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「うおぉぉ~…。あっぢいいいい~っ!」
「無様な声を上げるな。みっともない」
「もーいいだろ。誰もいねえんだし。ロビーは我慢しただろ!」

僕たち以外に誰もいないエレベーターに乗った途端、天道が獣の呻き声のような潰れた声を出したので、軽く咎めるが反論が飛んでくる。
むっと眉を寄せる。
部屋のある階のボタンを押しながら、柏木もどこかぐったりしながら、片腕の袖で額の汗を拭った。

「けど、本当に暑いですね、京都って…。暑さで肺が苦しく感じるくらいです…」
「日差しも強いよな。皮膚が痛いくらいだぜ。日焼けには気を付けるよう言われてもなぁ…」
「ですね。…あぁ~。かき氷もう一杯くらい食べればよかったです」
「「いや、それは食べ過ぎだ」」

休憩時間にスタッフが用意してくれていたかき氷。
いくらお代わりご自由にだったとしても、柏木が平らげた器の山を思い出し、僕も天道も異口同音に反応する。
京都での撮影は、本日で三日目だ。
プロデューサーが用意してくれたホテルは今回それなりに名の通っている場所であり、現地での撮影が終わればいつもよりも自由時間を多く取ってくれているようだ。
夏期休暇を取得するのが難しい僕たちへの配慮だろう。
世間ではお盆の期間に入っているが、僕たちの職業柄なかなか行事休みは取りにくい。
エレベーターが階に着き、降りる。
幸い廊下に人気はなく、静かなものだった。

「なあ。さっきもらったお菓子、三人で俺の部屋で食べないか?」
「わあ。いいですね!」
「悪いが、僕は用がある。少し涼んだら出かけてくる」
「げっ…!お前、また外行くのか!?」

天道の誘いに片手を上げて断りを入れると、酷く驚かれた。
…確かに夏の京都は暑いが、言うほどでもないと思うが、天道と柏木は酷く心配する。

「夕方とはいえ、まだ日差しが強いですよ、薫さん。あまり外出はしない方がいいんじゃ…」
「すぐ済む」
「止めとけって。用事って何だよ?今じゃなきゃダメなのか? どうして帰りに言わなかったんだよ。ついでに寄れたかもしれないだろ?」
「…何の権利があって、君に僕のプライベートな予定にまで口出しされなければならないんだ」
「おま…。またそーゆー…」
「正論のはずだが?」
「ぐ…」

天道の言葉に苛立ち、彼の方を睨むと、天道が微妙な顔で口を噤んだ。
間を置かず、柏木が僕らの間にすっと体を差し込む形で割って入ってくる。

「ま、まあまあ。…あ、じゃあせめて、たっぷり休んで水分を取ってからにしてくださいね?」
「言われなくても、君たちよりは分かっている」

彼らに背を向け、自室のカードキーをドアノブに当てて部屋へ入った。

 

 

 

シャワーを浴びて汗を吸ったシャツを着替え、十五分程度休んで一度脈を測ってから、再び足を靴に通す。
最低限の荷物を持ってドアを開け、そっと廊下を覗くと、天道の部屋のドアも柏木の部屋のドアも閉じており、姿がない。
今頃、天道の部屋で休んでいるのだろう。
今日の仕事は終わったのだから、それでいい。
日中は、彼らの言う通り酷く暑かった。
京都の夏は、慣れない者にとっては辛いだろう。
僕のプライベートな用事に付き合う時間があれば、涼しい部屋で体力の回復に努めるべきだ。

「…」

少し足早にエレベーター前へ向かう。
ホテルスタッフにキーを預け、プロデューサーに許可を得てから、ホテルを出た。
一歩出るだけで、むっと熱を持った空気が肺にくる。
タクシーを捕まえ、花屋と和菓子屋に寄り、それから、墓地へ向かった。

 

 

 

盆期間中、死者の霊魂は自宅へ戻るというが、僕は信じない。
霊魂そのものを信じる信じないという不毛な議論をする気もない。
日本にはそういう習慣がある、というだけでいい。
亡くなった者を想う行事があり、想う相手がいれば想えばいいし、想う相手がいないのならば各々の判断で無視すればいいだけだ。
迎え盆にあたる日は既に済んでおり、仮に家に戻っているとして、それはそれでいい。
自宅には父も母も……いるのだろうか。仕事で忙しい気もするが……そうでなかったとしても、実家を懐かしんで帰るのならそれでいい。
姉の部屋は、まだそのままにしてあるのだから。
けれど、遺骨と遺灰は間違いなく、墓地にあるのだ。
僕の姉は……いや、姉とより近しく感じられるのは、やはり、僕にとっては墓だった。
実家に帰っている暇はない。
元より仕事でこちらには来ているのだ。実家に寄るつもりも、僕の都合をプロデューサーに突きつける気もない。
だが、京都に……地元に来た以上、姉にだけは会いたかった。

「…」

盆の初日と送り日であったなら人もいようが、中日の平日午後など、殆ど人気はない。
あちこちの墓石灼熱の日光に照らされて、まるで光の柱の中を歩いているような状態だ。

「…姉さん、久し振り」

桜庭家の墓の前に着く。
ぽつ…と自然に出た声は、まるでいつもの僕の声ではないようだった。
柏木の声に少し似ている。
声が出る速度も、いつもと全く違う。
自分のことのはずが、随分長い間聞いていない声だな、と思う。
姉さんと病室で会話する時は、いつもこういう声だった。
自然とゆっくりした速度で、姉さんの反応を見ながら話せていたのだと思う。
…けど、この声で会話をする相手はもういない。
だとしても、柔らかい姉の声を、今も耳が覚えている。
迎えてくれたような気がして、一度墓石に刻まれた姉の名に微笑むと、水を替えたり線香を焚いたりと、一頻り挨拶の礼に入った。
それらは、あっという間に終わってしまう。
僕の近状を報告したつもりだけれど、それだって時間にすれば些細だ。
手を合わせて伏せていた目を開けてしまえば、もう後は帰るだけだ。
だが、足が一向に立ち上がろうとしなかった。
合掌を解いた拍子に、右手首に付けていたイルカのネックレスが音を奏でる。

「…」

一度その銀色のイルカを見詰め、それから顔を上げて目の前の姉の名を見上げる。
そのまま、ぼんやりと墓石を眺める。
心が空っぽなような、穏やかなような、不思議な気分だ。
離れがたくて、ついその場で視線を下げ、思い耽った。
僕は今、健康な身体があり、病らしい病にもかかっていない。
仕事は比較的順調で、収入も上がってきており資金は徐々に集まっている。
信頼できる仲間もいる。
けれど……僕より優れた人格であった姉が、それらを得られることはなかったのだ。
もう、姉の歳になる。
このまま過ぎていくのだろうか。
僕だけがこんなに運良く健康で、幸運でいて、果たしていいのだろうか。
姉さんにだって、したいことはたくさんあったはずだ。
彼女の夢は、一体何だったんだろう。
あの頃は、もう彼女の夢を尋ねることも罪なように思っていた。
病院の窓からいつも外を見ていた優しい姉が、何故、僕よりも早く亡くならねばならなかったのか。
何年経っても、姉が恋しい。
本当に、優しく強い女性だった。僕の誇りだ。
胸が締め付けられる。
姉に会いたい。
「薫」と呼んで、姉にこそ、今の僕と、僕の信ずる彼らとの歌を聴いて欲しかった…。
病室で歌った僕だけの歌より、何倍もいいと思う。きっと、何倍も喜んでくれただろう。
だが、姉が亡くならなければ、僕は医者を志すこともせず、資金を集めることもせず……だからきっと、彼らにも逢わなかっただろう。
それでも、僕は――、

「…」

…ぐっと両手を握る。
それでも、僕は姉が、生きていたらと思う。
例え、二人と出会えなくとも。

日差しが強い。
刺すように痛いはずなのに、何故かそこからは気温を感じなかった。

 

 

 

――どのくらい経ったのだろう。
足音が聞こえた。
サクサクと砂利道を歩く音。
こんな暑い気温でも、やはりお盆ということがあり何人かは墓地に出入りしているようだ。
先程からちらちらと聞く音の為、あまり気にしていなかったが、不意に、視界が陰った。
不思議に思って振り返ると、男性用の大きな日傘を持った柏木が、その傘の下、笑顔でそこに立って僕を見下ろしていた。

「薫さん、見~つけ♪」
「………柏木?」
「輝さーん!いましたよー!!」

呆気にとられている間に、柏木が口元に片手を添えて声を張る。
遠くから「おー」という間延びした声がして、天道までやってくる。
また似合いもしない、年甲斐もないツバ付きの帽子など被っている。

「よかった。倒れてないな!ったくー、夕方だぜ? 何なんだよ、この暑さは!」
「日が沈んでも、すぐに涼しくはならないですよね。西の太陽の余韻がまだ残ってます~」
「予定ってのは墓参りだったんだな。そう言えば、お前実家が京都だったっけ。何で話題に出さなかったんだよ」
「なるほど。それでちょっと暑さに対する余裕があったんですね。…ああっ、でも薫さん、たくさん汗かいてるじゃないですか。あまり長時間いたら体に悪いですよ」
「…二人とも、何故こ――…っ」
「おわっ!?」「薫さん!?」

立ち上がろうとして、けど中腰のタイミングでぐわんと体のバランスが取れず前に傾いた。
そのまま膝から崩れそうになるのを、傍にいた天道と柏木が右から左からそれぞれ支えに入ったようだが、視界が白くちかちかとホワイトアウトしてしまい、定かではない。
崩れることは免れたが、支えられながら、一時その場に膝を着く。
…熱中症か。
僕としたことが。
そんなにいた覚えはないが、手元の時計すら今は見えない。
キーン…という耳鳴りの奥で、僕の体に触れたらしい天道のぎょっとした声が聞こえる。

「あっつっ…!お前っ、すごい汗じゃねえか!シャツべたべただぞ。何十分いたんだよ!?」
「っ、るさい…。離せっ…」
「ぶ…っ」
「か、薫さん薫さんっ。日陰に行きますから、ね? そこで少し休みましょう??」

膜が張ったような聴力の中、それでも声を頼りに力の入らない腕で天道を押しのける。
手応えが有り、少なくとも天道の懐を脱して柏木の方へ体を預ける。
その頃になると、漸く耳鳴りが引いていき、視界が見えてきた。
目の前に顔面を片手で押さえている天道がいて、僕の背後にいる柏木が、僕の肩と上体を支えていた。
今更ながら、体が燃えるように熱い。
吐く息すら高温だ。

「柏木…。悪いが、日陰に連れて行ってくれ…。横にして、ベルトを外し、襟と袖を開いて…」
「は、はいっ…!」
「…天道は何か水分を持って来い」
「パシリかよ!というか、絶対こんなこったろーとスポドリ買っといたわ!」
「…!」

正面から、天道が人の首にいきなりスポーツドリンクの冷えたペットボトルを密着させた。
ぞっと冷感が首を奔り驚いたが、酷く気持ちがいい。
無意識のうちに目を伏せ、ボトルの側面に頬を添えた。

「…」
「ったく…。ほら持ってろ。体冷やして、そんで飲めよな。…翼、俺ハンカチ水で濡らしてくる。プロデューサーにも連絡入れてくるから、桜庭のこと頼めるか?」
「はいっ。一先ず東屋にいますね!」
「…? 何――…!?」

突然、ぐんっと体が持ち上がる。
驚く暇もなく、柏木によって横抱きにされてしまう。
器用に肩に傘を引っかけ、日陰の中で相変わらずふわふわとした笑顔を向けてきた。

「えへへ~。お姫様抱っこですよ~」
「いや…。背負ってくれればいいのだが…。重いだろう」
「薫さんの体重だったら、オレでも運べますよ。…薫さんが部屋にいないみたいですって伝えたら、プロデューサーさんが、もしかしたらここかもしれない、って」
「プロデューサーが…?」
「はい。…お姉さんに会いたい気持ちは分かりますけど、薫さんが倒れてしまったら、お姉さんだって心配しちゃいますよ。もちろん、オレと輝さんだって心配です」
「…」
「けど、会えてよかったですね。結構忙しいですから、確かに時間を作らないと来られませんよね」
「…。ああ…」

年下の同性に横抱きにされるという事実に複雑な心境を抱きつつ、まだ揺れている意識のまま、目を伏せた。
横抱きとは案外揺れるもので、思ったよりも運ばれ心地が悪い。
墓地の入口に東屋があり、そこのベンチで横になって暫く休んだ。
公の場で着衣を着崩すのはあまり好きではないのだが、そうも言っていられない。今日に限って言えば、全ては僕の落ち度だ。
タイとベルトを外し、襟と袖のボタンを取って広げ、風通しを良くする。

「…。何か、二人で桜庭の服を寛がせていくってのも、レアな光景だよな…」
「止めてください輝さん…!考えないようにしてるんですから…っ」
「…悪かったな。君たちの手を煩わせて」
「いや、そういう意味じゃ…。いやまあ、それでいいけどよ。…うおっ、あっつ!タイピンこれ火傷するレベルだぞ。ったく。馬鹿だな~」
「…」
「輝さん…」
「迷惑ならいい。君の助けは借りない」
「はあ? まーたお前はぁー。迷惑なわけないだろ。大事にならなくてよかったなって言ってんじゃねーか」
「僕が不注意だと思っているんだろう。忠告も聞かずに外出するからと。…大体、誰も迎えなんて頼んで――…っ!」
「薫さん。顔タオルで覆っておくと冷たくて気持ちいいですよ~」

顔面に冷えたタオルをかぶせられ、歯止めが利かなくなる自覚もあった為、ぐっと言葉を呑み込んだ。
視界も遮られて少し落ち着きを取り戻す。
体は予想以上に火照っていたが、水分を取り、濡れたタオルや冷たいボトルで首や脇、太もも、臍など、太い血管がある場所を却することで、比較的早く回復していった。
体が少し楽になり、はぁ…と深く息を吐く。

「替えのティシャツ、その辺で買ってくるか? 観光用の面白いやつとか」
「結構だ」

僕が横たわる傍に立って、自販機で買ったボトルを飲んでいた天道が、冗談めいて言う。
顔面のタオルを軽く持ち上げイラッとしながら答えると、傍に座っていた柏木が、ハンカチで僕を扇いでいた手を止めて天道の方を見上げた。

「もう。輝さんってば」
「へへへっ」
「もうすぐプロデューサーが来てくれますよ、薫さん。ホテルに戻ったらシャワーを浴びて、さっぱりしたらまた休んでくださいね」
「けどよ、本当に病院行かなくていいのか?」
「僕がそう判断したんだ。問題ない。軽度だ」
「そっか。よかったな。ま、あんまり無理すんなよ? …さーて。そんじゃ折角だし、俺も桜庭のお姉さんに挨拶させてもらうかな!」
「……は?」

天道の言葉をぼんやりと聞いていた僕は、彼の最後の言葉が一拍遅れで頭の中に入ってきた。
首を動かして彼の方を見た時は、既に天道はラフな調子で東屋を離れると、その辺をぶらつくような軽い態度で僕の家の墓石がある方へと歩いて行く。
その様子を見送ってしまった僕の傍で、柏木も腰を浮かせる。

「あ、オレもご挨拶したいです。薫さんは、もう少し横になっていてくださいね。すぐ戻りますから」
「…いや、ちょっと待て。どうして君たちが……おい、待て、柏――っ」

慌てて、まだふわふわとしている体を起こしたが、その瞬間また軽く目まいがした。
片手をベンチに着いて乱れた平衡感覚を直している間、どうやら柏木は振り返らなかったようだ。
彼が一度でも振り返れば、恐らく性格上僕の様子を見て戻ってくるような気がしたが、そうならなかった。
天道も柏木も、いつもは鬱陶しいくらい勝手に傍に来るくせに、こういう時だけピンポイントでこちらを見ない。
間の悪い連中だ。

「っ…。くそ…」

立ち上がるのに、更に数秒を要した。
何とかゆっくりと立ち上がり、まだ少し熱い体でよろよろと傍に立て掛けてあった日傘を広げると、再び先程いた家の墓へと、日の下へ出た。
夕日は日差しがきつい。
けれど、日傘のお陰で随分違う。
…しかし、不愉快だ。
そんなつもりはなかった。
何故そう勝手に動く。
苛々しながら墓石の間を歩く。
急いで追ったつもりだが、僕が着く頃には既に手を合わせ終わった後だったようで、二人とも立ったまま墓石を眺めていた。

「……おい」
「ん?」
「わ、薫さん平気なんですかっ?」
「問題ない。…それよりも、勝手なことをするな」

姉に挨拶をしたいという気持ちは悪い気はしないはずなのに、何故か苛立ち、口からは勝手にそんな言葉が出てくる。
僕の嫌悪すべき悪癖を、天道はまるで何でもないかの如く、片手をひらりと振るって軽く霧散させた。

「別にいいじゃねーかよ。同僚の家族に挨拶したって。何もおかしくないだろ?」
「君たちを姉に会わせる予定はない!」
「ぁ…。もしかして、他の人にお墓参りされるの嫌でしたか?」
「は? いや…。嫌なわけではないが…勝手に…。…」

申し訳なさそうな柏木の言葉に、ふと冷静になり、自分が一体何を不愉快に思っているのか自問する羽目になる。

「…」
「なあ。綺麗な名前だな。お前のお姉さん」
「…!」

難しく一人悶々と考えていると、不意に天道が僕に笑いかけた。
その一言に、自分でも驚くくらい心が晴れた。
ふわりと、まるで正面から春風を受けたような心地よい衝撃が、僕を吹き抜ける。
僕の傍で、柏木がにこにこといつもの気が抜ける笑顔でそれに付け足す。

「"薫"さんだって、素敵な名前ですよね」
「いやー、全くだ。お前の場合、名前だけ見るとどんな素敵なお嬢さんかと思うよな~」
「…」
「…あれ?」

柏木と、両手を腰に添え妙に得意気な天道二人が何か言っていたが、今は耳に入らない。
僕以外の誰かが、新しく姉を知ってくれた。
僕の信ずるに足る二人が、今日、姉と会った。
今日この出会いがあったのは、過去に通ってきた全ての過程があったからだ。
姉がいて、天道と柏木がいて、僕がいて……姉と二人が今、出会った。
…姉はまだ、人と出逢える。

「…。綺麗な名だろう」

日傘を片手で持ち、墓石の裏にある名を想う。
天道と柏木が、何かに気付いたように僕を見る。

「素晴らしい姉なんだ…」


葉月の暑い日差しの下で




プロデュサーが迎えに来て、ミニバンに乗ってホテルへ戻る。
少しの小言をもらったが、言われなくても僕とて同じ過ちをするつもりは元よりない。
いつもの席で足と腕を組み、窓から多少見慣れた京都の道を眺めていると、不意に柏木の向こうから天道が上体を前に出して僕へ声をかけた。
半眼で、妙に呆れた顔をしている。

「…なあ」
「何だ」
「お前さ、普段からもーちょい安売りしてもいいと思うぞ、さっきの」
「…? 何の話だ?」
「笑顔ですよね。笑顔~♪」

僕らの間で、柏木がにこーと笑って片手の指を自分の頬へ添える。
警戒心の薄らぐ気の抜ける笑顔を一瞥し、ふいと再び窓の外へ視線を向けた。
くだらない。

「安売りなどするわけがない。僕の笑顔は、僕のファンと、僕が信頼する者達だけのものだ」

運転席で、プロデューサーが小さく吹き出した。
控えめに笑っている声が耳に入ったが、気付かないふりをする。
車は、ホテルの地下駐車場へと入っていった。
袖は既に直してあったが、今更気付いて、ずっと開きっぱなしになっていた襟のボタンを片手で留めた。



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お姉さんのお墓参り。
薫さん的に、輝さんも翼さんも自分の笑顔を見せてやってもいい相手ではある。
…というと尊大ですが(笑) 信頼してるんです。
2018.8.22





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