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立春が過ぎたといっても、未だ寒さは厳しい時期。
だが、今日は随分と空は快晴で気温も高い。
この一週間、ニュースは暖かい日と寒い日の予報を繰り返しているような目まぐるしい天気だったが、幸いにも休日である今日は「4月並の暖かい日」となった。
当初は室内で予定していたお茶の用意だが、こんなに天気がよく風もないのであればと、南の庭にあるテーブルセットに場を用意するようにと長年勤めてくれている使用人の女性に頼むと、彼女もそれがいいだろうと思っていたようで、思った以上に早々と支度を整えてくれた。
テーブルクロスを敷いたり、イスのクッションを用意したりを手伝い、あとはお茶とお菓子の用意だけで彼女が室内に取りに戻ったタイミングで、片手を口元に添え、庭の奥へと声を張った。

「…都築さーん!」

今は眠っている薔薇のアーチの奥にある花壇の傍で、わたしの飼い犬と一緒にいた都築さんがこっちを振り向くのが見えた。

「そろそろお茶にしませんかー!」

反対側の手を合図代わりに大きく振ってみると、ひらひらと同じような合図が返って来て、ほっとする。
どうやら聞こえたようだ。
上げていた片腕を下ろし、やや緊張気味だった肩から力を抜く。
…わたしの知り合いや友人を、我が家に招いた回数など片手にも充たない。
そんな中、今日都築さんを招くことができたのは本望だ。
我が家に、わたしの友人が遊びに来た。
それだけで、とても心が躍り、昨夜は眠れなかったくらいだ。
先に座らせてもらって待っていると、飼い犬と一緒に都築さんが戻ってくる。
いつも通りふわふわした歩き方の足下に、すっかり懐いた飼い犬が尾を振って従っていたが、近づいてくると都築さんを追い抜き、私の傍へ来て隣へ腰を下ろした。
イスから立ち上がり、彼の頭をいつものように撫でてから、空いている席を示す。

「どうぞ、座ってください。今、家の者がお茶を用意しています」
「ありがとう、麗さん。……ん~…。今日はいい天気だね…。あたたかくてよかった」
「ああ。本当に」

ぽかぽかとあたる日差しの中で、都築さんが珍しく片腕を上げてしなやかに背伸びをする。
人目を惹く華やかな金髪や碧眼は、こんな庭の中だとまるで一輪の花のようにも見えた。
都築さんがイスに腰掛けたので、私も座り直す。
足を揃え、いつものようにを心がけるも、どうも落ち着かない。
…ああ、すごい。
本当に、都築さんが我が家に遊びに来てくれるとは。
妙に誇らしい気持ちで、膝の上に置いた両手へと視線を向けた。


秘密の共有




三種類の焼き菓子と軽食、コーヒーをテーブルの上に整えて、使用人の女性は下がってしまった。
あまり家に知人を招いたことがないから、どのように振る舞えばよいか不安だから傍にいてくれてもよかったのだが、自分がいては砕けた話もできないでしょうからと家の中へ戻ってしまったが、彼女も本当ならば傍に控えていたかったはずだ。
テーブルの上の焼き菓子は全てドイツのもので、都築さんがドイツ出身であると話してからここ数日熱心にレシピを研究していたし、きっと彼が気に入るかどうか確かめたかっただろうから。
食が細い人だと伝えのだが、気合いが入ってしまったのか、テーブルの上の焼き菓子の量は多い……が、案の定、先程から都築さんが進んでそれらを取る気配はない。
だが、折角なのでひとつだけでも食べてほしい…。
そっと取り皿に小さめの丸いドーナツのような菓子を取り、仕事先で出された時のように、ぐるぐるとあまり意味もなくスプーンでコーヒーをゆったり混ぜている都築さんの前へ置いてみる。

「どうでしたか、我が家のピアノは」
「ああ…うん。よく調律されていていたし、音色も気持ちよく響いて歌い方が綺麗だったよ。あの子の調律師は柔らかい人だね。それに、この家にとても大切にされている。…主に弾いているのは女性みたいだけれど、麗さんのお姉さんかな…?」
「そんなことまで分かるんですね…」
「んー…。何となくだけどね」

何でもない風にそう告げる都築さんに、改めて感心する。

「気に入っていただけたようで、嬉しい」
「うん。とても楽しかったよ。…それに、今日は麗さんとたくさん音を重ねられたし、ね」
「そうか…!それはよかった!わたしもとても有意義だと感じたのだ!」
「うん。仕事とは、また違う愉しさがあるよね…」

眠たげな瞳がわたしを見て、そう伝えてくれる。
その言葉に、ほっと胸をなで下ろした。
わたしは今日一日とても楽しく過ごせているが、都築さんが同じく感じてくれているのか退屈か、度々不安に思っていた。
午前中に我が家に向かえ、今と同じように室内で少し話した後は譜面室に行き、その後わたしはピアノを演奏し、代わって都築さんのピアノを聞いたりしていた。
勿論その後はセッションをさせてもらったが、正直、仕事意外のセッションは久し振りであったし、何よりパートナーが都築さんだ。
弾きたい曲がたくさんあって、合わせたい曲がたくさんあって、あれもこれもと演奏しているうちにいつしか昼が過ぎてしまったがお互いあまりお腹も空いていなかったので、こんな時間にアフタヌーンティのような形になってしまった。
…ああ。都築さんを我が家に招きたいと伝えた時の家族の反応を見せてあげたかった。
あまり現代作曲家に詳しくなくソロ活動が多かったわたしは、実際に都築さんにお会いするまでは「作曲家・都築圭」を字面でしか知らなかったが、ピアノやオーケストラの方面ではかなり有名であったようだ。
父も母もとても感動していて、是非会いたいと言っていたが、生憎のスケジュールだった。
姉などはツアーの国外から帰って来てお話したいとまで言っていたが、当然そんなことができるはずもない。
だが、代わりに姉の譜面にサインをもらうようお願いされ、数冊を都築さんにお願いした。
快く書いてもらえてよかった。
このことを話したら、今度は父と母が欲しがりそうだが…。
…しかし、よかった。
コーヒーに角砂糖とミルクを入れながら、ようやく肩から緊張が解けた気がする。
最近でこそ、伊瀬谷や牙崎さんと"カラオケ"に出かけてみたりとそれなりに変化を得ているように自分では思うが、「友人と遊ぶ」ということが難しく、どうすれば都築さんが楽しいかを考えるのは、慣れないせいか難しかった。
伊瀬谷たちのように一緒に"カラオケ"に出かけた方がいいのか、とか、オペラやコンサートの映像などを鑑賞するのはどうだろう、とか、それならばいっそ舞台を鑑賞しに出かけてはどうだろう、とか。
買い物とかも、伊瀬谷は友人たちと買いに出ることが多いと聞いたが…。
正直、自分の買い物に、友人の時間を費やしてしまうのもどうかと思うのだが……きっとこれも、わたしの考え方の方が世間と少しズレているのかもしれない。
計画を立てるにあたり散々迷ったが、恐らく都築さんは伊瀬谷よりは辛うじてわたしに嗜好が近いであろうと、本当に無難に我が家へ招いてお茶をする、くらいの内容になってしまったから、どうかと思ったが…。
都築さんが少しでも楽しめたのであれば、よかった。
改めて正面に座る都築さんを見る。
日の当たる庭の方を眺めながら、まだぐるぐるとコーヒーを混ぜていたので、それに気付いてテーブルの上のグラスと水差しへ手を伸ばした。

「お水にしますか?」
「ああ…うん。そっちの方がいいかな。ありがとう、麗さん」
「いえ。ですが都築さん、お菓子もよかったらどうぞ。ドイツの焼き菓子を揃えたと、家人が言っていました」
「ふふ。そうみたいだね」
「…え?」

ショールを肩に羽織ったまま口元に指先を添えて、都築さんがふんわりと微笑する。
…?
ドイツの焼き菓子を家人が揃えたと、わたしは彼に言っただろうか。
当日まで秘密にしておこうと思ったから、伝えていないと思ったのだが…。勿論、今日も口走ってはいないはずだ。
それとも、その微笑みはテーブルに並んだお菓子を見れば分かる、ということだろうか。
水を注いだグラスを彼に差し出しながら尋ねてみる。

「やはり、見ればドイツのお菓子だとすぐに分かりましたか?」
「うーん…。僕はあまり食べ物に関心がないから、見覚えはあるけど、それが本当にドイツ生まれのお菓子なのかどうかまでは分からないかな…。けど、僕の為に用意してくれたってことは、さっき聞いたから」
「聞いた? 誰にですか?」
「そこの彼に」

妙に優しく言って、都築さんが片手の平で示したのは、わたしの隣で伏せていた愛犬のゴールデンレトリバーだった。
掌で示され、愛犬がぴくりと両の耳を動かす。
…。
一呼吸置いて、愛犬から都築さんへ視線を戻した。

「えっと…。そ、そうか…」
「うん。数日前から練習してくれていたんだって? さっきお茶を用意してくれた彼女に、お礼を言わないとだね。…でも、こんなにたくさんはとてもじゃないけれど食べられないかな…。少し食べる?」

そう言って、わたしが取って渡したドーナツのようなお菓子を片手に、少し体を傾けて愛犬へ視線を送る。
首を腕の間から浮かせ、ウォン!と、実にタイミングよく愛犬がわたしの横で鳴いた。

「あぁ…そうだね。君にはあまりいい食べ物じゃないもんね。…うん。おいしいのは分かっているんだけど…」
「…」
「じゃあ、ひとつはいただこう」

ゆったりとした仕草でほんの少し囓る。
さらりと話す都築さんの言葉に、少しの緊張感を得て再びちらりと横に伏せる愛犬を見下ろす。
愛犬は、妙に澄ました表情でわたしを見返すと、体を起こし、わたしの膝に横から顎を乗せてきた。
殆ど反射的にその頭を片手で撫でながら、ぼんやりしてしまう。
…。
い、いや…。まさか。
都築さんが猫や小鳥に妙に懐かれやすいことは知っているし、謎の会話らしきことをしていることも知らないわけではないが…。
…。
…――いや、ちょっと待て。
はっと気づき、体が強張る。
それは、困る!
ここ数日、わたしは家に帰れば都築さんと過ごすこの日をどうすればよいかと、そればかりを考えることに時間を費やしてきた。
そしてその相談相手というわけではないが、傍には必ず愛犬がいたぞ。
彼女が数日前から焼き菓子の練習をしていたことが伝わっているのなら、同じくわたしが数日……もっと言うと都築さんが我が家にくると決まって以降、今日の日の為にあれこれと計画を立てていたことが伝わってしまっている…?
譜面室をできる範囲で掃除し換気してみたり、家族に都築さんのことを誇らしく伝えてしまったり、それに対する家族の反応を嬉しく思ったり、夕食後の団らんの癖で、愛犬には殆ど全てのことを語って聞かせてしまった。
…いや。
いや、待て。
そもそも動物と会話をするなんて、そんなことが本当にできるものなのだろうか。
そこを全面的に信用してしまうのは、人間として如何なものか…。

「…? 麗さん。顔が真っ赤だよ?」
「…!」

球体のドーナツをほんの少し千切って口に運んでいた都築さんが、ふとその手を止めてわたしを心配そうに見詰める。
ぎくりと瞬間的に肩が強張り、慌てていつの間にか自分の膝に降りていた視線を上げる。

「す、すまない…。今日は、少し日差しがありますから」
「あぁ…。そうだね。気持ちがいいけれど、あまり外にいるのもよくないのかな…? 木々の葉が擦れる音は、とても素敵な音色だけれどね。…だったら、お茶が終わったら、家の中で過ごす? また麗さんのヴァイオリンが聞きたいし……それに、麗さんの計画にはなかったみたいだけれど、僕は三人で昼寝でもいいな。こんなに暖かい日だもの。…ねえ?」

さらりと都築さんはそう言い、最後の方は愛犬に向かって語りかけた。
その言葉に、また愛犬が一声返事をし、尾を振る。
…あぁ。
ダメだ。
ぎゅっと膝の上で両手を握りしめ、赤くなった顔を俯かせる。
もしかして、本当にこの人は動物と会話ができて、そして今日に至るわたしの情報はきっと筒抜けなのだ…。
友達や知り合いとあまり遊んだことがなく、緊張と興奮を繰り返しながら今日を迎えたことなど、あまり知られたくなかった。
だが、わたしは本当に楽しみで……どうしていいか分からないくらい、今日が楽しみで…。

「…」
「…どうかした?」

言葉が返せず沈黙していると、都築さんの不思議そうな声が耳に届いた。
恐る恐る視線を上げるのを待ってから、彼が少し小首を傾げ、気遣うようにわたしを見る。

「いえ、少し恥ずかしくて…。その…楽しみであったと同時に、酷く不安だったものですから。その心配を悟られてしまったのは、気恥ずかしい…。ここ数日はいつも、今日来る都築さんが退屈ではないかと…」
「退屈?」
「わたしは、あまり友人や知人を招いたことがなくて…。本当のことを言えば、今日は心配で…。愛犬にもよくそのことを話していたから…」
「ああ、うん…。そうみたいだね。彼も、そこを伝えたがっているよ。…でも、仕事でもそうだけど、僕は麗さんといるだけで元々楽しいし…」

んー…と明後日の方向へ少し視線を動かし、考えるような一拍を置いてから、またわたしを見る。

「それに、今日だけのことを言えば、麗さんが色々準備してくれたお陰で、今とても素敵な時間を過ごせているよ。麗さんがどうして緊張するのか、僕には分からないけど……。僕のことを考えてくれた時間の分も含めて、ありがとう」

言葉が、風のようにわたしを抜ける。
都築さんが笑顔でそう言ってくれたお陰で、ふわりと心が軽くなった。
都築さんは、器用に嘘が吐ける人ではない。
いっそこちらが慌てふためくくらい、いつだってストレートに本音ばかりの人だから。
それはわたしが一番よく知っているつもりだ。
つまり、きっと彼は、今本当に満足してくれているのだろう。

「ど…どういたしまして!都築さんに喜んでもらえれば、わたしにはこれ以上のことはない!」
「じゃあやっぱり、今日は僕たちにとっては素敵な日だね」

ふわふわしたいつもの調子で、都築さんが水の入ったグラスをほんの少し傾けて口にする。
…よかった。
本当によかった。
心の支えが取れ、わたしもほっとした。
一時は恥ずかしくもあったけれど、今日の為にわたしが色々と計画し頭を悩ませたということも含めて都築さんが喜んでくれるのであれば、最早言うことはない。
都築さんの言うとおり、今日はとても素晴らしき日だ。
ようやく、わたしも目の前の焼き菓子に手を付ける気になり、両手でそれを割っては少しずつ口に含んだ。
確かに、テーブルに並ぶ焼き菓子は二人分にしては多い。
三種類を一つずつ食べたとしてもお腹がいっぱいになるだろう。
それでも、わたしたちのためを思って作ってくれたこれらは、とても美味しく感じた。

「それなら、この後は小休止に音楽鑑賞はどうでしょう。我が家には、昔の名オーケストラの音源がいくつかあります。勿論本物とは比べものになりませんが、参考になると思いますし、やはり惚れ惚れする程に美しいハーモニーです。都築さんが言うように、眠気があるのならば聞きながら軽く休んでも構いませんし」
「いいね。それは是非お願いしたいかな」

屈託のない笑みを向けられて、ぱあっと心が開く。
この喜びを誰かに伝えたくて、膝の上に顎を乗せている愛犬を見下ろすと、愛犬も円らな瞳でわたしを見上げていた。
別段吠えたわけでもなかったが、空耳か、「よかったね」と一瞬、音ではない何かが聞こえた気がした。

「麗さん、彼がね、今麗さんに"よかったね"って」

都築さんが、カップを片手にわたしへ告げる。
いつも、猫や鳥と謎の会話をしている都築さんだ。
彼が嘘をつくような人間でないことは分かっているつもりだし、風変わりなことも心得ているが、まさか本気で会話ができるとは思っていないところもあった。
しかし、気のせいかもしれないが…。

「は、はい…。その、今のは……わたしにも、聞こえました…」
「へえ…。…ふふ。そう?」
「…」

都築さんが微笑む。
ただそれだけで、わたしは嬉しい。
錯覚だろうか。彼がわたしに微笑んでくれると、きらきらと輝いて見える。
こんな暖かな日差しの下では尚更だ。
…ああ。
今日はとても素晴らしい休日だ!
明日プロデューサーに報告しなければ。
明日の楽しみも見出すことができ、誇らしい気持ちで、わたしもカップを手に取った。



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のんびり双方向loveの圭麗。
麗君の方が積極的…というか、都築さんが完全受け身というか…。
麗君、お姉さんがいた描写がどこかにあった記憶があるのですが、あやふやです悪しからず。
2019.5.18





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