一覧へ戻る


平日の大型デパート。
都内から少し外れはするが、特に予定のない、時間ある休日が平日に当たった際の買い物などは、専ら高速を使って都外の大型モールに出かける方が気が楽だ。
ドライブも兼ねて気晴らしになる。
勿論、根本はもっぱらのインドア派なのですが、その分の"たまに"です。
私自身運転はあまり好きではないので、大凡の場合神谷を連れて出るわけですが…。

「帰り道は…えーっと……こっちか?」
「方角的には、今丁度背ぇを向けとる方ですね」
「あれ?」
「駐車場の番号、覚えたんちゃうんですか?」

高速は乗らせてしまえばナビがあるので問題無いのですが、車を降りてしまえば相変わらずのワザとやろ!と突っ込みたくなるような天才的方向音痴。
地方の大型モールは本当に巨大で、このデパートも買い物をするだけで疲れてしまう程の広さがあるため迷子になりたい気持ちは分からなくはないのですが…。
それなりに回数は来てるはずなんで。
何となくでも建物の構造とそれを取り囲む駐車場の番号などは覚えておいて然るべきでしょう。
ええ加減迷子は勘弁して欲しい。
両手を添えている荷物いっぱいのカートを押し、疑問符を浮かべている神谷の横を素通りし、彼が背を向けている方向へ歩いていく。

「あとは帰るだけなんですから。離れないでくださいね、神谷。面倒なんで。迷子にならはったらフルネームと実年齢使って放送で呼び出してもらいますよ?」
「うーん…。流石にそれは恥ずかしいかなー」
「見たいもんあったら言うてください。少しやったら止まります」
「本音は?」
「ぐだぐだ寄り道せんとはよ帰らんかい」
「あはは。ぶらぶらするのが楽しいんじゃないか。折角の買い物なんだし」
「器具はもう買いましたやろ」
「ああ。早く試したいって気持ちは勿論分かるんだけどね」

あれこれとお互い必要なものは取り揃えたつもりだ。
製菓道具や紅茶等の道具は勿論通販などで購入できるが、やはりものを見ないと難しい。
買い物はやはり、基本自らの目で見てなんぼです。
元々カフェだけを経営していた頃はもっと頻繁に買い出しに出る予定も取れたのですが、何の因果かアイドルなんてものに神谷が片足ひっかけたお陰で、今では店のメンバーは皆二足のわらじを履くことになってしまいました。
…まあ、やるからにはきっちりは当然なのですが、必然的にお店の開店日はある程度不規則にならざるを得ないし、こういった遠出の買い物はなかなか時間が取れなくなった。
なので、こうして久し振りに来ると思った以上にあれもこれもと大荷物にならざるを得ないというわけです。

「駐車場は…確か、Bのエリアだったな」
「さいですね」
「…ここら辺は来るとき通らなかっただろう? よく分かるな」

首を伸ばして周囲を見回しながら、神谷が言う。
車を置いたエリアから建物内に入ってすぐ、確かにエレベーターを使った。
一気に三階まで上がって、上から順に入っている店を見ながら下ってきた形になる。
ついさっきまで見ていた一階の食料品エリアを出たので、後はこのまま同じ階を車が停めてある傍の出入り口まで真っ直ぐ向かえばいいだけ。
効率よく回りたいので同じルートを往復はしていないため、確かに神谷の言う通り、惣菜やファストフードや酒屋が並ぶこの辺りを歩くのは今日まだ一回目だ。

「建物が回転なんぞするわけないんですから、停めた場所に近い出入り口さえ把握していればええんです。…ええ加減正面出入り口くらい覚えたってください。一番大きな出入り口さえ目指せばええんですから。こっからやとイベント会場突っ切ってすぐです」
「ああ…!イベント会場があるところか。この間来た時はイタリア展をやっていて楽しかったな。買っていったオリーブオイル、アスランがとても気に入ってくれたっけ。そういえば、今日はまだ見てないな」
「せやからまだ通ってへん言うてますやろが」
「そうかー。今日は何をやっているんだろう。また何か面白いイベントをやっているといいな。お土産があるとみんなが喜ぶ」

前回来た時に開催されていたイベントを思い出したのか、現金なもので途端に鼻歌でも歌い出しそうなくらい上機嫌になる。
世界のあちこち迷子という名の旅行をしてきた時のことを思い出すのでしょう、国外の物品が売っているイベントなどは殊更好きなようで、前回も今日と似たようなルートを通って買い物を済ませたが、そういえば最後の最後、そこで相当な時間を喰ったような気がします。
精々「沖縄展」だとか「北海道展」だとか国内にしておいて、ドイツだとかフランスだとか、そういうのでないと助かるのですが…。
そう思ってカートを押し進めながらイベント会場へ近づいて行くと、やがて独特の賑わいが見えてきた。
平日とはいえ、大型デパートのメイン企画会場なだけあってか、他のエリアよりも人が多くひしめき合っている。
混みようは繁盛していて結構なのですが…。
問題は、ちらちらと視界に見慣れたようなそうでないような、独特の白衣姿の人が目に入ってきたことだ。
パティシエのコックコートとはまた違う極力無駄のない和の装い。

「…東雲、ストップ」

神谷も気付いたのか、まだ距離があるにもかかわらず足を止めた。
片手で押していたカート横を掴まれ、何となくそれに合わせて私も足を止めてみる。
まるで遠くの山でも覗くように額に片手を添え、神谷が何とも言えない声で呟いた。

「…あー」
「…」
「和菓子、だな…」
「さいですね」

私も見えるものは同じなので肯定しておく。
前回来た時イタリア展だったメイン展示のエリアは、今日は和菓子のイベントが開催されているようだった。
入口に立っている幟をそのまま読めば、「世界に誇る日本の芸術・和菓子展」…ですかね。
それを見た神谷が、顎に片手を添えて困ったように呻る。

「う~ん…」
「別に構やしませんよ」
「ん?」
「和菓子です。今はもうあまり。突っ切るんならそれはそれで」

確実に私のことを気にして足を止めたんだろうもんで、言ってみる。
見ろ食べろと言われれば無理ですが、通るくらいならたぶん大丈夫でしょう。
ここを通った出入り口が一番車に近いですし、端の方を通って下を向き、あまり見ないようにすれば行けるでしょう。

「…んー」

そう思って言ってみたが、神谷は額に添えていた片手を顎に添え直し、暫く考えていた。
結果、気を取り直したようにその手も下ろし、ぽんぽんとカートの上の荷物を軽く叩く。

「いいや。遠回りして帰ろう。アイス食べたくないか、東雲。最近はすっかり温かくなったからな。確か、あっちの出入り口付近にアイス屋がなかったか?」
「ないですねえ。こっちにならありますが」
「…あれ?」

また正反対の方向を指差している神谷に指摘を加え、まあご厚意を受け取ることにしてルートを変えさせてもらった。
ぐるりと酷く遠回りをし、別の出入り口付近にある店で神谷はアイスを買い、私も飲み物を買った。
表に出た後も、別の出入り口から出たので停めた車まで暫く歩いた。
お陰で、車に着く頃には神谷は買ったアイスをぺろりと平らげていた。

 

 

 

 

風に当たりたくて、高速に乗るまでの間窓を開けさせてもらった。
初夏らしい風が車内に吹き込み、後部シートに山積みした器具らの袋がバサバサと喧しい。
あんこアレルギーと銘打ってはいるが、吐き戻すくらいだったそれがものを見ただけで気が遠くなるまで悪化する原因はその後の色々にあるもので、要するに"和菓子"というキーワードが軽くトラウマになっているであろうことは自分でも分かっている。
…実家とはもう殆ど勘当に近い。
戻る気もない。
最早あちらに私の居場所などないのであろうことは目に見えている。
人のこと指差して「家を潰す気か」だの「役に立たない」だの「身内の恥だ」だの「失敗作だ」だの…喧々囂々でそれはそれは嫌な記憶しかない。
思い出しただけで腑煮えくりかえる。
老舗だから何やっちゅー話や。
今思い出しても跡取りとして使いものにならず、えらいすんませんなあと舌打ちくらい出てくる。
200年続いてようが300年続いてようが、途絶えて潰れてしまえばいい。
今はそう思えても、当時は自己嫌悪の泥に沈むしかなかった。
それがまた悔しい。
もうその世界を捨て去ったつもりでも、こうやってちょいちょい人の生活乱すこの暗い記憶が何より煩わしい。
油断すると過呼吸になりそうで、すぅ…と口で深呼吸した。

「…」
「大丈夫か? 顔色悪いぞ」

気分が悪くて少し遠くを見ていたところ、運転席から神谷が声をかけた。
振り向かずに応える。

「平気です」
「そうか? ならいいんだけどな」
「…」
「ウーロン茶、一口くれないか?」
「ああ…。どうぞ」

丁度、赤信号になったらしい。
言われて、自分が座っている助手席のドリンクホルダーに収まっていた飲み物を差し出す関係上、必然的に振り返らざるを得ない。
差し出したカップを片手で受け取り、青になるまでの短い間神谷がストローに口を着ける。

「…うん。おいしい。サンキュ」
「信号、青ですよ」
「…っと、返すな」

途中で信号が青になり、多少慌ててギアを変え再び車は進み出し、再び車内に風が通る。
また窓の外の遠い景色を見ようとして、神谷が続けた。

「そろそろ、夏のメニュー考えないとな。洋菓子のいい案はもうあるかい?」
「…。…神谷」
「ん?」
「慰めんのえらいド下手ですねえ」
「ぶっ…。あはははっ、俺も今そう思った!」

ハンドルを握りながら明朗に神谷が笑う。
その笑い声と笑顔に気が抜けて、外を見るのを諦め溜息を吐きながら肩を落としてシートに凭れた。
…そういえば、本当にそろそろ夏メニューを考えないとならない時期だ。
アイドルなんて性に合わない職業に片足突っ込んでしまいましたが、とはいえたまには店を開けたい。
あれは仕事ではなくて、プライベートとして必要な居場所です。
それは、恐らく他のメンバーも同じでしょう。
無心で洋菓子を作っていると心が安らぐ。
いくつか案はありますが、確かに近いうちの夏メニューとしてコストやニーズを考え、厳選しなければならない。

「まあまあ、気にするな……ってのは無理なんだろうけどさ。…けど、本当に気分が悪くなってないか、体調の方が心配だ。高速乗る前にどこかで休んで行くか?」
「平気や言うてます。…店寄りますやろ。荷物おろさなあきまへんし。逆に早く店に着いた方が気ぃ晴れます」
「お、そうか。それじゃあ、急いで帰らないとな」
「事故らんといてくださいよ?」
「お任せあれ」

右手でハンドル持ったまま、左手を胸に添えてのんびりと神谷が頷く。
あちこち行ってた影響か、偶にえらい芝居がかった仕草をする男ですが、それが様になり気障ったらしくならんのがまた妙なもので…。
…などと思っていると、追加でナチュラルにウインクが飛んでくる。

「東雲がパティシエでいてくれて有難いよ。俺も巻緒も、他のみんなもきっとね。色々あったかもしれないけれど、お前の居場所は俺たちの傍だし、俺の居場所はお前たちの傍だよ。東雲がいてくれて助かる」
「…私相手にウインク止めてもろてええですか」
「ん? 何か変だったか?」
「はい。全体的に」
「全体的に!?」
「まあ、さっきよりはマシですが…。お気遣いは有難くもろときます」
「気遣いも入ってるけど殆ど本心だぞ?」
「さいですか。おーきに」
「ははは。棒読みだなー」

高速の入口が近くなり、小さく息を吐きながら窓を閉めた。
風が止んで、後ろでバサバサ鳴っていた荷物の袋も静かになる。
遠くを見るのを止め、ひょいと背を浮かせて後部シートで急に静かになったそれらを肩越しに振り返った。

 

――和菓子がダメなら、洋菓子はどうだい、東雲?
――俺は紅茶が好きだからなあ。和菓子もいいけど、洋菓子の方が好きなんだ。
――手先の器用さは同じくらい重宝するぞ、きっと。
――そうだな。家にいるのが辛いなら、それでいつか、一緒にカフェでもやろう。
――きっと楽しいぞ。だから…。
…。

 

「東雲、笑顔笑顔」

運転しながら、神谷が朗らかに言う。

「Fortune comes in by a merry gate!」
「…どないな意味ですか?」
「幸運の女神は、いつだって楽しい門からやってくるのさ」
「ああ…。笑う門には福来る、ですね」

一瞥していた視線を外し、また正面を向く。
耳喧しいトラウマの幻聴は、決まって卒業間近頃の神谷の声で終わるようになった。
今も、落ち所に言うことは大体変わらない。
再び小さく息を吐いて肩を落とす。

「まあ、努力します。…帰ったら一休みしましょうか。何や食べたいもんありますか?」
「去年の夏作ってたレモンのチーズケーキがいいな。あれは美味しかった」
「ほんならそれで」
「なら、俺は…そーだな~。フレッシュハーブティを淹れようかな。気分転換には紅茶よりもいいだろうからね」
「ええですね。レモンとミントは合います」
「よーし。そうと決まれば、美味しいお茶の為、さっさと帰ろう!」

アクセルを踏み、車が本線を飛ばしていく。
…。

「"帰ろう"、ですか…」
「そう。"帰る"んだ。俺たちの店にね」

何となく呟いた私の言葉に、神谷がのんびりと言葉を重ねてくる。
ドアに片の頬杖着いて、再び小さく息を吐きながら呆れた。

「…せやから、ウインク止めたってください」
「え…。今ウインクしてたか?」

…とはいえ、その言葉がしみじみ体の中に入っていく。
私の帰る場所は、もう家ではなく別のところにあるんですね。
僅かに苦しかった呼吸がいつの間にか戻っていて、改めてシートに身体を預けた。

「安全運転、忘れんといてくださいね」

気楽な声が隣から応える。
片腕だけ伸ばして取った飲み物は、神谷が直前に食べていたアイスのせいか妙に甘くて違和感があった。


いい午後に紅茶を




店に着いて、器機を下ろして水洗いし、早速材料を取り出す。
レモンのチーズケーキと一口に言っても実際は様々ありますが、神谷の言うレモンのチーズケーキは、恐らくカッテージチーズのレアチーズケーキのことでしょう。
えらい気に入っていたことは印象に残っていた。
大型冷蔵庫からチーズを取り出し、粉ゼラチンを用意する。
今日は休日ですし、プライベートなので時間短縮の為下の生地はビスケットで代用することにして、何枚か袋の中へ放り込んで砕く。
ボウルを用意してコアントローとレモンとオレンジの果汁を混ぜていると、ふと窓の向こうでハーブを摘み終わった神谷が、ついでにホースで庭に水を撒いているのが見えた。
日差しの下、若葉と水が輝くその中で、足下のホースに片足引っかけて転びそうになっている様子を見て、再び小さく息を吐く。
せやからホースは端に避けた方がええと…。
…などと思って視線を外した矢先、庭先からガシャーン!と危なっかしい音がした。

「…」

泡立て器片手に溶いたチーズをボウルに入れながら、肩を落として息を吐く。

…とはいえ、今日はええ午後になりそうです。



一覧へ戻る


Cafe Paradeの同級生組。
東雲さんは老舗和菓子店の息子だけどあんこ大嫌いでパティシエに。
ピシパシ尻叩いてるけどここぞという時は神谷さんが支える感じですね。
2016.6.4





inserted by FC2 system