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「おはよう、島崎」

図書館の廊下を歩いていると、不意に背後から声がかかった。
足を止めて振り返ると、丁度後ろからやってきた国木田が、片手を挙げて歩み寄ってきた。
その手に和柄の手帳を一冊持っている。
僕が貸した手記だ。

「ほいこれ、サンキュ。温泉、楽しかったみたいでよかったな」
「うん…。楽しかったよ。花袋の方は見せてもらった?」
「ああ。あいつの旅行記は鮮明で、書き手の好奇心も含めていつだって悪くはない。お前のと併せれば、十分俺は満足できたさ。…しかし、温泉地ってのは大して変わり栄えしないものだな。手記を読む限りじゃ、昔も今も似たような雰囲気だ」
「そうだね…。もっと遠い温泉地なら、違うのかもしれないけど…」

国木田から返してもらった手帳を懐に仕舞いながら、そう返答する。
僕の隣に並んだ国木田と一緒に歩く。
お腹は空いていないけれど、朝だから、朝ご飯を食べなきゃならない。
食堂に行かなきゃ…。

「ところで島崎」
「何?」
「その温泉に行った時、花袋と寝ただろう」
「…」
「…。その沈黙は肯定だな」
「花袋が、言うなって言ったから…」
「何だそれ。オープンな秘密もあったもんだな…。そんな受け答えじゃ肯定と変わらないぞ」
「そうかな。はっきり肯定はしてないから、大丈夫だと思うけど…。それとも、国木田は不確定な情報と推測で、物事を決めるの? ジャーナリストなのに」
「客観主義と言ってくれ。大凡の人間が普通に推測するであろう思考の流れは、止められるものじゃない。客観、ってのは、多くの第三者から見た視点では、という意味だ」
「じゃあ、愚かな人間が多い場合は、国木田も愚かな思考と文章を書かなきゃいけないんだね。…うん。確かに、それならそう推測しても、仕方が無いか…」
「何かトゲあるな…」
「あ、おーい!よう、二人とも!今朝はいい天気だよな」
「…」
「あ…。おはよう、花袋」
「おうっ。なあ、朝食を食べたら、三人で中庭にでも行って詩を――…ぐえっ!」

前方に片手を挙げて花袋の姿を見るなり、国木田が大股で進んで行くと、空かさず腕を回して花袋の首を絞めた。

「ぐおおっ…。ちょ、何だよ独歩!朝っぱらから…!」
「何だよはこっちだ。お前、また勝手に島崎と寝ただろう」
「何の証拠があってそんなこと言うんだ!?」
「島崎の手記に書いてあったわ!」
「はああっ!?」

首を腕で締め上げられている花袋が、僕の方を見る。

「とーそんッ!!」
「だって、あったことを書き止めるのが手記だもの…。それに、メモ書き程度だよ。直接的表現はないんだけどな…」
「だとしても見せるな!内緒って言っただろ!?」
「言うなとは言われたから、言ってないよ。手記は、見せてって言われたから…。国木田にしか見せてないし…」
「それが悪いんだよ!!」
「島崎が悪いんじゃなくて、お前が一方的に悪いんだろ!?」
「いででででっ!」
「…変わった絞め方だね。初めて見るな…」

国木田が、絞め方を変える。
足も使って花袋を固定し、ぎりぎりと関節を締め上げている風だ。
騒がしい二人の横を通り過ぎようとしたけれど、初めて見る絞め方なので、もっとよく見ようと傍に屈んで手記を取り出し、絞め方を簡単な図にしてメモを取る。

「だって泊まりだったんだぜ!? 仕方ないだろ!」
「関係ないね!次は俺の番だったの分かっての行動だろ? 確信犯だ。許せん」
「痛いって!マジで痛い痛い痛いっ!!」
「…花袋、痛い? どこがどういう風に痛いの?」
「藤村ッ、ンな時に取材すんな!!コイツを止めろ!」

組み合っている二人を眺めながら、感想を聞いてみようと思ったけれど、花袋は答えてくれなかった。
花袋が涙目になってきたところで、まあまあって国木田を止めてみる。
廊下の真ん中でうつ伏せに倒れる花袋の傍に立つ国木田は、両手をぱんぱんと打ち合わせて埃を払った。
そして、ぷいっとそっぽを向く。

「ふん!ざまぁみろ」
「……」
「…花袋。大丈夫?」
「――…だいじょうぶじゃない…」
「どこがどういう風に大丈夫じゃないか、具体的に聞いてもいい…?」
「……なあ。普通に心配してくれねーか…?」
「うん。だから、大丈夫?」
「……」
「今の技をかけられると、どこがどう大丈夫じゃないのかな…って」
「……」

国木田の反対側に屈み込んで尚も聞いてみたけれど、やっぱり答えてくれなかった。
倒れたまま、絨毯の上に『どっぽ』と書く花袋の指は、意外にもふかふかで長毛の絨毯だったお陰でちゃんと筆跡を残した。
…へえ。
これくらいの長さがあれば、残るんだ…。
花袋が本当に死んでしまったら、またあの時のように悲しいから嫌だけれど、僕の周辺で現実的に人死にがあれば、それはそれで小説にすることもできる。
知人が、人に知られず亡くなるのは、悲しい。
少しでも、知人が生きていて亡くなったことを知る人が増やせるのであれば、小説や自伝は、有効な手段だと思う。
参考にと、今まで気にしたことのない廊下の絨毯に片手で触って、ある程度の長さを調べようとしたけれど、その前にぐいと片腕を引かれる。
屈んでいた体が、無理矢理立たされた。

「…あ」
「放っとけ、島崎。いいから、食堂に行こうぜ」
「花袋…」
「そのうち来るって」
「…って、もうちょっと相手しろよ!」

僕と国木田が歩き出すと、花袋はすぐに起き上がって追ってきた。

 

 

「いっつつつ…」

食堂はさわさわと、風が揺れるように人の出入りがあり、気配がする。
窓際の四人掛けに三人で腰掛け、朝食を囲んでいる間も、花袋は度々脇腹を撫でた。
…ふうん。
さっきの国木田の技はそこが痛くなるんだな…と、花袋が撫でる手と脇腹を、向かいの席からじっと見詰める。

「ちょっとばかり手加減をしてくれてもよかったんじゃないか?」
「やなこった」

僕の隣に座って頬杖を着いていた独歩が、そっぽを向く。
この感じだと、あの時止めなかったら、国木田は花袋の肋骨を何本か折っていたかも知れない。
最近は、潜書中に怪我をしたりすることも勿論あるから、肋骨何本か折っても大したことじゃないかもしれないけど、そうすると補修をしなきゃいけないからな…。
それに、潜書以外でベッド送りは、何だか間抜けな気がする…。

「大体、それを責めるなら、藤村だって同罪じゃないか」
「僕? ……そうなの?」
「同罪じゃない。島崎は自分からは欲しがらない。花袋が求めたに決まってる。そうなると、島崎は断らないからな」
「へっへーん。残念でしたー。この間は、藤村から"キスしてくれ~"って言ったんですぅー」
「………は?」

べー、と舌を出して花袋が言うと、国木田は戸惑った風に見えた。
けど、間もなく半眼になり、両腕をテーブルの上に重ねてため息を吐く。

「…いや、そりゃ嘘だな」
「嘘じゃねーよ。なあ、藤村?」
「うん…。嘘じゃないよ」

聞かれたから答えると、国木田は驚いた。

「え…、まさか。島崎から言ったのか? どうして…」
「…? どうして、って…。花袋が、言って欲しいって言ったから…」
「…」
「…」

花袋を睨む国木田。さっと目をそらす花袋。
片腕を伸ばして、国木田は素速く花袋の襟元の紐を握った。

「おんまえはぁ…」
「何で俺が怒られなきゃなんねえんだよ!藤村が言ったのは本当なんだから、嘘じゃねーじゃん!」
「ねえ…。もう少し、静かにしない?」

招かれた作家たちは、朝食を食べない人も多い。
昼食時や夕食時と違って、人の出入りが多くはない午前中だとしても、この食堂で一番騒がしいのは、きっとこのテーブルだ。
もう少しゆっくり朝食を取りたいなと考えながら、卵焼きを箸で割って口に運んだ。


花が咲くには




今日は天気がいい。
花袋は、三人で中庭に出て散歩して、題を決めて詩でも創って遊ぼうと考えていたみたいだけれど、それはあっさり却下された。
やっぱり、国木田は花袋と張り合うことを選んだ。
僕に付いてくるように言って食堂を後にする国木田は、本当は、僕ではなくて花袋のことを意識している。
張り合うってことは、きっとそう。
それは好きと同義語ではないかもしれないけど、"個人の心を占める"という点では、性欲や食欲などより余程強力だろうと思われる。
性欲や食欲は、例え後から批評や批判、悪態を吐くにしても、どのような形であれ摂取すれば落ち着くから、それ自体大したことじゃない。
それよりも、嫉妬、尊敬、憎悪、心酔……これらの方が、ずっと後を引く。持続性がある。
国木田の心は、いつも花袋が占めている。
数人が寛いでいるリビングを通過して、国木田の部屋へ着いていく。

「どうぞ」
「お邪魔します…」

片手で開けられたドアへと、進んで踏み込む。
似たような間取りだけれど、部屋には個性が出る。
国木田の部屋は、まあまあきれい。でも、机の上はぐちゃぐちゃしている。

「お茶を淹れるよ。その間に俺がシャワー浴びてくるから、その後使ってくれ」
「…」

部屋を見回して、新しい個性を見つけようとしていた僕に、国木田はさらりと言った。
それがどういう意味なのか分かるから、首を傾げる。

「明るいうちは、どうかと思うけど…」
「俺も。…ところが、俺たちが生きていた頃と違って、今のご時世はそういうのあんまり気にしないらしいぜ。時代に乗っかってみるのも面白くないか? 試してみたくてさ」
「…。へえ…」

そう言えば、花袋は口吻のことを"キス"と言っていた。
読んだり、聞き及ぶ範囲では、殆どの女も文学を嗜み、本格的な学業を積んで、男と変わらぬ職業に就いて外で働くような機会も多いそうだ。
性についても、徐々に開けてきているのかもしれない。
…最も、昔から変わりなくあるとは思うけど。要は、それが表に出ているか否かという話だろう。
開放的なことは、いいことだ。江戸時代とか、昔も開放的だったし。
けれど物事は一長一短だから、開放的であることによって、秘めやかさというか、個人に、より独占的な愉悦ではなくなるんだろうな。
…示された洋椅子へ腰掛けながら、ちらり、と窓へ視線を向ける。
カーテンはあるけど……閉めたところで、きっと明るい。

「…。暗くなってからがいいかな」
「お?」

ぽつりと言ってみると、タイを外していた国木田が意外そうに振り返った。

「珍しいな。島崎からリクエストが来るなんて。やっぱり抵抗があるか? けど、古きものばかりに愛着を感じていたら、比較すらできないぜ? 試して、より良きものを選択することこそ、重要だと思わないか?」
「それは分かるけど…」
「…ま、お前が本当に嫌なら止めるけど?」

解いたタイを片手で弄びながら、国木田が僕の座る洋椅子の肘置きへ腰掛ける。
…国木田がそうしたいというのなら、そうしてあげたい気もするけど…。
ただでさえ、貧相な体だ。
白日の下に晒すのは、居たたまれない。

「…。やっぱり、夜がいいよ」
「分かった」

ぽつりと返事をすると、国木田は軽く両手を開いて肩を竦めた。
幸い、機嫌を損ねた様子ではなさそうだ。

「じゃあその代わり、今日は一日俺の部屋から出ない。これで手を打とう」
「…昼食と晩ご飯は?」
「飯の時は許す。それ以外はダメだ」

ぴっと人差し指を立てる国木田。
…一日中、この部屋にいるということは、僕にとって苦痛ではない。
国木田の部屋には本もたくさんあるし、小説を書くならペンと紙があればどこでも成せる。国木田の行動を一日取材できるということでもある。
花袋に一日会えないのは寂しいことだけど、食事の時や明日には会えるのなら、耐えられる。
こくりと頷く。

「…分かった」
「お茶を淹れるよ」

微笑する国木田が、背を向ける。
やがて、甘いお茶の香りが部屋を包んだ。

 

 

数時間が経った。
昼食時に部屋を出て食堂へ向かったけど、花袋とは会わなかった。
食べ終わって再び国木田の部屋へ戻る。
午前中もそうだったけれど、雑談や議論を交わす時間は兎も角、それ以外はお互いしたいことをしているので、静かだ。
ふと思い立ち、書きかけの原稿用紙から顔を上げて、正面に足を組んで座り、本を読んでいる国木田を見る。

「…ねえ」
「んー?」
「国木田にも、接吻を欲した方がいいのかな?」
「? …ああ。キスしてくれって言ってやったってやつか?」

僕を一瞥して、けれどすぐに読んでいた本へ視線を戻し、国木田が言う。

「俺はいい。言えと強制はしない。どうせ夜に抱き合えばその過程でするし、それ以外で俺が欲しければ、直接お前に言う。島崎も、欲しくなったら、その都度俺や花袋に言えばいいよ」
「そうなの…?」
「そういうもんだろ、そもそもがさ。花袋は甘ったれてるし、島崎は尽くしすぎる」

ぺら…と、国木田がページをめくる音が響く。
尽くしすぎる…?
そうだろうか?
好ましい相手に善い気分でいて欲しいと思うことは、変じゃないだと思うけど…。
好ましい相手の泣き顔や落ちぶれた姿に昂ぶりを感じるサディストや、心身の苦痛を好むマゾヒストの方が、余程変わっているのではないだろうか。
それだって、変わっているだけで、悪いわけじゃない。
変わっているということは、あくまで一つの文字的言語的表現であって、単に、数の上で少数派という意味だから。
人は、中庸や標準を求めすぎる。
本当は一人一人違うのだから、変わっているも何もない。

「ま、"言われたから"じゃなくて、お前がもう少し主張してくれた方が、俺は嬉しいけどな。"暗くないと嫌だ"は、聞けてよかった。島崎の性的な趣向と嗜好には、興味があるんだ。主張がないと、それらが見え難い。好意的な相手に善くしてやりたいと思うのは、誰だって同じだ。材料が少ないと、手探りが続く。外れも引く」
「…」
「…? どうした?」
「うん…。国木田がそうしたいのなら、教えてあげたいと思ったんだけど…。僕って、何が好きなんだろう…と思って。……考えたことないや」

褥での、花袋と国木田の好きなことは、何となく分かるつもりだ。
…けど、自分のことを問われると、僕は一体何が好きなのだろうか。
強いて言うのなら、花袋や国木田が嬉しいことが好きだけど…。
考え込む僕を見ていたらしい国木田が、ぷ…と吹き出した。

「俺は、いくつかは知ってるぞ」
「…そうなの?」
「けど、お前から見た、お前の趣味嗜好を知りたいなあ。差違があっても面白いし、無くても面白い。分かったら、教えてくれ」
「ああ…。うん…」

そうだね。
…うん。今夜は、僕は、僕をよく観察するとしよう。

 

 

「三人で手を打たないか? たまにはいいと思う!」
「断固断る」

夕食時、正面と横の席で交わされるそんな会話で、国木田は花袋の提案を断った。
花袋は落ち込んでいた。
テーブルに沈む姿を見ると、慰めたくなる。
花袋が明日声をかけてくれたら、用事があっても、夜は花袋と寝よう。
勿論、その花袋が、明日になれば気が変わっているかもしれないけれど…。
そもそも花袋は、美しい少女が好きなのだから。
ここに女の子がいたら、花袋は嬉しかっただろうな。
そうしたら、きっと花袋は、僕で時間を紛らわすようなことはしないだろう。
花袋がそうなれば、国木田だって、張り合うようなことはしないと思う。
…。
どうして、招魂されるのは男ばかりなんだろう…?
女流作家だって、良き才能を持つ人は多い。男とは視点が違うから、そこもまた面白い。
過激さを秘めているのは、常に女だ。
花袋のためにも、女を招魂できればいいのに。司書さんに、その能力がないのだろうか。
戦闘には向かないからかな…?
僕はそのお陰で嬉しいけれど…花袋は詰まらないだろうな…。
――。

「――おい。島崎」

ぼんやり、そんなことを考えていると、ぺちぺちと頬を軽く叩かれた。
ふと目を開けると、目の前に他人の皮膚がある。
指の背で、国木田が僕の頬を叩いたようだった。
部屋の電気を消しても、カーテンを引いても、高い場所にある明かり窓から差し込む月光で、暗闇にはならない。
約束通り、国木田と交わす為に布団に入ったけれど、ぼーっとしてしまった。
服を脱いだ体を寄せていると、それだけで温かく滑らかで、思考がぼんやりしてしまう。
特に、最初と最後、ただただ体を寄せ合っている時とか。

「ぼーっとしてんなぁ…」
「ごめん…」
「別にいいけどさ」

僕の髪を梳き、国木田が額に口付ける。
何となく身動ぎをして、ちょっとした謝罪のつもりで国木田の首に擦り寄る。
そこで気づき、唇を開いた。

「…国木田。分かったよ」
「うん?」
「僕は、始めと終わりに、こうして体を寄せることが好きなんだ…。だから、ぼうっとしてしまう」
「そーだな」

自分の好きなことが分かって言ってみたけれど、国木田は面白そうに笑うくらいで、驚かない。

「そうだと思うぜ。お前は、人の首や鎖骨に鼻先を寄せて、じっと体温を感じるのが好きだ」
「…知ってたの?」
「いくつか知ってるって言っただろ。…あと、たぶんだけど、口付けが欲しい時に、そうやって首を伸ばして、人を見上げる。自分からは絶対に言わない奴だなと思っていたが、自分で気付いてないだけなんだろうな、それ」

国木田が、僕に口付ける。
欲しいと言ったわけではないけれど、与えられると、確かにしっくりくる。
国木田が好いようにと舌を交わそうとするけれど、この辺りから、いつも受け身になってしまう。
唇を離し、そのまま、国木田が吸血鬼のように僕の首筋や肩に舌を這わせる。
皮膚が唾液で濡れ、そこに風が通るだけで、温感の差が、快感ぶって雰囲気を高める。
国木田の背に腕を回そうと思ったけれど、浮かせた手を取られて、指を絡めて再びシーツに落とされてしまった。
僕を跨ぎ、天窓を彼が遮る。

「花袋は、どうしてか感情が先に来る。眼は良いし、表現を斬り込む度胸もあるのに、奥が楽観的過ぎて観察したものを表に出し切れない。…まあ、あの度胸に楽観は必要なものなんだろう。…とはいえ、あいつの為にも、腹が空く前の餌のあげすぎは良くないぞ、島崎。渇いて飢えないと、人は成長しない」

にっと国木田が悪戯っぽく笑う。
…。
…うん。
そうなのかもしれない…。

「ん…。そうだね…。……気を付ける」

唇で耳を撫でられる。
心地が良くて、また無意識に顎を上げたらしい。
国木田が、タイミング良く口付けてくれた。

 

 

 

翌朝は、朝食を抜いた。
国木田は、起きた後も、僕が体を起こそうとするまで、ずっと横で寝ていてくれた。
彼の好意に甘えて、僕は、昨晩気付いた僕の好みであろう性癖……彼の鎖骨に鼻先を寄せ、相手の胸に片手を添え、飽きるまでじっとしていること……を実行していた。
…うん。
どうやら僕は、矢張りこれを好んでいるようだ。
…花袋は光だけれど、彼は清涼なる風だ。
いつも外からの刺激……意見や視点……を、柔らかく僕に伝えてくれる。
勿論、光も大切だけれど、水と光だけが豊富過ぎると、黴が生えて、根腐れするから…。
風もまた、無くてはならない。
国木田が、片腕で僕を抱いたまま、ぐーっと四肢を伸ばし、片腕の肘を立てて頭部を支える。

「あーあ…っと。気持ちいいなあー。…昼食も抜くかなぁ」
「うん…」
「遅れた頃に行っても、茶菓子くらいはくれるだろう」

それでもいいかもしれない…。
うとうとしていると、不意にドンドン!と強く部屋のドアがノックされた。

『おーい!独歩ぉ、藤村!! もう昼だぞ、昼!いい加減起きろよ!!』
「…」
「花袋だ…。起きなきゃ…」

僕が体を起こすと、国木田も起きた。
気怠くて動けない僕と違い、彼は床に落ちていた下着とズボンに足を通し、髪を掻き上げながらドアへと向かう。
ガチャリと開けると、案の定、花袋がそこにいた。
ベッドからでも、辛うじてドアのところが見えた。

「うるせーな…。お前なあ、デリカシーってもんが――…あっ、テメ。勝手に入んなっ!」
「藤村っ!」
「え? …わ」

国木田の横をすり抜け、花袋が一直線に僕のところへ来ると、横から抱きついてきた。
為す術なく、ぐしゃりと潰れるように、またベッドにうつ伏せに倒れる。
僕の背中を覆うように左右に両手を着いた花袋が、首の後ろや背中に唇を寄せる。
くすぐったくて、身を捩った。

「次は俺だなっ!よっし、部屋に行こうぜー!」

言いながら、花袋が僕へ口付けようと顔を寄せる。
こんな僕を求めてくれるならあげたいし、嬉しいなとも思うけど…。
昨晩の国木田の意見を思い出して、ぺち…とその顔面を片手で遮った。

「………へ?」

想像以上に、花袋がびっくりした顔をする。

「えっと…。……疲れてるから、もう少し待ってよ…」
「な――…うえええええ!? どうした、藤村!?」
「え…別に…。どうもしないけど……気分じゃないから…」
「気分っ!? 気分なんて言い出したこと今まであったか!? …え? な、何でだ? まさか、俺が嫌になったのか!?」
「どうして? 好きだよ」
「支離滅裂!」
「そうかな…。僕はそうは思わないけど…」
「いいぞ、島崎。振ってやれ振ってやれ」

閉めたドアに背中を預けて、国木田が腕を組んで笑う。
目の前でショックを受けている花袋が、早速可哀想に思えてくる…。
…。
花袋の片手に手を添えて、そこにそろそろと身を寄せてみることにする。
手首に鼻先を寄せると、花袋の匂いがする。

「じゃあ…。…何もしないで、隣で昼寝くらいなら…、いいのかな?」
「…何だその拷問」
「それが甘いんだって…」
「…」

はー…、と深くため息を吐く国木田。
どうやら、国木田曰くこれもダメらしい…。

…でも、聞こえない振りをして、両手で花袋の手首を握り、鼻先を寄せて目を伏せた。

 



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独歩さんと藤村さん。
アプリ内のあの三人組は絶妙なバランスな気がして好きです。
個人的には独歩さんは親友の花袋さんを意識していると思います。
若くしてお亡くなりの作家さんが楽しそうだとちょっと嬉しくなる。
…いや、所詮ゲームなんですけどね。それでも。
2020.10.15






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