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静寂の中の水音。
暗闇の中の逢瀬の数えは未だ片手で事足りる。

月闇



「…ん」

上から伸びてきた指先が僅かに顎に触れ、促されるまま僅かに閉じていた口を開くと、すぐに高温な他者の舌が滑り込んできた。
奥座敷に出して置いた賓客用の錦布団も、部屋の端にぽつんと灯っている行灯のみでは模様の美しさを褒める事はできないが、昨日干して置いたこともあり肌触りには十二分だった。
実の所、自分も寝ることになるかもしれないと思っていつもより長めに干していた。
度々お越し頂くものの滅多に床を共にすることはないので、まさか本当にそうなるとは思ってもみなかったが。
…とは言え、万が一にでも事前に事を予期していた己を恥じると頬に熱が走った気がした。
ゆっくり瞬きをして再び目を開けた際、不意に灯りの存在を思い出す。

「あの…。イギリスさん…」
「ん…?」
「行灯を…」

消して頂けませんかと続ける前に喉から顎へ唇が上ってきて身が震えた。
再び軽く接吻を交わしてから漸く顔が離れる。
組み敷いた状態で私を見下ろす英国さんは常日頃とは少々異なった雰囲気を持っている。
それが国民性なのか彼自身の癖なのか…私には判りかねるものの、正直な所、騒がしく逐一口を挟まれるよりは単純に静寂を愛せる方が共に在って落ち着く。
投げ出していた私の片手を取って甲へ口付けてから、漸く顔を向けた。

「悪い、聞いてなかった。…何か言ったか?」
「ええ…。行灯を消して頂けませんか」
「アンドン?」
「明るいのはちょっと…」
「…ああ。あのキャンドルか」

そう呟いて行灯のある背後を一瞥するも、手を伸ばしてはくださらない。
いつもはすぐに消してくださるのに。

「…」
「…あの」
「あー…っと、だな…。たまにはよく見たいなー…とか」
「む、無理です…!」

ぶんぶんと力一杯首を振る。
自分の髪が布団の敷き布団の上に当たる乾いた音を聞きながら必死で拒否すると、英国さんがむっとした顔で眉を寄せた。

「何だよ。別に初めてじゃないんだからそろそろいいだろ? えーっと、初め…はあの時だから、ワンツーで…3回目か?」
「回数じゃありません!お約束したじゃないですか。絶対に灯りは付けないという条件で…」
「あれはあの時だけだろ?」
「違います、誤解です。一方的解釈は困ります。一貫事項です半永久的に。もし消してくださらないのなら断固拒否させて頂く上にもう二度とお招きいたしません」
「そ、そこまで嫌か…?」

畳み掛けるように否定を並べた私の言葉に、頭上でがくりと英国さんが頭を垂れる。
項垂れる様子にあわや手を差し伸べそうになりかけるも、私にも妥協できるものとできないものがある。
そしてこれは確実にできないものだ。

「何でそこまで明かりを嫌がるんだ?その…お互い顔見たい…だろ?」
「見なくて良いです、そんなの」
「そ、そん…」

目に見えて英国さんが落胆し、私の顔横に肘上を添えてぐったり背を屈めた。
首筋に細い絹髪が当たり、近距離と擽ったさに慌ててやんわり肩に指先を添え、それ以上近付かないよう制した。

「見たいとか見たくないとかではなくて…。醜態をお見せする訳にはまいりませんし…」
「醜態って、お前な…」
「兎に角、消させて頂きますね」

英国さんの下で俯せに返り肘を着き、僅かに布団から躙り出て右腕を橙の灯りを灯す光源へと伸ばす。
指先が今一歩行灯へは届かず、また少し腰元を横に移動させて再度伸ばした指が行灯へ届きかけた所で、すっと私の手に手が重なった。
指の叉にひとつひとつの指先が滑り込み組み、些細な妨害に浅く息を吐いたが、一時的な単なる戯れかと思っていた所にもう片方の指先が襟の合わせ目に添えられ心音が跳ねた。
伸ばしかけていた指先で急いで灯りを消そうとしたが、叉に絡んだ指はさっき添えられた際とは雲泥の力でもって私の片手を畳へと縫い止める。

「え…。あ、ちょ…っ」

止めてくださいと言う前に鎖骨を指先が這い、項に高温の接吻が落ちた。
たったそれだけでひくりと身が震え、反射的に肩が上がり身を縮める。
同時に肘で半身を支えきれず、畳の上に伏し落ちた。

「待って下さい…!本当に止め…っ」

捕らえられていない方の手をすぐに持ち上げかけたが、身を嬲る腕を止めぬままきつく抱き締められ、絡まった右手を残して縄の様に拘束した。
合わせ目から寝間着の内側へ片手が入り、鎖骨から下って胸板へ移動すると同時に、背後の唇も襟を広げ下ろして下っていく。
背中が粟立つ感覚に固く唇を噛み、朱を纏って歪みかけた顔を隠す為、片腕に顔を押し当て俯いた。

「っ…」
「…顔上げろよ」

囁かれる低声に首を振る。
これ程光源より近い距離。
上に重なる英国さんの影すら落ちず、畳の藺草を照らす黄橙の灯りにすら羞恥を覚える。
最早顔を隠すことと声を殺すことに必死で、布団から外れた畳に伏せたまま身を這う手に怯え縮んだ。
帯が解かれ、合わせが開いて肌の上を風が通る。
抱き竦められた身で何とか取り払われかけた着物の裾を掴み引き寄せたが、それでも後の祭り。
視界では確認できないが、何とか腰元に乱れた寝間着がかかる程度となった。
肩に音を立てて唇が添えられ、胸元を嬲っていた片手が内腿に触れる。
私が頑なに握る寝間着を押しながら手がゆっくりと腿を上がり、身を攣り、身動ぎして尚のこと腕に顔を押しつけた。

「ぁ…ご、後生で…」
「顔を上げて俺を見たらな」
「…っ」

唐突に恥部を握られ、息が詰まり顎を上げかけた。
波を付けて扱かれる手に合わせて身が震え、如何に唇を噤もうと努力した所で呼吸が声を伴って口から零れ出る。
早いなと本当に小さな声で英国さんが独りごち、それをうっかり聞いてしまって貧血になりかけそうな程顔が熱くなった。
羞恥を高める水音が響き出し、私に触れる指先に多少の粘りが付く。
次々と快楽を与えられ高みに上り行くもその一方で実に巧みに制御され、痛みにも似た疼きに耐えきれず、勝手に身体が度々身動ぎしては快感を散らそうと試みるも一向に収まらない。
不意に泣き出したい衝動に駆られた。
こんな姿を眼下に晒して何とお思いか、考えるだけで腹に刃を立てたくなる。

「…お、おい?」

すっかり肘まで下った寝間着の襟。
辛うじて残る袖に顔を押しつけ喉を振るわせていた私に気付き、英国さんが私から手を退いた。
安堵と同時に浅ましくもそれを名残惜しいと感じるあたり本心では灯りの下の姿も見て頂きたいのかもしれないが…。
そこまで恥知らずではないはずだと己に言い聞かせ、頑なに唇を噛んだ。

「日本…?」
「…」
「ひょっとして、泣いてる…のか?」

零れる呼吸の合間合間に肩を振るわ応えない私に発言を促す訳でもなく、少々の沈黙の後、不意に行灯の灯りが消えた。
…。
周囲が障子から差し込む僅かな藍色を残し暗がりとなる。
間を空けて、ゆっくりと、顔を上げた。
肩越しに振り返ると、眉を寄せた困惑顔が視界に映る。

「わ、悪い…。そこまで嫌だとは思わなくて…」

殆ど生理的なものだと思うのだが、狼狽しつつも、そのまま仰向けに返った私の頬に片手が伸びて目元に溜まっていた涙を拭ってくださった。
行灯が消えた事で光源の位置が月明かりに代わり、逆光となって英国さんの影が顔に落ち、私の身の上にだけ闇が濃く、それが落ち着きを与える。
…考えれば、常々こうして月明かりを背にする英国さんの裸体は視界に収めている。
私の方が不平等にして一方的なのかと、ふと思案した。
そっと涙を拭う手の首に指先を添える。
それでも一連の恥じを思えばまともに顔も見られず、目線を下げる。

「すいません…。ですが本当にこれだけは。お目汚しになると思うととても耐えられず…」
「は?…あ、あのなあ!」

小声ながらも、不意に英国さんが声を張る。

「何でそう思うんだよ!お、俺はだな、お前が醜態晒してるとか目汚しとか…全っ然これっぽっちも思っちゃいないんだよ!」
「…ですが、恥知らずだとお思いでしょう」
「ぁあ!?そんなこと誰が思うか!…っつーかだな、俺だって結構色々やってきたが、寧ろ何だ、色々と焦れったい時もあるけどな、その…。断然き…」
「…?」
「…」
「き?」
「…ああもう!いい!!」
「え?あ…」

舌打ちして片手で前髪を一度掻き上げた後、ぐっと肩を掴み顔を寄せられ、接吻を受ける。
暗がりに安堵を覚えて逃げはしなかった。
瞼を閉じて唇を重ねていると、少しずつ収まっていた疼きがまた沸き出でて、浮かされる熱に耐えきれず腕の中で身動いだ。
あまり乱れては軽蔑されそうで頑なに耐えていたが、やがて消えた黄橙の灯りの下での手解きに心身共に火照らされる。
邪魔になりはしないかと恐る恐る指を伸ばして英国さんの首へ両腕を回すと愛撫が皮膚を撫でる。
…正直言うと、この戯れの時間は嫌いではない。
長い間一室に閉じ籠もっていたこともある私は、当時気付きもしなかった孤独に今更心寂しくなっているらしく、こうしていると安らぐ。
嗚呼しかし、身に耐え得ぬ羞恥。
仕方がないと分かっていても、他者と比べると小柄が過ぎる身は劣等感に嘖まれる。

「…あ、あの」

口では何とでも言えようが、余り長い間恥を晒していては呆れられてしまうのではないかという恐怖心が背中を押し、なるべく短時間で逢瀬を終えようと、好ましく思う前戯もそこそこに乱れる呼吸の合間に切り出した。
無様な姿を見せる訳にもいかず、なるべく呼吸を整えようと思うが、巧くいかない。
呼吸すら震える。
声を掛けられて顔を上げた英国さんの碧眼をまともに見返せず、片手で口元を押さえながら、横を向く。
その一方で、片袖を残して殆ど敷物と化していた寝間着が覆っていた腿へもう片方の手を添え、僅かに這い上げた。

「もう十分ですので…。…どうぞ」

お嫌でなければ…と添えると、酸欠になりかけるような長くて淫らな接吻が口を覆った。


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