一覧へ戻る


「…ん? おーい、太宰ー」

涼んでいた中庭から部屋に戻ろうと階段を上がっていると、吹き抜けに面した廊下を太宰が歩いていた。
思わず呼び止めると、気付いた太宰が足を止めてぶんぶんと手を振る。
その傍へ行こうと、心なし歩みを早めて階段を登り切る間、彼は足を止めてくれていた。

「よう、檀。外にいたのか? もう寒いくらいなんじゃね?」
「ああ。さっきまでちょいと運動を兼ねて体を動かしてたからな。涼みに出たんだが、随分冷えたみたいだ。…何処かへ行くのか? バーなら付き合うかな」

気分よく飲みに出て、うっかり中也や志賀がいたら困るだろう。
半分は用心棒のような心持ちでそう尋ねたが、太宰はけろりと片手を振った。

「それもいいけど、残念ながらバーじゃないんだな~これが。安吾の所」
「安吾?部屋飲みか? それなら俺も混ぜてくれよ」
「いやいや寝るだけよ、寝るだけ。そんじゃさ、バーは明日にでも行こうぜ。…じゃ、おっやすみ~」
「――」

そのまま足取り軽く立ち去ろうとする太宰の片腕を、反射的に掴む。
驚いて振り返った彼の瞳と、呆然と見合った。

「――………は?」
「え? 何?」

招魂されて暫く経つ。
暫く経たなければこの事実に気づけなかった腑抜けた自分を、ぶん殴りたい気持ちに駆られた。


清く正しく美しく




「おい、安吾!!」

ノックもなく、音を立ててドアを開く。
元々、口論する気で来たのだ。遠慮など、時間の無駄だ。
夜は大概バーか中庭にいる奴だが、太宰の言う通り、今夜は自室に割り当てられた部屋にいた。
簡素な丸テーブルに図書館から漁ってきたらしい本が十数冊積み重なっており、その横に和服から伸びる素足を置いて行儀悪く椅子に腰掛ける部屋の主は、ちらりとこちらを一瞥くれただけで再び片手で開いている書へ視線を落とした。
和服に不似合いなサングラスは取り払っているようで、それがないだけで白昼の印象とはまた違う、座右の銘である、堕落しつつもどこか気怠げな色気のある大人びた雰囲気を纏っていた。

「騒がしいな…。ノックくらいして欲しいんだがね」
「太宰は来ないぞ」
「ああそうかよ」

感情的になっている俺と違い、安吾の反応はそれだけだった。
何故お前が出てくると苛立ちでも見せるかと思っていたものだが、肩透かしだ。
だが、これはこれでまた腹立たしい。何だその軽さは。
後ろ手にドアを閉め、安吾の傍まで歩みを進める。
振り向きもしないその横に立ち、睨みを利かせた。

「聞いたぞ。お前、太宰と寝てるんだってな」
「そうだな。何度かな。…何だ。まさか、そんなことで殴り込みにでも来たのか? 腰巾着も大変だな」
「巫山戯るなッ!」

音を立てて片手の拳をテーブルに打ち付ける。
積み上げられていた本のうち何冊かが、崩れて床に落ちた。

「もう二度と太宰と関係を持つな。いいな?」
「おいおい…。別に生娘じゃあるまいし、んなモン本人の自由だろうが。第一、アイツ元々気が多い奴だろう。今更何熱くなってんだよ」
「おおそうか。約束できないってんなら、その体に分かってもらうことになるぜ?」

背筋を伸ばしてこれ見よがしに両手を組み合わせて関節を鳴らす。
だが、ノって来ない。
読んでいた本に栞を挟み、テーブルの上から両足を下ろす代わりに、いつもの調子で気怠くそのテーブルに片腕をかけ、軽く息を吐く。

「やれやれ…。寧ろ俺としては、褒めて欲しいくらいなんだがね」
「はあ? 何寝ぼけたことを言ってやがる」
「アンタこそ、よく考えてものを言え。ここに女はいない」
「だから?」

喧嘩腰で聞き返す俺を一瞥し、安吾はこれ見よがしに再度ため息を吐き、ひらりと本を持つ手を振った。

「太宰に一人で自慰なんてさせ続けてみろ。独り息を乱して、意味の無い白濁した死んで行く子種を掌にばらまいて、それを見詰めて何を考える? 繰り返せば、それこそまた首でも括るぞ。それとも、ワンキャンと愛しの大先生に寄って行くのを手を振って見送ってやった方がよかったか? 寄って行って相手にされても、断られて鬱られても、まあ俺はどちらでも構わねーけど」
「…」
「太宰は本質が女めいている。しかも、高い教養に感情が振り回されるタイプの箱入り娘のような厄介なヤツだ。傍に誰か、真っ当で自分を視ている奴がいなけりゃ、おちおち生きてもいかれん。アイツの場合、男として溜まった劣情を吐き出すというより、誰かと肌を重ねて劣等を曝け合い、甘やかされる時間と見れば、その重要性は分かりそうなもんだがな。特にお前は」
「……だから、お前が"相手をしてやっていた"と言いたいわけか?」
「すっ惚けて見ない振りして、放置してやる方が無論こちとら楽なんだぜ? そもそも好みじゃねえしな、俺の」

冷めた流し目で見られ、かっと憤りが溢れる。
と同時に、体中に溢れる怒りを理解しながら、唯一つ、頭だけが冷や水を流したように落ち着いていた。
…一理ある。
悔しいが……悔しいが、確かにそうだ。理は通る。
ここに引っ張り出されるのは文豪ばかり。
文豪と呼ぶに値する女も多かったと思うが、今のところ男しかいない。
しかも、良いも悪いも時代も思想も信念も関係なく集められているのであれば、見方を変えればこんな牢獄はない。こんな環境では、支えになる誰かを見出さなければ、確かに太宰には生きにくかっただろう。
拳を握り直して震えるも、言い返さない俺を見て、安吾は冷ややかに息を吐く。

「…まあ、今はアンタが来たんだ。許せないってんなら、アンタが付き合ってやりゃあいいだろう。俺を断って放置しておいてやってもいいかもしれんが、どうだろうな。褥に同伴できる誰かがいねえと、耐えられんと思うがね」
「…。当然、太宰も承知だったんだろうな?」

念のために尋ねる。
太宰のあの調子からいって今は同意の上だろうが、最初は分からん。
女相手ならまだしも、プライドの高い太宰から安吾相手に言い出すとはあまり思えない。
安吾は、気怠そうに片手で前髪を掻き上げ、ふいと遠くを見た。

「そーなんだよなあ…。最初の一回は形だけでも襲っておけば、無様で面白い様子が見られたかもしれねえのによ…。我ながら惜しいことをした」
「…」

目を伏せ、今にも殴りかかりそうな右腕に集まる憤りを呑み込む。
つまりは同意か。
口惜しい。
喚び出された順番を嘆いてもどうしようもないことだが、それでも、口惜しい。

「……次に寝たら覚悟しとけよ!」

低い声で絞り出し、言い終わると同時に両手で思いっきりテーブルを叩きその反動で両手を離す。
今度こそ、横たわる下一冊を残して積み上げられていた本は崩れて床に落ちた。
踵を返して出ていく折に力任せにドアを閉めたら、ドアの金具が外れ、中から安吾の非難がましい呼び声がかかったが、無視する。知るか!
確かに大股で歩いてはいたが、そんなに殺気立っていたのか、途中で会った堀には逃げるように道を譲られた。

 

 

 

「お。おかえり~」
「…」

俺の自室に戻ると、洋椅子に座っていて本を読んでいた太宰が緊張感のない顔を上げる。
両の踵を椅子の端にかけ、椅子の上にしゃがみ込むようにして膝を本台代わりに読んでいるそれは、俺が図書館から借りてきた江戸料理本の一冊だ。
墨字で書かれた調理法と味覚の表現、手書き絵の挿絵は下手な小説よりも具体的に空想をかきたてる。

「ああ…。ただいま」
「安吾、怒ってなかった?」
「全然」
「あっそお…。…ったく」

ページを捲りながら軽く眉を寄せる太宰の正面の椅子を引き、俺も腰掛ける。
両腕を目の前の丸テーブルに乗せ、軽く身を乗り出す。本を読み続けている太宰に、語気が強まらないよう注意しながら尋ねてみる。

「…なあ、太宰。夜に暇を潰すなら、俺が一緒に飲みに出る。安吾は、もういいんじゃないか?」
「あー…。やっぱそー来る?」

視線を反らし、叱られる悪ガキのように太宰が脱力した顔をする。
もういいとか悪いとか、ガキ臭い下らない話をしているのは俺の方だという自覚はある。
俺は太宰の友のつもりだが、無論恋人ではない。
成熟した友の痴情について、こんなことを言い出す権利は無いはずだ。
だが、安吾が太宰と恋仲かというと、そんなこともまた無いはずだ。
説教臭くならざるを得ない俺の視線を避けながら、太宰が椅子から両足を下ろし、場しのぎなのか両腕を上げて思い切り背伸びをする。

「でもさー、アイツにしか頼めないコトもあんのよ、俺としてはさぁー」
「俺が代わりにいてやるよ」
「んー…。有難いけど、檀より安吾の方が適任なことだって、世の中にはあるじゃん? あんまねーけど」
「夜の営みとかか?」
「げっ!」

核心を突いてやると、びくっと肩を振るわせ顔色を変えて太宰がようやく俺へ視線を合わせる。

「…あ、あれ~? もしかして知ってた…?」
「今夜気付いた」
「ううっわ。最悪なんだけどソレ…。さては安吾の奴がバラしたな? …はっ!言っておくけど!!安吾がタイプとか、マジでアイツが好きとか、そーゆーんじゃないからな!?」
「そうなのか? 俺はてっきり…」
「な い か らっ!!」

「寝に行くだけ」と豪語しておいて、知ってるもバレたもない。
必死で言い訳をする太宰の主張を聞いているうちに、なるほど、これは恋や愛ではないのだということは納得が出来た。
つまりは、やはり女がいないことが問題らしい。
安吾がどうかは知らないが、確かに、太宰には孤独を和らげる誰かが必要だ。
太宰本人もそれを分かっていて、要するにその"誰か"を、ひとまずは見つけていた……といったところか。
本気でないなら、まだ良かった。
安吾と恋仲だとでも言いだしたら、自分がどうしていたか分からない。
取り敢えず説得して、それでも分かってもらえなければ、安吾が本気か試すためにぶっ飛ばすか、太宰を何処かへ捕らえるかの二択くらいしか頭の中に出て来なかった。
本来は祝うべきなんだろうが、相手が安吾では微妙なところだ。
…ああ、だが、ここには彼の芥川先生や春夫先生もいる。
彼らに行かれるよりはまだよかった……のか?
どうだろう。その時は流石に相手をぶっ飛ばすというわけにはいかないから、太宰説得の一択だな。
そう思えば、ぶっ飛ばせるだけ、まだ安吾の方がいくらかは気が楽というか何というか……ああ、駄目だな。祝うという選択肢が無いのは我ながら何故だ? 祝うべきだろう、まずは。太宰の幸福を。
自分が嫌になってくる。
だが想い合っているわけではないという事実に胸中で安堵したことで、沸々としていた怒りはいくらか軽くなった。

「…つまり、たまに寝るだけの関係なんだな?」
「今風に言うと、"セフレ"ってやつ?」
「せふれ? …ふーん」

そりゃ一体何語なんだか。それとも略語か?
随分語感が軽く、柔い単語だ。
適した重さと慎ましさを持っていない薄い響きだ。
たまに褥を共にするだけだとしても、面白くないものは面白くない。
自然不愉快顔になってしまう俺に気付かず、正面に座る太宰は指揮棒のように指を振って目を伏せ、どこか得意気だ。

「早い内からここに来てる奴は、大体誰かそういう奴がいるんだよ。俺なんか誠実な方だぞ。安吾だけだし。誰彼構わずってワケじゃないけど、複数相手の奴も多いし。だって、マジで女がいねーのよ。許可がないと外にも出られねーしさー。娯楽もないし、行き着くところなんて高が知れてるわけ。仕方ないっしょ? 第一、人間が複数人同じ場所に詰め込まれれば、否が応でも犬の如くに順位と好き嫌いを付け出すわけだしさー。自然の摂理ってやつ?」

まるで指南役のように澄まして主張する姿はいつもの彼で、秘匿するでもなければ恥じらう様子もない。
それは、彼にとってこの話題が特別なものではないことを示している。
確かに、何となくではあるが、そういう雰囲気を感じさせる人物は俺でもすぐに複数人思い当たった。

「まあ…、それは分かった。確かに、ここじゃ出来ることは限られてる。時間が経てば経つ程それも致し方ないんだろうぜ」
「だろだろ? …いや、俺も我ながら安吾はないわーって思わなくもないけど、お前が来るまではバーで中也に絡まないためには、アイツの横で飲むのが一番だったわけよ。んで、何となく酔っ払ってそのままーみたいな日が何度かあって、ぶっちゃけ便利なわけだ」
「と言うことは、俺だっていいはずだよな?」
「……へ?」
「酒の席から直接雪崩れ込める奴がいいっていうのなら、俺でも用心棒まがいのことは事足りるだろう。太宰のそれは、俺じゃ駄目なのか?」
「あー…。……んんー? 駄目じゃないつーか……え? でもそれだと、檀が俺と寝ることにならね?」
「そうだな」
「いやー。ないだろー、それは」

ひらひら手を振って、半笑いで太宰が言う。
まさか拒否されるとは正直思っておらず、少なからずショックを受けながら問いかけた。

「どうしてないんだ? その方が、太宰は便利だろう?」
「だって、檀は友達じゃん。安吾と違ってストライクゾーン広くないし、俺みたいな醜男となんて嫌だろ?」
「…前々から度々言ってるが、お前、ちゃんと鏡見てるか?」
「見てるわっ!」

片手でテーブルを叩き、太宰が主張する。
出会った頃から既に自分を「醜男」と表現する男だった。
やれ顔が大きいだとか、鼻が低く潰れているとか、目尻がみっともないとか。
確かに「美形」と責任を持って表現はできないが、かと言って醜男と言う程ではない。
太宰は、自分に視点を向けすぎているきらいがある。
これは彼の生まれ育ったものがそうさせるし、文学に反映される性質なので止めろとも直せとも言い出すつもりはないが、少なくとも今の姿は若さも相まって間違っても醜男ではないし、個人的に言わせてもらえば、男の顔の造形なんぞ然したる問題でもない。
男は、才と生き方だ。
良い生き方悪い生き方ではなく、生まれ持ち培った才と、周囲を引っ張る魅力ある生き方か否かだ。
太宰は、魅力的な男だ。
周囲を巻き込むという点では、群を抜いていると言ってもいい。
それがどういう感情なのかは別として、常に男も女も寄ってきていた。中也など、あれも太宰に絡みにわざわざ自分から嫌われに来るような男だ。
豊満な乳房や形の良い臀、紅の塗られた小さな唇や白く細い項など、そもそも求めてなどいない。
要は、放っておけない。何となく目を惹く、言動が気になって仕方ない。
男相手なら、それで十分「惚れた」と言える。
俺は、彼以外の男の誰かに、こんなにも惹かれたことなどない。
…かなり好意を示しているつもりだが、それでも安吾か。何故なんだ?
片頬杖を着いて、ひっそりと音のない息を吐く。

「お前は特別醜男じゃないし、別に嫌じゃねえよ。…というか、嫌だったら言い出すわけないだろ? 男との経験はないから具体的に何をどうするのかは皆目見当もつかんが、大概のことはやってやる。次に寝る時は安吾じゃなくて、俺に声をかけてくれないか?」
「ええ~…。…ううーーーん」
「どうして俺じゃ嫌なんだ?」
「だぁーってさぁ~…」

しおしおと体を前に傾け、テーブルの上に重ねた両腕に顎を乗せ、態と気怠い調子で太宰が視線を落とす。
テーブルの中央に積んであった二冊の本の背表紙が、伏せたその瞳に朧気に映り込む。

「…俺、友達少ないしー」
「? どういう意味だ?」
「だからぁー、恋仲になった奴って、何だかんだの理由で結構着いたり離れたりするだろー? 檀がどこまで覚えてるか知らないけど、生前を振り返っても、俺、友達よりもそーゆー関係の恋仲だった奴の方が何回か変わって、最終的にどっか行っちゃうわけよ。こいつは友達だと思った奴の方が、変わらずずっと同じで付き合いも長かったんだよね」
「…? ああ」
「何つーか…、一時は情の強さがあるけど、恋仲が永遠に良く続くとは思えないってゆーかさー…。折角、死後にもこうして会えたんだし、だったらもう、檀とはずっと一緒にいたいし……少しでも離れる確率が低い友達がいいなー的な? …だから、一度でもそうなっちゃったら、檀もどこか行っちゃいそうな気がしなくもないっつーか……まあ、色々と思う所はあるわけよ、俺としては」
「…」
「女がいないからって、誰かに惚れないとは限らないだろ…。ここには美男だって気の良い連中だって多いし、縁が無かった憧れの人にだって会える。…俺たちは所詮獣だ。順位を付ける。その時……俺の順位が檀の中で下がった時に、友達の方が、きっと変わらず傍にいてくれると思うんだ。…恋仲は駄目だ。いつか冷める。どんな人間だろうと、体を手に入れたら満足して飽きが始まる。釣った魚の餌は、自然安物になるんだ」

渋々白状といった調子で、太宰はそのまま諦めたように目を伏せた。
吐露された尊い胸の内は間違いなく受け取ったが、すぐに反応ができなかったのは、感が極み過ぎたからだ。
なるほど。理論的だ。
恋仲になった奴とただの友達、生涯でどちらが長く付き合いがあるかと問われれば、俺も太宰が言うように後者だろうと考える。
「ずっと一緒にいたい」という単純な想いは、だからこそ雑じり気なく純粋に感じた。
呆気に取られ、咄嗟に何か言おうと口を開くが、続かない。
テーブルの上で悄気て伏せる太宰を前にどうすればいいか独り狼狽え、意味も無く視線を左右に泳がせる。
相の手を入れてくれるような他者は当然おらず、そんな間抜けな数秒を経て、意を決する。
…席を立ち、丸テーブルをぐるりと回って伏せている太宰の横に移動すると、その場に片膝着いて屈む。
そうすることで、重ねた両腕の上に横向きに顔を置いた太宰の瞳と、何とか合った。
太宰が、傍に来た俺を静かに見下ろす。
日頃爛々と自信に輝いている瞳が、今は気弱そうに伏せがちになっている。

「…俺も同じだ、太宰。また会えて嬉しいし、お前と、ずっと一緒にいたいと思ってる」
「…。うん…」
「確かにお前の言う通り、俺も知っているお前の恋仲達は上手くいっていたり別れたりしていた。別れの回数は、続く友情より多く見えただろう。だが、広い意味では会者定離なんて言葉もあるし、死も含めて、出会った奴とは必ず別れるものだ。…だからこそ、こうして死んだ後までお前の傍にいる俺が、今更、何処かに行くと思うか?」
「んまあ…。そりゃまあ…。あんまし思っちゃいないけど…」

幼子に諭すように言ってみるも、太宰はまだ納得していないようだ。
片頬を膨らませ、言い訳じみて反論してくる。

「けど、檀が今そう思うのは、ここの連中をまだよく知らないからなんじゃない? いつも俺んとこ来てくれるけどさ、話せば、他の連中の方がいい奴だって思うよ、絶対。…後は……そうやって俺の見えない部分があるからこそ、まだ俺の傍にいるって可能性だってあるだろ? 人間、所詮は興味関心が第一だ。好奇心には勝てないじゃん。檀には目茶苦茶情けないところいっぱい見られてるし、その辺はもういいんだけどさ…。ここで俺とそういう関係にもなったら、もう、ぜええぇ~~んぶ見尽くして、興味も新鮮さも失われて、飽きて愛想が尽くかもしんないだろ?」
「飽きて愛想を尽かす? 俺がか??」

驚き、同時に笑いがこみ上げてきた。
陽気に笑い出す俺が意外だったのか、太宰が伏せていた上体を勢いよく起こす。

「笑う!? ええええっ!?待って待って今ここ笑うトコ!? すんげー真面目なトコじゃない!?」
「笑うところだろ」

パン、と一度膝を打ち、手早く自分の上着のジップを下げる。

「人間一人だって、腹の底まで見えるもんか」
「え……、うわっ!?」

脱いだ上着を適当に背後に放り投げ、立ち上がりながら椅子に座っている太宰を引っ張り上げる。
小柄な体は堪らずあっさり腰を浮かせ、空かさずそれを片腕に抱え上げた。

「な、なななな何何何っ!?」
「まさかお前に、飽きるだろうなんて思われてるとは心外だ。俺はお前のことなんざ、何も解っちゃいねえよ。だからこそ絶えず知りたくて、傍にいるんだ。太宰、お前だって、俺のことでまだまだ知らないことは、山程あるぞ」

空いたもう片方の手でその大仰な羽織を留めている金具を外す。
留め具を失った羽織は、赤鳥の翼が捥げるようにはらりと流れて床に落ちた。
常々動きを大振りに見せているそれが失せれば、彼の姿は更に一回り小柄に見えた。
奥の寝室へ向かって迷いなく歩き出す俺を行動に察して、太宰はがしりと俺の襟と背中を掴んだ。

「いやいやいやいや、止めよう止めよう!俺はミステリアスな男でいたい!」
「結構じゃないか。他の連中にはミステリアスを通してやれ。…大丈夫だ。体を重ねたくらいで何だ。それで全て解る訳じゃなし。きっと俺は、益々お前に興味を持つだろうよ」
「嫌だッ!お前にだってミステリアス成分は残しておきたいっ!大体、こんなガキじみた体で欲情する!? 今の貧相な体を見られるのも嫌なんだよ!!」
「可愛げがあって良いじゃないか。なんだ。気に入ってるんだと思ってた」
「まさかの倒錯症!?」
「いや別に…少年や若い男が好きってわけじゃないが…。今はお前がそうなんだから、仕方ないだろ。…大体なあ、」
「ぶわっ…!」

肩でドアを開け、太宰を寝台へ、乱暴にならない程度に軽く放り投げる。
放り投げられ、衝撃から起き上がる時間を僅かに長く取らせたその隙に、片手を布団に着いてタンと床を蹴る。
一足飛びにその細い腹を膝で跨いで、行く手を塞ぐ。
がしりと両手でそれぞれの手首を掴んで、組み敷いてやった。

「何でその貧相な体とやらを、安吾には曝け出しておいて、俺には隠したがるんだよ?」
「う…。だってそれはさあ、檀がいなかったからで…」
「堂々巡りだぞ。そんな理由なら、俺が来た段階で俺でいいはずだろ?」
「だってもう安吾に見せちまったんだから、わざわざ二人相手に曝すことないじゃん!……てか!そうじゃなくて!あんまり近しいとどうしても慣れとか飽きとかあるだろ!? さっき言ったじゃん!俺マジでそれが嫌で――」
「太宰が死んだ後にも、文才に恵まれた連中はごまんと居た」

語感を強めて言い放つと、太宰がびくりと身を震わせた。

「へ…? …いやいや、急に何の話??」
「お前が死んだ後も、俺は新たな人間と数多く知り合ったし、文豪と呼ばれる奴は山程出て来た。図書館で何冊かの本を読んでも思ったが、俺たちが死んで今までにも、何冊もの名作は生まれている。息を呑む作品だってある。嫉妬するようなものだってある。考えを改めてしまうような一冊だってある。…それでも俺は、生前と変わらず、今も最もお前が優れていると思ってる」
「…。そ、そぉ…?」
「おうよ。お前の文は俺の薬だ。すとんと腹に落ちてくる」
「……。……あぁ、まあー、アレよ。俺程の天才は、なかなか出なくて当然っちゃー当然なわけだけど…」
「お前の心配も解らなくもない。だが理想を言えば、お互いずっと一緒にいたい奴なら、恋仲であり友である方が、断然にいいだろ? …それに、さっきも言ったが、どんな鴛鴦夫婦だろうが何だろうが、人間、相手の腹の底まで解るはずがない。今夜はお前の知らない側面が知れて愉快だ。太宰は、もう俺の全てを知っていて、飽きてきてるのか?」
「はあ!? 何でそーなんのよ!飽きてねーし!! てか、それが嫌だから今までずっとこういう事態を避けてたわけじゃん!?」
「だろ?」
「でもソレお互い"今は"だからっ、"今は"!体を繋げるとどーしても慣れも飽きも出てくるって絶対!!」
「けど、知らない部分をお互い知ることができるぞ。お前、それで安吾の新たな側面くらいは見たんじゃないのか?」
「え…」
「見ただろ? だから、今日まで続いたんだよな?」
「……。…あー…」

首を傾げて笑顔で尋ねると、太宰は曖昧に沈黙した。
褥での顔なんて、誰だってその時にならないと分からないものだ。
アイツのその顔がどんなものかは無論知らないが、少なくとも太宰に二回三回と繰り返させるだけの顔だったに違いない。意外だが。
俺の知らないところで情が流れていくのは、ハッキリ言って不愉快だ。
俺とも体を繋げて選んだ結果、安吾が良いというなら断腸の思いで見逃すかもしれんが、せめて同じ土俵に上がらなければこちらも気が済まない……というのもある。
もうここまで来ると、我ながらどう考えても嫉妬に他ならない。
安吾と恋仲でない以上、俺も恋仲でなくてもいい。
恋仲でないなら、尚のこと俺相手でいいではないか。俺はこんなにも太宰を好いているのだから。
確かに、広く見れば恋情よりも友情の方が長続きするかもしれない。触れなければ壊れないものもある。
だが、両立できるならそれが何よりのはずじゃないか。
挑んでみてもいいはずだ。
勝機はある。

「なあ、太宰。太宰の知らない俺の性も、きっとまだまだたくさんあるぞ。面白味があるはずだ」
「面白味ねえ…。んまあ…、それはあるかもしんないけどさぁ…」
「太宰は、それを知りたくないか?」
「…。ちなみにだけど、例えば檀の意外性は何なのさ?」
「いや、俺も今日気付いたんだが…。たぶん、嫉妬深い」

もう逃げる素振りのない太宰から片手を離し、自分の顎を撫でて呻る。
それは太宰の気を惹くものだったらしく、彼は瞳を瞬かせ、真っ直ぐ俺を見上げる。

「檀が? そうかぁ?? でもさー、俺が誰と付き合ってても、うちの以外と浮気してても、あんまり気にしてなくなかった? 浮気を注意された覚えねーんだけど、俺」
「そーなんだよな…。正直、お前が元々奔放な性であることは知っているが…。いい男ってのはモテるもんだしな」
「まあねっ!確かに仕方なさはあるね!」
「ああ。だが女相手ならさして気にならなかったものを、男相手の奔放ってのはちょっと引っかかるな。安吾と寝ていると聞いた時の衝撃が凄まじかった」
「へえ~、ほお~。意外ー…。案外、器の狭い男だなあ!」
「そうだな」

わははと陽気に笑う太宰は、どことなくはにかみ、嬉しげだ。
その笑顔に微笑みを返す。
俺の嫉妬が嬉しいのだろう。
…知っている。お前は、そういう奴だ。
だから相手は一人に収まらない、という側面もまた持っているであろうことは、容易に想像が付く。
常に他者の視点を求める奴というのは、そういう性質だと思う。安穏とした愛や恋を語って尽くしたところで、響かない。
常に舞台の上に焦がれて、スポットライトを探している。舞台に上がれるだけの力があるからだ。
多くの視線の中心にいることで安堵する。視線は、多ければ多い程いい。
目の前に傅いて手を取ったところで、それを誰かに見ていて欲しがる。
今は、安吾との仲を俺という客観が認識した。自覚が有るか無いかはさておき、そのことが愉快なはずだ。
詭弁か本気かを判断する為には、嫉妬を見るのが一番だということを、太宰はよく知っているのだろう。
これで俺は、益々この傲慢な男を追っていくしかなくなるわけだ。
そんなところも、やはり好ましいと思ってしまうのだから、どうしようもない。

「…と言うわけで、人恋しいというのなら、少なくとも今夜は俺が相手をしてやる。安吾と比べるなら、それはそれで構わないぞ」
「ちょ…嘘だろ!? 続くのこの状況!? 今ちょっとほのぼのしてたじゃん!」

ぱっと掴んでいた手首も放し、その首を危なげに括っているタイを解き、横へ放り投げる。
途端に、がしっと腹を跨ぐ俺の膝を両手でそれぞれ掴み、逃げだそうとする太宰。
その肢体を両腿で挟んで押さえつつ、ベルトを剥いでぱちぱちとその派手な衣類の釦を解いていってやると、俺を退かすのを諦め、こちらの手首を掴んできた。

「いやいやいやいや、取るな取るな取るなー!!…つーか!つーか檀サン!?」
「ん?」
「ちょっとその……俺、やっぱ今夜は気分じゃなくなったっつーか、眠くなってきたっつーか、何か檀いつもと違うしちょーっとだけ怖いかなぁ~…なーんて…」
「初めての奴相手なんて、そんなもんだろ?」
「恐っ!そして軽っ!! ギャー!!誰かあああああ!襲われるー!!」
「分かった分かった。十五分後にもう一度聞いて、嫌だったら止めてやるから」

じたばたと水浴びを嫌がる猫のように暴れる彼のベストを開き、髪留めを取って横に置く。
編み込みに指を通すと、絹糸のようにはらりと解れて感動する。
シャツのボタンを外し終え、左右に開き…。

「太宰…」
「待てーいっ!勝手に雰囲気作るなー!!」

現れた白い膚に昂ぶり、彼へ顔を寄せかけたところで、がし…!と太宰が両手で俺の顎と顔面を押さえにかかった。
随分な焦り顔で、今にも泣き出しそうな懇願顔は哀れだ。
と同時に、俺の中で劣情が爆ぜる。
太宰を泣かす奴は許せない。
だが、今正に泣きそうな彼を前にして退かないのは、彼が俺を嫌いになるわけがない、という確信があるからに他ならなかった。
どんなに泣いても叫んでも、俺は本気で嫌われはしないだろう。
そこに悦びを見出す。
じゃれ合いに笑い出す俺を押さえながら、必死に着崩れた太宰が主張する。

「笑い事じゃないから!ねえっマジで嫌なんだって俺!!唯でさえお前に依存してる自覚あんのよこれでも!お前が招魂されてきてめっちゃ嬉しいとか、何かもーお前来た途端全部上手く行くような気がしてるとかっ、ふわっっふわしてんの自分で解ってんのよ!!お前と目合ったら俺絶対駄目になるんだって目に見えてるでしょーよ!? なあなあそう思わない?思うっしょ?思うはずだぞ俺は思うよ! 今だって不眠症気味で薬で何とか寝てんのにお前いないと眠れなくなったらどーしてくれるよ!?くっつきすぎるとその後の変化といやー離れるしかないじゃんそんなの絶対嫌だーっ! なあ檀、マジで止めよううんそうしようそれがいい賛成っ!抱くんなら同じ男でももっと美形がいいと思わね?ほらほらあ、沢山いるじゃん沢山さー。選り取り見取りなんだからわざわざ俺じゃなくていんじゃね? …はっ、てゆーか寧ろお前が安吾抱いてくればいいじゃん!? おおっ、それすげえ名案!よし行け、突っ込んでやれ!それでいいだろ? なっ、な?? 俺たちはこれからも清く正しく美しい仲でいいいぃ――!?」

言ってる途中で太宰の両手首を持って引き剥がし、目を伏せて真正面から口を重ねる。
一瞬抵抗されたが、そのまま前のめりに押し倒し、暴れる四肢を押さえつけて口内を蹂躙する。
そのうち酸欠になると同時に快感と諦めも付いてきたらしく、極端に抵抗がなくなった。
その頃になると、俺の中の雄も目を覚ます。
頃合いを見計らって唇を離し、両手をクロスさせてインナーを脱ぐ。
片腕にそれをかけたまま、両手からグローブも忙しなく取り払い、

「清く正しく美しい仲は、成就すれば目合うもんだぞ」

ぽいとまとめて背後へ。これまた放り投げた。
自分の衣類など、どうでもいい。
だが、少なくとも太宰の気に入りの衣類が千切れたりせぬようには気を留めた。

 

一応、十五分経った頃に聞いてみたが、もう「嫌だ」と言われることはなかった。
言われたところで、止める気も止められる気も更々なくなっていた。
人間を、このまま頭から喰えたならと思ったのは、この夜が初めてだった。

 

 

 

 

 

 

 

翌日の午前、まだお天道様が照ってるうちからバーのカウンター奥で安吾を見つけた。
時間を忘れた窓のないこの部屋で、だらだらと酒を飲んでいる姿を見かけ、傍へ行く。

「よう」
「おう」

短い挨拶らしきものをして隣へ腰掛けると、ここを仕切ってるバーテンダーが俺がいつも頼む酒を用意しだしてくれた。
その背中を見詰めながら、ぽつりと呟く。

「もう当面太宰は、お前の所には行かないだろうよ」
「とか言い出すってことは、懇ろになったわけだ。よかったな」
「…」

あっさりと言う安吾に虚を突かれ、ようやっと横を向く。
平素と全く変わらぬ彼の姿からは、怒りもなければ哀しみも見えない。

「何だ?」
「いや…。予想にない切り返しだな、と思って。修羅場のつもりで来たんだがな…。何か他に言いたいことはないのか?」
「ねえよ。退屈凌ぎにはなっちゃいたが、ずーっとお前のこと待ってたような奴だぞ。…ま、よかったんじゃねえの? お互いにな」

吐き捨てるように、人を食ったかのように低く笑う黒衣の男。
片手の甲を額に添えて、暫く沈黙するしかできなかった。
嫌な男だ。
良いか悪いかは別として、出来上がった男だ。話していると自分がまだまだガキ染みていることを自覚する。

「…んで? そのボンボン様はどうした?」
「まだ寝てるんだ。雑炊でも作ってやろうと食堂に行く途中、お前がいるかと思って覗いてみただけだ」
「酒くらいしか愉しみがなくてね、俺は。お前と違って」

よく言う、と胸中で悪態つく。
愉しみがない?
冗談でも有り得ない。
あんな太宰を独り占めにしておいて、何が愉しみがないだ。心底巫山戯ている。
…ああ。しかし、それに気付かなかった木偶の坊は確かに俺自身なのだ。あれこれと彼を罵る権利もなかろう。
数秒間大人しく敗北を噛みしめていたが、やがて、顔を上げた。

「…。俺の目が黒いうちは、二度と太宰と関係を持つなよ?」
「へいへい。…んじゃー、お前の目が白くなったら、また面倒見てやるかな」
「ああ。その時は頼む」

即答すると、今度は冗談めいていた安吾が虚を突かれたように色眼鏡の奥で目尻を下げた。

「言うじゃねーか」
「相手は選んでるからな。光栄に思っていいぞ。その方が俺も安心だ」

その顔に笑いかけてやり、片手を上げてバーテンダーへ声をかける。
俺用に作ってくれた酒と、新たに良いやつを一杯隣へ奢ってやって、いざ雑炊を作りにバーを出た。

 



一覧へ戻る


檀さんと太宰さん。
前回の『溺れるならば~』と違い、積極的バージョン。
こっちの方がしっくり来たので、そういうキャラなのかな…とイメージを改めました。
2021.3.20





inserted by FC2 system