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昼でも薄暗い下層の路地裏。
小腹が空いて狭っ苦しいラーメン屋のカウンターで朝飯兼昼飯に箸を進めてスープを飲んでる途中、不意に横に新しく人が座ったと思ったら…。

「兄さんお昼早いんだね」
「んぶッ……!?」

聞き慣れちゃいねぇが印象強い声に俺は思いっきり吹いた。
カウンター内側の、テメェ本業何だよ?と問いたくなる筋肉ムキムキで腕に刺青なんぞ入れてるおっさんが舌打ちしてこっちを睨む。
軽く吹いた俺が悪ぃから片手で謝しつつ、慌てて椀を置いて隣を見る。
案の定、そこには見間違いなどではなく、正真正銘のジンがカウンターに片腕乗せてちょこんと座っていた。
今日はあの大層な羽織を着てねえからか、前見た時よりも小さく見える。
…すぐ一太刀やっときゃよかったんだろーが、あまりに唐突で呆気に取られた俺は暫くあんぐり口を開けて隣を凝視しちまった。
俺の左目と同じ色した碧眼と口元が不意に緩む。
小さく笑って伸ばされた片手の指先が、つんと鼻先を突いた。

「…変な顔」
「っ、触んな…!」

反射的に箸持ってた方の腕でその手を振り払う。
ばっと振ったその箸の先端にくっついてた短い麺とスープと更に鳴門がカウンターの内側に飛び、見事におっさんの刺青ど真ん中に命中した。
一気に場が凍り付く。

「……」
「……あ」
「…? 何?」

ジンにはよく分からなかったようで聞き返したが、その直後、おっさんの怒声とぶっ飛んできた数枚の椀から逃げる為、俺は空かさず椅子を蹴って背後の暖簾を脱した。


Let's be together




最近贔屓にしていた美味いラーメン屋を追い出され、朝飯兼昼飯中断に落胆っつーか苛々しつつ、俺は大股で路地裏を表へ向かって歩いていた。
何故か一緒に店を出て後ろから着いてくるジンの存在には当然気付いているが、どーゆー訳か今日は前会った時のような殺伐としたというか、露骨なというか…ガチで俺を嬲り殺そうという殺意が一切無い。
隠しているのかどうなのかは知らんが、不思議と警戒しないで済んだ。

「クッソ…! 途中までしか喰ってねえ…。金払い損じゃねーか。返せってんだ!」
「もう食べ終わってスープ飲んでたじゃない」
「俺はスープも残さねぇんだよ!」
「あんな塩分多い残り汁は飲まない方が賢明だよ」

てくてく数歩後ろを付いてきながら、淡々とジンが告げる。
カチンと来て、俺は足を止め勢いよく振り返った。
奴も足を止める。
俺が振り返ったのが少し意外だったのか、目が合った途端にさり気なく目線を横に反らされ、両手を後ろで組んで無意味に足下の小石を爪先で弄り出す。
…。

「…つーか、お前何だよ?」
「…。兄さんの弟」
「違げーよ!何で俺の後にくっついてくんだって聞いてんだよ!」
「嫌?」
「嫌だね」
「どうして?」
「テメェこないだ俺のこと笑いながらザックザックぶっ殺そうとしてきただろーが!」

びっと中指立てて声を張る。
確かに、教会でサヤとこいつが攫われてから相当な年数が経っていきなり会っちまったわけだが、それにしたって小さい頃の気弱なジンとは似ても似つかない変態発言と実力と高笑いに俺はかなり衝撃を喰らった。
人の傷口がしがし踏みつけてブーツの踵でで躙るような奴が後ろ付いてきて嫌じゃねーって奴はドMだ。
んな奴ぁ死んだらいい。
前回会った時のことを率直に真正面からぶつけると、ジンはぴくりと反らしていた目線を戻して俺を見た後で、今度は下へと視線を下げた。
開いていた足を正し、後ろで組んでいた腕を解いて左右に下ろす。
項垂れる様子が予想外で、俺は立てた中指をしんなり緩めた。
…動きの広い羽織がねえと、こいつの立ち姿は本当にひょろい。

「この間は……ごめんなさい」
「…あ?」
「…僕、この間青い刀持ってたでしょう。あれのせいで変になってたんだ。…今では思い出すのも嫌だよ」

よく分かんねぇけどそれまでの声よりちいさくぽつぽつと呟かれる声に、俺は耳を疑った。
それじゃあ、あの時のジンは正気じゃなかったってことか。
やけにイっちまった目ぇしてんなと思っちゃいたが…。
…。
いや、でも嘘かもしんねぇし。
背ぇ向けた途端ザクッって可能性もないわけじゃない。
冷静に考えた結果、俺は片手を腰に添えてため息を吐いた。

「…で?」
「今日は持ってきてない。僕は正気だよ。そしてあの刀は捨てた」
「だから?」
「キサラギの家も捨ててきた。機構の任務に逆らって逃亡した僕は反逆者だ。今の家の関係で親しくしていた幼馴染みに悪評が及ぶのも嫌だから、出てくる直前に公の場で怒鳴りつけてきて頬を打ってきてやった。親しい人間はそいつくらいで他はどうでもいいから交友関係も大凡断ち切ってきたと言える。…まあ。顔に傷が付いてたら責任は取るつもりだけど」
「…」

仲イイ奴に迷惑かけるのが嫌だから仲悪くして出てきたってことか…。
ほお、と俺は軽く顎を上げてジンを見た。

「ユキアネサと比べると勿論劣るけど…刀も一本持ってきた。露払いくらいには手伝えると思う」
「とっとと結論言え」

話が随分遠回しだ。
苛々してきて髪を掻きながらざっくり聞くと、少し迷った後、ジンは顔を上げた。
縋るような碧眼が、この間会った時とは本当に別人だ。
昔、まだこいつが攫われる前、後ろから延々くっついてきたチビの時のような。

「…一緒にいさせて」
「…」
「一緒にいようよ…。もう嫌なんだ、僕。兄さんと離れるのは。…何でもするから」

徐々に小さくなっていく声。
最後の方は殆ど聞こえなかったからほぼ勘だ。
ジンが口を閉じてから数秒、沈黙が場に降りてきた。
半眼で盛大にため息を吐く。
…参ったな。
ここまで昔の面影出されると、振り切れねえ。
あんなボッコボコにコンボ決められて氷付けにされたってのに…。
怒鳴りつけて追い払う気で一度息を吸ったが、言葉に出せず呑み込んだ。
怒鳴る気になれない。
追い払う気にもなれない。
仕方なく、無言のまま俺はくるりと背を向けて無視することにした。

「…」
「…ぁ」

大股で歩き出した俺を追って、後ろからカツカツとブーツの音が付いてくる。
まさか俺の無視が付いてきていいという許可に見えたのか、さっきまで後ろ付いてきてやがったくせに、今度は隣…とまではいかずとも、少し斜め後ろに寄ってくる。
控えめに顔を上げ、ジンが僅かに微笑した。

「ねえ、兄さん。お腹空いてるなら、僕何か作るよ」
「…テメェ料理できんのかよ」
「少しだけど。…兄さんの好きな料理も覚えるから、何でも言って」
「どーせ丸焼きとかなんだろ? それなら…」
「丸焼きは料理じゃないよ。調理していないじゃない」
「…」

それなら俺も得意だぜと続けようとしたところに、バッサリ否定が来た。
内心舌打ちしながら更に歩幅を広げて速めに歩く。
その傍ら、上着を脱いでジンの顔面にぶん投げた。
顔に当たる前に両手でそれをキャッチする。
俺の上着を両腕に抱えて、ジンが袖を畳み出す。

「何?暑くなった? いいよ。僕が持っててあげる」
「ちげーよ、馬鹿。着てろ」
「え…?」
「テメェひょろ過ぎんだよ。何だその体付き。肉無さ過ぎだろ」
「ああ…。良く言われる。僕死肉食べないから」
「何…!?」

さり気なく吐いた嫌味にジンは真顔で返す。
食わない?
食わないって…死肉って…もしかして、肉を食わないってことか?
あんな旨い物を。
俺なんか寧ろ肉だけでいいくらいだ。

「…マジかよ」
「だって気持ち悪いじゃない。死んだ動物の肉切り分けて食べるなんて。化け物みたい。…あ。でも斬ったり焼いたり叩いたりの調理はできるから心配しないで」
「…。毎日何食ってんだ?」
「普通に。野菜とか穀物とか麺類とか…あとは、時々魚は食べるよ」
「…すげーな。お前こんな腕であんな速度振り抜いてたのか」
「…!」

何気なくジンの片腕に手を伸ばして二の腕辺りを適当に撫でて揉んでみる。
…あ、いや。でも筋肉がねぇってわけじゃねぇんだな、やっぱ。
野菜だけ食って生きてるなんて仙人みてえ。
んな食生活じゃそりゃあ細くなるわ。
妙に納得する一方で、肉の旨さを知らないジンに同情する。
…んまあ、肉の話はいいや。
取り敢えず本題に戻し、何か突然黙り込んだジンの腕から手を離して投げやりに言う。

「それ、着てろよ。…まあ、余裕だと思うが、この辺りは上と違って治安悪ぃからな。んな細っちい身体と薄着してっといいカモだと思われんぞ。雑魚構うの疲れんだろ」
「…。着ていいの?」
「あ…? 馬鹿。着ろっつってんだよ。ぐだぐだ言って拒否ってっとぶった斬るぞ」
「…」

折り畳みかけてた上着を、肩ん所持って一度広げてから、ジンがのろのろ袖を通す。
んなに身長は違わねぇかと思ったが、やっぱ多少長いらしく裾が地面すれすれだ。
俺にはジャストサイズだが、人が着てんの見るとやけにでかく見える。

「結構重いだろ」
「うん。それに、袖長い。…兄さん大きいんだね」

ぽつりと呟いて持ち上げた両手は掌の半分が中だ。
襟もでかいデザインだから、頬どころか目の下あたりまで隠れそうだ。
…小柄ってわけじゃねぇんだろうが…ホント、思ってたより小せぇな。

「…でも、これじゃ抜刀しづらいかな」
「あー。…ま、そりゃそーだな」

家出したんならしたでいいが、あのいつも着てた羽織は持って来なかったのか。
…となりゃ、何か適当に上着買わねえと寒いだろ。
あんま金ねーぞ。
無言のままため息一つ吐いてると、不意に左腕にぐんと重みが乗った。
さっきまで微妙に離れてたジンの野郎がいつの間にか真横にいて、人の左腕にくっつきやがる。
俺はぶんぶん腕を振って顔を顰めた。

「おいこら。何ひっついてんだ、邪魔くせぇな。離れろ!」
「今悪い奴に襲われたら、兄さん僕を守ってね」
「…あ?」
「ね?」
「…」

小首傾げて完全無邪気な笑顔を出され、素直に吃驚した。
甘え上手で春花みたいな笑顔はまんまガキの頃で、この間会った時の凍り付いた無表情や暗く捻くれた笑みとは全く違う。
変わっちまった変わっちまったと思ったが、そうでもないらしい。
…守るも何も、機構の師団長様だろうが。
しかも"悪い奴"って…何だその幼稚な表現。
刀抜けなくたって一般チンピラ程度なら素手で半殺しだろうに。
そう思ったが、敢えて口に出すのは止めてがくりと両肩を下ろした。

「へいへい…」
「…! 兄さん大好き!」
「んだぁから、ひっつくなって!」

馬鹿な女みてぇに腕に縋ってくるジンの頭を鷲掴んで押し返す。
最初はそのまま押し切るつもりでいたが、掴んだ俺の片手にジンが猫みてぇに自分から頭を擦り寄せてきたんで、気付けば苦笑していた。
昔、よくこんなことしてたっけな…。
本当、ガキの頃みたいだ。
…右側にサヤがいねぇけど。
…。

 

翌日。
早速、名家・キサラギ家の跡取りにしてイカルガの英雄の失踪が報道されていた。
探し人という形になっていて、俺のように賞金首にする気はないらしい。
ま、当然か…。
ワケも分からないうちに養子になっていたとはいえ、そこで築いた関係もあるだろうに、本当にそれでいいのかどうか迷ったのは俺ばかりで、当のジンは嬉々としていた。

「駆け落ちみたいだね」
「…テメェそれ二度と言うんじゃねえからな」

新しく買ったファーフード付きの青い上着を着てはしゃぐジンに真顔で指摘する。
私服を着させると、ぱっと見英雄様もその辺のガキと変わりゃしねえ。
一晩経ってちょっと冷静に考えると、あれから年単位で歳食ってんのにジンの言動が昔と同じってどーなんだと思う。
…。
まあいいか。
悪いことじゃねぇよな。
少なくとも、この間みてぇに狂ってドSで来られるよりは十二分にマシだ。
…昨日作ってもらった飯もかなり美味かったし。
起きたら服が折り畳んで枕元にあったのは初めてだ。

「…おら。行くぞ、ジン。忘れ物ねえかー」
「はい。兄さん」

安宿を出て欠伸をしながらぼろい鉄階段を降りていく。
まだ外は朝焼けだ。空に月もある。
明るくなる前に郊外に出たい。
俺が空を見上げると、後ろからカンカンと音を立ててジンも付いてきた。

「兄さん、手を繋いでいい?」
「ざけんな。キメェ」
「じゃあ郊外に出たら」
「ダァーメ」
「じゃあ、夜になったら?」
「ウゼェ。朝でも昼でも夜でも駄目だ。手ぇ繋ぐ意味ねえだろうが」
「…。えいっ!」
「どわ…ッ!?」

唐突にジンが背後から俺の首に腕回して抱きついてきやがって、俺は思いっきり前にバランスを崩した。
まさか階段でこのまま転けるわけにもいかねえから、二段下に反射的に片足を置いて踏ん張ることで転倒を免れる。
何とか事故は防げたが、一瞬血が凍った。
ギッと振り返り、すぐ真後ろにくっついてるジンを睨む。

「こぉんの…馬鹿野郎!怪我してーのか!?」
「あははは!」
「あははじゃねーよ! この…っらァ!離れろ!!」
「じゃ、手繋いでいい?」
「駄ぁ目っつってんだろーが!」

ジンを引き摺って階段を降りて、降りきった頃には満足したのかすたんと軽く跳ねるように俺から離れた。
遅れてサイドの多少長めの髪が動きに揺れる。
昔はあんなに怖がっていた朝靄の中漂う月を背に、細くて白い手が有無を言わさず伸ばされた。
昨日も見たが、満面の笑み。

「ずっと一緒にいようね」
「…」

高笑いされた時はトラウマもんだったが、こうして聞くとやっぱりいい声はしてる。
人とは呼べなくなりつつあるってのに、よく変わらず懐いてくるもんだ。
よく通る澄んだ声が胸に来て…一時は絶対いらねえやと思っちゃいたが…やっぱり、たぶんこれは俺の大事なもんの一つなんだろう。
そう自覚すると妙にむかっ腹が立ち、舌打ちが出た。
伸ばされた掌を繋がず、思いっきり叩く。
パン、といい音がした。
露骨に残念そうなブーイングが飛ぶ。

「繋がないの?」
「繋がねーよ。…おら。行くぞ!」
「…もう」

少ない荷物を肩に引っかけてジンの横を通り過ぎる時、奴が口をへの字に曲げて膨れたのが見えた。
でもすぐに表情を戻すと、歩き出した俺に駆け寄ってくる。
やっぱりカツカツとブーツの音がして、俺は半眼でジンの足下を見た。

「もっと静かに歩けねぇのか?」
「踵高いから、これ。…高くないと雑魚や屑を踏む時痛みが弱いし面白くないから、確かに普通より少し高めかも」
「…」
「…? なあに、兄さん?」

一抹の不安を残しつつも、その日から連れができてしまった。
朝靄が晴れて郊外に出たら、休憩序でにちょろっとブーツの踵切ってやると決意しつつ、俺は荷物を持ち直した。



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ifの話。
ジン君が全部捨てて兄さんの後を追えばいいなと思いつつ…。
そんなに不真面目ではないよね、本編ジン君はw
2013.4.6





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