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夕刻が過ぎ、日が沈んだ頃に夕食の仕度を始める。
広大な敷地を持つこの西洋の城は造りが非常に複雑ではあるものの、実際に使っているお部屋はというと存外少ないので、西洋文化に慣れぬ私でも、比較的すぐに覚えることができた。
私の分は、出入りしている者から購入した鳥や兎の生肉、魚肉を少々。
…とは言え海からは離れているので、魚介類は滅多に売りには来ず、どうしても食べたい場合は近くの湖で獲ることにしているのですが、やはり如何せん面倒が勝って最近では肉類ばかり。
焼いても美味しいのですが、どちらかと言えばやはり生の方が好きですので、今日は兎肉の刺身にしてみました。
食べる分だけ薄く切って、肉の深い朱が栄えるように彩りを考え、季節の野菜を皿の端に添える。

「…よし。いい感じです」

なかなか見栄えが良くできたので、最後の山菜を載せてから思わず小さく独りごちる。
用意する皿は一人分でも、食事は二人で。
人数に反して広い食堂の顔である、妙に横に長いテーブルの端。
自分の分を白い布で覆われているこのテーブルに運んでから、食堂の端に位置している飾り棚の鍵穴に鍵を通し、美しいグラスを一つ取り出す。
きらきらと輝く透明な器を、先程用意した皿とは反対側の席に置く。
長い間生きてきても、自分以外の人の食事を用意すると言うことがこれまでなかったものですから、ちょこんと向かい合った皿とグラスを眺めていると、自分にも番相手ができたのだと、何だかしみじみ実感してしまいます。
いつもは前の晩に冷凍室から冷蔵室に移動した人の血液をグラスに注ぐのですが、今日は少々特別にと、お勝手から持ってきた果物ナイフを取り出し、グラスの上でぴっと己の左手首を切ってみる。
太い血管を程よく傷付け、流れ出す血をそのままグラスに注いで溜めていくと、葡萄酒のように堪った頃に血の出が悪くなるので、予め懐に入れておいた葉を一枚右手で取り出し、傷口に当てておく。
暫くすると血は完全に止まり、手首の傷はすっかり治るので、後に残るは絞りたての生き血が入ったグラスのみ。
布で他の汚れを軽く拭き、グラス下に薔薇の花を一輪置いて仕度は良し。
最後にテーブル上に並んでいるいくつかの蝋燭立てに口を寄せ、ふっと息を吐いて炎を灯す。
私の火は青いのですけれど、蝋燭に灯ってしまえば橙色になるので、薄暗かったお部屋は色づき、少し温かみを得る。

「さて…」

食事の仕度が調った所で、私は食堂を出た。
ひたひたと冷たい廊下を進み、地下への階段を降りていく。
…そろそろ起きられる頃だと思うのですが、どうでしょう。
私にしてみれば夜と呼べる宵の口。
しかし、夜間が活動時間であるあの方にすれば、この時間帯はまだ夕方であって夜ではないとか。
感覚的には私でいう早朝のようなものだと思いますので、本来ならばごゆっくりお休みになりたいところなのですが…。
始めの頃は気を遣って起こさないでいたところ、食事の用意だけしてお先に休ませていただくことを数日繰り返しているうちに拗ねられて以降は、申し訳なく思いつつも私の夕食の時間と彼の食事の時間を合わせさせてもらうことにした。
何やら群のなかでのお立場があるようで、私が寝ている夜間お出かけになることも随分と多いようですし…本当はゆっくりお休みになっていただきたいのですけれど。
階段が地下に進むにつれ暗くなり、全体の半ば頃にさしかかる頃に、片手に持った燭台の蝋燭に息を吹きかけて青火を灯した。
こちらもやはり、青火は蝋燭に灯ると、すぐに橙色になって石段を照らす。
階段を降りきった所にある両開きの扉の前で足を止めると、顔を近づけて外側からそっと声をかけた。

「アーサーさん。おはようございます。起きていらっしゃいますか?」
『ああ。入れよ』

中から返事があり、そっとドアノブを押す。
ギギィ…と重く鳴る鉄の扉の向こうは、それなりに広い石造りの一室になっている。
一晩アーサーさんと共にいた冷気たちは、他の部屋よりも一際温度が低いこの部屋から逃げ出すように私の周囲を流れた。
窓のない、歴史を感じる少し歪んだ四壁に大きな古時計。
一角を占める本棚と、ガラスの小瓶に入って並ぶ多種多様な血液。
赤い厚生地に細かい金の刺繍が入った絨毯。
奥には絨毯よりも些か色の深い布が垂れ下がっている西洋の屏風のようなものがあり、その手前に籠釣りが置かれていた。
籠吊りにかかっている大きな鳥籠は常に開けっ放しになっており、今は籠の中にはおりませんが、よく愛玩動物の蝙蝠が二匹、あの高い位置に設置された止まり木に逆さに留まっ……。

「ッわ…!?」

不意に天井付近から勢いよく二匹の蝙蝠が揃って私の頭上を通過し、思わず両肩を上げて目を瞑り、白い耳と尾を膨らませた。
勿論、彼らが何か危害を加えるということはないので、その行き先を追って後ろを振り返る。
キキキと軋むように小さく鳴いて、蝙蝠が高く天井付近へ上る。
…驚いた。急に飛び出してくるものですから。

「おい、止めろ。悪戯なんてみっともないだろ」
「…あ」

室内からかかった呼び声に、二匹は上へ繋がる廊下上空をぐるりと一回転して再び室内に戻った。
やはりそれを追って私も室内へ視線を戻す。
赤い垂れ布の奥から、お休みになっていたアーサーさんが欠伸をしながら起きてきた。
着替えは済ませてあるようですが、まだ身支度は途中のご様子。
縦縞の灰色をしたシャツに青のベスト。
胸から垂れている金色の鎖は懐中時計の鎖でしょう。
この間見せて頂きました、とても綺麗な時計です。
彼が軽く右手を上げると、一匹はその手に留まり、もう一匹は籠の上に留まってそれぞれ小さく鳴いた。

「悪いな。こいつら、何でかお前にちょっかいかけるんだ。構ってもらえると思ってるんだろうな」
「いいえ。お気になさらず。…おはようございます、アーサーさん」

両手を前に添えて改めて言うと、首に掛けているだけだったタイを結び始めていたアーサーさんは、顔を上げて微笑んだ。
この方は、笑うととても無邪気な少年に見える。

「ああ。Good evening、菊。いい晩だな」

この古風で立派な城主にして…そうですね。例えるのならば"吸血鬼"とでもしましょうか。
西洋の妖であるアーサーさんと暮らし始め、そろそろ半年になるだろう。

夜に戯ぶ



「…ん?」

今朝、季節柄寂しい薔薇園に植えておいた、私と同じ名前の花が咲いたことなどをご報告しながら席に着く。
食卓に着いていざ晩食(アーサーさんには朝食のようなもの)を始めると、用意されたグラスを傾けてすぐアーサーさんが双眸を瞬かせた。
向かい合って刺身を口に運んでいた私は、ぴくりと耳の先を動かしてその反応を察知する。

「これ、お前の血だろ」
「ええ。美味しいですか?」

私は滅多に飲むことはないのでよく分かりませんが、常々私の血を美味であるとおっしゃってくださるので、喜んでいただけたかと思い、箸で口元に運んでいた肉を一端下げた。

「グラスに注いだ方が、飲みやすいかと思いまして」
「あー…。あー…ん。そうだな。まあ…」

曖昧に頷いて目線を手元に下ろし、アーサーさんは私と同じく手にしていたグラスを下げた。
否定気味なその反応がちょっとした衝撃で、私は思わず瞬いてしまった。
…お口に合わなかっただろうか。
絞りたてのつもりでしたが、注いでから数分は経過しているので、もしかしたら味が落ちていたのかもしれない。
いつもは首筋や手首や内股など、比較的太い血管が外側にある部位から直接飲まれるので、冷凍血液とは違い、生き血はグラスに注ぐものではなかったのだとしたら、味の劣化は必然。

「…あの。すみません。…お口に合いませんでしたか?」

両手を袖の中に入れてて卓上に置き、恐る恐る尋ねてみると、グラスを置いて飾りの薔薇を手に取り、舌直しとばかりにその精気を吸っていたアーサーさんはぱっと顔を上げた。
萎びて枯れた薔薇の花弁が一枚テーブルに落ちる。

「え、いや…!違う、美味いぞ!」
「ですがそれにしては…」
「いや、本当に。お前の血はいつ飲んでも甘くて絶品だ。…ただ」

付け足される接続詞の続きを待ったが、一呼吸も二呼吸も置いて、ついには数秒間の沈黙になった。
言いにくいのならばこれ以上問いただすのもどうかと…。
ですが、お嫌なのなら今後は晩食に私の血をお出しするのは止めることにしましょう。
理由を聞くのを諦めかけた頃に、アーサーさんがこほんと咳をした。
いつの間にか俯いていた視線を上げると、とても無関係な暖炉の方へ目をやったまま、彼がもごもごと口を開く。

「…ただ、だな。その…。……俺、お前から直接飲む方が好きだからさ」
「…え?」
「保存食なら確かにグラスで飲んでるが、お前のは…あんまグラスとかは、いいかな……て言うか…、まあ」
「…」
「あ…!や、悪い!違うんだって!勿論、気持ちは嬉しいんだぞ!?」

食器から手を離して膝の上に両手を置き、徐々に俯いていた私を気遣ってか、アーサーさんが急に声を強めて否定し直す。

「そ、そんな落ち込むことないだろ。言ってみただけだって!全部飲むから!……な、泣いてるのか? …泣いてないよな?」
「い、いえ…。泣いてませんけど……」

恐る恐るという声色で尋ねられ、俯いたままぱたぱたと左袖と左耳の先を振るう。
泣くなんてそんな…この歳になってそんなことはありませんけど……。

「なら、顔上げろって。悪かったよ」
「いえ。今はちょっと…上げる顔が……」
「…?」
「赤くなってると思うので。…もう少し待っていてください。落ち着きます…」

両手を袖に入れたまま、熱い両頬を押さえる。
器ではなく、私から直接飲みたいと仰ってくださった発言が…仮に、吸血鬼の方々の一般的な食事の取り方だとしても…生活文化の違う私にはとても直情的な告白に思えてならなかった。
羞恥が顔へ上る。
顔から火が出そうだ。
…はあ。
数秒頂いてから最後に息を一つ吐いて熱を体外に逃し、漸くそっと顔を上げてみる。
ちらりと上目に見た向かい席に、落ち着きを取り戻し、片頬杖を着いて、何故か私の方をじっと見詰めていたアーサーさんと目が合った。

「すみません…。これからは気を付けますので、どうぞ今晩はご容赦ください」
「ああ、いや…。…。…悪いが、これも残していいか?」
「あ…。ですが、そうしますとアーサーさんの晩食が…」
「直に飲みたいからって言ったら?」
「…!」

言いにくそうに視線を反らしながら言われた瞬間、ぶわっと全身を何かが走った。
思わず耳がぴんと立ち、尾の毛が膨らむ。
感覚が尾先まで一端走ると、すぐにふにゃりと力が抜けたのが分かった。
…居たたまれなくてゆらゆら触れる尾はテーブルの下なので、アーサーさんからは見えないはず。
それがせめてもの救いだった。

「あ…。えっと…」
「…やっぱダメか?」
「い、いえ、そんな…!」

駄目で元々での発言だったのか、アーサーさんがどこか力なく笑う。
駄目な訳もなく、数秒遅れて、私は慌てて否定した。
例えば真正面から「私も飲んで欲しかった」とか「嬉しいです」とか言えたらいいとは思うが、私にできることといえば、視線を反らしたまま許容の言葉をかけることくらい。

「…アーサーさんのお好きになさって…いただければ……」

しどろもどろで言い終わる頃には、耳まで力が抜けて、伏せてしまっていた。
恥ずかしすぎて穴に入りたい。

「…」

沈黙する場で、アーサーさんがカサリ…と、枯れた薔薇の茎を再び手に取った。
食事終わりの花を捨てるのかと思いきや、手に持って数秒、ひとりでに萎れた花弁が揺れた気がした。
アーサーさんは直視できずとも、彼の手元ならば視線は投げられる。
見る間見る間に、綺麗な白い指先の上で、枯れた薔薇が生気を取り戻していき、終いには今切ってきたばかりのように、鮮やかに水気のある、香り高い立派な薔薇となった。
す……と、アーサーさんがそれをテーブルの上で私へ差し出す。

「お前を食えるなら、腹は空いてた方がいい。これはやる」
「え? あ、はあ、どうも…」

差し出された薔薇を、私はわたわたしながらも何とか受け取った。

 

 

 

「あれ? おかしーな…。確かこの辺に置いたと…」

地下のアーサーさんの私室。
厚い垂れ幕の奥からそんな声とガサガサという音がして、堪らず私はこっそりと覗き込んだ。
番になった以上、度々夜交わすことに勿論反論はないのだが、生憎私もアーサーさんも雄ですから、滑りを促す為の香油が必須になってくる。
雌の方が宜しかろうと化けてもみたが、少々むっとしたお顔で「自分相手に化けて欲しくない」と言われてからは元来の私の雌雄のままでいることにした。
元々凝り性らしいアーサーさんは、香り付けという意味で、それらを集めるのがいつの間にか趣味の一つになっているようだった。
香りを付けるにも私と彼とではまた違い、この辺りではお香ではなく、香りの付いた水を使うようだ。
匂いを凝縮したものらしく、酷く強烈であった。
いつだったか瓶の中にある香水の匂いを嗅いだ時は、鼻が曲がってしまい、数日は嗅覚が狂ってしまう程。
それ以降、私はどうも、こちらのその香水や香油という香りの強いものを内心苦手としていた。
ほんの少し甘えるつもりで、軽く尾を揺らし幕に両手を添えてアーサーさんの背へ声をかける。

「あの、見つからないのなら無くても…」
「いや、俺お前に絶対合うと思って、新しい香油買ったんだ!わざわざフランシスの奴から取り寄せたやつがな。絶対気に入るから、ちょっと待……あ、これか!? …って、違うか…。おっかしーな…」
「…」

ご趣味となさっているのでしたら、まあ…宜しいのですけど。
垂れ幕に掛けていた爪を袖の中へ入れ、右手を口元に添える。
私のためにあれこれと揃えていただけるのは有難いのですけれど…。
そんなことより、早く触れて頂きたい。
…などと間違っても口にできるはずもなく、胸中で呟いただけで頬に熱が上ってきた。
誰とも無しに言い訳するようにゆったりと尾を一振りすると、尾の先がぺちりと固いものに当たる。

「…?」

何と無しに横を見ると、私が寄り添っていた幕とはまた別の幕の向こう側に大きな台があり、そこに黒く大きな駕籠が置かれていた。
それが漆塗りのように見えて、また表面に入った金の入れ色も素晴らしく、思わず簡単の声を零す。

「これ、アーサーさんの御駕籠ですか?」
「あ? …ああ、それか。棺桶だ」
「かんおけ?」
「オカゴって何だ?」

お互いの疑問が鉢会い、一瞬沈黙した。
間を置いて、互いに思わず小さく吹き出す。
…また我々の悪い癖だ。
それまで暮らしていた場所の文化が随分と違うので、時々こうしてお互いの言動や単語に疑問を浮かべることは少なくない。
初めの頃は物知らずでお恥ずかしいと沈黙することが多かったが、ここで暮らすと決めた以上、早くアーサーさんの生活様式に慣れなければと思い、最近では積極的に尋ねることにしていた。
物知らずを晒してしまい羞恥はあるものの、お陰で彼の気を得ることができたらしく、それまで探していた棚へ背を向けてこちらを振り返る。

「御駕籠というのは、私の国での移動を行う乗り物です。此処に乗って、担ぎ手に担がせて移動します」

黒い大箱の真ん中辺りを、袖の下で示す。
アーサーさんは、ああ…と頷いた。

「馬車みたいなもんだと思ったのか。残念ながら随分違うな。大体、移動に使うなら車輪がなきゃ無理だろ」
「何かをお仕舞いになる箱でしょうか?」
「それも違う。答えはベッド。寝台だ」
「寝床ですか…!?」
「…そ、そんなに意外か?」

この答えは想像すらできず、心底驚いてしまった。
一瞬からかっているのかとも思ったが、アーサーさんがどことなく居たたまれない様子なのを察して、事実であることを知る。
彼の誇りを傷付けるつもりはないが、それにしても私が想像できる寝床とは随分懸け離れているため、驚愕をぬぐい去ることはできなかった。
此方の寝床といえば、皆私が今使わせていただいているベッドのようなものであると思っていた。
城の主であるアーサーさんが自分より一回りも二回りも小さな寝床を使っていることを知り、申し訳なく思う。

「すみません。もしかして、私に上のベッドを譲ってくださっていたのですか?」
「ん? 違う違う。お前が寝てるベッド以外に数はたくさんあるさ。ただ、俺は一番これが落ち着くってだけだ。ずっと昔から使ってるしな」
「いつもここでお休みになっていたんですか?」
「まあな。あとは…そうだな。…まあ、昼寝くらいならあの辺に留まったり」

そういって、アーサーさんが徐に顎を上げて天井を見た。
つられて私も顔を上げると、地下とはいえ吹き抜けの高い天井の上に、一本の鉄棒のようなものが備えられていた。
…。
留まったり…?
…って、何でしょう。
ちょっと想像が付かないものの、あまり深く尋ねることもできず、突っ込まずに顎を下げた。

「狭くはないのですか?」
「ただ横になるだけだろ? 俺に言わせりゃ、用意しちゃいるがあんなに広いスペースを必要とする方が不思議だ」
「ですが寝返りを打ったりとか…」
「寝ちまったら普通動かないだろ。…ああ。でも、確かにお前は寝てるのに時々動くな。耳とか尻尾とか、ちょいちょい動くし。…あとそういや喋ったりもしてるか」

笑いながら言われて、かあと羞恥が上った。
自分が寝ている間の寝相や寝言を見たり聞かれたりしているかと思うと、自分が日頃どんなことを口走っているのか確認したくなる。
変なことを言っていなければいいのですが…。
少々俯いて沈黙していた私の視線が、もしかしたら棺桶を見ているように見えたのかもしれない。
アーサーさんがこちらへ歩いてくると、棺桶に手を添えた。

「寝てみるか?」
「え…?」
「よっ…と」

両手を添えて、アーサーさんが棺桶の蓋を持ち上げた。
ギギィ…と重々しい音を立てて、蓋が向こう側へ持ち上がる。
中は厚い赤布が敷かれていた。
分かりやすく言うと、名器などを入れる箱の内部によく似ていた。
興味がないと言えば嘘であり、ひょこりと覗いてみると中はやはり随分と狭い。
人一人が入れるかどうかのスペースと横幅しかなく、私でも狭そうだと感じるのだから、長身のアーサーさんがこの中で気楽に休める道理は無いように思えた。

「靴は脱いでくれよ?」
「…」

左手を差し出され、思わずその手を取ってしまう。
支えられたまま下駄を脱ぐと、左足からそっと中へ入れてみた。
枕がどちらかは箱の形状から分かったので、まず腰を下ろしてみる。
アーサーさんから手を離して棺桶の左右に手を添え座ると、ふわりと良い香りがした。
奥深い香りの薔薇にも似たその匂いが寝床の主の香水であることはすぐに分かり、自然と尾が揺れる。

「菊だと余裕過ぎてフィットしないだろ。俺で丁度良いからな」
「…えーっと」

狭いと感じているのだが、アーサーさん的には余裕があるように見えるらしい。
けれど周囲を囲む香りに誘われ、そのまま横たわってみようと、日頃寝る前にそうするように両足の間から前へ尾を流す。
横たわると、やはり大変に狭かった。
身長に差があるため足下は随分空いているが、横幅はきついように思う。
私でそのように思うのだから、アーサーさんでは動けないほどでしょうに、彼の言う"ふぃっと"というのは本当に全く動けないくらいのスペースを言うのかもしれない。
香りは微睡むものの、皮膚のすぐ外側を囲む縁が密閉されたような感じがして居心地が悪く、身じろぎをしてしまう。

「どうだ?」
「ちょっと…。慣れない…ですね」

上から逆光で見下ろすアーサーさんにしどろもどろで返す。
正直なところ、決して寝心地が良いわけではない。
自分の落ち着く場所を見つけられず身動ぎしている途中で、ふと刺さる視線に気付いた。
棺桶に片腕を乗せ、少々背を屈めるようにしてアーサーさんが横たわる私を覗き込んでいた。
そのお顔が妙に嬉しげで、思わず視線がそのお顔に縫い止められてしまう。

「…あの、何でしょうか」
「いや、別に。…ただ、俺の棺桶に菊がいるなーと思っただけだ」
「…」

問うた瞬間くしゃりと笑う笑みに現状の意味を教えられ、ぎくりと爪先が小さく震えた。
…考えたら、随分と恥知らずなことをしていることになる。
慌てて身を起こそうと棺桶の左右に手を置いたが、その前にアーサーさんが上から右腕を一本伸ばして私の頭を撫でた。
髪の上を滑り、人差し指と中指の先が、擽るように耳の上を弄りながら軽く押す。
一瞬びくりとするものの拒否する訳もなく、呼応するように耳の先を動かしてみた。

「…初めて他人を入れた」
「そうなんですか…?」
「まあな。…今までは狭いなんて思いもしなかったが、なるほど、確かに二人で横になろうとすると上みたいな広さのベッドが必要になるんだな。動くスペースも必要だ」
「わ…っ」

ストレートな物言いに返せずにいる私の手首を掴み、ぐいとアーサーさんが私の身体を起こした。

「見ててぐっと来るが、俺の寝床の中じゃ流石に無理だな。残念だが。…だから」

手を握ったまま、ぱっとアーサーさんが満面の笑みを浮かべる。

「蓋の上でやるか!」
「……………へ?」

 

 

戸惑っている間に棺桶の中から抱き起こされ、片腕で抱かれたままアーサーさんが閉じた蓋の上にすとんと私を座らせた。
戸惑いと緊張で硬直している私の両足を開いてその間から身体を密着させると、顎を上げ、すぐさま唇が重なる。

「ン……」

舌を絡められ、びくりと四肢が痙った。
ただそれだけでから中から力が抜けていく。
思わず相手の舌を舐めあげようと舌を伸ばしかけるが、どうにもそれはアーサーさんのいう"普通のキス"ではないらしく、大人しく絡まれた時にだけ絡み返すようにした。
快感に持って行かれないようアーサーさんの両肩に手を置いて、頂いた分だけでもお返ししなければと此方からも舌を絡ませる。
水音が体内に響き、すぐに身体が火照りだした。

「何処がいい?」
「…?」

顔を一度離し、私の両頬を包みながらアーサーさんが私へと額を添え、小さく尋ねた。
仰っている意味が分からず、ぼんやりした頭で耳先を動かしながら疑問を告げるために軽く首を傾げると、笑われてしまい、アーサーさんの手が首にかかる。

「先に飲んでいいだろ? 場所だ場所。首か、腕か…足か」
「…ぁ」

言いながら、首と鎖骨、肘の内側と、内股を順に触れていく。
…太い血管といえばその三カ所であって、私から血をお飲みになる時はいずれかの場所を選んで口を寄せていた。
大凡首か鎖骨の血管からお飲みになるものの、今宵は最後に示した腿を指先で擽られ、呼吸が乱れる。
袖の中に隠した右手を口元に添え、顔を隠すようにしてびくびく縮こまりながら、次々と溢れそうになる嬌声を何とか呑み込んだ。

「ぇ…。あ、あの…。あの…どうぞ、お好きに…」
「ん…。じゃあ足かな」
「…ぅ」
「腰浮かせろよ」

顔を覆う私の腕の上からそれらを突破し、額へキスが当たる。
少しばかり躊躇ったものの、言われたとおり軽く腰を浮かせると、アーサーさんの指が帯紐を解いて、水干の下で身につけていた袴がするりと腿まで腰巻き共々下ろされてしまう。
水干の裾が長いため、袴を取り除かれても膝上まで隠れはするが、思わず、唇を噛んで目を瞑った。
行為自体はこの半年で何とか慣れたつもりですが、交わして眠る場所として、布団やベッド、巣穴ならば兎も角…。
いえ、もっと大雑把に言ってしまえば、寝室でならともかく、それ以外のこの様な何の示唆もない場所で交わすことは初めてで、最近は薄らいできていた緊張が走った。
晒された下肢への直視が耐えられない私は、アーサーさんの腕を掴み、顔を首に押しつけるようにして背を丸めた。
頭上で小さく笑う声が聞こえてくる。

「おい、菊。しがみつかれちゃ飲めないだろ」
「す、すみません…」

慌てて顔を上げて謝ると、またアーサーさんの片手が私を撫でた。
正確に伺ってはいないのですけれども、話から察するに私の方が年上のはず。
にもかかわらず、よくこうして童子のように頭を撫でられることが多かった。
そうされる度にやりかえそうと内心思っているのですが、結局心地が良くて目を伏せ、ゆたりと尾を振ってしまう。

「何照れてるんだよ。今更恥ずかしがることもないだろ?」
「それはまあ、そうですけど…」
「俺とやるの嫌か? 今日はそんな気分じゃない?」
「い、いいえ…!」

嫌なわけがない。
その問いかけが心外で、私は勢いよく首を振った。
それまで気色の悪く痴態が過ぎると思っていた交尾だが、アーサーさんにこの辺りではそれが普通なのだと諭されて以降、今となってはそれ自体に抵抗なく、寧ろアーサーさんがご用で外出してしまったりお忙しくて床を共にできない日は心寂しく思う程。
好感を違えては困ると思い、少し背を伸ばして請うようにアーサーさんを見上げた。

「好きです。気分です」
「だろ?」
「好きですよ。好きですけど…。場所がいつもと違いますから…」
「落ち着かなくて変な感じか?」
「ええ…まあ」
「そーゆーの何て言うか知ってるか?」

軽く肩を竦め、片手で着ているベストの留め具を外しながら愉快そうにアーサーさんが笑う。

「"興奮する"って言うんだよ」
「…!」

ぎゅっと水干の裾下で陰茎を握られ、びっと全身が硬直した。
先端を蓋するように親指の腹を当てられ、他の指でするりと側面を撫でられる。
腰の辺りまで、ぞわぞわとした感覚がアーサーさんの手に呼応して身体を上ってきて、両手の袖を口元に添え、顎を引いた。

「は……っ、ぁ…」
「いい子だ。…足開け」
「…っ、ぅ……」
「菊、足」

少し強く言われ、我に返る。
開けと言われていた足は、いつの間にか真逆でアーサーさんを挟むように狭まっていた。
座っている棺桶の後ろに左手を着いて、身体を支えながら言われたとおり恐る恐る脚を開き、空間を確保する。
直視はしていないものの、足を開いたことにより水干の裾のちょうどその場所を、アーサーさんが握っているのが見えてしまって、羞恥に死にそうになってしまった。
いつものことといえばことですが…。
やはり場所が違うからか、落ち着かなく反応が露骨に出てしまう気がします。
震えながらのろりのろりと足を開く私へ、アーサーさんは取った帯に差していた先程の薔薇一輪を取り上げ、腕を伸ばして尾の中へ差した。
白い尾に赤い薔薇が差さる。

「…俺、腹減ってんだけどなぁ」
「ぅ…」

意地悪くアーサーさんが言いながら、私の鎖骨へ口付けた。
…そ、そうですよね。
まだ起きてから一口程度で、殆ど何もお召し上がりになっていないわけですから。
私ばかり先に食してしまって…。
意を決して足を開くと、アーサーさんが空いた手で私の肩を撫でた。

「いい子だな、菊。…そのまま」

身を起こしていたアーサーさんが、その場に屈み込み、私の右足を撫でた。
内股の血管を確認してから、ピ…ッと親指の爪で軽く皮膚を裂いてマークを付ける。
その間も片手では陰茎を握られ続け、身体が熱を帯びて堪らなかった。
戯れに小さく傷ついたその場所へ息を吹くものですから、尾が総毛立つ。

「ふ……、ぅ…」
「じゃ、もらうぞ」
「――ッ、あ!」

か…と一挙に灼熱が内股に集まる。
その場所へ顔を寄せて歯を立てられ、血液の集まる発熱で痛みなど感じない。
ずず…と内臓がその場所から吸われるような感覚自体に快感は無いが、その一方で握られた陰茎を上下に擦られて、その熱がそのまま快感へ変換されていった。
感じたことのない、上下左右分からぬような性感が背中を撫で、堪らずにアーサーさんの握る己の陰茎へ、彼の手の甲に添えるように指を伸ばす。

「や…っ、は…、離してください…!離し……っ!?」

ところが、指を引き剥がそうとしていた私の手を逆に巻き込み、手早く指を絡み取られてしまった。
私の手を覆うように位置したアーサーさんの手によって、自分の手で反り立った己のものを扱く羽目になる。
ごうごうと血の流れる音が聞こえるような内股に口を寄せながら、私の方を一瞥したアーサーさんと目が合い、びくりと身が竦む。
大きな掌から逃れられず、まるで自慰のように強制的に耽させられる。

「ン、ぁ、あ…っ」
「…」
「はっ……い、や…でっ…」
「嫌なら止めるぞ」

言うなり、ぴたっと私の手を巻き込むアーサーさんの手が止まった。
急に詰まった快感に驚いて引いていた顎を緩めると、ぱっくりと開いた突穴から溢れる血をキスするように吸いながら、緩んだ碧眼が私を見上げていた。
私の腿へふわりと細い金髪と頭を添え、微笑するその姿に心音が高鳴る。

「菊が嫌なことはやらないし、やってほしいことはやってやる」
「…ぅ」

そう言うと、再びアーサーさんは私の腿へ牙を立て、血液を飲み始めた。
金色の睫の下で目を伏せて、素知らぬ顔をして喉を動かす姿に胸が熱くなる。
体内に留まった中途半端な熱量が行き場を失い、まるで緊張が極限に達した時のように、汗が噴き出し皮膚の内側で灼熱がぐるぐるしている。
握る手が動いてくださらないのならと、思わず腰を動かしてしまいそうなところを、ぐっと堪える。
徐々に血液が失せていく中で、軽い貧血にも似た症状も出てくる。
朦朧とした頭で、口元に添えていた袖の端を何気なく噛んで俯いた。
…い、言ってしまいましょうか。
いやまさか…。そんなことできる訳がない。
第一、何と言えばよいのか…。

「…」
「…強情だな」

そのまま硬直するように沈黙していると、降参とばかりにアーサーさんが困ったように笑いながら、肩を竦めて項垂れた。
傷口を最後に吸ってから、見せつけるように舌を這わせて下から上へと腿を舐めあげる。

「…っ」
「ご馳走さん。…いつもお前は旨いな」
「ぁ…」

親指で口元を拭いながら身を起こしたアーサーさんが唇へキスしてくださる。
漸く進展したことが嬉しくて、軽く尾を振った。
キスは当然ながら鉄の味が強く、それまでの彼の香りを悉く打ち払って、少々鉛臭い。
清めるつもりで舌を入れ、唇や歯や舌を何度か舐め清めた。
擽ったそうに笑ってから、アーサーさんが呆れた顔で私を見た。

「毎回思うが、よく我慢できるな」
「す、すみませ……っ、わ…!?」
「お陰でいっつも俺からじゃねーか…ったく。…いや、いーんだけど。何かこう…なあ?」

言いながら、腰の裏に手を添えられ、そのまま棺桶の上に仰向けに倒された。
棺桶の横幅は私の上半身が横たわるには足りず、その向こうの赤い垂れ布へ肩から上が寄りかかり、皺を作る。
反射的にアーサーさんの肩に手を置いた。

「言うのが嫌なのか? キスしてとか、擦って欲しいとか、入れて欲しいとか、ぐちゃぐちゃにして欲しいとか、今日のお前は最高だとか、気持ちいいとか、ここが好きだとか」
「アーサーさん…!」

羅列される言の葉に驚いて、思わず耳を立てて声を張ってしまった。
そのような強欲な言葉を素直に言えれば苦労はしない。
この辺りの方々はそれが普通なのでしょうか。
そんな環境ではとても私などは居たたまれない。

「止めてください、そういうの…。私慣れないんです…!」
「はは。そうか? …けどどっちかってゆーと、強請って欲しいんだけどな、俺。言わなきゃ、伝わらないだろ? 何が好きなのか、とかさ」

そう言うと、私の片足を持ち上げながら、アーサーさんが半身を前へ倒し、私の顔を覗き込んだ。
透き通った翡翠のような碧眼が、優しく鋭く私を射抜く。

「お前を十分に気持ち良くさせてやりたい」
「…っ」

言霊が奥に掛かり、かっと全身に熱が走った。
両足間に密着され、天を向いて雫を零す己が相手の腹部に当たり真っ赤になったが、交尾に使う後孔に宛がわれたものもまた水気をまとって硬さがあり、ぎくりとした。
続け様、ポケットから小瓶を取りだし、口を開く。
とろりと足の間を香油が流れていった。
侵入はしていないものの、接したその場所へ、上から油が伝っていく。
…香油が尾に着くのを極力避けたいがために、身動ぎして尾を胸の方へ回して右手でその先をぎゅっと掴む。
先程まで探していた新しい香油は諦めたのか、嗅ぎ覚えのある香りだ。

「ちょ、ちょっと待ってください…っ。まだ慣らしてな…っ」
「大丈夫だって。お前もう慣らさなくても平気だろ?」
「そんな乱暴な…!」
「早く繋がりたいのは俺だけか?」

見下ろされているのに、覗き込むかのようなお顔をされ、喉まで伸びかけていた否定の言葉が何処かへ跳んで行ってしまった。
悪い癖で、高揚すると黙り込む私を察してか、アーサーさんが改めて顔を詰めた。

「…菊、キスして」
「…」

いつものはきはきとした物言いとは随分違い、低くゆったりと囁かれ、おずおず首を伸ばして私から顔を寄せる。
始めに親愛の礼節としてちょんと鼻先を合わせると、アーサーさんがくしゃりと笑った。
…何か変でしたでしょうか。
礼儀かと思うのですが…。
その後で、お顔を挟むように両手を添え、そっと口付ける。

「お前とのキスが俺は好きだ。ずっとしていたい」
「アーサーさん…」
「柔らかい耳も好きだし、尻尾もな。…髪も好きだ。細くて、真っ黒で、さらさらしてる。声はちょっと低いけど、鼻にかかっててセクシーだしな。手も小さくて爪も綺麗だ。今やったみたいに鼻先寄せてきたり、擦り寄ってきたり、ぐっとくる仕草も多い。…軽い身体も好きだし、それに」
「――っ!!」

片足を持ち上げ直され、同時に肩を押さえられ、熱の楔が私を貫いた。
仰向けのまま、右肘だけを横たわっている棺桶に着いて起きようとしてみてもままならない。
中途半端に身体を捻って尾を胸に引き寄せ、背を撓らせた。
身体を緩ませればいいことは経験上分かってはいるはずだが、やはり初めは侵入してくるそれを身体が異物と認識しているようで、硬く目を瞑って眉を寄せた。
…熱い。
肩で息をしながら俯き、呼吸を整えようとするも、苦しさにいつもより深く息を吸う度に、自分が迎えているその場所が収縮するのがはっきりと感じ取れた。

「あっ……っ、は…」
「…お前の中は狭くて熱くて気持ちいい」
「っ、ぅ……!」

奥にまで達しないうちに、一度入ったそれがずるりと体内から引いた。
耳元で囁かれる言葉と合わせて、全身に波が走る。
抜けきりはしないそれを奥へ誘い込もうと、浅ましく我が身がひくつく。
…山犬のように短い息を吐いて震えていると、アーサーさんが私の頬へ片手を添えた。

「ほら…。言ってみろよ」
「は…。ゃ……で、ですが…」
「俺しか聞いてないから」

そういう問題ではないように思うのですが…。
従うには抵抗があるものの、行き場のない疼きが拷問のようで。
数秒間は堪えていたが、結局は硬く目を伏せて顎を引き、覚悟を決めて唇を開いた。

「……ほ…欲しい、です…」
「誰を?」
「だ、誰って…。…貴方を」
「この期に及んでそれかよ。…もっとはっきり言ってくれ」

笑いながらアーサーさんが傷ついた腿に指を這わせた。
そこまで痛みはないものの、痛覚が鞭のように私を躾ける。
今一度ぎゅっと尾を握り、この頃になって漸く自棄になれた。
長い人生、自分は死んでも口にしなかろうと思っていた言葉を、真っ赤になりながら、牙が見えそうな程大きく口開く。

「ぁ…アーサーさんを!私の中に!…です!」
「よく言えました」
「っひゃ……!」

耳を撫でられたかと思うと、尾を掴んでいた私の手に手が重なり、噛み付くようなキスが上から唇を覆った。
同時に、焦がれていたものが勢いよく体内を貫き繋がる。
肩を上から抱くようにして躯を押さえつけられ、容赦のない律動にひたすら翻弄された。

「ぁ、あっ、あつ…っつい…っ」
「…菊。目…瞑るなよ。…こっち向いて」
「…ッ!」

快感の波に溺れて前後不覚な私を叱りつけるように、着崩れている着物の中で、胸上の左突を強く潰され悲鳴を上げた。
顔を横に向き、全力で双眸を閉じて縮こまっていたことに気付き、怖々と涙で濡れる目を開くと、アーサーさんが緩んだ双眸で微笑していた。
いつの間にタイを取られたのか、彼もまたある程度着崩してらして、稲穂色の髪の下で、澄んだ翡翠が緩んでいた。
一度潰されて赤くなったその場所を今度は指先が優しく撫でる。
倒された躯が上下に動く度に、棺桶の蓋がガタガタと鳴った。

「っん、ん……っ」
「…菊。好きだ」
「ゃ……!?」
「…っ!」

肌がぶつかる音。
全身に雷が走るような、深くある奥を突かれると同時に耳の上を甘噛みされ、口は開くが嬌声さえ出なかった。
萎縮した躯が内部を一瞬狭めてしまい、アーサーさんがぐっと顎を引く。
体内に熱が迸り、その温度と内壁へ叩き付ける感覚に、私もあっけなく達してしまった――。

 

 

「…ぅ」

羞恥で顔が火照る。
棺桶の上に倒れたまま、場凌ぎに私は尾を振った。
一挙に訪れる脱力感に肩で息をしているのは私だけでなく、私を隠すように行き場を塞いでいるアーサーさんも両手を蓋に着き、俯いていた。
体内がどろりと熱を持ち、今栓を解かれたら流れ出してしまう気がする。
…嗚呼。この場は一種寝台であるとは存じていても、私の慣れ親しむ寝床とは随分違うせいか、終えた今までも落ち着きを欠いた。
どこかそわそわしてしまう。

「はー…。……あ~…。最高だ…」
「…そ、そういうことを仰らないで頂けますか」

顔から火が出そうな言葉に狼狽えていると、アーサーさんが笑う。

「大丈夫か、菊?」
「は、はい…」
「悪い、ちょっと荒くなったな。…背中とか痛くないか? 固かっただろ。…傷もぱっくり開いてるし。…いつもの葉は?」
「あ…。部屋にあります…」

確かにいつもと違い所々痛みはあったが、どうせすぐに治ります。
キスしてくださるアーサーさんに返し、私も彼の頬を舌で舐めあげた。
名残惜しいが、彼が身を起こして体温が離れる。
打ち込まれていた楔が抜かれ、粗相をせぬよう意を留めなければならなかった。

「シャワー浴びるか? 連れて行ってやるよ。お前眠そうだ」
「いえ、平気です」

言うものの、正直を申せば良くを吐き出した気怠さが助長し、油断すると今すぐにでも寝入ってしまいそうだった。
時は既に真夜中過ぎ。
夜行性のアーサーさんなら兎も角、日中を活動時間としている私を睡魔が襲っていた。

「…随分昔は、私も夜行性だったんですけど」
「へえ…。初耳だ。そうなのか? 何で太陽の下なんかに就くようになったんだ。月の方が高貴でいいだろ?」
「ええ、まあ…」

若い頃、妖の抗争に嫌気が差して以降は同族同胞で群れることなく、希に人間と暮らしていたものですから。
子辛や班足、少し前の王であった宗仁など…今となっては遙か彼方の記憶ですが、好いていた方もありました。
月よりは太陽の属であった彼らに寄り添う為に反転させた生活が、今ではすっかり肌に染みついている。
…けれど、それをアーサーさんに告げるのは些か躊躇われた。
妖を毛嫌いし人に追い払われ、ずっと独りで暮らしていましたけれど、今またこうして、しかも西洋の妖の方とご一緒になるとは夢にも思わず。
この歳で生活を変えるのは難しいように思いますが、少々体内時計を戻そうかどうか、悩むところです。
ぼんやりしていると、不意にアーサーさんが再度私の足を左右に割って開いた。

「運ぶ前に、軽く拭ってやるよ」
「え…。へ? ちょ、ちょっと…!」

止める間もなく、白く濡れた雄をアーサーさんが口に含んだ。
一度吐いて躯が敏感になっているせいか、びりびりとした刺激が走る。
熱い口内に感じ入って、片手の甲で口を覆って耳を伏せた。

「んっ、ゃ…っあ、…!」
「また硬くなってきたな…。もう一回できそうだ」
「…!」

すっかり開いた寝間着の間だから伸びる私の腿を持ち、無邪気な満面の笑みでアーサーさんがそのようなことを提案する。
仰天している私へまたずいと身を寄せ、思わず顔を背けてしまった頬へ口付けた。
続け様無い胸を吸われ、身が跳ねる。

「ひゃ…っ」
「二回目の方が気持ちいいだろ?」
「ま、待ってください…!でもだって、そんな…!」
「たまには夜に来いよ。繰り返せばそのうち昼なんか捨てて夜に戻れるさ。そうしたら、思う存分デートができる」
「っ…!」

寄り添うアーサーさんの肩へ両手をかけたところで――。

「ぅお~い、アーサーぁ。お前この間買ったオイル俺んちに――」

倒れ込んでいる私の頭上の石壁から、ぬ…っと、唐突に白い服を着た雄が上半身を生やした。
アーサーさんと同じく稲穂色だが少々長いお髪に短い髭。手には角灯をお持ちで…。
ただ、瞳の色が山葡萄色をしていた。
その双眸と、確実に目が合い、びゃ…!と耳と尾が固まり、双眸を見開いて硬直した。
私を覆ったまま、声で他者の乱入を察したのか、顔を上げない状態でアーサーさんも硬直する。
…。

「…」
「…」
「あ、あれ…? 悪い、お取り込み中だったりなんかしちゃったりなんかした??」

壁から生えたその方は最初こそ少し狼狽えはしたものの、顎に片手を添えてじろじろと半裸の私を見下ろした。

「ふぅ~ん。…へ~っえ。ここんとこ妙~に外出てこねえと思ったら…。そゆことか」
「…ぁ……ぅ…」

全身が茹だる。
このような痴態を他人に目撃されては生きている心地もしない。
両手を入れた袖で顔半分を覆い、言葉も出なかった。
絶句して涙目になる私の真上で、ずるりと角灯の男が壁から足首を残して宙に浮くように姿を現す。
すらりと長い足を空中で組んで軽く右手を上げ、私へ向かって片目を伏せるという奇妙な仕草で笑いかけた。

「狐さん、イイとこでお邪魔しちゃってごめんね~。おにーさん空気呼んで出直すわ~」
「…」
「…ぷぷっ。頑張れよ、そ う ろ う♪」

最後の方はアーサーさんへ向けて半眼と緩んだ微笑で告げ、驚くことに、その方はまたずるりと固い石壁の中へ泳ぐように消えていった。
……。
…。

「………………菊」
「…!」

数秒後。
ぽつ…とアーサーさんが呟いた。
その声がそれまでとは天と地との差がある程に低く冷たく、びくりと肩が震える。

「は、はい…」
「今日は…やっぱもう遅い……。寝た方がいいな…。…疲れただろ」

私の襟を両手で合わせてから、するりとアーサーさんが両足の間だから抜け出た。
俯いて陰った目元のまま、表情を覗く間もなく襟を正しながらくるりと机の方へ向かう。
そのままタイをして、ボタンを留め、青い外套を羽織る姿を、無心で見ていた。

「…」

机の後ろの棚から小箱を取りだし、中に収めていた短銃を腰に携え、立てかけてあったステッキを、一度くるりと手首に掛けて回す。
シャッ――!と鋭い音を立て、その先端から刃が突き出た。
棚に並んでいるいくつかの瓶から一つを選び取り、親指でコルクを抜いてその液体を刃の先端に垂らし、今一度振るうと濡れた白銀は先端から中へ収まり影を潜めた。
バサバサ…と音がし、どこからとも無くあの飼っていらっしゃる二匹の蝙蝠がやってきて、まるで従う従者のようにアーサーさんの傍へ留まる。

「…」
「……出かけてくる」

先程まで緩んでいた翡翠の双眸が細く変じており、無表情で私にそう一言いうなり、アーサーさんはドアを開けると、外套の裾を広げて階段を上っていった。
登り切ってからあの美しい翼を広げたのか、バサリと羽音に転じた音が聞こえた気がした。
…それを最後に、部屋に突然静寂が戻ってくる。

「……」

いつまでもこの様な痴態でいる訳にもいかないことは分かっているが、なかなか動けず、それなりの時間、私は蓋の上に腰掛けていた。

 

 

 

結局睡魔に負けてその日は遅くに寝入ってしまったものの、次の日の晩――。

「ほら、菊。やる」

アーサーさんにしてはぶっきらぼうにむすっとして差し出された箱の中に、目玉が二つ入っていた。
…私は人を喰らいはしないのですが、折角ですので頂こうかと指先を伸ばしたものの、そのゆびさきが目玉をすり抜け、またぎょっとした。
アーサーさんから頂いたものですし、摩訶不思議な珍品として大切に保管しようとしていたところを、

「ちょっとちょっと!!アメジストの如き美しいおにーさんの目いー加減返してくんない!? ゴーストってお前らと違って視力無いとひたっっっすらにどこっっっまでもなんっっっの障害も無く迷うんだからね!!?」

――とやってきた白い服の例の男性が取りにいらっしゃったので、アーサーさんは激怒して追い返そうとなさっていましたが、双眸無けりゃ嘸不便でありましょうと、そっとお返しして差し上げました。


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