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年の終わりに、新しいカレンダーを購入した時のことだ。
断りもなくテルミさんが身体の主格を入れ替え、いそいそと4月29日を赤マジックで丸く囲った。

《何の日ですか、それ》
「これ? ハザマちゃんの誕生日ぃ~!」
《おや。そうなんですか》

自分の誕生日を知らなかった私にとって、その情報はとても新鮮だった。
例えあまり意味のないことだとしても。
ヴン…と奇妙な揺れのような感覚を得て、テルミさんが奥へ引くと同時に再び私に身体の指揮が戻ってくる。
自由を与えられた右手で、カレンダーを撫でた。

「4月生まれなんですねぇ、私。4月って何座でしたっけ? 蛇遣い座ですか?」
《はあ? マジかよ。馬鹿じゃね、ハザマちゃん。秋の星座だろそりゃ。十三星座にしたって牡羊座だっつーの》
「えー。そうなんですかぁ? …うーん。それは何だか弱そうで嫌ですねぇ。そこはユーモアを持って蛇遣い座にしていただかないと」

そんなことをすっかり忘れ、年の初めから三ヶ月が終わる。
早い桜が散り始めた頃にカレンダーを4月に変え、数字にかかる赤丸で忘却していた誕生日を思い出した。

 

そうして桜の木も散り終えた4月の終わり……。

《んじゃぁ、ハザマちゃん。ちょっくら行ってくっからー》
「はいはい。行ってらっしゃい。どうぞお気を付けて。戻ってこなくても良いですからねー」
《うーわ、チョーウゼ~!》

両腕を軽く組んで足下の影を見下ろしながら微笑みかけると、笑っているテルミさんの存在が私の中からすいと薄くなっていき、やがて消えた。
あの人がいなくなると、途端に自分の存在が酷く未完成に思われる。
突然首輪を取られて野に放たれる飼い犬のような、そんなイメージを浮かばせては自己嫌悪に浸って何か適当な気晴らしを始めるのがいつもの私の行動ではあるが、今日は違う。
常々からの予定があった。
自分の胸中に鍵を掛けるのは想像以上に難しくはあったが、恐らく隠し通せただろう。
大して重要ではない感情であったが故に隠し通せたのだ。
愛情だとか嫉妬だとか、そんな根底に澱むような、凶悪であって強力な感情らではない。
ちょっとした悪ノリに当たるだろう。
それでもこんなに難しいのだから、人の感情とは実に厄介だ。
…何か肉体が邪魔になる悪巧みを実行する為、テルミさんが外出された隙を見計らい、シャツの上からパーカーを羽織る。

「…さて」

彼が戻って来ないうちに手早く行ってきてしまおうと、少々急いで革靴に足を遠し、繁華街へ降りていった。
それなりに贔屓にしているシルバーショップがある。
先月入った新人の店員は、既に私の顔を覚えていてくれた。


はっぴーばーすでーとぅあす




《たっだいま~ん!》
「…!」

自宅として与えられている一室は階級に不釣り合いな程度に広い。
玄関ドアを無視してすぐ真正面の壁からぬっと顔面アップで入ってきたグロテスクな人影の登場に、珈琲紅茶を淹れる以外で随分久方振りにキッチンに立っていた私はぎくりとして一歩後ずさった。
…とは言え少しばかり驚いただけで、すぐにため息を吐いて脱力する。

「テルミさん…。真正面は止めてください。驚きますから」
《ヒャハハハハ! ビビッたビビッた?》
「ビビッてはいません。驚いただけです」

ぬるりと壁から抜け出るテルミさんが、鬱陶しく私の周囲を漂ってから足下の影へと入っていく。
侵入される少々の不快感の後の、それとは対照的な安堵感に、ようやくいつもの私へと戻る。
質量などないはずが、テルミさんが内部に戻るとどことなく、感情とは違って自分に重みが増す気がした。
左手を胸に添えて一度胸の支えを取るように軽く咳をする。
それから改めて途中になっていた料理の盛りつけを始めると、テルミさんが意外そうな声を上げた。

《つーか、何してんだよハザマちゃん。まさか料理とかしちゃってんの?》
「見てお分かりになりませんか? だとしたら、今度大佐に視力検査していただく必要がありますねえ」
《へェ…。そそるじゃん。エプロンとか》
「見慣れないだけでしょう。流石に料理中手を出してきたら失望しますのでご了承願います」
《つかこれ作ったん? マジで?》

私の発言を無視して、テルミさんが体内で口笛を吹いた。
目の前には、適当に選んで作ってみた料理がいくつか並んでいる。
基本的に食事は外食なので、勿論調理などに詳しくはない。
ひょっとしたら年単位で何も作っていなかった気もするが、日々なあなあに過ごしているので実際どの程度間が空いていたのかは不明だ。
…とは言え、料理なんてものは練金や魔法や化学に似ている。
そしてそれ以上に安易でシンプルだ。
必要な物を必要な環境で必要な手順に則って進めていけば良い。

「ええ。久し振りにちょっと。…まあ、雑誌にレシピが載っていたので試しに作ってみただけですから、実に簡……ちょっと、テルミさ…っ」

ぐんっと不意にトングを持っていない方の左腕が皿に伸び、盛りつけ途中だった肉料理の端一切れを指で掴み上げた。
顔を反らしてみても当然無駄で、ぱくりと口の中に勝手にそれが放り込まれる。
…吐き出すわけにもいかず、必要に迫られ、仕方なしにやる気なく咀嚼する。
まあ味見にはなる。
味見はどれもしてしていなかったが、どうやら今の所問題はなさそうだった。

《旨っ! 何コレチョー旨ェ!》
「…まだ途中なんですけど」
《もう一口…!》
「駄目です。我慢なさい」
《ぁあん!? んだよ、クソ…。んじゃ》
「サラダも駄目です」

更に並ぶビーフをもう一切れ取ろうとしていたその左手を、自分の右手でぴしりと打つ。
続け様サラダの端に切って並べたゆで卵の方へその手が向かったので、もう一度打っておいた。
左手首を掴んでは胸に引き寄せる。

「どうせ後程食べるんですから。お待ちなさい」
《んじゃァさっさとしろよ!》
「では、邪魔をなさらないように」

軽く流すと盛大な舌打ちが勝手に打たれる。
だが、それを最後に大人しくしている気になったようで、左手や口元の自由も戻ってきた。

「…まったく」

汚れた左手の指先を洗ってから、盛りつけの続きとして小鍋で煮ていたソースを並んでいる肉の上にゆっくり注ぐことにした。

 

生憎育ちは決して宜しくない。
であるが故に、マナーは心得ていて食事はできるものの、所謂コース料理の作る側の知識など殆ど皆無でイメージでしかないが、手軽に揃えられるものとして、取り敢えずは揃えてみた。
少々高めのワインに前菜、スープ、パンに肉料理、それから銘柄の良い珈琲豆と冷蔵庫にデザート。
…私はあまり甘い物は好きではないので最後の一つは別段必要がないように思われたものの、折角ここまで揃えたのだから完成させてみたいという、殆ど収集趣味が先走った結果がこれだ。
テーブルにクロスを敷いて配置を整えてみると、なかなかどうして、それなりのように見受けられた。
片手をテーブルに添え、もう片方を腰に添えて満足しては頷く。

「いい感じですね。ええ。それっぽいです。大体こんな感じでしょう」
《誕生日がか?》
「おや。覚えていらっしゃいましたか」

テーブル端のワインとコルク抜きを手に取りながら、テルミさんのにやつき声に失笑する。
4月29日。
彼が平日である今日を認識していることは意外だった。
年の頭は覚えていても、当月になる頃にはすっかり忘れているだろうと思っていた。
誕生日を大佐から聞いてきてくださったのも、どうせ一時的にそういう気分であったのだろうと。
一切期待していなかったので、その分少々大袈裟に愉快であったりする。
我ながら馬鹿なことをしている。
単純な好奇心だ。
普通の方々は誕生日にどのようなことをするのかと、興味があった。
ただが生まれただけの日という、それだけの理由で特別な日と仮定する。
三百六十五分の一と聞けばそれなりの確率に聞こえもするが、この地上にどれ程同日に生まれた人間が存在するか意識もせずに祝えるのだから、人とは実に自己中心的で狭小な視野をしている。
いいですね。
視野が狭いと生きる範囲が小さくて羨ましい。
そんな憧れをもって、私も誕生日というイベントを試したくなった。
それにイベント事には疎いし余り興味もないが、それでもやはり、自分に誕生日があったことはそれなりに嬉しいようだ。
…いや。厳密に言えば誕生日自体が悦ばしいわけではない。
私の完成したその日を"誕生日"と、すんなり例えるその言葉だった。
だから私は、彼に認識され祝われた"私の誕生日"の存在を素直に讃えたくもなった。
コルクにコルク抜きの先端を回して入れ、軽く引っ張る。

「ちょっと気合いを入れてみました…よっ、と」

きゅぽんと抜けたコルクを静かに布で包んで置いて、グラスに琥珀色の白ワインを注ぐ。
甘い香りが鼻孔を擽った。

《一人で作って一人で喰うとか虚しすぎんだろ。カァ~ワイソ~》
「失礼ですね。食べさせてあげませんよ?」
《お…? "食べてあげねー"じゃなくて??》
「ええ。どうぞ」

ワインを注ぎ終わってテーブルに置いて席に着くと同時に、私は意識を奥へ沈めた。
テルミさんへ"私"の主導権を差し上げ、ご自由に使っていただく。
日常あまりしませんが、人目がないのであれば良いでしょう。
早速タイと襟を緩め、シャツの裾を出してベストのボタンを外しながら、テルミさんがイスにもたれかかり、眼前の料理を眺めて嬉々とした。

「マジかよ。ヒャハハッ、ラッキー!どしたヨ、ハザマちゃん。ハザマちゃんのオタンジョービじゃん。自分で喰わねーの?」
《ええ。味覚は分かりますし。…冷蔵庫にデザートとしてブリュレを買ってありますから、後程どうぞ。厳選卵をふんだんに使ってどうとかこうとか、何処にでも横行している何ら変哲のない極々一般的なキャッチが書いてありましたので、お気に召すのではないかと》
「いいねいいねェ。さっすがハザマちゃん。俺様の好み分かってんじゃん。んじゃ、早速…」
《いただきますを仰ってくださいね》
「ぁあ~ん?」

素早くワイングラスを取り上げてがぶ飲みしようとするテルミさんに注意すると、怠そうに眉が寄った。
不満そうではあったが、グラスを持つ手を軽く上げて、乾杯の仕草をする。

「チッ…。ったく。…おらよ。いっただっきまァーす!」
《召しあがれ》

マナーも何もなく、ワイン片手に好きなものから好きな順で食事をするテルミさんに苦笑しつつ、私も口の中に広がる味覚を楽しんだ。
久方振りの料理は、どうやら失敗ではないらしい。

 

「ぷはーっ。喰った喰った!」

片腕をイスの背にかけながら、カラン、と右手に持っていたフォークを皿の上に投げ捨て、テルミさんは顎を上げて天井を向いた。
テーブルの上の、少し多すぎたかもしれないと思っていた料理の数々は、見事に…ルッコラを残して…完食された。
満足げなテルミさんとは対照的に、私は胃もたれになりかけている気がして食傷気味だ。
まあ今後は滅多にないでしょうが、作る時は量を考えて作らないと私が辛いことが判明した。

「ハザマちゃん、コーヒー淹れて、コーヒィ~。あとプリン~」
《ご自分でお淹れなさい。それから、プリンではなくてブリュレですよ、ブリュレ。生クリーム使ってますよ》
「あっそォ。へー、そーォ…。そんじゃァ、それヨロ」
《え? …う、わっ!」

すっかり寛ぎモードのテルミさんに強制的に戻され、身体の重さを得る。

「ちょっと、テルミさん。理不尽ですよ」
《ヒャハハハハッ。理不尽とかマジ今更じゃね!?》
「笑い事じゃありません」
《うっせーな。テメェ今日シェフだろ。最後までヤれよ》

…仕方ない。
まったく、この人は本当に自分勝手なんですから。
ため息を吐いて、私はやれやれと席を立った。
開いた襟や出した裾など、すっと皮膚に風が通っていつもより肌寒く感じる。
ポットに水を入れ、お湯を沸かす。
湯が沸くまでの間、豆を自動ミルで挽き、カップを用意し終わるとすることがなくなり、シンク台に両手を置いた。
先程のテルミさんのように顎を上げて上を向き、ふうと短く息を吐いてから首を左右に曲げて関節を鳴らす。

《なあなあ。ハザマちゃんハザマちゃん》
「何ですかぁ。理不尽で小狡く卑怯なテルミさん。今コーヒーできますから大人しくしてらしてくださいねぇ。子供じゃないんですから」
《んな怒んなって。それよかサ、今何時?》
「時間…?」

ついいつもの癖で時計を見ようと袖をまくるが、休日の今日は時計をしていない。
部屋の壁掛け時計を見ると、もうすぐ21時になろうとしていた。

「21時ですね。…今日は夕食早かったですねぇ。……あ。そうだ」
《あ? どったの、ハザマちゃん》

唐突に思い出した私は、まだ沸かないポットをそのままにダイニングを通過してリビングへと向かった。
小さな観葉植物の向こうに密かに置いていた紙袋を手に取る。
ダイニングに戻りながら中から小箱を取りだし、そうしてキッチンに戻る途中で用のない紙袋はゴミ箱へと放った。
手に残った小箱だけを、濡れていないキッチンの台上へと置く。
黒い上品な箱に銀の文字。
私たちが贔屓にしているシルバーアクセサリーの専門店だ。
平日は勿論、休日も別段ジャラジャラと付けているわけではないのだが、収集を趣味としているので同じブランドの物は数多く所有している。

《お。コレあそこの店のじゃん》
「ええ。今日買ってきました。高かったんですよ」
《はァ!? んだよ、クソ。俺がいる時に行けよ。何、ハブ?》
「普通だったら勿論そうしますよ。…ですが、それじゃ意味がないんです。これはテルミさんへのプレゼントなので。内緒で購入しました」
《あん?》
「貴方への誕生日プレゼントに。今日という日が私の誕生日ということは、貴方の今の誕生日であるはずですから」
《……》

目の前の小箱に両手を添えて微笑んで言って差し上げると、テルミさんは沈黙してしまった。
…。
おや…。これは予想外。
てっきりいつもの調子で、まじかよ愛してるよハザマちゃーん、などと軽く反射されると思っていた。
胸中がざわざわしだす。
どうもテルミさんが落ち着き無い様子だ。珍しい。

「…テルミさん?」
《…あ?》
「ああ、良かった。突然お休みになったとかいうわけではないんですね。…では、私の心ばかりの、とはいえそれなりの時間と金銭と労力とごく微量の愛情を込めたプレゼントに無反応とか、どーゆーご了見か伺いましょうか」

さらりとちょっと怒ってみる。
時間と金銭と労力は正直どうでもいいが、喜んでいただけるものと確信していた手前、ショックを通り越して流石にキレそうだ。
不思議なもので哀しみが沸かず、私の感情は今現在怒りに直通しているようだった。
私の激怒を察したのか、テルミさんが少々慌てて口を開く。

《いや、違ェって…!キレんなよ。驚いただけだっつーのー!》
「嘘ですね。貴方私に嘘が吐けるとお思いですか? 白状なさい。何ですこの焦り具合は」
《嘘じゃねェっつってんだろ…!メチャ嬉しいって!あーハイハイ、嬉しー嬉しー。悪ィなサンキューハザマちゃーん!》
「…。何ですかその物言いは」

投げやりなテルミさんの態度に、遅れて悲哀がやってきた。
目の前ではようやく沸いたポットが湯気を立てているが、止めることもせずぼんやりとそれを見詰める。
…先程まで、とても愉快な休日でしたのに。
喜んでいただけると思っていたのに、一体私の何が気に障ったのか。
小箱を撫でる手を離し、右手を左腕の肘に添えた。
もうコーヒーなど淹れずにこのまま寝てしまいたい。
…のろのろと顔を上げ、用意していたコーヒーの粉末をゴミ箱に捨て、カップを元の場所へ戻した。

「…もう結構です。お時間取らせて申し訳ありません。シャワー浴びて休みます」
《いや、ちょ…っと、待てってオイ! マジで違…!!》

  ――ぴーんぽーん。

ベッドルームの方へ爪先を向けようとした私の耳へインターフォンのベル音が響いた。
苛立ちが胸中に広がる。
…何てタイミングの悪い訪問者でしょう。
誰だか知らないが死んでしまえばいい。

「……」
《……》

沈鬱とした空気のまま、目の前のポットの火を止めて、私は玄関へと向かった。
見るからに宅配業者がドアの向こうに立っていた。

 

「ちわーっす。宅配です。ハザマ様でいらっしゃいますかー?」
「ええ…。私ですが」
「ここにサインをお願いします。……はい、ありがとうございまーす。えーっと…こちら、ユウキ=テルミ様からですねー」
「…。……はい?」
「ハイありがとうございましたー!またお願いしまーっす!!」

ハイテンションな宅配業者は帽子を少し持ち上げて会釈をすると、すぐに立ち去ってしまった。
私の手元には小さな小包が届いた。

 

 

のたのたとドアを閉め、のたのたと鍵をかけ、リビングに戻って食い散らかしてあるテーブルにスペースをつくってそこに小包を置き、開けてみる。
開いてみるとそこには、実に見覚えのある黒い箱と銀の文字の小箱が出てきた。
…というか、同じ物だ。箱は。

「……」
《……》
「…テルミさん」
《はあ? 俺様のせいじゃねーよ。ハザマちゃんがヨケーなことすっからだろ。どーすんだよ、この空気》
「知りませんよ」

気まずいというか何というか…。
テルミさんから私宛に届いた小箱を、先程と同じく両手で包んで弄んでみる。
同じブランドでこの箱では…恐らく、私が選んだようにネックレスが入っているのだろう。
私は私でテルミさんへ、そして彼は彼で、どうやら私にプレゼントを用意していたらしい。
…先程までとはまた違った沈鬱とした空気を払う為、私はこれ見よがしに深々とため息を吐いた。

「まったく…。まさかかぶるとは思わなくて焦ってらしたんですか?」
《つか、フツーに考えて俺様がハザマちゃんにやる日だろォよ。何だってハザマちゃんからカウンター喰らわなきゃなんねェの? マジ萎えんだけど。…そこはホラ、アレだろ? 俺様からプレゼント貰ってメチャ狂喜乱舞しちゃったりしてベッドインの流れだろ? 空気読めよ》
「先程申しあげたじゃないですか。貴方の誕生日でもあるはずですよ」
《今のだろ》
「ええ、今のですよ。…というかどうやって注文したんですか?」

まさか本来の姿で買い物に出られるわけもない。
私はテルミさんが外出されている時に購入できたが、彼はというと無理だろう。
私の素朴な疑問に、テルミさんは得意そうに声を張った。

《ハザマちゃんが寝てる間にちょちょっとそこのパソコンから通販~!》
「あー。なるほど…」

ネット購入か…。
なるほど、それなら可能でしょう。
私が寝ていてもテルミさんが起きていらっしゃれば身体はテルミさんの自由のはずだ。
外出となれば流石に私が起きてしまうが、家内であれば確かに気付かないかもしれない。
…片手を顎に添えて小さく息を吐いていると、不意に背後からテルミさんが鏡像でキッチンの方へ向かうのが視界に入った。
顔を上げてそちらを見やる。

「それ、ネックレスですよ」
「だろーな。…あ、俺様もだから」
「でしょうねぇ、これは」

改めて手にしている小箱を掌の中で回す。
キッチンに起きっぱなしの小箱を持って来ると、テルミさんは私が座る席の向かいに、横向きに腰掛けて足を組む。
それから小箱を宙へ何度か放り投げていた。

「…これじゃあ唯のプレゼント交換ですねぇ」
「ハハッ。それもいんじゃね?」

思わず苦笑して笑いかけると、テルミさんは落ちてきた小箱をキャッチして短く笑い返してくださった。

「誕生日オメデト。ハザマちゃん」
「ありがとうございます。…テルミさんも」
「つかさ、ハザマちゃん何歳だっけ?」
「さあ。数えていませんでしたから。…開けますけど、宜しいですか?」
「いいぜ? いっせーので開けちゃう?」
「幼稚ですねぇ」

無邪気なことを言って笑いかけてくるテルミさんに呆れながらも、苦笑して肯定する。
その後、咳払いをして両手を箱にかけた。

「それじゃあ」
「いっせー…のっ」

ぱかん、と。
軽い音がした後に数秒間の、沈黙。
……そして。

「…うわぁ」「趣味悪っ!」

私のため息とテルミさんの悪態が同時に吐かれた。
げんなりと箱から頂いたネックレスを取りだしている私の眼前に、テーブルの向こうからテルミさんが私が差し上げたネックレスを箱ごと突き付けてくる。

「んだよハザマちゃん、この飾り気も何もねェプレート…!馬っ鹿じゃねェの!?」
「宜しいじゃないですか。どうせ私が着けるんですから私の好みに合わせるのは当然でしょう。…貴方こそ、これはいくら何でも酷いですよ」

テルミさんから突き付けられている小箱をやんわり払い、箱から取りだしたネックレスのトップを掌に載せる。
刺々しい龍だか蛇だかを模した、やたらとごつごつしていて重さもあり…まあ、端的に言ってしまえば悪趣味で"いかにも"なシルバーネックレスだ。
…こういう趣味の方が目立つから、趣味にシルバーアクセ集めとか書きたくないんですよ。

「俺様のがイカしてんだろ」
「感性がどうかなさっているんですね」

断言してから嫌々受け取る。
いえ、本当に。
大体、物というのは気持ちの二の次であって、私は言葉だけで十分でしたのに…何て余計なことを。
頂いたネックレスを一通り見終わって箱に戻し、にっこりとテルミさんへ微笑みかけた。

「ありがとうございます。嬉しいですテルミさん。大切にします。ええ大切にします。…さあ。ではこちらは棚の奥底に保管しておきましょうか」
「ちょい待てコラァ!」
「…!」

イスから立ち上がってクローゼットの方へ向かおうとした私の首を、後ろからテルミさんが緩く腕で絞めた。
緩いものの抵抗するのを諦め、少し身体を反り気味なままため息を吐く。

「…着けなきゃ駄目ですかぁ?」
「ったりまえだろォ~?」
「何だか皮膚を擦って切りそうな気がするんですけど…」
「ハザマちゃんがくれた方は別に着けなくてもいいぜ?」
「そっちを着けたいんですよ、私は。…というか、テルミさん私からのプレゼントを破棄するおつもりですか」
「んじゃどっちも着けときゃいーじゃん。…オラ!頭下げろ!」
「ちょ…っと」

私の手から箱を無理矢理奪うと、テルミさんが再び悪趣味なネックレスを取り出して強引に私の頭を鷲掴んでは押し下げる。
仕方なしに私は言われるままに顎を引いた。

「はあ…。戦闘中うっかり見られたら末代までの恥ですねぇ、これは。私まで趣味を疑われてしまいます」
「末代できねーから平気だっつーの。…っしゃ!デキ~」

軽い銀の音色を立てて、二つのトップが私の鎖骨に落ちる。
…こういう場合はどうなのだろうとテルミさんを振り返ってみるが、生憎彼の首元にネックレスは写ってはいなかった。
鏡像を反映させた段階の私が固定されるのだろうか。
振り返った私の首にあるそれを、テルミさんが指で弄る。
プレートの上に龍だか蛇だかが重なり、まるで元からそういうデザインのものであるかのような、妙な調和が取れていた。
無意識に鼻で笑ってしまう。

「ふん…。なかなかいんじゃね?」
「…まあ、貴方がそう仰るのなら多少我慢はしますか」
「は…っ。ウゼェ~。何様だよ。…今日は着けたまんま決定だなァ、ハザマちゃん。ヒャハハハハッ」

最後にプレートを弾いて、指が離れる。
両手をポケットに入れてにんまりと笑うテルミさんの笑みに呆れて、私は両肩を竦めた。
キッチンの方を一瞥してから問うてみる。

「デザートはどうします。それなりに美味しそうでしたよ?」
「んなもんアトアト。明日だ、明日」
「…そうですか」

笑い飛ばしてから私を一方的に抱き寄せて、首筋に歯を立てる。
ちくりと痛んだ歯の感覚と触れた外部からの自身の体温。
二本のチェーンを噛むチリチリという音が鼓膜を揺すりむず痒い。
…思わず笑えてくるが、静かな微笑に留めておいた。

「貴方は実に即物的だ」

賞味期限が本日中だったような気はしたが、黙っておくことにして目を伏せ、顎を上げて喉を反らした。


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今年の誕生日イラストは素直に格好良かったですね。
でもハザマさんの魅力はあの胡散臭さだと思うのです(笑)
2013.6.9





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