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「やあやあやあ、冬馬くーん!」

店を出ようとしたところを、名前を呼ばれて振り返る。
すっかりできあがって赤い顔になっているし、声も上擦っていて一瞬誰の声か分からなかったが、監督がわざわざさっきまで宴会してた部屋を抜けて出てきたようだった。
西洋風の洒落てる居酒屋。
ドラマ撮影のクランクアップで、さっきまで打ち上げまっただ中。
大人にとっちゃこっからが本番なんだろうが、俺や翔太やら未成年は九時を境に撤収させてもらうのがいつものことだ。
正直ありがたい。
特に、翔太なんか飽き始めてたっぽいしな。
関係者やスタッフに頭下げて、ベースにしてるホテルで今夜一泊したら明日は都内に戻る予定だ。
さっき挨拶したばっかの監督が千鳥足で追ってくるんで、慌てて振り返る。

「大丈夫っすか? ホテルに戻るなら、俺らと一緒に乗って行きますか」
「ああぁ、いいいい!おっさんたちはまだ飲むからね~。いや~、ありがとう!今回はJupiterに出演頼んで正解だったよ!アイドルくんって言っちゃぁ、中にはどーにも俳優に向かない子もいるからさ~、最初は心配してたのよ~。けどねえ、キミらはしっかりしてんね~!」

酔っ払った監督が、俺の肩を組んでばしばし叩く。
…相当酔っ払ってんな。
大丈夫か?
けど、例えふらふらでも今の言葉が熱く胸に響く。
俺だけじゃなく、今表に先に出てった北斗や翔太も褒められたってのが、やっぱグッとくる。

「ありがとうございます。また宜しくお願いします!」
「うん、うんっ。…ところでねえ」

ぐっと引き寄せられ、小声で監督がぼそぼそ尋ねる。

「冬馬くん、もしかしてあんまり経験なかった?」
「は? …あ、いや。ドラマは何回か――」
「じゃーなくてえ、チューの話。ほらぁ、今回は結局キスシーンは取りやめたけど、な~んかニガテっぽかったからさあ~。次に何か頼みたい時があっても、そーゆ~のはニガテなんかなぁと思ってねえ~」
「い、いやっ…!そんなことねーっすよ!?」

ギクッとしながらも、咄嗟に否定しておく。
せっかく、俺らの仕事認めてもらって次に繋がる可能性が見えてんのに、拒否るとかありえねえだろ!
ぐっと拳を握って否定して、瞬間的にすっげえ色々考え、結果…。

「た、ただ…。ただ、っすね、えっと…。相手役の奴、俺と同じくらいだったじゃないっすか。その…そっちに悪ぃなとか思っちまって、一度気にしたらハマったっつーか…」
「あああ~。そっちねえ~!女の子の方気にしちゃったのか~。…いやーっ、そうかそうか!仕事とはいえ、君らの年齢じゃあやっぱり気になるよねえ~? けど、あっちは天下の冬馬くんとキスできるなんて、ラッキーとか思ってたかもしれないよ~? エリちゃんの方が残念がってたりしてねえ!あっははははは!」

何とか捻り出した理由を告げると、監督は想像以上に納得したらしい。
一人納得してびしびし俺の肩を叩いて、ようやく離れてくれた。
にこにこしながら、右手を差し出してくれる。

「それじゃあ、またお仕事できるの楽しみにしてるからねえ。またねえ~!」
「…! 宜しくお願いします!ありがとうございました!!」

ぎゅっとそれを握って、強く握手する。
監督がまた奥へ行くのを見送ってから、くるっと回れ右して俺も意気揚々と歩を進めた。
よっしゃあ!!
よかった!
一時は正直どうなることかと思ったが、監督は俺らの仕事に満足してくれたらしい。
…となれば、次はオンエアの時のファンの反応だぜ!
いつも俺らのこと応援してくれてるそいつらが、楽しんでくれねーとな!

「…♪」

意気揚々と、ガラッ…!と遅れて店の玄関を開ける。
――と。

「…!」

目の前に広がってる駐車場の車に既に乗ってるかと思っていた北斗と翔太が、丁度俺が出てきたドアの右と左のところに寄りかかるように立っていて、思わず青筋立てて足を止めた…。
…。
ぎろ…と横を見れば、翔太が頭の後ろで手を組んでにまにまと笑ってやがった。

「へ~え? 冬馬君、自分が恥ずかしくてできないんじゃなくて、エリおねーちゃんのキスの心配してたんだ~? 初耳だなー?」
「まあまあ。そういうことにしといてあげよう、翔太。監督もそれで納得してくれたんだ。…うん。流石に大人だ」
「うるっせえな!!どーでもいいだろ!? お前ら何盗み聞きしてんだよ!とっとと乗れ!」
「いてっ」
「悪い悪い。なかなか出てこないから、どうしたのかと思ってさ」

二人の頭を順に叩いて、駐車場で待ってくれてるタクシーに向かう。
歩きながら、思いっきり背伸びをした。
明日からはまた事務所に戻れるぜ。
泊まりがけの仕事ってのは色々勉強になるが、やっぱ家と事務所が一番だよな!

 

 

 

 

 

「でもさぁ、ホントのところ冬馬君ってどの程度まで経験あるの?」
「…あ?」

ホテルの部屋に戻って来てから、翔太が蒸し返す。
ごろりと寝転がってるそこは俺のベッドだからな?
撮影終了ということで、俺らは俺ら三人でホテルに戻ってからジュースで軽く乾杯していた。
三人という人数は宿やホテルを利用する時は切りが悪くて、いつも一人部屋と二人部屋で分かれることが殆どだ。
大体「一人部屋がいい」と言い出すのは翔太だし、俺も北斗も基本的には譲る。
寝られりゃどうでもいいしな。
だが、向かった部屋が元々ツインならいいが、一人部屋用で狭かったりすると、こうして俺らの方へやってきては真夜中まで入り浸っていく。
何なら寝てしまうこともあるし、そういう場合は俺か北斗が翔太のポケットからキーをぶんどってもう一方の部屋へ行くとう流れができあがっていたりする。
…なので、追い出すまではいかねえが、それにしたってうるせえ。
冷蔵庫からボトルを取り出して戻ってきて、ベッドの片方に座りながら舌打ちした。

「どーでもいいだろ。うるせえな…ったく」
「だって気になるんだもん。北斗君はもう聞くまでもないもんね?」
「聞いてくれても構わないけど、翔太にはまだ少し刺激的過ぎるかもしれないな」

窓際にある一人がけ用のソファに座っている北斗が、軽く両手を開いてウインクしてみせる。
コイツは…。
半眼で北斗を見る。

「…お前はいつか刺されるからな」
「そんなことはないさ。オレはエンジェルちゃんたちに広く愛を届けているんだよ」
「つーかな、そう言ってる翔太がどうなんだよ? ねえだろ、どーせ」
「僕? …んー。キスくらいならあるけど」
「ぶっ…!?」

翔太の発言に、口をつけたミネラルウォーターが変なところに入った。
げほごほ咳き込む俺の背中に視線が刺さる。

「大丈夫か、冬馬」
「変なとこ入っちゃった?」
「な、何でもねえ…!」

片手の甲で口から少し垂れた水を拭う。
翔太、マジか…。
き、キス、とか…!

「は…、早すぎだろ!」
「そんなことないよ。それだって、告られた時に断ったら、諦めるからそれだけって言われてしたやつだし」
「そっ…!」
「ああ。それはノーカンだな」
「でしょ?」

翔太の言葉に驚いたが、北斗が奥からぽんと言うから更に驚いちまった。
告白されて断った?
す、すげえ…。
…いや、それはいい。それはいいが、「じゃあ諦めるから」って何だ??
全然意味分かんねえ。
しかも、それだってカウント1だろ。
え、だって実際しちまう…ってことだよな…?

「の…、え? それノーカンじゃなくね?」
「「ノーカンだよ」」

北斗と翔太に同時に言われると流石に揺らいでくる。
そ、そうなのか…?
それノーカンとかって…ありなのか?
ボトルをサイドテーブルに置いて、まじまじと後ろでごろ寝している翔太を見下ろす。

「お前…。こ、告白?…とか、されんだな…」
「そーだよ。けっこー面倒くさいんだから。あんまり知らない子からされても困っちゃうよ。冬馬君はないの?」
「あ、あるわけねえだろっ!」
「ええ~? …あー。冬馬君一見クールに見えるし口悪いから、辛辣に振りそうだもんね」
「エンジェルちゃんたちが一対一で挑もうとするにはなかなかハードル高いんだろう。まさか未だかつて彼女がいないとは思われてないだろうからな」
「確かにね~。それに、黒ちゃんのガードがガチガチだもんね、僕たち。北斗君はもう個性だけど、僕と冬馬君はおねーさんたちの影がない方がいいんだと思うな。けど、冬馬君なんかは中身知ってると随分違うのにねー」
「は…っ。俺はお前らと違って浮ついたことやってるヒマなんかねえんだよ」
「だから、僕は浮ついてないってば。ふわふわしてるのは北斗君」
「ああ…。一緒にされちゃ堪んねーか。…北斗。お前、たまに朝から香水くさい時あるからな。あれマジで止めろよ」
「気をつけるよ。シャワーは浴びて行ってるんだけどなあ」
「女の人のボディソープとかってすんごく甘い匂いするよね。僕んちもそーだよ。それなんじゃないの?」
「エンジェルちゃんの香りはそれだけで甘いものだよ。…けど、うーん…。どっちかというと、出る時にキスするからその時に移るのかもしれないな」
「…」

開けっぴろげな北斗の言葉にげんなりする。
馬鹿じゃねーの?
最初はただの女好きかと思ってたが、付き合っていくうちに何かこう…昔、手を怪我してピアニスト諦めた時(モデルやってたのもそうらしいが…)アレコレやけくそになっちまってた時期に女に逃げることを知っちまったってのが、今の根本なんだろうが…。
もう立ち直ったとか言ってるくせに、そこだけはずっと引きずってるよな。
意外だが、元々博愛主義っつーか何つーか…まあ、そんな感じらしいから何だが、片っ端から女に必定以上に優しくすんのはまた何か色々違うだろ。
立ち直ったんなら立ち直ったで、とっととその悪癖直しゃいいのに。
もう俺と翔太がいて、「Jupiter」ってのがあるだろって話だ。
…それとも、まだ俺たちは完全に北斗の居場所にはなれてねーのか?
そういう可能性もあるよな…。
手を傷めちまった北斗以外は相変わらず一家総出でクラシック一色の家らしいし…。
そういや、いつだったか俺んち遅くまでいた時、早く帰れ!と蹴っ飛ばしたら、あんま家にいんの自体好きじゃねーとか、前ちらっと言ってたよーな気がしなくも…。

「…」
「…? 何?」

何となく北斗を見ていると、北斗が俺に気づいて読んでいたドラマの台本から顔を上げた。
「別に」と言おうとして、後ろで寝ていた翔太が腕を伸ばして俺の腰両手で掴むと、ぐいーっとそこを支点に体を引きよせてくる。

「冬馬君は、北斗君がおねーさんたちに逃げてるのかもって思ってるんだよね? …でもさ、冬馬君。北斗君、彼女はいないんだよ。一応フリーなんだから、合意の上なら、特別悪いことじゃないよ。目くじら立てる程のことじゃないと思うな」
「はあ? それもっと悪ぃだろ。あっちこっち手ぇ出してるってことだろ?」
「本命がいるんだよ。きっと」
「本命?」

女とっかえひっかえの北斗に?
初耳だ。
…つーか、仮に恋人じゃねえとしても彼女っぽいのがいて、そいつとちょっと距離が離れたからって、次の彼女っぽいのができるまでが二日ととか三日後とか、その短期間が意味分かんねえから。
そんなんで本命がいるとか言われても信用できねーだろ。
翔太から視線をはずして北斗を見る。
目が合うと、両手を開いて肩をすくめてみせた。
…特定の誰かと付き合ってねえからあれこれ手を出していいけど、本命がいる??
…。
北斗が悪い奴じゃねえのは俺らが一番知ってるから、よく取ろうと思ってみたが…。

「…いや、それ尚のこと悪くねえか?」

本命いるんなら、それこそふらふらしてんじゃねーよ。
とっとと当たって砕けてきやがれ。

「つーか、お前がそんな躊躇うのとか珍しいな。いつも自信満々のくせに。遠いとこにいんのか?」

俺の疑問に小さく笑うと、北斗は足を組んで持っていた台本を少し持ち上げた。

「さあ。どうだろうね?」
「ふーん…。まあ、どうでもいいけどな。けどお前の場合、それくらいの奴で丁度いいじゃねーか。せいぜい振り回されてろ」

エンジェルちゃんだの何だの、北斗は本気らしいが端で見てる俺からすりゃ軽すぎる。
ワガママ女に振り回されるくらいで丁度いい気がするしな。
吐き捨ててボトルの水を飲んでる途中、変な含み笑いで翔太も自分の腕の中でくすくす笑ってやがる。
だけど、そんな俺たちの態度なんて全く気にせず、北斗はさらりと肩をすくめた。

「まあな。確かに丁度いいかもしれないな。…けど、人のこと心配してる場合かな、冬馬は。今度のドラマのキスシーン」
「…!」
「演出変更になったから今回は良かったものの…。またいつ次のキスシーンが来るか分からないぞ? オレや翔太は経験あるからいいけど…」
「だから…!何でねえって勝手に決めつけんだよっ!」
「「ないでしょ、どうせ」」

現場にいた時と同じやりとりをここでもするか!
単発の学園ドラマの仕事が入って、俺たちJupiter全員が出演するってそこそこ注目してもらえてるんだが、最初はそこに俺のキスシーンがあった。
途中で演出が変わって結果キスしなくてもいいことになったんだが…。
監督は、他の理由があって演出変えただけって言ってくれてたが、それだけじゃないにしても、俺がリテイク何度も出しちまったのが原因の一つであることは確実だと思う。
苛っとしている俺の顔を見て、翔太が両腕を頭の後ろで組んでのほほんと他人事で言う。

「んー。実際に仕事に差し障りが出ちゃうと、ちょっと経験が必要になってきちゃうよねー。僕はまだ年齢的に平気だけど、きっとあと二年三年したら、やっぱり求められるんだろうな。冬馬君じゃないけどさ、経験ないと困るのかもね~」
「協力してくれそうな女性を何人か紹介してやろうか、冬馬?」
「いぃぃいいるかっ!しかも何だ"何人か"って!!」

続けて言ってくる北斗の言葉にも腹が立つ。
ほんっっっと、コイツの恋愛観とは心底合わねえ!
俺の後ろでむくりと身を起こした翔太が、また勝手に人の枕を掴んで両腕で抱く。
そのまま、ぱちっとした目で俺の方を見る。

「ちゅーの練習でもする?」
「…誰と?」
「僕と?」
「絶っっっ対ェしねえ」
「女の子とはできないくせに。見つめ合うってシーンだけで顔真っ赤で汗だらだらだったもんねー。視線負けしちゃうしー」
「負けてねえ!」
「じゃ、えっちな動画でも一緒に見てみる?」

俺の肩越しに視線を投げ、翔太が離れた北斗の方を見て言った。
顎に片手を添えて少し考え、北斗が不意に携帯片手に立ち上がる。

「んー…。そうだな。やってみるか」
「はあっ!?」
「お~。鑑賞か~い!」
「オレも殆ど見たことないんだけどね」
「あー。北斗君には必要ないかー。色男は次元が違うね~」

唐突な翔太の提案に北斗が乗ってしまい、声が上擦ってギクッと肩が跳ねた。
隣で翔太が脳天気に万歳しやがり、枕が飛んでぼとっと俺の傍に落ちる。
…え?
え、マジで言ってんのか??
妙に嬉しそうな翔太と携帯弄りながら近づいてくる北斗を交互に見比べ、手持ちぶさたに無意識で翔太が持っていた枕を片手で掴んだ。

「僕、姉弟ってねーさんたちだけだし学校の友達とかとあんまりつるまないし、鑑賞会って初めてなんだ~」
「な、何で嬉しそうなんだよ!? いやっ、ちょ…待て北斗!早まるな!!」
「何事も経験だろ? 大丈夫。別に画面のエンジェルちゃんがお前を襲ってくるわけじゃない。選ぶからちょっと待って」
「…!」

北斗が隣に座るんで、大袈裟に体が跳ねた。
じり…と反対側にずれる俺とは対照的に、翔太が北斗の両肩に手を置いて背中から携帯を覗き込む。

「冬馬がいるんじゃ、王道で甘めの方がいいだろうな。ドラマの延長ってことにして、ストーリーがある方が見やすいだろうし…。そうだな…」
「冬馬君、普通のドラマでちらっとベッドシーンあるだけで逃げるもんね。…おお。わー。女の人向けなの?このサイト。へえ~、そんなのあるんだ? すごーい」
「そうだな…。このあたりがソフトで見やすいんじゃないかな」
「……」
「ねえ、冬馬君。どーゆーの見――…って、何でそんな逃げてんの?」

くるっとこっちを向いた翔太にドキッとして背筋が伸びる。
じりじり空けていた距離がバレて焦る。
間にもう二人くらい座れる距離の向こうを、ぎっと睨みつけた。

「に、逃げてねえよ…!」
「すんごく逃げてるじゃん。何にも見てないのにもう顔赤いし」
「あ、赤くねえっ!」
「真っ赤だよ」
「冬馬…。そんなんじゃいつまで経っても演技も上達しないだろ? 今はキスシーンは実際にやることが多いんだ。そりゃあ、本当ならこういうのは個人ペースがあるが、必要なタイミングに経験が追いつかないんだったらフォローくらいしないと」
「ぐっ…」
「本当なら誰か好きな人がいて経験してしまった方が近道だと思うけど、それが苦手だっていうのなら見て雰囲気くらい学んでおいた方がいいんじゃないか?」

た、確かに…。
それはそうなんだが…。
監督にも、最初はマジで軽ーく「いつもしてる感じで」キスしろ、とか言われたが……だから、「いつもしてる感じ」って何なんだよ!
そんっなに他の奴らって誰かとベタベタしてるのか?
見たことねえぞ、そんなの。
けど、たぶん要するに、外側から見て、もう俺にはその辺の技術があるんだろうと思われてる…って、ことだよな…。
期待されてることに応えられねえってのは…。
…。
すぐに返事できなくて二人のこと見ながら黙って色々考えていると、やがて翔太が北斗の背中にくっついたまま半眼でため息を吐いた。

「ありゃりゃ…。冬馬君、きゅーんって感じになっちゃってる」
「は? な、何だそりゃ。なってねーし!」
「確かに。耳があったら伏せてる感じだな。…そんなに嫌か? 見るだけでも?」
「いっ…」

困ったような顔の北斗に問われて、あーだこーだ言おうとしていた口が思わず閉じた。
…た、確かに、必要なのは分かってんだ。
実際、ああやって周りに迷惑かけて、リテイク何度も出しちまうなんて最悪だ。
挙げ句演出変わったし。
だが、でも…っ。
だらだらと冷や汗かきながら、いつの間にかさっきの翔太みたいに膝の上で持ってた枕の端っこを力任せに掴みながら言い返す。

「…っ。い、今じゃ、なくても……いいだろ…」
「…」
「…」

ちら…と北斗と翔太が目配せした。
それから、二人してふう…と諦れたように肩を落とす。
何だその反応!腹立つな!

「ま、いーけどね。困るのは冬馬君だし~」
「慣れてない感じも、冬馬らしいといえばらしくてオレは好きだけどね。実際、演出変わってキス避けて恥ずかしがるところは監督やスタッフには好評だったわけだし」
「一発OKだったよね、そっちは」
「そ、そうだろ…!?」
「あ、耳立った」

ぐっと拳を握って主張する。
ホントは威張れることじゃねえけど、確かに演出変えてもらったやつは一発OKだったんだ!
携帯をサイドテーブルに置いてくれた北斗が、また足を組んで何かを考えるように顎に片手を添える。

「けどなぁ…。女性に全く免疫がないっていうのはギリ強みだとしても、下ネタが一切ダメっていうのも、正直扱いづらいんだと思うぞ?」
「う…」
「うんうん。面倒くさい時あるよ、冬馬君。ステージだと集中しちゃってるから聞こえないんだろうけど、よく聞くとファンのおねーさんたち、『きゃー!とーまー、だいて~!!』とか、普通に言ってるからね?」
「はっ!? だっ――!?」
「言ってるな。心配はないよ、冬馬。冬馬が聞こえなくても、オレが代わりにエンジェルちゃんたちに投げキスして安心させてあげてるからね」
「僕もー。おねーさんたちにウインク返してるよ~!冬馬君に無視されたままじゃ、可哀想だもん」
「…」

北斗が投げキスを実践する横で、翔太も片腕あげて主張する。
あまりのショックに開いた口が塞がらない。
…え、そんなの俺今まで聞いたことねえぞ?
まさか、本当にそんなこと言われてたのか??
ショックがでかい。顔が熱くなってくる。
き、気づかなくてよかった…。
歌ってる最中にそんなこと言われちまったら、集中力がぶつ切りになりそうじゃねーか。

「逞しい声で『しょーたーん!』もあるけどな?」
「野太い声の『うおー!北斗様―!』もあるよね~」
「男性だって、オレの大切なエンジェルくんさ」
「僕だってそうだけど、"たん"呼びするようなおにーさんよりも、普通に呼んでくれるおにーさんの方がいいなー。…って、まあ、そんなわけで」

北斗の背中から離れてベッドに腰を下ろした翔太が、枕持って呆然としている俺に人差し指を立てる。

「僕が言うのもなんだけど、ガチな話、すこーしずつ慣れてった方がいいと思うよ? 前に途中まで一緒にやった恋愛ゲームはやった?」
「……やってない」
「ほらー。も~。全然ダメじゃん。あんなつくりものの女の子も苦手でどうするのさ。そーやって自分で切っ掛け潰して歩いてるんだから。努力が見えないんだよね~、冬馬君の場合さー」
「ぐ…」

翔太のくせに、正論言いやがる…。
咄嗟の反論ができなくて一瞬詰まるが、言い負かされっぱなしは我慢できねえ。

「い、いや、でもよ…!慣れっつったって、どうやって…」
「いきなり女性で抵抗があるなら、まず同性で慣れてみたらどうだ? オレが触ってやろうか?」
「…………は?」
「あー。知ってる、それ。"かきあい"ってやつでしょ? 僕それもやったことないや」

…?
触――?
片手を軽く上げていつもの顔してる北斗の言ってることが分からずに疑問符が浮かびまくる。
横で翔太もホント普通だし……え、俺がおかしいのか? そんなことないよな??
再びハーイ、と片腕上げる翔太を見て、北斗が妙に神妙に目を伏せる。

「ああ、そうか…。考えたら、二人ともそこまで学校の友達と一緒にいる時間があるわけじゃないもんな…。冬馬は一人っ子でお父様は単身赴任だし、翔太も美しいお姉様方ばかりで年上の男兄弟がいないのか。そう考えると、やっぱりオレが人生の先輩として手取り足取り教えてや――」
「ちちちち近づいてくんなっ!!」

動揺してる間に、喋りながらさらーっと北斗が距離を縮めて俺の片手を下からすくい上げるように取っててぎょっとする。
むぎゅっと反対の手で北斗の顔面鷲掴んで、ぴんと腕を伸ばし拒否する。
拒否だ、拒否!
絶っ対ェ、拒否!!

「俺はいいっ!翔太にやってやれ!」
「オレはモデルはどちらでもいいけど…」

ぐぐぐ…っと俺に押しやられた北斗が、俺の手をはずしながら翔太の方を見る。

「翔太、やってやろうか?」
「えー? う~ん…。冬馬君先でいいかな~」
「先でいいってなんだよ!やんねえよ!!」
「まあ、冬馬の方が年上だしな。…別に何も怖がるようなことないだろう。痛いわけじゃなし、任せてみろよ」
「嫌だ!!」
「冬馬…。オレ相手にそんなに動揺して、本当にこの先どうするんだ?」
「どうもし…――オイ!指舐めんなっ!」

顔から外された手首を掴まれ、手の甲に女相手みたいに口つけられたかと思ったらそのまま指の先を舐められてビックリする。
馬鹿じゃねえの!?

「汚ぇな!!何ふざけてんだ!離っ…」

ばっ…!と片腕振るって北斗の手から逃れ、ティシャツの腹で拭こうとした直後――。

「どーんっ!!」
「どわっ!?」

不意に翔太が俺にダイブしてきた。
為す術もなく背中に倒れる。
ぼふっ!とベッドに仰向けに寝そべった俺の腹の上に、翔太が斜めに伏せて乗っかってた。
人のこと押し倒して置いて、のうのうとその場で頬杖をつく。

「おまっ――何すんだ!」
「んー? だって僕興味あるもん。そりゃ、やりかたは分かってるけどさ、北斗君の言うとおり、他に教えてもらえそうな人いないんだもん。他の人のって気にならない?」
「ならねえ!!なら勝手に教えてもらってろ!俺は風呂入――…って、ちょっと待て!オイ!北斗!?」

カチャ…と下半身から金属音がして驚く。
首だけ伸ばして何とか覗き込もうとしてもその部分が見えるわけじゃなかったが、北斗が俺のベルト解いて前寛げてんのが分かってぞっとした。
蹴りとばしてやろうと思ったが、いつの間にか北斗が片足で俺の両足上から押さえてるらしい。
慌てて目の前の翔太の肩を両手で掴む。

「お、お前…お前冗談止めろよ!? 何や……っつーか退けよ翔太!邪魔くせえなっ!」
「だって邪魔してるんだもん」
「邪魔すんな退け!!」
「やだ~」
「お前も何ふざけて……!!」

翔太をかまけている間に、穿いてたジーパンが腿まで下ろされる。
ざあ…っと血の気が引いた。
北斗の奴、本気か…!?
いよいよ冗談じゃなくなってきて、声が引きつって上擦る。

「ほ、北斗っ? 止めろ、分かった!冗談はもういい!!また後でそっち系も見とく!」
「実践に勝る経験はないと思うけどな。そんなに恥ずかしがらなくても、冬馬のくらい見たことあるし。…というより、逆に、どうしてそんなに構えるんだ?」
「だ、だってこれ……だってそーゆーんじゃねえだろ!ふ、風呂っ入ってねえし!!」
「ああ…。バスルームでやるか? 初めてだったらベッドがいいんじゃないか?」
「シチュエーションって大切だよね~。でもさ、お風呂だと全部脱がなきゃいけなくなるからハードル高いんじゃない? そっちがいいの?」
「違ぇよバカッ!」

そりゃ大浴場とか行く時は隠す方がなんだお前ってなるし、俺も気にしちゃいねえが…これ全然そーゆーのとは違うだろ!
どうしていいか分からずわなわなしていると、相変わらず上に覆い被さってる翔太が鼻先でじっと頬杖ついたまま俺を見下ろす。

「冬馬君大丈夫? 顔、熱中症になれそうだよ」
「んじゃあ退けよ!!マジでめま……うわっ!」
「…本当にこういうの弱いなあ」

ボクサーの上から、北斗が人のモンに触る。
熱い掌にびくっと肩が上がった。
下着に指がかかり、慌てる間もなくあっという間に下着もパンツと同じ位置にずり下げられてしまう。
頭の中に雷が落ちたみたいに硬直する。
絶句。
こ…こんなことってあるか…!?

「――っ」
「へえ…。いい形だな」
「…!!」

更にさらっと北斗が言うんで、ぼっと顔が熱くなった。
バッッッカじゃねえの!?

「っ、退け!!」
「わっ…!」

ぐおっと血圧が上がって、翔太乗っかったまま無理矢理上半身起こす。
ベッドに片肘着いてようやく上がった視界に、俺の足跨いで乗っかってる北斗と晒してる下半身がうつり、更に顔が熱くなる。
下着をあげるよりも早いと思って即座にシャツの下引っ張って下半身隠そうとしたが、後ろからまたしつこい翔太がひょいと覗き込んできた。
もう一度押さえつけられたらマジで困る。
ばっと腿を閉じ、とにかく少なくとも片手は翔太の頭を上から掴まえようと後ろに伸ばすと、俺の手を逃げてまた覗き込もうとする。

「おおきい?」
「うるせえ!見んなっ!」
「何で、いいじゃん。あんまりちゃんと見たことないけどさ、ロケ地のホテルに温泉あると一緒に入ったりするんだし。北斗君見てるんだから僕にも見せてよ~」
「お前言ってることおかしいぞ!? もう終わりだ!くだらねえことや――っ!」

俺らが攻防している間に、北斗が指先で俺のを緩く握った。
シャツの裾で見えるか見えないかだが、たぶん北斗の位置からは見えてるんだろう。
逆手に持つみたいにして人差し指と中指の間に挟む。
ざわっと悪寒みてーのが奔って言葉が泊まった。
ひくっ…とこめかみが引きつる。
途端に肩が震えて、やっと両手で手首を掴まえた翔太を抑えながら、ぶるぶると北斗へ睨み直った。
俺の睨みに気づくと、こんな意味分かんねえ状況で何故か困ったような顔で北斗が笑う。

「既に涙目っていうね」
「っ触・ん・な!!」
「ねーねー。それくらいが普通なの?」
「そうだなあ。個人差があるし、オレも女性程男性の裸体を見たことがあるわけじゃないからな…。けど、形がきれいだ」
「か、かた…っ」
「色も悪くないし。…けどまあ、そろそろ剥いた方がいいかな」
「ぷっ…!」
「うるっせえ!!たまたまだっつーの!…つーか笑ってんじゃねえ!お前のも見せてみろよ!!」
「わーもー絶対やだーっ。冬馬君のえっちー!」
「はあ!? えっ……だ、誰がっ!俺だってお前のなんざ見たくねえよ!!」
「最近は暇もなかったし、忙しかったしな。丁度いいじゃないか」

吹き出す翔太にかっときて、穿いてるパンツのゴムを無理矢理横に引っ張ったが、抵抗される。
ぎゃあぎゃあやってる俺らと違って、北斗はあっさり言う。

「まあまあ。包茎はともかく、サイズはたぶん普通だってさ。よかったね」
「翔太。包茎って言葉は成人男性の場合のみのことらしい」
「あ、そうなの? だってさ、冬馬君。ますますよかったね」
「何一つよくねえし何のチェックだ!言っとくが、間違っても翔太よりはデカいからな!?」
「当たり前じゃん。身長も肩幅も年齢も違うんだから。逆に僕の方が大きかったら惨めなんじゃない? 僕のが小さくて当然なの」
「いいや!俺がお前の頃は――…北斗?」

ベッドサイドに座った北斗が、不意に目の前で上半身低く伏せて寝た。
何やってんだと思ったが、肘着いた両手が俺の内股にかかった時点で流石に察しがついた。
まさか。
まさかだろ? おいおいおいお…。

「ちょまっ…いやいや待て待て待て待てっ!お前っ北斗よせ馬鹿ストッ――ぎゃああああああっ!!」

驚いてるうちに、マジで北斗が人のモンを口に咥えやがった!
マジか!?
信じられない光景に、一瞬頭が追いついてこない。
先を熱いぬるぬるした口の中に入れられて、全身が硬直して肩が上がる。

「ひ…」

上擦った小声が口から零れる。
う、うわ…。
マジでやりやがったコイツ…!
な、な、舐め…。
反射的に両足で北斗を挟んでやろうとしたが、肩を含め上半身腿の内側に入れられちゃ、締め上げることもできない。
マジで人の舐めるとか…っつーか咥えるか普通!?
とても直視できなくて、思いっきり顔を背けて目を瞑った。
北斗がちょっとでも動くだけで、びりびりしたやつが腰から来る。
本当ならコイツらぶっ飛ばして逃げるところ、全然力が入らなくなる。
…つーか、つーか……舌、がっ!
…っ。

「ぅ…。や…め、……ろっ、…てえっ」
「う、わあ…。北斗君ホントにやっちゃった…」
「試しにね。…うん。オレも流石にフェラやる側は初めてだけど、案外平気だ。フェラというか…まあ、キス程度か。痛くない方がいいだろうから、なるべく濡らさないと」
「っ――」
「えー。いたーくしても面白そうなのに。…あのさ、どんな味なの? 苦いの?」

また喰われる、と思ってびくっと目を瞑って体を縮めたが、翔太がくだらねえこと聞いたおかげで一瞬助かった。
北斗が開けた口を閉じたのを見て、は…と筋肉が弛緩する。

「んー…そうだな…。オレは元々、人肌の味は割と嫌いじゃないからな。けど、最初は苦みを感じると思うよ。オレの主観だと、悪くないよとしか言い様がないな。それに、こういうのは味がどうこうじゃないからな。些細な話さ」
「~~~っ!!!!」

あ、味っっ!?
あまりのことに二の句が続かない。
馬鹿過ぎることを言いやがる!
翔太と話したと思ったら、また腰んとこに片手を添えてぐっと顔を詰めてきやがった。
さっきみたいに咥えるだけじゃなくて、何かこう…舌で裏舐めたり、扱いたりしてくる…。
たまに自分でやるのとは比べものにならないくらいの…っつーか、全然別モンだろこれ!熱いし!人に触られるとか!一緒なワケねえだろ!!
体験したことない感覚に、全身がぞくぞくする。

「は…っ。ゃ、め…、っ」
「冬馬君気持ちいい? 反応してるね」
「っ、こんなん、するに、決まってっ、んだろ…!!」

思いっきり叫ぶが、体に力が入らない。
体をねじって翔太を引きはがそうとするが、今の状態じゃ思うようにそれもできなかった。
くそ…!
仕方なく、両腿で人の下半身にくっついてる北斗をガッ…!と再度挟み込み、ぎりぎりとこめかみ狙って頭を締める。
膝下を背中に引っかけてガチで首締めようとも思ったが、流石に上手くいかねえ。

「てめっ、北斗…!」
「ちょ…。痛い痛い、冬馬。痛い」
「んじゃ離せ!!マジ止めろ!キレんぞ!?」

やけくそで怒鳴るも、全然通じねえらしい。

「ん? 気持ちよくない?」
「いいとか悪ぃとかじゃねえだろ!汚ぇだろうが!!さっさ……って、翔太!」
「えへへっ」
「バカやめっ…」

人がマジで焦ってる途中で、翔太がぺたぺた後ろからシャツの下の腹を撫でてきやがる。
今度こそ背中を丸め、思いっきり逃げに走った…が、離れねえ。
つーか、動くとそれはそれで北斗の方が刺激になっちまうから、あんまり大ぶりに拒否れねえし。
そうこうやってるうちに、翔太の爪がガリッっとヘソを引っ掻く。
予想してなかった刺激に、思わずぎゅっと体を縮めた。

「…っ」
「あ、おへそ感じるんだ?」
「感じねえっ!」
「へえええ~? そーなの~? …じゃー、触っても平気だよねー?」
「や、やめ…。っつーか!その顔止めろ!!マジ止めろって!うぁっ…」
「僕もちょっと参加したいんだもん。どきどきしてきちゃった。ここで見てお腹くすぐっててあげるっ」
「んじゃあお前が北斗にやってもらえばいいだろ!!…ほら北斗!翔太がやって欲しいとよ!」
「ん?」
「だからー、最初は冬馬君でいいってば。何かこわいから」
「はあっ!? ヤだよ!」
「何で? やっぱ冬馬君もこわいの?」
「怖くねえ!!」
「じゃあいいじゃん。見てるから終わったら感想聞かせて」
「ふ ざ け ん なっ!」
「…けど、このままじゃ辛いだろ?」

寝そべっていた体を起こしながら、勃ちあがったモノを片手で逆手に撫でて北斗が苦笑するんで、かっと顔が熱くなった。

「もう勃ってきてるしな。…どうだ? 痛くなかっただろ?」
「……は?」

何で突然ここで痛いだの何だの出てくるのか一瞬分からなかったが、北斗の掌の隙間からちらちら見える俺のもんの色が直前と変わっていて、いつの間にかぴりっとした痛みも何もなく皮がなくなっているらしい。
もうまずその手際の良さとか、マジで全く感じなかった痛みとか、疑問符が頭の中に浮かびまくって一瞬言葉もでない。
得体の知れなさにぞっとする。
こ、コイツ…!
極々フツーに、北斗が自分の両袖を少しまくる。

「さて…。ここからの方が気持ちよくなれるぞ」
「触んなっ!!自分でやるっつーの!」

押しのけようと振るった片腕を、ひょいと北斗が避けてあっさり掌に取られる。
触れたその手が何かちょっとぬるっとしてて、ぎょっとすぐに引っ込めた。

「~っ」
「まあまあ。遠慮するなよ。オレは割と嫌じゃないよ。今更恥ずかしがるような仲でもないだろ?」
「そーだよ。ライブの時とか、衣装替えに余裕がない時普通にパン一だったりしたじゃん。調子よくてテンション上がると勃っちゃうしさー」
「あれはかなり前だろ!今はちゃんとインナー着てるっ!」
「――けど、ちょっと期待してるだろ? 今」
「…!」

背後の翔太に言い返していると、不意に耳のすぐ横で低くて小さな声がした。
ぞわ…と声が体の中に入ってきて鳥肌じゃない何かが立つ。
勢いよく振り返ると、いつの間にか体を詰めていた北斗が、妙に甘い顔で俺を見ていて苛っとした。
ファン……の時とはまた違うな…。北斗が彼女にしてきた奴に見せる顔なんだろう。
驚くだけで汗かいて硬直しかできない俺より、距離のある翔太の顔が一気に赤くなる。

「わあ…。北斗君、フェロモンすごい。一気に別人みたい。これはおねーさんたちやられちゃうね。僕らでもちょっとどきどきするもん」
「ぉ、お、お前、な…。俺相手に、その顔と声止めろっ。気色悪ぃ…!」
「そう? 冬馬も、その顔止めたら?」
「はあっ? フツーだし!」
「顔真っ赤。結構色気出てるよ? いつもと全然違う。目が湿って潤んでるし、眉が寄ってて震えてる。…その体縮めてオレの手から逃げようとする感じなんかは、やっぱりグッとくるかな。好きだよ、そういうの」
「っ、の…!やめっ…」
「大丈夫。おいで」
「ふわあ~…。北斗君その声反則ぅ。耳ぞわぞわする~」
「震えてねえし縮こまってねえだろ!!お前が変なことやるか――っちょ、止めろ…!」

翔太と俺の間に片腕を差し入れて、北斗が肩を抱いてくる。
肩を抱いた手の指で首の横っつーか顎のラインっつーか…を撫でられ、ぴくっと肩を上げた。
そんなことしてる間に、もう片方の手が俺のもんつかみ直す。
慌てて引きはがそうと北斗の手首に両手を添えたが、止める前に掌が上下に動き出し、一気に腰が痺れた。
最近忙しくてマジでやってねえし、大体人に触られることなんてないから、こんなことですぐイキそうになる。
自分でやるのとは全然違う他人の掌に翻弄される。
掌の大きさも違うし、持ち方も違う。
変な声あげそうで、ぐっと唇を噛んで顎を引く。

「っ…、っ…!」
「気持ちいい? …いいよ。出しちゃえよ。楽になる」
「絶っっっ対ェや――う、ぁっ!」

べたべたと北斗が人の髪やらこめかみやら額やら耳やらにキスしてきてたが、にゅる…と耳の中に舌を入れられて思わず声が出た。
はっ…と我に返るが、出ちまったもんは引っ込めねえ。
一瞬場が凍って、一呼吸置いた後に後ろから翔太が間延びした声をかける。

「おー。冬馬君が"あぁん"だって」
「だっ――言ってねえよっ!」
「耳弱いんだ? …ま、そんな感じだな。音に敏感だもんな、冬馬は」
「止めろ!やめ……っ、舌入れっ…んなっ。きた、ね…っ」

耳がべちゃべちゃして音と感覚が気持ち悪ぃ…!
ここで一発殴ればよかったんだが、何かもう完全に北斗のペースでそのときはどっちかっつーと防衛に走った。
苛々と同時に確かに切羽詰まる感じもこみ上げてきて、ばっと片手の甲を口元に添えて横を向く。
とてもじゃねえが、まともに北斗を見てらんねえ。
俯いて苛々してる俺に、ずいと北斗が横から詰めてくる。
チラ見して何とか下半身触ってる手を引きはがそうとするが、指に力が入らない。
今は声を我慢するのに全力当てなきゃなんなくて、他のことが全くできねえ。
たまにホント疲れて眠れないくらいの時はそりゃやるが…。
…す、好きな人?…でもいりゃまた違うんだろうが、一人でやる時は誰相手に想像すりゃいいのかも分かんねえし、やたら終わるまで時間かかるし…もう殆ど宿題みてえなもんだ。
他の奴はどうやってんだか、謎過ぎる。
けど、今は頭の中に何があるわけでもねえのに、どうしようもなくぞくぞくする。
当然だが、北斗相手にそれっぽい気持ちとか全然ねえのに、人にやられるとこんなに違うのか。
動悸がやべえ…。
種類はまたちょっと違うが、ライブ終わりの興奮感と同じくらい心臓が半端なく動いてるのが分かる。
「耐える」ことと「引きはがす」ことを何故か同時には行うのはメチャクチャ難しくて、無意識に前者を取る。
ぐっと唇を噛んで顎を引いた。
…いやっ、でも!
何とか引きはががさねーと!ってのは分かってるんだ…!
閉じそうになる目を何とか我慢して、悲惨なことになってる下半身へ向ける。

「…っ、く……」
「…。てか、これ……きっつ…」
「…?」

ぼそ…とすぐ後ろで何か声が聞こえた気がしたが、振り向く余裕がない。
つーか、振り向いても所詮翔太だろ。
今無理。顔見られたくねえしっ!

「おわ…!?」

ぐ…と体を縮めていると、どすっ、と背中が重くなる。
翔太が急にあれこれふざけてた手を止め、背中から普通に抱きついてきやがったらしい。
余裕がない中で眉を寄せる。
何だ?
…いや、手ぇ止まったのは有り難いが。
ぐりぐり首の後ろにくっついてくる翔太はひとまずそこまでじゃねえから放置。
問題は北斗だ。北斗。
震える力ない指で、ぐちゃぐちゃ人のモン触ってる北斗の手をはがそうと奮闘する。
北斗の掌の中で、もう限界近くで俺のが震えている。
何かきっかけでもあればすぐ出そうだ…っつーか出すだろ、こんなん!普通に!
寧ろ耐えてる俺が偉いわ!マジ余裕ねえけどっ!
いつもなら絶対引きはがせる自信があるが、撫でられるたび力が抜けていって今は殆ど入らない。
油断すると一巻の終わり感がびしびししていて、一瞬も気が抜けねえ。
だが、この状態を長い間継続もできねえ。
その前に何とか…っ。
ガリッ…!と爪が北斗の手の甲を引っ掻く。

「は、ぁ…。っ…。ぅ、このっ…」
「突然睨まなくなったなあ」
「俯いちゃったね」
「…っ」
「照れてる?」
「てっ、照れてねえ…っ!」
「顔上げられないくせにまだ強気だねえ」

少しの間大人しかった翔太が口を開きだした。
いつものように苛っとする余裕もない。
また腹を触られるかと思ったがそうでもなく、抱きついたままなのがまだ救いだが…。

「まー普通照れるよね~。男の人が集まると、普通このテの話になるんでしょ? 話は聞いたことあるけど、僕たちこーゆーのってあんまりしたことないよね」
「リーダーが純情だからね。確かに、あまり話題には上らないかもしれないなあ」
「えー? 僕も純情側だよ。北斗君だけが不純側なんじゃない?」
「そんなことはない。愛は常にピュアなものさ」
「い、い…からっ、止めろ!マジでこれ――」

前から後ろから好き勝手言いやがって。
雑談したいならすりゃいいだろ。まずは俺を離しやがれ…!
話している間も緩急つけて握られて、もう恥も何もないくらい勃っちまった。
だってのに、ぐちゃぐちゃそのまま弄られて、このままじゃ本当に北斗の手に出しちまいそうだ。

「っ、は…。ぁ…」

…ていうかもう理性がやばい。
散々追い詰められて、"イキたい"っつー衝動に頭の中が白く染まってぐわんぐわんする。
ここまで来たら自分でぐちゃぐちゃにやっちまった方が楽だが、コイツらの前でそんなことやるつもりは、断じて無い!
だが油断すると両手がそうなりそうで、メンタルがやばい。気持ちいい。出したい。
全力で目を閉じて顔を背けてると、上から、雑談みたいな軽さで北斗が聞いてくる。

「キスする?」
「っ、し…ねえ!」

反射的に拒否ったが、きすって何だっけ?くらいに頭が回らん。
きす…。きす…?
何だっけ…。
……いや!とにかく今北斗の言うことは聞かねえ方がいい気がする!
片腕あげて北斗の肩を押し返した。力入んねえけど!

「だよねぇ。最初が北斗君とか絶対止めた方がいいと思うなー。癖になったら後々面倒だよ~? キスの練習なら、ガチな話身長的にも僕の方がいいと思うけどな。ね、冬馬君?」
「…っ」

べしべし後ろから人の頭を叩きながら翔太の声が響く。
反射的に肩を振るうが、翔太を突き飛ばすまではいかない。

「だから――…っ!?」

力が入らないなりに翔太を払いのけようとしたところ、急にグッと俯いていた顔が上がった。
びっくりしてますますテンパる。
俺の顎に親指添えて北斗が持ち上げたっつーただそれだけなのに、状況が掴めない。
真っ白な頭と熱い体の俺のすぐ鼻先に、角度を付けた北斗の顔があった。
凄まじい近距離で、目が合う。

「――…キスする?」
「――」

低い声に息が止まった。
直前聞いた言葉と同じはずなのに、何が違うのか、ぞわ…と背中と下半身に痺れが走る。
目の前にいてバカやってるコイツが北斗ってのは分かってるんだが、近づけたその目や声が全然知らない奴に見えて何か怖ぇ。
やっぱり言ってる意味がいまいち分からないまま、のろのろふるふると弱々しく首を振る。
…すると、一瞬の間を置いて北斗が瞬いた。

「……うん」

その瞬きが終わると、直前の怖ぇ雰囲気が一掃して北斗が俺の顎から手を離し、途端に、ふっと呼吸ができるようになる。

「そうか…。本当に嫌なんだな」
「っ、たり、前…だッ!」
「流石に強いな。自信あったんだけどな」
「…。ていうかもう終わらせてあげたら? あんまり長いと可哀想じゃん」

また俯き気味で、めちゃくちゃに北斗を押し返している俺の後ろから、妙に退屈そうな翔太の声がした。
終わらせるの部分には大賛成だが、離してくれりゃいいだけなのに「それもそうだな」と北斗が俺のものを握る手をキツく速くする。
いやいやいや…!
ぐわっ…!と波が来て、前屈みに上半身が倒れる。

「ぃ…。ちょ…ば―…。マジ、で…。汚れるっ…北斗っ…」
「イきそう? いいよ。その為にやってるんだし。その方が嬉しいかな。そう構えないで素直に感じてみろよ。その方が早く終わるんじゃないか?」
「っ――!」
「わ…!?」「おっと」

ぐり、と北斗の人差し指が先端を潰す。
驚いて、全身が跳ねた。
前屈みになっていた体が、その跳ねで重心が後ろに移動して背後の翔太を少し押し、そのまま後ろに勢いよく倒れそうになるのを北斗がすんでの所で俺の肩を抱え止める。
勢いよくは倒れなかったが、腰に力が入らないんで、そのまま上半身は後ろにいた翔太の腹に倒れた。
重くて悪ぃなとか、そんなこと今はとても気にしてられない。
北斗の手から両手を離し、ばっと眩しいフラッシュを当てられた時のように片腕を顔の前にして顔を隠す。
無意識にベッドに着くつもりだったらしいもう片方の手を闇雲に動かし、うっかり翔太の着いてる手に当たったもんだから、何となくその手首を力任せに握った。
上半身を横向きにして、掴んだ翔太の手に額を押しつけて逃げる。

「は……、…っ、く」
「うわぁ…。…あ、はは。天然こわー」
「っ――、っぁ…」
「ありゃりゃ。聞こえてなさそう。…じゃ、今度は僕が耳ちゅーしてあげる」

ぎゅっと思いっきり目を閉じて足も閉じるが、もう俺のモンを握ってる北斗の手が抜けることはない。
意地でも出すもんかと思って耐えてるところを、ぴちゃ…と耳の中に濡れた感触がして肩が跳ね上がる。

「ひ…!?」

………は??
状況がワケ分かんねえまま、さっきみたいにまた鼓膜に音がダイレクトに入って来て体を縮こまらせる。
下の方でもぐちぐちと途端に音が変わり、血圧と快感がぐわっと体内で急上昇する。

「おまっ、やぁ――」
「ああ…。先と同時の方が好きなのか」
「違うよ。やっぱり耳がいいんだってさ」
「…っ! 違っやっ、やめっ、ほ…ぁ――やっ、っ、っイ――っ!!」

腰から白い波みたいなビリビリした感覚が、頭の先と足のつま先まで奔って行く。
その感覚に押し出されて、我慢できずに流石に果ててしまった。
一気に力が抜けて、汗まみれの体をぱたりとシーツに投げ出す。

「…はぁ…はぁ…――」

…頭がぼーっとする。
呼吸が熱い。
ライブでラスト歌った後みたいに体が休息を欲して、脳の指令を完全無視し始める。
…どろっと自分の股間が濡れているのも分かる。
もうその感覚が久し振りすぎる気がするが、熱くて疲れて気持ちよくて、片手で汗ベタベタになってる胸のシャツを緩く握った。
ぶるっと体が震える感覚に耐えるが、それでも耐えきれず背中が震える。
…っ。

「……ん…」
「お~…。冬馬君、ホントにイっちゃった」
「はい、終わり。…思ったよりも随分耐えさせちゃったな。悪いな、冬馬。もう少し早めに出させてやればそれなりに軽かったろうに、全力で抵抗されるとさすがに難しかったな」
「ていうか、他の人がイクの生で初めて見たー。…結構くるね」
「今度は翔太がやるか?」
「うーん…。悪くないかも。考えとく。けど今日はいいや」
「そうか。そうだな。…冬馬? 大丈夫か?」
「…――」
「冬馬?」
「冬馬君疲れた?」
「そりゃ、あれだけ暴れて耐えてれば疲れただろうが…。もしかして、よくなかったか?」

北斗と翔太に何か言われて、熱い呼吸でよくわかんねーうちに適当に首を振る。
うまく頭が働かねえ…。

「おお。素直だ」
「それはよかった。本当は、最後は唇にするのがマナーなんだけど、まだ止めた方がいいな」

翔太が俺の横からひょいと顔を出し、ぼーっとその顔を見ていると北斗が顔を近づけて来たんで反射的に目を瞑ると、瞼の上で音がして少し湿った。
…何だったんだ?と目を開ければ、北斗が最後に指で根元から挟むようにして白く濡れた手を引き上げて指を広げた。
べっとりとその指に糸が張る。
…。

「…――っっっ!!?」

――そこで、一気に覚醒した。
見ているものが、ちゃんと頭の中にリアルとして飛び込んでくる。
がっと血が行き渡って、言葉にならない感情がぶわっと心臓から全身に溢れかえっていく。

「しかし、本当にやってないんだな。冬馬これ――」
「っ、の…――バカッッ!!!!」
「っ…!」

腿までずれた下着上げながら、北斗の顔面片手で掴んで向こうに叩き落とす。
背後にあるベッドに、ぼふっ!と北斗の上半身が倒れた。
頭抑えてるが、知ったこっちゃねえ!
殴ってやらないだけマシだと思え!!
コイツの顔が好きだっていうファンがいることを感謝しやがれっ!
拳握って怒鳴る。

「お前何考えてんだっ!!ふざっけんじゃねえぞっ!!」
「あー。素直タイム終了だね~」
「おい翔太!ティッシュ!!」
「ハーイ。スタンバイOKだよー」
「いてて…。まったく、乱暴だなあ…」
「お前が悪いんだろ!!」
「けど、気持ちよかったんだろう?」
「ハアァァッ!? よくねえ!!最初っから全ッ然よくねえよ!ヘタクソッ!!」
「おお…。ヘタクソは初めて言われたな…」
「あーあ~、いつもの冬馬君に戻っちゃった」
「お前手貸せ、手!…っじゃねえ!口先だ、口っ!!」
「むぐっ…」

いつの間にか翔太が両手で頭の上に持ってるティッシュを、適当に数枚引き抜いてベッドに倒れてる北斗の利き手だけ掴み上げ……ようとして、その前に口だと思い、ついでに片腕つきだして、上から北斗の口を腕で拭う。
そこで、指ごとずぼっとティッシュを押し込んだ。

「これで漱げバカ…!」

ベッドサイドにおいてあったボトルを、口の中からティッシュ取りだしてる北斗のすぐ横に放ってから、掌に出しちまった俺の精液を力任せにごしごし拭った。
何が哀しくて他人の手についた自分のモンを拭わなきゃなんねえんだ。
はあ…と大きく息を吐くと、少し落ち着いてくる。

「あぁ~もう…。クソッ…」
「雑だなあ。…貸してくれ。自分で拭くよ」
「うるせえ!黙ってろ!!…つか、つか…マジで手に出しちまったじゃねーか!すぐ洗ってこい!!汚ぇだろ…!」

どーゆー状況だこれ。
情けなくなってくるっつーの。
下着の中もべたべたして気持ち悪ぃし、出したせいで腰に力が入らねえし…。
悪ノリが過ぎるんで圧倒的に北斗が悪いとしても、まさか本当に手に出されるとは思ってなかっただろうと思う。
ぼそりと謝ると、北斗は肩をすくめて何故か翔太と目配せて笑ったように見えた。

「…? 何だ?」
「何でもないよ。オレが悪かった。少し悪ノリが過ぎたな」
「今のはそうだよねー。北斗君かなー」
「ごめんごめん。…けどさ、何かこういうのたまには楽しいじゃないか。男ならではの話題かもしれない」
「そーかなー? 姉さんたちとか、女の人も結構エグいこと話してると思うけどな。短いとか形汚いとか包茎汚いとかイくフリがめんどーとか、よく聞くけど。けど、ちょっといつもと違って新鮮だったんじゃない? ね、冬馬君。どきどきしたね」
「どきどきって…」

ドキドキなのか、これ?
確かに心臓がシャレにならねーくらいバクバクいってるが、何か種類違くね?
ぐしゃぐしゃに丸めたティッシュを片手で掴んで、よろよろベッドから立ち上がる。
久し振りに出したせいで腰がだるい…が、今日はたぶん爆睡できるし明日はすっきりしてるんだろう。
こんなきっかけでもなきゃ、やらなかったっちゃやらなかった……か?
けど、肯定はしたくねえ気分だ。
翔太の質問は無視して、息を吐く。

「……風呂入ってくる。…おい、北斗。お前、マジでちゃんと手ェ洗っとけよ」
「ん? 冬馬、舐めてくれな――っ!」

北斗の顔面に枕をぶん投げて黙らせる。
この色ボケッ!
立ち上がって風呂行こうとした俺を、じっと見上げている翔太に気づいた。
半眼でにらみ返す。

「…んだよ」
「んーん」

問いかけてみれば、ふるふると首を振った。
そのくせ、また俺を見てくる。
今度はちょっとにやつく始末だ。

「何だよ!」
「あのね、冬馬君、今ほんと可愛い顔かもしんない。赤くてふにゃふにゃしてるよ」
「まじまじ見んな!」
「じゃ、鏡」
「見せんなっ!!」

さっとどっからか鏡を取り出して俺に向ける翔太の手から、勢いよくそれをぶんどる。
ティッシュと鏡を片手に掴んで、逃げるように風呂場に向かった。
途中にある女の人が使いそうな鏡の前に手鏡を伏せて置いて、バスルーム入り口にある洗面台で下にあるゴミ箱にティッシュを落とし入れる。
そのまま左手で蛇口をひねると、流れ出す水にまず右手を突っ込んだ。
粘度のある精液がじわじわ流れていく。

「……はあー…」

殆ど汚れてない左手で目元を覆い、深々と息を吐く。
前髪をがしがし掻いて、そのまま掻き上げた。
…ああー。
何やってんだ、俺…。
いくら仕事がひとつアプったからって、浮かれす――。

「うおっ…!?」

ふっと顔を上げると、いつもとは全然違う自分の顔が視界に入ってきて、一瞬それが自分じゃないみたいでぎょっと肩が跳ねた。
思わず出た声に遅れて、片手でばっと口をふさぐ。
…え?
数秒間沈黙し、そろそろと鏡へ顔を近づける。
…。

「うわ…。これ、俺か…?」

ひでえ…。
眉が下がってて目が確かに湿って見える。
顔はホント真っ赤だし汗もかいてるから髪のサイドが頬や首にべたついてて邪魔くせえ……つーか、何だこの腑抜けた顔!

「クソ…!」

片手降って、フェイスタオルで一度鏡を叩く。
ぶんぶんと顔を振って、左手で頬を一発ぶっ叩いた。
バチン!と音がしてひりひりし出すが、ちょっとは引き締まったきがした。
改めてハンドソープで両手を洗い、思いっきり顔も洗う。
さっさと風呂に入ろうとシャツを脱ぐ。
ベルトを取ったところで、鏡越しに背後に翔太が見え、振り返った。
雑に閉めたドアの隙間から、妙に呆れたような顔で翔太が肩をすくめて半眼で俺を見てくる。

「冬馬くーん…。鍵かけなよ」
「バカ。かけらんねーだろ。北斗が手洗えなくなる」
「洗わないんじゃない?」
「んなワケあるか」

冗談言ってる場合じゃねえっつの。
あんなベタベタしたんだぞ。
自分のならまだ余裕もあるだろうが、俺のだし。
…北斗気にしてねえかな。
心配してやる義理は全くカケラもねえが、それでも気にはなる。

「あのさ、そろそろ遅いし、僕部屋に戻ろうと思うんだけどね」
「ああ…。そうだな。やすみ。朝ちゃんと起きろよ?」
「けどさー、冬馬君、今日北斗君と同室で大丈夫なの?」
「…!」

ばっ…!と再び翔太を振り返る。
そ、そうだ…。
そうだ、ここ俺と北斗が寝るんじゃねーか。
あんなことした後で相部屋とか、そりゃ悪ノリだが、何かこう…いたたまれねえ。
大体、北斗は経験あるから普通かもしんねーけど、俺はあいつみてぇに軟派じゃねえし!
翔太が部屋に戻っちまった後の空気を考えると、今からだらだらと冷や汗が出てくる。
かといって、俺が翔太の一人部屋に移動するとなると、まるで逃げてるみてーじゃねえか。
くるっと回れ右して、翔太の肩をがしっと掴んだ。

「お、お前っ、今日ここで寝ろ…!」
「え~。どーしよっかな~。ダッツおごってくれたら考えてもいいよ~?」

途端に、にぃっと翔太がいい笑顔で笑いやがる。
こ・の・や・ろ…っ。
肩に置いていた手で、がっと翔太の頭の左右をグーで挟んだ。

「こ こ で、寝 や が れぇええ!」
「わーっ!あっはははっ、痛い痛い~!」

 

 

 

――で、結局、三人でこの部屋に寝ることになった。
「翔太が珍しく一人はヤダってよ!」「そー。僕さみし~」と翔太を北斗につきつけてここで寝ちまってもいーんじゃねえかと提案したら、北斗もそれでいいんじゃないかと了承してくれたんで問題なし。よっし!
たまにあるしな、打ち合わせ直前までやっててそのまま三人で寝落ちってのも。
ベッドサイドのテーブルが移動できるやつだったんで、行けるかと思って二台のベッドに挟まってるそれを退かして移動してみたら、思ったより簡単にベッドはくっついた。
元々ダブルベッドにもなるやつらしい。
いきなりでかいサイズになり、これくらいだったら男三人でも行けるだろ。
壁際を陣取って、しっかり北斗との間に翔太を挟む。
端の方で、連中に背中を向けて目を閉じた。
…いや、別に北斗を意識してるとかそーゆんじゃねえけど、流石に今の今じゃ二人だけってのはハードル高ぇ。
つーか、マジであいつ女相手にあんなことばっかやってんのか?
ていうか、ふぇ…フェラ、とかって……普通女の人がやるもんなんだよな…?
…え。相手に自分の咥えさせんのか?
ひどくねえか、それ。
何か散々甘ったるいイメージがあったが、Sなんじゃねえの、北斗の奴。

「…」

がしがしと、前髪を少し掻く。
もうホント、つくづく信じらんねえ…。
さっさと寝ちまおうと思っていたが、翔太の小声が後ろから飛んできた。

「ねーねー。冬馬君ってさ、好きな人ホントにいないの?」
「…お前、もうその手の話マジで止めろ。聞きたくねえ」
「いや、僕もちょっとまじめな話。冬馬君が好きな子いないとするでしょ? …で、エッチな本とか動画とかも見ないじゃない? その手の話冬馬君から聞いたことないし」
「見るわけねえだろっ」
「家にも全然そういうのないもんねー。でもそれだとさ、一人エッチすっごく難しくない? 何考えてできるの? だって眠れなくなる時あるでしょ?」
「…………」
「ん? …わっ」

少し考えて、ばっと片肘着いて後ろを振り返りながら、もう片方の手で持った布団を持ち上げた。
ぼふっ…!と翔太ごと頭まで布団かぶって、腕を掴んで俺の方へ引っ張る。

「びっくりした…。ちょっと、冬馬君」
「…な、なあ。おま…翔太は、どーしてんだ?」

鼻先近づけて、暗い中、ぼそぼそ小声で聞いてみることにする。
俺の声に合わせて、翔太も小声になった。

「何が?」
「いや、だから…。…ムズいだろ?」
「ああ…。別に? 僕、好きな子いるから」
「好――えっ!?」

翔太に好きな奴…!
…い、いや。いてもいいが……そ、そうか…。
…。
翔太、十四だよな…?
それでもう好きな奴いるとか…すげえな。
北斗はもう終わってるとして、翔太は今んとこ女の話聞いたことねえし、俺と近いと思ってたのに。

「え? 僕に好きな子いるのそんなショック?」
「は…? べ、べつにっ?」
「ごめ~ん、冬馬くーん。僕だけ先に大人の階段あがっちゃって~」
「別にっつってんだろ! …で、でもよ……へえ…。じゃ、じゃあ…その…そいつのこと考えて…とか、か?」
「ま、そうだねー。さっき北斗君が出そうとしてたのは女の人向けみたいだったけど、普通のエロ動画ならちょっとだけど、見たことないわけじゃないよ? でも、全員知らないおねーさんだし。実際好きな子の方が、やっぱりどきどきはするよ。いないんなら、どうしても動画になると思うけどね」
「…。両思い…って、やつか?」
「うーん…未満かなー。他の人より圧倒的にリードしてるのは自信あるんだけど、いまいち踏み込めない感じ。友達だったからさ」
「え、あ…。そ、そうか…」

翔太の言葉が知らない奴の言葉みたいで、妙な疎外感を感じる。
俺は、女友達ってのがいねえしな…。
それまでダチだった奴を好きになるってのは、どーゆー感じなんだろう。
ある日突然、見る目が変わっちまうのか?
それとも、やっぱり何かあってそういう感じになるのか……全然分かんねえ。
想像もつかねえ世界だ。
友達ってことは、それなりに近しい奴なんだろう。

「…」

けど、さらりと言う翔太の言葉に、少しだけ違和感を覚えた。
何か…バカにされるかもしんねーけど……好きな奴を勝手に想像して一人でやる、って……何か、卑怯じゃないか…?
こ、恋人?…なら、いいかもしんねーけど……そうじゃねえ奴を、まして好きな奴を勝手に使うってのは…。
相手を汚しちまった気分にならねえもんなのか?
それとも、やっぱそれが普通なのか?
…。

「…冬馬君? 寝ちゃったの?」
「いや、寝てねえよ。考えてんだよ」
「何だ。黙ってるから寝ちゃったかと思った」
「…なあ」

どう言っていいのか分かんねえけど、こんなこと聞けるとしたら翔太くらいだ。
ぐるぐるする自分の中の違和感っつーか他の奴との差っつーか…なんか、そういうのを無理矢理まとめる。

「それ、さ…。やっぱ、普通なのか?」
「…? 普通って?」
「いや、だから…一方的に、勝手にさ、その好きな奴のこと考えながら…そーゆーことやるわけだろ? …その、…相手に、悪ぃとか……思わねえもんなのか、ってよ」
「――」
「…?」

何とか聞いてみると、何故か今度は翔太が黙った。
数秒間黙ってるんで、今度は俺の方が翔太寝ちまったのかと思った頃に…。

「…ハ。…――痛…ったぁ…」
「…!」

ぽつ…と、ものすげえ小声で翔太がそんな感じで呟いたような気がして、ぎょっとする。
「痛え」って言わなかったか、今。
しかも、掴んでた翔太の腕がくんと引っ張られ、何か胸抑えてる気がした。
どっか悪いのかと思って、握ってた翔太の腕から手を離し、代わりに肩を掴む。

「おい? 翔太、大丈夫か? どうし――…ぶわっ!」
「もーっ!窒息しそーう!」

唐突に、ばっさあ――!!…と、翔太が上半身起こすのと同時に両手を振り上げ布団を払いのけた。
ふさがれていた空気に、一気に外のもんが入ってくる。
急に布団払いのけたせいで、髪が静電気か何かですげえぐちゃぐちゃになった。
…はあ!?
何だよ、そんなことかよ!

「急になにすんだよ!話は終わって…」
「――恋しない人ってさ、」

跳ねてる髪を片手で押さえながら俺も片肘着いて半身を少し浮かせると、目の前にぺたんとシーツに座って枕を持った翔太が呟いた。
バンドつけてねえから、いつもは後ろに流してる長い前髪が影ってて下からなのに顔がよく見えねえ。

「狡いよね。いつも、自分だけキレイで。…卑怯だと思うよ」
「あ?」
「聞こえなかったぁ~? 冬馬君が暑苦しいって言ったのー。北斗君の方の布団かけよー」

直前は小声でよく聞こえなかったくせに、次のそんな言葉はこれ聞けとばかりに大きなもんだった。
枕をぎゅっと抱いてそっぽを向いたかと思ったら、したーん!とそれを北斗の枕の隣に両手で置く。
ぎょっとして身を乗り出した。

「馬鹿お前っ、北斗寝てんだから邪魔すんじゃねーよ!」
「起きてるよ…。はいはい、どうぞ。おいで、翔太。…なあ、そろそろ本当に眠ろう。明日に響くぞ」

少しうとうとしてたっぽい北斗が片腕で布団をあげ、そこに翔太が入っていく。
む…。
…まあ、そりゃそうだ。
早いとこ寝ないと、明日は午後から確か雑誌の撮影が入ってたはずだ。
本当なら、こんなことやってる暇はねえ。クマができちまったら話にならねえしな。
翔太がぐちゃぐちゃにした布団の四隅を整えて、俺も改めて横になった。

「は~。北斗君の隣だと蹴られる心配もないし、ゆっくり眠れる~」
「蹴ってねえよ!お前だろ、人のこと蹴り落とすのは!」
「二人とも。おやすみ」
「あ? ああ…。やすみ」「おやすみ~」

翔太がいなくなったぶん、途端に布団が広々使えることになる。
改めて壁の方を向いて横になった。
小さいオレンジの光がぼやっとついてる空間で、俺もさっさと寝ようと瞼を閉じた頃…。

「今のは冬馬が悪い」
「……あ?」

背後から北斗の声がしたような気がして振り返った。
…が、北斗は目を伏せたまま仰向けに横たわってるし、翔太は北斗の方を向いて寝に入ってるっぽい。
…?
何か聞こえたかと思ったが、空耳かと思って一度だけ眉を寄せ、俺も目を閉じた。

 

 

 

 

 

翌朝。

「おはよう、冬馬」
「……………よお」

目が覚めて体を起こすと、既に北斗既に準備万端で、携帯片手に窓際のイスでコーヒー飲んでやがった。
北斗が寝ていたスペースを陣取って、翔太が斜めに大の字でむにゃむにゃ寝ている。
それを数秒、じ…と見てから、改めて顔を上げて北斗を見た。
半眼で睨んでから、じり…と極力距離を取りながらベッドから下りてそろりそろりとカニ歩きで洗面台へ向かう。
壁伝いに歩く俺を眺めてた北斗が困ったような顔で口を開いた。

「まだ怒ってるのか? 昨日もあの後オレと目線合わせなかったもんな」
「いや…。も、もういいっ。別に、そこまで気にしてねーし…」
「そう?」
「お、おう…」
「それはよかった」
「…。お、お前こそ、その…。平気だったのかよ? お前が九割九分悪かったが…」
「分までいれてくるか…」
「俺も、我慢できなかったつーか…手に出しちまったし…。それに、何だ、ほら……」
「ん?」
「や…。ちょっとだけどよ。……な、舐め…てた? じゃん?」
「ああ…。途中で言ったけど、やられる側は初めてじゃないし、別に驚く程のことじゃない。冬馬が本気で気持ち悪いとかじゃなかったのなら、それでいいんだ。やり過ぎたかどうか心配だったからな」
「いや、やり過ぎだろ」
「そう?気持ちよくなかったか? だとしたら困るな。悪いイメージ植え付けたくないんだけど」
「……」

ここでもさらーっと聞きやがる。
…普通、面と向かってそーゆーこと聞くか?
どう答えていいかわかんねーし、第一答えなきゃなんねーもんなのかもわかんねーし…。
暫くむっと沈黙し、不機嫌露わに朝の声で口を開く。

「…ノーコメント!」
「お、珍しいな、ノーコメント。まあ、悪くなければいいんだ。…けど、真面目な話、お前が内密にああいうこと聞けたり教わったりできるとしたら、オレなんじゃないかなと思ってさ」
「…」

特別気負った感じでもなく、まるで極々一般的な雑談みたいに言いながら北斗は手元の携帯を弄る。
ガチで何でもない感じだ。
昨日のアレってのは本当の本当に普通ってヤツなのか??
だって普通ヤじゃねえか、いくらダチとか仲間っつったって、普通咥えねえし手とかに出されたくねえだろ。汚えし。
…けど、確かに俺がそっち系の話誰に聞くっつったら、やっぱ北斗になるのかもしれねえ。
壁に背中貼り付けたままじっとしていると、北斗が軽く片手を上げて目を伏せた。

「翔太がいたところでってのは悪かったよ。流石に恥ずかしかったか。…まあ、現実問題として必要だったら声かけてくれ。冬馬が思ってるより、オレは抵抗ないから。お望みだったら、もっとすごいこともしてやれるぞ」
「…!」

冗談なんだろうがばちんとウインクされ、ぞわわっと背中を悪寒が駆け上がる。
あれ、以上…!?
一瞬、腰がむずっとして、ますます背中を壁に張り付ける。

「無理っ、いらんっ、拒否っ!」
「あっそう。残念だな。…まあ、目下は次のキスシーンがないことを祈るばかりかな」
「…。お前…もしかして本気で男もイケんのか?」

今まで女ばっかの印象があるが、色ボケ北斗のことだ。
何かちらちらそれっぽい冗談は聞くが、もしかして本気で男もか?…と思ったが、俺の質問に北斗は心底面白そうに吹き出した。
「それはない」らしい。
流石の北斗も、男友達とはいっても他のダチとああいうことをやたらめったらするわけでもないらしい。
いつも散々衣装合わせとか水着とかで浴場とかで裸見まくってるし、近しい俺や翔太だから可能だとか何だとか。
…だよな。
北斗があんなことすんのは俺や翔太くらいってことだな。
ちょっとほっとしてる自分がいる。
これで北斗が男も守備範囲だったら、マジでどーしよーもねーぞ。
老若男女ターゲットって…変態か。着いてけねぇ。
あっちこっちでやりまくってるくらいだったら、まだ身内で止めとくだけマシってもんだ。
だが――。

「昨夜は、オレは楽しかったよ?」
「…………あっそ」

頬杖着いて足組んで、妙にくすぐったいようなあんま見ねえ顔で笑ってたんで…。
…まあ、俺が思ってる程、手とかに出しちまったこと気にしてなさそーなんで、少しほっとして肩の荷が下りた。
北斗が気にしてねえんじゃ、腹立つが俺ももうマジでいいや。
コイツにあれこれ教わる機会なんてものが……あるんだったら、そのときまた考えてやる。

 

 

 

 

 

「ふぁあ~…。おはよぉ~」
「ふぉー」

あれこれすんで最後に洗面台でぼーっと歯を磨いてると、うとうとふらふらな状態の翔太があくびをしながらやってきた。
横にずれてやると、いつものじゃねえ太いもこもこしたヘアバンで前髪あげて、バシャバシャ顔を洗い出す。
…。
何かなー…。
昨日、寝る前に聞こえた空耳が妙に気になる。
そういや、さっき北斗に聞き忘れた。
言ったとしたらたぶん北斗の方なんだと思うんだが…気になっているのは内容だ。
俺が、翔太に何か悪いこと言った…的な。
…何か悪いこと言ったか? 俺。
つーか、話半分で大して進まなかったし、言ったも何もねえんじゃねえか?
けどまあ、もし気分悪くさせちまってたら悪ぃか。
ちらっと横でタオルを顔に押し当てている翔太を見下ろす。

「ふぉい。ふぉーふぁ」
「ん~?」
「ふぃふぉーふぁふふぁっふぁふぁ。ふぁんふぁ…」
「全っ然、分かんない。口漱いでからにしてくれない?」

歯ブラシ抜いて口を漱いで、タオルで口元拭きながらもう一回翔太へ向き直る。

「…昨日、悪かったな。何か変なこと聞いちまって」
「何が?」

きょとんと翔太が首を傾げる。
…ん?
別に気にしてねーのか、コイツ。
てっきり、「お前はどうやってんだ」とか聞いちまったから、気まずくしちまったのかと思ったが…。
何だ。言い損じゃねーか。

「あー…。気にしてねえんならそれでいいんだけどよ。…昨日、色々妙なことあっただろ」
「あったねー。北斗君の手に冬馬君が出しちゃったこと?」
「それは忘れろっ!!」
「でも面白かったじゃん。僕にはちょっと刺激が強かったけど、たまには悪くないよね。ああいうのも」
「全然面白くねえよ!俺ばっか恥ずかったじゃねえか!…じゃなくて!その後、お前に色々聞いただろ」
「ああ。そっちね」

今思い至ったーみたいな顔で、翔太がこくこく頷きながらヘアバンを取る。
いつもは上げてっから気づきにくいが、こーやって猫っ毛が下りるといきなり年相応に見えるんだよな。

「俺、北斗と違ってそーゆーのよく分かんねえんだよ」
「だろうねー」
「…」
「何? 自分で言ったんじゃん。睨まないでよ」
「わぁーってるよ! …だ、だから、気づかねえうちに、お前がイヤなこと言ってたら悪かったなと思ってな」
「んー…。よく覚えてないな~。眠かったし」

備え付けのクシを無視して、持ってきた大きめでふわふわしてるクシで髪を梳かし始める。
マメだな。
俺あんまクシとか使わねーし。
出る前にヘアオイルでざっと撫でる程度だ。
現場に行けば担当がいてくれるしな。
話途中だし、何となくもう少しこの場にいるつもりで、近くの壁に寄りかかって首のあたりを掻く。

「…ね。冬馬君、今身長何センチだっけ?」
「身長? 175」
「あれ?それくらいしかないんだっけ? 高く見えるね」
「ああ…。何か、普通より顔が小せえんだとさ。あと腰の位置が高いんだとか何だとか」
「うわっ、今の感じわるーい!」
「は…? …え、何でだ?今のがか? スタイリストのおっちゃんに言われただけだぞ?」
「でも他の人には今の言わない方がいいと思うよ。…でも、ふーん。じゃ、あと8センチじゃん」
「何が」
「僕が冬馬君を1センチ追い越すまで」

髪を梳かし終わったのか、不意に振り返って翔太が意地悪く笑う。
軽く言ってやがるが、ほぼ10センチじゃねーか。
そうそう簡単に抜かされて堪るか。
思わず腕を組み、はんっと笑っちまった。

「どーだかな。俺がお前の頃は、もっとあったぜ?」
「早く成長しすぎると、止まるのも早いらしいよ。あと8センチじゃすぐだね、すぐ。昨日は、僕もちょっと余裕なかったかなー」

言うだけ言って、妙に得意げに自分のクシとフェイスタオル片手に、洗面台から離れてリビングに出て行く。
姿が見えなくなって、声だけが遅れて響いてきた。

「その時まで、いられるんなら卑怯者でいていいよー」
「はあ? 誰が卑怯も――おい!」

俺も壁から背中を浮かせる。
…何のことだ?
身長の話はどこいった。

「…? 意味分かんねー」

翔太の言ってることがよく分からなくて首をひねる。
何かあいつ、昨晩から変じゃないか?
…まあ、気にしてねえっつーんならそれが一番なんだが。
あいつ、やっぱ妙に身長気にしてんだな。
一番年下だから当たり前っちゃ当たり前なんだが、やっぱ集団でいて自分が一番低いって、男としてはちょっとあるよな、それっぽいのが。
俺もリビングに…と思ったが、ちらっと見た洗面台がぐっちゃぐちゃで、う…っと思わず動きを止める。
翔太の奴…!
タオルはたたんでねえし、蛇口周辺は水めちゃくちゃ跳ねてるし、歯ブラシは放りっぱなしだし髪の毛はあっちこっちに……ああっクソ!

「…ったく!」

ぐちゃぐちゃの洗面台をざっと整える。
最後にたたんだタオルをばんっ…!と洗面台の端に置いて、俺もその影を追う。

「翔太ぁっ!!お前、やりっぱなしにしてんじゃねえよ!移動する時はまず振り返れって何度も――」


まだまだタブー





事務所に戻って、また仕事やらレッスンやらがわんさかあって、次の休日らしい休日…。

「はい、冬馬」
「あ?」

夕飯食らいにまた二人が来た時、遅れて来た北斗に、入ってくるなりぽんっと本を渡された。
小説だ。
文庫?
なにやら趣味のいい革のカバーがかかってるが…。
ぱららと適当にめくる。挿絵はない。
ラノベ…じゃなさそーだな。

「何だこれ。文庫?」
「いつも美味しいご飯をご馳走になってるからな。カバーごとプレゼントだ。まずは官能小説から始めた方がいいかなと思って」
「かっ――!」
「…といっても、性的描写が少しあるくらいの海外文学なんだけど。ロマンと情愛に溢れた美しい文章で定評ある名作だ。入り口としてどうか――」
「読むかああああっ!!」
「わー。冬馬君、官能小説読むの? え、僕見たことない。見せて見せて~」
「ばっ…!」

すぐさま寄ってきて人の手から文庫を取ろうとする翔太にこんなもん見せらんねえと、さっと文庫を持った腕を上げる。
今回のドラマみてえに、必要な時ってのもこの先確かにあるだろう。
次に――次にっ、そういう仕事が入ったら!マジでキスの練習くらいしてやる!
壁ドンでも顎クイでも、仕事ならそりゃやってやるよ!
やってやる…、が!

「まだ暫くそういのは――い ら ね え ん、だっ!!」

そのまま思いっきり、リビングのソファにフルスイングで叩きつけた。



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たまにはそれっぽい北冬&翔冬を。
Jupiter三人は男の信頼関係で格好いい。
あんなにイケメンで俺様なのに潔癖まがいの初心さとか可愛すぎます。
2016.12.27
2018.3.3 改稿





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