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バレンタインが終わったと同時に街中に掲げられる『ホワイトデー』の幟。
それも今日で最後だろう。
明日にもなれば、今度は『割引セール』とかの看板の下に置かれるんだから、全く馬鹿馬鹿しい。
当日に買えばいいだろうと思って仕事帰りにその辺の店に寄ってみたが、思いの外完売が多く、大したもんは残っちゃいなかった。

「…ま、どれでもいーだろ」

適当に500円くらいのクッキー箱を買ってみる。
日常見る限り、元々あんま菓子類も好きじゃなさそうだし、気にしねえだろ。
ろくなの買えない分、飯を豪華にしてやろうとそのまま食料の買い出しをしてはみたものの、肉嫌いの愚弟の場合、好きな料理が野菜料理なんで豪華のしようがなかった。
豪勢な野菜料理って何がある?と暫く考えてみたが、一向に思いつかずに諦め、取り敢えず料を買い込んで帰路へ付くことにした。


Happy white



「ただいまー」
「お帰りなさい、兄さん…!」

玄関のドアを開けて間延びした声で帰宅を告げると、奥からジンが足早に出迎えに来た。
学生服の上着を脱いだシャツの上から黒いエプロンをしているあたり、まさか晩飯作り始めてんのだろうか。
とたとたリズミカルに走る足は止まらず、そのまま俺の首に抱きついてくる。
タックルじみた勢いとずしっとした重みにバランスを崩し、今閉めたドアに背中をぶつけた。
痛くはなかったが、ガンッと大袈裟な金属的な音が後ろで鳴る。
買い物袋提げた手じゃ払うことも受け止めることも、流してぶっ飛ばすこともできねえ。
朝もそうだが、顔を合わせてまず挨拶よりも舌打ちがここの所の日常だ。

「ってぇな…。おいコラ、ジン!」
「今日は遅かったんだね。僕寂しかったし、心配したよ」
「重いっつーの!お前は犬か!馬鹿止め……ぶっ」

首に頭を擦り寄せて抱きついてたかと思うと、いきなり人の頭掴んで固定し、口にキスしやがる。
唇閉ざしてる暇もなく舌が引っ張られ、前歯の裏を辿ってから漸くジンが顔を離した。
帰っていきなりどっと疲れる。
続け様音を立てて頬にキスされる頃には、俺の来ていたジャケットの片側はずるりと肩まで下がっていた。
もそもそと下がったジャケットを羽織り直す。

「何だか随分買い込んできたんだね。…野菜ばかり?」

げっそり背中をドアに添えて草臥れる俺の手元を見下ろし、ジンが小首を傾げる。
だが、スーパーの袋に混ざって綺麗めの洒落てる小袋を見つけると、ぴくりと視線を固定して双眸が瞬いた。
くれてやる分のお返しだと気付いたのだろう。
首から離した両手を俺の胸に添え、何やら期待の眼差しが近距離で飛んでくる。
例えば今コイツに犬っころみてえな尻尾が生えていたら、ぶんぶん振ってるに違いない。
ここで素直に渡してやった方がいいのかもしれない。
しかし、敢えてそれに気付かない振りして、俺は何とはなしに両肩を竦めた後、右手に持っていたスーパーの袋を軽く持ち上げた。

「まあな。冷蔵庫ん中、野菜少なかっただろ」
「え? …あ、うん。そうだけど…」
「ほら。いい加減退け。…何か作ってんのか?」
「シチューの具を煮てるとこ…」

片腕でジンの身体を押し退け、奥のリビングキッチン向けて歩き出す。
てっきり手渡されるかと思って構えていたらしいジンは、虚を突かれたように少し狼狽えてから俺の後を着いてきた。
テーブルの上にどさりと野菜の詰まった袋と例のクッキーの袋を置く。

「今日俺の当番だっただろ? 悪かったな」
「ううん、全然…。遅かったみたいだから、ちょっと手伝おうかなって思っただけで…まだ始めたばかりだし」
「そうか。んじゃ、続きは俺が代わっから、テメェはぼけっとしとけ」
「…」

上着を脱いでその辺に投げ、ジンの背中に腕伸ばしてエプロンの紐を解くと、そのまま引っ張り奪い取る。
エプロンを首に掛けて結びながらキッチンへ入り手を洗う間も、ジンはテーブルの傍から動かなかった。
なるべくそっちに視線を送らないようにしつつ、キッチンの状況をざっと見る。
サラダ用に野菜は水に浸してあり、鍋にはなるほど、タマネギとか野菜が入っているが湯はない。
大雑把にカップに水を入れ、それを鍋に流し込んだ。

「おい、ジン」
「…! な、なあに?」

顔を上げて佇んでいたジンを呼ぶと、ぱっと顔が華やぐ。
…が。

「今日買ってきた中にブロッコリーがあんだよ。こっち持ってこい。入れっから」
「…ぁ、…うん」

カラフルな菓子袋に触れぬまま言うと、途端にしゅんとなる。
凝視してちゃバレっから横目でちらちら見るくらいだが、ジンが項垂れてスーパーの袋から野菜を取り出す様子に内心くつくつと笑った。
面白ぇ奴だ。
素直に言やいいのに、どうも自分から催促する気はないらしい…て、今のとこの言動でも十分催促に値しているような気がするが。
ブロッコリー用に鍋の横にそれよりも小さな小鍋をセットし、湯を沸かす。
キッチンにやってきたジンがブロッコリーをシンク傍に置いた。

「ここに置いておくね。他の野菜も冷蔵庫入れておくから」
「ああ。悪ぃな」
「…」

何か言いたそうに傍で突っ立ってたが、やっぱり無視しておく。
何なら今晩、夕食時まで引っ張ったって良いくらいだ。
暫くして、ジンは諦めたように再びリビングのテーブルへと戻っていった。
野菜の詰まった袋を持って、俺の斜め後ろくらいに位置している冷蔵庫の前へそれらを置いては、中に物を詰めていく。

「~♪」
「…。ねえ、兄さん?」

鼻歌なんぞ歌いながらぼこぼこいってきた鍋を混ぜていると、不意にジンから声がかかった。

「んー?」
「あの綺麗な袋…ってさ…」
「ああ。あれな」

聞く気になったらしい。
言いにくそうな口調でそれとなく聞いてくるジンに、吹き出しそうになるのを必死で堪えた。

「ほら、今日ホワイトデーだろ?」
「そ、そうだね…!」
「お返ししねえと恨まれっからな。人にやる用に、さっき買ってき――」


――ガンッ!!


…などと、唐突に耳を突く大きな音がして、反射的にびくりと肩が震えた。
一瞬キッチン全体が揺れたような気がするのは気のせいじゃあないんだろう。
少し遅れて、パラパラ…と天井や上の方の棚から、微妙な埃が降ってきた。
…間を空け、今まで背中を向けていたジンの方を肩越しに振り返る。
多少俯いてはいたが、格好だけなら冷蔵庫に野菜をしまい終わって扉を閉じたという、ただそれだけの姿だった…が、風圧でそよいでいた横髪の毛先が、まだ少し揺れていた。
細い右腕が取っ手に添えられたまま、ぴくりとも動かない。
ピキンと凍り付いたような静寂の中、鍋で湯が煮える音だけが、妙にでかくぼこぼこ言っている。

「…」
「…。………………誰からだ」

ぽつ…とジンの声が口火を切る。
小さな呟きだったが、これまた静寂の中にはかなりでかく聞こえた。

「誰からもらったんだ。…兄さん先月、誰からももらえなかったって言ってたよね?」
「いや、誰からもなんて言ってねえよ」
「…!? 誰かから貰ってたのか!?」

よっぽど驚愕したらしいジンが、声を大にして振り返った。
もう慣れたっちゃ慣れたが、重いブラコン度に頬を汗が流れて呆れ返る。
当分は離れていた時間を取り戻すつもりでジンと向き合うつもりだし、彼女なんてつくるつもりはねえが…こりゃ俺もしかすっと一生俺には恋人なんかできねえんじゃねえか?
脱力する俺の前で、ジンが再度冷蔵庫の扉を拳横で叩き、舌打ちする。
冷蔵庫の上に乗ってた買い溜めラップが、振動で少しずれて落ちそうになる。

「クソ…ッ。僕としたことが、見逃したか…っ。誰だ!誰が兄さんにチョコなんて余計な真似を…!屑か!? あの屑、僕の目を盗んで兄さんに近づくなんて許せない!おのれ…貧乳のくせに!身の程を弁えぬ雌豚が!やはりアイツは僕の邪魔しかしない!あの障害め…!!クソ!クソ…!!僕の兄さんなのに!僕のなのに僕のなのに僕だけのなのにっ…!!」
「…おいジン。落ち着」
「あんな物…ッ!!」
「は!? ば…っ、馬鹿馬鹿止めろ!!」

冷蔵庫に添えていた手を押し出すように、リビングへジンが駆け出した。
ぎょっとした俺も慌てて濡れた手のまま追いかける。
テーブルに取り残されていた袋をジンが横殴りに払おうと振り上げた腕を、背後から羽交い締めにして無理に止めた。
濡れた手で掴んだせいで、ジンの手首から水が腕に垂れる。
よっぽどマジで叩き払うつもりだったのか、かなり力入れねえと闇雲に暴れるジンを取り押さえるのは難しい。
俺に両腕を拘束されて腕で払うのが無理だと分かると、今度は片足を高く上げて蹴り飛ばそうとする。
俺も瞬時に片足上げて、ジンの上げた足の首に絡ませ力尽くで引きずり下ろした。
拮抗する腕力で腕も足もぐぎぎぎと震える。

「離せ!!離して兄さん!僕だって…僕だって兄さんにあげたのに…!!」
「分かった分かったっ!からかって悪かった!こりゃテメェの分だっつーの!」
「……ふぇ」

白状した途端、ジンの抵抗がぴたりと止まる。
俺に両手首掴まれて中途半端に万歳したままの格好が何とも間抜けだが、取り敢えず袋は無事だ。
肩でぜーはー言いながら、ふぃ~…と安堵の息を吐いていると、その息が吐き終わった頃に万歳されながらジンが俺の方を振り返った。

「…僕の分?」
「そーだよ。からかって悪かったな。テメェがあんまり楽しみにしてそうだったから、そのツラ見てたらつい、な……って。…おい。何だテメェ。泣いてんのか?」

掴んだままのジンの両手を持ち上げて左右にぶらぶらさせてたが、振り返ったジンの双眸がいつもより水っぽい気がして、内心ぎくりとする。
まさかいい歳ぶっこいてこんなことで泣くなんてこたねえんだろうが、振り返った馬鹿弟の顔から激怒が抜け去って、腑抜けた曖昧な表情になる。
勿論、実際に泣いてて涙が流れているわけじゃなかったが、気分的に手首掴んでた右手だけを解いて、親指の腹で目元を拭ってやった。

「ほら、落ち着け。これはテメェの分だ。それ以外なんか買ってねえよ。…な?」
「…」
「テメェ以外のがゼロとか、言ってて虚しいんだからあんま突っ込むんじゃねーよ。悪かったな、欠片もモテなくて。黙っててもチョコやら何やら…ぼこぼこ投げられてくるようなテメェとは違うんだよ」

ジンから離れ、テーブルの上に鎮座してる小さな袋を摘み上げる。

「ほらよ。お返しだ」
「…」

ジンの胸に突き付けた袋を、奴は取り敢えず受け取った。
ちょこんと両手に乗せられた袋は、所在なさ気に少しよれた。
俯いてるジンを見下ろしながら、両手を腰に添える。

「謝ってんだろうが。んなことで意地焼けてんな。ガキじゃあるまいし。…中身、クッキーだからな。茶ぁ入れてやるから、シチュー煮込んでる間ちょっと食っとけ」

ジンの肩をどんと押すと、軽い身体は倒れ込むようにソファの方へ数歩踏み出した。
そのまま放置してキッチンへ戻り、ぐつぐつ煮立ってたシチュー鍋の火を弱めてブロッコリーざっと湯立たせてから、今度はヤカンを火に掛ける。
サラダとか、それ以外も簡単に用意はしたが、料理の合間を縫ってコーヒー入れ終わる頃には、煮てるシチューを残して夕飯の仕度も終わった。
マグカップに入れてやったコーヒーを持ってリビングに行くと、さっきまで俯いて佇んでいたジンは言われたとおりソファに移動していた。
いつもより端っこに腰掛け、袋から取りだした小さな缶のクッキー箱を膝に乗せているものの、様子としてはまだ拗ねているらしい。
入れてやったコーヒーをコトリとテーブルに置く。

「おら。飲め」
「…。…兄さんって性悪だよね」

感謝の代わりに飛んできた言葉にカチンと来る。
さっき謝ってやっただろうが。
いつまでもぐちぐちぐちぐち言いやがって。

「うるせえ。いらねえんなら返してもらうぞ」
「…!」

缶を取り上げる風に腕を伸ばすと、ばっとジンが両手どころか身体全体で缶を覆うように遮った。
…だーかーらぁー。
んなに喜んでんなら素直に喜びゃいいだろうが。
確かに、出だし冗談かました俺も悪かったかもしれんが、引き摺るようなことじゃないだろ。
自分の分のマグ片手に持ったまま、ガキくせえジンに舌打ちした。

「いい加減にしろ。いるのかいらねえのか、どっちだ」
「…。…いる」
「んじゃー嬉しいのか嬉しくねえのか、どっちなんだよ」
「…嬉しい」
「そんなら感謝しやがれ。礼儀だろ!」
「だって兄さんが悪いんじゃないか…!悪ふざけして、僕すごく楽しみにしてたのに!僕のことなんかどうでもいいのかって、一瞬すごく哀しかった!そうやっていつも僕を弄ぶんだから!必要な時とか機嫌がいい時ばっかり優しくてして相手してくれたりとか、僕はどうせ兄さんにとって手軽で都合の良い玩具なんだっ!!」
「歪曲して取られるような発言してんじゃねえ!」

ばっと顔を上げ、ジンが眉を寄せながらも声を張る。
それに怒鳴り返して俺も声を上げた。
堂々巡りだ。
悪かったっつってんだろうが。
さてはこいつ、また自分の世界で人の話聞いてねえな?

「だから、悪かったっつってんだろ!そーやってくれてやってんだからもういいじゃねえか。うだうだ言ってねえで、いーから食え!」
「やっ…!」

ジンの膝から缶を奪い取り、速攻で袋一つ開けてクッキーを抓むと同時に、ソファに座ってたジンの首を狙って腕を入れた。
ソファの背に身体を押しつけ、片腕側面で喉を正面から絞める。
最初抵抗してたジンも、すぐに呼吸が苦しくなったらしく顎を上げて咳をした。

「ぐ…、っか…!」
「ほれ」
「んぐ…!?」

その開かれた口へ、ぺっとクッキーを放り込み、親指の腹で奥へ押す。
首を絞めてた腕を離してやっても、暫くジンは涙目で噎せていた。
背中を折ってソファに片手を着き、もう片方で口を押さえて咀嚼せず喉の奥の方で詰まらせたクッキーを必死で流し込んでいる。

「げほっ、かは…っ」
「美味いだろ?」
「っ…、…げほ」
「おら。聞いてんだろーが。とっとと答えろ。美味ェのか不味ィのか」
「……ん。…おいしい」

まだ咳き込んじゃいたが、手の甲で口元と目元を拭いながら、赤い顔で小さくジンが頷いた。
何か言いたそうではあったが、そうだとしても頷いたからにはもうこの話は終了だ。
素直に喜んでもらった方が、俺だってそりゃ嬉しい。
空いているジンの隣へ腰掛け、肘掛けに肘を置いて身体を傾けた。
そのまま片腕を伸ばして頭を撫でてやる。

「…言い忘れてたが、先月はありがとな、ジン」
「…。…確認だけど」
「あ?」
「兄さんが今年お返しするのって、僕だけなんだよね…?」
「しつけえ。さっきも言っただろうが。モテねーんだよ、俺は」

言ってて虚しくなるが断言する。
誕生日も重なってバレンタインには山ほどのプレゼントを貰ってきた弟とは違う……つか、世の中の男どものうち何人が、当日有り余るプレゼント貰うの想定して紙袋二つ持参するよ?
さも当然という顔でそれを準備してたジンを見た時の俺の衝撃は凄まじかったぞ。
しかも途中で袋は増えたらしく、帰ってきた時は五袋あった。
ただ、その山積みで持ち帰ってきたプレゼントがどこいったのかという疑問があるが…。
まさかあの量を全部食ったわけはないんだろうが、気付けば何処にも見あたらない。

「…兄さん」

ソファに寄りかかり、自己嫌悪にため息を吐いてた俺へ、ジンがつつつと寄ってきて俺の片腕を両手で掴む。
玄関前で見たような顔に戻ってるあたり、どうやら機嫌は直ったらしい。

「ごめんね…。クッキーありがとう。美味しいよ」
「そーかそーか。ありがたく思えよ?」
「うん。…でも、ああいう意地悪はもう止めてね。傷つくんだから。兄さんは嫌かもしれないけど、やっぱり殺しておいた方が安心かなって思うし」
「ははは…」

笑えねー…。
乾いた俺の笑いが何故そうも気にならないのか(頭イってんだよなこの辺がマジで)、ジンは俺の腕を抱いたままテーブルの上に倒れていた缶を再度膝に拾い置いた。
美味かったのか、缶の中からクッキーを一つ取りだし、袋を開けて口に運ぶ。
気に入ってくれたんなら幸いだ。
煮てるシチューのデキが気になってキッチンの方へ視線を投げた俺の袖を、不意に引っ張られた。

「あ…?」
「ん!」

振り返ると、口にクッキー咥えて顔を上げてる愚弟がいやがる。
…何がして欲しいか見え見えだ。
つくづく馬鹿か。

「…何してんだ」
「にいひゃんにもあひぇふ」
「口に物咥えて喋んじゃねえ。行儀悪ぃ……なっ?」

言いながら馬鹿やってるジンの口からクッキーを抓んで取り上げようとしたが、俺が腕を伸ばした途端くっついていたジンが身を引いたので、手は空を切った。
半眼で睨む。
俺の腕に両腕絡ませたまま身を離して顎を引き、愚弟が得意気に性悪く笑って強請る。

「いっひゃいはへ」
「…」

一回だけと告げる阿呆の隙を突いてもう一度取り上げようと手を伸ばしてみたが、しっかり警戒しているのか、再度すかっと空を切る。
文字に例えると"ふふん"というどや顔がスゲー腹立つ。
苛々が積もり、舌打ちしてから、俺は両手でぐわし!と、勢いよくジンの顔面を挟んだ。

「ふゅ…!?」

いきなり速度上げて飛んできた手に驚いたのか、びくっとジンの肩が跳ねる。
奴がビビってる隙に、ちゃっちゃか顔を詰めてクッキー齧って、口がつかねーように手前で噛み切ってやった。
触れてない以上不本意なのは分かっちゃいるが、分けてやるという発言には有難く従ってやったつもりだ。
…状況が分かって巧く欠けたクッキー咥えたまま、ジンが自分の口元を見下ろす。

「あー。はいはい。うまいうまい」
「…」

ボリボリ噛み砕きながら棒読みで頷く。
…つか、馬鹿の相手してるうちにそろそろシチュー煮えただろ。
よっこらせと気合い付きでソファから腰を浮かせ、歩き出そうと体重かけ始めた俺の足を、すぱん…!とジンが座ったまま払った。

「でえ…っ!?」

油断しまくっていたんで、前向きに転倒しかける。
床に顔面衝突する前に、両手を着いて何とか激突は避けた……が。
腕立て伏せのような格好でひと息着いていた俺の後頭部に、ぐしゃ!と白い足の裏が乗っかる。
こ、この野郎…。
…こいつにしてはスリッパ脱いで踏んづけたのは上出来かもしれんが、怒り心頭で肩が震えた。

「…おい、ジン。テメェ…ぶっ殺すぞ」
「こっちの台詞だ。空気読んでよ。…まあ読まないのなら、」

頭上から下りてくる声に遅れて、ガシャン!と氷が砕けるような音がした。
後頭部踏みつけられたまま僅かに頭動かして横からジンの方を振り返ると、ソファに座ったままの奴の左側に小規模の氷柱が床から突き出て、その中に収まってる剣が見えた。
まだ柄は握らず両手は膝の上に重ねてはいるが、ジンが冷ややかな顔で俺を見下してやがる。

「読ませるけど」
「…」

細くなった碧眼に冷や汗が流れる。
…ここでマジ喧嘩ってのも馬鹿な話だ。
片手を上げて、自分の後頭部踏んでる巫山戯た足首を鷲掴んで持ち上げようとしたが、それなりに力を入れているようで僅かに浮かせる程度しかできない。
ガチでいっぺん躾るか…?
…いやいや。焦るな。
大人になれ、俺。
ジンだって好きでドSでドMで俺様な変態になった訳じゃない。
ここは寛大で大人な俺が許してやらなくてどうする。
すぐにでもぶん殴って蹴り飛ばして力尽くで最低限のマナーってやつを教え込みたくもあったが、それは次回にしておく。
…一応、今日はイベント日じゃねえか。
折角お返し投げた俺としても、できれば今日は音便にいきたい。

「へいへい…。わぁーったわぁーった。好きにしろ」
「ぁ…。じゃ、じゃあ、クッキーあげるから足舐めて」
「マジで殺すぞ」

ジンは途端に表情を緩め、足に乗っかってた重さも軽くなって簡単に外れた。
もそもそ身を起こして、床の上に胡座を組む。
…どうやら氷刀もそれが生んだ氷柱も引っ込んだらしい。
ひやりとした冷気だけが微妙に残る床の上でがしがし頭を掻いていると、ソファに俯せに寝転がったジンが、新しいクッキー口に咥えて顔を突き出した。

「ん!」
「……」

はあ…と何度目かのため息を吐いてから、顎を上げて顔を詰めてやる。
唇で強くクッキー挟んで割った後、仕方なしにそのまま重ねてやった。
触れるだけで離そうとしたが当然そうはいかず、首捕まって熱い小さな舌が口内に侵入して、中途半端に砕けたクッキーを混ぜる。
キスというよりは最早遊んでやがる。
…いい加減長さに飽きてきて、ジンの肩を掴むと向こうに突き飛ばした。
俯せだったジンが、飛ばされた勢いで仰向けになってソファの背に背をぶつける。
口の中に残ったクッキー飲み込みながら、手の甲で思い切り唇を拭った。

「っゼェな。テメェ長ぇんだよ!」
「ごめんなさい…。だって兄さん気持ちいいから、ずっとしていたいよ」

反省の色一切ない笑顔で、ジンがくすくす小馬鹿にしたように笑う。
舌打ちして、今度こそ俺はシチューのデキを見に立ち上がるとキッチンの方へ向かった。
序でに口ん中甘ったるいんで漱いできてやる。

「兄さん」

そんな俺の背中に呼び声がかかり、険悪な顔して振り返る。
まだ何かあんのかと思ったが、振り返った先にいたジンは、缶を膝に乗せて軽く小首を傾げているだけだった。

「ありがとう」
「…」

素直な笑顔を向けられると対応に困る。
どう答えるべきか迷ったが、面倒臭くなり、けっと吐き捨てると俺はキッチンへ向かった。

今日は一応、野菜多めのメニューにしとく。
サラダ作ってる間とか皿によそる間とか、ちらちらリビングへ視線を投げるが、いつまでも膝の上の缶両手に持って眺めてるジンを見てると、何となく俺も鼻歌なんぞ歌いたくなる気分ではあった。



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折角なのでホワイトデーネタ。
肉嫌いだからあんなに細いんだよ、ジン君。
2013.3.1





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