫さんじゃ難しかったりして…。
気になって、ひょいと首を伸ばしてそっちを見てみる。

「大丈夫ですかー? 何か手伝いますか?」
「ああ、いや…今は他は平気だ。…おい、桜庭。ちょっと貸……っげっほ!ごほっ!」
「っ…。咳をする時はハンカチで押さえろ!…というかマスクをしろ!いつの間に外してるんだ君はっ」
「悪ぃ。…うあぁ~…。やばい。なんかしんどくなってきた…。動きすぎたかな。熱上がってきた気がする…」
「…」
「…お?」

輝さんがそう言うと、すぐに薫さんは輝さんの手を取った。
片手の腕時計を見ながら輝さんの手首を軽く握って、じっとしている。

「…? 何だ。…あ、脈? …え? 脈で熱って分かるのか?」
「…」
「ガン無視だぜ、翼…。どうよ?」
「測ってるんですから」

呆れたような顔でオレの方を見る輝さんに笑いかける。
一分くらいそうしていたかと思うと、ぱっと薫さんが手を離した。

「…上がっているな」
「ん? うおっ…!」
「気分は? 悪いのか?」

そのままごく自然に片手の甲を輝さんの首筋にぴたりと添える。
…。
…何だろう。この今の幸福感は。
二人が親しくしてくれていると、オレすごく嬉しいな。
思わずほほえましい気持ちで傍観を決める。

「え、いや…。別に吐き気とかはねーけど…」
「眠れないのなら、せめて座っていろ。…柏木、頼む」
「はーい」

名前を呼ばれて、輝さんを迎えに行く。
キッチンの入り口までやってくると、輝さんは微妙な顔で、まるでご両親が迎えにきたけどまだ遊び足りないから帰りたくない子って感じだ。

「さ、輝さん。ソファの方行きましょう。今は先生の言うとおり座っていた方がいいですよ」
「先生って…」

ちら…と輝さんが薫さんを見る。
両手を洗ってから再びお玉を片手に持った薫さんが、ぴっと視線でリビングを示す。

「行け」
「…っ」

まるで"ハウス"と言われた犬がそうするように、輝さんはのそのそとオレがさっきまで座っていたリビングのソファへ腰を下ろした。
いつもその場所に座るのか、一人掛けのソファに体を沈めると、はあ…と一息つく輝さんの斜め隣のソファへ、オレも腰掛ける。
輝さんが、小声でぼそりとオレに尋ねた。

「…おい、翼。何かあいつ今日いつもの倍くらい俺様じゃねえか? 人が弱ってると思って…」
「それだけ輝さんを心配していて、早く治って欲しいんですよ。どうでもよかったら、怒ったり注意なんてしないでしょう?」
「まあ、そりゃ…。そーかもしんねーけどさ…」
「安静にしていましょう。折角オレや薫さんがいるんですから、いるうちは甘えてください。オレも薫さんも、輝さんがいないと寂しいです。早く治ってもらわないと」

輝さんへは、普通の人より障害なく言葉が伝わってくれる。
何にも包まずストレートに言うと、ぐ…と眉が寄った。
やがて、もう一度ため息を吐いて、ぼふっと頭もソファに預けて天井を見る。

「…悪ぃ。心配してくれてサンキュ。…そっか。お前もあいつも、心配してくれてんだな」
「そうですよ。病気の間は、薫さんの言うこと聞いてくださいね」
「ははっ。…だな!」
「…病気になってもそのうるささは治まらないようだな」
「おっ。サンキュー」

オレと輝さんが話していると、一人前の土鍋を乗せたトレイを持って薫さんがやってきた。
お粥ができたみたいだ。
ああ…。美味しそうな香りにお腹が減ってくる。
確かに、普通のお粥にはない香りが入っているけど、これは絶対美味しい匂いだ。
でも、一人前…?
オレたちの分…。
ぐー…と鳴りそうなお腹に力を入れて、必死に耐えてみた。
両手の指を合わせて、おそるおそる聞いてみる。

「あの、薫さん…。オレたちの分は…?」
「心配するな。別にある。具を少し分けたんだ」
「俺はみんなで鍋にしちまえばいいっつったのに、消化に悪いとかいって、いくつか具をよけられちまったんだよ。ちょっと風味が変わってるんだが、上手いんだぜ、これ。ショウガとかな。チャイブが入ってるのがミソなんだなー」
「よかった…!とってもいい匂いなので、オレもお腹空いてきました」
「待っていろ。すぐ持ってくる」
「あっ、オレ運びますよ…!」

長居はしないようにって言われていたのに、結局夕飯も輝さんちで一緒に食べてしまった。
けど、やっぱり…特に食事は、誰かがいた方が進むものだと思う。
結局輝さんは一人前の三分の一くらいしか食べられなかったけど、食欲あって食べられる分だけ食べられればそれで十分だ。
オレたちが来た時と比べると、輝さんは今の方が気力が上がってきている気がするし…。
たまにある時みたいに、三人で輝さんちでご飯を食べて、後片付けまでしっかりして、薫さんが色々と薬を処方して、帰る準備をしてから輝さんが寝室に横になるのを見届ける。
輝さんちはオートロックだから、出て行く時は鍵を開けてもらわなくても大丈夫ですからね。

「それじゃ、輝さん。そろそろオレたち帰ります」
「ああ。マジでありがとうな、二人とも。お陰で随分楽になったぜ。お前らの顔みたら気分も良くなってきたしな」
「えへへ。お互い様ですね」
「安静にしていろ。また明日様子を見に来る」
「…っと。桜庭!」

ベッドから離れようとした薫さんの手首を、ぱしっと横になったまま輝さんが引き留めた。

「ホントありがとな!診てもらえて助かったわ」
「…。スケジュールに空けた穴は大きいぞ。自覚しろ」

ものすごく…本当にものすごく鬱陶しそうに、薫さんが輝さんの手を引きはがす。
…ああ。
またそういうことを…。
ぷいと背を向けて用は済んだとばかりに寝室を出てしまう薫さんに、案の定、輝さんは少し眉を寄せた。

「へいへい。…くっそ、キビシーな」
「あ、じゃ、じゃあ…。オレも行きますね、輝さん。仕事のことは後で心配するとして、まずは治してください」
「おう。サンキュー、翼。じゃあな。気をつけて帰れよ……って、あいつにも言っといてくれ」
「はい。おやすみなさい」

輝さんに手を振って、オレも寝室を出た。
そのまま玄関まで行っても薫さんの姿はもうない。
ドアを開けて外に出てもいなくて、まさか先に帰っちゃったのかと思ったら、エレベーターホールにぽつんと立っていた。

「あ、薫さん…!」
「…」

オレが来たのを見ると、ボタンを押す。
ウィーン…と夜のマンションにエレベーターが動く音がし始める。
…。
ご機嫌斜め…ですかね。
探り探り声をかけてみることにする。

「…輝さん、思ったより体調悪くはありませんでしたね。食欲もあったし。…最初来た時はぐったりしてましたけど、気晴らしになったみたいで。よかったです」
「…そうだな」

ぽつ…と冷めた返事があるだけで、顎をマフラーに埋めたまま薫さんは微動だにしない。
不思議に思って少しそちらを見てみると、少し赤い耳に気づけた。
…。
…うわあ。
胸がぎゅっと締め付けられる。
黙ってまた正面のエレベーターを向いて、我がごとのようにぐっと右手を拳にした。
…あんなこと言うつもりも、あんなに面倒くさそうに手を払うつもりも、なかったんですよね…!
分かります。オレ、分かりますよ…っ。
オレもたまにあるけど、思っていることや感じていることと全く違う行動を咄嗟にとってしまったりってこと、時々ありますもんね。
たぶん、薫さんは輝さんに対してそれが多くなってしまうんだ。
そして、それは不本意なんですよね。
…けど、薫さんにオレがそれを伝えるのが"違う"のは分かる。
輝さんみたいに、真っ直ぐ色々が届いてくれる人ではないし、壁もものすごく高い。
だから勘違いもされやすいけど……それは、大切なものは、内へ内へと大事に包んで守っていく人だからだ。

「…。薫さん」

名前を呼んでみる。
ちらり…と薫さんはオレへ視線を向けた。

「何だ」
「輝さん、思ったより悪化していなくてよかったですね。薫さんの薬のお陰ですよ。気をつけて帰ってくださいねって、輝さんが」
「…」
「明日も、オレまたお見舞いに着いてきていいですか? やっぱり気になりますし、荷物持ちくらいはできますから」

本当はお二人にした方がいいのかもしれない。
その方がとも思ったけど…。
…きっと、薫さんと輝さんには、まだ、オレがいた方がいいんじゃないかな。
今はまだ。
ふい…と薫さんが視線を外す。
「移っても知らないからな」という言葉に、今度こそ思わず小さく笑ってしまった。

「オレのことも心配してくれて、ありがとうございます」
「…」

薫さんが眉を寄せると同時に、エレベーターが来た。
ボタンを押さえて薫さんに先に入ってもらう。
内側のボタンは、デザインちっくでちょっと変わっていて左側についている。
…オレも薫さんも、輝さんのマンションへはすっかり来慣れた。
それがほんわか嬉しい。

明日はリンゴを買ってこようかな。
それとも、ミカンとか…。
これから数日は仕事上がりに三人で一緒にいられると思うと、それはそれでとても嬉しい気がした。



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ドラマチックスターズのお三方。
輝薫も王道ですが翼薫さんもいいですよね。
略奪愛も浮気もそれはそれで可。
2016.12.13





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