守ろうとしても守れない。
分かり合おうとしても擦れ違う。
捕まえようとしても逃げられる。
ぐるぐる回る輪廻の中で、いつしか真面目に向き合うのが面倒になってきた。
どうして巧くいかないのか。
そんなに難しいことなのか。
俺はただ家族と…取り敢えずは手近なジンと…一緒に暮らしたい、ただそれだけのはずなのに。
うざったい刀を一振りされ、即座に屈んでそれをやり過ごした。
一振りが振り終わらないうちに身を起こし、動きの広い軍服の裾を片手で掴んで力任せに引き寄せる。
軽い身体は面白いくらいに浮いた。
「っく…!」
「ッラァ!!」
「がは…ッ!?」
上部へ一瞬浮いた身体の腹部に向かって、膝を打ち付ける。
軽い身体の持ち主…ジンに打ち付けた膝から、内臓が振動する触感を得た。
そのまま後ろへ落ちて転倒した拍子に、氷剣はその手から離れる。
カランカランと音を立てて転がる剣の向こうで、倒れたジンが身体を折って酷く咳き込んでいた。
いくらか胃液を吐き出し、がくがくと身を痙攣させる。
…どうやら良い具合に入ったらしい。
ほっと安堵しながら、転がってる奴へ向けて一歩踏み出した。
「よう…ジン。…ほら。もういいだろ?」
「が…っ、ぐ…」
俯せた顔は垂れる金糸で見えはしないが、弟は弱々しい身体で何とか四つん這いにはなった。
唇の端に残る吐瀉物を手の甲で拭い、ぎっとキツイ双眸が俺を憎悪の目で睨む。
…何て目付きをするようになったんだ。
昔はもっと…本当に澄んだ綺麗な目だったんだ、コイツは。
そう思うと哀しいだけだった。
いきなり攫われて、いきなり英雄になってて、いきなり俺に会って…。
そうさ。混乱しねぇ方がどうかしてるよな。
今は少し、パニクってるだけなんだ。
「この…ッ、犯罪者…っめ…!」
「落ち着け。何もしねえよ。帰るだけだ。…来い」
誘うように腕を伸ばしてやる。
こんな場所にはお互いいたくないはずだ。
とっととどこか、もっといい感じの場所に逃げて、そこで…。
そう告げようと思い口を開き掛けた拍子に、突如ジンが身を起こして床を蹴った。
俺と奴の間に転がり落ちた刀を拾おうとしたらしい。
可愛い抵抗だ。
一瞬だけ遅れて俺も爪先で床を蹴った。
ジンと刀の間に滑り込ませた自分の身体を壁にして、刀へ伸ばしたジンの腕をそのまま掴んでやる。
「…!?」
「根性あんな」
驚愕に引きつるジンへ苦笑してから、掴んだ腕を外側へ捻った。
身体を密着させているからか、ぼぎ…という、嫌に鈍い音が俺にまではっきり聞こえた。
「ぅ…ぁああぁあああああああっ!!」
絶叫が場に響いた。
…馬鹿だな。たった腕一本でんな悲鳴あげやがって。
腕を払って解放してやると、よろりと背後に数歩引いたかと思うと、そのまま折れた右腕に左手を添えて尻餅を着いた。
さっき腹打った時の衝撃がまだ残っているのか、裏に指が向いてる力ない腕を抱きながら、また酷く咳き込む。
顔を顰めて苦痛に耐える顔が忍びなく、俺は小さく息を吐いた。
「く、ぅ…っ」
「…ジン」
「…!」
じゃり…と一歩踏み出した俺の足音を聞いて、ジンがびくりと身を強張らせ顔を上げる。
上げた拍子に、苦痛で滲んでいた涙が頬を滑り落ちた。
泥と血と涙で汚れた顔には見覚えがあり、それがとても懐かしく胸が温かくなる。
庇護欲を掻き立てられ、やっぱコイツには俺しかいないと一歩一歩歩み寄った。
「ひゃ…」
びくんっとジンが肩を揺らす。
「もう心配ねえぞ。機構なんかに勝手に弄られやがって…。辛かっただろ?」
「ぁ…ぁ……っ」
「もう二度と同じ目には遭わせねえからな…。追っ手だって、来たら来た分だけ兄ちゃんが殺してやる。テメェは俺と一緒にいりゃいいんだ。…な?」
「来るな…ッ!!」
見開かれて揺れる双眸で、ジンが足下の砂を握って俺に向かって生きた腕で投げつける。
投げられた砂は俺に届くことなく、ぱらぱらと横へ流れていった。
「やだ!やだ…!!来るな!来るなぁあああ!!」
どうも混乱してるらしい奴の悲鳴に呼応して、バキン…ッ!!と俺とジンの間に氷柱が突き出た。
左右上部に閉じた翼をあしらった、まるで自分が守ってやってるぜ的な天使の盾じみた屑氷の出現に、腹の底から苛っとする。
盾の向こうで身体を縮めて震えているジンから一旦視線を外し、その辺に転がってるクソエネミーへ視線を投げて舌打ちする。
「ウゼェな…」
爪先をそちらへ向け、折ってやろうと一歩踏み出す。
自分が壊されることが分かったのか、距離が詰まった頃に刀から一気に冷気が流れ出した。
ひゅぅ…と頬を撫でる冷たい風の中で、生意気にも刀が自分で足下に氷を創り出し、刀身を縦に起こす。
道具風情が何する気だと足を止めて時間を与えてやると、立てた刀身の柄を握るように、冷気が徐々に集まって人型を作り出した。
やがて、たん…と軽やかに爪先を大地へ着ける。
冷風に靡く白い羽織に凍て付いた青い双眸の…その人型はジンだった。
思わず鼻で嗤った。
マジでウケる。
持ち主の容姿勝手に借りるたぁ何様だ。
形を得たアークエネミーと対峙し、太刀の柄を握り直す。
白いジンはうっすらと不気味な笑みを浮かべた。
よく見る笑みだ。あの狂った時のジンの微笑そのもの。
…当然だ。コイツが、ジンの中でジンを侵してやがったんだからな。
「テメェがユキアネサか…」
『兄さん…酷いよ。どうしてそんなに僕を虐めるの…? 趣味?』
「何が"僕"だ。調子乗ってんじゃねえぞ。道具の分際で」
『調子? …やだなぁ。それは兄さんの方だよ。…ね、兄さん。…その』
「…!」
『穢い、手で!』
愉快そうにくすくす笑いながら、突然白ジンが刀の柄を握った。
バリン、と音を立て、刀を覆っていた氷が割れる。
直後。
『"僕"に…触るなあああああああッ!!』
「…!?」
苛烈な勢いでクソエネミーが突っ込んで来やがった。
2ラウンドが開始だ。
重みのある太刀を振り上げ、始めの一振りを弾く。
拮抗した力は互いの刀身を弾き上げ、次は一振りへと続く反射神経が勝負になる。
そんで生憎と、反射神経は愚弟のが早い。
恐らくこのクソエネミーもジンと同じ身体能力してやがるだろうから、次の一振りは相手に譲り、俺は早い段階で後退した。
素早く身を引いてすぐ、さっきまで腹があった場所を直刃が横切る。
風を斬る音の向こうで、舌打ちがあった。
「おうおう、どしたよ。高笑いはしねえのか?」
打ち合いながらも茶化してみる。
狂ったように笑ういつものジンはなく、目の前にいるのはぎらぎらに双眸を光らせたジンだった。
何やら狂気ではなく熱意じみたものを感じる。
次々と打ち込まれる氷弾と太刀筋をかわしながら、後退を続ける。
『死ね!ねえもう死んでよ兄さん!!僕が殺してあげるから!!ね、ねっ?嬉しいでしょ?嬉しいよね!?』
「ふざけん、じゃ…っ。ねえ、よ…っ!」
『ひとつになろうよ!僕らみたいに!!気持ちよく殺してあげる!僕から"僕"を奪うなんて絶対許さないから…!!』
「…っと」
「ひっ…!?」
とんっと後退した足下が何かに当たった。
素早く一瞥すると、例の…本物のジンが内側にいる氷の盾の手前まで来ていた。
透き通ったガラスのような厚い氷の向こう側で、当初の毅然とした姿はどこへやら、すっかり怯えたジンが折れていない方の手だけで耳を塞ぎ、へたり込んでがくがく震えては泣いていた。
「――」
それを見た瞬間、頭の中の奥の辺りで、ガラスに罅が入るような、そんな音がした。
一瞬で、よく分からない何かがフラッシュバックする。
守れなかった光景よりも、守れなかったあの時の感情が一気に爆ぜた。
それまでの相手の勢いを忘れ、ギッと強く睨み付ける。
心臓というよりは脳みそから流れ出した灼熱が、右腕と右目に移る。
相手が振り下ろした一撃を避けずに、右手を伸ばして刃を掴んだ。
「…!?」
「…。泣かしてんじゃねぇよ……」
驚愕にクソエネミーの双眸が揺らいだ気がした。
ぐっと右手に力を込めると、血が出で手の厚み半分くらいまで肉が斬られた代わりに刃が拉げた。
本体が捻られ、耳を突く絶叫が弟によく似た形容から上がる。
はは。ざまあみろ。
無意識に口端が緩んだ。
俺の弟を、妹を、家族を。
泣かす奴らは、
脅かす奴らは、死して当然だ。
遍ク須ク、――地獄ニ堕チロ。
刺せば刺す度血が溢れて、途中から面白くなってきた。
途中、プッツンきちまってよく覚えてねえが、忌々しい魔導書は真っ二つにボッキン、だ。
動かないクソエネミーはジンの形容を保ったまま、腹に太刀ぶっさして解剖台の蛙のように無防備になっていた。
「は、はは…。……く、はははっ」
駄目だ。嗤える。
右手に持った太刀の柄を上下させたり、左右に動かしてみたりしながら、俺は左手の甲で口元を押さえ、くつくつ絶えず笑っていた。
刃を動かすごとにグチャグチャといかにもな音がして、時折開いた腹のままクソエネミーの細い四肢が痙攣する。
赤が混ざっててよく見えねえが、内臓らしきものの配置が漠然と分かる。
人の腹ってこーなってんのか…などと、脳天気にも俺は太刀の柄に顎を乗せて見下ろしていた。
弟の形容をしているが、弟ではない。悪だ。
ああ、悪だ。
だから滅多打ちにしても滅多刺しにしても、一向に平気だった。
ジンと同じ形容なんてふざけんじゃねえ。
ぐちゃぐちゃにして原型留まらねえくらい挽肉にでもしねえことには気が済まない。
何ならそのへんの野良犬や鴉に餌として食わせてやりてえくらいだ。
「おい、ジン。見てみろ。コイツまだお前のカッコしてるぜ。つーかマジでまんまだな。…っとに巫山戯た野郎だな。胸クソ悪ぃ」
少し距離のある弟は未だに蹲って泣いていた。
嗚咽と悲鳴のような苦しそうな泣き声が、さっきから絶えず響いていた。
まだ恐いのか、背を向けたままこちらを見ようともしない。
羽織の先を口元に添え、過呼吸のように肩を上下させている。
…折角ぶっ殺したんだ。
できれば、ジン自身に今までの恨みを晴らさせてやりたい。
俺はちらりと挽肉擬きのクソエネミーを一瞥し、瞳孔開いて虚空を眺めている顔面を一度蹴り付けてから、柄から手を離した。
敵討ちと名を打てる程の敵でない雑魚道具だが、それでも長い間ジンを縛ってきたこの野郎を俺は死んでも許さねえ。
一歩ずつ、ジンの方へ歩み寄る。
刀が折れたことで氷の盾は既に溶け落ち、弟の回りには水が張っていた。
雨に濡れた道に放り出されたような様子で、ジンが小さくなっている。
「ジン…。こっち来いよ。もう大丈夫だって」
「うっ…っ…」
「ほら。テメェでやり返しとけって。俺の太刀かしてやっから。もう動かねえし、心配な…」
「う、うああぁあああぁあああああああ!!」
弱々しい肩に片手を置いた瞬間、弾かれたようにジンが俺の手を叩き払った。
反応に驚いてる間に、ジンが尻をついたまま這って移動しようとする。
思わず、その後ろ首掴んで引き留めると、じたばた暴れ出した。
「おい、落ち着け」
「やだ!助けて!!助けて兄さん…!!」
「は…? …おい馬鹿。何言ってんだ、ジン。俺はここにいんだろうが」
「ひ、ひぁ…っごめんなさい!止めて!触らないで!!痛いのは嫌だ…!助けて兄さ、さ、サヤ…さ…っ兄さ…っや、やだ!やだぁあああっ!!」
「…」
耳を突く悲鳴に暫く唖然としちまったが、やがて俺は肩を下ろした。
我を失ったように泣き叫ぶ弟は胸に痛い。
パニクってんなら、それはそれで仕方ない。
一時的なものだろうと思って、ゆっくり落ち着くまで待ってやることにする。
…長い捻れた時間がジンを変えてしまったとしても、これから治していけばいい。
「おら。来い、ジン」
「…っ!?」
暴れるジンをそのままに、ずるずると引き摺ってその辺で血だまりの中横たわってるクソエネミーの傍まで行き、その腹から太刀を引き抜く。
ぶしゅ…とやっぱりいかにもな音がし、血が吹き出た。
…魔導書の分際で、ガチで肉体持つなんざ、ほんと、調子乗りすぎだ。
まあ恐らく、一時的に構築した肉体の物質を分解する前に俺が本体壊しちまったからって話なんだろうが…。
すっかり赤く染まったクソエネミーの身体から離れようと背を向けてすぐ、引き摺ってたジンが一度大きな痙攣をして暴れるのをぴたりと止めた。
振り返ると、気絶をしたのか眠ったのか、力なく人形のように目を伏せている弟がいた。
顔色が悪いが…すぐそこの挽肉と違い、涙の跡や泣き腫らしで汚れちゃいるが、それでも綺麗な寝顔ではあった。
無防備な馬鹿弟にぷっと苦笑する。
「…ったく。しゃーねえなぁ」
太刀を腰の後ろに収めて背を屈めると、ジンを抱き上げた。
昔、散々サヤと取り合ってたおんぶでも構わねえが、腰に着けた太刀が邪魔なもんで、所謂お姫様抱っこになった。
…軽いな。
こうしてると、何かマジで自分が王子やら騎士やらになった気になるんだから、俺はつくづく単純だ。
一旦片腕にジンの身体を偏らせ、空いた左手で何とか濡れてる目元を拭ってやり、もう一度抱え直した。
抱え直す途中で柔らかい髪質が頬を撫で、急に恋しくなって、抱えてる身体を抱き締める。
俺と違って細い髪質は先が血で固まってはいたが、それでも柔らかかった。
つでに随分血の臭いが濃かったが、こいつもやっぱり、それでも微かに懐かしいどこか甘ったるい匂いがした。
目を伏せて耳に唇を寄せる。
「ジン…。もう大丈夫だ。…今度こそ、絶対に…兄ちゃんが守ってやるからな」
俺の誓いは眠っている弟の耳には届いていなかろう。
後でもう一度、起きたら言ってやらなきゃな。
嘘じゃないぜ。
もう二度と手放したりなんかしない。
再度強く抱き締めると、ジンの体温を感じ、何だか突然涙が出てきた。
夜。
いつまでも起きない弟の身体をベッドに横たえて身体を拭いてやろうと服を脱がすと、さっき強く握った弟の身体に、俺の手跡が痣となって付いていた。
青紫の、ちょっと十匹のトカゲが這ったようなそんな跡が白い肌に付いているのが嬉しく、俺は暫く眺めた後、指先でそれらを撫でた。
「…早く起きて、また水汲み行こうな」
優しく頭を撫でてから、また誰かに拉致られねえように、左手首とベッドヘッドを鎖できつく繋いで、ジンの横に両腕を置くと、そこに頭乗っけて俺も床で眠りについた。