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コンコンコン、と律儀に三回。
どっかの面接マニュアルにでも載ってそうな正確さのノックで、弟はいつも部屋の戸を叩く。
元々随分前から爆睡モード脱して微睡み状態だったんで、その音はしっかり聞こえてはいた。
もっと言うと、一時間前に様子見に来た時のノックもちゃんと聞こえてたんだぞ…とは思うが、結局微睡みに負けて無反応スルーしちまったんで胸は張れない。

「兄ぃさーん」
「…ふぁ~い」

叩きはするが、こっちが入室許可を出す前に開けんだから、全く意味ねえよなぁ…。
俺の部屋のドアに立って中を覗いてるであろうジンの声に、仰向けでベッドでごろ寝してた俺は目を擦った。
…ねみー。
ドアとは反対方向にごろりと身体を寝返り、背中を丸めて布団の中縮こまる。

「おはよう。もう10時になるよ。休日だからってちょっと寝過ぎ」
「あー? …別に寝過ぎじゃねーよ。休日の起床時間ってのは昔から12時って決まってんだ」
「はいはい…。兄さんルールはいいから」

呆れたような苦笑含んだ返事をしながら、ジンが部屋へ入ってくる。
そのままベッドに両手片膝着いて身を乗り出すと、背を向けて寝てる俺を上から覗き込んだ。
今までカーテン開けっ放しだった窓から差し込んでいた光が、それで俺の顔部分だけ遮られる。

「今日はとても良い天気だよ。僕、兄さんと買い物いきたいなぁ」
「…」

よく言う。
ちょい大きめのデパートまで距離があるんで、免許持ってねえからバイクの運転役が欲しいだけだろーが。
見え見えだが言われて気分は悪くねえし断れねえ。
大体、その買い物で買ってくる食材は俺の飯にもなるんだ。
分かっちゃいるが、ホント甘え上手で嫌になる。
女だったらちょっと一言言っただけでその辺の馬鹿な野郎にごまんと貢がせられそうだな。
…横目でちらりとジンを一瞥した後、俺は深々とため息を吐いた。
仕方ねぇなあ…。
寝転がったまま片手を伸ばしてジンの頭を引き寄せると、すぐに察したのか元々期待してたのか、自分から目を伏せて顔を詰めて来たんで、そのまま軽くキスしてやる。

「ん…」

舌先で人の唇辿るのはコイツの癖で、乾いてた表面が湿った後で近距離にある弟を半眼で睨むとぺちっと頬を叩いてやった。

「…わーったよ。…ったく。人んこと顎で使いやがって」
「お陰で僕のバイク運転できるでしょ」
「なーにが僕のバイク、だ。免許ねえくせに馬鹿高ェもんばっか買い集めやがって。成金趣味が。…仕度すっから、ちょっと待ってろ」
「僕が着替えさせてあげようか?」
「あ?」

のそりと上半身を起こした俺の腹の上に横になったまま、ジンが微笑して寝間着代わりのスウェットの腰紐を指先で弾いた。
明らかにこのままヤるかどうかの問いかけだ。
小首傾げて上目とゆーいかにもな誘い文句と体勢に一瞬迷ったが、出かけてーっていうんだから出かけた方がいいだろう。
今から始めちまうと、たぶん何だかんだやってる間に昼過ぎになる。
下手すりゃごろごろしてる間に一日が終わる。

「いいって。買い物行きてぇんだろ。…おら、退け。邪魔だ」
「えー? ざんねーん」
「ざんねーんとか言いながら寝ころぶな!」

ごろごろ絡んでくる弟を片腕で払いながら、ベッドから降りる。
スウェットの上脱ぎ終わる頃にもまだベッドの上に仰向けで寝っ転がってやがるんで、半眼で振り返った。
丸い目と合う度ににこりと微笑される。
…じろじろ見られると気分悪ぃな。

「おい…。どっか行け。気になんだろ」
「やだ。視姦してるんだから邪魔しないで」
「し…!」
「兄さんセクシーだよね。いいなぁ、腹筋あって。僕兄さんの胸とかお腹とか、硬い場所大好きだよ」
「…ッ!!」

思わぬ返事に、びゃっと逆毛立つ。
何ぬかしやがるんだコイツは…!
何処でそーゆーの覚えてくるんだ、それが年上様にかます言葉か!
回れ右してぐわしっと寝転がってるジンの二の腕掴み、無理矢理立たせるとベッドから引き摺り落とし、そのままドアの方へぶん投げる。

「馬鹿なこと言ってんじゃねえ!おら!消えろ、セクハラ変態野郎」
「公的な場でなく社会的差ではないからセクハラには当たらないし、兄さんに言われたくないもん」
「っ、…っせえよ!!」

顔熱くしながらも何とかジンを蹴り飛ばして部屋から追い出す。
逐一剔ってくる発言に、それでも狼狽してんのは少なからず自覚があるからで…。
…ああ。何でこーなっちまったのか……。
片手で寝起きの顔面を押さえため息を吐く。
さっきのキスもそうだが、ここんとこそーゆーことがすっかり日常になってきちまった。
実の弟相手にあれこれかまけてる俺はたぶん世間一般で言うところの間違いなく変態に値するだろう。
俺か?俺が悪いのか??
…いや、確かに俺も確実に悪いかもしんねえけど、事ある毎に普通のブラコンレベルからぶっ飛び越えしてる行動とってきたアイツの方が格段に悪いだろ?
今では随分と落ち着いてきているが、長い間離れていて再会した弟の、一時の情け容赦ない押しっぷりは今までの俺の人生で会ったどの女よりも強烈だった。
一瞬でもぼけっとしてると場の流れが取られて完全に向こうのペースだ。
同じことをその辺の男がやられたらどう拒否るのか、一度見本でも見てみてえもん……いや、無理だな。
そうだよ。俺だけじゃねえよ、絶対。
ノンケだろうと何だろうと、転ぶ奴は転ぶだろ、あれ。
そんくらい奴の押しは強い。
今でも巧くかわせねえのは、もしかすっと当初の頃がトラウマの類になっているからなのかもしれない。

「…。変態か…」

こっそり泣きたくなるような単語にがくりと肩を落としながら、俺は着替えを再開した。


priceless rich



ジンの趣味であるバイク集めは今も継続されており、管理業者に管理を任せているんで、奴が"今日はあれに乗りたい"と電話した機体を、業者の兄ちゃんが指定した時間に俺ん家のマンション前に運んでくる。
見る度に新品だろこれと突っ込みたくなるピカピカのヴィンテージバイクは、やはり男の浪漫だ。
めちゃくちゃ格好いい。
こればっかりは恩恵というやつだ。
自分で運転しないのかと何度聞いても、自分よりも俺のが似合うとか何とか、噛み合わない返答が返ってくるんでいい加減に聞くのも止めた。
時間の浪費だ。
コイツとのまともな会話は結構むずい。

「兄さん…。格好いい」
「へいへいへいへい。そりゃどーもー」
「えいっ」
「写メんな!何万枚撮り溜める気だお前は!」
「まだ百ちょっとしかないよ」

バイクに跨る俺を横に立って見てるジンにヘルメットを投げつける。
携帯で勝手に俺の写真撮ってたジンは、飛んできたメットを慌てて受け取った。
もたもたしてる弟を促すためにエンジンかける。
流石に高いバイクだけあって、ちょっと吹かせただけで瞬発力見せつけるように大きく鳴った。

「置いてくぞ。ノロマ」
「え、だめ…!」

慌ててばたばたとジンが後ろに乗る。
何がそんなに楽しいのか、メットを付けたあと全力で俺にしがみついてきて、背中に体温が移る。
そんな馬鹿弟を必ず片腕で一度押し退けるのがいつもの流れだ。

「くっつきすぎだ。邪魔くせェな」
「…」
「おい!」
「…兄さん…温かいね」
「…」

聞く気はないらしい。
俺の背中に頬を添えてごろごろ懐くみてぇに目を伏せてるジンを見ると、怒る気も失せる。
舌打ちして、俺はスタンドを足で蹴り上げた。

 

近くのデパートは相変わらず混んでいる。
土日は何処もこんなもんだ。
人垣をかき分けるのに比較的身長のある俺なんかはあんま苦労ないんで、ジンの前を適当に歩いて道をつくってやることにする。
俺ん家の台所奉行はしっかり買い物メモを持ってきたらしく、あれこれと的確に材料をカゴに入れて無駄遣いもあんましねぇから、たぶんそこらのおばちゃんなんかと比べると買い物時間はかなり短い方になるんだろう。
キサラギの家じゃ料理なんかしてねえって言ってた割りに、腕前はかなりのものだ。
最初は卵の片手割りも魚も捌けなかったはずだ。
一時的にテーブルの上に料理の参考本やレシピ本が山積みになっていた気がするが、最近はそれが減ったなと思う頃には上の下くらいの腕前をジンは習得していた。
勿論俺も長い間一人暮らしで家事してたから、たぶん野郎にしては炊事洗濯得意な方だが、男の料理なんて豪快で手軽なのが基本だ。
そこいくと、ジンの作るメニューだの配色だのは教科書通りって感じの綺麗な出来映えで、あれはあれで、そんで俺のは俺ので両方気に入っている。
料理自体は嫌いじゃねえし、五分五分交換でいいっつってんだが…。
先月くらいからだろうか、俺が使ってたエプロンがぼろいしでかいんでジン用に新しいの買ってやった辺りから、八:二でジンが進んで台所に立つようになった。

「…と。日用品はこのくらいかな」

一通り回ってレジに並ぶ前に、ジンが両手で持っていたカゴから顔を上げた。

「兄さん。何か欲しいものある?もう何か決まってる? あと食べたいものも」
「んー? …いや。別にねえけど…。スナック菓子とかあってもいいかもな。ポテチとか」
「じゃなくてさ」

俺の返答に、ジンが困った顔で苦笑した。
…?
欲しい物が菓子じゃ何かおかしいか?
疑問符を浮かべる俺の顔に、ジンが少し驚いたらしい。
きょとんとした顔で俺を見上げていた。

「え…。兄さん、もしかして誕生日忘れてる?」
「誕生日? 誰の」
「兄さんのだよ!」
「あ…?」

声を張って言うジンの言葉を、思わず聞き返す。
誕生日って…俺のか?
今日って何日だったか…。
曜日ばっかで、あんま日常日にちなんざ気にしてねぇからな。
ポケットに入れっぱなしになっていた携帯を取りだして開いてみると、3月3日雛祭り。
…おお。マジだ。俺の誕生日じゃねーか。

「何だ。今日だったのか。そーいや雛あられとかちらほら目に入るな」
「もう…。駄目だよ、誕生日忘れちゃ。僕ちゃんと覚えてて今日を楽しみにしてたんだからね」
「何でテメェが楽しみにしてんだよ。関係ねーだろが。ケーキとご馳走食えっからか?」
「違うよ。特別な日を一緒に祝えるから!」

歪曲して取られるのがそこまで嫌なのか、食事なんて関係ないと少しムキになって返答するジンに苦笑する。
想像通りの反応だと面白ぇな。
拗ねられる前にその頭上に片手を置いた。

「へいへい。ありがとな。…でもまあ、俺もケーキ食いてぇし、買って帰ろうぜ」
「それは勿論だけど…。プレゼントは?」
「んー…。別に欲しいもんとかねぇんだよなぁ。忘れてたくらいだしよ」
「好きなご飯も作るよ?」
「お前のはいつも美味ぇからそれこそ何でも構いやしねえよ。…ま、何だ。こーやって家族と祝えるってのが一番のプレゼントってやつなんだろ。一緒に過ごせるだけで上等なんじゃねーの?」
「兄さん…」

う…。
ちょっとくさかったか…。
きらきらした目が横から突き刺さり、俺は慌てて場凌ぎに咳をして喉を鳴らした。
うっかり溢れ落とした本心が気恥ずかしくなり、話を逸らしたくてジンの腕から重そうなカゴを奪い取る。

「おら寄こせ。重ぇだろ。持ってやるよ」
「…うん」

照れてるらしいジンが小声で頷いて、言われた通り俺にカゴを手渡す。
公衆の目がある以上家ん中のようにべったりくっついてはこなかったものの、空いた両手のうち、片手の指先で俺の袖を抓んでくる。
ちらりと一瞥すると、嬉しそうに頬を染めた俯き気味の顔が映った。
…あー。
駄目だ…。気恥ずかしさが倍増される。
んな反応されると対応に困るぜ…ったく。
流せってんだ。一々真面目に受け取りやがって…。
流石にレジの前に来ると、ジンは俺を抓むのを止めて両手を後ろで組むことにしたらしい。
ほっと安堵しながら金を払い、軽い方の袋をジンに手渡す。

「次ケーキな、ケーキ」
「うん。…どっちのお店にする?」
「あ?」
「一階と二階にあるよ」
「二階…?」

俺はデパートなんかに買い物に来ても、全体的に把握はしない。
食品関係は全部一階かと思っていたが、どうやら二階にもデパート側とは別の個人店なんかがテナントとして入っているようだ。
レジを出てすぐの所で目に付いた案内板を改めて見ると、結構知らない店や足を運んだことのない店がかなりある。

「テメェはどっちが好きなんだ?」
「僕はどちらでも。でも、二階の店は幼馴染みが美味しいと言っていたよ」
「ほーん。…そんじゃ行ってみっか」

二階へ移動し、目当てのケーキ屋っつーか菓子屋に向かうことにする。
エスカレーター上がってみるが、デパートの端に位置している菓子屋には少し歩く。
服屋やスポーツショップが並ぶ通路をてけてけ歩いていると、不意にジンが袖を引いた。

「兄さん、ストップ」
「あ?」
「僕、服見たいな」
「…はあ?」

何か気に入った物でも目に入ったのか、妙に唐突にジンが強請る。
指を差すブランドショップが何なのか、その辺に疎い俺には分からねえが、なるほどジンが好きそうな、ごてごてしてねえシンプルでお上品な感じの店だ。

「テメェなぁ…。服欲しいんなら食料品見る前に言えよ。荷物付きでふらふらする気か」
「ごめんなさい。…でも、見ていいでしょ?」
「しゃーねぇな。ちょっとだぞ。行ってこい。俺ぁその辺に座って…」
「兄さんも!」
「はあ? 何で俺……あ、おい馬鹿!ひっぱんな!!」

ジンに腕を取られ、そのまま強引に連行される。
店内に他の客がいなかったせいか、店員がすぐにやってきて捕まっちまったが、ジンは慣れた様子でそいつを気にせず自分の見たいスペースへ足を運ぶといくつかの服に手を伸ばした。

「これとか格好いい」
「馬鹿。サイズ見ろ、サイズ。テメェに合うわけねーだろ。でかすぎだ」
「兄さんに合わせるからいいの」
「あ…?」
「ああ。お兄様にプレゼントですか?」

ジンの発言で俺との関係を察した店員が、ジンとあれこれ話し始める。
どうやら俺に洋服のプレゼントをくれる気らしいが…。
ちらりと横に立ってるマネキンを見る。
決してスーツというワケではないが、ジャケットなんかにしたって妙に袖とかボタンとか、細部のデザインが細かい凝った服が多い。
…堅苦しそうな服しかねえぞ、ここ。
俺はもーちょいラフな方が好きなんだがな…。

「兄さん兄さん!」
「ん?」

ぶらぶらその辺見て歩いているところを呼ばれて振り返ると、ジンが黒いジャケットのハンガーを持っていた。
腕にはインナーと思しきシャツとパンツまで引っかけてある。
…一式買う気か、まさか。

「これ。これどうかな?」
「ああ…。へいへい。好きにしろ」
「お似合いだと思いますよ。ご試着されますか?」
「いや、いい。そいつに任せる」

店員の言葉を片手で軽く流し、嬉々として決めた服を預けているジンにため息を吐いた。
色々考えてくれるのは有難いが、本当に俺は一緒にいられるだけで十分だと思ってる。
悪いが受け手がこんな状態である以上、あとは贈りたい側の気分が重要だろ。
ジンの好きにさせといて、もらったもんを大切に使ってやりゃあいいよな。
…ま、一着堅苦しい服があってもいいだろ。
絶対滅多に着ねえだろうが。

「ねえ、兄さん。ついでに僕も買おうと思うんだけど、見繕ってくれない?」
「服をか? テメェに?」
「お互い合わせあうっていうのも、たまには楽しいよ、きっと」
「…服ねぇ」
「僕ベルトの方見てくるね」

ベルトが並んでいる方へジンが移動すると、それに店員も付いていった。
財布を握ってるのがジンの方だと分かったんだろう。
あれこれとアドバイスしてやっているようだ。
残された俺は、腕に買い物袋ひっさげたまま両手をポケットに入れ、たらたらとジンのサイズの方へ移動した。
そういや、食品とか日用雑貨の買い出しは多いが、あんま洋服とかの買い物には一緒には出ねえな。
…服ねぇ。
ジンに似合いそうなのっつーと…どの辺だろうな。
あいつ青とか白とか黒とかが確か好きだったな。
いつも比較的堅苦しい服着てやがるし、自分じゃ買う機会なんてそうそうねえだろうから、俺は楽なの選んでやるか。

「んー…」

何か手頃なものはないかと、並んでる洋服を手にとって見比べる。
結局、よく分かんねえけどこれかな…と思うものが決まった頃に、ジンが戻ってきた。

 

 

 

服を買った後にケーキを買い、思った以上に大荷物になっちまった。
一気にバイクに乗せて帰ることが難しくなり、俺が荷物持つからジンはバスで戻って来いと言うと、奴はすぐさま携帯を取りだして何処かへ電話をかけ、十分もしないうちにバイク管理の業者がやってきて、荷物を預かると先に家に運んでくれた。
そのまま業者がジンも家に送ろうかどうかと聞いたが、奴は一言で断った。
楽で早い車よりも、俺とくっついて帰る方がいいのだそうだ。
さいですか…。
懐かれてる嬉しさよりも呆れがくる。

「うーわ…」

夕食時にテーブルに並ぶ料理の数々を見て、俺はあ然と口を開いた。
夕方どころか、午後の三時くらいから台所に入るジンを手伝おうとしたが、立入禁止命令が発令。
今日は一人で作るんだと言って聞かない弟の意見を尊重し、部屋でぼけっとしているうちに夕食の時間になった。
二人用の狭い正方形のテーブルに、所狭しと和洋食が並んでいる。
肉が随分多いのは俺の好みに合わせた結果だろうが、その分肉嫌いのジンが食える物は少なそうだ。
豪勢な食事の中央に、買った小さめのホールケーキが置かれている。
ジンのダチが美味いとかいっていたケーキ屋は、確かにお上品で見た目も綺麗で美味そうだ。

「またすげー手の込みようだな…。テメェが食えんの少ねえんじゃねえか?」
「だって兄さんのお誕生日だもの。僕のことは気にしなくていいよ。…さあ、座って!」

嬉しそうに俺のイスを引くジンの笑顔に、思わず吹き出した。
ほんっとに馬鹿というか何というか…無邪気な奴だ。
唐突な俺の反応に、ジンがイスの背に両手を置いたまま困惑した表情をする。

「何…? 何かおかしい?」
「いや…。別に何でもねーよ」
「わ…っ」

イスに座る前に片手を伸ばして、笑いながらジンの頭を撫でてやった。

「ありがとな、ジン」
「ぁ…。……うん」

笑う俺を見上げてから、ジンが表情を緩めて照れ臭そうに微笑んだ。
豪華な飯があるのもありがたいが、やっぱそんだけで、俺には十二分な気がした。

 

 

ジンの手料理は勿論いつも通り上出来で、腹一杯食った後一休みした後にコーヒーでも入れてケーキを食うかという話になった。
ただ、食い過ぎてなかなかデザートまで腹が減らないというこの状況。
食休みを兼ねて、ジンは先に風呂に入った。
俺も次入っとくか…。
…正直ケーキは明日でいいんだが、たぶんジンは今日俺に食わせたいんだろーな。
ぼんやり思いながらソファに深く腰掛けてリラックスしながら、たらたらとテレビのチャンネルを切り替えて見たり見なかったりと時間を消費しておく。
あんま面白いテレビもなく、ぼけーっとしていると、不意に背後から声がかかった。

「兄ぃさん」
「ん…?」

当然振り返る。
狭い家だが一応リビングから玄関までは廊下があり、その廊下の途中に風呂がある。
故に、廊下の方からかかったジンの声に振り返ったわけだが、風呂に入ったはずのジンはいつものパジャマ姿ではなく、服を着ていた。
思いっきり見覚えのある服だ。
昼間、俺のプレゼント買う序でに服欲しいとか何だとかで、俺が選んでやった青い服だった。
両手を後ろで組んで、軽く小首を傾げるジンの格好に疑問を持ち、深く沈みすぎていた身体を思わず起こして背を浮かせる。
ソファに座る俺からすれば斜め後ろくらいに位置する奴を見、片腕をソファの背に置いて首を捻って眉を寄せた。

「お前…。風呂入ったんじゃなかったのか?」
「入ったよ」

廊下の入口で止めていた足を進め、ジンが傍に来るとソファの後ろに立った。
俺の首に左右から腕を回し、丁度鎖骨ん所で両手を組む。
殆ど真上を見上げるようにジンを見上げると、確かに髪は濡れているようだ。
石けんの匂いもするし、やっぱ風呂は入ったらしい。
回された腕のうち右の人差し指が、襟開いてた俺の鎖骨を擽るように撫でる。
傍に寄ってくるとベタベタ触るのはいつものことで、大して気にせず、俺は視線をテレビに戻すとまたリモコンでチャンネルを変えた。

「何だ。寝間着にしちまうのか、それ」
「まさか。普通でも着るけど、今は特別」
「あ…?」
「答えてあげる前に…はい。洋服の他に、僕からもう一つプレゼント」

俺の首を背後から挟んでたジンが一度組んでいた手を解き、ポケットから取りだした小袋を俺の目の前に垂らした。
ラッピングされてある、本当に小さな袋だ。
片手をその袋の下に広げると、ジンはぽとりと袋を落とす。
…何だよ。洋服だけで十分だってのに。
ネックレスでも入ってんのかと思ってリボンを解くが、中に入っていたのは…。
…。

「…何じゃこら」
「リップクリーム」

さらりとジンが答える。
ああ、そうだな。
リップクリームだ、見りゃ分かる。聞いて悪かったな。
そこらの薬局にいくらでも売ってるリップの類だった。
あんま見かけねえ柄なんでもしかしたら高級品なのかもしれないが、それにしたってただのリップだ。
ちょいちょい使ってんの見かけるジンと違い、俺なんかは全くもって生活に不必要な品物。
基本的に俺からすりゃ高価な物を投げてくるかと思ったが、予想と違った。
再度真上を見上げる。

「これがプレゼントか? 別に荒れてねえぞ、俺」
「兄さんこういうの疎いから、やっぱり知らないよね」
「…?」
「まずは服。服のプレゼントって、結構卑猥なんだよ」
「はあ? 卑猥…??」
「恋人間ではね。服は脱がせる為に贈るんだ。僕は自分で買ったことになるけど…。兄さんが選んでくれたから、意味は同じかな」
「…」
「まあ、僕も最近知ったのだけど…。民衆は面白いね。無駄なことばかりに知恵が回る」

にやりと擬音を与えるにはまだ無邪気すぎる笑みのまま、ジンが告げる。
奴の今の発言で、何故風呂上がりに寝間着じゃなくソレ着てきたのかの謎があっさり解けた。
俺の掌からリップを取り上げると、蓋を開けて、いつの間にかまた上向いてた俺の顎に片手を添えた。
呆れかえってへの字してる俺の喉を反らすように持ち、口へそれを塗っていく。
リップ慣れしてねえからか、やけにぬめぬめした感触が気色悪い。
思わず舌で舐めて拭いたくなるが、薬品食うっていうのもな…。

「同様に口紅のプレゼントも意味があって、贈った口紅が無くなるくらいたくさんキスしようねって意味なんだって。兄さんは口紅じゃ何だから、リップにしてみました」
「…。テメェなぁ…」
「結構いいブランドらしいよ、これ。一万円もするんだね」
「い…!?」
「匂い無いから兄さんでも使えるかなと思って」

俺に塗り終わった後手を離すと、そのリップで自分の唇を撫でながらソファをぐるりと回って来る。
たん…と指先でリップをテーブルに置き、俺の手からリモコンをやんわりと奪い取るとテレビの電源を落とした。
そのまま俺の首に腕を回して向かい合わせに膝に乗っかってきやがる。
微笑する不埒な愚弟の目は相変わらず罪悪感とか羞恥心とか一切無く、まー見事に澄んでいる。
…諦めの境地で、俺は深々とため息を吐いた。
心労が絶えない。

「誕生日、本当におめでとう、兄さん。…ね。これからもたくさん脱がせて、たくさんキスしようね」
「…。…阿呆」
「いたっ」

少しの間の後、ずびしっと右手でジンの頭を軽くチョップする。
猫が頭を叩かれた時のように一瞬ふざけて首を縮めたが、結局その後は顔を詰められキスする羽目になった。
リップ塗ってすぐの口は独特の滑りがあり、やっぱ俺は好きじゃねえや…。

「ケーキどーすんだよ」
「一日くらい大丈夫だよ、きっと。…明日食べよう。今は僕の方がおいしいから」
「…」

食傷気味な台詞に思い切りため息を吐く。
首に腕を絡めたままジンがソファに横になろうと体重かけて傾くんで、俺もずるりと寄りかからせていた背を滑らせた。
案の定、愉しめと言われはしたが新品の服が汚れないかだけ心配で、手早くとっとと脱がせて捨てることにした。

愛しているかと問われれば、正直そこは曖昧で自信がない。
大切かと問われれば、勿論頷く。
だが一番ピンと来るのは"手放すか"だ。
それ以上の的確な言葉なんざ見つからねえ。
要は何だっていいんだ。
一緒にいれれば、それでいい。
俺は"家族"という単語で十分だが、依存癖のある愚弟は"恋人"の単語が必要らしいから、付き合ってやってる…ただそれだけだ。

変な意味で取らねえで欲しいもんだが…。
やっぱ、誕生日プレゼントはこいつ自身で十分だな…と再認識しながら細い金糸に指を通して撫でてやった。



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兄さん誕生日ネタ。
彼らが普通の平和な暮らしができたのなら…たぶん双方向でブラコンな気がする(笑)
兄さんが言うことを聞いていればこれ見よがしに可愛い弟です。
2013.1.4





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