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「…。ねえ」
「…」
「退屈だね」
「…」
「この船、目的地までどのくらいかかるのかな。生かしてくれるのはひとまず有難いけど、こんな場所に押し込められてたら牢獄も同じだよね。…まあ、それを言ったら生きていること自体が牢獄も同じだけどさ」
「…」
「ねえ。何かゲームをしようか」

そう言って、彼は嵩張りそうなカーキ色した上着のポケットから、一枚のコインを取り出した。
見せつけるように、空へ向かって、一度指で弾いてキャッチする。
微動だにせず、僕は無意識に眼球でその動きを追ったが、空に跳び切ったコインが落ちてくる途中、その向こうの彼と目が合い、そこからは動きを追うのではなく彼を見据えた。
彼も僕を見ていた。
狂った、臭い、優しげでで、残忍な…穏やかな双眸で。
…。

「ゲームといっても、難しくない。表か裏かを当てるゲームだ。僕、結構強いんだよ。…暇潰しにくらい付き合ってよ。ね?」
「…。そんなもの。ツマラナイです」

部屋の端に腰を下ろしたまま膝を引き寄せ、ゆっくりと瞬きをする要領で、数秒目を伏せる。
長い髪が少し前へ流れ落ち、視界を減らした。
その向こうで彼の笑い声が立つ。

「何もしない方が詰まらないよ。…さあ、行くよ」
「…」

キン…と、爪でコインを弾く甲高い音が響いた。
その後、ぱん…っと皮膚を叩く音。
恐らく、左手の甲に落ちたコインを右手で覆った音だろう。

「どっちだと思う? お先にどうぞ」
「…」

そこでようやく双眸を開く。
案の定、赤いマニキュアの艶やかな左手の甲の上に、右手を乗せていた。
にこにこと表現するに相応しい彼の表情が僕を向いていたが、双眸だけはぴくりともしてはおらず、僕を正確に射抜いていた。
その瞳が自信に満ちている。
先程彼は、自らをこのゲームに対し"強い"と言った。
彼には自信があるのだろう。
…しかし、僕は断言する。

「…。裏です」
「じゃあ、僕は表か。…ふふ。いいよ。じゃあ、罰ゲームも決めておこうか。その方が楽しいだろ? もし負けた方は、勝った方の…」
「僕が負けることは有り得ません。それは裏です」
「…」

いつの間にか笑顔を引いてどこか呆けていた彼は、やがて視線を下げて覆っていた右手を浮かせた。
別段見るまでも無い。
彼が息を呑む音は気配で分かった。
それから、すぐに彼が顔を上げる。
先程までとは少し違う、感嘆の色を混ぜた声が縋るように僕にかかった。

「…すごいね。キミ」
「…」
「自慢じゃないけど、僕はこれで一度も負けたことが無かったんだ。この"幸運"だけが僕の才能だったのに…。ねえ、キミ。さっきキミも"幸運の才能"を持っているっていったけど、ということは、キミと僕の運でいうなら、キミの方が強いってことなのかな?」
「…」
「困ったな…。これじゃあ、僕なんて本当に凡人と変わらないや。残念だな…。僕の価値は君の手によって粉々にされてしまった。跡形もなく粉々に。…ねえ。もう一度やってもいいかな?」
「何度でもどうぞ」
「ありがとう。キミは優しいね!」

吐き捨てる僕の言葉を不快に思うこともなく、彼はその後数回、同じ事を繰り返した。
その数回中殆どは僕が言い当てたが…。
そのうち一度きりは、投げたコインを上手くキャッチできず、コインは床に転がり、その時の面は僕が選んだ面とは違っていた。
…つまり、彼の選んだ面であったということだ。
彼自身はその一回をカウントしなかったようだが、その結果は幾許か僕の興味を引いた。

「うーん…。やっぱりキミの運の方が強固みたいだね。すごいや」
「…」
「付き合ってくれてありがとう。楽しかったよ。やっぱりキミと相部屋になれて良かったよ。…さて。それじゃあ罰ゲームといこうか!僕は何をしたらいいかな? こんなに狭い船内だし…。マッサージでもする?それとも、靴でも舐めようか? ストレスが溜まっているのならこんな僕でもサンドバッグくらいにはなれると思うんだ。僕にできることなら何でも言ってくれ」

軽く両手を広げ、笑みを湛えて微笑する彼を数秒眺めた。
別に、僕が彼に求めるものは何もない。
…が。
興味を引くものは、少なからずあった。
例えばそれは、彼の"左手"だ。

「…。では、その手を触らせてください」
「ん…?」
「あなたのその左手です」

指を突き付けて告げる。
彼は一瞬笑みを引いて固まったが、間を置いて再度微笑した。

「いいよ」

 

 

 

滑るように彼は床を移動して、部屋の端に蹲っていた僕の隣へとやってきた。
狭い船室の端に集う僕らの周囲には、人体のカロリーによる熱が空気中へ飛散し、それまでよりも心なしか温かい気がしたが…。
彼の差し出した左手に包み込むように触れると、そんなものとは比べものにならないくらいの他者の熱が僕の掌を犯した。
静かに両手の中のそれを見詰める。
包帯の先の白い手。
目に痛い赤のマニキュアが、絶望的な赤の鈍色を発していた。
…。

「羨ましい?」
「いいえ。特には」
「そう? 自慢の左手なんだけどな」
「不便そうです」

即答すると、吹き出す声が聞こえて目線を上げた。
前髪が邪魔で視界が悪いが、確かに彼は笑っていた。
それまでとは些か違う笑みのように感じたが、その理由はそれまでの彼の笑みと違い、目元も合わせて緩んでいたからだと、僕はすぐに気付けた。

「あはは。キミと相部屋になれて、本当に良かったな。僕はなんて幸運なんだろう」
「あなたの幸運なんて、大した才能ではありません」
「うん。きっと君の言うとおりだね。…ねえ。キミ、髪は切らないの? まるで童話のラプンツェルだね。君を愛してくれる妖精のおばあさんでもいるのかな?」
「…」
「けど、どうかな。穢れないモノなんて無いからね。どんな希望だって、どんな完璧なものだって絶望に染まる。いずれ外からキミを犯しに王子が来るよ。きっとね」

無造作に、彼が僕の肩に落ちていた髪一房へ触れた。
指を折って、髪の間へ滑り込ませ、静かに梳いていく。
毛先にまで指先が達すると、抓んでその毛先で、彼の左手を包む僕の甲を擽るように刺激した。

「重そうだね。…それにこんなに長くちゃ、キミの顔も見られないし」
「…!」
「僕の顔も見られない」

不意に、それまで抓んでいた毛先を投げ捨てるように横に払うと、勢いよく僕の顔面を鷲津掴むように彼の右手が僕の視界を奪った。
…が、その後ゆっくりとその手を上へ滑らせていく。
彼の手の甲へ乗った前髪は、そのまま持ち上げられていった。
…視界が開ける。
それまで絶えず存在していた前髪が除かれ、何の障害もなく、目の前の彼が僕の視界を牛耳った。
灰色の泥と白いミルクを混ぜたような、そんな目が僕を射抜く。
僕は彼を見た。
彼も僕を見た。
その顔が酷く僕の目に焼き付いたのが分かった。
彼も恐らくそうなのだろう。

「…ねえ。これってきっと、"運命"だと思わない?」
「意味が分かりません」
「僕の胸の奥の方で、何かが震えて教えてるんだ。これは"必然"なんだってね。僕とキミは、きっと互いに逢いたがっていたんだよ。…ふふ。あは…あはははははは!」

急に声を上げて笑い出し、彼は僕の髪を押さえていた右手を離した。
元通りに、ぱさり…と前髪が目の前に落ちる。
再度狭まった視界で、彼が自分の右手で恍惚と自分の肩を抱いている姿が見えた。

「ああ…。ねえ、どうしよう…。どうしてかな。僕はキミのことが堪らなく好きになりそうだ」
「どうかしてま…――っ!」

先程前髪を持ち上げた時と同じように、やはり不意に、勢いよく、彼が僕の腰の後ろへ右腕を回した。
そのまま引き寄せられ、前に傾きかけた僕の口唇へ角度を付けて彼が唇を合わせる。
感じたことの無いような奇妙な感覚で接触したが、間も置かずすぐに離れる。
…流石に予想外だった。
久し振りに顔を顰めた。
多少ツマラナクもないが、勿論タノシクもない。
冷静に彼の腕を取って捨て、ずっと握っていた彼の左手から一度右手を離し、唇を拭いながら睨む。

「…何なんですか」
「さあ。何なんだろうね、この感覚は」

まるで微笑ましいものでも見るようなそんな仕草で、男は左手を口元に笑った。
笑顔自体は柔らかいが、彼の身体を巡る、どす黒い血液を感じ取れた気がした。

「…でも、目的地へ到着するまで、素晴らしい時間が過ごせそうだよ。宜しくね。ええと…」
「…」
「どうやら名前は教えてくれないみたいだね」

半眼で一瞥し、目を伏せて小さく息を吐く。
彼は、つれないな…と苦笑すると、僕の隣に座ったまま背後の壁に背を預けて目を伏せた。
彼のために横へずれる必要はない。
僕が変わらずその場から動じなかったが故に、僕と彼との距離は隙間無かった。
肩が触れたままただ座り込む。

「…僕の名前はね、"狛枝凪斗"っていうんだよ」
「…」
「ゴミみたいな名前だけど…。キミには…覚えて欲しい気がするな……」

まるで秘密事のように、彼が自らの名前を囁いて、白い体温の無い屍の絶望的な動かない左手を、床の上に垂れ落としていた僕の右手に重ねた。
氷を当てられているようだった。
だが、払う気にはならなかった。
覚える必要も無い程に、僕はその名へ"奇妙な男"というサイドネームを添えて記憶した。



融解




やがて船内にチャイムが鳴った。
捕らえられてからの薬物投与と、短期間で強制的に躾けられた反射を利用して習慣化された睡魔が、その音により瞬く間に僕らを襲った。



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カムクラ君も好きです。
何はともあれあの二人が好きだ!
2013.10.6





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