闇雲に戦い、死闘を繰り広げて相打ち。
だがそのお陰で、漸く長い間擦れ違っていた距離が縮まった。
ぼかすか殴り合って体力無くなってからじゃないとお互い相手の話を聞かないなんて、どこまで馬鹿なのかと巨乳の女医が呆れながらも、動けなくなった俺たちを診てくれた。
…目が覚めたのは俺が先だった。
ズキズキ痛む傷よりも、周囲を包む病室然とした雰囲気に違和感を覚えて、簡素なベッドの上で横たわったまま取り敢えず動く首だけを枕の上で動かした。
その視界に、隣のベッドで死んだように寝っているジンを見て、身体中から力が抜けたのが、今でも印象に強い。
俺のベッドと窓との間にある奴の上には、白く薄いカーテンで遮った柔らかい日差しが降りていた。
すぐにでも立ち上がろうとしていた体から力を抜いて、少し浮かせていた首をそのまま枕に落とす。
「…馬鹿が。…口開けて寝てやんの」
薄く唇開いて寝てるジンを見て、小さく苦笑してから、天井を見た。
俺ももう少し眠ろう…と、そのまま目を伏せた。
先に動けるようになったのは、当然俺だった。
治癒力も並大抵じゃねえし、抑もその気になれば見舞いに来たり、巨乳のねーちゃんに診てもらいに来てるその辺の患者からちまちま体力奪っちまえばたぶん速効で治っただろう。
できるのにそれをしなかった俺はかなり道徳的でいい奴だ。
体力と傷の回復は自然治癒に任せたが、殆どが全身至る所にある凍傷と擦った切り傷刺し傷であった為、そこまで大袈裟なもんでもなかった。
凍傷が結構厄介で、未だに痺れが残ってんな~とか思う時もあるが、日常生活は問題無し。
下層とはいえ街中だ。
賞金首なもんですぐに出ててった方がいいのかも知れんが、何となく居座ったまま。
患者の連中にも顔なじみができちまったし、やっぱ礼もしなきゃなとも思うし。
何だかんだで雑用係みてぇなのを買って出ていた。
出て行くまでの間だがな。
ちょこちょこっとな。
「ラグナ。今日はもういいから、ジンさんの様子見ていらっしゃいよ」
「あ~?」
診察椅子に腰掛け、足を組んでたライチがカルテの手を止めて唐突に振り返った。
さっき業者のにーちゃんがどかどかっと入口んトコに下ろしてった医薬品詰め込んだダンボールを両腕で抱えてた俺は、思わず移動の足を止める。
「あいつの様子も何も…。すぐソコにいんじゃねーか」
荷物持ったまま、俺は顎で奥のドアを示した。
扉一枚のその奥が所謂入院スペースで、入院患者のいない今、俺とアイツの部屋みてぇになっちまってる。
…一緒にいても何話していいか分かんねえし、あいつはあいつでまだ傷の治り遅ぇし、正直、日中あんま同室にいたくねえってのもあって、こうして手伝いを買って出てるわけだ。
そこんとこ全然分かってねえのか、それとも分かった上で言ってんのか、兎に角ねーちゃんは口元に片手を添えて微笑した。
「たまにはいいじゃない。一緒にいてあげた方がいいわよ。兄弟水入らずで」
「どーだか。…あいつ、殆ど口利かねえしよ」
「あら。そういう貴方から話しかけてるのかしら?」
「…」
そう言われると反論できねえ。
ジンの野郎は殆ど俺と話さねえんで無視されてんのかと思っていたが、そういや俺からも話しかけてねえっちゃねえかもしれん。
…しかし、殺し合い紛いの戦闘かましてお互い傷作ったところで、今更友好的になんかなれるか。
俺にとってあいつは変わらず…何つーかその……大事だが、一応。
しかし、奴が同じとは限らない。
普通に犯罪者を斬るノリで対峙することもあれば、突然憎悪向けられることもあり、とも思えば昔のように兄さん兄さんっつって抱きついてくる時もあった。
距離感が全然掴めねえ。
会う度会う度極端なんだ。
ユキアネサ引っぺがして今は押さえ込んでいるらしいんで、恐らく今の無口な状態が、飾り気のない"今のジン"なのだろう。
俺は"昔のジン"のことを誰よりも知っちゃいるが、"今のジン"のことは何一つ分からねえ。
もしかしたら、ここ数日の完全無視状態が、あいつの俺に対する正常な対応なのかもしれない。
…となると、確実に好かれてはおらず、寧ろ嫌われていると考えるのが普通だろう。
どう接していいか分からねえ。
荷物を下ろさないまま、奥のドアを一瞥してから目線を反らした。
「…俺がいちゃ、あいつゆっくり眠れねえだろ。まだ傷治ってねえのに」
「そうかしら」
「そーだよ」
「意地っ張りなのね。…ふふ。それとも、ヘタクソさんなのかしら?」
「…あ?」
「はい。これ」
不意にライチが俺に右腕を差し出した。
反らしていた顔をそっちへ向けると、折れそうに細い腕とすらりとした指の掌に、林檎が一つ乗っていた。
赤いマニキュアと林檎の色が、白い手に妙に栄えてやがる。
さっきまで気付かなかったが、机の端に林檎が数個乗った駕籠が置いてあった。
「患者さんに貰ったの。一つあげるわ。お見舞いには付き物よね」
「見舞いってなぁ…。だぁら、すぐソコにいんだろっつーの。…つか、相部屋だろうが」
「近くていいわよね」
「…!」
まるで他人事のように一言告げて、無造作に林檎を投げる。
落としちまったらすぐ傷んじまうんで、反射的に横向いてた体を反転させ、飛んできた林檎をダンボール箱の上で一旦キャッチし、そのまま角度着けて俺の方へ転がってきたのを首で上から挟んだ。
鼻に近いこともあり、甘い匂いが鼻孔を擽る。
「…おい」
一応声をかけてはみるが、ライチは素知らぬ顔でカルテの記入に戻った。
…。
はっ…。誰が行くか。
林檎で喜ぶ歳かよ。
こんなもん、俺一人で食ってやる。
そう思いながら、林檎落とさねえよう気を付けつつ、ダンボールを廊下の端へ持っていった。
大きいが大して重くもないダンボールを下ろし、その上から林檎を掴み取る。
ボールのように何度か上空へ投げてキャッチを繰り返し、上下する赤い球体を眺めていた。
…林檎ねぇ。
――ねえ、兄さん。ウサギ作って…!
ぼーっと眺めていると、不意に脳裏に高い声が響いた。
小さな両手を広げて無邪気に笑いながらくっついてくる姿を、今でもはっきり覚えている。
逆を言えば、その頃の姿しか覚えてねえ。
…あいつとサヤを驚かせてやろうと、一番最初に包丁握ったのが林檎だった気がする。
「…ッ」
舌打ち一つして、踵を返した。
どかどか診察室を横切る。
「おい、ねーちゃん。包丁と皿借りんぞ」
「ええ。どうぞ」
隣接してるプライベートスペースに入り込み、狭いが片付いてる台所から皿を一枚と、水道横にある置き場から包丁一本引き抜いて、再度どかどかと診察室を横切る。
面白そうに微笑しながら俺を見送るライチを無視して、奥のドアノブを握った。
…こーゆーのは勢いだ。
今は俺もここで寝泊まりしてんだし。
ノック無しにノブを回し、ドアを開ける。
バンッ…!と大袈裟な音がして、ドアが全開に開いた。
「…!」
ベッド二台はドアを開けた俺の正面に位置する。
窓際の方を使ってるジンは起きてて、突然ドアを開けた俺にびくりと妙に大きく肩を揺らした。
突然で驚いたのか、彩度の高い碧眼と目が合う。
その姿が微妙に上半身裸なのに気づき、今度は俺の方が内心焦る。
どうやら着替えの途中だったらしい。
…タイミング悪ぃー…。
思わず自己嫌悪に浸る。
…こーゆートコがな。
つくづく俺とコイツは相性が悪いなと思う。
朝見た時まで来てたパジャマはベッドの横にあるサイドテーブルに折り畳まれてて、代わりに白い寝間着を着ようとしてるようだ。
…尤も、ジンは俺が斬りつけたせいで今は片腕に包帯があり、思うように動かせないんで、取り敢えず腕だけ通したはいいものの、帯どーすっかなーといったところか。
合わせも随分開いた状態で、窓を背景にしてるせいで、そのまま透けそうな色の腹部やら胸やらが丸見えだ。
野郎のくせに色白なせいで、俺が着けた痣や腫れが余計に目立つ。
白い肌に赤や緑や青の傷が、黴のように浮いていた。
「ワリぃ。…着替えか?」
「…」
声をかけながら後ろ手にドアを閉める。
ジンは無言のまま、顔を背けて動く片腕で緩んでいた寝間着の合わせを整えた。
…やっぱ嫌われてんじゃねーか。
内心早速吐き捨てながらも足を進めた。
手前にある俺のベッドのテーブルに持ってきた林檎と皿と包丁を置き、そのままジンの傍へ寄っていった。
奴が身を起こしているベッドの隣へ仁王立ちする。
…お互いどう反応していいか分からなかったが、やがてジンがゆっくり顔を上げた。
「…何?」
「別に。…手ぇ退かせよ」
「何で」
「帯、結べねんだろーが。…やってやるっつってんだよ」
「…」
人が親切心で言ってやってんのに、ジンは沈黙したまま握った合わせから手を退く気配がない。
舌打ちして、俺は奴の肩を掴むと軽く押して上半身を少し後ろに反らさせた。
手首取って、合わせを押さえる手も横にぶん投げてやる。
スペースが出来たところで、ジンの寝間着の襟を合わせてから、左右に広がってた帯を結んでやった。
「片手使えねぇんだから、パジャマにしとけって言われてただろーが」
「…寝間着の方が慣れてるから」
「あっそ。…ほら。できたぜ」
腰のとこで結んでやった後で、首の左右の襟をちょっと上に引っ張ってやる。
最後に、首から外していた腕の包帯固定する吊り布を頭の上から首に引っかけて完成だ。
「一人でできねぇことあんなら呼べよ。どーせその辺にいるんだからな」
「…うん。…ありがとう」
目線を反らして俯いたままではあったが、小さくジンが呟いた。
その声がさっきよりも柔らかくなってて、内心ちょっと嬉しかったりする。
こんなに喋ったのはお互い怪我してから初めてだ。
会話が一段落したところで、完全無意識に左腕が伸びてジンの頭を撫でた。
掌が細い髪を撫で始めたところで、撫でた俺も撫でられたジンも、それぞれ俺のその動作に驚いて、お互い妙な顔になった。
…とはいえ、ここですぐ腕を引っ込めるのもおかしい気がして、そのまま少し撫でてやる。
指がぎこちない。
…しかし、これ今俺、ホント完全無意識だったぞ。
十何年ぶりだってのに、習慣ってのは反射的なもんなんだな。
ひょっとしたら嫌がるか叩き落とされるかするかと思ったが、ジンは特に反応せず大人しくしていた。
どこか萎縮しているよーな気もする。
喉の下を撫でられる猫のようにも見えた。
少なくとも嫌では無さそうだ。
この頃になると、随分と心に余裕が出てきた。
毛虫の如く嫌われてたかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
外に出さないよう気を付けながらほっと安堵し、ジンの頭の上から手を退いた。
「林檎。食うか?」
「…林檎?」
「ボインなねーちゃんに貰った。患者さんに貰ったんだとよ」
「…」
一度その場を離れ、部屋の端にある折り畳みの椅子を持ってきて、ジンのいるベッドサイドに組み立てる。
そのまま腕を伸ばして俺の方のテーブルから林檎と皿と包丁を取り、座った。
…皿を膝の上に置き、向いてやろうと林檎に包丁を添えたタイミングで。
「……ウサギ、」
ぽつ…と柔らかい声がかかった。
手元に落としていた視線を上げると、ジンがふんわり微笑していた。
「まだ作れる?」
「…」
「僕、兄さんの作ったウサギ好きだよ。…林檎は、ウサギじゃないとね」
キツめの目元が緩むと、一気に印象が変わるもんらしい。
朧気だった自信が確信に変わる。
…ジンは、間違いなく俺の知るジンだ。
内心が晴れ渡る。
ぱっと顔を上げて、俺は包丁を持つ手を軽く振った。
「ったりめーだろ。バーカ。余裕だっつーの。…ちっと待っとけよ?」
「うん」
左手で押さえた林檎に包丁を入れる。
まずは適当に八等分してからだ。
「市松模様とかも作れんぞ。あと筍とか、桜とかな」
「本当? 見たいな、それ」
「あー…いや。でもよー、桜は切り落とし多くて勿体ねぇんだよ」
「駄目。見たいからできるの全部剥いて」
「全部だぁ~?」
「全部」
興味を持ったのか、ベッドのシーツ上を少し移動して、ジンが身を乗り出す。
林檎の蜜の匂いに混ざった奴の匂いがくすぐったく、くしゃみが出そうになった。
我ながら器用に細工入れていく手元を、近距離でじっとジンが覗く。
控えめだが楽しげに双眸が輝いてるのを見て、思わず苦笑した。
「…ねえ。兄さん」
「あ?」
「僕、今でも兄さんが大好きだよ。ずっと寂しくて、どうしていいか分からなかった。…また逢えて、良かった」
細い腕が伸び、横からぎゅっと俺の二の腕に添えた。
体温なんて感じないくらいの冷たい温度をしてたが、確かに温かかった。
腕に遅れて、のろのろと起こしていた半身を寄せ、俺の肩にぴたりと額が当たる。
「…大好きだよ」
「…」
「ぎゅってして…。兄さん」
絞り出されるような声は、俺の勘違いじゃなけりゃ泣いてるように聞こえた。
包丁と林檎を置いて、左手を引っ付いてるジンの後ろ首に添えて引き寄せ、反対の手で無茶苦茶に奴の頭を撫でた。
ずーっと昔のことだが、森で迷子になったジンを漸く見つけた時もこんな感じだった。
…やっぱりこいつは、俺の大切なもんの一つだ。
流れで額に一つキスしてやった。
親指で涙拭ってやろうとした俺の手を押しやり、お返しとばかりにそのままジンが俺の喉に何度か口付け、涙が皮膚に当たって熱い唇と冷たい涙の感覚が同時に喉を濡らした。