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「――それじゃあ、神谷。後のことは宜しくお願いします」
「ああ。いってらっしゃい。気をつけてな、東雲」

東京駅の新幹線改札前で軽く手を振り、東雲を見送る。
流石にメンバー全員で見送りに来ては目立つからと、来るなら各ユニット見送りは一人!と制限を付けられた結果、Cafe Paradeでは俺が見送り担当になったというわけだ。
にこやかに送り出す俺の隣で、想楽と春名が改札向こうに歩き出したメンバーに声をかけ、同じように送り出す。

「クリスさーん。海の話ばっかりして、皆さんにご迷惑かけないでくださいよー? 黙っていればそこそこイケるんですからー」
「四季ー。お土産買って来いよ~っ」

春名の声に、改札の向こうでマスクをしている四季がぴょんぴょん跳ねて大きく手を振ったけど、流石にいつものように大声で返事ということはしないようだ。
こっちの二人してどことなく控えめに声をかけているのも、ここが駅ど真ん中であるからだな。
有難いことに、最近は俺たちの事務所も世間に注目されてきているし、平日の白昼堂々、注目を浴びて混乱を招くようなことは避け――…。

「翼ーっ!頑張ってこいよー!!」
「かのーん!ほかの奴らになんか、ぜったいぜぇーったいっ、負けんなよー!!」

…。 
避、け――…ないといけないと誰もが思っているだろうなー…と思ったんだけれど…。
大きく右腕を振るう笑顔の輝さんと、両手を口の左右に添えて小さな体全力で叫ぶ志狼に、思わず改札の向こうへ見送った笑顔のまま硬直する。
ざわっ…と、一瞬周囲の行き交う人たちの気配がざわめいた。
俺の傍に立っていた想楽と春名が引き気味だ。

「…うわぁー。ここ叫びますかぁー?」
「あー…。実はちょっと危ねえかなと思っていた件…」

二人がぼやいた直後、がばっ…!とプロデューサーさんが輝さんと志狼を両手でそれぞれ掴んで、脱兎の如く駆け出す。
…うん。そうだな。
その方がいいだろうね。

「騒ぎになってしまいそうだね。俺たちも帰…」
「キャー!ハイジョの春名っ!?マジで!?」

二人に言っている途中で、甲高い女性の声が一際響いた。
春名が慌ててマスクをするけれど、きっともう遅いだろうな。

「春名~っ!春名春名っ、ヤバイ!マジマジカッコイイ!!春名~っ!!」
「え、想楽くんじゃないアレ!」
「あ、あっはははは~…。やー。どーもどーも」
「人のことアレとか言いますー普通」
「…走るかい?」

地方程じゃないけれど、周囲がざわついてしまう。
勿論殆どの人が見て見ぬ振りをしてくれるけれど、一部の人たちがスマホを取り出し始めるのを見て、二人の肩をぽんと叩いた。
先に走っていったプロデューサーさんたちを追う形で、俺たちも小走りでその場を離れる。

「ようせいのおにーちゃん!」
「ん…?」

ばたばた足早に移動している途中、ふと舌足らずな声が聞こえてそちらを向くと、まだほんの5,6歳の可愛らしい女の子が母親を手を繋いだまま、もう一方の手で俺を指差していた。
うちのユニットは割と子どもと接するイベントも多いからな。
あんなに小さい子まで俺のことを知っていてくれるのは嬉しいことだ。
ウインクで返して、一瞬だけ後ろ向きに走って手を振ると、ぱあっと彼女が笑顔になって手を振り返してくれた。
ぽっと灯ったキャンドルのような嬉しさを胸に、二人と一緒に事務所へ戻った。

そういうわけで、この時はまだ、気にもかけてなんかなかった。
今まで、それこそ年単位で会わなかった期間があったから、同じ国内で数日だけ離れるということなんて、本当に何でもないと思っていたんだ。


デセールはいつもの食器で




「……はあ」

あまり聞いたことのないため息が耳に届いて、俺を始めメンバーが顔を上げた。
時間まで与えられた控え室で待っているわけだけど、時間の使い方はそれぞれと言っても皆一室にいるから、言葉は筒抜け状態だ。
ため息も然り。
部屋の真ん中にあるテーブルに腰掛けた巻緒が、左手で頬杖を着いてどこか気落ちしている。
目の前に広げられている雑誌のページはもうすぐやってくるバレンタインの特集ページで巻緒が好きそうなものなのに、今のため息は"美味しそうだな"とか"素敵だな"とかいうため息でないのは誰でも分かる。
何か悩み事だろうか。
斜め向かいに座っていた俺は文庫を持っていた腕を降ろして、彼へ尋ねてみることにした。

「巻緒? どうしたんだい、ため息なんかついて」
「そ~だよ~。何か悩みごと? ロールらしくないよ。パピッと相談して!」

鏡の前で髪を整えていた咲が傍までやってくると、俺の隣のイスの背に両手を添えて上半身を前へ傾ける。
アスランも咲と同じく鏡の前にいてサタンの為の裁縫をしていたようだけど、やっぱり気になったのか体半分こっちを向いていた。
皆に一斉に注目されたのが意外だったのか、巻緒は慌てて頬杖を止めるとぱたぱたと手を振る。

「あ…すみません、仕事前にため息なんてついちゃって。…いえ、荘一郎さんがいないと寂しいなぁと思って…」
「東雲?」
「はい…」
「そーいちろう、ソロ初めてだもんね。心配はしてないけど……うん。何かちょっと、違うかも」
「あぁ…東雲さんのスイーツ、もう一週間も食べてない…。あのキメの細やかなクリーム…さくさくふわふわのメレンゲ…フルーツのセレクト…配色のセンス…美しいフォルム…幸福を形にしたスイーツの数々…」
「巻緒のケーキも美味しいじゃないか」
「…神谷さんっ!」

東雲の留守中のお茶の時間は、巻緒が作ってくれている。
本心ではあると同時にフォローのつもりで言ったにもかかわらず、俺がそう言った瞬間、巻緒はきっと双眸鋭く俺を見て、テーブルの上に拳を置いた。

「いつも思うんですが、それは荘一郎さんに失礼ですっ。荘一郎さんの絶品スイーツと俺のお菓子作りを絶対一緒くたにしないでください!」
「ちょっと、ロールってば…っ。せっかくかみやが褒めてくれたのに…」
「一緒くたにはしていないさ。けれど、それぞれの良さはあるだろう? 巻緒のあたたかい感じがあるデザートも俺は好きだよ」

咲が横から巻緒に言ってくれたが、二人の発言が響く前に間に入ってそう続けると、巻緒もバツが悪そうに勢いを緩めてくれた。

「え…いや、まあ…。そう言ってもらえると、もちろん嬉しいですけど…」
「確かに東雲のデザートの味が味わえないのは残念だけど、俺は巻緒のケーキも好きだよ。けどそれだけじゃなく、やっぱりメンバーがいないと寂しいものだね」
「うんうん。ロールのケーキも美味しいけど、確かにちょっと寂しいかも。…あ、アスランの時もこんな感じだったんだよ?」
「…! と、当然であろうなっ!」

咲が人差し指を立ててそう言うと、アスランがぱっと顔を輝かせる。
…そうだな。アスランがいない時も、"一人いない"ということがとても目立った。
俺は割とマイペースだから、帰ってきた時や万一困った時に連絡がくればその時に力を発揮すればいいと思っていたけど、アスランが北海道へ行った時は、東雲や咲の方が心配していた気がする。
俺たちはメンバーも多いからそこまで支障は無くフォローができると思ったんだけど…やっぱり、仕事とは別で、雰囲気はそういうわけにはいかないものだ。
巻緒が両手を合わせて再びため息を吐く。

「もちろん、荘一郎さんなのでアスランさんの時よりは心配しているわけではありませんが――」
「おおっ、マキオよ…。我が身をそこまで案じていたとは…!しかしてソーイチローも我らと宿命を同じくする同胞故、彼奴のことも案じてやってよいのだぞ!我が闇の力にて守護を付け、呪われし秘伝の書を渡したが故、心配はないがな!」
「観光雑誌渡してましたね、そういえば。…まあ、確かにメンバーの中で一番心配がないのが荘一郎さんではありますけど…。正直、神谷さんが一人で行くよりは…」
「うんうんっ。かみやの場合、もし行くなら絶対誰かに面倒を見てもらわなきゃだもんね!よろしくおねがいします~ってねっ」
「そうかな。最終的には目的地に着くことが多いから、大丈夫だと思うんだけど…。けれど、誰かと一緒に行動した方が楽しみも確かにあるからな」
「何にせよ、荘一郎さんには早く帰ってきてほしいな…。勿論、ツアーライブを成功させてですけど」

頬杖を着いて、三度巻緒が息を吐く。
どうやらよっぽど東雲がいないことが堪えるようだ。
あとで彼に教えてあげたら、喜ぶだろうな。
しょんぼりしている巻緒に微笑みかける。

「すぐ帰ってくるよ」
「はい…。…神谷さん。待っていると、こんなに長いんですね、一週間って」

巻緒の言葉に、少し思い当たることがあって携帯に触れていた指先を止めた。
時間は、"待っている方が長く感じる"。
実際に行った側は、きっとやるべきことがたくさんあって、どちらかといえば時間は早く感じることが多いだろう。
俺も、アスランや東雲たちが離れてから戻ってくるまでの時間は長く感じる。
…けど、たかだか一週間――の、はずだ。

「…ああ。そうだな」

少しでも安心するといいなと思い、にこりと不安そうな巻緒に微笑みかけてはみたけれど…。
そうだ。まだ、一週間なんだ。
俺自身が世界旅行に行っていた頃に比べれば、一週間なんてあっという間のはずだ。
けれど、その時と比べても、随分長い間会っていないような気がする。
いつも道に迷ってしまう時もそうだけれど、思えば、俺はいつも待たせる側だ。
…。

「…東雲は、よく待っていてくれたなぁ」
「ん? なぁに、かみや。何か言った?」
「ああ。東雲が早く帰ってくるといいなぁってね」

こてんと首を傾げて尋ねる咲に返してから、LINEでメッセージを送っておく。
今では世界は小さくなった。
こうして機器で文章のやりとりも会話もすることはできるけど、やっぱり実際に会わないと叶えられないことも感じ合えないこともあって、本当の意味で共有できることは限られてくる。
丁度手元にスマホがあるわけだし、試しに『ライブを成功させて、早く帰ってこれるといいな。会いたいよ』と送ってみたけど、忙しいのかすぐに既読が着かなかった。
『会いたい』という俺のメッセージに、例えば東雲が『私もです』などと送ってくるとは最初から思っていなかったけど、数時間後に淡々と『×日×時の新幹線で帰る予定です』とか入ってくると、いかにも東雲らしくて安心すると同時に、何だか俺の一方的な気がしてまた少し寂しさも覚えた。
けれどもこれも、俺があちこち行っている時に、彼に連絡するのは一週間に一度あるかどうかだったし、何なら一ヶ月二ヶ月音信不通であったこともあるから…。

どうやら、俺は随分と自分勝手な人間らしい。

 

 

 

 

そんな東雲を含めた名古屋組が都内に戻ってくる新幹線は、午前中のものだった。
ライブが終わった後一泊して、翌朝午前中に乗り、十二時少し前に帰宅するというものだ。
幸いその日は俺たちCafe Paradeは予定もなく休日で、東雲を出迎えようという話になった。
ただ、当然ぞろぞろと改札前にいては目立ってしまうから、あくまで改札まで迎えに行くのは巻緒だけで、俺たち三人は事務所にいることにした。
ユニットによっては今日のスケジュールが埋まっている所もあるから、地方ライブから帰ってきたといっても事務所に立ち寄らず直接他の仕事へ向かう人もいれば、逆に東京駅で合流してまたすぐ別の場所へ行く人もいるし、なんなら現地から別の現場へ行く人もいるらしいから、事務所に真っ直ぐ戻って来たのは東雲とかのんだけのようだ。

「ただいま戻りました」
「ただいまぁ~!なおくん、しろうくーん!」
「あ…。おかえりなさい、かのんくん」
「おー!待ってたぜー、かのん!ちゃんとできたか!?」
「うんっ、できたよ~!とーぜんでしょっ」
「ホントかよー!」

事務所のドアを開けたところで、東雲と手を繋いでいたかのんがぱっと離れて、同じように待っていた真央たちの方へ駆けていく。
思いっきり抱きつくと迎える側もその様だし、小さな猫がじゃれるように三人で丸くなった。
志狼君もそうだったし、前々から仕事はしっかりやる子たちだけれど、実際メンバーと離されて一人だけあまり親しくない大人たちとどこかへ行くというのは、9歳の子にはなかなかハードなんじゃないかなと思う。
それを周りに見せないのだから、やっぱりそこは子供だから大人だからというものではなくて、素直に尊敬する。
微笑ましい気持ちで彼らを見てから、上着を脱いでいた東雲の方へ視線を移すと、すでに巻緒たちが取り囲んでいた。
両手を組み合わせた巻緒が一番に声をかける。

「お帰りなさい、荘一郎さん!」
「ええ。ただいま戻りました。皆さんお変わりありませんか?」
「ないけどー、そーいちろういなくて、すっごく寂しかったよっ。ねえ、雪とか大丈夫だったの? ライブどうだった!? ねっ、衣装の写真撮ってきてくれた? みんなちょっと違うんでしょ? 一番誰のものが可愛かったかな?」
「ふ…。事無く我らが闇の地へ戻りし朋よ!やはり我が力が幸いしたのであろうな…。カミヤ!すぐに血を分けた我らが同胞の凱旋を祝し、宴の準備だ…!!」
「あはは。そうだな、ささやかだけど、昼食を一緒に取ろう。アスランが、昨晩から下準備して美味しいランチを作ってくれたからな」

みんなより少し後ろにいた俺を勢いよく振るった片腕でアスランが示したので、その意見に賛同する。
移動しては疲れるだろうし、細々とした事務連絡はあるだろうから、今日の昼食は事務所で食べることに決めていた。
けれど買った物ではないし、咲の選んだランチボックスセットにアスランの料理、巻緒のスイーツに俺の紅茶を、ばっちり揃えて来たからね。
小さなパーティばりに準備は完璧だ。
アスランたちを間に挟んだまま、少し距離を取った状態で東雲に微笑みかける。

「お帰り、東雲。お疲れさま」
「ええ。お世話様でした。…さあ、それじゃあ私は、卯月さんの分も含めて山村さんにお伝えしてきますが、その美味しいランチを楽しみにさせていただきます」
「うん!ぱぴぷパーフェクトに準備しとく♪」
「俺の未熟なスイーツで申し訳ありませんが、心を込めて作りました!是非食べてくださいっ」
「うむ!我もロールに同じだ!サタンもソーイチローの帰還を喜んでおるぞ!!」
「紅茶は戻って来てから淹れるな。カップは温めておくよ」
「お願いします。では」

東雲が荷物をイスの一つに置いてから、エントランスから出て行く。
元々パーティやお茶会、その準備やコーディネートも含めて皆で食事を取ることが好きな面々が揃っているのがCafe Paradeだ。
本領発揮。
わあっと一斉にみんなで用意を始める。

「ねえ、かみやー。もふもふ園の三人も誘っていいかな? ごはんが決まってなかったらの話だけど~」
「もちろんさ。聞いてきてくれるかい、咲?」
「はぁーっい! それじゃ、行ってくるね☆」
「あっ、アスランさんちょっと待って…!料理置く前に咲ちゃんが持って来たテーブルクロス敷きます!」
「なに…!? そのようなものまで…!」
「そうか。ああ、それじゃあこれは一旦退かせてお――」
「カミヤッ!汝には見えぬであろうが、その魔器は灼熱の炎をまとっておるのだ!我しか扱えぬっ、手を出すな…!」
「おっとっと…そうなのか。危ない危ない。加熱してあったのか。大丈夫、触ってないよ」
「はーい、広げますよー」

俺たちがそうして準備を整えていると、咲がもふもふ園の三人を連れて戻って来てくれた。
保護者の迎えが来るらしいんだが、それまで一緒に食事を取れる時間があるようだ。
人が増えた中に東雲が戻って来て、事務所の一角で小さく些細なブランチパーティが始まれば、自然とそれ以外の人も寄ってきて、最終的には立食パーティのような状態になり、相当数作ってきたはずのアスランの弁当も巻緒のスイーツも足りなくなってしまうくらいだった。
勿論、俺の茶葉も。
とても有難い話だ。
けれどやっぱり興味を持ってくれた人に万遍なく行き渡らなかったことは、提供する側として残念な気持ちも残る。
事務所前でタクシーを待っている時も、まだアスランも巻緒も悔しそうだった。

「く…っ。不覚…!我が暗黒の力をもってしても、完全なる予知には至らなかったか…っ」
「こんなことなら、せめてあと2ホール焼いてくるんだった…。時間はあったんです。でも、誰かが増えても2ホールあれば間に合うかななんて思って…。ああ、せっかくみなさんに食べていただいて、たくさん感想をもらえるいい機会だったのに…」
「まあまあっ。それだけおいしかったってことじゃない。ねっ? アスランもロールも、次の機会があるよ。どれもみ~んな、おいしかったし、また食べたい!って言ってくれたじゃない。…ねっ、そーいちろう?」
「ええ、とても。あれくらいの人数で気軽に取れる軽食はいいですね」
「そういちろうも戻って来たし、これで明日からまた、パピッとCafe Parade☆全開っ!で行けるね!」
「お力になれるよう、努力します」
「…あ、そうだ。東雲」

ぴょんと飛びついた咲に片腕を抱かれた東雲に声をかけ、片手を軽く挙げた。

「東雲がライブに行っている間、新しくもらった資料がうちにあるんだ。説明もしたいし、寮へ戻る前に取りに来ないか? 家の道具があれば、もっと美味しい紅茶も出せる。もう一杯うちでどうだい?」
「資料ですか?」
「明日でよいのではないか? サタンもそう言っているが…」
「ですが台本もありましたから…。早めの方がいいのは確かですよね」

東雲が疲れていないかと心配してくれているアスランとサタンが言ったけれど、巻緒が困ったような顔をしてそう続けた。
巻緒の言うとおり、俺が預かっている資料の中にはドラマの台本があるから、早めに渡しておきたい気持ちもある。
東雲はそういった資料なら早めに欲しいはずだ。
案の定、「そういうことなら…」という流れになる。

「では、立ち寄らせていただきましょうか。もう一杯いただきたい気持ちもありますし」
「ああ。そうするといいよ」
「いいな~。あたしも、かみやの紅茶もう一杯くらい飲みたーい!…あっ、ねえ!あたしもかみやの――」
「あ…。咲ちゃん行っちゃう? よかったら、この後一緒にこの間ダメだったお店行きたいなと思ってたんだけど」
「え?ホント? 行く行くっ!も~、ロールってばそういうことは早く言ってくれなきゃ!」

ぴょんとその場で跳ね、一緒に店に戻ろうとしていた咲は、どうやら巻緒とカフェ巡りをすることにしたらしい。
確か、パンケーキが美味しいお店に行ったけど、臨時休業に当たってしまって残念だったって言ってたっけ。

「時間がある時にいつでも淹れてあげるよ。…アスランはどうする?」
「ふ…。我にはサタンが為、尊き使命があるが故、暫し旅に出ねばならぬ…!」
「アスランは、サタンの新しい衣装を作るんだよね? 可愛い生地があったら、あたしにも明日教えてね」
「うむっ!」
「そうか。それじゃあ、一旦ここで解散にしよう」

久し振りにメンバーが揃ったので離れてしまうのは残念だけど、また明日から仕事もあるからね。
始めに来たタクシーに咲たち三人が乗り、それを見送る。
振っていた手を下げたところで、横に立っている東雲へ顔を向けた。

「茶葉は何がいい?」
「お任せします」
「それじゃあ、東雲が好きな茶葉のゴールデンチップスが手に入ったから、それにしよう」
「ゴールデン…。ああ、何やええ茶葉とかいう…。普通のでええですよ。勿体ないやないですか。珍しいのでしょう?」
「だからさ。今日が飲むタイミングだ」
「そうですか? …では、お言葉に甘えましょうかね」

言うと、呆れ半分というような苦笑が返ってきた。
ほぼ毎日見ていた笑顔でも、数日見ていなかったというだけでとても嬉しく感じ、一刻も早く店に戻りたい気持ちが生まれ、車が入ってくる方へ視線を投げた。

 

 

 

タクシーを使って、店へ直行する。
店…といっても、元というだけで今は俺の自宅というだけだけれど、門構えを見れば今も尚やはりカフェの風体はあって、休日に庭の手入れなどをしていると、道行く人に「いつやってるんですか?」と問われることも多い。
特に、出入り口だったドアが特徴的で、一般住宅と比べると少し違うものだろうと思う。
一般住宅にしてはオシャレというか豪華というか……そうだな、まず何のお店かな?と思うくらいには目を惹くものなのだろう。
門から玄関まで数メートルあるし、東雲は疲れているだろから、俺の後にタクシーから降りた東雲に片手を差し出す。

「東雲、荷物を持つよ」
「一週間前も似たようなことを言ったと思いますが…。この程度の荷物で次同じことを私に言わはったら、ええ加減怒りますよ」
「うん? …ああ。そう言えば言われたような…」

差し出した俺の片手を無視して、東雲が旅行カバンを引いて歩き出してしまう。
どこに怒る要素があるのかいまいち分からないけど……荷物を持たれるのは、どうやら苦手のようだ。
…うーん。けど、大きな荷物は一緒に運ぶことはあるんだけどな。
まあ、東雲の感性は東雲のものだからな。
俺はついつい言ってしまうけど、勿論無理強いするつもりはない。
それならばと、歩き出した彼の前に出て門を開ける。
入った後は閉じ、少し年季の入ったキーで玄関のロックを外し、ドアを片腕で開く。

「いらっしゃい。さあ、どうぞ」
「おおきに。お邪魔します」

ガラガラと荷物を伴って東雲が先に入り、その背後でドアを閉めて鍵をかけた。
元カフェだった手前、玄関の近くにハンガーコーナーが今もあり、俺のアウターは薄手だからこのままでいいとしても、東雲のコートは脱いだ方が肩が楽だろうから、今度もまた片手を差し出す。

「上着を掛けようか。預かるよ」
「ああ、はい。お願いします」

すると、今度は平気だった。
さっきの荷物と何が違うんだろうかと、もやもや疑問符が浮かんでくる。
ちょっとよく境目が分からなかったけれど、やっぱりまあいいかと預かったコートをハンガーにかける。
ボタンまでしっかり留めて、さっと一度表面を手で撫でてから振り返ると、東雲は手にしていたカバンをドアの横へ寄せていた。
紅茶一杯と仕事の資料を渡すだけだから、荷物はここに置いていこうと思ったのか、彼が旅行カバンを置いて長かった取っ手を収納している。
何だかその景色だけでほっとするな。
その背中に、ついと一歩踏み込んでみる。

「なあ。東雲?」
「はい。何で――…」

返事をしながら振り返るのは長年の付き合いで予想ができた。
何となく振り返るタイミングも計れたから、こちらを向いた彼の唇へ、挨拶程度の、けれど音を立ててキスをしてみる。
柔らかい慣れた感覚に、ようやく少し安心すると同時に、表現するのが難しい情熱みたいな嬉しさが、心臓から四肢へ広がっていくのを感じた。

「――」
「驚いたかい?」

まさか俺が玄関口でこんなことをするとは思いもしなかったのか、東雲が珍しく呆ける。
驚いた顔ににこにこと笑いかけると、彼の方でも我に返ったらしく露骨に顔を顰めた。

「当然やないですか…。急に何――…!」

キスだけで終了だと思っていたようで、そのまま会話を続けようとする東雲の右頬に左手を添え、首の横に唇を寄せる。
軽く音を立てて吸うと、ぎょっとしたように身じろぎされ、ついつい追っていきたくなってしまう。
唇の横にある黒子へも唇を寄せると、東雲がぎくりと身を硬くしたのが分かった。
いつも始める前にそこへキスをするのが合図のようなものだから、流れを感じ取ったらしい。
自分が思っているよりも俺が本気だと知れたようで、呆気にとられて口よりもその黒子を守るように、左手の指先をそこへ添えている。

「…………は?」
「うん。キスをするのも数日ぶりだ」
「いや…。何阿呆な……ちょ!?」

近距離で微笑みかけてから、再び首へ唇を寄せる。
吸って僅かに赤くなった皮膚を舌で舐め、それからまた同じ場所へ再び吸い付いた。
あんまりあちこちに痕を付けてはよくないだろうけど、一カ所くらいなら、虫刺されということで通じないこともないと思うんだけどな。
…難しいかな、やっぱり。

「いっ…」

少し強めに吸い過ぎたか、東雲が横を向いて眉を寄せる。
逃げに入る彼を可愛らしく感じるし、離れていた手前止まらなくなってしまう。
無論こんな場所で最後までやったらそれはそれは怒られるだろうから、東雲が本気で怒る手前ぎりぎりのラインを狙わなければならないというわけだ。
…けれど、たぶんこのくらいならば大丈夫だろう。
本当は、最後までやっても嫌われない自信くらいはあるんだけれど、とはいえ本気の東雲に怒られるのは恐いからな。わきまえないとね。
左手で彼の脇を支えながら、服の上から親指で胸を探る。
ガチャリと右手がベルトを解いた音に気づいて一瞬抵抗されたが、その抵抗が本格的になる前に手際よくパンツのボタンを親指で弾くように解き、前を広げて腹を伝うようにして下着の中へ手を滑り込ませた。
指先に感じる熱が高くなり、ふわんと妙な安堵感を得て嬉しくなってしまう。

「っ…、こら」
「そんなに逃げなくたって…」
「ふざけ――…っ!」

俺の手から逃げたせいで、どんっと東雲の背中がドアにぶつかる。
上に付いているドアベルがチリンと少しだけ響き、知っているはずであろうその音にびくりと東雲の肩が揺れ、一瞬触れている体がひどく強張った。
動揺が少し微笑ましくて、くすくす笑いそうになってしまう。
腰が引けたところで行き止まりだから、そのまま東雲のものを片手の指で弄りながら、邪魔な下着を下へずらして前を寛がせてやる。
その頃になると、無意識なのだろうけれど腕の行き場がなくなって、彼の左手が俺の背のシャツを弱々しく握ってくれた。
利き手の方では一応俺の手首を掴んで剥がそうとするけれど、力が入らないみたいだ。
唇や頬や首にたくさんキスをしながら、高めていくことに専念する。
鼻腔を擽る東雲の匂い。
それだけで俺は嬉しくて昂ぶってくるから、彼もそうだと嬉しいな。

「は…。ちょ…っと、神谷。冗談…」
「冗談じゃないよ。会いたいなって送ったと思うけどな。ここまで我慢するのも頑張ったつもりなんだけど…。気持ちいいかい?」

きっと気持ちがいいだろうなと思って聞いたけれど、東雲は唇を噛んだままぶんぶんと首を振った。
思わず小さく微笑んでしまう。
こういう所も好きだ。
今までだってこういうやりとりは一度や二度じゃないし、その素直じゃない拒否のし方が肯定の理由になるということを、彼なら当然分かるものだと思う。
若しくは、分かっていてやってくれているのかもしれないけれどね。
だとしたら、無言の催促ということになるから、やっぱり俺としては進めなければいけない。
外から帰ったばかりだし、日中とは言え季節柄肌寒い。
右手を閉じたり開いたりしてみる。

「そうか、残念だな…。それじゃあ、もう少し頑張らないと。…手が冷たいからかな? ポットと同じで、温めておけばよかったかな」
「そん、な話やな……っ!」

体を温めてあげようと更に一歩踏み込んで密着してみる。
顎を上げて反らされていた喉が美味しそうに見えて、獲物を仕留めるライオンみたいにキスをしてしまうと、びくっと東雲の体が震えて更に上を向いた。
力が抜けてきた彼の体を支えるために、左手で後ろ腰を抱く。
ウエストの細さは抱きやすくて、俺の手がすっと収まる感じがするんだ。
体を僅かに屈めて喉へキスしながら、硬くなって上を向き始めた東雲のものをもう少し強めに触れようと、逆手に持ち替えて指先で根元を刺激しながら撫で上げる。
聞き慣れた水音と息遣いが鼓膜を刺激して、じわじわ俺の方も体が火照ってきたし、東雲も熱くなってくる。
いつも滅多に表情を変えない落ち着いた性格をしているから、こういう時の変化が分かりやすいし、赤くなる顔も耳も、寄る眉も、全部捕まえておきたくなる。

「んっぁ…、はあっ、は……ちょぉ…ちょぉ待…」
「…? どうして耐えてるんだい?」
「どうしても何も…。店…っの中やないですか…っ」
「そうかな? もうカフェじゃないから、心配はないよ。ここも俺の家の一室ってだけだ。気にしなくていいと思うよ?」
「カーテン…!」
「カーテン?」

言われて、背後に広がっているカフェエリアを振り返る。
オシャレなアンティーク調の窓がいくつかあるけれど、今はカフェをしていないから、ぱっと見ちゃんと閉まっていると思うけど…。
…と見渡した最後、南西側の窓のカーテンが一部開いていた。
開いていたというよりは、閉めたけど最後までちゃんと引かなかったという感じだろうか。
それにしたって10㎝くらいだろう。
カーテン越しの午後の明るい日差しが店に差し込んでいるけれど、確かにそこだけはっきりと帯状になって店内に伸びていた。
確かに、覗く気になれば店内を覗くくらいはできるけど…。

「ああ…。大丈夫だよ、あれくらい。庭側だし、入って来るような人はいないだろう。さすがに巻緒たちが来たら分からないけど」
「…っ」

ぐっと顔を寄せて深くキスをする。
今だけは彼の呼吸も全て逃すまいと思って、隙間なく唇を重ねた。
東雲はキスで乗り気かそうじゃないかがとてもよく分かる。
絡めた舌は積極的とまでは言い難いけど逃げずに合わせてくれたから、許可を得たように感じて下半身を扱く手を早めた。

「ちょ…。神谷、ホンマに…」

肩が震え、俺の肩を掴んで押し返そうとする。
勿論力が入っていないのでそんなことでは引けはしない。俺も男だからね。
震えるのは肩ばかりではなく、立っているのもやっとという感じで腿が震えている。
限界が近いみたいだ。
少し早めだな。
疲れているのもあるんだろうけど、突然のことで驚いているからか、いつもみたいな余裕もない。
それがとても新鮮で可愛らしい。
ぐっと俯く東雲の額に唇を寄せる。

「感じてくれて嬉しいよ、東雲。とても久し振りに感じる。耐えなくていいから、どうぞ」
「いや…ど、うぞ言うてる…意味が―…っ。あ…あきませんて、ホンマに…こんな場所…」
「出していいよ。誰が見ているわけじゃないし、零さないから」
「こ――」

東雲が絶句して顎を引く隙を見て、一瞬片手を引き、懐からハンカチを取り出す。
正方形に折りたたまれているそれをぱっと腕を振って一度開き、上半身で押さえつけるようにキスをして、ハンカチで先端を包みこむ。
それまで俺を押し返そうとしていた東雲が、両手を重ねて口を覆い、逆にぐっと俺の肩に顔を埋めた。
限界が近いらしく震えている性器を撫でながらカリの裏を指先で引っ掻くと、がくっ…!と東雲の体が下がった。

「っ――…!!」
「おっと」

崩れそうなその体を片腕で支えた頃には、くたりと力が抜けていて果てたのだと分かる。

「……は、…っはあ――…」

俺のシャツに爪を立てて力ない様子が嬉しくて、無意識に頬が緩んでしまう。
支え上げた顔に横から唇を寄せて耳へキスをした。
終えてから、横から俯いている顔を覗き込む。
赤い頬や耳を見ると、何ならもっと進めたくなってしまうけど……一息必要かなと思って東雲の後ろ腰を片腕で抱き直し、ハンカチを持った手で腕を取る。

「大丈夫かい、東雲?」
「――」
「けど、一週間ぶりだし、感じてくれて嬉しいな。最近は殆ど一緒にいたから、離れ――…ん?」

余韻の残る息遣いで東雲が顔を上げ、俺の方へもたれかかると自然な流れで唇を重ねた。
目を伏せてそれに合わせる――…が、

「……ふ?」

むぎゅっと鼻を抓まれる。
…ん?
何だ?と目を開けると、東雲は相変わらず目を伏せて……けれど、利き腕を挙げてキスしたまま俺の鼻を抓んでいた。
積極的に絡めていた舌も嬉しかったけど、数秒も経てば閉塞された息は苦しくなってくる。
…。
……う。
嫌な予感が…。
両手を東雲の肩に添えてやんわりキスを終えようと思ったけれど、逆にガッと左手で顎を鷲掴みされ、押さえ込まれてしまう。

「…!」

俺の顎を持ち上げると同時に一気に力がなかった体が起きると、ぱっと体勢が入れ替わり、逆に今度は俺が押さえつけられ勢いよく背中がドアにぶつかった。
チリン、とまたベルが頭上で鳴る。
さっきよりは大きく。

「~…」
「…」
「――っ!――っ!?」

い、息が…っ。
何とか引きはがそうとバシバシ東雲の肩を叩いたり身をひねってみたりしてもどちらの手も離してくれなくて、本気で酸欠になりかける。
…まずい。
いや、本当に。苦しい。
舌を絡めると貴重な酸素をあっというまに使い切ってしまいそうで、最後の方には俺の方が逃げに入ってしまった。
貧血の直前みたいにくらくら視界が白くなり耳鳴りがしたところで完全に余裕がなくなり、もう少しで落ちるというその一歩手前の頃に、申し訳ないけれど東雲の体を突き飛ばすよう力任せに引きはがした。
ばっと体が離れる。

「…ッぶっっっはッ――!!」

水の中からやっと浮き上がったみたいに、顎を上げ、口を大きく開けて体内に一気に欠けた酸素を取り込む。
肩を上下し、全身で呼吸をしてもまだ視界がくらくらしている。
ドアに背中を預けたけれど、体に力が入らずずるりと腰が少し下がった。
昂ぶっていた俺の体も、一気にそれどころじゃなくなってしまったようだ。

「はあっ…はあ……。げほっ…!」
「…邪魔です!」
「……え?」

そのままずるずるとしゃがみ込んでげほごほ咳き込んでいると、勢いよく手から何かが抜ける。
取られたそれがハンカチだと思い出す頃には、東雲はさっと乱れた服を自分で整えて俺から離れてしまう。
まだ酸欠でぐったりしている俺を置いて、すたすたと二階へ一人上がってしまった。
勝手知ったるは当然だとしても、俺も何とかそちらへ向かう頃、丁度バタンとバスルームのドアが閉まったのが見えたので、あぁ…と早速後悔する。
…怒らせたかな?
少し一方的過ぎただろうか。嬉しかったからつい…。
出てきたら謝らないと。
…そうだ、少しでも落ち着いてもらう為にお茶の用意をしておこう。元々そのつもりだったしな。
名古屋で色々と美味しい物を食べてきたんだろうけど、紅茶なら、俺が最も彼の好みの味に近づける。
けど…。

「…ごほっ」

右手で喉を押さえてもう一度大きく息を吸い込む。
何だろう。別に首を絞められたとかいうわけじゃないのに、喉に閉塞感を感じる。
呼吸がうまくできない感じだ。
ちょっとだけ死ぬかと思ったな。

「はは…。容赦ないなぁ…」

そのままバスルームの前を通ってキッチンへ向かった。
感情的に怒っている時は、素直に一旦距離を置いた方がいいからね。

 

 

 

十数分後――。
いつもより少し長い時間を取って、東雲がリビングへ出てきた。
――が、

「えーっと…。…東雲?」
「…」

バスルームからあがってきた東雲はすごぶる機嫌が悪い。
テーブルセットに座ったはいいものの、まるで酷い頭痛がするみたいに右の肘を着いてその指先をこめかみに添え、目に見えてむすっとしているし、そんな彼の周囲には暗雲が立ちこめているような気さえする。
濡れた髪を乾かした後の、このドライヤー独特の甘い匂いはとても好きなので頬が緩みそうになるが、あんまりにこにこしていると怒られそうだから気をつけないと。
それにやっぱり、気分を悪くさせてしまったら謝らないとね。

「悪かったよ。そんなに怒るなんて、思わなかったんだ」

用意できたティセットをトレイに乗せて、東雲の傍へ行く。
小皿に載った生クリーム付きのシフォンケーキと温めた空の白亜のカップを置くと、はあ…とため息が聞こえてきた。
ますます頭痛がするみたいに軽く俯いてこめかみを押している。

「まったく…。…ケダモノですか、貴方は」
「け、ケダモノか…。ちょっとひどい気が…」
「盛りのついた学生みたいなことしくさって…。ええ歳して」
「そうかな。俺たちもまだ若いと――…いやいや、それはいいんだけど、不在の間寂しかったからな。帰ってきてくれたから嬉しくてね、つい調子に乗ってしまったんだ」
「酷いのはどちらです。時と場所があるでしょう。ホンマに止めてください」
「反省してる…」

両手を前にして全面的に降伏だ。
正直、こんなに怒るなんて思わなかったから俺としても少し焦ってはいる。
お互いパートナーのつもりでいるし、時々するセックスが苦手という感じでもないからそこまで気にしないと思っていたけれど、どうやら元カフェの一角でしてしまったことが東雲のアウトラインに引っかかったらしい。
今は店じゃないし、あまり気にしなくていいだろうと思いもするけど、何がダメで何がいいのかは勿論人それぞれだから、東雲が嫌だったのなら本当に可哀想なことをしてしまったと思う。
…でも、キスした時はそんなに嫌がってる感じはしなかったんだけどなぁ。
言うともっと不機嫌になってしまいそうだから、ここは黙っておくけれどね。
トレイ端の砂時計が落ちきったので、ポットを手にする。

「どうか機嫌を直してくれないか? 折角ライブが成功して帰ってきた日なんだから。話を聞かせてほしいな。…さあ、好きな銘柄の紅茶だ。東雲に合わせて特別おいしく淹れたつもりだよ。ケーキは巻緒が作ったんだ。今日持って行ったものとはまた違うけど、変わらず美味しいから食べてごらん」
「…」

腕時計の秒針を見ながら言っている途中で丁度蒸らす時間が終わり、目の前で空のカップにポットから紅茶を注ぐ。
黄金色の水が白亜のカップに注がれる瞬間は魔法の時間だ。
きらきらと輝くそれに視線が奪われる。
注ぎ終わってカップを差し出すまでの間、東雲も無意識にそれを眺めてくれていた。

「どうぞ、召し上がれ」
「そやってのらりくらりと…」
「後でちゃんと時間を取って話そう。とにかく今は戻ってきたんだから、まずはリラックスしてほしいんだ。ほら、例のゴールデンチップスだよ。綺麗な色だろう?」
「…」

頭に指を添えるのを止めて、東雲がふう…と息を吐く。

「…。ホンマに反省しとります?」
「もう二度とカフェではやらないよ」

片手を左胸に添えて、目を伏せる。
そうして誓った後で、俺もふっと肩の力を抜いた。

「東雲の嫌がることはしない。本当に悪かったと思ってる」
「そうしてください…」
「ああ。やる時はちゃんと聞いてからにするよ」
「せやから、やらん言うてますやん!」
「あははっ」

突っ込みみたいな即答が返ってきて、ようやく空気が戻った気がした。
…機嫌は直ったかな?
俺も一緒にお茶にしようと、空いているカップを手前へ引き寄せた。
自分の分の紅茶も注いでから、カップを手にした東雲の正面へ座る。
東雲が俺の紅茶を飲む姿は、何度見てもほっとするものだ。

「お味はいかがですか?」
「もちろん、おいしいですよ…。落ち着きます。この点に関して言えば、素直にありがとうございます。貴方の紅茶をいただくと、改めて帰ってきた気がします」
「そうか。よかった。俺も同じ気持ちだ。淹れて出せると、帰ってきた感じがするからな」
「巻緒さんのケーキも、とてもええ具合にできとりますね。お昼の時もそう思いました」
「後で褒めてあげてくれ。きっと喜ぶよ」
「ええ」
「…けど、不思議だなぁ。俺たちは年単位で会わなかったことがあったのに、このたった数日離れただけでその時以上に…何というか、距離を感じて、戻って来てくれただけでこんなに嬉しいとは」

少し首を傾けてから、俺もカップへ口付ける。
家に入ったからもういいだろうと思って迫ってしまったけれど、今回は本当に、何だか余裕がなかったなぁと我ながら思う。
幸いなことに忙しいのと同性ということもあって、元々そんなに頻繁に体を重ねているわけじゃないし、いつもはこんなにがっつくようなことはないんだけれど…。
全国ツアーのメンツが決まった時はメンバーのソロライブを喜んだど、最近はずっと一日の殆どを一緒にいる調子だから、離れてみると大切さに気づけるね。
世界中を旅していた時と比べて、今の方が、俺は東雲のことを好きなんだろうな。
素直な疑問だったのだが、俺の言葉に東雲は素っ気なく肩を落とした。

「また歯の浮くような台詞を…。よう言いますね。鳥肌が立ちそうです」
「東雲がこうして無事ライブを成功させて、帰ってきてくれて嬉しいよ」
「そーですか。そらどうも。熱烈歓迎を受けて、私としても嬉しいですよ」
「あはは。トゲトゲしてるなぁ」
「嫌味ですから」
「そう言えば、さっきのハンカチだけど、洗濯するから置い…」
「私 がっ、持ち帰ります!」
「…? そうかい?」

俺が処分しておこうと掌を上にして差し出したけれど、強めに言われて首を傾げる。
…まあ、東雲がそうしたいというのならいいか。

「後で代わりの物を買うてきます」
「ハンカチの一枚二枚いいよ。気にしないでくれ」
「…反省の色がよう見えんのですが」

お茶をしながらツアーの最中にあった色々な出来事を聞いて、俺の方でも新しく入った仕事や出来事を伝える。
離れている時間を埋めていける実感がとてもするから、調子に乗って咲が東雲の道具を使って内緒でお菓子作りに挑もうとしたことまで伝えてしまうところだったけど、それはちょっと微妙なラインの気がして止めておくことにした。
道具を使われることに関していえばいいんだと思うんだけど、「使っていいか?」というその一言があるかないかを、東雲はとても重要視するタイプだからな。
それに、咲の挑戦は材料を一つ買い忘れた結果未遂に終わったわけだし、わざわざ伝えることもないだろう。
仕事の資料を渡して、ツアー中も送られてきたけど、携帯での写真をいくつか見せてもらったり、他のユニットメンバーの性格を聞いたりと、そんなことをしているうちにあっという間に時間が経ってしまった。

「…さて。では、そろそろ私はお暇します」
「え…帰るのか?」

東雲が立ち上がって食器を下げに行きがてらそう言うので、虚を突かれてしまった。
てっきり泊まると思っていたのに。

「あ、食器は置いといてくれ。後で洗うよ。…けど、泊まっていけばいのに。そのつもりだったんだけどな」
「早ぅ荷物整理しときたいんです。洗濯もしたいですし、寮に戻ります。荷物があのままなのは気になりますから。…神谷。ええから、終わっとるんならカップ貸してください。洗います」
「ん? …ああ、ありがとう。悪いな」
「大した手間やないんで」

置いておいてくれてもいいのに、そのままキッチンの流しで使った食器を洗い俺の方へ片手を差し出すので、俺も空になっていた自分の食器を持ってそちらへ向かった。
お言葉に甘えて東雲に渡すと、その場ですぐに洗って隣の水切りにそれらを置く。
何の未練もなさそうにそのまま両手を洗う東雲に、さてどう声をかければいいものか…。
東雲の性格的に、荷物がそのままだと気になるというのは長年の付き合いでよく分かるし、やっぱり戻って来たら自分の部屋で寛ぎたいということもあるだろう。
気持ちは分かる。
帰るというのなら無理強いは、勿論できない。
そう思って、部屋の端にかけてあった彼のコートを腕にかけて持って来て、テーブルの上に置いていた携帯や時計を収めていた東雲の背に周り、着やすいよう背中に持って広げる。

「ああ…。どうも」

コートに袖を通し、少ない荷物を持って東雲が部屋を出る。
門や玄関に鍵をかける必要上、俺も一緒について行った。
玄関前までやってくると、小一時間前の出来事に対して悪かったなという気持ちが出てきて、靴を履きながら指先で頬を軽くかく。
暫くは東雲が来る度に思い出しそうだ。
それは相手も同じだろうと思う。

「うーん…。確かにいつも通る場所とかだと、少し気まずいものがあるかな?」
「罪悪感持つくらいやったら始めからやらんといてください。しょーもない」
「ははは…。はい…」

手厳しく言われて、それもそうだと頷いておく。
思い出すのは同じだろうと思うんだけど……この調子だと、東雲は早く忘れたい感じだな。
玄関に置いてあったトラベルバッグの取っ手を引いて片手に持つと、玄関を出て門へ一緒に向かう。
門を僅かに開けてから、取っ手を手渡した。

「はい、どうぞ」
「おおきに」
「気をつけてな。また明日事務所で」
「夕方にはまたお邪魔します」
「…ん?」
「荷物整理したら、また来ます。その調子やったら、今日この後、他に予定もないようですし」

荷物を受け取った東雲が、当然という顔で俺を見てそう告げる。
きょとんとしてしまった俺の襟へ片手を伸ばして、よれていたらしいそれを軽く直してくれた。

「昔と比べて時間の感覚が妙なんは、貴方だけではないということです」
「…? えっと…?」
「貴方と違って時と場所を選ぶ理性は持ち合わせていますけれどね。…場所が変わるの好きやないんです。もう二度と阿呆なことせんで、いつもの通りベッドでお願いします。ほんなら、後程」
「…」

ぽんと直った俺の襟を叩いて、それきり一度も振り返らずに駅の方へ歩いて行く東雲をぼんやり見送ってしまう。
数メートル彼が離れてからはっとしたけれど、声をかけるにはもう離れすぎていて……けどまあ、夕方に戻ってくるという話だし、いいかと考え直して門を閉める。
小さな庭を通って家に戻り、玄関の鍵もしめたところでじわじわと何かが胸を満たし、思わず片手で緩む口元を押さえた。

「…。まいったな…」

何だか危機感を覚えるのと嬉しい気持ちが半々だ。
敢えて常に一歩引いているような東雲だし、歌やダンスを教えてくれる先生やプロデューサーさんにもっと目立つようにとちょくちょく言われているようだけれど、東雲のああいうところを、他の誰もが気づいていないのは本当に助かる。
くすくすと、一人小さく笑いながらドアに背を預け、上を向いて肩を落とす。
今は目の前の仕事だけれど、機会があったらまた世界旅行に…と思っていたけれど――。
一週間でこれじゃあ、ヘタをすると何処にも行けないぞ。
くすぐったい気持ちを抱えながらドアを離れ、ふと思い立って元カフェの奥にある大型冷蔵庫の方へ視線を投げる。
…久し振りに、カットフルーツでも作ろうかな。
花束のように彩って、東雲が戻ってきたら夕食の時にでも出そう。
面倒だろうに、往復して戻って来てくれるようだからね。

「――♪」

少し前に聞かせてもらった彼のソロ曲を鼻歌で口遊ながら、フルーツを取りに店の奥へと向かうことにした。



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2016から始まった全国ツアー名古屋組終了後の神東。
最近、神谷さんにちょいSが入ってきます。
優しい人のちょいSはいい。
加減が分かって上手く扱えるから大人な気がする。
何処かにも書きましたが、神東は安定感を出したいです。
いまいち他ユニットメンバーの呼び方が分からなくて…誤っていたらすみません。
2017.2.20





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